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記念碑・モニュメント」カテゴリーアーカイブ

・のぼうの城に登場した丸墓山古墳 さきたま古墳公園 石田堤 その②

2014年3月7日金曜日

昨日の記事、のぼうの城に登場した丸墓山古墳 さきたま古墳公園 石田堤 その① の続きになります。

石田堤 忍城 水攻 推定 地図小

前回は、弊社大塚がお墓をご案内している「さきたま霊園」すぐ近くの、埼玉県さきたま古墳公園にあります丸墓山古墳(忍城攻めの際の石田三成本陣跡)にのぼってみるべく、その足元にたどり着いたところまで書きました。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0071

さていよいよ登ってみます。頂上まで続く階段を登っていくと・・・

頂上は円形の生垣で囲まれており、桜の木が点在しています。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0074

後ろを振り返ると・・・

階段の下に伸びている砂利道が石田堤になります。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0073

やっぱりこの高さからだと武蔵野平野というものをよく感じることができます。とにかく平らですね~そんな中に点在している小山のような古墳たち。太古の昔はさぞ巨大に感じられたことでしょう。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0075

↑丸墓山古墳と忍城の案内板があります。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0077

案内板にはこうあります↓

天正十八年(1590)、豊臣秀吉の命を受けた石田三成は、総延長28km(一説には14km)の石田堤を築き、忍城を水攻めしました。丸墓山古墳は高さが19mもあり、周辺を一望できることから三成の陣が張られたと言われています。

北の利根川水系、南の荒川水系の水を流し込んでの城攻めは成功せず、豊臣秀吉が唯一落とせなかった城とも言われています。

↑以上、引用終了です。案内板によると、この方向に忍城が見えるとのこと。じっとその方向を見つめてみると・・・

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0080

お!

さきたま古墳 石田堤 石田三成陣 丸墓山古墳から見た 見える 忍城 本丸 御三階櫓 天守閣 DSC_0079

じゃじゃーん!忍城の御三階櫓が見えました。世にいう「天守閣」と呼ばれるもののカタチになっておりますが、江戸時代までの忍城には幕府への遠慮から、「天守閣は存在しない」ということになっていました。ただし、天守はなくとも隅櫓が三階建てになっており、事実上の天守の役割を担っていました。江戸時代の歴代藩主は松平氏や阿部氏など、譜代大名でありました。川越や小田原などと同様、江戸周辺の要衝として信頼のおける大名しか配置できなかったのでしょう。だからこそ余計に「幕府に遠慮して」という構図が生まれやすかったのかもしれませんねぇ。江戸幕府は「事なかれ主義」の時代でもありましたし。

小説・映画で大ヒットした「のぼうの城」、石田三成の水攻めのあった天正18年の忍城は北条方、成田氏の城ですので天守はありませんでした。なので、上記写真のような光景は石田三成はじめ上方勢の武将の大谷吉継、長束正家、真田昌幸、信繁(真田幸村)父子には全く違った光景が広がっていたはずです。↓当時の想像図(別記事より)

DSC_0046 (2) DSC_0045 (2) DSC_0042 (2) DSC_0041 (2) DSC_0048 (2) DSC_0047 (2)

↑クリックで元画像を見られます。これらの画像は近くの上越新幹線の下にある石田堤史跡公園にあったパネルです。

ちなみに、この丸墓山の上には、関東管領上杉謙信公も陣を張った過去がありました。天正2年とのことなので、三成の忍城攻めの8年前ですね。謙信公も忍城を落とすことはできませんでした。上杉謙信と忍城城主成田氏との間には、天正元年に当主成田泰の下馬打擲事件という面白い因縁のエピソードがありますのでご興味のある方は是非検索してみてください。

さてそんな丸墓山頂上、ほんとうに景色がよく見えます。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0089

↑こちらは丸墓山古墳の隣にあります、稲荷山古墳です。「ヤマタケル」金文字入りの鉄剣出土で全国的にも有名な古墳です。この画像の左上に見えているタワーがこちら↓

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0090

行田市周辺の方にはおなじみの、古代蓮の里のタワーです。近年は田んぼアートのスポットとして有名です。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0091

↑こちらは真横から古墳を眺められます。将軍塚古墳です。

景色が良いので、遠くに見える山々も写真に撮ってみました。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0082 さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0083-

↑赤城山です。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0087 さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0085-

↑栃木県の日光連山と男体山。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0093

↑栃木県佐野市の採石場かと思われます。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0094

↑わかりにくいかもしれませんが、東北自動車道の羽生ICと館林ICの間の利根川を渡る白い鉄橋が辛うじて見えます。方角的に、栃木県の佐野藤岡ICや佐野SAの近くの県南大規模公園や岩舟町の岩船山、栃木市の太平山あたりが見えていると思います。このあたりが連続して見えている山脈の一番右端になります。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0095

