2014年5月31日土曜日 晴れ
少し前の時期のことになりますが、埼玉県行田市の忍城に行ってきました。
忍城といえば、小説と映画がヒットしました「のぼうの城」で石田三成による水攻めの舞台となったお城。小説と映画のヒットにより一躍全国区になった話題のお城ですが、その「のぼうの城」に登場する正木丹波守利英(映画では佐藤浩一さんが演じました)が秀吉の北条攻め後(忍城開城後)に戦没者の供養のために自ら出家したてた寺院が高源寺と言われています。この高源寺さまは、弊社石材店の大塚がいつもお世話になっておりますお寺様で、墓地と墓石のご案内のお手伝いをさせてもらっています。(弊社高源寺さまページ、高源寺の桜の記事)
また弊社大塚がご案内しております、さきたま古墳の近くにあります「さきたま霊園」の経営母体も高源寺さまということもあり、忍城についていつか記事にしようと考えていました。(弊社さきたま霊園のページ)
忍城の場所は近隣の方はわかるとは思いますが、念のためご案内しますと、行田市役所の隣。国道125号(バイパスではない方)沿いになります。厳密には、旧忍城の城域の中を国道が突き抜けていて、本丸をかすめている状態です。
忍城は、豊臣勢の石田三成が指揮する軍勢の水攻めにも耐えた、北条方で唯一落城しなかったという名城です。関東7名城のうちの一つです。旧本丸跡地は行田市本丸球場があり長く市民に親しまれてきましたが、1988年から現在は行田市郷土博物館になっています。
第二駐車場に車を停め、順路に沿って進んでみます。スタート地点の第二駐車場は↓の地図の右側端(本丸西側)。すこしわかりにくいですが、赤い点が現在地です。
まずはここから御三階櫓に向かいます。いわゆる「天守閣」のように見える建築物が御三階櫓です。途中に、まずは「本丸土塁」と立札がある土手が見えてきます。土手の向こう側が本丸というわけです。
土塁沿いに進みますと、忍藩の藩校「進修館」の表門であったと伝えられている「伝進修館表門」があります。移築があったため完全な確定とは言えないそうですが、行田市に現存する唯一の武家屋敷の門だそうです。
門の延長線上には、↓こんな石の基礎が。渡り廊下でもあったのでしょうか。
ここから先は、土塁の上に綺麗な城塀がめぐっています。
そういえば、以前訪問しました加須市の總願寺(不動岡不動尊)に忍城の北谷門が残されていたのを思い出しました。↓こちらの画像です。(總願寺の訪問時の記事)
さて先に進みます。
城壁に〇△□の小窓のようなものがありますが、これは鉄砲挟間(さま)。内側から鉄砲や弓矢で外側にいる敵を狙い打ちするための穴です。※間違えていたらごめんなさいですが、忍城の復元された城塀と挟間は、外側が広く見えます。多くの他の城では狙いやすいように内側が広く、外側の穴は小さく作られています。謎です。
御三階櫓が見えてきました。
桜が満開です。実は、約二か月前に行っていたのですが、すっかり記事にする時期を逸していたんです(^_^;)
とってもきれいで大きな御三階櫓です(^-^)堂々としてますね~
忍藩は明治維新まで続いた藩なのですが、明治になってからの廃藩置県で忍県が新しくつくられ、県庁が二の丸に建てられました。その後廃城となり、明治6年にほとんどの構造物が取り壊されたそうです。近代明治のハイカラ政治にはそぐわないと判断されたのでしょうか。現在の価値観をあてはめることはできませんが、非常にもったいない!と、以上簡単な前段の話。
御三階櫓について、実は、本丸の南東角というこの場所には御三階櫓はありませんでした。忍城を再整備しようとされた際、本来この場所になかった三重櫓を天守閣のなかった忍城のシンボルとしてここに据えて建築されたとか。
おそらくいまだに意見は分かれるのではないでしょうか。史実を大切にするか、観光を優先するか。日本中の城跡で起こっている現象です。近年は史実を大切にする流れが主流のようですね。熊本城や小田原城の御殿計画など。
御三階櫓は、天守、天守閣ではありませんが、おおきなくくりとしては天守、天守閣といっても構わないかと思います。現存天守(国宝姫路城など)、木造復元天守(木造でちゃんと復元した天守。白河城や掛川城など)、外観復元天守(外観だけ復元した天守。名古屋城や大垣城など)、復興天守(資料不足のため推定で復興した天守。大阪城や小倉城など)、模擬天守(天守はなかったにもかかわらず天守を現代につくってしまったもの。千葉城、富山城など)とあり、忍城の御三階櫓は復興天守とも模擬天守とも言われています。
とても桜がきれいな忍城御三階櫓です。のぼうの城の戦国時代には、こんなきれいなお城ではなく、土塁と木の塀、木組みの柵と櫓で小説と映画では描写されていました。きっと江戸時代にはとても美しいお城だったんでしょうね~
お堀には木橋がかかっており、その向こうには重厚な東門があります。絵になりますね~!テレビ局のテレ玉で、この橋の上で「忍城おもてなし甲冑隊」がテレ玉ダンスを踊っているのをテレビでつい先日見ました。
細かなディティールを観察してみると、屋根瓦には三つ葉葵の紋が入ってます。歴代藩主は松平の四つの家(深溝、東条、大河内、奥平)と阿部家です。
門と桜と御三階櫓。絵になりますね~!(^-^)
門をくぐり、いよいよ本丸へ!はいってすぐに忍城の由来が書かれてました。忍の浮城と書かれています。
本丸に入ると、満開の桜が待ち構えていてくれました。それにしても桜とお城の相性の良さは抜群です。
挟間を見てみると、本丸の内側からみても広くつくられています。ますます謎です。
挟間から外を見てみましょう。狙撃手になったつもりで!
〇△□の窓から見る桜と雪柳もまたいいものですね~。
さて、忍城訪問記事の前半はここまでです。後半は三階櫓にのぼってみたりしていますのでしばしお待ちください。
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参照記事 のぼうの城関連の記事
・のぼうの城に登場した丸墓山古墳 さきたま古墳公園 石田堤 その②
・のぼうの城に登場した丸墓山古墳 さきたま古墳公園 石田堤 その①
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