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日本墓紀行「想」

第十回 二宮尊徳

戒 名

誠明院功誉報徳中正居

没年齢

70歳

所在地

報徳二宮神社
栃木県今市市今市743

最寄駅

東武日光線今市駅
駅から徒歩3分

二宮尊徳の教え報徳仕法

  • 「至誠」 まごころ
  •  
  • 「勤労」 働くこと
  •  
  • 「分度」 立場をわきまえる
  •  
  • 「推譲」 節約によって蓄えたり、人や社会に譲ること
  • 「推譲」 節約によって蓄えたり、
    人や社会に譲ること

団塊世代や戦中派にとって二宮金次郎の像は身近な思い出として残っている。
かつて多くの小学校には薪を背負い本を読みながら歩く二宮金次郎こと尊徳の像が建っていた。
明治新政府は近代化を推し進める中で教育、人材育成に必要な「勤勉や徳」といった考えを像に込めて「代弁」させた。それが“だれもが知っている”そしてだれもが深く知らない人物、二宮尊徳その人である。

二宮金次郎、通称尊徳は1787年、現在の小田原市栢山町で生まれた。農民の子として生まれながらも枠に収まらない父や祖母の影響を受け、学問を身近に過ごした。若くして両親を亡くし、農耕のかたわら商家へも働きに出て家族を支えた。こうした環境の中で彼は商業と農業を大局的に見る目を養い、わずか24歳にして奉公に出ていた間に小田原の商家を建て直した。

幾多の飢饉や幕藩体制のひずみから貨幣経済の波は農民にも押し寄せていた。疲弊していた田畑の地域、商家、藩などが彼の再建、再興の手腕を耳にして尊徳を表舞台へと引き上げていった。今風に言えば産業 再生機構で陣頭指揮を振るう人物である。
幕臣となった晩年の地が墓のある栃木県日光市今市である。東京浅草から特急で約1時間半くらい。
すぐ近くには日光東照宮、鬼怒川温泉が控える。

東武線下今市駅を降りる。どこか懐かしい、喧噪のない町を歩く。5分ほどで報徳二宮神社に着く。この町の人でなければ、この二宮という神社の名前が二宮尊徳のそれとは気づかないであろう。
今市も50年ほど前はいたるところに水車の見える田舎だったそうだ。日光市と合併した今も、のどかさは残っている。そののどかさの礎は尊徳のような多くの指導者がこの地を育んできたものだろう。

思えば、尊徳は開墾と立て直しに明け暮れた人生であった。しかも多くの計画が成就したわけではないが、農民を「土と生きる民」としてだけでなく、彼らに貨幣経済への参加を促し、明日を組み立てる姿勢を植え 付けようとした功績はあまりある。やがて彼の教えを受け多くの門下が意志を受け継いで幕末、明治へと繋ぎ、現代にまで息づいている。

昨今、手荷物本を携帯、コンピュータに変え、薪を株券や情報などに変えて歩く姿を二宮尊徳はどんな気持ちで見ているのであろうか。


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