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・午年だから

2014年1月8日  雨

改めまして、今年は午年(うまどし)です。

うまどしは、「うま」と言う文字が入っておりますので、「うまくいく」のようにひっかけて言葉遊びのように縁起よく使われる場合もあります。

また、「馬」を使って、「駿馬のように」などのようにも使われたりします。

しかしながら、古来からの慣わし、考え方としては、午年というのはどうやら「準備を整えなおす年」と考えられて来たようです。

この「午」という字には、突き当たるという意味があるようで、あまり好まれるタイプの文字ではありませんでした。

とはいえ、全ての物事が停滞するというわけではもちろんありません。世の中のすべての事柄は時間とともに動いています。良い流れの物事や、上り調子の物事もあります。今の日本の景気も上り調子であって欲しいものです。

そこで昔の人はウマいことを考えました。「準備を整えなおす年」です。ある意味、常に必要な事柄とも言えますが、十二支の暦のうちに織り込むことで忘れずに心掛けることができます。

いにしえの知恵を借りて、改めて準備を整えなおし、来るべき「駿馬のように」走ることのできる瞬間を「うまいこと」捕まえることの出来るようにする一年にしたいものです。

あと、「美味(ウマ)いもの」がたくさん食べられる一年になるといいな!

 

 

・埼玉県加須市 騎西城(私市城)に行ってきました

2014年1月7日 晴れ

一昨日になりますが、加須市騎西にある騎西城(私市城)の近くを通りましたので写真を撮ってきました。みなさん騎西城は御存知でしょうか?私市城とも書きますが、騎西城、私市城ともに読み方は「きさいじょう」です。

騎西城 私市城 DSCN2643

↑現在はこのような天守閣が建っています。

勘違いされている方もいるかもしれませんが、こういった天守閣=お城、というわけではありません。天守閣のないお城は沢山ありますし、土塁と柵だけのお城もとても沢山存在しています。天守閣は、城の構造物の一つでしかありません。

現在見ることのできる天守閣にもいろいろとありまして、現存天守(当時のまま残っているもの。世界遺産姫路城など12か所。)、木造復元天守(木造で忠実に復元したもの。愛媛県大洲城)、外観復元天守(外観のみ忠実に復元したもの。愛知県名古屋城など。)、復興天守(かつて現存したであろうカタチを推定にて作られたもの。大阪城など。)、模擬天守(城に天守は存在しなかったが、建てられたもの。もしくは天守があったらしいが、場所形状ともに別のカタチにて建てられたもの。)と種類分けがなされます。

騎西城は模擬天守です。城としては確かに存在していましたが、本丸などに天守閣はありませんでした。が、現在はきれいな天守がそびえています。天守閣が好きな人は是非見に来てみてください。まわりの木々ととてもマッチしています!

騎西城 私市城 DSCN2645

案内板によると、築城時の詳しいことは不明ながら、戦国時代にはすでに存在していたようです。また、上杉輝虎(謙信)に攻め落とされたこともあるとか。上杉謙信さんは関東のいたるところに足跡をのこしています。越後の人とは思えないほど神出鬼没ぶりです。さすが関東管領。江戸時代には、松平、大久保と城主を替え、1632年に廃城となったようです。

騎西城 私市城 DSCN2646

↑こちらの地図を確認すると、現在の模擬天守のある場所は本丸だったわけではないようです(地図左下)。本丸だった場所は・・・田んぼになっています。

騎西城 私市城 DSCN2647 騎西城 私市城 DSCN2648

兜の出土はともかく、茶の湯の道具も出土するとは、さすが戦国の武士、江戸期のは教養があったのですね~。

騎西城 私市城 DSCN2650

↑天守の入口です。攻め上りたい気持ちが湧いてきてしまいますが、今日はあまり時間がありません。城攻めはまたの機会にするで候(そうろう)。

騎西城 私市城 DSCN2653

どうやらこの模擬天守は、騎西の郷土資料展示室になっているようで、老人福祉センターと生涯学習センターとの複合施設になっていたのですね。整備のされ方に納得です。

騎西城 私市城 DSCN2651

県道を挟んだ反対側に土塁があります。石垣もあって、城っぽい雰囲気を醸し出しています。

騎西城 私市城 DSCN2654

高さは2~3メートルくらいでしょうか。

騎西城 私市城 DSCN2655

案内板があります。↑中央に城が、左下に玉敷神社がありますので、古い町並みを継承しつつ今の街並みがあるのがわかります。この地図の画面下側を横に通って玉敷神社をかすめている道が旧街道で旧国道122号。地図には記されていませんが、もう少し下側に国道122号バイパスがあります。

