・著名人 有名人の墓 野口雨情(東京都 小平霊園)

著名人 有名人の墓 野口雨情

都営小平霊園 32区1列8

1882年(明治15年)5月29日生まれ、1945年(昭和20年)1月27日永眠。享年63歳。

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明治15年、茨城県多賀郡磯原町(現・北茨城市)の廻船問屋の長男「栄吉(本名)」として生まれる。この廻船問屋は楠木正季を遠祖とするという名家であった。

18歳、東京専門学校(現在の早稲田大学)に入学し、坪内逍遥の元で学ぶが一年で中退。詩の世界に没頭していく。詩を雑誌に投稿しだしたのもこのころから。

22歳の時に父の他界に伴い、実家に戻り家督を継ぎ妻帯する(親の決めていた高塩ヒロと政略結婚)。詩作は続け、「雨情」の号を使い始める。地元磯原の生活に嫌気がさし、樺太にわたって新規事業に取り組むも失敗。さらにこの時同行していた芸者に事業資金を持ち逃げされる。残金でリンゴを貨物列車一杯購入し東京で販売しようとするが、途中で腐ってしまったという。

東京に戻ったもののしばらくして北海道に渡り、小樽日報の記者となる。このとき石川啄木と同僚となる。小樽日報をやめたころに二番目の子供(娘)が生後一週間で亡くなり、この時つくられた歌が「シャボン玉」とも言われている。小樽日報もあわせ6カ所の新聞社に勤めるも、母の死去にともない実家に戻り先祖からの全資産を管理していくことを決意。植林活動や漁業組合の理事なども務める。などで十分に詩作ができず悶々とする時期を迎える。

32歳、持病(痔)の湯治に、いわき湯本温泉に滞在。宿(芸者置屋)の女将(小すみ・本名は明村まち)と深い仲となり三年半をいわきで過ごす。その間に妻ヒロと協議離婚をし、二児を引き取る。

36歳、明村まちと別れ、水戸にて別の別の女性(中里つる)と再婚する。この頃より詩作活動を本格化させる。

1925年、43歳のときに日本童謡集の選者となり、1935年53歳で日本民謡協会を再興する。

代表作には、十五夜お月さん、七つの子、赤い靴、青い眼の人形、シャボン玉、こがね虫、あの町この町、雨降りお月さん、証城寺の狸囃子、よいよい横町、土撞唄、等日本各地の多数の有名童謡がある。西條八十、北原白秋とあわせ童謡界の三大詩人と言われている。

戦時中の1945年(昭和20年)、宇都宮市にて疎開中に永眠。享年63歳。

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都立小平霊園にある野口雨情の墓には、本名の野口栄吉の名前と、妻つるの名前が刻まれています。

波乱万丈で鋭意盛んな前半生と詩情ゆたかな詩作にふけった後半生の野口雨情。そのお墓は静か且つ存在感のある佇まいがありました。

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