投稿者「otsuka」のアーカイブ

・中華そば つけ麺 くりの木 いな

2014年1月30日木曜日 曇り

今日は、埼玉県伊奈町の羽貫にあります、「中華そば つけ麺 くりの木 いな」をご紹介いたします。

私ブログ担当Tは、普段「くりの木」と呼んでいます。緑色の看板が目印です。

中華そば つけ麺 くりの木 いな DSCN3280+

昼間はいつも駐車場がいっぱいで、「並ぶ店」のイメージがあるので、夜ご飯を食べに行ってきました。「時々無性に食べたくなる味」ってあると思うのです。ふと気が付くと「あーあのお店の料理、すっごく食べたいな~」ということってありませんか?私にとってはこのお店もそんなお店の一つです。

注文は、いつもお願いする、つけ麺の平打ち麺を今日も頼んでみました。

中華そば つけ麺 くりの木 いな DSCN3268

平打ち麺は、生パスタみたいでとても美味しいんです!つやつやと輝いています。

中華そば つけ麺 くりの木 いな DSCN3269

そしてスープ、これがとてもアツアツ。いつも必ず店員さんから「とても熱いので気を付けてください」と声をかけてもらいますが、アツアツのおかげでつけ麺がよりいっそう美味しく感じられます。表面の層のスープが、中の方のスープの蓋の役割をしていて温度が下がりにくくなっている?ような具合のスープです。

中華そば つけ麺 くりの木 いな DSCN3270

そして、私の大好きなメンマ。

中華そば つけ麺 くりの木 いな DSCN3275

このメンマ、とても長くて柔らかくて食べやすい「穂先メンマ」です。おススメポイントその3です。ていうか全部おすすめポイントです。

では早速、スープがアツアツのうちに食べたいと思います。

中華そば つけ麺 くりの木 いな DSCN3273

ピントが合いません(^_^;) こちらは穂先メンマ↓

中華そば つけ麺 くりの木 いな DSCN3272

スープの表面とその下とで色が違うのがわかりますでしょうか?

あっという間に完食してしまいました。替え玉できそうな腹具合でしたが、今日のところはこのくらいでガマンしておこうと思います。

中華そば つけ麺 くりの木 いな DSCN3277

このお店では、つけ麺のほかには中華そばも食べたことがあるのですが、いつも自分の中で大人気のつけ麺の平打ち麺をついつい注文してしまいます。「かすそば」や「焦がしニンニク醤油ラーメン」は未体験なので、はやく体験してみなくては!と思ってます。

そういえば、店内にはこのような掲示がありました↓

中華そば つけ麺 くりの木 いな DSCN3278

なんと上尾店ができる!これはうれしい限りです(^○^) が、逆に残念なことですが東岩槻店は閉店となっていたようで、現在はここ伊奈店と加須店のみ。でももう少しすれば上尾店もできます。

このくりの木いなは、ニューシャトルの羽貫駅から伊奈学園の方に向かう途中にあります。上尾方面からですと、右手になります。近隣には伊奈学園のほか、大塚がお世話になっている西蔵院さまや西光寺さまも遠くなく、伊奈町制施行公園バラ公園ウニクス伊奈もあります。目の前の県道を蓮田方面に向かえば星久院さまもすぐです。

新しくできる上尾店は、上尾市泉台2丁目。山田うどんさまや、大宮ゴルフコースさまの近くということです。お世話になっている照誠寺さまのご本堂のご近所です。大塚本社からもそう遠くはないのですが、上尾靈園西上尾メモリアルガーデンからもとても近い場所になります。

今から楽しみです!

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・自分のルーツ、先祖を調べる

2014年1月29日水曜日 晴れ

先日、現在大人気上映中の邦画「永遠の0」を見てきました。途中、目頭が熱くホロホロと涙流さずにはいられない映画でした。小説も読んでいたこともあってか、すんなりとストーリーが頭に入ってきましたが、おそらく映画のみの初見の方でも安心できる、わかりやすい映画だったと思います。

この映画は、現代の主人公が特攻で亡くなったという祖父を調べるという切り口から始まり、祖父を知る様々なご老人の言葉から少しずつ祖父の人間像が浮き彫りとなっていくというストーリー。

生前の祖父を調べる方法とは、いくつかの『戦友会』に主人公の祖父である「宮部久蔵を知る人はいませんか?」という内容の手紙を出すというものだったのです。手紙を出したのは主人公の姉。そして手元にたくさんの返信の手紙が届いたという描写でした。

