2018年7月25日 水曜日
こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置き、埼玉県だけでなく東京、神奈川、千葉、群馬、静岡にて霊園と墓地をご紹介・ご案内し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事という「お墓作りのお手伝い」をしております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。
今日の記事は、横浜支店のSSさんからになります。以下本文↓
ちょっと前の話ですが小田原に行きました。
遅めのお昼を食べようとウロウロしていたら、北条氏政・氏照の墓所があるという看板を見つけました。
小田原といえばそのシンボルである「小田原城」は、関東一円を支配した戦国大名の北条氏が、五代にわたって拠点とした城です。明応4年(1495年)に小田原北条氏の居城となった小田原城。要害堅固な城で、”難攻不落”を誇りました。
ところが、天正18年(1590年)、豊臣秀吉の軍勢による包囲戦の結果、落城します。その後は幕府の直轄となり、維新後の明治3年(1870年)には廃城。ほとんどの建物は解体され、残った石垣も大正12年(1923年)の関東大震災でほぼ全壊しました。
現在は昭和35年に復興された天守閣と、その後に復興された各門を中心に小田原城址公園として観光地になってます。
豊臣秀吉に負けて最後は北条氏照と共に切腹したくだりは、大河ドラマの真田丸をご覧になられていた方はご存知と思います。(高島政伸がおちゃめに演じてます)
氏政墓所という看板の矢印の通りに歩いていくと、おしゃれ横丁という路地を入ってほんの少し、つまり小田原駅から徒歩5分もかからない場所にありました。
当時はここに北条氏の氏寺 伝心庵があった場所であり、遠い未来に繁華街になってしまうとは誰も予測できなかったとは思います。
が 氏政さんはどんな気持で眠っているのでしょうか?
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