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・著名人 有名人の墓 徳川無声(東京都 多磨霊園)

著名人 有名人の墓 徳川無声

都営多磨霊園 2区1種7列48

1894年4月13日生まれ、1971年8月1日永眠

著名人有名人の墓 多磨霊園 徳川無声DSC_0587-

徳川無声(とくがわむせい)、本名福原駿雄(ふくはら としお)。活動写真の弁士や漫談家、作家、俳優のほか、ラジオ・テレビ番組などをはじめ、多方面で活躍した。

当初、「福原霊川」と名乗って弁士の活動をしていたが、1915年(大正4年)9月、赤坂葵館の主任弁士として迎えられた際に、支配人が勝手に「葵」から「徳川」という芸名をつけてしまった。本人は大変驚き恐縮したが、そのまま後世まで定着することとなった。(のちに週刊朝日の対談連載「問答無用」にて、第1回に、尾張徳川家当主の徳川義親と、最終回には水戸徳川家当主の徳川圀順と対談している。)

東京を代表する弁士として人気を博したが、技術の進歩によって音声の出る映画が普及したことによって弁士の仕事は無くなっていく。そのため、漫談や演劇の世界に進んでいくこととなり、映画にも俳優として出演している。

日本のラジオ創成期にも活躍し、1939年からはNHKラジオで吉川英治の「宮本武蔵」の朗読をスタートさせ人気を博す。あまりに好評だったため、何度も再放送になったりレコードとして販売されたりしている。(一番最近では2006年に新潮社より宮本武蔵朗読全集CD全20巻が販売されている)

戦時中は各戦地にて慰問活動にもまわり、シンガポールで見た「風と共に去りぬ」「ファンタジア」(どちらも日本未公開)に衝撃を受け、「日本は技術だけでなく精神的にも負けているのではないか」と日本の敗色を痛感する。

戦後はテレビ放送にも初期から参加。1955年(昭和30年)、「年ごとに円熟を示している各方面における活躍」により、菊池寛賞を受賞。1965年(昭和40年)には愛知県犬山市に開園した博物館明治村の初代村長となる。1971年(昭和46年)8月1日、脳軟化症に肺炎を併発して死去。77歳没。「おい、いい夫婦だったなあ」が最期の言葉。

著名人有名人の墓 多磨霊園 徳川無声DSC_0588--

墓石には「夢」の字と、左下の「夢」字を象りデザインされたト音記号風の印、マーク(?)があしらわれている。

※東京都の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

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