 

お墓や霊園を取り扱う石材店として、私達の業務にとても近いものを感じました。お墓には「墓誌」という記録媒体が装置として備わっています。自分のルーツを調べるときの一つの手段として、この墓誌を見て探すという一見アナログで時間のかかる方法ではあっても、確実な方法としてあげられます。石は情報の記憶媒体として超長期間残すことのできる媒体でもあるからです。

調べる必要がでる可能性のある事柄としては、自分の家紋(先祖代々の家紋)は何だったのか?お墓はどこにあるのか?お墓には誰が眠っているのか?などなど・・・

もちろん墓地でお墓を眺めて歩かずとも、明治以降であれば戸籍が残っていますし、お寺や仏壇に過去帳が残っているような場合は、そこで調べることで解決する場合も多いと思いますし、親類縁者がいれば、もっと手っ取り早いかもしません。

さらには墓地に管理者がいるような場合なら、自身の目で見て歩かずとも、管理事務所やお寺なら住職が調べてくれる可能性もあります(が、近年は個人情報保護の観点から教えてくれない場合も考えられます)

明治より前、江戸期以前のご先祖様を調べたく、今となっては当時を知る縁者もいなくて、過去帳は戦災で燃えて今はない。

そんなとき、ひょっとしたらお墓の墓誌に刻んである情報がヒントになるようなこともあるかもしれません。

 

 

映画の感想として、とても感じ入ったのが、戦争で亡くなった祖父のことを深く記憶している方々が何人もいたということ。世代と時代を超えて、現代の若者である主人公の胸に祖父を知る人たちの言葉が深く重く響きます。

私たちの日常に照らし合わせてみると、可能ならば存命のうちに、間に合わなくとも故人を知る人と話をしてみるというのも、人と人をつなぐご縁や、故人を偲ぶ供養になるのではないでしょうか。人間性を知ることで、ただの「知人」「縁者」がリアルな人間として改めて目に浮かんでくることもあるのかもしれません。永遠の0のように。

映画「永遠の0」を見終わった後、個人的に気になってしまったのが、若くして亡くなった祖父のお墓は今どうなっているのか?(現在の主人公の姓は「宮部」ではなく諸事情により「大石」。)小説も映画もどちらも戦後のシーンで一言だけ「お墓」という言葉が登場しました。

が、物語の上では、現在のお墓については不明なままでした(^_^;)

戦時中、外征で亡くなった方は「遺骨がない」という方も多かったと思います。

永遠の0での祖父のお墓が物語のその後、きちんと供養され続けられることを祈ります。

 

 

・貯金箱です(夫婦貯金箱)

2014年1月29日水曜日 晴れ

今日は、大塚本社のMJさんから記事をもらいましたので掲載します。以下本文↓

貯金箱 20140124_144303

貯金箱です。

アヒルが自分、ブタが奥さんのです。

最初はテレビの両脇に置いていたのですが、ある日仕事から帰ると、奥さんが満面の笑みでテレビの方を指差して「見て見てー。私達みたいですごく良いでしょ!」と言うので見てみると、二匹が仲良く並んで置いてありました。

何だかほっこりして、それ以来そのまま並べて置いてあります。

仕事で疲れた日や嫌な事があった日も、二匹を見ているだけで癒され、ごくごくたま~にあったささいなケンカもなくなりました。

皆さんも「夫婦貯金箱」いかがですか?毎日がほんのちょっぴり幸せになりますよ。

 

※夫婦といえば、弊社は石材店なので「夫婦墓」というものも近年話題で人気になっています。夫婦墓についてはこちらもご覧ください。
・12年目の鴻巣霊園 外柵のない区画、夫婦墓、寿陵
・鴻巣霊園の夫婦墓
・埼玉県上尾市の寺院 馬蹄寺の夫婦墓(永代供養付)
・埼玉県伊奈町小針新宿 西光寺の銀杏

 

 

・お相撲観戦付バスツアーに行ってきました

2014年1月28日 晴れ

本日は、横浜支社のSSさんからの記事です。以下本文↓

 

先日、お相撲観戦付バスツアーに行ってきました。

お相撲に行く前に、築地場外でお寿司を食べて、築地本願寺と浅草寺見学。ついでにスカイツリーもちょっと見れました。

築地場外 1390550729428 築地 お寿司 1390551290556

↓こちらは浅草寺雷門と、スカイツリー。

浅草寺 1390551333420 浅草寺 1390551313214

添乗員さん曰く、浅草寺のおみくじは凶が出る確率が昔通りの為、17パーセントの確率で出るそうです。

まわりを見回すと、凶が出ている人を3人ほど見かけました。

そして私は、自慢になりますが『大吉』でラッキー!

