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趣味・教養」カテゴリーアーカイブ

・本の小口についたコーヒーのしみ抜き、シミ取り

2014年3月13日木曜日 雨

今朝、カバンの中に入れていたお気に入りの文庫本に・・・

なんとコーヒーのシミが!

本の小口についた「コーヒーのシミ」取り DSCN3827

ご覧のとおりです。お気に入りの「永遠の0」です。

本の小口についた「コーヒーのシミ」取り DSCN3828 本の小口についた「コーヒーのシミ」取り 永遠の0 DSCN3829 本の小口についた「コーヒーのシミ」取り 永遠の0 DSCN3830

ショックです・・・。また新しいものを買ってくればよい、とも思えますが、それは最後の手段としてとっておくとして他に何かできることはないかといろいろと調べてみると、「本のコーヒーのしみ抜き」をされている方がたくさんいることがわかりました!

 

そこでWEBの中の先生方にならい、用意した道具たち。

台所用漂白剤(まぜるな危険)、ティッシュ、綿棒、水

本の小口についた「コーヒーのシミ」取り 永遠の0 DSCN3831

様々なサイトやブログなど、書いてある記事によって多少のやり方の違いはありますが、大まかには一緒です。

①漂白剤を少しずつ患部(?)シミ部分につけ、とんとんと軽くたたき濡らしていく。

②漂白剤が行きわたったら、今度は水でとんとんと叩きひたす。

③水分を十分にとれば・・・綺麗になる!

ということですので早速実践してみます。

 

今回の場合、この「小口」という部位だというのが厄介なところです。表紙であったり、ページの中ほどであったりした場合は、被害のあった紙の枚数が少ないので手当もまた違ってくると思うのです。今回は被害のあったページの中の方までしみこんでおります。たかが一滴、されど一滴です(涙)

本の小口についた「コーヒーのシミ」取り DSCN3834

↑綿棒に漂白剤をつけ、シミを軽くたたきながらしみこませます。ティッシュの方が効率よかったかもしれません。

本の小口についた「コーヒーのシミ」取り DSCN3836

↑十分に漂白剤がしみ込んだなら、今度は水をたたき湿らせます。こちらも綿棒でやりましたが、ティッシュでダイレクトでも良かったかもしれません。被害と状況にもよるのかもしれませんね。

本の小口についた「コーヒーのシミ」取り DSCN3837

↑一応念のためトントンしてます。

本の小口についた「コーヒーのシミ」取り DSCN3838

↑こんな感じになりました。少し青っぽくなった?そうしたら、教科書によると次は乾燥になります。

が、本を汚してしまったり濡らしてしまった経験のある方ならば理解できると思うのですが、本の側面(今回のような小口や上や下)を濡らすとヨレヨレになってしまいます。

そこで

本の小口についた「コーヒーのシミ」取り DSCN3839 本の小口についた「コーヒーのシミ」取り DSCN3840

丁度良い具合に、弊社大塚は石材店なので見本の石材がたくさんあるのをいいことに重しに活用してみました。これでしばらく放置することにしてみます。しかしながら、なんともイヤ~な予感がしてきております。

そして↓乾燥終了!

本の小口についた「コーヒーのシミ」取り DSCN3842

ここだけ妙に白っぽく綺麗になってしまいました(^_^;)中の方はこんな↓感じです。

本の小口についた「コーヒーのシミ」取り DSCN3843

う~む。漂白剤を使い過ぎたのかもしれません。が、なにぶんにも初めての体験ですので加減がわかりません。初期の目的の「コーヒーシミをとる」という点では達成されております。が、もはや何だかわからないけれどここだけ部分的に白い、という不思議な状況になってしまいました。点をつけるなら50点というところでしょうか(^_^;) ※↑何の気なしに開いたページ、ラバウルで筋トレシーンを見られて二人語りするシーンですね~

本の小口についた「コーヒーのシミ」取り DSCN3841 本の小口についた「コーヒーのシミ」取り DSCN3845

まあ、良しとしましょう!50点ですが、合格点といたします!(^o^)

書籍によって用紙の色が違いますし、その薄さや斤量、水分の吸い具合などもまちまちと思います。また被害の様子によっても手当の仕方は変わってくると思います。今回はコーヒーでしたが、スミや墨汁、インクや油もの、紅茶や緑茶やジュース等々・・・いろんな場面が想定されると思います。

そこで、「これから本のシミとりをしてみよう!」という方に一言。→少しずつ、様子を見ながら慌てずにちょっとずつちょっとずつ試してみてください。やり過ぎて行きすぎてしまうと、後戻りはできません!

 

さて、今回の主犯ですが・・・

自宅で朝コーヒーを入れてきたのはこの入れ物です↓

本の小口についた「コーヒーのシミ」取り 犯人 コーヒーの入れ物 NERV水筒 DSCN3846

NERV ONLY と書いてある水筒です。カバンの中に入れるときは、さらにビニールの袋などに入れたりといった工夫をしてみようと痛感した今日この頃でした・・・。

最後にもう一度、使用前と使用後の画像で終わりにいたします。

使用前 本の小口についた「コーヒーのシミ」取り DSCN3827

使用後 本の小口についた「コーヒーのシミ」取り DSCN3841

~ ~ ~ ~ ~

さて弊社は石材店です。墓石のシミ抜きについてもお気軽にご相談、ご質問くださいませ。墓石のシミ取りは本のシミ取りほど簡単ではありませんが、専門的な道具と技術で綺麗になる場合が多いです!