騎西城 私市城 DSCN2656

↑成田氏の文字を発見。つい先日の1月5日にテレビで放映された「のぼうの城」。城主は成田氏でした。行田の忍城はすぐ隣です。成田氏は武蔵の国の有力土豪だったのですね。↑に出てくる成田泰喬という人物は、のぼうの城で出てくる城主の成田氏長(西村雅彦さん)の弟で、のぼうの城では谷川 昭一朗さんが演じていた人です。wikipediaでは、成田長忠と同一人物と書いてありました。映画のぼうの城では、兄の成田氏長と共に小田原城に入城し、小田原落城後は蒲生氏郷の家臣となり、兄の死去後は成田家の家督を継ぎ、最終的には下野烏山3万7000石の大名として江戸期を迎えたようです。のぼうの城の主人公の成田長親さんは烏山には呼ばなかったのか、気になってしまいます。(成田長親さんは尾張で晩年を過ごしたそうです)

騎西城 私市城 DSCN2658

上杉謙信もここらあたりの泥田沼で守られた城には苦労したことでしょう。そういえば忍城も謙信さんは沼に苦労したはず。岩槻城とかも沼の城でしょうし。起伏のない平地には沼が天然の要害なのですね。

騎西城 私市城 DSCN2668

土塁の反対側から天守閣を見ます。

騎西城 私市城 DSCN2662

本来の城跡はこの土塁を残すのみとなっているようです。行政のみなさま、保存よろしくおねがいします!

騎西城 私市城 DSCN2663

↑南に幅50メートルの障子堀・・・とあります。障子堀というのは小田原北条家の技術。勢力図がかわるたびに作り替えられていったのですね。近隣の忍城もそうでしょうし、東松山の松山城や川越城も同様でしょう。

騎西城 私市城 DSCN2664

戦国時代の関東を含めた東国の城はほとんどが土塁を主としていました。石垣が東国にも広まるのは江戸期以降です。

騎西城 私市城 DSCN2665 騎西城 私市城 DSCN2666

↑●現在地 とあるのがわかりますでしょうか。土塁はこの一部しか残っていません。点線で描かれた道は現在の県道です。明治・大正期に残っていた土塁も、人々の生活のための道路や宅地、農地として消えていきました。

騎西城 私市城 DSCN2667

周りの景観は全く違いますが、ほぼ現在の状況に近い写真ですね。しかしよく残ってくれたものと感謝いたします。

騎西城 私市城 DSCN2669

石垣で土塁を囲っていますが、石垣はあったのかな?

騎西城 私市城 DSCN2673 騎西城 私市城 DSCN2674

↑ここから見える天守閣はとてもかっこいいですね!松の木がいい雰囲気を醸し出していて絵になります。

騎西城 私市城 DSCN2675

↑カラータイマー発見!ではなく、回転灯でしょうか。消防法は大切です。

ちなみにここの近隣は根小屋という地名なのですが、全国の城跡のすぐ近くにも似たような地名がたくさんあります。根古谷とも根古屋とも文字は少し違ったりしますが、城を中心にその足元にできた町のことを指していたり、山城ならば城の人間が通常暮らす場所(戦の時にしか山の上の城には詰めません)のことを刺したりしているようです。

地名に歴史が残っていますので、この地名も先々残していってほしいものです。

また、どこかのお城を訪問しましたら記事にしてみます。

 

 

・永代供養墓 合葬墓 共同墓 合同墓 合祀墓 集合墓 納骨堂

2013年1月7日 晴れ

遺骨の安置先をお探しの方の中には、永代供養墓をお探しの方も少なくありません。しかし、永代供養墓というものはどういったものなのか?永代供養墓を探す際のポイントを箇条書きにしてみますのでご参考に頂ければと思います。

(以前記事にしましたこちらもご参考まで→永代供養墓

・名前が違うと内容も違う?