↑佐野市、岩舟町、栃木市方向。

では頂上も堪能できましたので、丸墓山を下りてみたいと思います。北側の斜面には一面の雪が残っていました。雪はやっぱり北側から吹き付けてきたんですね。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0096

↑山頂からみた階段と、↓階段下から見上げる丸墓山。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0098

雪景色の丸墓山というのも、とても風情を感じます。

さらに位置を変えて雪の丸墓山です。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0104

丸墓山の足元をぐるりと周る遊歩道をあるいて、丸墓山を登ったスタート地点の方に向かってみます。しかしながら、白い丸墓山もなかなか乙なものです。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0105

で、石田堤。前回の記事で丸墓山の南側の石田堤はご紹介しました。では北側は?ということで次の写真をご覧ください。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 雪 DSC_0107

 

↑こちらの写真の箇所、古墳のカタチがここだけすこし伸びているように感じられます。なんだか柵?看板の跡?もあります。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0106

↑そしてこ真後ろにはこんな土地が。写真だと分かりにくいのですが、道があったかのような形状の土地です。しかも一つ上の写真の出っ張り部分の延長線上にあたります。まさに石田堤だからこそ植林がなされていない!のかな?案内板があるとうれしいなぁと感じました。この箇所が石田堤だということについては、埼玉県立さきたま史跡の博物館のページの記述と写真で確認できました。

すぐ近くの森の中に、江戸期の石塔が並んでいました。石材店の人間としてはこういった石造りの加工品といいますか、供養塔にはとても興味が惹かれてしまいます。

さきたま古墳公園 DSC_0108 さきたま古墳公園 DSC_0109 さきたま古墳公園 DSC_0110

さて、帰り道です。全体地図と丸墓山古墳の位置関係を再度確認してみます。地図にも石田堤と書いてありますね。

さきたま古墳公園 DSC_0111 さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0112

駐車場に戻り、最後に行田市近隣の観光案内地図が二種類ありました↓クリックすると元画像が見られますので大きくしてみることができます。

さきたま古墳公園 DSC_0114 さきたま古墳公園 DSC_0116

この、さきたま古墳公園のすぐ近くの交差点脇にはこんな看板があります。

さきたま古墳公園 さきたま霊園 DSC_0117 さきたま古墳公園 さきたま霊園 DSC_0119

↑そきたま古墳のごく近所の、行田市の斎場に向かうT字路にあります。さきたま霊園です。弊社大塚がお墓をご案内している霊園になります。とってもきれいな霊園なんですよ!もちろん名前はここ「さきたま古墳」にあやかりました。お墓参りの行き帰りに公園散歩やお花見ができてしまう魅力的な霊園です。

↓近隣の方はわかると思いますが、この辺り一帯は本当に真っ平らな土地なんです。

さきたま古墳公園 周辺は平地 DSC_0120

こんな凹凸のない土地に石田堤という堤防をつくって水攻めを考えてしまうなんて、豊臣秀吉はすごいですね~。そして失敗はしたものの実行に移し堤防を完成させた石田三成もなかなかのものです。

帰り道の途中には、大雪でこわれてしまったビニールハウスも。たかが雪とは言い切れない、甚大な災害ですね。

さきたま古墳公園 雪で壊れてしまったビニルハウス DSC_0121

そして最後にこちらの交差点にご注目を。古墳のすぐ近くの交差点です。

さきたま古墳公園 埼玉交差点 DSC_0122

そう、埼玉の名前の由来となった「埼玉(さきたま)」という土地なんです。その名前を持った交差点。

さきたま古墳公園 埼玉交差点 DSC_0123-

今回の記事はここまで。また関連の記事を書きましたらよろしくお願いいたします。

————

参照記事 石田堤についての以前の記事

のぼうの城に登場した丸墓山古墳 さきたま古墳公園 石田堤 その①

のぼうの城に登場した土堤、石田堤に行ってきました

忍城水攻 石田堤 行田市 鷺栖神社

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社②

2014年2月28日金曜日 とても温かい晴れ

昨日の記事「・日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社①」の続きになります。日光御成街道の鳩ヶ谷宿(旧鳩ヶ谷市、現川口市)の鳩ヶ谷氷川神社のご紹介の二回目です。鳩ヶ谷氷川神社は地下鉄南北線とも直通している埼玉高速鉄道の鳩ヶ谷駅から歩いて行くことができます。鳩ヶ谷の総鎮守だけあってとても重厚で美しい神社です。