 

 

・3.11 14時46分の防災無線サイレン 黙祷 

2014年3月11日火曜日 晴れ

本日は3月11日。14時46分に防災無線のサイレンが響きました。ブログ担当Tはその時間帯に桶川市にいたのですが、桶川の防災無線を耳にしたのかと思います。本社に帰ってみると、他の自治体でも防災無線のサイレンを耳にしたとのこと。

サイレンを耳にした最初は「何事?」と少しびっくりしましたが、時計をみて納得。車を停め、手を合わせて黙とうしてみました。同様に黙祷をした人も多いはず。また仕事などで黙祷できなかったとしても、黙祷できた方と気持ちは同じかと思います。

亡くなった方を偲ぶ気持ち、心は供養になります。供養はお墓などの供養塔の前や仏壇の前、お葬式や法事の場だけですることのできるものではありません。どこででも、いつでも可能なことです。

3月11日はこれから未来にわたって、震災で被害にあわれた方、罹災された方、亡くなられた方に思いを込め、今自分たちにできることは何か?そして防災の意識を高める日として毎年やってくるものと思います。

東日本大震災のあったその時、私は大塚本社の三階にいました。いつまでも止まらない長い横揺れにパソコンを片手で抑え、そして止まらない揺れにあわてて階段を駆け下りて建物の外に逃げ出しました。

その後電話が不通になってしまいましたが、復旧しだい続々と届く「灯籠が倒れた」や「大谷石の壁が倒れた」などの被害連絡と修理依頼が殺到したのを覚えています。

日本は狭い国土に多くの地震と火山と台風などの猛威が毎年どこかで発生している世界でも稀な国です。震災で被害にあわなかった地域も、日頃の防災には意識を働かせていることが大切だなと感じる一日でした。

黙祷。

 

 

・20140311 埼玉県上尾からの富士山と武甲山と大菩薩連嶺と筑波山

2014年3月11日火曜日 快晴

快晴です。ここのところはっきりと富士山を拝める日が少なくなってきているように思います。空気中の埃(pm2.5の影響もある?)や水蒸気のせいでしょうか。

それでも今日はよく見えます。本日も社屋屋上から写真を撮ってみました。

↓中央に霊峰富士

20140311 埼玉県上尾からの富士山と奥秩父と武甲山と筑波山 IMG_0226 20140311 埼玉県上尾からの富士山と奥秩父と武甲山と筑波山 IMG_0229

↓山梨県の大菩薩連嶺も綺麗に見えます。手前に見える低い山々は奥多摩湖の手前にありますので、手前の山と奥に見える大菩薩連嶺の間に奥多摩湖があることになります。

20140311 埼玉県上尾からの奥秩父 IMG_0230

↓秩父市にある武甲山もはっきりくっきりです。段々も確認できます。

20140311 埼玉県上尾からの武甲山 IMG_0231

↓画面中央奥に茨城県の筑波山があります。

20140311 埼玉県上尾からの筑波山 IMG_0235

↓筑波山は東方向になります。富士山、秩父連山、筑波山は西側なのですが、大気に差があるのかもしれません。すこしぼやけ気味です。しかもピントもあってない(^_^;)

20140311 埼玉県上尾からの筑波山 IMG_0236

今日もみなさまにとってよい一日でありますように。

 

またきれいな空や富士山を見ましたら記事にしてみます。

~ ~ ~ ~ ~

過去の富士山関連の記事

~ ~ ~ ~ ~

弊社は墓地をご案内する石材店なのですが、富士山を見ることができる霊園はとても人気。神奈川県ではメモリアルパーク藤沢都筑まどか霊園南葉山霊園など。埼玉県では、西上尾メモリアルガーデンや、さきたま霊園などが。千葉県ならメモリアルグリーン流山聖地、東京都ではメモリアルフォレスト多摩などが富士山を見ることができます。また富士山の近隣、静岡県沼津市にはメモリアルパーク花の郷墓苑あしたかもあります。

墓石に富士山の彫刻をしたり、お墓に富士山をデザインする方もいらっしゃいます。世界遺産で話題である、霊峰富士、富士山信仰もありますが、やはり富士山に心惹かれる、昔から見てきたから、何度も登山してきた、等さまざまな理由からお墓にデザインされるのでしょう。

 

お墓のことで疑問やご質問、お困りのことなどありましたら、全優石加盟の弊社大塚にお気軽にご相談ください。お墓相談員(全優石)やお墓ディレクター有資格者(石産協)など専門の知識のある者が丁寧にご対応させていただきます。

お問い合わせ、お越しの際はこちら → お墓無料相談窓口

お問い合わせ番号 0120-36-1217(代表)

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

※東京都の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

※神奈川県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

※千葉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

※静岡県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・越後湯沢駅 お酒とお米のテーマパーク「ぽんしゅ館」に行ってきた

2014年3月10日月曜日 晴れ 風が強いです

大塚本社営業のESさんからの記事です。以下本文↓

 

先月、越後湯沢へスキーに行ってきた。

帰りの新幹線を待つ間に、JR越後湯沢駅の駅舎の中に日本酒の試飲コーナーがあるというので入ってみた。ぽんしゅ館のマークは「本゜」。本の字に〇がついて、「ぽん」である。

越後湯沢駅 お酒とお米のテーマパーク「ぽんしゅ館」に行ってきた 2014-02-26 19.04.07

ぽんしゅ館の入口には、酔っ払いの等身大人形や神輿、そして名酒の酒樽などが配置されている。

DSC_1698 越後湯沢駅 お酒とお米のテーマパーク「ぽんしゅ館」に行ってきた DSC_1699 越後湯沢駅 お酒とお米のテーマパーク「ぽんしゅ館」に行ってきた DSC_1700 越後湯沢駅 お酒とお米のテーマパーク「ぽんしゅ館」に行ってきた DSC_1701

