霊園墓地の大塚トップ >  立松和平の墓紀行 第2回 良寛の墓

立松和平の墓紀行 第2回 良寛の墓

立松和平の立松和平の墓紀行第2回は「良寛の墓」である。
 新潟県長岡市島崎に広がる田野に「隆泉寺」があり、そこに良寛は眠っている。
良寛は、子供と手鞠で遊ぶ姿が思い出されるほどに子ども好きである。
江戸時代の禅僧・歌人・詩人でもある。
諸国を修行して帰国、国上山の五合庵などで脱俗的な生活をする中で書や詩、歌を詠んだりした。

良寛の墓

  良寛と弟子貞心尼の最後の唱和歌はこのようである。

かひなしと薬も飲まず飯断ちて
自ら雪の消ゆるやを待つ
貞心尼

うちつけに飯絶つとにはあらねども
且つ休らひて時を待たむ
良寛

  良寛が死に至った病は直腸癌といわれている。下痢の垂れ流し状態になっていて、良寛はこれを止めるため食を断った。ついで薬を断ったとされる。看病していた貞心尼が「効き目もないと薬も飲まず食事も断って、雪が消えるように自分の命が消えるのを待っているのですか」と問う。すると良寛が応える。「急に食事を断ったというのではありませんが、ちょっ と心を安らかにして、その時を待とうと思っているのですよ」
  ここには自然に身をまかそうとする穏やかな心の流れがある。死を受容しようとする安心の境地である。

また次のような連短歌も残っている。

来るに似て帰るに似たり沖つ波
貞心尼

明らかりけり君が言の葉
良寛

  寄せては返す沖の波は、この世に生まれて去っていく人生と同じですねと貞心がいい、あなたの言葉は実に明解ですねと良寛は応えている。師と弟子の心が通った穏やかな情景である。
  良寛が遷化したのは、天保二(一八三一)年正月六日申の刻(午後四時頃)であった。身を寄せていた木村家の菩提寺隆泉寺の木村家墓地に葬られた。曹洞宗の禅僧の良寛であるが、浄土真宗の寺に葬られたのだ。
  いかにも物事にこだわらない大らかな良寛らしい墓である。良寛が笑っているような気がした。

良寛とふるさと

  国上山の中腹にある真言宗の寺院。
和銅2年( 7 0 9 )に建立された新潟県最古の寺院で、ご本尊は阿弥陀如来。古文書などによれば、行基菩薩によって開眼されたという。良寛のほか上杉謙信、源義経・弁慶、酒呑童子、親鸞上人、慈覚大師、夢窓国師などが来山しており、縁起も多くある寺院。 今年で開山1 3 0 0 年を迎えた。

  良寛が玉島( 岡山県倉敷市)の円通寺で厳しい修行を終え、各地の名僧を訪ねて研さんを重ねたのち、越後に戻った良寛が寛政5年(1 7 9 3 年)ころから59歳までの20年間、この五合庵に 住んだ。その後、少し山を下ったところに鎮座する乙子神社境内の草庵に移ったとされる。もとは国上寺本堂を再建した客僧「萬元上人が毎日米五合を給されていたことに由来されている。

周辺の見所

弥彦神社
  越後一の宮として名高い弥彦神社です。境内は広く、門を入ると弥彦山を背景とした神殿の全体像が見えます。旧本殿は明治45年に焼けてしまい約90度左に向きをかえ、森林を切り開いて再建されました。旧本殿左側に良寛の詠んだ御神木の椎の木があります。60才代の良寛は『弥彦神社に詣でて』という歌をよんでいます。

良寛の里美術館(良寛墓から約0.6km)
  良寛と愛弟子,貞心尼の書や詩歌を中心に、ゆかりの文人墨客の作品も含めて展示しています。ビデオルームでは「和島の良寛・良寛と貞心尼」など大型スクリーンで映像が楽しめ 良寛を身近に感じることもできます。

立松和平のプロフィール

地震に強い特許のお墓

特集:正しいお墓のクリーニング

日本石材産業協会/全優石(認定 全国有料石材店)/全優石(埼玉支部)

  • お墓相談員
  • お墓ディレクター
    (1,2級)認定