浅草寺 おみくじ DSC_0018

築地本願寺はインド風建物だとは思ってもみなかったので、びっくりでした。

築地本願寺 DSC_0013

築地本願寺 1390551133328

そしてメインの国技館でしたが、何分にも団体行動なのですぐに建物に入ってしまい、外観をゆっくり撮れなかったのは残念でした。

貴花田親方と一緒に写真を撮れるチケットというのがあったらしく 家族連れの方が子供さんを抱いてもらって写真を撮ってもらってました。

周りでは、みんな写メ撮りまくりでした。親方は、テレビで見るよりずっと痩せてました。背広を作り直した方がいいのでは?

お相撲が午前中からずっと取組をやっているのも初めて知りましたし、土俵入りや懸賞金の行列、全ての取組後の弓取り式など、いろいろな儀式があり、とても楽しめました。

国技館 1390551114194

横綱と琴欧州(遠目に見てもと~っても大きかったです)の頃には、1階席は満席に近かったようです。

もちろん結果は、横綱の勝ち!大きな手でも持ちきれないほどの懸賞金をもらってました。(いったいいくら入ってたのでしょう?)

国技館 1390551089710

最後に国技館名物の焼き鳥とお弁当です。

国技館 お弁当 1390551424665

焼き鳥1箱600円。お弁当は1100円。お味は・・・   それなりでした。

でも、とっても満足盛りだくさんの一日でした。

 

 

・弔問・会葬の作法 その2

弔問・会葬の作法 その2 (その1の続き)

 

【通夜】

“通夜”とは、その字のとおり夜通し遺体とともに過ごすことを言います。現在では、夜通し柩を守るのは近親者に限られます。

通夜は正式な儀式ではなく、身近な親しい人の集まりなので厳密なしきたりといったものはありません。集まった人たちで、故人の人柄や思い出を語り合いましょう。

通夜振るまいなどを喪主からすすめられた場合には一口でも箸をつけるのが礼儀ですが、喪主の家族は看病疲れや、葬儀の準備など忙しいはずです。なるべく早めに切り上げるようにしたいものです。

 

“遺体との対面”は、遺族から勧められない限り控えるのが礼儀です。

対面の作法はつぎのとおりです。

① 遺体の枕元から少し下がって正座します。

② 一礼のあと、遺族が顔の白布を外したら膝をつけたまま近づきます。

③ 対面のあと、もう一度一礼して合掌します。

④ 遺族にも一礼します。(この時、「安らかなお顔で …」等の言葉をかけたいものです)

 

過去記事 弔問・会葬の作法 その1

その3に続きます)

(鎌倉新書 2分でわかる仏事の知識 より抜粋)

 

より詳しくは、下記問い合わせまでお気軽にご相談・ご質問ください。お墓ディレクター有資格者(石産協)やお墓相談員(全優石)など専門の知識のある者が丁寧にご対応させていただきます。

お問い合わせ、お越しの際はこちら → お墓無料相談窓口

お問い合わせ番号 0120-36-1217(代表)

 

 

・中山道 上尾宿

2014年1月26日

今日は、埼玉県上尾市にある、中山道の上尾宿についてご紹介いたします。

大塚本社のすぐ近く、JR高崎線をくぐるアンダーパスの入口にあたる交差点に今回紹介する案内板があります。

中山道 上尾宿 DSCN2995

交差点の角に、ポケットパークのような形で道標などと一緒に設置されてます。

中山道 上尾宿 DSCN2996

彩の国 平成の道標。彩の国とは埼玉県のキャッチフレーズ『彩の国さいたま』の彩の国です。

中山道 上尾宿 DSCN2997

屋根の上には↑こんな怖い顔をした人がいます。鍾馗(しょうき)様です。

中山道 上尾宿 DSCN2998

上尾宿は、五街道として中山道が設置され、伝馬制が定められてから発達してきたようです。紅花の産地とありますが、紅花といえば埼玉県では桶川市。ところが上尾も紅花の産地だったのですね~。

