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日本墓紀行「想」 葛飾北斎

日本墓紀行「想」

第8回 葛飾北斎


葛飾北斎の墓
戒 名
南聡院奇誉北斎居士
没年齢
90歳
所在地
台東区元浅草4-6-9 誓教寺
最寄駅
地下鉄銀座線「稲荷町」「田原町」駅 徒歩約6分。
【辞世の句】
 「人魂で ゆき気散じや 夏の原」

地下鉄銀座線「稲荷町」駅、多くの仏具店が軒を並べる。寺も多い小さな通りに入ると店や工場、住居、寺が混然一体としている。寺はどれもこの町の生活にとけ込んでいるようだ。

  誓教寺、門前には英文の説明文が立っている。
海外から訪ねる人も多いのだろう。寺の奥が墓地になっている。古い墓石が密集しており、東京の寺だ。墓地に入って間もなく小さなお堂がある。これが世界の北斎の墓だ。墓は都指定旧跡になっている。墓標には「画狂老人卍墓」とある。

  自らを「画狂」と称したように、そのままの人生であった。宝歴10年(1760)の生まれとされる。出生については謎に包まれていることが多い。無理もない。今のようにメディアが発達しているわけでもなく、記録として残るのは多くが名を成してから後のことである。生涯90回以上も引っ越しを繰り返し、30以上もの名を持つ。数奇で個性に富んだ画家、北斎であった。次にあげる北斎の作品は膨大な数のほんわずかなの一部でしかない。

  画面狭しと大波が立つ、飲み込まれるように浮かぶ舟。大波の合間に小さく見える「富士」。だれもが知ってる北斎の絵である。カメラもない時代にどうしてこのような視点でものをとらえられることができたのであろうか。それは後に日本人以上に世界の人達の目にも強烈に焼き付けられた絵でもあった。この富嶽三十六景が刊行されたのは天保2年(1831)北斎72歳のときである。もうひとつの絵「北斎漫画」は洒脱で多岐に渡るモチーフは北斎の確かな「目」を証明している。文化11年(1814)北斎56歳のときである。世の中高年よ「疲れた」などとは言ってられない。驚くべきバイタリティーである。

  嘉永2年(1849)90歳、北斎は病床に臥す。 死を前にして北斎は「せめてもう10年、いや、あと5年でもいい、生きることができたら、わたしは本当の絵を描くことができるのだが」と嘆いたという。

  これだけ生きても、数多くの名作を残しても、北斎はまだ満たされぬ画の道を探し求めていたことに私たちは驚きを隠せない。
  求める強さは生の強さなのか。北斎が北斎たらしめる最期の伝である。


ちょっと、ぶらぶらコース
待乳山聖天→浅草寺→区立観光センター(からくり時計)→駒形堂→六区→江戸下町伝統工芸館

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