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年別アーカイブ: 2014年

・夏休みに山奥でキャンプ

2014年8月10日 日曜日 雨

こんにちは。埼玉を中心に、東京、神奈川、千葉、群馬、静岡にて墓地と霊園をご案内し、墓石の製造加工と据付施工をしております石材店の株式会社大塚のブログです。

本日は大塚本社の営業FHさんからの記事になります。以下本文↓

 

先日、夏休みをいただき合宿に行ってきました。

小6の息子と二人きり、山奥でのキャンプです。

初めて釣りをした息子でしたが、いきなりヤマメを釣り上げました。

夏休みに山奥でキャンプ2014-08-02 09.41.00釣り 夏休みに山奥でキャンプdownloadfile-7やまめ

昼間は釣りやトレッキングなど、夜は焚火をして色々と話をしました。

不便なことも多々ありましたが、あっという間の6日間でした。

夏休みに山奥でキャンプdownloadfile 夏休みに山奥でキャンプdownloadfile-6焚火

おそらく今後、二人でこれだけの時間を一緒に過ごすことはもう無いと
思います。

休みの期間、会社の仲間にフォローをしていただき、貴重な時間を過ごす
ことが出来ました。

 

・埼玉県桶川市 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡(桶川飛行学校)に行ってきました②

2014年8月9日土曜日

こんにちは。東京、神奈川、千葉、埼玉、群馬、静岡にて墓地と霊園をご紹介し、墓石の製造加工と墓地施工をしております石材店の株式会社大塚のブログです。

本日は、69回目の長崎原爆忌です。先日広島原爆忌の9日に記事にしました「埼玉県桶川市 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡(桶川飛行学校)に行ってきました①」の続きになります。原子爆弾投下とは直接の関係はありませんが、先の大戦での悲劇を振り返り、亡くなられた多くの方に手をあわせるということは、供養産業の中にいる石材店の大塚としてもとても大切なことと考えています。

 

さて、前回は埼玉県桶川市にあります、熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡(桶川飛行学校)に行ってきました際の、建物など外回りの写真と様子をご紹介いたしました。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0067 本部兵舎 宿舎 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0140 本部兵舎 宿舎入口

資料などたくさん展示されている、兵舎内部の様子を今日はご紹介してみます。

上記右側の写真に写っています、兵舎入口から「案内」がスタートします。「案内」というのは、ボランティアにて旧陸軍桶川飛行学校を語り継ぐ会の方々がこの施設と掲示物、背景と歴史とこの飛行学校での訓練生のみなさんの日常の様子や数多の手記、遺書、写真を紹介、説明してくれるのです。

この「案内」というボランティアの方のお話が宝の山でした。行ったときに案内しれくれたのは、終戦時に小学生であったというAさん。訓練機による飛行訓練の様子などを眺めていたという方。もちろん地元の方です。

そしてAさんより「これを見ればここがどういったところか、歴史や趣旨がよくわかると思いますので、お時間が大丈夫ならまず見てみてください」と映像を見せてもらうことになりました。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0068 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0069

当時を知る方々の貴重なお話や写真がとてもわかりやすくまとめられています。 この映像はDVDとしても販売されているようですが、たまたまこの日は品切れだったようで、後日あらためて求めに行こうと思います。(人気みたいですね)

この映像を見せていただいた部屋、実は訓練生の宿舎だった部屋になります。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0100

傍らには様々なものがさりげなく配置されているのですが、「さりげない」ながらもどれも実は大変貴重なものばかり。

↓こちらの二点は

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0080 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0168 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0171

エンジンの付け根部分と、尾翼の付け根部分なのです。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0167車輪

そして車輪。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0170 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0169

練習機とはいえ、立派な軍用機です。多くの残っていた機体は進駐軍によって破壊処分されたそうですが、奇跡的に残されていたようです。

↓こちらは陸上攻撃機の先端部分。近在の農家の方が拾われ、先端をつぶして鍋にしようとしたところ、うまく鍋にできなかったため納屋にしまっていたという一品です。納屋に置かれていたため今日まで保存されていたというわけです。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0175

↓こちらは当時の寝台を再現したものだそうです。当然ですが、ベッドだったんですね。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0087 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0088

↓千人針とラッパです。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0083 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0085

↓軍用行李と、飛行学生の備品を置く棚です。軍ですので、置き方にも細かな決まりがあったようです。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0086軍用行李 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0082

↓こちらは鉄兜(ヘルメット)と陶器製の地雷など。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0093鉄兜 陶器製手榴弾 陶器製地雷 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0173鉄兜

↓ちいさなものが陶器製の手榴弾。大きなものが陶器製の地雷です。陶器製というところに当時の日本の物資状況をうかがうことができます。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0174陶器製手榴弾 陶器製地雷

↓左のものが軍用電話。右の実弾はサイズを測り忘れてきてしまいましたが、かなりの大きさの機関砲の実弾でしょうか。ずっしりととても重かったです。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0094鉄兜 陶器製手榴弾 陶器製地雷 軍用電話 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0095機関砲の実弾?大きい

 

「飛行学校」の直接関係のあるものでなくとも、貴重な戦争関連のものの保存目的であつめられているとのこと。「お祖父さんの手記などありましたら、どんなものでもよいのでコピーをもらえませんか」と依頼されましたので、今度実家で探してみようと思いました。

それでは掲示されているものを見ていってみましょう。

95式1型乙練習機。川田谷桶川飛行場でこの飛行機で日々訓練されたそうです。通称「赤トンボ」だそうです。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0090

↓まっすぐな川が荒川。右の曲がりくねった川が旧荒川。旧荒川の近くにあるのが格納庫。格納庫は、現在のホンダ航空の建物の近くですね。画像の飛行機の左下にある森が桶川市の泉福寺さま(弊社大塚がいつもおせわになっています)

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0091

ここから特攻に立たれた方々のたどったルートだそうです。昭和20年4月5日にこの地をはなれ、鹿児島の知覧から4/16と4/22に出撃されたそうです。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0092

戦争遺跡保存についての署名のお願い。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0103

平成21年3月12日、14,334名の方が署名されたそうです。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0104

そして、国有地が桶川市有地になったそうです。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0138

この宿舎内の棚についての説明がありました。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0105 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0106

宿舎の様子だそうです。ずらりと寝台が並んでいたのですね。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0107