昨日の記事では、境内の様子と本殿(拝殿)に向かう門までご紹介いたしました。

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3586 クリックで拡大

↑この重厚な門をくぐると・・・りっぱな拝殿があります!小さなお子さんも参拝に来られていました。

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3587

御神籤を引いてみましたところ、まずまずの小吉でした。拝殿側(内側)からみる門もまた重厚な趣があります。

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3588

拝殿に向かって右側、須賀神社の御神輿を見ることができます。

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3591 日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3590 クリックで拡大

拝殿の右奥には、さまざまな石碑が並んでいます。石材店の人間としてはこういった石造りのものについつい目がいってしまいます。

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3592 日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3596 クリックで拡大 

拝殿のうしろの本殿が見えてきました。切り妻から点に続く板が外削ぎになっています。男千木です。祭神は氷川神社というだけあるので素戔嗚尊(スサノオノミコト)です。立派な男神様です。

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3595

さらに進んでいくと、いくつものお社が並んでいます。

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3593 日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3597 日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3599 クリックで拡大

境内には本殿の他、前述の須賀神社、天満宮、三峰神社、浅間神社、古峯神社、弁天様、稲荷社、猿田彦も祀られています。

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3598 クリックで拡大

戦没者慰霊碑の前には、「笑う少女像」が。愛らしい表情で佇んでいます。「平和を永久に」とあります。本当にそうあってほしいものと願います。

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3600 クリックで拡大

日露戦役紀念碑と力石、稲荷社が見えますが、ここは本殿の真裏にあたります。

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3601 クリックで拡大

↑神社などに時々ある力石。とてもではありませんが持てる大きさと重さな気がしません(^_^;)きっとものすごい力自慢さんがいらっしゃったのでしょうね!

↓こちらは日露戦役紀念碑です。

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3602 クリックで拡大

とても立派な書が刻まれています。

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3603

やや!私気が付きました!

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3603-

なんと「海軍大将東郷平八郎書」とあるではありませんか。由緒正しい書を持つ紀念碑であります。

そしてさらにその奥には、夫婦楠があります。ご神木なんですね!

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3604

そういえば、大宮にある武蔵一ノ宮氷川神社にも楠が植えられていてご神木、パワースポットとして大切にされています。氷川神社と楠って、きっと深いつながりがあるのかもしれませんね。

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3607 日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3605 日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3606

時間にして10分くらいでしたが、神社の持つ凛としていてそれでいて温かみのある空気にふれられて、心身ともにリフレッシュ。また近くを通る時には寄らないと!と感じてしまいました。また来ます。

 

関連記事「・日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社①

 

※鳩ヶ谷氷川神社から遠くない場所にあります、川口元郷聖地かわぐちの杜川口フォーシーズンメモリアル川口光輪メモリアルにご興味ありましたらそれぞれリンク先も是非ご覧ください。

 

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社①

2014年2月27日木曜日 雨と霧

先日行ってきました埼玉県は川口市の鳩ヶ谷の総鎮守である氷川神社。今日はこちらをご紹介いたします。霊園・墓石店である大塚の一社員であります私ブログ担当のT、川口元郷聖地からの移動の途中に寄ってみました。川口元郷聖地かわぐちの杜川口フォーシーズンメモリアルからも遠くない場所にあるのが鳩ヶ谷氷川神社です。

埼玉県川口市の鳩ヶ谷の中心地、埼玉高速鉄道の鳩ヶ谷駅の近くに鳩ヶ谷氷川神社はあります。平成の大合併により、2011年10月11日に川口市と鳩ヶ谷市とが合併し川口市となった鳩ヶ谷市。そんな鳩ヶ谷の中心地は日光御成道の宿場として栄えた歴史があります。宿場町の中、氷川神社に向かう道があります。

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3610 日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3611 日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3573 日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3574←クリックで拡大

一の鳥居から銀杏並木が続いており、奥に見える鳩ヶ谷氷川神社の存在感を引き立たせてくれています。

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3575

決して巨大な神社、社殿ではありませんが、なかなかに美しい佇まいの立派な神社です。氏子のみなさんや街のみなさんの神社を信奉している大きな気を感じられるような気がします。

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3577 日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3576 ←クリックで拡大

鳥居をくぐると対の狛犬がいらっしゃいます。右側の阿形の狛犬、なんと子連れです。左の吽形の狛犬は玉のようなものを前足で抑えています。右の阿形が母犬で、左の吽形が父犬?石材店のブログ担当Tとしてはこういった石造りの文化にとても惹かれてしまいます。

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3578 ←クリックで拡大

↑手と口を清める、手水舎。左側に水神宮と銘を刻んだ石碑が置かれています。竜神さまの口から聖水が流れていました。

境内の本堂に向かって左側には「御神水」が湧き出ています。

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3579 日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3580 日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3581 クリックで拡大