↓ぽんしゅ館のさらに奥にはまだまだ魅力的な一品を取り扱っている店棚が続いている。まさにテーマパークだ。

越後湯沢駅 お酒とお米のテーマパーク「ぽんしゅ館」に行ってきた DSC_1702 

ぽんしゅ館の店のしくみは次のようなものだ。

まず、500円でコインを5枚購入する。一緒にお猪口がついてくる。(一口で飲める程度の量が入る)

越後湯沢駅 お酒とお米のテーマパーク「ぽんしゅ館」に行ってきた コイン5枚とお猪口 2014-02-26 19.05.13 越後湯沢駅 お酒とお米のテーマパーク「ぽんしゅ館」に行ってきた 2014-02-26 19.06.51

全国の酒蔵117銘柄のお酒が試飲できるという訳だ。ただしコイン1枚で一杯しか飲めない。名だたる銘酒の中から選ぶのは大変だ。つい5杯では足りなくなり、追加してしまうのだ。

越後湯沢駅 お酒とお米のテーマパーク「ぽんしゅ館」に行ってきた DSC_1703

銘酒の一部を紹介しよう。新酒の三梅といわれる、「越乃寒梅」「峰乃白梅」「雪中梅」。他、久保田、八海山、などがある。これだけで5枚のコインは使い果たしてしまう。ついついもう5枚購う羽目になるのだ。10枚使い果たす頃には、かなり出来上がってしまい酩酊状態となる。酒好きにはたまらない。

↓写真の撮れた銘酒である。クリックすると元画像が見られるので、パソコンで大きくしてみればそれぞれの注釈やPOPのうたい文句も見ることが出来る。

越後湯沢駅 お酒とお米のテーマパーク「ぽんしゅ館」に行ってきた DSC_1705 越後湯沢駅 お酒とお米のテーマパーク「ぽんしゅ館」に行ってきた DSC_1706 越後湯沢駅 お酒とお米のテーマパーク「ぽんしゅ館」に行ってきた DSC_1709 越後湯沢駅 お酒とお米のテーマパーク「ぽんしゅ館」に行ってきた DSC_1710 越後湯沢駅 お酒とお米のテーマパーク「ぽんしゅ館」に行ってきた DSC_1711

その他、銘酒を口にする合間には90数種の様々な塩を舐めることもでき、さらにキュウリに味噌をつけてかじりながら利き酒を楽しむこともできる。

越後湯沢駅 お酒とお米のテーマパーク「ぽんしゅ館」に行ってきた DSC_1712 越後湯沢駅 お酒とお米のテーマパーク「ぽんしゅ館」に行ってきた DSC_1713

 

酒呑みのためのテーマパーク。時間を忘れてしまうわけである。

そうこうしているうちに新幹線が入ってくる時間になってしまった。随分のんでしまった。

じゃまた・・・。

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越後湯沢への一連の記事です

・上越新幹線で越後湯沢の旅

・スキーとスノボ 舞子スノーリゾートに行ってきました

・越後湯沢駅 お酒とお米のテーマパーク「ぽんしゅ館」に行ってきた

・へぎ蕎麦 中野屋湯沢本店に行ってきました

 

 

・上越新幹線で越後湯沢の旅

2014年3月9日 日曜日 曇り

先日、上越新幹線にのりましたので上越新幹線の画像を記事にしてみます。

JR大宮駅から上越新幹線ときに乗り、越後湯沢駅に行ってきました。途中から乗り合わせる仲間もいたので、各駅停車のとき号です。東京発で上野、大宮、熊谷、本庄早稲田、高崎、上毛高原、越後湯沢の順で停まります。去年はガーラ湯沢駅まで行きました。

上越新幹線 JR越後湯沢駅 新幹線ホーム DSCN3704

越後湯沢駅の新幹線ホームから見える外の積雪の具合です。

そして越後湯沢駅の新幹線。

上越新幹線 JR越後湯沢駅 新幹線ホーム とき DSCN3705

一号車に乗っていたので、後ろから撮影しました。

上越新幹線 JR越後湯沢駅 新幹線ホーム とき 2014-02-26 08.41.49 上越新幹線 JR越後湯沢駅 新幹線ホーム とき DSCN3705 上越新幹線 JR越後湯沢駅 新幹線ホーム とき DSCN3706 上越新幹線 JR越後湯沢駅 新幹線ホーム とき 赤 後 DSCN3708

車掌さんの仕事ぶりを目に焼き付けることが出来ました。

上越新幹線 JR越後湯沢駅 新幹線ホーム とき 発車 車掌 DSCN3707上越新幹線 JR越後湯沢駅 新幹線ホーム とき 赤 後 DSCN3709

JR越後湯沢駅に到着です。

駅には越後湯沢ならではの↓こんな大きなスキー板が。

JR越後湯沢駅 新幹線ホーム スキー板 DSCN3710

↑「WHITE WORLD湯沢高原」って書いてあります。真ん中に普通サイズのスキー板があるので大きさの比較ができます。でっかいです!

↓こちらは「岩原&上国」の看板広告。スキー場密集地!という雰囲気満載です。

JR越後湯沢駅 新幹線ホーム 岩原&上国 DSCN3712

越後湯沢駅のロータリーです↓しばらく降雪がなかったようで、だいぶ溶けてきているよということでしたが、関東の平野部からみれば、ずいぶんとヘビーな量に感じられました。さすが雪国です。

JR越後湯沢駅 新幹線 DSCN3711

そして越後湯沢を堪能し、帰路につくために新幹線ホームで待っていると、となりのホームに下り新潟行のMAXたにがわ号が入ってきました。

上越新幹線 たにがわ DSC_1714 上越新幹線 たにがわ DSC_1715

↑ノーズとノーズで連結されてます。チューしているみたいですね!

