年中無休 [営業時間:午前9時から午後5時]
facebook
menu
MENU

霊園とお墓のはなし

  • 永代供養墓特集
  • 新しいお墓の形 納骨堂
  • ペットのお墓
  • お墓ができるまで
  • 正しいお墓のクリーニング
  • 一般社団法人 全国優良石材店 全優石 石材店の一流ブランドです
  • 日本石材産業協会
  • 全国石製品協同組合

記念碑・モニュメント」カテゴリーアーカイブ

・陸前高田 奇跡の一本松

11月27日 水曜日 晴れ

陸前高田に来ました。 3.11の津波で壊滅的な被害の出た陸前高田。そして高田松原。 有名な奇跡の一本松です。

奇跡の一本松 DSC_0037奇跡の一本松 DSC_0546奇跡の一本松 DSC_0549奇跡の一本松 DSC_0542

唯一残った一本松を復元したもので、後ろにはユースホステルの跡地の建物が残されていました。

奇跡の一本松 DSC_0041

一本松の足元には献花台が設置されています。

奇跡の一本松 DSC_0044

拡大してみます。

奇跡の一本松 DSC_0045

一本松にたどり着く少し手前にも、このようなパネルが見られました。

奇跡の一本松 DSC_0048

なんだか、ハイテクでハイカラな仕組みがあります。情報柱にスマホをかざすと、色々なことがスマホでわかるそうです。おおお~!すごいですよね!

奇跡の一本松 DSC_0049

↑この杭です。

 

陸前高田は復興に向けての工事が大規模に進んでます。陸前高田 DSC_0040

↑この橋と、↓この構造物は山からの土を運ぶベルトコンベアを作っているのだそうです。規模が大きすぎてただただ驚くばかりです。

奇跡の一本松 DSC_0047

↓山から土を運び、工事現場に。トラックで運ぶよりも山から直接ベルトコンベアで運ぶということで、想像以上に大量の土が必要なのでしょう。

陸前高田 DSC_0553陸前高田 DSC_0554陸前高田 DSC_0559

我々にできることは限られてはいますが、とにかくできるだけ早期の復興を祈念いたします。

 

 

 

 

・津波記憶石 綾里(りょうり)

11月27日 水曜日

岩手県大船渡市、三陸鉄道南リアス線の綾里(りょうり)駅にあります津波記憶石の第26号です。昨日の気仙沼市本吉、小泉の津波記憶石第二号に続いての見学になります。

津波記憶石 綾里 DSC_0070

↑駅です。右下に見えているのが津波記憶石です。

津波記憶石 綾里 DSC_0066

日時計をモチーフにしているデザインです。

津波記憶石 綾里 DSC_0060

日時計は、ある時間を示しています。3月11日の14時46分です。

津波記憶石 綾里 DSC_0058

この津波記憶石は、駅という人の集まる場所に設置されているので、より多くの方の目にふれることと思います。

津波記憶石 綾里 DSC_0054

↑被災状況と、

津波記憶石 綾里 DSC_0055

↑各協力者、協賛者などが彫られてます。

津波記憶石 綾里 DSC_0057

バーコードより、さまざまな情報と動画を見ることができます。

津波記憶石 綾里 DSC_0068-1

 

駅の中には賑やかな売店もありますので、お越しの際は是非お寄りください。

綾里駅 DSC_0064

綾里駅 DSC_0062

綾里駅 DSC_0063

津波記憶石 綾里 DSC_0069

津波てんでんこ。

早期の復興を祈念いたします。

 

 

 

・津波記憶石 小泉小学校

11月26日 火曜日 晴れ

宮城県は気仙沼市の小泉小学校にあります津波記憶石の第二号を見にきました。

津波記憶石 DSC_0009

大塚の社員の皆で見学中です。場所は小泉小学校の入口にあります。この小学校のグランドは、海抜23メートルなのですが、津波は21メートルまで迫ってきていた、と小学校の校長先生が教えてくれました。お忙しいところ、ありがとうございました。小学校のグランドでは、子供たちの声が響いていました。

