2014年11月17日 月曜日 晴れ
こんにちは。首都圏にて墓石の製造加工と墓地への据付施工工事をしております石材店の大塚ブログ「霊園とお墓のはなし」です。埼玉県上尾市に本社を置き、埼玉のほか東京、神奈川、千葉、群馬、静岡にて霊園と墓地をご案内しております。
先日の記事「・20141030 長野県上田城跡公園の紅葉」と「・20141030 長野県懐古園(小諸城跡)の紅葉」と同日の様子になりますが、長野県上田市にあります北向観音の写真をいただきましたので記事にしてみます。
北向観音は上田市内の別所温泉にあります。門前に連なる店の奥に北向観音は見えてきます。
天長2年(825年)、慈覚大師円仁によって開創された霊場ですが、木曾義仲によって源平の争いのさなか、八角三重塔と石造多宝塔を残して焼失してしまいます。現在の本堂は源頼朝の命によって建長4年(1252年)に再興されたものになります。
再興されたとはいえ、700年以上の歴史を刻んだ本堂には圧倒されます。
年代物の額も並んでいます。
この本堂に安置せる本尊は千手観音菩薩である。南面の善光寺阿弥陀如来に相対しているところから「善光寺」だけでは「片参り」になると傳えられており又古くから「厄除観音」として知られている。 観音の平鐘の緒長くこきたれしながき春日も暮れはてにけり 白秋 (以上、引用しました)
本堂を横から見てみましたが、奥行きもあって重厚さがまして感じられます。
↓こちら左から愛染堂、札所観音堂、額堂。
鐘楼と梵鐘があります。
高台にあるので、さぞ遠くまで美しい鐘の音が聞こえる事でしょう。さきほどの北原白秋の歌にもありましたね。
鐘楼のすぐ横に大きな木があります。有名な「愛染かつら」です。
小説「愛染かつら」は映画にもドラマにもなりましたが、川口松太郎氏が境内の愛染堂と桂の木に因んで作られました。
温泉薬師瑠璃殿です。一説には行基菩薩の創建、慈覚大師の再建とも言われているようです。湯川の氾濫によって流されてしまい(1741年)ましたが、その後講中の積立金によって1809年に再興されました。
東北方向の上田市街、そしてその奥に菅平周辺や四阿山など紅葉に包まれた様子がうっすら見えます。
秋の味覚画像のおまけつきです。
松茸そば(1,500円)
北向観音を訪問した同日の記事「・20141030 長野県上田城跡公園の紅葉」と「・20141030 長野県懐古園(小諸城跡)の紅葉」もよろしければご覧ください。