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お墓の話 其の一

今にも雨が降り出しそうな初秋の頃、祖母がよく摘んでは仏壇へ捧げていた花を二束と、上品な香りの線香を持ちその山門を潜る。いったいいつからここに 建っているのだろう。宿場町として有名なこの町の歴史を見守りつつ、そこを訪れる人々の気持ちを安らげ、包み込むように迎えてくれる。
「真言宗智山派遍照院」
  御本尊「不動明王」に守られ、我家の先祖が眠るところである。

  この度、「遍照院だより」二刊号より掲載させて頂く事になりました、(株)大塚の専務取締役 大塚崇行と申します。何卒宜しくお願い致します。

  今回は初めてと言う事で、基本的な「日本のお墓の歴史」の話しをさせていただきます。少し硬い話になってしまいますがご容赦下さい。

  もともとお墓の形態は「死者を埋めて土をかぶせる」だけのものでしかありませんでした。それが縄文時代からのお墓です。埋葬の姿勢によって、屈葬と伸展葬と呼ばれるものがあります。
  弥生時代にも基本的には地中に埋める形は変わりませんが、特徴として方形周溝墓と言われる方形あるいは円形の溝をめぐらしたものがあり、古墳時代に出現する前方後円墳につながるものと考えられます。
  次に古墳時代のお墓になります。この時代の代表的なお墓は、大阪堺市にある仁徳天皇陵の前方後円墳です。こういった大きな墳墓の出現は稲作など生産力が向上し地方豪族が発生し、やがては天皇中心の文化が確立されていったことにつながります。
  その後大化の改新で、「薄葬令」という墳墓の造営を戒めた詔勅が出されます。これには墓の規模や葬儀のあり方などがしめされており、「薄葬令」によって古墳時代は終わりを告げることになります。年代としては今から約千三百年程前になります。
  この時代の特徴として火葬があります。道昭という中国で仏教を学んだ僧が遺言により火葬されたことにより、仏教が火葬の風習を伴い広がったといわれております。
  しかし相変わらず土葬の形も続いており、やがて村々の墓に寺が建てられたり、寺に境内墓地が作られるようになり庶民が仏教の信仰を深め、江戸時代の檀家制度の確立へと移行していきます。
  この頃より上層階級では板塔婆や石塔婆等の墓標が立てられ始め、現代のお墓の原型が形作られていきます。

  以上が日本のお墓の大まかな流れとなります。この他にも様々な説がありますのでご参考にして下さい。

  秋彼岸、それぞれの思いを込めて皆様がご先祖様へ手を合わせた事と思いますが古代から現代へとお墓の形は変わっても、亡き人を思う気持ちは不変のものなのでしょうね。

合掌

2001年6月

地震に強い特許のお墓

特集:正しいお墓のクリーニング

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