2015年7月9日 木曜日 雨
こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置く石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。
先日、埼玉県東松山市にあります岩殿観音正法寺に行ってきました。二回に分けて記事にしてみます。
東松山市内より、鳩山町にありますサンヒルズ・メモリアルガーデンに向かう途中に岩殿観音に寄り道してみました。
岩殿観音の前には、山門に続くまっすぐな道と、その両サイドに古くからの町並みが続いています。場所は、東松山市岩殿。こども動物自然公園や大東文化大学、物見山が近くにあります。
山門が見えてきました。
山門の向こう側に、まっすぐに続く石段がみえます。
仁王像のところが金網や木枠の格子ではなく一枚もののガラス(アクリル板?)になっており、仁王像をはっきりくっきりと拝見することができます。運慶作といわれている仁王像です。
山門から来た道を振り返ってみると、なかなか風情のある景色が見えました。まっすぐに続いているのがよくわかりますね。
それではさらに石段を登って進んでみようと思います。
この長い階段の左右には、紫陽花の花が広がっています。
何やら案内板と立札があります。
どうやらこの木製の立札は「制札(高札)」で、戦国時代の松山城主「上田朝直」の命が書かれており、岩殿山一帯の木や草を刈り取ることを禁じています。綺麗だからといって紫陽花を持って帰ってはいけません!
後ろを振り返ると、遠くまで続く道と町並みが良く見えました。
石段を登りきると、いよいよ岩殿観音、坂東十番霊場の岩殿山正法寺です。
正法寺は真言宗智山派の寺院で、岩殿山修善院といい、また岩殿寺ともいう。
源頼朝の命により、比企能員(ひきよしかず)が復興した古刹であり、天正二年(1574年)僧栄俊が中興開山となっている。天正十九年(1591年)徳川家康より寺領二五石の朱印地を与えられた。
観音堂は養老年間(717~724年)僧逸海(いっかい)の創立と伝えられ、正法庵と称し、鎌倉時代に坂東十番の札所となった。千手観音が祭られており、西国三十三番、坂東三十三番、秩父三十四番とセットされる札所の一つ。源頼朝の妻、政子の守本尊として信仰が厚かったといわれている。仁王門の仁王は運慶の作といわれている。
当時には、延暦10年(791年)坂上田村麻呂が桓武天皇の勅令によって奥州征伐に向かう途中、この観音堂に通夜し悪龍を退治した伝説がある。
なお、正法寺には、県指定の六面幢、県指定歴史資料の銅鐘、市指定歴史資料の鐘楼がある。
※以上、案内板より
供養塔がずらりと並んでいます。
左↓薬師堂、右↓百地蔵堂
境内にある案内板。
いよいよ観音堂に向かって進んでみたいと思います。
「埼玉県東松山市の岩殿観音に行ってきました②」に続く。