そうこうしているうちに自分の乗る新幹線とき号が入ってきました。

上越新幹線 JR越後湯沢駅 新幹線ホーム とき DSC_1716 上越新幹線 JR越後湯沢駅 新幹線ホーム とき DSC_1717

やっぱり間近で見ると大迫力ですね~!

ちなみに車内の自由席はこんな感じ↓やや遅めの時間ということもあり、平日ということもあってか空いてました。

上越新幹線 JR 車内 とき DSC_1718

新幹線の旅、旅行はなかなかできないのですが、今回はスキー板やスノボ板を持った乗客やスーツにコートを着たビジネス旅客などたくさんの方が利用されています特に帰りの上り新幹線は高崎からのビジネスマンがいっぱい!

また別の記事にて、越後湯沢を堪能した記事を書いてみます。本日は新幹線の写真でした~。

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越後湯沢への一連の記事です

・上越新幹線で越後湯沢の旅

・スキーとスノボ 舞子スノーリゾートに行ってきました

・越後湯沢駅 お酒とお米のテーマパーク「ぽんしゅ館」に行ってきた

・へぎ蕎麦 中野屋湯沢本店に行ってきました

 

 

・のぼうの城に登場した丸墓山古墳 さきたま古墳公園 石田堤 その②

2014年3月7日金曜日

昨日の記事、のぼうの城に登場した丸墓山古墳 さきたま古墳公園 石田堤 その① の続きになります。

石田堤 忍城 水攻 推定 地図小

前回は、弊社大塚がお墓をご案内している「さきたま霊園」すぐ近くの、埼玉県さきたま古墳公園にあります丸墓山古墳(忍城攻めの際の石田三成本陣跡)にのぼってみるべく、その足元にたどり着いたところまで書きました。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0071

さていよいよ登ってみます。頂上まで続く階段を登っていくと・・・

頂上は円形の生垣で囲まれており、桜の木が点在しています。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0074

後ろを振り返ると・・・

階段の下に伸びている砂利道が石田堤になります。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0073

やっぱりこの高さからだと武蔵野平野というものをよく感じることができます。とにかく平らですね~そんな中に点在している小山のような古墳たち。太古の昔はさぞ巨大に感じられたことでしょう。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0075

↑丸墓山古墳と忍城の案内板があります。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0077

案内板にはこうあります↓

天正十八年(1590)、豊臣秀吉の命を受けた石田三成は、総延長28km(一説には14km)の石田堤を築き、忍城を水攻めしました。丸墓山古墳は高さが19mもあり、周辺を一望できることから三成の陣が張られたと言われています。

北の利根川水系、南の荒川水系の水を流し込んでの城攻めは成功せず、豊臣秀吉が唯一落とせなかった城とも言われています。

↑以上、引用終了です。案内板によると、この方向に忍城が見えるとのこと。じっとその方向を見つめてみると・・・

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0080

お!

さきたま古墳 石田堤 石田三成陣 丸墓山古墳から見た 見える 忍城 本丸 御三階櫓 天守閣 DSC_0079

じゃじゃーん!忍城の御三階櫓が見えました。世にいう「天守閣」と呼ばれるもののカタチになっておりますが、江戸時代までの忍城には幕府への遠慮から、「天守閣は存在しない」ということになっていました。ただし、天守はなくとも隅櫓が三階建てになっており、事実上の天守の役割を担っていました。江戸時代の歴代藩主は松平氏や阿部氏など、譜代大名でありました。川越や小田原などと同様、江戸周辺の要衝として信頼のおける大名しか配置できなかったのでしょう。だからこそ余計に「幕府に遠慮して」という構図が生まれやすかったのかもしれませんねぇ。江戸幕府は「事なかれ主義」の時代でもありましたし。

小説・映画で大ヒットした「のぼうの城」、石田三成の水攻めのあった天正18年の忍城は北条方、成田氏の城ですので天守はありませんでした。なので、上記写真のような光景は石田三成はじめ上方勢の武将の大谷吉継、長束正家、真田昌幸、信繁(真田幸村)父子には全く違った光景が広がっていたはずです。↓当時の想像図(別記事より)

DSC_0046 (2) DSC_0045 (2) DSC_0042 (2) DSC_0041 (2) DSC_0048 (2) DSC_0047 (2)

↑クリックで元画像を見られます。これらの画像は近くの上越新幹線の下にある石田堤史跡公園にあったパネルです。

ちなみに、この丸墓山の上には、関東管領上杉謙信公も陣を張った過去がありました。天正2年とのことなので、三成の忍城攻めの8年前ですね。謙信公も忍城を落とすことはできませんでした。上杉謙信と忍城城主成田氏との間には、天正元年に当主成田泰の下馬打擲事件という面白い因縁のエピソードがありますのでご興味のある方は是非検索してみてください。

さてそんな丸墓山頂上、ほんとうに景色がよく見えます。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0089

↑こちらは丸墓山古墳の隣にあります、稲荷山古墳です。「ヤマタケル」金文字入りの鉄剣出土で全国的にも有名な古墳です。この画像の左上に見えているタワーがこちら↓

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0090

行田市周辺の方にはおなじみの、古代蓮の里のタワーです。近年は田んぼアートのスポットとして有名です。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0091

↑こちらは真横から古墳を眺められます。将軍塚古墳です。

景色が良いので、遠くに見える山々も写真に撮ってみました。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0082 さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0083-

↑赤城山です。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0087 さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0085-

↑栃木県の日光連山と男体山。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0093

↑栃木県佐野市の採石場かと思われます。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0094

↑わかりにくいかもしれませんが、東北自動車道の羽生ICと館林ICの間の利根川を渡る白い鉄橋が辛うじて見えます。方角的に、栃木県の佐野藤岡ICや佐野SAの近くの県南大規模公園や岩舟町の岩船山、栃木市の太平山あたりが見えていると思います。このあたりが連続して見えている山脈の一番右端になります。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0095

