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日本墓紀行「想」

第六回 伊能忠敬

戒 名

有功院成裕種徳居士

没年齢

73歳

所在地

観福寺
千葉県佐原市牧野1752

最寄駅

JR総武線佐原駅
佐原駅から徒歩約20分

伊能忠敬の墓所

伊能忠敬の墓は3カ所にある。ひとつは浅草の「源空寺」、
伊能忠敬の遺言によって生涯師と仰いだ高橋至時の隣に建てられている。
二つ目は伊能家の菩提寺でもある佐原の「観福寺」に遺髪と爪が埋葬されている。
三つ目は千葉県香取郡にある「日本寺」、
ここは忠敬が婿養子に入った最初の妻ミチの生家の菩提寺である。


 伊能忠敬は、はじめて実測による日本地図を作った人として今でも広く知られている。当たり前の話だが、鉄道も飛行機も、ましてコンピュータもない時代の話だ。
伊能忠敬は寛政6年(1794年)、それまで千葉の佐原で家業の酒造業に励んでいたが49歳で家督を長男にゆずり翌年、江戸に出て浅草の天文方の暦局に勤めていた高橋至時の門下に入った。
時を経て、伊能忠敬の死の3年後の文政4年(1821年)に「大日本沿海輿地全図」と「大日本沿海実測録」は完成した。

2001年、ワシントンの米国議会図書館で「大図」と呼ばれる日本地図が207枚発見された。昨年はその「大図」が各地の博物館、美術館で初公開され、今さらながらにその正確さには驚きの声があがっていた。
この偉業を成し遂げた伊能忠敬の墓は浅草と千葉県佐原市と香取郡にある。ここでは、佐原市の名刹「観福寺」の墓所を訪ねることにした。

水郷の町、佐原は土蔵作りの商家や格子の町家が今でも数多く残る。駅から5分ほど東に歩くと小さな川に出会う。小舟が浮かび両側には古い家並みが続く。その中ほどに伊能忠敬の生家と記念館はある。
記念館には多くの資料が展示され伊能忠敬の偉大さの片鱗を覗くことができる。
目的地の真言宗豊山派・「観福寺」は生家から車で約10分ほどのところにある。大きな山門を抜けると深い木立に囲まれ、しばらく歩くと、大きな本堂が建つ境内が目の前に広がる。まさに名刹にふさわしい威厳と 品を供えている。この寺の奥に伊能家の墓はある。
忠敬の墓は妻や多くの子孫に囲まれひっそりと苔をまといながら佇んでいる。それはまるで熱いものを胸に抱き、日本中を歩いた忠敬の「静かな強さ」にも見える。それは思いの馳がそうさせるのだろうか。

忠敬は学問や探求心を胸に50年間眠らせていた。目覚めさせてからの23年間はあっという間であったろう。
生まれたばかりの子どもは目が開いていても、ものは見えないという。やがて、ものの輪郭を目で追い、形を認識するのであるという。

伊能忠敬はそれまで、だれも「日本」という輪郭を知ることがなかった人々へ「日本」を引き出したはじめての人だった。 享年74歳。


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