・長宗我部元親初陣像を見てきました

2014年5月4日 日曜日 薄晴れ

昨日の記事に引き続きまして、高知県で見てきました銅像訪問記です。昨日は坂本龍馬先生銅像でしたが、今回は戦国大名の長宗我部元親公。しかも初陣像だそうです。昨今、ゲームや小説等でファンになった方の訪問もあとをたたないとか。

場所はこちら↓https://goo.gl/maps/llEpv 

高知市中心部から桂浜まで通る県道の高知県道34号桂浜はりまや線を、中心街から桂浜方面に向かうと右手に見えてきます。↓この戦国時代のノボリ風の看板が目印。

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「どろんこ祭り」で有名な高知市長浜にある若宮八幡宮の境内地、参道わきにあります。

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坂本龍馬象のある浦戸の桂浜や、長浜の雪蹊寺からも遠くありません。

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馬防柵や物見やぐらの解説がありますが、この地は長宗我部元親初陣の地。1560年22歳の初陣でした。若宮八幡宮の社頭に陣を張り戦勝を祈願し、本山氏の守る長浜城を陥落させ、その後「土佐の出来人」と呼ばれるようになります。このことからこの地に像が建てられました。その後15年で土佐を統一。25年後には四国全土を掌握(1585年)。その後秀吉の軍門に下り、慶長四年(1599年)に61歳で京伏見の館で没しました。

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没年が1599年ですが、関ヶ原の戦いが1600年。跡継ぎの長宗我部盛親が西軍に与し、しかも事情はあっても全く戦働きをしなかったために大名としての長宗我部家は終わりを迎えてしまいました。元親がもう2年生きていたら、全く違う歴史になったのではないでしょうか?高知に山内家も来ることなく、そうすると幕末に坂本龍馬も武市瑞山も中岡慎太郎も岩崎弥太郎も生まれなかったのかもしれません。

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石造りの柵の向こうに銅像が見えてきました。

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新緑越しに見える銅像はかなりかっこよく見えています。実際かっこよかったです(^-^)

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兜には、はっきりと「丸に七つ酢漿草(かたばみ)」の紋が見られます。かたばみは傍食、片喰、片食とも書きます。 長宗我部氏は秦氏の流れの一族です。

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長い槍が印象的で、また動きも迫力がある銅像です。全国のカッコいい銅像のベストテンには入っているのではないでしょうか?左手は何かをつかもうとしているのか、押さえつけようとしているのか・・・

答えはその手の先にありました。

四国全土の地図が足元にあります。そして地図には各地域に蟠踞していた大小名の名前が。

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四国を一掴みにしていたわけですね。

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銅像の傍らには↓このようなものも。

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戸次川の戦いについて。秀吉の軍門に下った長宗我部家は、島津九州征伐の際に他の四国勢とともに出征。大敗を喫してしまい、他の大名有力者とともに長男で英名のほまれの高い長宗我部信親と多くの群臣を失ってしまいました。信親がこの時に戦没していなければ、その後の長宗我部家の運命も大いに変わっていたと言われています。

ちなみに信親の「信」の一文字は、中央で覇を唱えた織田信長とよしみを結ぼうと元親が息子のために信長からもらったものです。でもその信長からは「鳥無き島の蝙蝠」と元親を指して揶揄されてもいたとか。戦国時代の外交は難しかったのでしょう。※鳥無き里の蝙蝠という慣用句があり、信長はそれを転用したわけです。四国なので「島」なのでしょう。

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戸次川で亡くなった信親の供の方々の名前が列記してありました。

なお、来る2014年5月17日(土)には元親の本拠地だった岡豊城で長宗我部フェスが、ここ若宮八幡宮では5/18(日)に長宗我部祭りが開催されるとか。戸次川でともに戦った豊後大友宗麟鉄砲隊の演武や、甲冑武者行列、戦国BASARAで長宗我部元親役を演じた石野竜三氏のトークショーもあるなど、ものすごく内容盛りだくさん。タイミングが合えば見てみたかったです。

と、高知では近年、長宗我部アゲが勢いついているそうです。もっともっと盛り上がるといいですね!

昨日の記事にも書きましたが、銅像はモニュメントであり記念碑でもあります。弊社大塚の作る墓石もモニュメントであり記念碑でもあります。各地の様々な記念碑を見て勉強していこうと、ブログ担当Tは感じました。

このあと、長宗我部元親のお墓と信親のお墓にもお参りしてきましたので、それはまた別の記事にしてみます。

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