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・のぼうの城に登場した丸墓山古墳 さきたま古墳公園 石田堤 その①

2014年3月6日 木曜日 晴れ

本日は、弊社大塚がお墓をご案内している「さきたま霊園」すぐ近くの、埼玉県さきたま古墳公園にあります丸墓山古墳に先日行ってきましたので写真とあわせてご紹介いたします。

さきたま古墳公園は9基の大型古墳が集中する東日本最大の古墳群として有名なのですが、特にその中でも円墳としては日本で一番大きな「丸墓山古墳」や、稲荷山古墳から出土した鉄剣の金文字に「ワカタケル」の文字が発見されたことで日本中に名前がとどろいた古墳群でもあります。国の史跡指定を受けており、「さきたま風土記の丘」として整備されています。また近年は世界遺産登録にむけての取り組みもなされているようで、大きな看板なども見られます。

今回は、この古墳群のうちの丸墓山古墳を目的に訪問してきたのですが、趣旨としては、小説・映画の「のぼうの城」に登場した石田三成が本陣を構えた丸墓山古墳とはどういった場所なのか?行田市を中心に残る、水攻めに用いられた土手である「石田堤」が丸墓山古墳にどのように残っているのか?を目で確認してきました。

石田堤 忍城 水攻 推定 さきたま古墳公園 丸墓山古墳

(石田堤についての以前の記事→ のぼうの城に登場した土堤、石田堤に行ってきました 、 忍城水攻 石田堤 行田市 鷺栖神社 

 

それでは早速公園駐車場よりスタートです。画像はそれぞれクリックすると大きく表示されます。

さきたま古墳公園 DSC_0030 さきたま古墳公園 DSC_0031 公園全体の地図がありました。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0032 ここが今回の目的地の丸墓山古墳。

さきたま古墳公園 DSC_0033 さきたま古墳公園 DSC_0034

さすが国の史跡、県の公園というだけあって、表示板や案内板がたくさんあります。また公園内というか公園隣接地というか、公園ではないエリアとも入り組んでおりまして、公園隣接の場所にはこのような掲示物もみられました↓

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0035 さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 さきたま古墳公園 DSC_0039

行田見処案内所、休処、古墳亭さんの壁面に、のぼうの城のポスターと手書きの説明書が掲示されてます。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0038 

このように書かれています↓

壮絶なる戦国ドラマ“のぼうの城”11月2日全国公開

時は西暦1590年(天正18年)西国を制した豊臣秀吉は関東責めに入ります 狙うは関東の巨城小田原城 16万の大軍にて小田原城を包囲した秀吉は 最も信頼できる配下 石田三成に命じます 「この際 小田原方に味方するすべての城をつぶせ」 三成は2万の軍を引きつれ 館林城 羽生城など次々に制圧 残るはこの地の忍城のみ この時 三成の軍勢は2万3000 忍城方は城主成田氏長が500の群を従え小田原城の守りに出ていたため 成田長親(のぼう様)始め 正木丹波 柴崎和泉守 坂巻靱負 城主氏長の娘甲斐姫等軍勢わずか500なり 三成の軍使 長束正家が和戦開城を迫る中 忍城方総大将城代成田長親は「戦いまする」と言う 2万3000対500 壮絶な戦いが始まります しかし三成軍は忍城を落とすことはできなかった 天下人と呼ばれた秀吉が日本で唯一落城させることが出きなかった城がこの行田にあったのです

追伸 のぼうとは 木偶の坊(でくのぼう)そこにいるだけでまったく役に立たない人のことの略

↑以上、引用しました。

こちらの古墳亭さんは目の前に大きな古墳がある場所にあります。

さきたま古墳公園 DSC_0040

大きな堀をめぐらせた、二子山古墳です。はい、大雪のあとに行きました。普段は歩きやすい場所も雪がたんまりと残っていて、とてもではありませんが二子山古墳にはたどり着ける自信がありませんでした(^_^;)

さきたま古墳公園 DSC_0045 さきたま古墳公園 DSC_0046 さきたま古墳公園 DSC_0047 さきたま古墳公園 DSC_0048

さらにその左の方には、↓将軍山古墳が見えています。

さきたま古墳公園 DSC_0044

↑よくみると古墳の左奥に「古代蓮の里」のタワーが見えました。(画像クリックで元画像を見ることが出来ます)