中山道 上尾宿 DSCN2999

↑「木曽街道上尾宿加茂之宮」の図とのことですが、木曽街道とは?木曽と言えば今の岐阜県と長野県にまたがるエリア。江戸時代に「中山道」とされる前までは木曽街道と呼ばれていました。なので、江戸以降には木曽街道=中山道と考えてよいのでしょう。

中山道 上尾宿 DSCN3000

↑鎌倉街道とありますが、そもそも鎌倉街道というのは、鎌倉時代に武家の首都鎌倉に何事かあればすぐに駆けつけられるようにと鎌倉を中心に放射線状に整備された道路を指します。埼玉県にも何本も走っており、大きなもので中道(現在の日光街道、国道四号に近い位置)、上道(現在の関越自動車道、国道407、国道254に近い位置)、秩父道(現在の国道299に近い位置)とありました。上道から中道に抜ける道として羽根倉道というのがあり、都下の村山、朝霞、志木、荒川をわたって(現在の羽根倉橋あたり)、大久保、与野、大宮、上尾、蓮田、菖蒲を通り、加須のあたりから古賀方面に向かっていた道であったようです。その鎌倉街道(羽根倉道)と中山道が現在の上尾陸橋のあたりで交差していたようです。

中山道 上尾宿 DSCN3001

↑大宮や上尾のほか、大成、原村、別所、上尾村、久保の文字も見られます。ごめんなさい、他はわかりませんでした(^_^;)

中山道 上尾宿 DSCN3002

↑さき程も見ていただいた画像の鍾馗様です。鍾馗様、鐘馗様、どちらも「しょうきさま」です。鬼を退治する(食べてしまう)とても強い方なのですが、五月人形に神武天皇と一緒に鎮座されたりという有名な方です。昔中国唐の玄宗皇帝の夢に鬼が現れ、皇帝を大いに悩ませたのですが、夢の中そこに一人の男が現れてみるみる鬼を食べてしまった・・・というそんな玄宗皇帝の夢に現れたのがこの鍾馗様。

屋根瓦にある鬼瓦は、悪鬼や悪い気が家に侵入しないように据えられているのですが、鬼瓦はそういった悪いものを追い払い跳ね返すことはできてもその場で退治はできません。そこで屋根に鍾馗様をのせるという風習がここ上尾宿では広まっていたということです。

↓こんな感じ。(この案内板の上に鎮座されてます)

中山道 上尾宿 DSCN2997

中山道 上尾宿 DSCN3003

↑この図をみると、上尾市内にはたくさんの文化財があるのだなぁとつくづく感じます。弊社大塚がお世話になっているお寺様も貴重な文化財があります!

中山道 上尾宿 DSCN3004 中山道 上尾宿 DSCN3005

ここの案内板の傍らには↓このような石のベンチとテーブルが。

中山道 上尾宿 DSCN3006

なんと将棋の目が!ひなたぼっこしながら将棋をさせるようになっているのですね~

中山道 上尾宿 DSCN3007

中山道沿いにはたくさんのこういった歴史を伝えるスポットが点在しています。この道がどういった道なのかを忘れずに次世代に伝えていけたらと思います。

あ、忘れずに次世代に伝えるという大事な仕事って、弊社大塚の仕事である「お墓づくり」と一緒ですね!お墓づくりや、お墓を次世代に伝えること、お墓参りはとても大切ですよ!

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・中山道 箕田追分(埼玉県鴻巣市)

2014年1月25日

今日は、埼玉県鴻巣市にあります箕田追分の写真をご紹介いたします。

箕田追分(みだおいわけ)は、江戸時代に整備された五街道のうちの中山道の鴻巣宿と熊谷宿のあいだにある追分です。吹上よりも鴻巣寄りにあり、北鴻巣駅が一番近い立地です。追分とは、道が二手にわかれている分岐点。分かれ道のことです。

旧街道の中山道沿いに↓こういった案内板が設置されています。丁度交差点の道路改修にあわせて場所をかえて設置しなおしの工事中のようでした。

箕田追分(鴻巣市) DSCN2823 箕田追分(鴻巣市) DSCN2824 箕田追分(鴻巣市) DSCN2825

↓街道の古地図が描かれています。

箕田追分(鴻巣市) DSCN2826

↓ここ箕田の地は、箕田源氏のゆかりの地。先日の記事にも書きましたが、すぐ近くには源経基館跡もありますので、東国の坂東武者として源氏が広がっていく中で箕田源氏も発生していったのでしょう。