↑この御神水は境内地下から汲み上げられた湧水だそうで、心身を祓い清め、拝受することにより運気を向上させると言われているとか。自由に汲んでよいようですが、飲む場合は煮沸してからお召し上がりをと明記されてます。

ここには、川口市指定有形文化財・歴史資料である「鳩ヶ谷絵図」が伝わっているようです。

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3582 日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3583 日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3584

案内板にはこうあります↓

表題に「御宮地(おみやち)地図」とある巻物で、市内最古の絵図です。日光御成道(にっこうおなりみち)を中心に鳩ヶ谷宿の町割と用水、宿内の神社や寺院などが描かれています。

絵図の内容は、中央に日光御成道があり、江戸方向から小渕村と辻村、一方、岩槻方面には浦寺村までの範囲が描かれています。御成道の両側には、一軒ずつ屋敷地の間口と奥行きの寸法が、さらにその居住者名などの宿内の屋敷六十九軒分が細かく記録されています。また、御成道が渕江(ふちえ)用水(現在の見沼代用水)を渡ったもとから氷川神社へ至る参道、八郎兵衛(鳩ヶ谷宿本陣船戸家)を抜けて入る源性寺通(げんしょうじみち)、十右衛門(現在の竹屋晝間家)手前から入る横道などの様子も詳細に見られます。

製作年代については不詳ですが、絵図中にある「渕江用水」・「氷川大明神禰宜七右衛門」・「天神町中抱(てんじんまちじゅうがかえ)」・「熊野見捨地」・の記載の他、屋敷地の人名や並び順などから、元禄十年(1697)に作成された「鳩ヶ谷町検地野帳」と合致するので、おそらくその頃に描かれたものと推定されます。

川口市教育委員会

↑以上引用です。

境内には神楽殿もありました。祭礼の際などに神楽や舞など披露されるのでしょう。

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3585

いよいよ参拝になりますが、まずは立派で重厚な門をくぐります。ここから先の大切な空間を守る結界として構えられているこの門、優雅ながら重々しく美しさがあります。

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3586

そしていよいよ本殿(拝殿)へ!

 

と、本日の記事はここまで。

まだまだ見どころたくさんの鳩ヶ谷氷川神社。続きはまた明日にでも書いてみようと思います。

日光御成街道の魅力も追って順々に書いていけたらなぁとも思っていますので、書きましたらまた読んでくれるとうれしいです。

つづく→「・日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社②

 

※鳩ヶ谷氷川神社から遠くない場所にあります、川口元郷聖地かわぐちの杜川口フォーシーズンメモリアル川口光輪メモリアルにご興味ありましたらそれぞれリンク先も是非ご覧ください。

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・埼玉県吉見町 岩室観音に行ってきました

2014年2月25日 火曜日

先日、埼玉県吉見町にあります、岩室観音に行ってきましたのでご紹介いたします。

ここ岩室観音は、東松山市街からほど近い吉見百穴に隣接しています。すぐ裏手に広がる山は、武州松山城の跡地で、松山城の搦め手の一部にも位置しています。

埼玉県吉見町 岩殿観音に行ってきました DSCN3130 埼玉県吉見町 岩殿観音に行ってきました 弘法大師 八十八カ所 DSCN3138 埼玉県吉見町 岩殿観音に行ってきました 弘法大師 八十八カ所 DSCN3266 ←クリックで拡大 

岩山のはざまに、とても歴史を感じさせる趣のお堂があります。そして両サイドの岩山もくりぬかれているんです。

 

埼玉県吉見町 岩殿観音に行ってきました 弘法大師 八十八カ所 DSCN3140

向かって右の岩穴↓

埼玉県吉見町 岩殿観音に行ってきました 弘法大師 八十八カ所 DSCN3152

反対側(向かって左側)です↓

埼玉県吉見町 岩殿観音に行ってきました 弘法大師 八十八カ所 DSCN3155

こちらの石仏は八十八体あり、こちらで拝むと、四国八十八カ所を一遍にめぐるのと同じ功徳があるそうです。

↓こちらは胎内くぐり。ここをくぐると諸難を除き、安産その他の願いごとが叶うと言われて居ます。とあります。そして二階にはご本尊が鎮座されています。

埼玉県吉見町 岩殿観音に行ってきました 弘法大師 八十八カ所 DSCN3157 埼玉県吉見町 岩殿観音に行ってきました 弘法大師 八十八カ所 DSCN3158 ←クリックすると拡大。

天井というか梁というか、とにかく千社札がいっぱいです。

埼玉県吉見町 岩殿観音に行ってきました 弘法大師 八十八カ所 DSCN3159 ←クリックすると拡大。

このお堂の裏側は峻嶮な山道が続いていて、ここを上っていくと松山城に上ることができます(滑りやすいので注意が必要)

埼玉県吉見町 岩殿観音に行ってきました DSCN3163 埼玉県吉見町 岩殿観音に行ってきました DSCN3165 ←クリックすると拡大。

ものすごい道?です(^_^;)

埼玉県吉見町 岩殿観音に行ってきました DSCN3166

くさり場もあります。そしてここを登るとたどり着くのがこちら右側の写真↓

埼玉県吉見町 岩殿観音に行ってきました DSCN3168 埼玉県吉見町 岩殿観音に行ってきましたDSCN3169 ←クリックすると拡大。

こちらも胎内くぐりのようにも思えます。そうなのかな?

