2014年1月26日
今日は、埼玉県上尾市にある、中山道の上尾宿についてご紹介いたします。
大塚本社のすぐ近く、JR高崎線をくぐるアンダーパスの入口にあたる交差点に今回紹介する案内板があります。
交差点の角に、ポケットパークのような形で道標などと一緒に設置されてます。
彩の国 平成の道標。彩の国とは埼玉県のキャッチフレーズ『彩の国さいたま』の彩の国です。
屋根の上には↑こんな怖い顔をした人がいます。鍾馗(しょうき)様です。
上尾宿は、五街道として中山道が設置され、伝馬制が定められてから発達してきたようです。紅花の産地とありますが、紅花といえば埼玉県では桶川市。ところが上尾も紅花の産地だったのですね~。
↑「木曽街道上尾宿加茂之宮」の図とのことですが、木曽街道とは?木曽と言えば今の岐阜県と長野県にまたがるエリア。江戸時代に「中山道」とされる前までは木曽街道と呼ばれていました。なので、江戸以降には木曽街道=中山道と考えてよいのでしょう。
↑鎌倉街道とありますが、そもそも鎌倉街道というのは、鎌倉時代に武家の首都鎌倉に何事かあればすぐに駆けつけられるようにと鎌倉を中心に放射線状に整備された道路を指します。埼玉県にも何本も走っており、大きなもので中道(現在の日光街道、国道四号に近い位置)、上道(現在の関越自動車道、国道407、国道254に近い位置)、秩父道(現在の国道299に近い位置)とありました。上道から中道に抜ける道として羽根倉道というのがあり、都下の村山、朝霞、志木、荒川をわたって(現在の羽根倉橋あたり)、大久保、与野、大宮、上尾、蓮田、菖蒲を通り、加須のあたりから古賀方面に向かっていた道であったようです。その鎌倉街道(羽根倉道)と中山道が現在の上尾陸橋のあたりで交差していたようです。
↑大宮や上尾のほか、大成、原村、別所、上尾村、久保の文字も見られます。ごめんなさい、他はわかりませんでした(^_^;)
↑さき程も見ていただいた画像の鍾馗様です。鍾馗様、鐘馗様、どちらも「しょうきさま」です。鬼を退治する(食べてしまう)とても強い方なのですが、五月人形に神武天皇と一緒に鎮座されたりという有名な方です。昔中国唐の玄宗皇帝の夢に鬼が現れ、皇帝を大いに悩ませたのですが、夢の中そこに一人の男が現れてみるみる鬼を食べてしまった・・・というそんな玄宗皇帝の夢に現れたのがこの鍾馗様。
屋根瓦にある鬼瓦は、悪鬼や悪い気が家に侵入しないように据えられているのですが、鬼瓦はそういった悪いものを追い払い跳ね返すことはできてもその場で退治はできません。そこで屋根に鍾馗様をのせるという風習がここ上尾宿では広まっていたということです。
↓こんな感じ。(この案内板の上に鎮座されてます)
↑この図をみると、上尾市内にはたくさんの文化財があるのだなぁとつくづく感じます。弊社大塚がお世話になっているお寺様も貴重な文化財があります!
ここの案内板の傍らには↓このような石のベンチとテーブルが。
なんと将棋の目が!ひなたぼっこしながら将棋をさせるようになっているのですね~
中山道沿いにはたくさんのこういった歴史を伝えるスポットが点在しています。この道がどういった道なのかを忘れずに次世代に伝えていけたらと思います。
あ、忘れずに次世代に伝えるという大事な仕事って、弊社大塚の仕事である「お墓づくり」と一緒ですね!お墓づくりや、お墓を次世代に伝えること、お墓参りはとても大切ですよ!