終戦時の陸軍飛行場。こんなにたくさんあったのにもかかわらず、兵舎が現存しているのはここのみ。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0108

戦闘機や攻撃機、爆撃機の模型も時々展示されています。寄贈されたものだそうです。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0110 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0096 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0118

兵舎内は、いくつもの部屋に分かれており様々な読み物などが掲示されています。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0111 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0112 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0114 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0115 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0117 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0139

荒鷲の碑があり、千羽鶴なども手向けられています。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0157

↑当時の写真もたくさん見ることができます。↑練習機の向こう側に見えている森は桶川市の泉福寺さまの森になります。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0158 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0160 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0161 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0163 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0162 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0164

特別攻撃隊第79振武隊と、第23振武隊。99式高等練習機で出撃されたそうです。

特攻に出られた五井中佐のお墓は桶川市の浄念寺さまにあるそうです。(こちらも大塚がいつもお世話になっているお寺様です)

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0165 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0166

近隣の航空写真です。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0098

↓こちらが古い航空写真。上記写真と向きが逆です。練習機の飛行コースが矢印で示されてます。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0099

兵舎の入口や廊下にも掲示物があります。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0135 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0137

そして、旧陸軍桶川飛行学校についての説明板です。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0136

熊谷陸軍飛行学校桶川分教場(桶川飛行学校)は昭和12年6月に開校しました。中央に営庭を配置し、守衛所、事務所、食堂、風呂棟、宿舎、下士官棟、車庫、講堂など10棟以上の建物で構成されていました。滑走路は現在のホンダ航空の滑走路とほぼ同じ位置にあり、川島町側堤防脇に格納庫と現地事務所がありました。

他の兵科から航空兵を志願してきた召集下士官、少年飛行兵、特別操縦見習士官など、推定1500から1600名の航空兵の操縦基礎教育を行いましたが、昭和20年2月以降は特攻隊訓練基地として使用され、同年4月5日、陸軍初の練習機による特攻と言われる第79振武特別攻撃隊12名が九州知覧基地に向け出発しています。

戦後、建物の内部を改造し大陸からの引揚者などの住宅として使用されましたが、現在守衛所、宿舎、下士官棟、車庫、便所が残っています。

平成20年10月   旧陸軍桶川飛行学校を語り継ぐ会

以上、引用させていただきました。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0121

廊下は当時の空気がそのままに残されているように感じられます。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0119 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0102

廊下の向こうから、航空力学を、操縦訓練を学んだ若者が走ってきそうな気がしてしまいます。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0134 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0101

昭和12年6月に開設された分教場です。終戦が20年ですので、8年間しか学校としては機能できませんでした。ということは、当時は真新しい学校であったのでしょう。現在は焦げ茶色に時間の経過を刻んでいます。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0075

今年は終戦69年目です。当時はこの兵舎のガラス窓からはどのような景色が見えたのでしょうか。

最後に、案内係のAさんが何度も言われたのですが、旧陸軍桶川飛行学校を語り継ぐ会は悲劇を繰り返さないよう平和を願う会だということ。決して戦争賛美が趣旨ではないと言われました。

平和を願い、当時何があったのかを知る施設として、とても大切な戦時遺跡です。これからも大切に残されていくことと、戦時に亡くなられたみなさんを偲び、供養の心をもってこの夏も過ごそうと思います。

 

埼玉県桶川市 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡(桶川飛行学校)に行ってきました① も合わせてご覧ください。

 

 

・埼玉県上尾市 遍照院のご紹介

2014年8月8日金曜日 曇り時々雨

こんにちは。墓地をご案内し、墓石の製造加工と据付施工をしております石材店の大塚のブログです。

昨日、大塚本社からほど近い上尾市上町にあります、弊社がいつも大変お世話になっている遍照院さまをご紹介いたします。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0049 埼玉県上尾市 遍照院DSC_0051 山門 

JR上尾駅東口からすぐです。上尾駅東口ロータリーからすぐの県道164号の中山道を越えて間もなく見えてきます。

山門ごしに見える、鐘楼や薬師堂、そして大きな屋根の本堂がとても美しいお寺です。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0053 山門 埼玉県上尾市 遍照院DSC_0056山号

山門の前には、左右にお地蔵様がいらっしゃいます。合わせて植栽のきれいな庭を楽しむこともできます。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0054お地蔵様と灯篭 埼玉県上尾市 遍照院DSC_0052お地蔵様と無縁塔

山門をくぐってみましょう。松の木越しに見えてくる本堂がとても美しいです。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0058本堂

左手には、藤棚と鐘楼が。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0057藤棚と鐘楼

藤の季節には、とってもきれいな藤の花を見ることができたんですよ!(その時の記事はこちら)

20140423埼玉県上尾市 遍照院の藤DSCF44051

そんな藤棚、よく見てみると、藤の実がなってます!そしてセミの抜け殻も見られました。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0094藤棚と藤の実 埼玉県上尾市 遍照院DSC_0095-藤棚とセミの抜け殻

角度を変えて鐘楼を見てみます。山門と松の木と鐘楼です。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0066山門と鐘楼と藤棚と桔梗

おや、松の木の足元には・・・

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0067桔梗 埼玉県上尾市 遍照院DSC_0069桔梗

薄紫色のかわいらしい桔梗の花が咲いてます!

鐘楼の反対側を見てみましょう。

薬師堂が目に入ってきます。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0059薬師堂

地蔵菩薩さまの足元にはたくさんのぬいぐるみや人形がいます。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0060お地蔵様

手水舎です。身を清めましょう。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0061水屋

手水の作法が書かれていました。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0062手水の作法

せっかくですので引用してみます。

手水の作法

先 柄杓を右手で持ち水をくむ。※この一杯で全ての過程を行う。
次 左手を洗う。
次 柄杓を左手を持ち替えて右の手を洗う。
次 柄杓を再び右手に持ち替え左の手に水を受けて口をすすぐ。※柄杓に口をつけてはいけません。
次 左の手を洗う。
次 柄杓の柄(持ち手)を下にして傾け残った水で柄(持ち手)を洗う。
次 柄杓を元の位置に伏せて置く。

身代わり拭い不動さまがいらっしゃいます。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0063身代わり拭い不動 童不動水かけ願い 埼玉県上尾市 遍照院DSC_0065身代わり拭い不動 童不動水かけ願い

