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日本墓紀行「想」

第九回 勝海舟

戒 名

なし

没年齢

1872(明治5)年
77歳

所在地

大田区南千束2-3

最寄駅

東急池上線(洗足池駅)
洗足池駅から徒歩約5分

【最期のことば】

最期の言葉は、「これでおしまい」 と言って、
あっさりと死んでいった。
その人物が勝海舟である。いかにも江戸っ子の海舟らしい。
世辞の句など 柄でもないのか。
あっさり、悔いのない清々しい、切れの良いことばだった。


 東急池上線洗足池駅を降りる。駅名通り目の前にのどかな池が広がっている。この池の北側に勝海舟は眠っている。晩年、海舟がこの地を気に入り過ごした場所である。

ボートの浮かぶのどかな春、池の淵を右回りに歩いていく。平日の昼頃は小さな子供を遊ばせるお母さんたち、犬を散歩させる人たち、散策を楽しむ人たちがまばらに池を彩る。この人たちのどれだけがこの池の畔に勝海舟の墓があることを知っているのだろうか。今の日本の礎を作ったひとりの墓がのどかなこの地にあることを知る人は少ない。

池を歩き出して5分もすると木々に囲まれた広場に小道を見つける。先を見ると灯籠のようなものが二つ建っている。
それが勝海舟の墓である。

本名、勝麟太郎。1823年江戸本所亀沢町(現両国駅近く)にて父・勝右衛門太郎小吉、母・のぶの長男として生まれる。
父 、小吉は旗本、とはいえ無役。そのうえ無頼ときている。貧しいながらもたいそう麟太郎をかわいがって育てたようだ。この父の無頼の「武」と「文」 を得て海舟はその後、道を開いていくことになる。
幕府という体制側の中心にいた海舟がなぜ、大政奉還へと導き、尽力したのか。
日本人として初めて太平洋を咸臨丸で渡り、大陸アメリカを目の当たりにした。「物」もさることながら「事」に強く衝撃を得たのではないだろうか。

時代とはその人だけの力ではどうにもならないものがある。外の世界に触れ、坂本龍馬、西郷隆盛と多くの人物に出会うことで「日本」という意識をだれよりも早く身につけた。
海舟は剣に秀でた人物であったが人一倍殺生を嫌ったという。それは坂本龍馬も同じであった。本当に強い者とは命の尊さを知るがゆえ無益な争いを嫌うのであろう。

二つの墓、左にあるのは妻・たみの墓である。生前、勝は多くの女性を囲った。夫婦として幸せであったかは残念ながら聞くことはできない。たみは気丈に振る舞い、凛として聡明な女性だったようだ。
昭和28年までは長男子鹿と眠っていたが、そろそろ海舟と一緒になってもいいのではないかと改葬された。
海舟どう思っているであろうか。面はゆく池を見ているのであろう。


勝海舟(洗足池)を歩く

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