箕田追分(鴻巣市) DSCN2827

↑今昔物語集にも箕田源氏が書かれているとか・・・。

箕田追分(鴻巣市) DSCN2828

↑ここ箕田追分からは、三ツ木・川面を経て、忍(行田市)や館林(群馬県)城下へ向かう道が分かれていたそうです。ここには立場茶屋というものがあり、旅人が休憩したり、別れを惜しんだりというシーンがあったようです。

箕田追分(鴻巣市) DSCN2829

案内板にある昔の絵にも描かれていました。

箕田追分(鴻巣市) DSCN2830

↓江戸時代の街道図です。右が日本橋、鴻巣宿方面。絵地図が横長なので三分割して右側から順にのせてみます。

箕田追分(鴻巣市) DSCN2833

↑宮前村の文字が見えます。この左側の絵地図がこちら↓

箕田追分(鴻巣市) DSCN2832

↑箕田村の文字が見えます。↓さらに左側です。

箕田追分(鴻巣市) DSCN2834

↑現在地の箕田追分に赤い丸があります。左上方向に向かうと忍、館林方面ということになります。左に向かうと吹上を通って熊谷宿、京都へと向かいます。

この古地図の道は現在の中山道の旧道として、浦和大宮から鴻巣吹上までは今現在も生きていると言えます。国道17号はすこし離れたところを並走している地域なので、都内などで呼ばれているように「中山道=国道17号」ではない地域になります。グーグルマップ等を見ると、国道17号に大きく「中山道」と表示されているので戸惑ってしまいます。このあたりではそれぞれ別の道路。熊谷や深谷あたりでも、国道17号と旧街道は同一ではないようなのですが、それぞれどう呼称しているのか気になります。(中山道の道程について詳しくはこちら→国土交通省 関東地方整備局 大宮国道事務所

箕田追分(鴻巣市) DSCN2838

↑埼玉県がこういった道標を整備しているようです。↓この案内板のうしろには馬頭観音もいらっしゃいました。

箕田追分(鴻巣市) 地蔵堂 DSCN2847

後ろを振り返ると交差点です。↓左側に小さいお堂が目に入ってきます。

箕田追分(鴻巣市) DSCN2835

小さいながらも、とても綺麗に整備されているお堂です。お地蔵様が安置されているようでした。

箕田追分(鴻巣市) 地蔵堂 DSCN2839

綺麗に掃き清められているので、うかつに踏み入れられません(^_^;)

箕田追分(鴻巣市) 地蔵堂 箕田追分(鴻巣市) DSCN2840 箕田追分(鴻巣市) 地蔵堂 DSCN2841

↓庚申塔もありました。立派な彫刻です。

箕田追分(鴻巣市) 地蔵堂 DSCN2842

↓丸い穴がたくさんあります。お供え物を置く穴のようです。

箕田追分(鴻巣市) 地蔵堂 DSCN2843

やさしいお顔のお地蔵様です。どうぞ道のりを間違えないよう見守っていてください。

箕田追分(鴻巣市) 地蔵堂 DSCN2844 箕田追分(鴻巣市) 地蔵堂 DSCN2845

中山道は、中仙道や仲山道、仲仙道など、様々な表記がありますが、五街道として整備された江戸初期、幕府は「中山道」と定めております。仲の字や仙の字は、それぞれの地元で広まって使われたローカルな使われ方のようです。さらには国道17号ができたことによって「旧」をつけて旧中山道と呼ぶ地域もでき、当然、旧中(きゅうなか)と呼ぶ習慣も出来たりしていきました。

↑というのを以前目にしてからは、わたくしブログ担当Tはできるだけ「中山道」で統一して使用することにしています。

が、今となっては仲や仙の字を使っていても、もはや誤りとは言えないので「どれも正しい」が正解だと思います。ただし、国土交通省による交通標識などでは順次「中山道」に書き換えて統一されたようです。

ここ箕田追分からは鴻巣霊園がすぐ近く。また、さきたま霊園も遠くはありません。お墓参りの寄り道でこれるスポットです。

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・墓石に歌詞を刻むには

まず、楽曲の歌詞を使用するには「著作人格権」と「著作財産権」と呼ばれるふたつの権利をクリアしなくてはなりません。

「著作人格権」とは、その歌詞を作詞した作詞者やアーティストといった権利者、またはそれらから著作権の管理を信託された団体が有する権利で、「著作財産権」とは著作人格権者から信託を受けて作品の利用者に対する利用許諾や著作権侵害の監視を行っている団体(JASRAC〈日本音楽著作権協会〉が代表的)が有する権利のことです。ここではJASRACが管理する楽曲の使用について説明します。

