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日本墓紀行「想」

第七回 静御前

戒 名

巌松院殿義静妙源大姉

没年齢

文治五年(1189)とされている

所在地

観福寺
埼玉県北葛飾郡栗橋町

最寄駅

JR東北本線栗橋駅
栗橋駅から徒歩約2分

【鶴岡八幡宮の回廊で舞う静御前】文治二年(1186)4月8日

しずやしず賤 のおだまき繰り返し

昔を今になすよしもが

吉野山嶺の白雪踏み分けて


 上野駅からJR東北本線に乗って一時間ほどで栗橋駅に着く。
今では東京への通勤圏内といってもいいこじんまりとした町だ。
全国にあまたある静御前の墓のひとつがここにもある。駅を降りて探す間もなく、目の前にすぐ静御前の墓はある。墓は建て替えられたようであり、どこか真新しい。聞いてみればそこはかつて寺があったそうだ。新しい墓のそばには小さな囲いがある。風雨に晒されないようにガラスをはめ込んだ囲いの中に古い墓石が見える。これがかつて寺にあった静御前の墓とわかる。

かつてこの地にあった寺、光了寺は今は古河市中田にある。兄、頼朝に追われた義経と京の吉野で別れた後、思い断ちがたく静御前はその影を追って奥州平泉へと向かう。途中、義経が平泉で討ち死にしたことを知らされ、生きる望みを失いこの地で剃髪し尼となり、文治五年(1189)世を去ったとこの地では言われている。

この話、史実に基づいたものではない。あくまで言い伝えや、人物にまつわる物がいくつか残されているにすぎないが、古くから地元の人たちには本物であると信じられてきた。また、この話を昭和天皇は何かで 知っていたのであろう。そのことが猪瀬直樹氏著の「ミカドの肖像」の中で、お召列車が栗橋の近くを通った際「このあたりに静御前の墓があったのではないか」という旨の質問を侍従にしたという一文である。

そんなことを思い出しながらこの町を歩いてみる。ここはかつて重要な関所もある宿場町だった。静御前の墓から徒歩10分ほどで利根川の堤に出る。川沿いに歩くと、この地なら思い人を追って急ぐ静御前が今、脇を通り過ぎてもおかしくないような気もしてくる。

この栗橋だけでなく各地に義経と静御前の話は残されている。義経に至ってはジンギスカンにまで話は飛んでしまう。
悲劇のヒーロー義経と愛妾、静御前。ただ美しいだけではなく凛とした強さを持ち続けた。世を去って8世紀以上にもなる今でも愛され、憧れすら多くの人が持ち続けている。

史実とは別に「思いの歴史」がある。伝えられるのは事実ではなく「思い」。その値が高ければ高いほど伝説となって各地に残るのではないだろうか。言い伝えられる「墓」もそのひとつだろう。


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