永代供養墓には、似た名称の施設で合葬墓、共同墓、合同墓、合祀墓、集合墓、納骨堂・・・などなどあります。名前は違えども、機能としてはほぼ同じ内容の施設であったりします。ただ呼び名が違うだけ、という場合も多いです。しかしながら、決定的な違いのある場合もあります。遺骨を個別安置にて一定年数保管される場合と、最初から他の遺骨と一緒になってしまう場合の差もあります。また近年では永代供養墓と銘打った通常のお墓のカタチをしたお墓も徐々に増えてきました。これは「永代供養墓とはこういうものだ」という定義づけが定められていないからです。ともすると、今後はもっとさまざまなカタチでの永代供養墓が誕生していくのかもしれません。

・永代供養墓には年限がある?

「永代」と聞くと、永遠に永久にというイメージを抱かれる方もいると思います。永代供養墓においては半分そういった意味があり、半分は違っているとも言えます。お寺などの宗教法人は基本的に未来にわたって長長期間継続することを前提に様々なことを定めています。なので永代供養墓も宗教法人が継続している間は永代にわたって供養してくれます。では、年限が定めてある場合はどういったことなのか?これは、永代供養墓の納骨室の中で「個別安置」乃至は個別供養をしてくれる期間という風に考えていただけるとわかりやすいかと思います。年限が過ぎた場合は個別安置ではなくなり、他の遺骨と一緒に土に帰っていくことになります。必然的にその後は他の方々と一緒の御供養をいただくことになるわけです。年限については、各お寺様や各霊園ごとに少しずつ違いはありますが、10年間や33年間(33回忌)などを設定しているところが多いようですので、それぞれにご確認をする方がよいでしょう。

・金額はできるだけ安い方がいい?

個別の墓石を立てるタイプの永代供養墓でないかぎり、共通の施設を使用するタイプであれば価格を抑えることができるのが利点です。共通の大きな墓碑に戒名などを彫刻することができるタイプのものや、そもそも施設は一つでも中で個別安置できるようになっていたりする場合などもあるので、永代供養墓にかかる費用は千差万別です。費用の差は永代供養施設の形状や個別安置かどうか、などの点以外でも出てきます。立地です。都心に近いと比較的費用はかかる場合が多いと思ってよいでしょう。これは通常の墓石を建てるお墓を求める場合と同じで、地価や近隣の相場、需要が多いのか少ないのかなど総合的に見て費用の設定がなされる場合が多いからです(もちろんそうでない場合もあります)。確率の問題ですが、「廉価な永代供養墓は遠方になる」と思って探したほうが安全かもしれません。

・どのくらいの頻度でお参りするか?

永代供養墓を決め、納骨した後、どのくらいのペースでお参りをしそうか、ということもポイントです。大切な方を亡くしたので、できるだけたくさんお参りしたい・・・という方もいるかと思います。お参りの頻度が多くなりそうであれば、費用よりもアクセスを重視することをお勧めします。お墓参りをしたいという気持ちはお金ではかえられません。さらに言えば、より立地の良い場所であれば、やはり永代供養墓でなくとも通常のお墓を建てられてもよいのではないでしょうか。近年は廉価で魅力的なお墓も数多く販売されるようになってきています。

・管理、供養体制はどうか?

お骨を収めた後、どういった供養をしてもらえるのかも千差万別です。お寺の場合は毎日読経にて供養しているというところもあるでしょうし、霊園などの場合でも毎日きれいに清掃してくれるというところも少なくありません。こればかりは現地で自身の目で確認する必要があると思います。

以上、とりあえず思い当たるポイントになりますが、遺骨が出来て急ぎたいという場合でも、その後の長期にわたる話になりますので慌てることなく、しっかりと見定めてご検討いただければと思います。

(以前記事にしましたこちらもご参考まで→永代供養墓

 

 

※永代供養墓特集のページを見てみる

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より詳しくは、下記問い合わせまでお気軽にご相談・ご質問ください。お墓ディレクター有資格者(石産協)やお墓相談員(全優石)など専門の知識のある者が丁寧にご対応させていただきます。

お問い合わせ、お越しの際はこちら → お墓無料相談窓口

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・不動ヶ岡不動尊 總願寺 初詣に行ってきました

2014年1月6日 晴れ

加須市にあります、不動ヶ岡不動尊に初詣に行ってきました。今日は六日ということもあり、初詣に訪れる人も少なく、また出店ももう出ていない状態で、静かにお参りできました。