案内板がありました。この近隣は吉見町百穴ふるさとの緑の景観地として指定されているようです。

埼玉県吉見町 岩殿観音に行ってきました DSCN3142

埼玉県吉見町 岩殿観音に行ってきました DSCN3144 埼玉県吉見町 岩殿観音に行ってきました DSCN3143 ←クリックすると拡大。

現在のお堂は江戸時代の寛文年間(1661~1673)に建てられたものだとか。珍しい懸造りという様式のお堂だそうです。

埼玉県吉見町 岩殿観音に行ってきました DSCN3145 埼玉県吉見町 岩殿観音に行ってきました 弘法大師 八十八カ所 DSCN3146 埼玉県吉見町 岩殿観音に行ってきました 弘法大師 八十八カ所 DSCN3147 ←クリックすると拡大。

↓こちらの看板はお寺様の建てたものかと思いますが、なんと空海(弘法大師)さまが建てたと記されています。

埼玉県吉見町 岩殿観音に行ってきました DSCN3148

そしてその後、天正の世に太閤秀吉の北条攻め、関東征伐の際に石田三成の部下によってすぐ裏の松山城が燃やされ、その余炎によって類焼してしまったそうです。が、尊像だけは無事に残っていたとか。(石田三成の北条攻めについては、こちらの記事や、こちらの記事でも忍城攻めも書いています)

そしてこの懸造りという様式は、京都の清水寺の観音堂をはじめとても珍しい作りだということが書いてあります。

この日、このあと裏山の松山城に登ってみたのですが、それはまた別の記事で書いてみます。

埼玉県吉見町 岩殿観音に行ってきました 弘法大師 八十八カ所 DSCN3170

↑岩室観音堂の裏(松山城側)から見た様子

吉見百穴はすぐ隣にあります。

埼玉県吉見町 岩殿観音に行ってきました 吉見百穴 DSCN3267

昔武田信玄がここ武州松山城を攻めに来た際、甲州から金山衆を呼び寄せ、百穴の岩山から坑道を掘らせて城に侵入しようとした作戦を立てたりしたこともあったとか。

古代人のお墓?とも住居跡?とも言われている百穴のほか、いろいろな歴史のあるエリアなのですね~

ちなみに墓石店、石材店としてはここからそう遠くない森林公園昭和浄苑や、鴻巣霊園はお勧めの霊園です。

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました

2014年2月21日金曜日 晴れ

先日、埼玉県さいたま市西区にあります、秋葉神社に行ってきました。

さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました DSCN3311 さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました DSCN3312 さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました DSCN3313 さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました DSCN3315さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました DSCN3314

ご祭神は、火之迦具土大神(ホノカグヅチノオオカミ)、火の神様です。火災などから守ってくれる神様というわけです。千代田区にある電気街の秋葉原は、江戸時代には「秋葉が原(あきばが原)」とも呼ばれていました。江戸の大火除けの広場があり、火事除けの神様の秋葉神社がありまして、その火除けの広場(広小路)を秋葉原と呼んだわけです。いつの間にか今ではすっかり「あきはばら」ですね。

さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました DSCN3316 さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました 秋葉宮 額 DSCN3324 さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました DSCN3326 さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました DSCN3327 さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました 拝殿と本殿 DSCN3315

本殿は「八ツ棟、三手先作り」という江戸時代を代表するつくりだそうです。八ツ棟とは、豪奢な屋根を重ねて配置する建築様式を指した総称だそうで、八つの棟があるわけではなく、「八」は複数という意味だそうです。本殿の切妻屋根の端っこ、棟の端にあるクロスしている木を千木と言いますが、これが地面に対して水平に切られていたら女神。地面に対して垂直に切られているので、男神さまだということがわかります。棟に横たわるちくわ、海苔巻のような木は鰹木と言うらしいです。鰹木は5本あるようですね。(いろいろと即席で調べてみました。間違えていたらごめんなさい。)

さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました DSCN3328

ここでは、無形文化財になっている地域では有名な「秋葉ささら獅子舞」が維持保存されています。毎年7月15日に近い土曜日には祇園祭が行われ、そこでこのささら獅子舞が舞われます。

さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました DSCN3331 さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました DSCN3333 さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました DSCN3334 さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました DSCN3317

墓石店、石材店である弊社。私ブログ担当のTも自然に石造りの灯篭や石碑に目が行ってしまいます。どちらも歴史を刻んだものでとても興味をもって拝見させてもらいました。

さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました DSCN3318 さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました DSCN3320

さまざまな大木があります。↑こちらはスダジイ。

さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました DSCN3336 さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました DSCN3338

↑こちらはアラカシ。ご神木みたいですね。

さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました DSCN3340 さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました DSCN3341

↑ゆずでしょうか?小さいミカンのような柑橘類の木です。

さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました DSCN3343

↑立派な松の木です。あ、あそこにいるのは・・・。

そして↓ここにも!なんだか今日は彼ら黒い鳥たちがいっぱいいました。集会でもしていたのかな?

さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました DSCN3321

↓おっと、ここにはこんな方も。

さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました DSCN3332

政令市のさいたま市なのにとても静かで環境のよい秋葉神社。気持ちもすっきりしました。

さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました DSCN3344

↑空から見送ってくれているカラス。

ちなみにこちら秋葉神社からは、彩の恵やすらぎの杜さいたまメモリアルパーク西上尾メモリアルガーデンも車でそう遠くないところにあるんですよ。

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・忍城水攻 石田堤 行田市 鷺栖神社

2014年2月14日金曜日 雪

今日はバレンタインデー。そして大雪になりました。ホワイトバレンタインですね。弊社大塚は墓石や霊園を取り扱っている会社なのですが、明日明後日にお墓参りなど墓地に行く予定のある方はこちらをご覧ください→先週の墓地の様子。対策を立ててお気を付けくださいませ。雪の日の墓参り、可能ならば別の日にするというのもありかと思います。

ところで本日は、埼玉県行田市にあります鷺栖神社(さぎすじんじゃ)をご紹介いたします。

忍城水攻 石田堤 行田市 鷺栖神社 DSCN2860

ここは、戦国時代後期の忍城の水攻めの石田堤の一部として使われたと言われている神社です。石田堤については以前書きました記事(のぼうの城に登場した土堤、石田堤に行ってきました)がありますのでご興味ありましたら読んでみてください。

場所はJR高崎線の行田駅からほど近い、旧元荒川が蛇行する地域にあります。JR高崎線と上越新幹線に挟まれたこのあたり(門井町、棚田町、壱里山町など)は旧元荒川が大きく蛇行しているため、行田市と熊谷市と鴻巣市(旧吹上町)とが入り組んでいる地域です。

神社の隣にある公民館の住宅地図です。

忍城水攻 石田堤 行田市 鷺栖神社DSCN2850 忍城水攻 石田堤 行田市 鷺栖神社DSCN2852

決して巨大な神社というわけではありませんが、隣に立派な公民館もあり、とてもよく整備され維持管理されている佇まい美しい神社です。

忍城水攻 石田堤 行田市 鷺栖神社 DSCN2859 忍城水攻 石田堤 行田市 鷺栖神社 DSCN2861 忍城水攻 石田堤 行田市 鷺栖神社 DSCN2862

↓こちらの記念碑を読んでみますと、元々元荒川の土手、堤防の上に築かれた神社だったようです。場所的にもその社殿の建つ土盛りの高さからも頷けます。江戸時代までま鷺巣大明神と呼ばれていたのですね。主祭神は日本武尊です。

忍城水攻 石田堤 行田市 鷺栖神社 DSCN2863 忍城水攻 石田堤 行田市 鷺栖神社 DSCN2864

現在の社殿は、平成三年十二月に完成したものになります。

忍城水攻 石田堤 行田市 鷺栖神社 DSCN2868

↓合祀されている伊奈利神社です。おいなりさまですね。

忍城水攻 石田堤 行田市 鷺栖神社 伊奈利神社 DSCN2866

↓こちらは山神社。

忍城水攻 石田堤 行田市 鷺栖神社 山神社 DSCN2865

↓塞神社です。

忍城水攻 石田堤 行田市 鷺栖神社 DSCN2853

こちらには道祖神さまもいらっしゃいます。

忍城水攻 石田堤 行田市 鷺栖神社 DSCN2854 忍城水攻 石田堤 行田市 鷺栖神社 DSCN2855

かろうじて「塞神」の大きな文字が読み取れました。

忍城水攻 石田堤 行田市 鷺栖神社 DSCN2857 忍城水攻 石田堤 行田市 鷺栖神社 DSCN2858

さてこの鷺栖神社、さきにも申し上げましたが、忍城への水攻めの際の堤防として使われたようで、実は今回はその「堤の面影は残っているのか?」ということを主に観察に来たのですが・・・残っていました面影!

