2015年6月27日 土曜日 曇り
こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置き、埼玉県だけでなく東京、神奈川、千葉、群馬、静岡にて霊園と墓地をご案内・ご紹介し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事という「お墓づくりのお手伝い」をしております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。
昨日の記事「埼玉県鳩山町 霊園に隣接する古代瓦窯跡」に引き続きまして、今日の記事も古代に思い馳せる内容です。
鳩山町石坂にある白山神社は小高い丘の上にあるのですが、その南側中腹に「十郎横穴墓群」があります。「お墓」にまつわる仕事をしている関係もあり、鳩山町にきたついでに古代のお墓をお参りしてみようと思います。
十郎横穴墓群を見る前に、まずは白山神社に参拝しようと思います。「お邪魔いたします」
鳩山町は丘陵地帯にあるのですが、ここ白山神社のある丘もその中のひとつ。越辺川(おっぺがわ)と支流の合流点にあたる場所で、地理的にも重要なポイントと見ることができる場所かと思われます。
丘の上ということもあり、社の向こう側には丘陵の山々が見晴らしよく見ることが出来ました。とてもよく整えられている神社です。祭神は菊理姫命。拝殿の隣に牛頭天王の社もありました。ちなみに神社の住所は「鳩山町大字石坂字重郎」。これから行く場所は十郎横穴墓群。重郎と十郎の違いが謎ですが、先に進んでみようと思います。
白山神社の鳥居の近くに、丘の斜面を南側にくだる階段があります。
↑階段スタート。↓左に竹林を見ながらしばらく進むと明るい場所に出ます。
丘の中腹にあたる場所に十郎横穴墓群はあります。
小路の反対側からはこのように案内板が見えます。小路はこの先も続いており、下の車道まで続いています。
さて横穴墓群。
横穴墓が見えてきました。
鳩山町指定史跡 十郎横穴墓群 指定 昭和五四年四月二五日 所在 大字石坂字重郎 次代 古墳時代後期 横穴墓とは、国指定史跡吉見百穴(吉見町)に代表される古墳時代後期の墓制の一つです。 十郎横穴墓群は、越辺川にのぞむ丘陵の南向斜面に位置し、凝灰岩質砂岸層を掘りぬいて構築されたもので、現在、三基が開口しています。平成二年の現況測量調査の結果、他にかなりの横穴墓が埋没していると思われます。 比企地方には、この他に、黒岩横穴墓群(吉見町)、天神山横穴墓群(滑川町)、尾根横穴墓群(嵐山町)、比丘尼山横穴墓群(東松山市)があります。 平成四年三月 鳩山町教育委員会
横穴を右から順に見てみます。↓一番右の横穴
↓続いて二番目。
↓こちらは三番目です。つぶれてしまったのか、土砂で埋まってしまったのかしています。
↓右の二つを一緒に撮影してみました。
横穴の内壁は、古墳時代の人手によって削られた痕跡がいまだに綺麗に残っています。現代も使われているノミに似た道具で削られたのでしょうか。
凝灰岩ということもあり、とても表情豊かです。乾燥していたため薄緑色に粉が吹いたように見えますが、コケが広がっていました。
蟻の行列や、岩の隙間の水気のある個所には青々したコケも確認できました。
丘の中腹とはいえ、南面の見晴らしはとてもよかったです。
ご訪問される方は、この丘と森の住人のカラスの群れをあまり刺激しないよう、しずかに見学されることをお勧めします。カラスの巣でもあったのか、帰るまで威嚇・監視されました(^_^;)
この丘陵を造っている凝灰岩というのは、海底などで鉱物などが堆積して押し固まって岩となったもの。堆積岩です。古代の横穴のお墓は凝灰岩、堆積岩にて1000年以上もカタチ変わらず残っています。
現代のお墓は多くがみかげ石。みかげ石は火成岩で花崗岩。溶岩が固まって出来る岩です。現代では堆積岩はお墓に適していないと言われています。お墓に適しているのは花崗岩であるみかげ石。(逆に、砥石として適しているのは堆積岩で、みかげ石は砥石には適していません)。お墓に適していないと言われている堆積岩のお墓でさえ1000年以上も残っています。みかげ石のお墓はいったいどのくらいの年数もつのか、とても気になるところまです。
鳩山町でお墓をご検討の方は、サンヒルズ・メモリアルガーデンをご案内可能ですのでお気軽にご連絡くださいませ。