本堂が近づいて来ました。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0071本堂

本堂に向かって右側にいらっしゃるのが弘法大師さま。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0075本堂と弘法大師

左側にいらっしゃるのが興教大師さま。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0072本堂と興教大師

弘法大師さまのさらに右側には、水辺があります。中央には観音様がいらっしゃいます。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0080観音様 埼玉県上尾市 遍照院DSC_0091観音様と池

水辺をよくみてみると、メダカがたくさん泳いでいるのが見えました。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0081池 埼玉県上尾市 遍照院DSC_0082池のめだか

いよいよご本堂です。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0086本堂

ご本尊は南無大聖不動明王さま。ひだりがわにはご真言の「のうまくさまんだ ばさらだんせんだ まかろしゃだ そわたやうんたらたかんまん」と書かれてます。

ご本尊に手を合わせ。

美しい彫刻についつい目がいってしまいます。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0087本堂の彫刻 埼玉県上尾市 遍照院DSC_0088本堂の彫刻 埼玉県上尾市 遍照院DSC_0089本堂の彫刻 埼玉県上尾市 遍照院DSC_0090本堂の彫刻

御本堂をあとにいたします。

大きな供養塔が並んでいる場所の向こう側には墓域が広がっています。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0092供養塔

遍照院の墓地は、そもそも駅近くの市街地中心部にあるということもあってか、遍照院の美しい境内もあってか、とても人気の墓地です。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0093鐘楼と山門とシティタワー上尾駅前 タワマン

寺院建築と高層マンションのコントラストは、まさに日本の縮図というふうに感じられますね。

遍照院さまでは、さまざまな催しものや教室などもされているようですので、ご近所にお住まいでご興味のある方は遍照院さまのサイトを見てみてはいかがでしょうか→遍照院さまサイト

↓こちらもご参考まで。

大塚サイト内での、遍照院さま墓所御紹介ページ

 

お墓、墓石については、下記問い合わせまでお気軽にご相談・ご質問ください。お墓ディレクター有資格者(石産協)やお墓相談員(全優石)など専門の知識のある者が石匠位認定店(全石協)として丁寧にご対応させていただきます。

お問い合わせ、ご来店の際はこちら → お墓無料相談窓口

お問い合わせ番号 0120-36-1217(代表)
※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・話題の大ヒット映画のブルーレイとDVD届きました

2014年8月7日木曜日 晴れ

こんにちは。霊園と墓地をご案内し、墓石の製造加工と販売施工の会社、株式会社大塚のブログです。今日は趣味のお話です。

本日、自宅に届きました。

20140807 ブルーレイとDVD届きました1407417853760

佐川急便さんが届けてくれました!テンションあがってしまいます。

20140807 ブルーレイとDVD届きました1407417861987

何やら青い中身がちょっとだけ窺うことができますね。ワクワクしながら開封します。

20140807 ブルーレイとDVD届きました1407417870773

中身はこんな感じ。

↓おや?上の方にちょっとだけ誰かが見えてます。しかも側面からタイトルが見えてしまってます。

20140807 ブルーレイとDVD届きました1407418204271

話題になっている映画のブルーレイディスクとDVDと。

どこかで売っていて、ひょいとタイミングよく買えたりしないかなぁ~と数日過ごし、やっぱりちゃんと注文しないとだめかぁ~、と注文をしたのが一昨日8/5の昼休み。今日が7日なので、中一日で届きました。

届け日未定で注文してしまったので、いつ届くのかドキドキしながら待ち望んでいました。

本日夕方、佐川急便さんより「これから配達にいきますけどよろしいでしょうか?」と電話が。一報いただいたおかげで助かりました。急いで帰宅しました。代引きでの注文なので電話での確認は必要なのでしょう。しかしながら着日を指定しないとこんな状況になるのかとつくづく痛感しました。

ワクワクとドキドキと、早く来ないかなぁという期待と、そして焦燥感と。

 

アナと雪の女王。

20140807 ブルーレイとDVD届きました アナと雪の女王1407418213137

そして

 

永遠の0。

20140807 ブルーレイとDVD届きました 永遠の01407418222561

 

 

さて、どちらから鑑賞しようか悩んでしまいます。

※ちなみに、アナと雪の女王の主題歌は、松たか子さんの劇中歌バージョンが好きです。

※なお、永遠の0については下記の記事でもふれてますので、よろしければご一読ください。

・自分のルーツ、先祖を調べる

・本の小口についたコーヒーのしみ抜き、シミ取り

・最近読んで面白かった本ベスト5

・埼玉県桶川市 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡(桶川飛行学校)に行ってきました①

 

 

・埼玉県桶川市 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡(桶川飛行学校)に行ってきました①

2014年8月6日水曜日 晴れ

こんにちは。関東一円にて霊園と墓地をご案内し、墓石の製造加工と墓地への施工をしております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

今日は8/6。広島平和記念日、広島原爆忌です。テレビ番組や新聞雑誌など、第二次世界大戦と戦後の混乱期についての話題やドキュメンタリー、ルポなども多く目に入る季節です。今日6日の広島原爆忌、9日の長崎原爆忌、15日の終戦記念日(終戦の日、戦没者を追悼し平和を祈念する日)と続くこの季節。新暦での8月盆とも重なることから、全国各地で慰霊の行事が行われます。慰霊ということになりますと、弊社取扱いの「墓石」は供養塔ということになりますので、供養業界にいる石材店としても遠からず関連性のある季節でもあります。

そんな中、私ブログ担当Tは先日埼玉県桶川市にあります「熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡」に行ってきました。桶川飛行学校と通称されてもいます。写真の量がたくさんありますので、二回に分けて記事にすることにしてみます。(後半の記事は、埼玉県桶川市 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡(桶川飛行学校)に行ってきました②になります)

近年、小説でベストセラーとなり、映画も大ヒット、ドラマ化などの話題も尽きない「永遠の0」でゼロ戦や特攻について大きく話題になりましたが、ここ桶川飛行学校もたくさんの情報があり、ここから特攻に向かわれた方々もいました。永遠の0でご興味のわかれた方は一度は訪れてもいいのでは、と思われる施設です。

※詳しくは「旧陸軍桶川飛行学校を語り継ぐ会」のhpをご覧ください→こちら

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0067 本部兵舎 宿舎

建築以来、76年もの間生き残ってきたという奇跡的な建物です。旧日本軍の飛行学校の建物としては、知覧にも残っていない日本で唯一の建築物。史跡価値のとても高い場所です。

