2016年1月11日 月曜日 晴れ
こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置き、埼玉県だけでなく東京、神奈川、千葉、群馬、静岡にて霊園と墓地をご紹介し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事という「お墓作りのお手伝い」をしております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。
本社営業のIKさんより、担当をしていますお寺さまの「高源寺」さまの看板の画像をもらいました。(画像はクリックすると元画像を確認できます)
臨済宗円覚寺派
天真山 高源寺
ご本尊 阿弥陀如来
年中行事 成人の日 新年祈祷会
5月8日 花祭り・正木丹波守利英公供養会・忍城水攻め彼我戦没者供養会・願かけ地蔵尊祭礼
8月19 施餓鬼会法要
往古、行田市は忍藩として隆盛をほこっていたが、豊臣秀吉の小田原城攻めの時、天正十八年(1590)、石田三成の軍勢により、水攻めを受けた。忍城佐間口の守将正木丹波守利英公は奮戦し、城も破られることはなかったが、小田原城での籠城に参戦していた城主成田氏長公が破れたため、止む無く忍城は開城した。この戦で、丹波守は無常を悟り、水攻め彼我戦没者の霊を弔わんと発心し、武士をすて、佐間の地に高源寺を建立し、開山(初代住職)に守天昌意和尚を迎え、一心に菩提を弔い、翌天正19年に没した。
このことは和田竜著『のぼうの城』に活写されている。
以来四百二十年を経るも、このたび行田市都市計画道路において忍城水攻め彼我戦没者の菩提を弔い、檀信徒先祖諸霊の供養を続けることが不可能となりました。石田三成の陣屋跡ともいわれる地へ移り、丹波守の遺志を継ぎ、供養を続けられることは幸いに存ずる所です。
第二十世住職 岩佐宗貴
※以上、案内看板より引用。
看板に書かれている通り、高源寺さまは、小説と映画でヒット作となりました「のぼうの城」の準主役とも言うべき正木丹波守利英公が建てたお寺さまです。このことは、のぼうの城のラストシーンでも描写されています。
道路計画により移転することとなり、まずは檀家墓地のみ移転となり、
さらに、それに伴い隣接して新しく用意されました墓地が「さきたま霊園」になります。※さきたま霊園は宗教宗派自由の霊園です。
高源寺移転によって誕生した、さきたま霊園の墓地情報のページはこちら。
なお、正木丹波守利英公の供養塔は行田市佐間の高源寺の山門脇にあります。(本堂とあわせて新墓地にはまだ移転しておりません)