右の道路と社殿の高さまでの間に法面、土地の高さを認められます。2メートルくらいでしょうか。

忍城水攻 石田堤 行田市 鷺栖神社 DSCN2869

参拝者のための石段はしっかりと作られています。高低差を確認できます。

忍城水攻 石田堤 行田市 鷺栖神社 DSCN2870

見上げると、結構な高さに感じられます。

忍城水攻 石田堤 行田市 鷺栖神社 DSCN2871

今度は逆に、社殿の高さから道路を見下ろしてみると・・・

忍城水攻 石田堤 行田市 鷺栖神社 DSCN2867

こんな感じの高低差を認められます。

400年以上という長い時間を経る間に元荒川の整備や、荒川の掘削開削による大整備などがあり、鷺栖神社に連なっていた堤防はすっかり消えてなくなってしまっているようです。現在では周りはすっかり住宅地になっていました。逆に言えば、この神社があったがために堤防の名残として現在まで保存されてきたとも言えます。

↓ピンク色の丸印が鷺栖神社の位置です。

石田堤 忍城 水攻 推定 地図 行田市 鷺栖神社の場所

上越新幹線の足元に残る石田堤史跡公園や、丸墓山古墳などとともに後世に残っていってほしい遺構であり、地域の神社です。

余談ですが、行田市のこの周辺からは、墓石・墓地をご紹介している弊社としてはさきたま霊園(のぼうの城に縁があります)や鴻巣霊園、また東松山の森林公園昭和浄苑をお勧めすることができますので、墓地や霊園にご興味のある方もお気軽にお問い合わせください。

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参考記事

・のぼうの城に登場した土堤、石田堤に行ってきました

・のぼうの城に登場した丸墓山古墳 さきたま古墳公園 石田堤 その①

・のぼうの城に登場した丸墓山古墳 さきたま古墳公園 石田堤 その②

 

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・中山道 桶川宿

2014年2月10日月曜日 晴れ

本日は、埼玉県桶川市にありました、中山道桶川宿のご紹介をいたします。桶川と言えば、桶川霊園でのお墓のご案内をしている弊社なのですが、大塚本社のある北上尾から中山道を下っていき、桶川駅入口交差点を過ぎてしばらく進みますと、中山道桶川宿の案内看板と道標が見えてきます。

中山道 桶川宿 DSCN3011

昔の宿場を思わせる建物と、街道の地図の案内板があります。

中山道 桶川宿 DSCN3012

手洗い処・・・お手洗いを示してます。あ、何やら下の方にかわいい人がいます!

中山道 桶川宿 オケちゃん DSCN3013

桶川市マスコットキャラクターの「オケちゃん」です!いま話題の「ゆるきゃら」さんでしょうか。とてもかわいらしいですね!頭にのせているのは、きっと紅花かと思われます。桶川市は紅花の町なのです。

すぐ横にはこんな道標もありました。

中山道 桶川宿 DSCN3010

片面しか撮影しませんでしたが、見えている文字が「右 鴻巣宿」と書いてありますので、反対側はきっと「左 上尾宿」と書いてあるのでしょう。

北本宿というのがないのが残念ですが、北本宿=鴻巣宿とも言えるのでしかたありません。中山道の宿駅が定められた江戸初期、桶川の次の宿場は現在の北本市の北本駅近くに置かれたのですが、「桶川宿から近すぎるし、その次の熊谷宿まで遠すぎる」ということで、宿場町をもっと北側に移動させることとなりまして、移動した新しい宿場が現在の鴻巣市にあたり鴻巣宿。その後、町ごとそっくり移動したものなので現在の北本の地には宿場はなくなってしまったわけです。おっと余談でした。北本については、また別の記事で書いてみたいと思います。

すぐ隣にある案内板です。街道沿いの街並みについて書かれています。

中山道 桶川宿 DSCN3014

文字がちっちゃいので拡大してみます。

中山道 桶川宿 DSCN3015 中山道 桶川宿 DSCN3016

昔ながらの建物や石碑などがいろいろと点在している町なんですね!桶川は魅力たっぷりです。

案内板には↓このように書かれています。

中山道 桶川宿 DSCN3017 中山道 桶川宿 DSCN3018 中山道 桶川宿 DSCN3019

桶川は紅花のみならず、麦の町でもあったのですね~!そして、日本橋までの距離がマラソンの距離に近いとか。桶川から日本橋までのマラソンとかあったりしたのでしょうか?どうなのでしょう。

中山道 桶川宿 彩の国ロードサポート DSCN3020

中山道のこのあたりは、倫理法人会のみなさんがボランティアで清掃美化活動されているようです。いつもいつもありがとうございます!

