年中無休 [営業時間:午前9時から午後5時]
facebook
menu
MENU

霊園とお墓のはなし

  • 永代供養墓特集
  • 新しいお墓の形 納骨堂
  • ペットのお墓
  • お墓ができるまで
  • 正しいお墓のクリーニング
  • 一般社団法人 全国優良石材店 全優石 石材店の一流ブランドです
  • 日本石材産業協会
  • 全国石製品協同組合

・埼玉県伊奈町 伊奈氏館跡に行ってきました②

2014年11月27日 木曜日

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置き、埼玉のみならず東京、神奈川、千葉、群馬、静岡にて墓地と霊園をご案内し墓石の製造加工と墓所への据付施工工事をしております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

先日の記事「・埼玉県伊奈町 伊奈氏館跡に行ってきました①」の続きになります。

伊奈氏館跡地図 伊奈氏館跡地図2

グーグル地図の空撮と通常の地図です。前回①の記事では、館跡の表門跡(右下あたり)から中央あたりに進んだところの二の丸まで書きました。

二の丸の続きからです。

伊奈氏館跡DSC_0117_ 伊奈氏館跡DSC_0118_

開けている二の丸のあたりは、土塁の跡も残っています。高さ1メートル前後の土塁が四方を囲うようにのこっており、中央部に高さ2mほどの土塁が門のように残っているのがわかりました。築城時はもっと高い土塁だったことでしょう。

伊奈氏館跡DSC_0119_ 伊奈氏館跡DSC_0120_

二の丸の外周の堀を見ることができました。高さ3mくらいでしょうか。

伊奈氏館跡DSC_0122_ 伊奈氏館跡DSC_0123_

再び二の丸にもどり、1mほどの外周土塁の上に立ってみます。写真でわかりにくいかもしれませんが、土塁なのです。南側を見てみると、上尾鷹の台高校の方向が見えました。

伊奈氏館跡DSC_0124_ 伊奈氏館跡DSC_0125_

さて、裏門跡に向かって進んでみましょう。この道沿いの土塁もなかなか保存状態がよく貴重な土塁をよく観察することができます。

伊奈氏館跡DSC_0126_ 伊奈氏館跡DSC_0128_

この道は、いわゆる城内の道なので、まっすぐにはつくられていません。連続してクランクの状態が続いています。

伊奈氏館跡DSC_0129_ 伊奈氏館跡DSC_0130_ 伊奈氏館跡DSC_0213_

ふる里歩道の案内板が誘導してくれます。

伊奈氏館跡DSC_0131_

途中にみられる畑のなかの柿の木、まさに今が旬!という実ごろを迎えていました。

伊奈氏館跡DSC_0132_

そうこう進むうちに道が下り坂になってきました。木がたくさん茂っていてわかりにくいかもしれませんが、ここにも大きな空堀がありました。外周の堀のうちの一つかと思われます。

伊奈氏館跡DSC_0134_

地面が完全に大きく下り坂になっていますが、道路は新幹線の高架の向こう側に橋になって続いています。実は、この新幹線の高架の向こう側にはニューシャトルの車両基地があるので、いつかそれも記事にしたいと考え中です。

伊奈氏館跡DSC_0133_ 伊奈氏館跡DSC_0135_

橋の下にたどり着きました。新幹線の高架の足元です。

伊奈氏館跡DSC_0136_ 伊奈氏館跡DSC_0137_

こちらが裏門跡になります。館跡を縦断できたかっこうになります。

伊奈氏館跡DSC_0138_

案内板があります。

伊奈氏館跡DSC_0139_ 伊奈氏館跡DSC_0140_

埼玉県指定史跡 伊奈氏館跡

天正18(1590)年、関東郡代伊奈忠次は、周囲を泥深い湿田に囲まれたこの台地に、陣屋を構え、その後の関東地方の幕府直轄地を支配する拠点としました。寛永6(1629)年に、三代忠治が川口市赤山に陣屋を移すまでの間、この地が地方支配の中心となっていました。

屋敷跡の規模は、東西350m、南北750mです。陣屋が構えられた頃の様子は明らかではありませんが、当時をしのばせる土塁や堀が各所に良く保存されているほか、見通しを悪くするためにわざと折り曲げた道などが、現存しているとともに、「表門」・「裏門」・「蔵屋敷」・「陣屋」などの呼称も伝承として残っています。

「裏門跡」伝承地と「障子堀(しょうじぼり)」

ここは、伊奈氏屋敷跡の「裏門跡」と伝えられていることろです。近年の発掘調査によって、堀を折り曲げて、「虎口(こぐち)」(出入口)をつくっていたことがわかりました。公園内の縁石の部分が堀の位置を示しています。発掘された堀は、幅が約5m、深さは2mあり、堀の中には障子の桟のような仕切り(畝)が作られているので「障子堀」と呼ばれています。畝の高さは約1.5mありました。「障子堀」は、武者が堀を越えたり、堀の中を移動したりすることが難しいように工夫されたもので、戦国時代の築城技術が良くあらわれています。

史跡指定地のほとんどが民有地です。見学に当たっては、地元の方々に迷惑をかけないようにお願いします。

以上、文章を引用しました。

伊奈氏館跡DSC_0141_

↑こちらの空撮写真でいうと、一番上の新幹線に近いあたりがここ裏門跡の場所になります。下側(表門側)から上側(裏門側)に縦断して通り抜けてきました。

伊奈氏館跡DSC_0142_

ここに障子堀が発見されました。

伊奈氏館跡DSC_0144_

障子堀と言えば、「堀障子」という名前で岩槻城の遺構からも発見されています。(岩槻城の堀障子についての記事はこちら「・埼玉県さいたま市 岩槻城に行ってきました①」)

伊奈氏館跡DSC_0145_

↑この空地の下には障子堀が埋め戻されて保存されてます。戦国時代と現代が交差しているように見えます。

ぐるりとスタートラインに戻ってみます。

伊奈氏館跡DSC_0220_

最初は気が付かなかったのですが、よく見てみると二の丸の高い方の土塁が丸い山のように頭をだしているのがわかりました。

場所はここ↓。一度訪問してみないと決してわかるものではありませんね(^_^;)

伊奈氏館跡DSC_0097_

他の城跡関係の記事はこちら

 

さて弊社はお墓をご案内している石材店です。

ここ伊奈氏館跡の場所は、弊社も以前ご案内をしておりました霊園の「みどりの森」や「ほたるの里」からも遠くありません。また、お寺では願成寺さまが一番近くにあり、そのほか相頓寺さま、楞厳寺さまや法光寺さまもすぐ近くになります。

お墓をお探しの場合や、墓地のリフォームや修理などのご相談がありましたらお気軽にお問い合わせくださいませ。

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

  page top