場所はこちら↓

埼玉県道12号川越栗橋線の、荒川を渡る太郎右衛門橋の桶川側の北側にあります。拡大↓

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0149-

荒川の対岸にあります本田エアポート、本田航空の近くです。というよりも、本田エアポートの滑走路は元々はここ飛行学校の滑走路であったわけです。

県道からの行き方は次の通り。

太郎衛門橋のたもと、県道の最初の信号近くから、このような看板↓が見えます。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0048 案内看板

その先にはまた看板が。昔の写真をそのまま活用されてます。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0049 案内看板

直進すると荒川沿いのグラウンドになりますが、この交差点を右に曲がると飛行学校があります。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0050 案内看板 入口 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0051 案内看板

100メートルくらい進むと見えてくるのがこちら↓飛行学校の跡地入口です。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0052入口

この後、説明をしてくれた案内係さんが教えてくれましたが、↑この写真の左側に戦後すぐ進駐軍が駐屯し、カマボコ兵舎が二棟建っていたそうです。

↓正門跡でしょうか。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0055 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0056

熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡

公開日:土曜、日曜、祝日
10:00~16:30(冬季16:00)

※本会のボランティアが解説していますので、お声かけください。
車は左側に止めてください。自転車は正面建物の右に置いてください。

※ここは本会が所有者桶川市の立ち入り許可を得て公開しています。

特定非営利活動法人 旧陸軍桶川飛行学校を語り継ぐ会

入口の脇にあります↓境界杭 陸軍

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0057境界杭 陸軍

入口の左側奥には、弾薬庫跡があります。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0053 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0059 弾薬庫 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0058 弾薬庫

すぐ隣、入口すぐの場所には守衛所が。正門脇にあったのでしょう。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0060守衛所 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0065 守衛所 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0054守衛所 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0061守衛所

この「守衛所」の文字のすぐ近くに掲示されている、建物配置図です。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0062本部兵舎 建物配置図

配置図と照らし合わせながら確認してみると、

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0064 本部兵舎 車庫 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0066 本部兵舎 車庫

↑こちらの建物は入口から入ると右手に見えるのですが、どうやら「車庫」のようです。あとから教えてもらったところによると、戦後改造されて住居として使用されていたようです。が、よーく見てみると確かに車庫の形の建物でした。

それにしても、築76年で、戦後69年。よくぞ残されていたものです。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0063 本部兵舎 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0067 本部兵舎 宿舎

↑こちら、正面に見えている建物が飛行学校の本部兵舎。宿舎になります。現存している建物の中心的なものになります。向かって左側が訓練生の宿舎、やや右側が士官の部屋、一番右が医務室で、当時珍しくも看護婦さんたちもいたそうです。パイロットは貴重な人材ですので、様々な待遇も他の兵種とは違っていたのでしょう。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0143-

沿革によると、戦後桶川市所管の市民住宅「若宮寮」として300名以上が生活。その後平成19年(2007年)まで住居として使用され、最後の住人の転居にともない、更地にされてしまうところを保存署名運動が起こります。平成22年(2010年)国有地を桶川市が取得。桶川市は有識者8名選任の「跡地活用検討委員会」に委嘱。委員会は「現状を保存することが望ましい」と市に提言書を出したそうです。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0143 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0144

↑右の看板に、この施設の紹介と趣旨がわかりやすく書かれていますので引用させていただきます。

ご来館の皆様

桶川飛行学校

ここ桶川飛行学校は、熊谷陸軍飛行学校桶川分教場として昭和12年(1937)6月開校され、以来終戦まで約1,600名の操縦士が陸の荒鷲(あらわし)として巣立ち、空の護りとして活躍しました。その中には、特別攻撃隊第79振武隊として昭和20年4月5日に桶川飛行場を飛び立った12名の勇士も含まれております。

敗戦と復興

しかし、国力を挙げての戦争も敗戦となり、焼土からの復興へと国情が一変しました。日本人特有の勤勉性は、あらゆる困難を克服して驚異の復興を遂げ、経済大国と称されるまでに発展しました。これは人々の努力もさることながら、先の大戦で亡くなられた多くの御霊(みたま)のご加護があったことを忘れてはなりません。

桶川飛行学校を語り継ぐ会

幸いにも左図のように当時の施設が残っております。私達は「平和を考える館(やかた)」にしようと、「桶川飛行学校を語り継ぐ会」を結成し、遺族・関係者などから遺書・写真・手記などの提供を受けて展示し、所要の説明を致しております。皆様のご来館をお待ちしております。

平和の希求

戦争は殺戮と破壊をもたらすのみの行為で、絶対にあってはなりません。過去にあった事実の一端をお目にかけ、そこから得られる教訓を将来に生かし、ともに「平和な日本」の実現を目指しましょう。そのことが今は亡き人々の御霊に報いる私たちの進むべき道ではないでしょうか。

どうぞ、ごゆっくりごらんください。

平成23年9月25日 旧陸軍桶川飛行学校を語り継ぐ会

↓本部兵舎の中央入口です。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0140 本部兵舎 宿舎入口 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0142 本部兵舎 宿舎 入口 

熊谷陸軍飛行学校桶川分教場本部兵舎跡と書かれた看板が掛かっています。残念ながら「跡」とありますので、戦中の看板ではなく近年掛けられたものになります。おそらく元々の看板などは終戦時に武装解除などなどの処置の際に破却されたのでしょう。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0141 本部兵舎 宿舎 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0145 本部兵舎 宿舎 医務室

↑右の写真の中央が士官の部屋で、右に続いているのが医務室です。

ここは、戦後取り壊されることなく、満蒙開拓から内地に戻られた方々や、家を焼け出された方々のための宿舎として長い間利用されてきました。「若宮寮」と名付けられ、多くの世帯がここで暮らしていたそうです。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0147 本部兵舎 宿舎 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0148 本部兵舎 宿舎

そういった歴史を考えながら観察してみると、「生活感」を見ることができます。元々のガラスは76年前のものなので、現在の完成度の高いガラスとは違って表面がうねっているように見えますし、戦後の居住生活の名残りとして別のスリガラスに変わっていたり、戸や桟も変わっていたりなど散見できます。とはいえ、全体的な印象としては、「古い学校」といった雰囲気。古い建物特有の独特の空気と、どこか懐かしい古い木材の匂いがして、ここだけ時間が止まっているような錯覚を起こしてしまいそうです。

建物の裏側にまわってみましょう。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0122 本部兵舎 宿舎20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0123 本部兵舎 宿舎

なんと兵舎の一番端は朽ちて崩れてきています!