本吉地区 DSC_0013

津波記憶石のある場所から見える光景です。宅地であった場所が、地盤がさがったため水没してしまっています。

津波記憶石 小泉小学校 DSC_0182

波打ち際にある建物は、3階建てなのですが、一階部分が抜けてしまっているのがわかりました。元々は陸上に建っていたのが、今では海中に建っているような状況です。

津波記憶石 小泉小学校 DSC_0012

↑中央、鉄道の高架が、津波で分断されています。ものすごいパワーです。

津波記憶石-小泉小学校-DSC_0本吉地区 DSC_0011

↑ここも、住宅地が広がっていたそうです。

津波記憶石 DSC_0010

銘板があります。↓詳細。

津波記憶石 DSC_0014津波記憶石 DSC_0015

裏側にもいろいろと書いてあります。

津波記憶石 DSC_0016津波記憶石 DSC_0017

左下に全優石とあります。当社大塚も加盟店となっている全優石によって建てられた津波記憶石なんです。

津波記憶石 DSC_0019津波記憶石 DSC_0020津波記憶石 DSC_0021

太く力強い文字を、深くしっかりと刻まれています。復興に向けての想いが伝わってきますでしょうか?

津波記憶石 DSC_0022

大塚社員一同、早期の復興を祈っております。

 

 

 

 

・お墓に刻む文字② 五輪塔

お墓に刻む文字②

■お墓に刻む文字 「五輪塔」

五輪塔は仏塔の元祖で、供養塔とも言われ、お塔婆(卒塔婆)は五輪塔を表しています。五輪塔はどの宗派のお墓でも建てられており、基本は下方より方形・球形・三角形・半球形・団形の五つの石を積み上げ、それぞれがこの世の五大元素である「地・水・火・風・空」五大を表すとされています。

平家塚(栃木県日光市湯西川)

平家塚(栃木県日光市湯西川)

畠山重忠公の墓(埼玉県深谷市畠山)

畠山重忠公の墓(埼玉県深谷市畠山)

塔身部分に梵字を彫る際は、宗派によって違いがあります。空風火水地-キャカラバア

このうち代表梵字、あるいは、四面梵字を彫るものが多く見られます。石塔の梵字

※梵字を石塔竿石正面に彫る、或いは経文を刻むときはお寺様に相談いたしましょう。

大塚ホームページ内の「お墓の知識 お墓に刻む文字」もあわせてご覧ください。

 

 

より詳しくは、下記問い合わせまでお気軽にご相談ください。お墓ディレクター有資格者(石産協)やお墓相談員(全優石)など専門の知識のある者が丁寧にご対応させていただきます。

お問い合わせ、お越しの際はこちら → お墓無料相談窓口

お問い合わせ番号 0120-36-1217(代表)

 

 

 

・石材採掘場見学 稲田コース

去る11月1日(金)いばらきストーンフェスティバル2013の事業者向け内覧会にて、あわせて開催されました石材採石場見学の、稲田コースの模様になります。

こちらでは、稲田石という石が産出されます。稲田1

こちらの採石場は「露天機械掘り階段式採掘場」とあり、下に下に掘っていくカタチになっています。稲田2

重機やひとと比べてその高さや規模がわかります。すごい!稲田3 稲田4

 

また、このコースは採石場見学のあと、バスで移動して親鸞聖人ゆかりのお寺「西念寺」にも足を延ばしました。銀杏が有名な歴史あるお寺とのことです。こういった名刹を訪ねられたなんて、このコースに行けた人たちが羨ましくなります。

西念寺3 西念寺2 西念寺

 

稲田石は、最高裁判所や広島平和都市記念碑など、著名な建築物や構造物にも使われるとてもポピュラーに石です。

 

 

 

・トルコとボスポラス海峡と日本の技術

10月30日 木曜日 晴れ 今日は富士山が頭だけ見えます。

トルコの首都イスタンブールを東西に分けるボスポラス海峡。ヨーロッパとアジアを文化的にも分ける海峡です。ここに新しいトンネルが150年越しで完成したということでニュースになっています。海峡のイメージとしましては、日本で言えば関門海峡とその鉄道トンネルの規模に近いようです。トルコからの要請での日本の援助(1533億円の円借款)でのプロジェクトで、トンネル工事の難関部である海底部分は日本の大成建設グループが担当したそうです。沈埋工法という、あらかじめ海底に掘った穴にトンネルの箱を沈めて埋める方式での工事だったわけですが、日本では首都高速(羽田トンネルや東京港トンネルなど)や鉄道(総武線快速の隅田川トンネルや京葉線東京港トンネル)などでも行われている技術になります。今回のトンネルは沈埋トンネルとしては世界最深の水面下60メートル。もちろん日本同様の地震国でもありますので、M7.5にも耐えうるトンネルとなっているそうです。昨日29日、トンネルを通る地下鉄の開通式が日本の安倍晋三首相とトルコのエルドアン首相が出席して行われました。

