戒 名
知相院釈妙葉信女
没年齢
24歳
所在地
東京都杉並区永福1-8
築地本願寺別院和田掘廟所
最寄駅
京王線「明大前駅」徒歩約10分
今年11月に新5千円札が発券されます。戦後初めて女性がお札の顔になるその人、樋口一葉の墓を訪ねてみました。
その墓は多くの名作の舞台になった下谷、千束とは遠く離れた杉並区永福町の築地本願寺和田堀廟所に眠っている。
京王線「明大前駅」を降り、小さな商店街を抜け、家と家の間をつづれ折りながら5分ほどすると甲州街道に出る。首都高が屋根のようにかぶる歩道橋を渡ると広大な築地本願寺和田堀廟所が目の前に現れる。
果たしてこの墓地の中から樋口一葉の墓の前に立てるだろうか、と早くも不安になる。案に反して一葉の墓の標は墓地の並木道の中央あたりにあった。標に沿って歩く。墓そのものはさして古くはなさそうである。東京の真ん中にぽっかり大きな穴の空いたような墓苑に一葉の墓はその人と同じように凛と立っている。
一葉は明治5年、現在の千代田区にある府庁内にある武家屋敷で生まれた。幼き頃より学問に秀でていたが当時はまだ女性には学問を必要とせず、という時代であった。
一葉は短い学歴ながら、父の理解と助力もあり和歌に文学に親しみ、多くを吸収し後に小説へと結んでいった。
「にごりえ」「たけくらべ」の舞台になった下谷は一葉が21才の時、この地で1年と満たなかったが樋口家が営んだ荒物屋(駄菓子屋)での体験に寄るところが多い。それまで本郷、千代田区、麻布と数多く転居したが一葉の目に飛び込んできたこの町は彼女の琴線に触れたのであろう。
小説を読むというには言い足りないほどの質感を持つ。言葉のリズム、温度それらは「一枚の絵」として長く心に揺れ映し続けてくれる。
肺結核のためわずか24年という生涯であった。人は、時計や暦のめくりの中で生きてるのではない。一葉が感じたもの、他の人であれば鼻にもかけず、あざ笑う事も一葉の目と耳を通ると「世界」に変えてしまう。若き女性一葉は古き人ではなく今も生き、本人は生前の生活苦もあって苦笑するだろうが5千円札の「顔」となる2004年、これも墓碑だろうか。
年中無休 午前9時〜午後5時