2017年10月6日 金曜日
こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置き、埼玉県だけでなく東京、神奈川、千葉、群馬、静岡にて霊園と墓地をご紹介・ご案内し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事という「お墓づくりのお手伝い」をしております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。
先日、本ブログ担当のわたくしTが東京都荒川区南千住にあります回向院を訪問してきました。こちらの回向院は墨田区両国にある回向院の別院だった寺院で、今は独立して「小塚原 豊国山 回向院」です。
江戸時代にこの地にあった小塚原刑場で獄死した人の供養のために建てられたこの回向院。幕末安政の大獄で刑に処された吉田松陰、橋本佐内、頼三樹三郎など多くの志士や歴史上の有名人のお墓も数多くあります。そのお墓参りというわけです。
場所はJR南千住駅からすぐ。アンダーパスとJRの鉄橋沿いにあります。
入ってすぐに目に入るのがこちら。観臓記念碑。
ターヘルアナトミアを翻訳して解体新書を整えた蘭学者の杉田玄白・中川淳庵・前野良沢らはここ小塚原刑場で刑死者を腑分けして研究していました。日本医学の顕彰碑です。
その先には墓地が広がっていますが、整えられて門扉のある一角があります。
数々の著名人のお墓
さっそく墓参をしてみました。通路が二つに分かれており、左の一番奥に吉田松陰の墓。右の一番奥に橋本佐内の墓があります。
ずらりと綺麗に並んだ墓石。このみなさんも安政の大獄で刑死された志士のみなさんでしょうか。
石塔にはしっかりと「松陰」の文字が刻まれています。
そのすぐ向かって右手にあるのが頼三樹三郎のお墓。墓石には号が刻まれていて頼鴨崖(らいおうがい)と確認できます。儒学者の頼山陽の三男で幕末の志士。幕府によって危険人物とされ、伝馬町牢屋敷で橋本佐内らとともに斬首されました。
そしてもう一方の通路の一番奥にあるのが橋本佐内のお墓。
橋本佐内は越前福井藩の藩主松平春嶽の側近。26歳の若さで頼三樹三郎と共に斬首となりました。生きて維新を迎えたならば新政府の要職についていたはずです。墓石の劣化を防ぐために福井の方々によって屋根が作られたとか。
また、ここには鼠小僧のお墓もありますが、うっかり撮影しそびれてしまいました。
そのかわりといってはなんですが、こちらの方のお墓をお参りしてきました。
2007年に82歳で死去された、プロレスの神様カール・ゴッチのお墓です。たくさんのお供え物がありました。
お墓は長い時間供養され続けるモニュメントであり、個人に会える施設でもあります。大切なお墓を検討したいという方は是非弊社にご相談ください。近年話題の樹木葬や墓じまい、お墓の引越しという改葬も含めて親身に相談させていただきます。