トルコと日本は不思議な縁があり、今では両国ともに友好関係にあります。明治期に日本で難破したトルコ軍艦のエルトゥールル号への海難救助を日本側が手厚く行ったということが友好の始まりのようで、その後の日露戦争でのロシアの敗退により支配されていたトルコが解放されたこと、イラン・イラク戦争時にイラン在住邦人を救出してくれたのがトルコ政府だったこと、先般の五輪開催地のライバルでありながらも両国首脳の友好的なやり取りがあったなど、その親交のエピソードは数知れません。

時には悲しい事件も起こることはありますが、今後も両国の友好関係は続いていくことと思いますし、今回の記念すべきプロジェクトに日本が携わっており、日本の技術を活かしてくれたということに感謝と惜しみない拍手を送りたいです。

ちなみに上記エルトゥールル号の遭難者の立派な慰霊碑(お墓)と埋葬地が和歌山県の潮岬の近く、串本の紀伊大島の東端にトルコ記念館とともにあるということなので、いつか訪れてみたいお墓のリストに入れておこうと思います。

※トルコ軍艦遭難慰霊碑 地図と画像

こういった慰霊のお墓や施設があると、何十年たった後でもお参りが出来ます。当時慰霊碑を建てられた方にも、お参りしたい側の人間として感謝させていただきます。

 

 

・やなせたかしさんの実家跡地がお墓と公園に

10月24日木曜日 くもり

10月13日に94歳でやなせたかしさんがご逝去され、日本中が悲しみと驚きと惜しむ声に包まれました。

数日前のニュースになりますが高知県香美市にあります、やなせさんの父方の実家跡地が「お墓と公園」として整備が進んでいるとのことです。完成すると中央に顕彰の墓碑と、その両脇にはアンパンマンとバイキンマンの石像が建ち、碑の下に遺骨が納められるそうです。

来年平成26年2月に完成するこの公園、多くの方がやなせさんを偲ぶために訪れるスポットとなることでしょう。

アンパンマンは困った人を助けてくれるヒーローとして生まれました。他に見られないユニークなヒーローです。子供向けのヒーロー、英雄というと、その多くは勧善懲悪であり、戦うことが第一義となっている場合が多いのですが、アンパンマンは違いました。まずは困った人を助ける。お腹のすいている困った人に顔のアンパンを食べてもらう。

困った人を助ける、というと、古くは鼠小僧という江戸期の庶民ヒーローも実在しましたが、鼠小僧は「巨悪のあぶく銭を貧しい庶民に届ける」という点でのヒーローで、アンパンマンに近いものがありますがやはり違います。

この「おなかのすいた困った人を助ける。顔のアンパンを食べてもらう。」という独自のスタイルが、子供たちに広く親しまれ、わかりやすく感じてもらえた点だったのでしょう。私ブログ担当Tも小学生の頃学校の図書室で絵本型のアンパンマンを読んだ記憶があります。

来年二月に完成するやなせさんのお墓と公園、昨今著名人のお墓詣りがちょっとしたブームとなっていますが、お墓を公園にというケースは珍しいのではないでしょうか。お墓はお墓、記念公園は記念公園、記念博物館は記念博物館、それぞれ機能を別にしている著名人の施設が多いと思います。きっとたくさんの方が足を運ぶことになると思います。そして世にも珍しい賑やかなお墓となることでしょう。やなせさんの笑顔が見えるようです。

お墓という故人を偲ぶ場を公園にしよう、とアイデアを出されたのがやなせさんご本人だったのか、他の方だったのかはわかりませんが、感謝させていただきたいと思います。お墓参りをしたくなるお墓にしてくれたこと、気軽にお墓参り出来る施設にしてくれたこと、そしてお墓に新しいスタイルを作ってくれたと。

私もいつかきっと訪れてみたいと考えています。

****************************

2014年4月30日に完成した公園とお墓をお参りしてきました。↓こちらがその訪問記事になります。

・やなせたかし先生のお墓「朴ノ木公園」に行ってきました

 

 

 

 

 

  page top