↑佐野市、岩舟町、栃木市方向。

では頂上も堪能できましたので、丸墓山を下りてみたいと思います。北側の斜面には一面の雪が残っていました。雪はやっぱり北側から吹き付けてきたんですね。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0096

↑山頂からみた階段と、↓階段下から見上げる丸墓山。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0098

雪景色の丸墓山というのも、とても風情を感じます。

さらに位置を変えて雪の丸墓山です。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0104

丸墓山の足元をぐるりと周る遊歩道をあるいて、丸墓山を登ったスタート地点の方に向かってみます。しかしながら、白い丸墓山もなかなか乙なものです。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0105

で、石田堤。前回の記事で丸墓山の南側の石田堤はご紹介しました。では北側は?ということで次の写真をご覧ください。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 雪 DSC_0107

 

↑こちらの写真の箇所、古墳のカタチがここだけすこし伸びているように感じられます。なんだか柵?看板の跡?もあります。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0106

↑そしてこ真後ろにはこんな土地が。写真だと分かりにくいのですが、道があったかのような形状の土地です。しかも一つ上の写真の出っ張り部分の延長線上にあたります。まさに石田堤だからこそ植林がなされていない!のかな?案内板があるとうれしいなぁと感じました。この箇所が石田堤だということについては、埼玉県立さきたま史跡の博物館のページの記述と写真で確認できました。

すぐ近くの森の中に、江戸期の石塔が並んでいました。石材店の人間としてはこういった石造りの加工品といいますか、供養塔にはとても興味が惹かれてしまいます。

さきたま古墳公園 DSC_0108 さきたま古墳公園 DSC_0109 さきたま古墳公園 DSC_0110

さて、帰り道です。全体地図と丸墓山古墳の位置関係を再度確認してみます。地図にも石田堤と書いてありますね。

さきたま古墳公園 DSC_0111 さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0112

駐車場に戻り、最後に行田市近隣の観光案内地図が二種類ありました↓クリックすると元画像が見られますので大きくしてみることができます。

さきたま古墳公園 DSC_0114 さきたま古墳公園 DSC_0116

この、さきたま古墳公園のすぐ近くの交差点脇にはこんな看板があります。

さきたま古墳公園 さきたま霊園 DSC_0117 さきたま古墳公園 さきたま霊園 DSC_0119

↑そきたま古墳のごく近所の、行田市の斎場に向かうT字路にあります。さきたま霊園です。弊社大塚がお墓をご案内している霊園になります。とってもきれいな霊園なんですよ!もちろん名前はここ「さきたま古墳」にあやかりました。お墓参りの行き帰りに公園散歩やお花見ができてしまう魅力的な霊園です。

↓近隣の方はわかると思いますが、この辺り一帯は本当に真っ平らな土地なんです。

さきたま古墳公園 周辺は平地 DSC_0120

こんな凹凸のない土地に石田堤という堤防をつくって水攻めを考えてしまうなんて、豊臣秀吉はすごいですね~。そして失敗はしたものの実行に移し堤防を完成させた石田三成もなかなかのものです。

帰り道の途中には、大雪でこわれてしまったビニールハウスも。たかが雪とは言い切れない、甚大な災害ですね。

さきたま古墳公園 雪で壊れてしまったビニルハウス DSC_0121

そして最後にこちらの交差点にご注目を。古墳のすぐ近くの交差点です。

さきたま古墳公園 埼玉交差点 DSC_0122

そう、埼玉の名前の由来となった「埼玉(さきたま)」という土地なんです。その名前を持った交差点。

さきたま古墳公園 埼玉交差点 DSC_0123-

今回の記事はここまで。また関連の記事を書きましたらよろしくお願いいたします。

————

参照記事 石田堤についての以前の記事

のぼうの城に登場した丸墓山古墳 さきたま古墳公園 石田堤 その①

のぼうの城に登場した土堤、石田堤に行ってきました

忍城水攻 石田堤 行田市 鷺栖神社

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・のぼうの城に登場した丸墓山古墳 さきたま古墳公園 石田堤 その①

2014年3月6日 木曜日 晴れ

本日は、弊社大塚がお墓をご案内している「さきたま霊園」すぐ近くの、埼玉県さきたま古墳公園にあります丸墓山古墳に先日行ってきましたので写真とあわせてご紹介いたします。

さきたま古墳公園は9基の大型古墳が集中する東日本最大の古墳群として有名なのですが、特にその中でも円墳としては日本で一番大きな「丸墓山古墳」や、稲荷山古墳から出土した鉄剣の金文字に「ワカタケル」の文字が発見されたことで日本中に名前がとどろいた古墳群でもあります。国の史跡指定を受けており、「さきたま風土記の丘」として整備されています。また近年は世界遺産登録にむけての取り組みもなされているようで、大きな看板なども見られます。

今回は、この古墳群のうちの丸墓山古墳を目的に訪問してきたのですが、趣旨としては、小説・映画の「のぼうの城」に登場した石田三成が本陣を構えた丸墓山古墳とはどういった場所なのか?行田市を中心に残る、水攻めに用いられた土手である「石田堤」が丸墓山古墳にどのように残っているのか?を目で確認してきました。

石田堤 忍城 水攻 推定 さきたま古墳公園 丸墓山古墳

(石田堤についての以前の記事→ のぼうの城に登場した土堤、石田堤に行ってきました 、 忍城水攻 石田堤 行田市 鷺栖神社 

 