ここ不動ヶ岡不動尊は、成田市の成田山新勝寺(成田不動尊)、日野市の高幡山金剛寺(高幡不動尊)、加須市の玉嶹山總願寺(不動ヶ岡不動尊)と三つのお不動様に対して関東三大不動尊と呼ばれているひとつで、パワースポットとも言われています。

不動ヶ岡不動尊 總願寺 山門 DSCN2676

金色に塗られた山門です。2011年から5か年計画での平成の大改修により、近年美しく生まれ変わりました。迫力のある仁王様もいらっしゃいます。

不動ヶ岡不動尊 總願寺 山門 仁王様 DSCN2677 不動ヶ岡不動尊 總願寺 山門 仁王様 DSCN2678

↓山門には、十善戒と般若心教を彫った銘板が掲げられていました。

不動ヶ岡不動尊 總願寺 山門 DSCN2679

山門をくぐると、正面に不動堂があります。お正月のBGMが流れていましたが、すいていて静かに参拝できました。

不動ヶ岡不動尊 總願寺 DSCN2680 不動ヶ岡不動尊 總願寺 DSCN2682

決して巨大ではありませんが、重厚感と存在感のある不動堂です。写真ではわかりにくいですが、迫力があります。

不動ヶ岡不動尊 總願寺 DSCN2683

現在の本堂は、江戸時代の天保年間に建てられたとか・・・天保というと、1800年代前半ですので、200年くらい前の建物です。

↓こちらは聖徳太子の碑です。

不動ヶ岡不動尊 總願寺 DSCN2685

ここ不動ヶ岡不動尊には様々な文化財があります。

不動ヶ岡不動尊 總願寺 DSCN2688

不動堂のほか、散蓮華模様青石塔婆、倶利伽羅不動剣、黒門、芭蕉翁句碑もあります。

不動ヶ岡不動尊 總願寺 DSCN2686

↓倶利伽羅不動剣のカタチをした奉納された石碑なども境内の随所にみられます。

不動ヶ岡不動尊 總願寺 DSCN2684

境内の西口にある黒門は、元は行田の忍城にあった北谷門を移築したものだそうです。

不動ヶ岡不動尊 總願寺 黒門 DSCN2691 不動ヶ岡不動尊 總願寺 黒門 DSCN2689

↓こちらは散蓮華模様青石塔婆。

不動ヶ岡不動尊 總願寺 散蓮華模様青石塔婆 DSCN2697

↓以下のように説明版にありました。

青石塔婆(板碑)は、緑泥片岩を用いた石塔婆で、鎌倉時代・室町時代に多く、関東地方で建立された。

この散蓮華模様の青石塔婆は、全国でもまれで近県では、佐野市の一向寺に一基あるのみである。

これは鎌倉時代末期のものであり、高貴な方の供養塔のようである。深彫りのキリーク(阿弥陀如来の種子)があり、対に刻まれた五輪塔にも尊厳さがみられ、誠に珍しい板碑である。

昭和五十三年四月 加須市教育委員会

↑以上、引用です。石材店としてはこういった歴史ある石碑にはついつい目がいってしまいます。

不動ヶ岡不動尊 總願寺 散蓮華模様青石塔婆 DSCN2698

境内にはほかにもいくつかの歴史を感じさせる石塔が建っています。

不動ヶ岡不動尊 總願寺 DSCN2702

不動堂には、年男年女の著名人の名前がずらり。不動ヶ岡不動尊 總願寺 DSCN2693

そういえば、このお不動様は節分の豆まきの際には例年著名人が来ていて、昨年2013年は横綱 白鵬関や、大関 琴欧洲関も来られたそうです。今年は誰がくるのでしょうか。いまから楽しみです。

