2015年9月29日 火曜日 晴れ
こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置く石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。
先日、上尾市五番町の第二産業道路沿いにあります相頓寺さまに行ってきました。その際「徳本行者六字名号供養塔」を拝見することができました。(同上尾市内の馬蹄寺さまにある徳本行者六字名号供養塔の記事はこちら)
山門に向かって左手、相頓寺さまの文化財の表示の柱が複数立てられていますが、その中の一つに「上尾市指定有形民俗文化財 徳本行者六字名号供養塔」がありました。
さて山門を通り、すぐに目に入ってくるのは御本堂。
その左手奥、墓域の手前に徳本行者六字名号はあります。
↑左の石塔です。
独特の書体が刻まれているのがわかります。
南無阿弥陀仏と刻まれています。
上尾市指定有形民俗文化財
相頓寺徳本行者六字名号供養塔
上尾市五番町14-2 相頓寺 平成23年3月22日
徳本行者は、宝暦8(1758)年紀州日高郡に生まれ、天明6(1784)年に出家し、近畿・関東・相模・信濃・飛騨・越中・越後・加賀及び江戸等各地を巡り、昼夜不断の念仏や苦行を行い、念仏聖として知られていた。文化11(1814)年、小石川に一行院が再興された際、中興開山となった。一行院では、庶民に十念を授けるなど教化につとめたが、特に大奥の女中衆で帰依する者が多かったという。文政元(1818)年10月6日示寂、享年61歳であった。
その平易な念仏信仰は、広く受け入れられ各地に講が結ばれその筆跡の六字名号を刻んだ供養塔が各地に造立されている。
角柱の正面には、徳本独特の書体で「南無阿弥陀仏」と六字名号を大書し、脇に「徳本(花押)」とある。
台石正面に講中とあることから、念仏講を結んで造立したものであり、右側面の紀年銘は、造立銘ではなく徳本行者の寂年を示している。したがって、供養塔の造立は、それ以降とみることができる。
上尾市内に徳本行者の供養塔は三基残っており、それぞれの地域の信仰の様相を知ることができる貴重な文化財といえる。
平成25年3月26日 上尾市教育委員会
※以上、案内板より引用いたしました。
拡大してみましょう。独特な書体がはっきりと確認できます。
丸みを帯びていて、且つ親しみやすく柔らかさと温かさを感じられるように思えます。
時には江戸時代の習俗に思いを馳せるのも悪くはありません。
四季折々の表情豊かな境内と、古の文化をとどめる相頓寺さま。おすすめのお寺さまです。