それでは早速公園駐車場よりスタートです。画像はそれぞれクリックすると大きく表示されます。

さきたま古墳公園 DSC_0030 さきたま古墳公園 DSC_0031 公園全体の地図がありました。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0032 ここが今回の目的地の丸墓山古墳。

さきたま古墳公園 DSC_0033 さきたま古墳公園 DSC_0034

さすが国の史跡、県の公園というだけあって、表示板や案内板がたくさんあります。また公園内というか公園隣接地というか、公園ではないエリアとも入り組んでおりまして、公園隣接の場所にはこのような掲示物もみられました↓

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0035 さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 さきたま古墳公園 DSC_0039

行田見処案内所、休処、古墳亭さんの壁面に、のぼうの城のポスターと手書きの説明書が掲示されてます。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0038 

このように書かれています↓

壮絶なる戦国ドラマ“のぼうの城”11月2日全国公開

時は西暦1590年(天正18年)西国を制した豊臣秀吉は関東責めに入ります 狙うは関東の巨城小田原城 16万の大軍にて小田原城を包囲した秀吉は 最も信頼できる配下 石田三成に命じます 「この際 小田原方に味方するすべての城をつぶせ」 三成は2万の軍を引きつれ 館林城 羽生城など次々に制圧 残るはこの地の忍城のみ この時 三成の軍勢は2万3000 忍城方は城主成田氏長が500の群を従え小田原城の守りに出ていたため 成田長親(のぼう様)始め 正木丹波 柴崎和泉守 坂巻靱負 城主氏長の娘甲斐姫等軍勢わずか500なり 三成の軍使 長束正家が和戦開城を迫る中 忍城方総大将城代成田長親は「戦いまする」と言う 2万3000対500 壮絶な戦いが始まります しかし三成軍は忍城を落とすことはできなかった 天下人と呼ばれた秀吉が日本で唯一落城させることが出きなかった城がこの行田にあったのです

追伸 のぼうとは 木偶の坊(でくのぼう)そこにいるだけでまったく役に立たない人のことの略

↑以上、引用しました。

こちらの古墳亭さんは目の前に大きな古墳がある場所にあります。

さきたま古墳公園 DSC_0040

大きな堀をめぐらせた、二子山古墳です。はい、大雪のあとに行きました。普段は歩きやすい場所も雪がたんまりと残っていて、とてもではありませんが二子山古墳にはたどり着ける自信がありませんでした(^_^;)

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さらにその左の方には、↓将軍山古墳が見えています。

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↑よくみると古墳の左奥に「古代蓮の里」のタワーが見えました。(画像クリックで元画像を見ることが出来ます)

途中にはこのような銅像も↓

さきたま古墳公園 DSC_0049

「一源三流」とあります。柔道家吉川栄氏の銅像で、氏同様に柔道着を着た少年が寄り添っており、少年に行く先を指示しているカタチになっているように見受けられました。

さて、丸墓山までもう少しです。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0052 さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0053

↑丸墓山が見えてきたのですが、その時の足元はというと右の画像です。まだ10cmは雪の層がある感じで、ザクザクと歩いてきました。

そしてやっとの思いで石田堤にたどり着きました。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0057

年代物の看板があります。↑の地図の右上の丸いところが丸墓山古墳。丸墓山を横断する道の左側が石田堤です。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0054

正面の並木奥に見えているのが丸墓山古墳。そしてそこに続くこの道が「石田堤」です。400年の時間とともに、一時的な土手であった石田堤も数えるくらいしか現存しておりません。そんな中の貴重な一部です。きっと「のぼうの城」のヒットのおかげでここを訪問する人も増えたのではないでしょうか?

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0055 さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0056 さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0059 クリックで元画像

法面わかりますでしょうか?斜面の下側は蓮の田になっています。高低差1メートルから1.5mくらいに見受けられます。今では、丸墓山古墳への参道、メインストリートとして桜並木になっています。↑の右の写真に石田堤についての案内板があります。道の足元にごくさりげなく・・・という感じです。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0060

石田堤 この一段高い桜並木は、天正18年(1590)に豊臣秀吉の命を受けた石田三成が、忍城を水攻めした際の堤の一部です。長さ28km(一説には14km)に及ぶ堤をわずか5日間で築き、利根川と荒川の水を流入させたと言われています。三成の陣は丸墓山古墳の頂上に張られました。

このあとも公園内を歩いたのですが、石田堤についての案内板はここの一つだけでした。しかも足元にさりげなくなので、気が付かずに通り過ぎてしまいそうです。見学に来られる際は見落とさないようにお気を付け下さい。

さらに進みますと、桜並木がおわり、目の前に丸墓山古墳が待ち構えています。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0062

今は冬で、しかも数日前に雪が降ったばかりなので混雑してはしませんが、ここは桜の名所としても有名で、丸墓山古墳の頂上にある桜の木も満開時にはとても綺麗なんです。お花見の季節にはとても大賑わいの公園なんです。以下四点花見シーン(2009年4月の写真です)。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 花見 DSC_0063 (2) さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 花見 DSC_0017 さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 花見 DSC_0014 さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 花見 DSC_0005

まるで別世界ですね!