↓不動ヶ岡不動尊總願寺の由来もとても興味深いです。

不動ヶ岡不動尊 總願寺 DSCN2687

こちらも案内板をそのまま引用してみます↓

不動ヶ岡不動尊総願寺の由来

仁和二年(八八六年)秋、第五十八代光孝天皇は重い病にかかられ、どんな名医、妙薬も少しも効目がなく、日に日にご重態になられるはかりであった。そこで三井寺の開山、智證大師(弘法大師の甥)が、みことのりにより病気平癒を不動明王に御祈願申し上げたところ、たちどころに病気がなおられたので天皇は大師に不動明王のご尊像を刻ませ、同年冬、宮中の仁寿殿で開眼供養し、紫宸殿に安置して歴代天皇の守り本尊とされた。ある時、宮中の役人が明王の宝剣を持ち出して自分のものにしようとしたので明王をご守護申し上げていた堂守は、ある夜ひそかに明王を背負って生まれ故郷の吉見領へ逃れ仮堂を建てて安置した。

長暦三年(一三一九年)大洪水があり、付近一帯は泥海と化しご尊像はその流れの中を漂い、この地へとおつきになられた。里人達はご尊像の尊さに一同ひれふして、明王をおまつりし当時岡村と言われていた地名を不動ヶ岡と変えた。

その後元和二年(一六一九年)に高野山の総願上人がこの地に来られ不動明王の御霊験を讃えて玉嶹山総願寺を建立し、明王を御守護申し上げた。

以来今日まで不動明王を尊崇して参詣する善男善女の数多く、関東三大不動明王の随一として、信仰を集めている。

昭和五十五年三月 加須市

↑以上引用ここまで。

 

また時間ができたら訪れてみたいお不動様です。

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・波除稲荷神社

2013年1月5日 くもり

今日は、東京都中央区にあります波除稲荷神社をご紹介いたします。

初詣ではなく、年末に築地に買い出しに行った際に待ち合わせ場所として寄らせてもらい、お参りしてきました。築地市場に行った時の記事はこちらです

今日1月5日は築地市場年始の初競りの日で、マグロの最高値が736万円(1キロ4万円)だとか。去年の1億5000万円に比べてかなりの落ち着きを見せたそうです。

波除稲荷神社に訪れたときは年末最終日だったので、とても賑わっていました。今日もとても賑わっていたのでしょうね~。市場で働く皆さんがあわただしく行き来しています。

築地 波除稲荷神社 DSC_0013

↑築地波除稲荷神社の入口です。右方向が築地市場の場内、左側と自分のいる後ろ側に場外のお店が広がっています。

築地 波除稲荷神社 DSC_0015

↑神社の後ろに見えるのは立体駐車場。市場を取り囲むように、いくつかの大きな立体駐車場があります。

築地 波除稲荷神社 DSC_0016

巨大なお獅子のあたまが!とっても重そうです。赤い獅子と、黒い獅子がいるのですね。ご祭神を守っているそうです。

築地 波除稲荷神社 DSC_0017

↓拝殿の前には、茅の輪くぐりがありましたので、私も左足から三度くぐってきました。

築地 波除稲荷神社 DSC_0018

築地を守る神社だけあって、市場関係者のみなさんからの石碑の奉納がいくつもみられます。どちらもとても立派な石碑です!

築地 波除稲荷神社 DSC_0019

↑玉子塚と、↓すし塚。

築地 波除稲荷神社 DSC_0020 築地 波除稲荷神社 DSC_0022

↑海老塚。↓左から鮟鱇(あんこう)塚と、活魚塚。

築地 波除稲荷神社 DSC_0023

↓お稲荷様です。

築地 波除稲荷神社 DSC_0024

↓さきほどの黒い獅子頭のある獅子殿にはこんな写真もありました。例祭である「つきじ獅子祭」の様子です。獅子頭を輿にのせて担いでいるのがわかります。すごい迫力と空気感が伝わってきました。このお祭りも一度体験してみたいお祭りです。

築地 波除稲荷神社 DSC_0025

波除稲荷神社は、波除とあるのでてっきり津波が来ても大丈夫だった神社なのかと勘違いしていたのですが、どうやらそうではないようです。

江戸湾の埋め立てを進めていた江戸時代初期、埋め立ての一番の難所がここ築地近隣だったようで、幕府の埋め立て計画の仕上げとして最後にここを着手したようです。難所ということで、いくら堤防をつくっても、その都度激しい高水がさらっていってしまう。ある日海面を光り輝くものが漂っていたので引き上げてみると、稲荷大社のご神体だったそうで、ご神体を丁重に祀ったところ、埋め立ての工事が順調に進むようになった。なので「波除」の文字をつけた稲荷神社となったそうです。