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0146 本部兵舎 宿舎

↑こちら手前の戸を開けると医務室。朽ちている箇所の同じ建物反対側になります。この写真の右側にあるのが防火水槽。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0133 防火水槽

↓本部兵舎を振り返ってみてみたところ。右側には教室があったそうですが、火事か何かでなくなってしまったとのこと。現在は家庭菜園のような感じになってました。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0150 本部兵舎 宿舎 教室跡地

↓こちらは本部兵舎の裏に渡り廊下で進んだ先にある被服倉庫と便所になります。「便所」と書かれています。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0124 被服倉庫 便所

当時使われていた井戸がありました。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0151 本部兵舎 井戸

↓こちらは窓枠などではなく、一枚ものの大きな鏡。とてもきれいな鏡なのですが、こちらも戦中から生き残った鏡だとか。保存状態の良さと、その強さに驚いてしまいます。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0125 被服倉庫 当時のままの鏡

↓こちらは被服倉庫であった部屋を住居として使われていたままとなっています。カレンダーや七輪、タンスなど、生活感が残ってます。写真にはとりませんでしたが、戸の柱にはNHKのシールも貼ってありました。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0153 被服倉庫 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0152 被服倉庫

掛けられているカレンダーを見る限り、比較的最近まで住居であったことがわかります。

トイレです。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0126 被服倉庫 便所 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0128 被服倉庫 便所

昔ながらの懐かしい感じのトイレです。もちろん和式です。キンカクシは戦時中のものではないそうです。お子さんや若い方は、こういったトイレや和式トイレを見ても懐かしいとは感じることもないのでしょうね~。昔はどこもこんなトイレでした。

↓こちらは男性用小トイレ。めったに見なくなったタイプのものです。こちらも昔は公的な建物などはこういったタイプのものが多かったと記憶してます。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0127 被服倉庫 便所

そしてトイレを出て、建物を反対側の外から見てみると・・・

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0129 被服倉庫 便所 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0131 被服倉庫 便所

裏側が朽ちてしまってます!崩壊一歩手前、いや、崩壊してます。一刻も早く手当が必要ですね。

そんなトイレのすぐ片側には、本田航空の航空燃料のタンクがあります。丁度給油しに来ていました。ここに貯蔵して、太郎衛門橋を渡った先にある荒川反対側の本田エアポートにて、セスナなどに給油がなされるとか。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0155 本田航空 飛行燃料タンク 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0156 飛行燃料タンク

↓こちらは戦後に住居として増築された建物です。あとから作られた建物ではありますが、今となっては古さの比較はしようもありません。どれも古くなりすぎて見分けがつかないくらいです。元々は洗濯場であった場所だそうです。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0132

そして案内係さんによると、ここが本田航空のスタートの場所だったとか。今はなくなりましたが、兵舎同様戦前の建物が残っていたとき、本田宗一郎氏もよくここに宿泊していたそうで、ここからセスナを皆で担いで旧県道に架かる橋をわたり、荒川対岸の飛行場から飛ばしたりもしていたとか。県道が大きく新しくなり、橋も現在の太郎衛門橋になってからは、そういったセスナの移動のさせ方もできなくなってしまい、ここには燃料の貯蔵庫のみ、というような状況になったとか。

案内係さんは本田航空の方でも陸軍の方でもなく、ご近所の方でした。しかしながら、戦闘機の急降下訓練を毎日眺めていたという、終戦時に小学生だった方です。進駐軍の米軍人からチューインガムをもらった、と言っていました。

さて、建物の外まわりを見てみましたので、いよいよ建物内部のご紹介に進もうと思います。

内部の紹介については ②の記事に続きます

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0134 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0095

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・お墓を建てると幸せになる? その6 お墓参りに来てくれる人を想像しての建墓は満足度大です

お墓を建てると幸せになる? その6 お墓参りに来てくれる人を想像しての建墓は満足度大です

前回「・お墓を建てると幸せになる? その5 家族の絆が深まり、互いに思いやれるようになります」に続いての第六回目です。

 

近年、著名人のお墓をお参りすることを生きがいにしている「墓マイラー」という方々が増えています。墓マイラーの方々の中にも、どのお墓をお参りするのかということで、何種類かに分類されるのではないでしょうか。たとえば、自分の好きな偉人のお墓を巡るという人もいるでしょう。「暦女」という言葉もあるように、若い世代に広がる歴史ファンの人たちの中には、歴史上の人物のお墓を回る人たちもいると思います。また、文豪や俳人、文化人のお墓をテーマにまわっているという人もいるでしょうし、テーマは設けずともたとえば多磨霊園に来たので多磨霊園に眠る著名人のお墓をめぐってみる、という人もいるかと思います。江戸時代から続いている谷中墓地(霊園)や青山墓地(霊園)をはじめ大きな都営霊園や、京都などの歴史ある都市の歴史ある寺院、由緒正しい寺院などではたくさんの著名人が眠っています。

そんな、著名人のお墓をめぐることが今ちょっとしたブームなのです。

そして前述しましたように、お墓参りのテーマも、お墓参りする人によってまちまち。人それぞれです。墓地によっては、丁寧な案内図や説明の案内板を掲出しているというところも少なくありません。また、そもそも昔の事柄というのは人の記憶から消えていってしまいがちなもの。なので、「どういった人が眠っているお墓なのか」ということを詳しく説明してくれている案内板もあったりします。そういった案内板があると、その人物と事績を知らないという人でも、その墓地で案内板を見ることで「初めて知る」という場合も多いでしょう。人は興味のない説明版などは目に入ってきません。何回か足を運んでいるという観光地でも、以前は気にもしていなかった案内板の説明書きを、時間がたって改めて見てみると、以前は気にもしていなかった事柄が目に入ってきて「ああ、以前はどうしてこんな興味深いことに気が付いていなかったのだろう」というような場合もあります。墓地の案内板の説明書きも同様のことが言えると思います。

