2015年11月8日 日曜日 雨
こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置き、埼玉県だけでなく東京、神奈川、千葉、群馬、静岡にて霊園と墓地をご紹介・ご案内し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事という「お墓づくりのお手伝い」をしております石材店株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。
先日、岩槻の霊園に立ち寄ったついでに、旧岩槻城の面影の残る新正寺曲輪(しんしょうじくるわ)跡を見に行ってみました。
場所は、岩槻城の北西から北側にかけて荒川を外堀として配置されていた曲輪です。
↓こちらの地図で言うと、一番上に大きくカーブしている「元荒川」の内側、左側から長く太く元荒川沿いに城の北側を囲むように伸びていた部分になります。
築城当時の荒川は、その後「元荒川」となり、明治以降に蛇行していた流れを大幅に作り替えられたのですが、ここもまっすぐな流れに作り替えられた場所のひとつです。
↓明治時代の地図と現在のグーグルマップを比較すると一目瞭然ですね。
現在は細い流れと池、河川跡の名残をみせる沼地とが残っているだけで、次々に宅地となってきています。現在の人間総合科学大の近くまで蛇行していたようですね。
そんな、現在の元荒川と、昔の流れと両方を見ることができるポイントがこちら。
左が古い流れを引き継いでいる川で、右が現在の元荒川になります。
江戸時代には、右側の大きな川はなく、左側の小さな川がもっと大きかったのでしょう。
撮影した場所は東宮歩道橋。
東武野田線からすぐの場所です。電車からも見える川を越える歩道橋ですね。
場所はこちら。
さてここから左側の川を少しさかのぼった左側に新正寺曲輪の跡がありますので行ってみたいと思います。
それがこちら。
写真だと大きな川のあととは見えませんが、現地で見ると確かに「川だったあとの池」というのがわかります。↑上の二つの写真ともに木の生えている左側の陸地が「新正寺曲輪跡」なのですが、高低差は5メートルはあろうかと見うけられます。
お城の土塁っぽい感じが見て取れますね。
よく見てみると、元々川だった場所にはやはり現在もあまり建物が建っていないように見えます。右上に元荒川がまっすぐに流れているのに対して、「く」の字型に建物があまり建っていない部分が見てとれます。人間総合科学大学さんは川だった跡地に建てられたようですね。
航空写真で見るとよくわかるのですが、久伊豆神社の森と曲輪跡の森は一体化しています。貴重な雑木林ですね。それでは次はこの雑木林を歩いてみたいと思います。
散歩道にはぴったりの、気持ちの落ち着く雑木林です。
しかしよく見てみると、川に沿うカタチで土が高く盛ってあり、長い距離続いているのがわかります。城の防御機能としての土塁跡かと思われます。400年の歴史のある土塁でしょう。
↓こちらは久伊豆神社のすぐ北側。開通していない道路をはさんで神社の森と一体化しています。
この雑木林(新正寺曲輪あと)から荒川跡の池を見てみると、高低差がしっかりと確認できます。
危ないのでロープが張られています。城跡とはいえ、水辺の雑木林をお散歩できて、とても癒されたように思われます。
ところで、弊社はお墓をご案内している石材店です。岩槻の街なかにあります「いわつき聖地霊園」はアクセスもよく好評の霊園になっています。また、岩槻北部の環境の良い立地にあります「岩槻光輪浄縁」も人気の霊園です。