 

著作権を有する楽曲の歌詞をお墓に刻むための手順(JASRACの場合)

①使用したい歌詞の著作人格者に連絡して、使用の許諾を得る。それぞれの楽曲の著作人格者は、JASRACのホームページで確認できる。

②著作人格者の許諾を得た後、著作財産権の管理者であるJASRAC出版課に連絡し、楽曲の使用許諾申請に必要な所定の用紙を取り寄せる。

③楽曲の使用許諾申請の用紙に必要事項を記入し、JASRAC出版課に提出。許諾に必要な料金として、18,900円(消費税5%込)を支払う。

 

ちなみにJASRACに支払う料金18,900円(消費税5%込)は歌詞の一部使用、全部使用に関わらず、一律に決められた金額なので、墓碑に刻む歌詞の分量によって、金額が上下することはないということです。

 

 

(六月書房 霊園ガイド2013下半期号 より抜粋)

 

 

より詳しくは、下記問い合わせまでお気軽にご相談・ご質問ください。お墓ディレクター有資格者(石産協)やお墓相談員(全優石)など専門の知識のある者が丁寧にご対応させていただきます。

お問い合わせ、お越しの際はこちら → お墓無料相談窓口

お問い合わせ番号 0120-36-1217(代表)

 

 

・伊佐沼冒険の森へ行ってきました!

2014年1月23日 晴れ

大塚本社のNさんから記事をもらいましたのであげてみます。↓

川越市東部にある伊佐沼は、埼玉県最大の自然沼です。春には桜が咲き誇り、6~7月は古代蓮が見頃となります。また、夏には「小江戸川越花火大会」が行われ、たくさんの人で賑わいます。また、四季をとおして釣りが楽しめるので、釣り人がいつもいます。その伊佐沼に隣接しているのが伊佐沼公園です。

伊佐沼公園の中にあるフィールド・アスレチック「伊佐沼冒険の森」へ行ってきました。

伊佐沼冒険の森①

子供の頃に訪れて以来なので、すっかり様子が変わっていました。

遊具が新しくなっていて、小さな子供たちがたくさん遊んでいます。

伊佐沼冒険の森②

伊佐沼冒険の森③

むかしむかし、たしか「川越城」という丸太を組んだ大きくて高い建物?があって、頑張って上まで登った記憶があります。しかし今ではありませんでした。老朽化かなにかで撤去されたのでしょうね。

伊佐沼公園には広場や野外ステージ、じゃぶじゃぶ池があり、バーベキューも出来るそうです。また暖かくなったら、お弁当を持って訪れたいと思います。お弁当がなくても、公園のすぐ隣に「エスポワール伊佐沼」という施設があります。レストランや温泉などがあり、宿泊もできるそうです。休憩するのにちょうど良いですよ。

自然に囲まれてのびのびしたい時、お子さんと思い切り体を動かして遊びたい時など、おすすめです。

 

↑以上いただきました記事でした。

伊佐沼は、川越フォーシーズンメモリアルや、国道16号上江橋で荒川を渡ると、やすらぎの杜さいたまメモリアルパーク彩の恵も遠くありませんので、お墓のご見学のついでやお墓参りの行き帰りにちょっと寄ることができるスポットです。

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・伝源経基館跡(鴻巣市)

2014年1月23日

今日は「源経基(つねもと)館跡」に行ってきた写真を記事にしてみます。

源経基館跡は鴻巣市の大間にあるのですが、鴻巣高校のすぐ隣、荒川の土手のすぐ近くにある史跡です。

伝源経基館跡 鴻巣市 史跡 DSCN2788

源経基というは、清和天皇の皇子貞純親王の子で、親王の第六子にあたることから六孫王(ろくそんのう)と称した。弓馬の道に長じ、武勇を持って知られた。源姓を賜って源朝臣を称したが、武蔵介となって関東に下り、この地に館を構えたと伝えられている。