ただ、一つ言えることは、人間の知的興味と、時間と共に消えて忘れていってしまうという「何を成したのか」という事績の記憶に対して、長い年月を経ても変わることのないものがあります。

「お墓というモニュメント」は、どんなに時間がたっても変わることなくそこにあり続けてくれる存在です。

よくある話なのですが、たとえば長い間歴史ファンの中でも地味でマイナーな存在であった人物がいたとして、何かの小説や映画、ドラマや漫画やアニメでも結構です。何かに題材として取り上げられることで、ほとんどお墓参りに来る人もいなかったようなお墓に、お墓参りの方々が次々に訪ねてくるようになった。という例は時々目にし耳にします。日本はやっぱりお墓の文化が根付いているようで、そういった過去の偉人に触れる場としても行為としても「お墓参り」という手段を選ぶ人は少なからずいます。そうしてやっとたどり着いたお墓を前に「やっとお墓参りをしに来れました」「お墓を大切に残してくれていてありがとう」という気持ちを抱く人も少なくないのでは?中にはまるでお墓の中の人が生きているかのように、「やっと会いに来れました」と心の中で会話をする、という人もいるでしょう。

お墓参りは、ご先祖様に対してのみつかわれる言葉ではないのです。

大切なことは「お墓を残してくれていてありがとう」と感じてくれる後の世の人々がいるということ。

昨今では、著名人の方々も生前にお墓を準備しているというケースも少なくありません。昨年で言えば、島倉千代子さんや、やなせたかしさんは生前からお墓を準備していたと有名でニュースなどの報道にも出ていました。そういった著名人のお墓にはファンの皆さんが足を運んでいることでしょう。

振り返って、我々個人個人のお墓で考えてみましょう。私たち生活者は著名人ではありません。もちろん歴史上での大きな事績を残してもいません。文豪でも俳人でもありません。それでも、お墓を作っておくと少なくとも家族はお墓参りをしてくれます。そして想像しにくいかもしれませんが、自分亡きあとにどういった人が自分のお墓に訪ねてきてくれるのか。友人知人や会社の同僚、昔の同級生などはお墓参りに来てくれるかもしれません。しかしそれ以外のいったいだれがお墓参りに来てくれるのか?これは未知数ですし、はかり知ることはできません。

が、人間の墓参したい気持ちというものは当人には計り知れないものがあるのも事実です。自分があまり意識をしていなくとも、全く知り合いでもない人が墓参にくる可能性だって否めないのです。学校で先生をしていたという方や、特殊な論文を書いた過去があるが後の世になってその論文が脚光をあびることもあるでしょう。議員経験があったり、地域の世話人をしていたり、スポーツチームに属していた過去があったり、何か仕事上で特許をとったりしたような人もいるでしょう。いつどこで自分がなした行為に対して、まったく別の方がその事績に敬意を表して墓参するのかはわからないものです。

「ひょっとしたらそういった墓参をする人いるかもしれないな」という方、いらっしゃいませんか?

もちろんお墓は自分のためのものであり、家族のためのものでもあります。しかし、「大切に残してくれていてありがとう」と感じる後世の人たちがいるのも事実です。お墓は、お墓参りしてくれた方に対しての道標ともなりますし、記念碑でもありますし、語りかける対象にもなりえるのです。そして、とても長い年月の間朽ちることなく残すことができる施設でもあります。

死後に有名となった著名人はたくさんいるんです。

自分亡きあとに墓参に来てくれる人がたくさんいるかもしれない。そんなことを考えながらお墓づくりをしてみてもいいのではないでしょうか。もしかしたらの話なので、ひょっとすると自己満足の妄想に終わるかもしれません。それでもいいのではないでしょうか。自分のお墓なのですから。十分に満足するお墓づくりをしてもいいと思うのです。島倉千代子さんのお墓も、やなせたかしさんのお墓も、とてもすばらしいお墓です。後々お墓参りに来た人たちも「おお~さすが!」と感じ入るようなお墓になっていると感じました。そんなお墓づくりをしてみてもいいのではないでしょうか。

 

お墓を建てると幸せになります。お墓参りに来てくれる人を想像しながら記念碑として十分に満足のいくお墓づくりをすることができるからです

 

と、考えますがみなさんはいかがでしょうか?

もちろん、家族親族のことを一番に考えたお墓を作っても十分に満足は得られますよ!

 

 

・琵琶湖へ行ってまいりました

2014年8月4日 月曜日

こんにちは。霊園・墓地のご案内と、墓石の加工と施工の石材店、大塚のブログです。今日の記事は、大塚本社の営業KKさんの記事になります。以下本文↓

 

今年も恒例の琵琶湖へ行ってまいりました。

琵琶湖へ行ってまいりましたIMG_1871

圏央道の八王子~海老名が開通したこともあり、埼玉から琵琶湖への
アクセスはまた一段とよくなりましました。

3日間の釣行、天気にも恵まれ
釣りの成果もまずまずでした。

琵琶湖へ行ってまいりましたIMG_1858

気持ちのいい青いそらに、夏の空気!

おいしい食事に楽しい仲間!

琵琶湖へ行ってまいりましたIMG_1829 琵琶湖へ行ってまいりましたIMG_1875 琵琶湖へ行ってまいりましたIMG_1874

どれをとっても、最高の思い出です。

琵琶湖へ行ってまいりましたIMG_1878

 

・20140802 夏の風物詩 蝉(せみ)の羽化の様子

2014年8月3日 日曜日 晴れ所により雨

こんばんは。東京、埼玉、神奈川、千葉、群馬、静岡にて霊園と墓地のご案内と、墓石の製造加工・施工の仕事をしております石材店の株式会社大塚のブログです。

今日は昨日に引き続き、お墓からは少し離れまして『蝉』のお話です。

※以下、セミの画像になりますので、昆虫が苦手な方はスルーしてくださいませ。

昨日の記事では、公園や庭、街路樹などさまざまな場所でこの時期に見られるセミの抜け殻について書いてみました。

セミの抜け殻を見た後、「蝉の羽化がみたい!」ということで、懐中電灯とカメラ片手に近所の公園に行ってみました。

すると、セミの抜け殻のたくさんある木の枝に、まさに今羽化している途中のセミがちらほら見られました!