丸墓山を登る手前に案内板がありました。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0063 さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0064 さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0065 さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0066

クリックしますと大きな写真で見ることができます。この案内板にも石田堤の説明がありました!↓

丸墓山古墳 直径105mあり円墳では日本最大です。墳丘は埼玉古墳群の中で一番高く、約19mあります。墳丘に使われた土の量は二子山古墳より多かったという試算もあります。出土した埴輪から、6世紀前半ころに築かれたと推定されています。埋葬施設の内容は、現在のところ確認されていません。

南側から古墳にいたる道は、1590年に石田三成が忍城を水攻めにした時に築いた堤防の跡といわれている「石田堤」です。水攻めの際には、古墳の頂上に陣が張られました。

平成19年(2007年) 埼玉県教育委員会

↑以上、引用しました。

丸墓山に上る階段の脇に案内板があるのですが、この階段手前あたりからは右手に稲荷山古墳もよく見ることができます↓

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0072

↑手前の柵で囲われているのが丸墓山古墳の足元にあたります。雪が積もっているのは北西斜面。南側には雪は積もっていません。写真で見えている広い土地にも、忍城攻めの際には陣幕や陣小屋、兵の詰所があったと思うとワクワクしてしまいます。もっともそもそも古墳群なので、古代ファンにはすべてがワクワクの大将なんでしょうけれども、本日の趣旨はあくまで「石田堤」と「石田三成陣所跡」なので、ごめんなさい。

さて、いよいよ丸墓山古墳、上方勢の一手の大将、石田治部少輔三成陣跡に(攻め)上ってみようと思います!

はたしてどんな景色が拝めるのか?請うご期待。

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のぼうの城に登場した丸墓山古墳 さきたま古墳公園 石田堤 その② につづく)

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・お彼岸法要

お彼岸法要

 

● 彼岸法要のはじまり

 日本で最初に彼岸法要(讃仏会)が行なわれたのは今から約1200年前のことで、諸国にあった国分寺の僧侶が春と秋の2回、中日を挟んで前後3日間の計7日間にわたり仏を讃えお経をあげたと伝えられています。それからしだいに一般の人にも、お彼岸の法要として供養することが広まっていきました。

 

● お彼岸とは?

彼岸という言い方は「到彼岸」を略したものです。これはインドのサンスクリット語の「パーラミター」(波羅蜜多)を訳した言葉で、文字通り彼岸へ到達するという意味です。
彼岸とは悟りの世界を意味し、迷いや苦悩に満ちたこちら側の岸(此の岸)に対して、あちら側の岸(彼の岸)、つまり極楽浄土のことを指しているのです。では、私たちはどうしたら極楽浄土へ渡れるのでしょうか?
仏教には六波羅蜜の教えというのがあります。
  1.「布施(ふせ)」 他人へ施しをすること
  2.「持戒(じかい)」 戒を守り、反省すること
  3.「忍辱(にんにく)」 不平不満を言わず耐え忍ぶこと
  4.「精進(しょうじん)」 精進努力すること
  5.「禅定(ぜんじょう)」 心を安定させること
  6.「智慧(ちえ)」 真実を見る智慧を働かせること
こうした徳目は本来なら毎日心がけるべきです。でも、日頃は忙しくなかなか実行できないのではないでしょうか。そこで、せめて春と秋、年2回くらいは実行しよう、というのがお彼岸法要の意味です。
お彼岸には、ご先祖様のお墓にお参りし感謝と冥福を祈るとともに、六波羅蜜の教えを実行しましょう。

 

● お彼岸のご供養

お彼岸にはできるだけ家族そろってお墓参りをしましょう。お墓参りに特別の作法はありません。気持ちを込めて墓石をきれいに洗い、お墓の周囲も掃除して花や線香をたむけ、お菓子などもお供えします。そして、合掌礼拝の前に水桶からたっぷりと水をすくい、墓石の上からかけます。
水をかけるのもお布施の一つです。
また、家庭では仏壇を掃除し、新しい花、牡丹餅・おはぎ、お彼岸団子などをお供えします。
***お墓参りに用意しておくとよいもの***
数珠・線香・ローソク・マッチ・花・菓子・果物・半紙・水桶
たわし・ほうき・雑巾など

お墓参り1 お墓参り2

 

● 彼岸会のお寺の行事

お寺では「彼岸会」の法要がお彼岸の期間に営まれます。読経や法話などが行なわれますので、お墓参りの折にはお寺の彼岸会にも参加してご供養をお願いしましょう。
時間がない場合でも、本堂のご本尊へのお参りとご住職への挨拶は欠かさないようにしたいものです。

 

● 夕日を拝めば浄土を拝む?

お彼岸は年2回、春分の日と秋分の日を中日として営まれます。中日には太陽が真東から昇り、真西に沈みます。そこから、この日に夕日を拝むということは、西方にある浄土(西方浄土)に向かって拝むことになると言われています。そこで中日に夕日を拝むと特に功徳があると考えられているのです。

夕焼け富士山 20131129 DSC_0006 

 

● 春のぼたもち・秋のおはぎ

「ぼたもち」と「おはぎ」は、お彼岸のお供えに欠かせないものです。
両方とも、蒸したもち米とあんこの同じ素材でつくられる食べ物ですが、季節の花になぞらえて、春は「牡丹餅」秋は「お萩」と言います。
日本には四季があります。季節感も一緒に味わいながら牡丹餅やお萩をいただきましょう。

おはぎ牡丹餅

 

(鎌倉新書 2分でわかる仏事の知識 より抜粋)

 

より詳しくは、下記問い合わせまでお気軽にご相談・ご質問ください。お墓ディレクター有資格者(石産協)やお墓相談員(全優石)など専門の知識のある者が丁寧にご対応させていただきます。

お問い合わせ、お越しの際はこちら → お墓無料相談窓口

お問い合わせ番号 0120-36-1217(代表)

 

 

・歌手デビュー? 大塚横浜支社営業担当のNHさんの話です

2014年3月4日火曜日 晴れ

今日は、大塚横浜支社営業担当のNHさんの話です。

昨年暮れ、神奈川県厚木市のケーブルテレビの番組にて、横浜支社営業担当のNHさんが見事グランドチャンピオンに輝きました!