途中にはこのような銅像も↓

さきたま古墳公園 DSC_0049

「一源三流」とあります。柔道家吉川栄氏の銅像で、氏同様に柔道着を着た少年が寄り添っており、少年に行く先を指示しているカタチになっているように見受けられました。

さて、丸墓山までもう少しです。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0052 さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0053

↑丸墓山が見えてきたのですが、その時の足元はというと右の画像です。まだ10cmは雪の層がある感じで、ザクザクと歩いてきました。

そしてやっとの思いで石田堤にたどり着きました。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0057

年代物の看板があります。↑の地図の右上の丸いところが丸墓山古墳。丸墓山を横断する道の左側が石田堤です。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0054

正面の並木奥に見えているのが丸墓山古墳。そしてそこに続くこの道が「石田堤」です。400年の時間とともに、一時的な土手であった石田堤も数えるくらいしか現存しておりません。そんな中の貴重な一部です。きっと「のぼうの城」のヒットのおかげでここを訪問する人も増えたのではないでしょうか?

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0055 さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0056 さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0059 クリックで元画像

法面わかりますでしょうか?斜面の下側は蓮の田になっています。高低差1メートルから1.5mくらいに見受けられます。今では、丸墓山古墳への参道、メインストリートとして桜並木になっています。↑の右の写真に石田堤についての案内板があります。道の足元にごくさりげなく・・・という感じです。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0060

石田堤 この一段高い桜並木は、天正18年(1590)に豊臣秀吉の命を受けた石田三成が、忍城を水攻めした際の堤の一部です。長さ28km(一説には14km)に及ぶ堤をわずか5日間で築き、利根川と荒川の水を流入させたと言われています。三成の陣は丸墓山古墳の頂上に張られました。

このあとも公園内を歩いたのですが、石田堤についての案内板はここの一つだけでした。しかも足元にさりげなくなので、気が付かずに通り過ぎてしまいそうです。見学に来られる際は見落とさないようにお気を付け下さい。

さらに進みますと、桜並木がおわり、目の前に丸墓山古墳が待ち構えています。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0062

今は冬で、しかも数日前に雪が降ったばかりなので混雑してはしませんが、ここは桜の名所としても有名で、丸墓山古墳の頂上にある桜の木も満開時にはとても綺麗なんです。お花見の季節にはとても大賑わいの公園なんです。以下四点花見シーン(2009年4月の写真です)。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 花見 DSC_0063 (2) さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 花見 DSC_0017 さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 花見 DSC_0014 さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 花見 DSC_0005

まるで別世界ですね!

丸墓山を登る手前に案内板がありました。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0063 さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0064 さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0065 さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0066

クリックしますと大きな写真で見ることができます。この案内板にも石田堤の説明がありました!↓

丸墓山古墳 直径105mあり円墳では日本最大です。墳丘は埼玉古墳群の中で一番高く、約19mあります。墳丘に使われた土の量は二子山古墳より多かったという試算もあります。出土した埴輪から、6世紀前半ころに築かれたと推定されています。埋葬施設の内容は、現在のところ確認されていません。

南側から古墳にいたる道は、1590年に石田三成が忍城を水攻めにした時に築いた堤防の跡といわれている「石田堤」です。水攻めの際には、古墳の頂上に陣が張られました。

平成19年(2007年) 埼玉県教育委員会

↑以上、引用しました。

丸墓山に上る階段の脇に案内板があるのですが、この階段手前あたりからは右手に稲荷山古墳もよく見ることができます↓

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0072

↑手前の柵で囲われているのが丸墓山古墳の足元にあたります。雪が積もっているのは北西斜面。南側には雪は積もっていません。写真で見えている広い土地にも、忍城攻めの際には陣幕や陣小屋、兵の詰所があったと思うとワクワクしてしまいます。もっともそもそも古墳群なので、古代ファンにはすべてがワクワクの大将なんでしょうけれども、本日の趣旨はあくまで「石田堤」と「石田三成陣所跡」なので、ごめんなさい。

さて、いよいよ丸墓山古墳、上方勢の一手の大将、石田治部少輔三成陣跡に(攻め)上ってみようと思います!

はたしてどんな景色が拝めるのか?請うご期待。

DSC_0079-

のぼうの城に登場した丸墓山古墳 さきたま古墳公園 石田堤 その② につづく)

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

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