築地に魚河岸ができるずっと以前からある神社ですが、今では築地市場の守り神になっているのでしょうね。

中央卸売市場の移転の話がありますが、これからも変わらずこの地と東京の市場を守っていってほしいものです。

 

※東京都の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・年忌法要について

年忌法要について

亡くなった人の祥月命日に営む追善供養の法要を「年忌法要」と言います。

祥月命日とは、亡くなった月日のことです。

 

年忌法要を営むには、まず日程や場所などを決めなければなりません。正しくは、故人の命日に営むものですが、都合によって変更しなければならない場合には命日よりも遅くならないようにしましょう。

場所は、自宅や菩提寺が多いです。自宅で営む場合には、仏壇を掃除し、仏具を揃え、線香・ろうそく・お花などを準備しておきます。もちろん、お墓も掃除しておきましょう。

お寺に連絡して日時などの相談をする際には、塔婆も用意していただける様に頼んでおきます。(※浄土真宗以外)

 

年忌法要を行う年は、以下のとおりです。

  • 一周忌:亡くなった年の翌年に営まれる、初めての祥月命日の法要です。

特に重要な年忌法要と言えます。

  • 三回忌:一周忌の翌年に営まれます。これから3年目を迎えるという意味

で“三回忌”と言います。

 

以後、命日から数えて満6年目に営まれる七回忌、同じように十三回忌、

二十三回忌、二十七回忌、三十三回忌と続きます。

三十三回忌を年忌止めと言って、これで年忌供養を打ち切ることが多いようですが、五十回忌を営んで年忌止めにする場合もあります。

 

「年回忌早見表」もご用意しております。弊社スタッフまでお気軽にご相談・ご質問ください。

 

(鎌倉新書 2分でわかる仏事の知識 より抜粋)

 

 

・アリオ鷲宮でお正月のお買いもの

2014年1月3日 曇り

昨日、1月2日、アリオ鷲宮に行ってきました。「鷲宮」と地名がついているのは旧鷲宮町であった場所なためで、住所は久喜市です。すぐ隣に久喜北陽高校があり、久喜の市街地からも遠くはありません。最寄は久喜駅(JR、東武伊勢崎線)、東鷲宮駅(JR)、鷲宮駅(東武伊勢崎線)になります。大塚がいつもお世話になっている東明寺さま、香最寺さま、慶雲院さまからも遠くありません。霊園では、久喜聖地公苑も遠くない距離にあります。お墓参りの帰りにちょっと寄る、なんてことができるショッピングモールです。

鷲宮と言えば、近年特に鷲宮神社が有名ですが、2010年3月にアリオ鷲宮が出来てからはこちらも鷲宮の顔になったことと思います。

アリオ鷲宮 DSCN2625

↑筑波山とそれに連なる山々がよく見えました。

アリオ鷲宮 DSCN2627

大きなソーラーパネルがあります。パネルの下は広場になっているようです。

お正月だけあって、アリオ鷲宮にお出かけされる方もいっぱい。車もいっぱいです。

アリオ鷲宮 DSCN2626

駐車場から渡り廊下をわたって、いよいよ入ります。

アリオ鷲宮 DSCN2628

家族連れのお客でいっぱい!フードコートも満員です。

アリオ鷲宮 DSCN2631 アリオ鷲宮 DSCN2630

アリオ鷲宮にはこんな人たちもいました。↓

アリオ鷲宮 DSCN2629 アリオ鷲宮 DSCN2632 アリオ鷲宮 DSCN2637

↓トイレの近くに、久喜市の歴史がわかる写真がずらりと並んでます。

アリオ鷲宮 DSCN2634

↓その一番端にこんなポスターが。何か書かれています。

アリオ鷲宮 DSCN2635 アリオ鷲宮 DSCN2636

↑ニュース!!久喜提燈祭り「天王様」が「日本の祭り」(BS12CH・土曜日18:00~/地デジ9CH土曜日12:00~)平成26年は全国で34の祭りが取り上げられる。県内からは、久喜提燈祭り『天王様』に決定しました!(放送日は未定)

と書いてあります。すごいですね!楽しみです。

アリオ鷲宮 DSCN2638

迎春の文字と扇子がかわいらしく空を舞っています。

アリオ鷲宮 DSCN2639

お買い物も終わりましたので、帰路に就こうと思います。

建物を出ると、きれいな夕焼けが。

アリオ鷲宮 DSCN2640

ん?!ひょっとしてあそこに見えるのは・・・

アリオ鷲宮 富士山 DSCN2641

富士山です!

