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・石材店スタッフによるブログ 先日ミステリーツアーに行ってきました (しまなみ海道、因島、村上水軍城跡の記念館)

2019年7月16日 火曜日

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置き、埼玉県だけでなく首都圏にて霊園と墓地をご紹介・ご案内し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事をしております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

今日の記事は横浜支店のSSさんからになります。以下本文↓

 

先日ミステリーツアーというもので旅行に行ってきました。
どこに行くかも旅行当日に飛行機のチケットで知らされて、その後もどこの観光地に行くのか、どこに泊まるのかさえ教えてもらえないツアーでした。
かなり盛沢山に色々観光した中で、広島県と愛媛県を渡るしまなみ海道にも行ってきました。
そこで因島に立ち寄り村上水軍の水軍城跡にある記念館を見学しましたのでブログにアップします。

村上水軍は、和田竜さん(埼玉県行田市の忍城をモデルにした小説のぼうの城を書いた)の人気小説「村上海賊の娘」で一気に知名度が上がったそうです。

文献史料上、最も古い記録は南北朝時代である。1349年(南朝:正平4年、北朝:貞和5年)のもので、能島村上氏が東寺領の弓削庄付近で海上警護を請け負っていたという。南北朝時代の村上水軍は因島、弓削島などを中心に瀬戸内海の制海権を握っており、海上に関を設定して通行料を徴収したり、水先案内人の派遣や海上警護請負などを行ったりしていた。
1588年(天正16年)に豊臣秀吉が海賊停止令を出すと、村上水軍は従来のような活動が不可能となり、海賊衆としての活動から撤退を余儀なくされる。
広島県と愛媛県には村上水軍の末裔が多く存在し、一部地域では『村上』姓ばかりが居住している。サッカー選手の村上佑介、芸能人でも村上信五、村上ショージ、などが村上水軍の末裔だという。
村上水軍は3つの軍に分かれており、さらに陸上で活躍する軍に比べると戦い以外の理由(水害、事故等)で死亡する事が多く、将軍や武将には珍しく、姓が途絶える事を危惧し島の住民にも「村上」を名乗らせた。また、戦いに負けた船に乗っていた女・子供は殺害せず、妻や養子に迎えていたので末裔は多いそうです。
~以上ウィキペディアより

海賊といっても強奪したり悪事を働く賊ではなく、今でいう海上警備隊的役割だったそうです。
この村上水軍記念館の麓にある金蓮寺に水軍のお墓があるという事なのでバスの集合時間を気にしつつこちらも見学してきました。

  

この墓地には宝篋印塔十八基のほか五輪塔が整然と立ち並び、因島村上氏の一族及びその家臣を含めた墓石群だと伝えられているそうです。

   

偶然旅先で見たお墓ですが、敵であっても女子供は殺害せず、秩序を守り、香や茶、連歌なども優雅に愛でた海賊のロマンを感じる事ができました。

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なお、横浜支店の管轄は神奈川県と東京都町田市、そして静岡県というエリアにて活動をしています。西日本や中国・四国ではござていません。

墓地をお探しの方がいらっしゃいましたらお気軽にお問い合わせ下さいませ。お墓にまつわるご相談などもお気軽にお問い合わせください。ここ横浜支店より営業マンがご説明・ご案内に向かいます。

※神奈川県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

 

・石材店スタッフによるブログ 香川県に旅行へ行ってきたときのお話 高松城 庵治石

2019年7月9日 火曜日

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置き、埼玉県だけでなく首都圏にて霊園と墓地をご紹介・ご案内し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事をしております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

今日の記事は本社営業のKAさんからになります。以下本文↓

 

香川県に旅行へ行ってきたときのお話です。

高松市へ足を運び、その時に史跡 高松城跡を見てきました。
天守閣などは既に無く、石垣や堀に見張り櫓が残っている状態ですが
どこを見ても積み上げられた石が形を残しており、改めて石は長い年月を経ても
廃れることのないものなんだと実感をしました。

また、高松城跡で香川県の銘石「庵治石」の小さな置物や石碑を見つけました。
品質の高さや希少性から世界一の石と呼ばれるものを、こういった史跡で使用していることが心に響きました。

㈱大塚では、庵治石をはじめ多くの国産材の取り扱いをしています。
ご興味ある方は是非、ご相談いただければと思います。