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日本墓紀行「想」

第十三回 岡倉天心

戒 名

釋天心

没年齢

50歳

所在地

茨城県北茨城市大津町

最寄駅

大津港 水戸駅より
常磐線60分
大津港駅よりタクシー5分

辞世の句

我逝かば花な手向けそ浜千鳥

呼びかう声を印にて 落ち葉に深く埋めてよ

12万年明月の夜 弔い来ん人を松の影


ここ数年グローバルスタンダードという声を耳にする機会が多い。
主に経済界で使われる言葉である。世界基準、いろいろなところでひとり歩きをしていて、中には怪しいものもある。

世界を日本の内に見、日本を世界の内に見た人物がいた。
岡倉天心、その人である。
岡倉天心の墓はふたつある。ひとつは東京都豊島区の染井霊園、そしてもうひとつは今回訪ねた茨城県、北茨城大津の五浦にある。

100年ほど前と様子は一変しているであろうが、断崖に建つ美術院研究所、そして海に向かい凛として建つ六角堂の様は変わらないように感じる。この研究所跡に向かう途中ゆるいカーブのところに岡倉天心の墓はある。ぼんやり歩いていると気づかないほどである。古びた階段の横には「天心先生之墓所」と刻まれた石がひっそりと建っている。小さな階段を上がると、こんもりお椀のような盛土が木々に囲まれている。自然を愛し、ゆるぎなき人物。なんとも、人となりを感じさせる墓だ。

天心は明治三十一年(一八九八)三十六歳の時に東京美術学校校長の辞表を提出。同年、日本美術院を創立。
以後、アメリカのボストン美術館と日本を行き来し、中国、インドと多くのアジアの美術にも目を向けていった。
 その頃、天心は思索と作家たちの創作に打ち込める場を求めていた。その地がここであった。断崖に建つ美術院研究所で岡倉天心は、横山大観、菱田春草、下村観山、木村武山らと生活を共にした。

東京から遠く離れ、太平洋を前にして作家は海を描くわけでもない。研究所から見える海は理念の岡倉天心と大観、春草ら作家の心ではなかったのだろうか。海を通して自信を見つめ、日々を自然の中で過ごす。当時いたずらに、美術、建築、工芸などが欧化していくことに天心は胸を痛めていたという。誇るべき東洋、日本の美術に外側からも深く接してきたからこそ、守るべきものと新たに創るものを見ていたのではないのだろうか。
六角堂から見る海の先にはアメリカ、ヨーロッパがある。ときおり開かれるボストン美術館からの里帰りの作品群は何よりも、天心の里帰りでもあるのかもしれない。

※2011年3月11日に発生しました東日本大震災での大津波のため、ここ北茨城市も甚大な被害をこうむりました。六角堂は津波により土台を残して流失し、旧天心邸も床下まで津波が浸水し壁に大きな亀裂が 入ってしまいました。現在は、茨城大学五浦美術文化研究所により、復興しております。


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