 

※画像はサムネイルにしてありますので、元画像をご覧になりたい場合はクリックいただけると、元画像のサイズでご覧いただけます。

 

 

20140802 夏の風物詩 蝉(せみ)の羽化の様子DSC_0048 20140802 夏の風物詩 蝉(せみ)の羽化の様子DSC_0049

↑このような木の、枝の低いところ。昨日までに抜け殻になった蝉の殻とともに、何やら白いものがぶら下がってます。

20140802 夏の風物詩 蝉(せみ)の羽化の様子DSC_0043 20140802 夏の風物詩 蝉(せみ)の羽化の様子DSC_0046 20140802 夏の風物詩 蝉(せみ)の羽化の様子DSC_0069

たわわに、鈴なりになってます。

中には、まだ羽が伸びきっていない、まさに羽化の途中、というようなセミもいました。

20140802 夏の風物詩 蝉(せみ)の羽化の様子DSC_0058 20140802 夏の風物詩 蝉(せみ)の羽化の様子DSC_0059 20140802 夏の風物詩 蝉(せみ)の羽化の様子DSC_0117

それにしても、いろんなところにいて、ものすごい数です(^_^;)

20140802 夏の風物詩 蝉(せみ)の羽化の様子DSC_0033 20140802 夏の風物詩 蝉(せみ)の羽化の様子DSC_0051

土から出てきたばかりのセミの幼虫が、木を登り枝先で羽化していく様子をじっくりと観察してみたいな~、どこかに幼虫は登っていないかなぁ~、とあたりを歩いて見まわしてみたところ、

20140802 夏の風物詩 蝉(せみ)の羽化の様子①DSC_0061 20140802 夏の風物詩 蝉(せみ)の羽化の様子②DSC_0063

↑丁度、背中から抜け出している途中のセミに遭遇しました。時間は21:53。この個体をしばらく観察してみることにします。

20140802 夏の風物詩 蝉(せみ)の羽化の様子③DSC_0072 20140802 夏の風物詩 蝉(せみ)の羽化の様子④DSC_0076

↑21:58 上半身が少しずつ出てきました。

20140802 夏の風物詩 蝉(せみ)の羽化の様子⑤DSC_0081 20140802 夏の風物詩 蝉(せみ)の羽化の様子⑥DSC_0082

↑22:01 羽が出てきました。きれいな淡い緑色です。なんだかクリオネみたいな感じです。

20140802 夏の風物詩 蝉(せみ)の羽化の様子⑦DSC_0083 20140802 夏の風物詩 蝉(せみ)の羽化の様子⑧DSC_0088

↑22:03 足が出てきました。

20140802 夏の風物詩 蝉(せみ)の羽化の様子⑨DSC_0106 20140802 夏の風物詩 蝉(せみ)の羽化の様子⑩DSC_0130

↑左が22:07。右が22:15。時間のかかるポイントみたいですね。カラダのほとんどが出てきた感じです。

20140802 夏の風物詩 蝉(せみ)の羽化の様子⑪DSC_0140 20140802 夏の風物詩 蝉(せみ)の羽化の様子⑫DSC_0142

↑左が22:20。右が22:21。前かがみになりはじめました。

20140802 夏の風物詩 蝉(せみ)の羽化の様子⑬DSC_0148

↑22:23 ん~・・・

20140802 夏の風物詩 蝉(せみ)の羽化の様子⑭DSC_0149

↑同22:23 よっこいしょ!この間わずか数秒です。ポンっと音がしそうな感じですが、残念ながら音はしませんでした。

20140802 夏の風物詩 蝉(せみ)の羽化の様子⑮DSC_0153 20140802 夏の風物詩 蝉(せみ)の羽化の様子⑯DSC_0156

↑22:24 態勢を整えていると・・・

20140802 夏の風物詩 蝉(せみ)の羽化の様子⑰DSC_0157 20140802 夏の風物詩 蝉(せみ)の羽化の様子⑱DSC_0159

↑22:25 みるみる羽が伸びて大きくなっていくのがわかります。

20140802 夏の風物詩 蝉(せみ)の羽化の様子⑲DSC_0160 20140802 夏の風物詩 蝉(せみ)の羽化の様子⑳DSC_0165

↑22:30 五分でほぼ「セミ」の成虫のカタチになってきました。あとは体を乾かして、黒く焦げ茶の堅い甲殻になるのを待つだけです。↓カラダが乾くと、こうなります。

20140802 夏の風物詩 蝉(せみ)の羽化の様子DSC_0035

あ、白いセミなのではありません。この蝉は関東(撮影地は埼玉県)でたくさんみられるアブラゼミ。こげ茶色のセミです。蝉は、羽化の最中だけ白いわけです。この種類のセミが白いというわけではありません。

 

しばらくの間はセミの合唱がやかましいくらいの季節です。やかましすぎて「岩にしみいる蝉の声」のように逆に静寂感を感じられるようになれば、立派に「わびさび」の寂び(さび)を解する感性を身に着けたことになりますが、まだまだ「やかましい」と感じてしまいます。

しかしながら、羽化のセミは「静寂」そのものでした。

弊社の取り扱いの墓石は岩ではありませんが、夏の墓地では蝉の声がよく聞こえてきます。手を合わせてお参りしている瞬間は、ひょっとすると「閑かさや岩にしみいる蝉の声(しずかさや いわにしみいる せみのこえ)」、まさにそんな状況と心境なのではないでしょうか。

 

 

・20140802 夏の風物詩 蝉(せみ)の抜け殻

2014年8月2日土曜日 晴れ

こんばんは。霊園と墓地のご案内と、墓石の製造加工の会社、株式会社大塚のブログです。墓地や霊園は、季節をとても感じやすい場所です。四季折々の風景や植物、春と秋のお彼岸や夏のお盆、冬のお正月など、それぞれの季節と切っても切り離せないのがお墓参りです。

というわけですので、お墓づくりのお手伝いをしている石材店の大塚としても、ブログに四季折々のことがらを書くことが多くなってきます。

そんな今日の記事も季節のお話です。夏の風物詩、蝉の抜け殻です。

ブログ担当の私T、本日仕事がお休みでした。今日は各所で花火大会などが開催されているということで、むしろ花火のほうが夏の風物詩の代名詞ともいえるかもしれませんが、花火大会に行く予定のない私としては記事にしにくく(^_^;)