ご家族ご友人の声援を受け、各月チャンピオンの強豪が集まる中、日頃の猛特訓の成果によっていかんなく実力を発揮し、栄光を手に入れました。

審査員の方々の中にはキングレコードのプロデューサー等もいらっしゃっていたとのことなので、もしかしたらもしかして・・・??

 

カラオケ大会11月度大会で優勝したシーンと、12月にグランドチャンピオンを受賞したシーンの動画をアップいたしました。それでは、以下↓歌声を聞いてみてください。

 

↓11月の模様です http://youtu.be/0-eQvevYjPw

 

↓12月グランドチャンピオン大会 http://youtu.be/L256UAG1Fxw

 

神奈川県や町田などの霊園をご見学されると、ひょっとしたらNHさんに会えるかもしれません?!

 
※神奈川県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・ホワイトデーの秘密 誕生秘話 発祥

2014年3月2日 日曜日 小雨

いよいよ三月になりました。明日は三月三日のひな祭りでもう少しするとホワイトデーがやってきます。弊社大塚の社内でも、「ホワイトデーのお返しを何にしよう?」と軽く頭を抱えている人もいたりします。同じように「お返しは何にしよう?」と悩んでいたりする人も少なからずいらっしゃるのではないでしょうか。

そういえば、私が小さい頃はホワイトデーのお返しは「キャンデー」とか「マシュマロ」とか言いました。最近の流行では、飴やマシュマロ、クッキーなど従来型のお返しのプレゼンにこだわらずに、カップケーキなどミニスイーツの詰め合わせ、はたまた本命チョコならぬ本命ホワイトデーということで、貴金属などのある程度気合を入れたプレゼントなどもやりとりなされているようですね。もういっそクリスマスや誕生日のように、渡して喜ばれるプレゼントのほうがよいのかな?というある程度高額路線もあるようですが、世にいう義理チョコには、あまりヘビーではない食べ物で、ということにもなるのかと思います。

もらったバレンタインのレベルに合わせるのか、自身の気合いを込めるのか、手作り等のプライスレスにはプライスレスなお返しにするのか、ケースバイケースなんでしょうね~。

 

と、ここまで書いて私ブログ担当Tに疑問がわいてきました。「ホワイトデーってそもそも何の日なの?」

そこでウィキペディアさんはじめいくつかのサイトを見てみました。

●日にちについて・・・そもそもバレンタインデーの2/14というのは、古代ローマにて婚姻を禁止されていた兵士に婚姻を執り行ったという咎にて聖ウァレンティヌスが殉職(処刑)された日だそうです。そしてその一か月後、件の兵士と相手の二人であらためて結婚をかわしたのが3/14と言われており、そこからちなんで定められたようです。

●発祥について・・・ホワイトデーというのは欧米にはありません。日本発祥になります。

東京では1973年(昭和48年)にエイワが不二家と協力し、“ホワイトには「幸福を呼ぶ」「縁起が良い」という意味がある”ということで、バレンタインデーの1ヶ月後をホワイトデーを設定したとの新聞記事がある(読売新聞)(ウィキペディアより) ただし、不二家さんのサイトによると1968年に開始とありました→不二家の歴史

全国飴菓子工業協同組合(全飴協)は1980年(昭和55年)からホワイトデーをスタートし、3月14日に定めた理由を、269年2月14日、兵士の自由結婚禁止政策に背いて結婚しようとした男女を救うためにウァレンティヌス司祭は殉教したが、その1ヶ月後の3月14日、その2人が改めて永遠の愛を誓い合ったと言われていることに由来するとしている。全飴協はその後、ホワイトデーをキャンディの日に変えた。(こちらもウィキペディアより) 全国飴菓子工業協同組合さんのホワイトデー公式ページにあります、ホワイトデー誕生秘話もとても興味深いです。

銘菓「鶴乃子」で知られる福岡市の老舗菓子屋「石村萬盛堂」が、1978年(昭和53年)、この日にバレンタインチョコのお返しとして「君からもらったチョコレートを僕の優しさ(マシュマロ)で包んでお返しするよ」とチョコマシュマロを「マシュマロデー」として売り出し、その後、クッキーやキャンディなどをこの日に発売する菓子店が続出し、全国に普及したとの説の方が最有力である。(こちらもウィキペディアより) 石村萬盛堂さんのサイトにもホワイトデー誕生秘話がありました。興味は尽きません。

と諸説あるようですが、1980年代前半には定着、普及してきたようです。上記のようにホワイトデーと言えばキャンディー、マシュマロ、また洋菓子というのもうなずけるかと思います。

ちなみに 日本の影響で、韓国、台湾、中国の一部でもホワイトデーが行われている。中国語では「白色情人節」と表記する。台湾での贈り物は様々である。(ウィキペディアより) ということですが、日本型の「好きな人にチョコを渡す」というバレンタインデーも同様に東アジアの一部で定着しているそうです。この「チョコを渡す」という習慣も日本で生まれたもの。欧米キリスト教圏では、大切な人にプレゼントをする日とされているようで、男性女性どちらかから一方通行の日ではないため「お返しの日」が特に生まれなかったようです。

ちょっとホワイトデーについて詳しくなりました(^○^)

 

ところで、三月と言えば卒業式やお花見、そしてお彼岸もやってくる月です。我々霊園・石材・墓石を案内している企業的には「彼岸月」とも呼んでいます。恋する人へのプレゼントのみならず、大切な人へのプレゼントということでお彼岸には是非お墓参りしてみてはいかがでしょうか?今年2014年の彼岸の入りは3/18で、中日(春分の日)は3/21、彼岸明けは3/24となっており一週間あります。ホワイトデー同様日本の文化であるお彼岸、ぜひ大切な人を想う日にしてみてください。

 

 

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