・長宗我部元親公のお墓をお参りしてきました。

2014年5月7日

ゴールデンウィーク中に、四国の戦国大名の長宗我部元親、信親親子のお墓をそれぞれお参りしてきました。

まずは長宗我部元親公のお墓を訪ねてみます。場所はこちら↓ 

↑高知市長浜にあるのですが、小高い山の南面にお墓はありました。地図内の桂浜には先日記事にしました坂本龍馬像があり、鎮守の森公園緑地と書いてある近くにはこちらも先日記事にしました長宗我部元親像があります。おなじく近くにある雪蹊寺には元親の息子信親のお墓があります。

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高知県道34号桂浜はりまや線を南に桂浜方面に進んでいくと看板が見えてきます。県道34号は二筋になっていますが、桂浜に近い方の道です。

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突き当りまでくると、ここから先は徒歩でしか進めなくなります。様々な案内板が出迎えてくれます。

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長宗我部元親は土佐を統一し、四国全土を制圧した戦国武将、大名です。秀吉の軍門に降り領土も四国全土から土佐一国に減封されましたが、京都伏見での病没後、後事を託した盛親の代にて関ヶ原の合戦、大阪の陣によって長宗我部氏は歴史上から消えてしまいました。お墓は宝篋印塔のカタチをとっているようです。

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この奥の石段の上にあるようです。

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新緑のこもれびが気持ちの良い細道が続いていますので、奥に進んでみましょう。

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石段になる手前に、たくさんの石塔や祠が集められている場所がありました。「兵士の塚」とあります。

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関ヶ原戦で西軍となった長宗我部家の家臣が1600年12月に起こした浦戸一揆。その戦死した兵士を祀っているもののようです。

さて、では石段を登って先に進んで行ってみましょう。

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石段はあまり長くはなく、すぐに墓所に到着できました。

重厚な灯籠と柵に囲まれた宝篋印塔の墓所です。

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おそらく明治まで続く大名家となっていたならばこんなに気軽にはお墓参りは出来なかったことでしょう。規模ももっとずっと大きくなっていたのではないでしょうか。

それにしても、やはり立派な宝篋印塔です。

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宝篋印塔(ほうきょういんとう)とは、元来は「宝篋印経」という経典をいれる仏塔のことを指していましたが、その形状のみの進化が進み、身分や位の高い方、篤信の方の供養塔として現在でも使われている形状の供養塔になります。

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1599年没の長宗我部元親、もうあと少し生きていたならば、関ヶ原にてどういう活躍になってその後の長宗我部氏や土佐国がどうなっていたのだろう・・・と考えてしまいます。

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元親公ゆかりの方が整備されているようですね。ご先祖様を供養する、それが戦国大名のご先祖様でなくともどちらの家でも共通した思いはあることと思います。お参りさせてもらう側として、整備いただいていることはとてもありがたいことですし、何より眠られている元親公の魂もやすまることと感謝いたします。

長宗我部元親公の長男、信親公のお墓はここの近くの雪蹊寺にあるのですが、そちらもお参りしてきましたので別の記事にてご紹介いたします。

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