2015年10月1日 木曜日 曇りのち雨
こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置き、埼玉県だけでなく東京、神奈川、千葉、群馬、静岡にて霊園と墓地をご紹介・ご案内し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事という「お墓づくりのお手伝い」をしております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。
本日、埼玉県西区にあります「さいたまメモリアルパーク」の帰り道に、土屋陣屋跡である「永田家長屋門及び築地塀」を見に立ち寄ってみました。
場所はこちら↓分かりますでしょうか。正方形型に堀がめぐっています。実はこちら、伊奈町の名前の元となった伊奈氏の作った土屋陣屋なのです。埼玉県道57号さいたま鴻巣線、馬宮コミュニティセンター(馬宮図書館)からすぐ。プラザ地域からもすぐ近くの場所にあります。
現在は、さいたま市指定文化財(建造物)の「永田家長屋門及び築地塀」となっています。
向かう途中、堀越しに綺麗な花とすすき、その向こうに築地塀と長屋門が見えてきます。
時代劇にも出てきそうな立派な長屋門ですね。
門の中には駕籠もありました。
長屋門の小窓からは、今にもまげを結った門番のお侍さんがこちらを窺ってきそうです。
そしてさらには門の中から提燈を持った従者と馬に乗った代官様がゆったりと出てきそうです。
案内板があります。読みやすく拡大してみます。
大宮市指定文化財(建造物)
永田家長屋門及び築地塀 平成11年4月1日指定
長屋門の建築規模は桁行き21.1メートル、梁間4.75メートル、棟高6.18メートル、面積100.51平方メートルと市内最大規模を誇ります。門の両端に接しているのが忍び返しの付いた築地塀です。
門扉と潜り戸は堅牢な開き扉で、同性の八双金具や乳房状の饅頭金具が付いています。また、右手には出格子が二つありますが、市内では希有な例です。
長屋門及び築地塀の正確な建築年代は判っておりませんが、凡そ江戸時代の後期と考えられます。
永田家の屋敷地は、江戸時代初期に関東郡代伊奈忠次が陣屋を設置した地で、家臣であった永田氏が拝領しました。長屋門及び築地塀は、周辺の景観によく融合し、かつての陣屋の雰囲気を今に伝えているばかりではなく、木造日本建築の美を併せ持つ貴重な建造物となっています。
平成13年3月 大宮市教育委員会
※以上、案内板より引用しました。
伊奈氏というと、以前記事にしました「・埼玉県伊奈町 伊奈氏館跡に行ってきました①」や「・埼玉県川口市 赤山城(赤山陣屋)に行ってきました その①」の記事や、こちらの記事で伊奈町の願成寺にある伊奈熊蔵忠勝の墓を訪ねてみたりと、当ブログでもたびたび触れている江戸時代の武蔵小室藩の藩主であり、代々有力官僚、関東郡代を務めた伊奈氏です。
伊奈氏より館を引き継いだ永田氏が、現在は「永田医院」さんとして史跡を守られています。
さてこちら、冒頭で「さいたまメモリアルパークに行った帰りにちょっと寄り道」と書きましたが、実は「やすらぎの杜」霊園からはもっとすぐ近く。直線距離で200~300メートル。歩いて5分ほどの場所にあります。
霊園のご見学、お墓参りの際にちょっとお散歩できる距離ですね。これからも貴重な文化財を守り次世代に残していっていただきたいと思いました。