散歩をしていた公園で見かけたこちら↓

20140802 夏の風物詩 蝉 せみ の抜け殻DSC_2184

スマホの望遠機能の限界に挑戦しました。蝉(せみ)です。

ほんの数日前まで、セミの音って耳にしていなかったと記憶してます。ここ数日で一気に蝉の鳴き声が町中に響くようになってきたのではないでしょうか?(関東では)

元気に鳴く蝉さん。近づくと飛んで行ってしまいます。一眼レフのデジカメか、コンパクトデジカメを手に持って散歩をすればよかったと後悔しました。。。そして挑戦した画像が↑。ご容赦ください(^_^;)

次に機種交換するときには、望遠や拡大の能力の高いものにしたいものです。この際、能力が高ければスマホでなくともガラケーでもよいかな、と思い始めた私Tです。

それはともかく、公園には蝉の抜け殻があちこちに鈴なりになってます。

20140802 夏の風物詩 蝉 せみ の抜け殻DSC_2185 20140802 夏の風物詩 蝉 せみ の抜け殻DSC_2193 20140802 夏の風物詩 蝉 せみ の抜け殻DSC_2199 20140802 夏の風物詩 蝉 せみ の抜け殻DSC_2212 20140802 夏の風物詩 蝉 せみ の抜け殻DSC_2213 20140802 夏の風物詩 蝉 せみ の抜け殻DSC_2214

みなさんのお近くの公園や、場合によっては庭などでセミの抜け殻は見かけませんか?セミの抜け殻をたくさん集める小学生さんもいるかもしれませんね。昨年、私の実家ではそんなに広くもない庭で30以上のセミの抜け殻が収穫できたとか。収穫とは言わないかもしれませんね。

タレントの中川翔子さん(しょこたん)は、コンサートやライブの際に、髪飾りとしても使用されているとか。

いろいろな使い道のあるセミの抜け殻です(笑)

20140802 夏の風物詩 蝉 せみ の抜け殻DSC_2215

セミの抜け殻のある木の足元にある丸い穴も夏の風物詩。蝉の幼虫が出てきた穴ですね。たくさん見つかりました。

公園の外周の生垣にもいました!

20140802 夏の風物詩 蝉 せみ の抜け殻DSC_2216

どうやら、羽化する木はあまり選ばないようです。

20140802 夏の風物詩 蝉 せみ の抜け殻DSC_2217

羽化。なんとかして羽化の様子もみてみたいな~と思った、ブログ担当のTでした。

つづく

 

・大塚本社の大きなポール看板が完成しました

2014年8月1日土曜日 晴れ夜に雷雨

こんばんは。埼玉を中心に、東京、神奈川、千葉、群馬、静岡にて墓地と霊園をご紹介し、墓石の製造加工と墓地への施工をしております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

19時半現在、関東は西の方から雷雨が進んできています。遠くから雷の光と音が聞こえてきていますのでゲリラ豪雨にご注意ください。

さて、昨日の様子になりますが、一か月前より進めてきておりました、大塚本社の大きなメインポール看板がこのたび美しく生まれ変わって、無事完成の運びとなりました!(ぱちぱちぱち)

(ポール看板を取り外した際の記事がこちら→・大塚本社、中山道沿いのポール看板メンテナンス

(お墓のメンテナンスについては、・墓石の目地(メジ)、劣化していませんか? ・墓石の文字に入れた色、落ちていませんか? 墓石文字の色入れリフォーム ・墓石に刻む文字 書体と墓石色と色入れによる違い このあたりの記事をご参照ください。)

 

完成した看板が取り付けられるまでの様子をご覧ください。

↓やってきました、新しい看板(の箱)です。

埼玉県上尾市 中山道 大塚本社の大きなポール看板が完成しましたDSC_0069 埼玉県上尾市 中山道 大塚本社の大きなポール看板が完成しましたDSC_0068

綺麗に掃除し、新品のように生まれ変わりました。

白い柱は、この看板の箱を取り外した際に錆止めとともにきれいに塗りなおしてもらっていたものです。

埼玉県上尾市 中山道 大塚本社の大きなポール看板が完成しましたDSC_0028 埼玉県上尾市 中山道 大塚本社の大きなポール看板が完成しましたDSC_0029 埼玉県上尾市 中山道 大塚本社の大きなポール看板が完成しましたDSC_0030 (2) 埼玉県上尾市 中山道 大塚本社の大きなポール看板が完成しましたDSC_0031 (2)

下から順番に、次々にあたらしくきれいになった看板の箱が取り付けられています。

大塚本社は、埼玉県上尾市の桶川寄り、北上尾駅の近くなのですが、目の前を中山道(県道164号線)が走っていますので、通過されたことのある方、見たことのある方もいらっしゃるのではないでしょうか。

埼玉県上尾市 中山道 大塚本社の大きなポール看板が完成しましたDSC_0032 (2) 埼玉県上尾市 中山道 大塚本社の大きなポール看板が完成しましたDSC_0034 (2) 埼玉県上尾市 中山道 大塚本社の大きなポール看板が完成しましたDSC_0035 (2) 埼玉県上尾市 中山道 大塚本社の大きなポール看板が完成しましたDSC_0036 (2)

一番上にあたる「石」の文字を取り付けたら

埼玉県上尾市 中山道 大塚本社の大きなポール看板が完成しましたDSC_0037 (2) 埼玉県上尾市 中山道 大塚本社の大きなポール看板が完成しましたDSC_0038 (2)

仕上げに細部のタッチアップなどを行って、完成になります。今回もいつもお世話になっているアイワ工芸さんに看板をリニューアルしてもらいました。

約一か月前の様子と、完成した様子を比べてみてください。

埼玉県上尾市 中山道 大塚本社の大きなポール看板が完成しましたDSC_0040 (2) 大塚本社、中山道沿いのポール看板メンテナンスDSCN5019

文字もかなりきれいになりました。

埼玉県上尾市 中山道 大塚本社の大きなポール看板が完成しましたDSC_0041 (2) 大塚本社、中山道沿いのポール看板メンテナンスDSCN5020

完全に新品ですね!(^-^)

埼玉県上尾市 中山道 大塚本社の大きなポール看板が完成しましたDSC_0043 (2)

中山道を通る際には、ぜひ新しい看板を見てみてくださいませ。

そして、弊社は石材店です。お墓にまつわるご相談事や悩み事などありましたらお気軽にご来店ください。

 

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