アリオ鷲宮 富士山 DSCN2642

たしか、以前に来たときも一年前の正月でした。

また機会があったら寄りたい、とっても賑やかでお買い物に便利なアリオ鷲宮でした。
※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・小針神社で初詣

2014年1月2日 快晴

埼玉県伊奈町にあります小針神社に参拝してきました。上越新幹線の脇にあり、埼玉新都市交通ニューシャトルの羽貫駅と内宿駅の丁度中間あたりにあります。大塚のお世話になっている西蔵院さまや西光寺さまも近く、また桶川霊園大塚本社からもそう遠くはない位置にあります。

初詣です。

大きな幟があげられています。

小針神社 初詣 幟 DSC_1565 小針神社 初詣 DSC_1567 小針神社 初詣 鳥居 DSC_1568

深い雑木林がきれいな、抜群の環境の神社です。手入れもなされているので、お散歩ついでに参拝するのもいいかもしれません。

小針神社 初詣 DSC_1570 小針神社 初詣 DSC_1572

参拝客もまだそんにな多くなく、ゆっくりと参拝できました。貸切状態のような感じで撮影できてしまいました。

小針神社 初詣 DSC_1573

立派な狛犬が奉納されています。

小針神社 初詣 狛犬 DSC_1574 小針神社 初詣 狛犬 DSC_1575

今年初めての神社への参拝です。気持ちを落ち着かせて拝礼してきました。

すると、なぜかみるみるうちに参拝客が増えてきて、あっという間に行列ができてきました。私が到着した時はタイミングが丁度よかったみたいでした。行列ができて賑わってくると、やっぱり「初詣」という感じがしてきますね!

小針神社 初詣 DSC_1576

小針神社の杜の中には、富士浅間神社や八雲神社、御嶽社や琴平神社、石神井神社と招魂社もあわせて祀られています。

庚申塔もありました。舟形でとても状態の良い庚申塔です。大切にされてきてことがわかります。

小針神社 初詣 庚申塔 DSC_1578

注連縄がかかってわかりにくいですが、宝暦十三年と彫刻されています。西暦1763年に彫られたものですね。

小針神社 初詣 庚申塔 DSC_1579

この神社は「ふるさとの森」に指定されているそうです。確かに納得できる気持ちの良い(かつ引き締まる)いい雑木林、社叢です。

小針神社 初詣 DSC_1582 小針神社 初詣 DSC_1583

上越新幹線沿いにあります。伊奈町や上尾、桶川などお近くの方は一度参拝されてみてはいかがでしょう。

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・明けましておめでとうございます

2014年1月1日 元旦です。

2014角松

明けましておめでとうございます。

昨年は格別 の御厚情を賜り、厚く御礼を申し上げます。

平成26年も社員一同、皆様にご満足頂けるお墓づくりを心がける所存でございますので、

何とぞ昨年同様のご愛顧を賜わりますよう、お願い申し上げます。

本年は、冬季オリンピックや消費税の増税、リニア新幹線の着工など大きな話題のある一年です。

皆様のご健勝と益々のご発展を心よりお祈り致します。

本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

なお、新年は1月9日から平常営業とさせて頂きます。

平成26年 元旦

 

謹賀新年ポスター2014

画像は、お世話になっておりますアイワ工芸様に作っていただいたポスターです

 

・昨日、築地市場に行ってきました!ものすごい混雑にびっくり

12月31日 晴れ

昨日12月30日、お正月の食材を買いに築地市場に行ってきました。12月31日は市場がお休みなので、今年の最終日です。

今回で四年連続の年末の築地市場への買い出しだったのですが、去年までに比べてとても大混雑していてびっくりです。テレビや雑誌でたくさん取り上げられたからでしょうか。車で行ったのですが、首都高銀座ランプを降りると朝6時すぎの段階ですでにびっしりと渋滞が!車を停めるのに難渋しました。