と埼玉県と鴻巣市の連名での案内板に書いてありました。

源平合戦や鎌倉幕府の源氏の大本がこの源経基。清和天皇の血を受けているので清和源氏とのちのちに呼ばれることとなります。源頼朝や源義経の八代前の方です。

伝源経基館跡 鴻巣市 史跡 DSCN2789

この館跡は、ここ大間では城山と呼ばれていたようで、およそ90m四方の正方形に近い形状をしています。

道路を挟んだ西側には農耕地が広がっており、その向こうには中学校のグランドと荒川の土手が見えます。

伝源経基館跡 鴻巣市 史跡 DSCN2791

館跡を外から見ると、とても鬱蒼とした森に見えます。

伝源経基館跡 鴻巣市 史跡 DSCN2795

しかし、一歩踏み入れると、予想外に歩きやすい林になっていて、逆に木々に癒されました。

伝源経基館跡 鴻巣市 史跡 DSCN2796

入口から入ってすぐ、一段土が盛ってあり、その上(館の中)は平らな土地が広がっていました。

伝源経基館跡 鴻巣市 史跡 DSCN2797

まっ平らです。ここに源経基の居館の建物が広がっていたんでしょうね~

伝源経基館跡 鴻巣市 史跡 DSCN2798

内部の平坦地を囲むように土塁が三方をめぐっています。土塁の中でも一段と高い場所に何やら石碑が立っています。↓この写真の左上。館跡の北西に位置しています。矢倉でも建っていたのかもしれません。

伝源経基館跡 鴻巣市 史跡 DSCN2799 伝源経基館跡 鴻巣市 史跡 DSCN2800

↑六孫王経基城址とあります。その足元には「遺跡基準点 NO.1 鴻巣市教育委員会」とあります。

伝源経基館跡 鴻巣市 史跡 DSCN2801

↓石碑の裏側です。大間村だったことと、城山と呼ばれていたことと、江戸時代には林大学頭の采地だったということがわかります。

伝源経基館跡 鴻巣市 史跡 DSCN2804 伝源経基館跡 鴻巣市 史跡 DSCN2806

石碑から東を向くと、右側に広がる平坦地と、東に続く道のような土塁と、左手には掘割が確認できました。

伝源経基館跡 鴻巣市 史跡 DSCN2807

土塁から内部の平坦地を眺めると、結構高低差があるのがわかりました。手前の土塁と奥の平坦地の高低差わかりますでしょうか?↓

伝源経基館跡 鴻巣市 史跡 DSCN2808

↓土塁からは鴻巣高校も少し見えます。

伝源経基館跡 鴻巣市 史跡 DSCN2810

掘割に下りる階段を発見。お堀の向こうは高校のグランドです。

伝源経基館跡 鴻巣市 史跡 DSCN2811

ふと足元を見るとドングリがたくさん。椎の木の林なのですね。

伝源経基館跡 鴻巣市 史跡 DSCN2812

お堀に下りてみました。土塁結構高いです。右手のフェンスは高校です。

伝源経基館跡 鴻巣市 史跡 DSCN2813

反対側の東側をみると、館跡の北西角が折を描いて完全な90度の角になっていないことがわかります。写真だとわかりにくいですが、谷間になっている道がクランク状にジグザグになっています。

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東辺の土塁に上がってみると、またもや基準点発見。今度はNO.2です。

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土塁の道をさらに進みます。↓このあたりは南辺になります。右側が館跡内部の平坦地です。

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平坦地に西日が差しこんで、とてもいい感じの雰囲気をかもしだしています。ご近所の方はお散歩でここにこれるのがうらやましいくらいです。

伝源経基館跡 鴻巣市 史跡 DSCN2817 伝源経基館跡 鴻巣市 史跡 DSCN2818

ゴミは持ち帰りましょう。

伝源経基館跡 鴻巣市 史跡 DSCN2819

とても気持ちの良い林でした。

一番西側に戻ってきました。土地が三段になっています。左手前の木のある高さと、真ん中あたりにある木のある土地の高さ、正面遠くにある木のある土地の高さはそれぞれ1mくらいずつの段差があります。それぞれ門があったり、塀があったりしていたのでしょうか。

伝源経基館跡 鴻巣市 史跡 DSCN2820

道路に出ました。

伝源経基館跡 鴻巣市 史跡 DSCN2822

 

ここにこういう史跡があると知らなければ通り過ぎてしまうような館跡です。

弊社大塚の取扱い霊園の鴻巣霊園から近いので、お墓をご見学の際やお墓参りの途中などにお散歩がてら寄ることもできる史跡です。

また歴史的な場所に行きましたら記事にしてみます。

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。