梅の花も散り、そろそろ桜が咲いてしまうのではと思わせるようなすっかり春めいた陽気の中、ガイドブックを片手に十五年ぶりにその場所を訪れる。
「奈良 斑鳩(いかるが)の里 法隆寺」
その世界最古の木造建築物は美しいバランスで建てられた日本の仏教芸術最高峰の集合体である。
今回「お墓の話」では先日訪れた古都奈良の話をさせて頂きます。
「ん・・お墓の話なのに奈良?」と思われるかもしれませんが、奈良というと修学旅行で行ったきり、という方も多いと思いまして、写真を見ながら訪れた時の事を懐かしんでいただければと思い、特別編にさせていただきます。
まず最初に訪れたのは「法隆寺」です。
皆様もご存知の通り法隆寺は、飛鳥時代の姿を現在に伝える世界最古の木造建築として知られており、聖徳太子によって607年に創建されたと伝えられ 1400年の歴史を刻んでおります。全体の配置としては五重塔・金堂を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられています。
法隆寺内には国宝・重要文化財に指定されたものだけでも約190件、点数にして2300余点に及んでおるそうです。それ故法隆寺のことは語り尽くせませんが、ここではお墓と結びつくのではないかという事を一つだけ話させて頂きます。
五重塔の「塔」はストゥーパともいわれ釈尊の遺骨を泰安するためのものであり、仏教寺院において最も重要な建築物とされているようです。そこで思い浮かぶのが「ストゥーパ」という言葉ですが、「ストゥーパ」とは「卒塔婆」の原語、即ち皆様が法事の時などに建てられる「塔婆」の事、そして「お墓の話その二」で書きましたが、塔婆は五輪塔の形をしております。そう考えますと五輪塔とはお釈迦様を泰安するもこの制度の目的として「日本のお墓文化の発展と、生活者に対してお墓に関する正しい知識の普及を業界全体で図ることに有ります。」と、日本石材産業協会会長、井口健二氏は語っております。
次に訪れたのは二つの三重塔で有名な「薬師寺」です。薬師寺は天武天皇が皇后の病気平癒を願って建てられました。まず目を引くのが金堂を中心に左右にそびえ立つ「東塔」「西塔」。この塔は一見六重塔に見えますが屋根の三つは裳階(もこし)というひさし状のもので、層としては三層になっていまして、大変珍しい形状だそうです。
「東塔」は創建当時唯一のもので、大変に時代を感じる落ち着いた感のある塔です。それとは対照的に「西塔」は昭和五十六年に再建されましたので、彩りの鮮やかな塔になっており、そのコントラストが独特の雰囲気をかもし出していて大変に美しいと思いました。そして中心に立つ「金堂」も昭和五十一年に再建された建物です。中央部分は鉄筋コンクリート造、周辺部は木造という形式で建てられたそうで、昭和時代の最高の木造建築と言われております。金堂内には超国宝級の薬師三尊像があります。中心に本尊薬師如来像、向かって右が日光菩薩、左が月光菩薩で、あたかも今造られたような美しい姿は世界でも最高の仏像と言われているようです。
最後に訪れたのは「東大寺」。
ここは何といっても大仏様。正式には本尊・盧舎那仏(るしゃなぶつ)と言います。また大仏殿は世界最大の木造建築物ということでとにかくスケールの大きさに圧倒されます。この大仏殿は再建された物であり、当時のものからすると2/3程だそうです。
私は石屋ですのでガイドさんの説明の中で出た石についての話をさせて頂きます。大仏殿前の参道の石ですが、四種類の石を使っております。中央がインド産の黒御影石、次に中国産のピンク色の石、次に韓国産の白御影石、最後が日本産の白御影石、の順に敷かれておりまして、仏教がインドから中国、韓国を経て日本へ伝わったことを表しているとの事でした。
今回一日での観光でしたので法隆寺・薬師寺・春日大社・東大寺の四ヵ所しか訪ねることが出来ませんでしたが、全てが世界遺産に登録された場所ということで大変に充実した観光になりました。
法隆寺は1993年に「法隆寺地域の仏教建築物」として世界遺産に登録され、1998年に「古都奈良の文化財」として薬師寺・春日大社・東大寺ほか五つ (興福寺・元興寺・唐招提寺・平城宮跡・春日山原始林)が登録されたということで、あと一日かけてゆっくりと全ての世界遺産を回ってみたいと思いました。
以上でお墓の話奈良編を終りとさせていただきます。
大変大雑把で物足りない説明では有りましたが今回は写真中心の特別編ということでお許し下さい。
合掌
2001年12月
年中無休(年末年始休業を除く)
午前9時〜午後5時