築地と言えば、築地本願寺も気になるところですが、今回は場内市場に集中させていただきます。(場外が好きな皆様、今回は場外は通過してきただけなので、あまり詳しいご報告ができません(^_^;)すみません)

20131230 築地市場 DSC_0009 20131230 築地市場 DSC_0012

築地場外です。たくさんの行列をつくる繁盛店がいくつもいくつもありました。行列のできる店が昨年まではちらほらだったのに対して今年はいくつもいくつも増えているし、行列の長さも長くなっていました。人が多すぎて、歩道をあるくことができません。↑見えているこの道の突き当りにあるのが「波除稲荷神社」なのですが、そこの訪問記事はまた別の機会に記事にしてみようと思います。

20131230 築地市場 DSC_0032

築地場外と場内の境目にあたるエリアです。ここも有名なお店が軒を連ねています。

そんな中、

20131230 築地市場 吉野家 DSC_0028

吉野家一号店です。昔からの河岸の男たちの飯場といった感じで、全国の吉野家さんのカウンター席のルーツを見ることができました。ちなみに箸は背中の壁にあるんだそうです。↓吉野家さんからのメッセージがありました。

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吉野家さん、いつもおいしい牛丼をありがとうございます!

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↑こちらは「豊ちゃん」さんです。吉野家さんから少し離れたところにあるお店です。ここもずらっと行列ができていました。テレビで何度か紹介されていたのでご存じの方もいるかと思いますが、カツカレーの発祥のお店です。ちなみにカツカレーのことは「のっけ」、ご飯にオムライスを乗せたものを「オムのっけ」とみなさん注文されています。吉野家さんの「つゆだく」「ネギ抜き」のように、お客さんが呼びはじめたものっぽい語感ですね。

さて、いよいよ場内に入っていきます。

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ここから先は、仕入れに来たプロの方がたくさん(当たり前ですが)。そして、大江戸線が開通して築地市場駅ができてから、私のような一般客も訪れるようになってきています。年末はむしろ一般客がいっぱいです。

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場内では、場外とはまたちがったカタチでたくさんの商店がずらりとびっしりと軒を連ねています。品物がたくさん店棚に並んでいて、買い出しする人の通路は人が一人通るのがせいいっぱいです。

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↑さきほどの店棚の並ぶ通路と直角に交わるのがこういった道。台車や原付バイクなども行き来しています。

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↑こちらは店棚の反対側の裏側にあたる通路。商品を入れる箱であふれてます。

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一度迷子になったら、入口まで戻らないと出会うことはできなさそうです(汗)

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↓長さのある魚が氷の中に埋まっています。なんの魚なのでしょうか。

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まぐろを捌く様子が見られるお店もたくさんあります。もちろん私もまぐろを買いました!

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↓白ミル貝、大きくてすごい迫力です。

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冷凍のまぐろが断裁されているところです。

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↓すごく長い刃物を発見!こういった刃物は、博物館で見る日本刀か、まぐろを捌くシーンくらいでしか見られないのかもしれません。

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↓こちらのタコ、元気に生きてます。

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↓こちらのK1550円のタコを買いました。

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切られたまぐろの頭が山になってます。

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↓まぐろ、たこの他、数の子、伊達巻、蒲鉾、タラバ蟹、などなど買いこんだら、バッグもぱんぱんです。

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帰路、場内で出た不必要となった発泡スチロールを細かく砕いて処分する場所がありました。こういうのも市場ならではですね。

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帰り道に場外をちらりと見てみますと・・・二時間前とくらべて人がすごいことに!(朝9時くらい)

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完全に歩道が歩道でなくなっています(^_^;)すごいです。

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ここがまたグルメ店が並ぶ有名なエリア。お店の前で食べる人がいっぱいいるので、どうしてもこうなってしまうのですね~。↓こちらは美味を味わっている方々の風景です。うらやましい!

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魚屋さんやお寿司屋さんなどの料理屋さんは毎日市場に仕入れに来ているのを考えると、そういったプロのみなさんの仕入れの邪魔になってはいないかと気になりますが、おかげでとても新鮮でいいものを買うことができました。(知り合いのお寿司屋さんの仕入れに同行させてもらったので、いい品物を選んでもらいました)

それでは、これにて平成25年のブログ記事は最後になります。次のアップは平成26年!

みなさま、よいお年をお迎えください。

※東京都の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

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