案内板から一歩進むと、井戸?水場?があります。

中山道 桶川宿 中山道のいずみ DSCN3021 中山道 桶川宿 中山道のいずみ DSCN3022

↑カマド ベンチ と書いてあるのでしょうか?

中山道 桶川宿 中山道のいずみ DSCN3023

今は水は出ていませんし、溜まってもいませんが、じゃぶじゃぶとすることができるようになっています。

中山道 桶川宿 中山道のいずみ DSCN3024

桶川宿まちかどオアシス 中山道のいずみ だそうです。防災用手押井戸・かまどベンチと書いてあります。設置者の中山道商店会のみなさん、憩いのスペースをありがとうございます!

そしてその傍らにはとても趣深い石碑がありました。竹垣と砂利と石で和のテーマで作られています。

中山道 桶川宿 DSCN3025 中山道 桶川宿 DSCN3026

滋味 みちよ

お茶の水女子大学有志 卒業生

実践女子大学 辻村研究室卒論生桂会

・・・とあります。

中山道 桶川宿 DSCN3027

桶川市出身で、日本初の女性農学博士、辻村みちよ博士の顕彰碑だったようです。緑茶の中にカテキンが含まれることを世界で初めて発見した方。1981年に終焉の地であった豊橋市のご自宅内にこの石碑は建てられたそうですが、2013年11月にこの地に移されたそうです。

不勉強ながら知りませんでした。カテキン毎日摂取してます!辻村先生ありがとうございました。

季節の花も並んでいて、ちょっと一息つくのにちょうどいいポケットパークです。あ、あれは昔懐かしのポストがあるではありませんか。

中山道 桶川宿 DSCN3028

投函された手紙を取りにくる時間を見てみると・・・あらら、書いてありません!

中山道 桶川宿 DSCN3029

中山道 桶川宿 昔のポスト DSCN3030

このポストには投函できません。ここに郵便局があった印のようで、旧南小学校の廊下に設置されていたものだそうです。いろいろな思い出の詰まった大切なポストなのですね。これからも大切に保存していってください。

トイレの周りには・・・

中山道 桶川宿 紅花 べにばな ベニバナ DSCN3033

これはひょっとして、紅花ですね!真冬なのにつぼみがパンパンです。

中山道 桶川宿 紅花 べにばな ベニバナ DSCN3034

さぞ立派な花が咲くことでしょう。

今回は桶川宿のご紹介でしたが、中山道上尾宿や鴻巣の中山道箕田追分も以前に書いてみました。また街道についての記事をつくりましたら是非読んでみてくださいね!

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・大塚古墳 国道16号沿い、さいたま市にあります

2014年2月3日 くもり

本日は節分。節分にまつわる記事としては以前、このような記事を書きました↓

・不動ヶ岡不動尊 總願寺 初詣に行ってきました

・恵方巻、今年の恵方は東北東!お墓の方角は?

さて、節分同様に、いにしえの昔からまつわる話として、今日はさいたま市西区の国道16号沿いにあります古墳をご紹介いたします。

国道16号に「大塚古墳」という交差点があります。

方墳大塚古墳 DSCN3296- 方墳大塚古墳 DSCN3297-

位置的には、JR西大宮駅のすぐ近くで、国道17号の宮前ICを川越方向に向かったところにあります。指扇交差点も近いです。

大塚古墳というこの交差点名は以前から目にはしていたのですが、実際に探検するのははじめてです。弊社の名前も大塚。そして会社のロゴマークは古墳をイメージしたカタチになっておりますので、これはいつもでも放っておくわけにはいかない!ということで今回初見学になりました。弊社大塚のロゴマークは、このページの左上をご覧ください。緑色の前方後円墳をイメージしております。大きなお墓=大塚なのです!

さて、この交差点を南に曲がるとJR川越線の踏切があるのですが、その踏切の手前に大塚古墳はあります。

方墳大塚古墳 DSCN3305

↑右手奥に踏切があるのがわかりますでしょうか。その踏切側からは↓このように見えます。そして案内板と石碑が建っています。

方墳大塚古墳 DSCN3300 方墳大塚古墳 DSCN3299 DSCN3310

方墳とは、四角い古墳ということ(丸い古墳は円墳)。

方墳大塚古墳 DSCN3302

案内板にはこう記されています↓

 

埼玉県指定史跡 方墳大塚古墳

所在地 大宮市(現さいたま市)大字指扇三七〇八番地の一

指定 昭和33年3月20日

方形に土を盛り上げていることから、古墳時代の墳墓の一形態である方墳と考えられています。

規模は、底辺で21mと25mの方形で、高さは約4mあります。

発掘調査が行われていないので、埴輪の有無や内部のようすはわかりません。以前は周辺にも小古墳があったといわれています。

埼玉県内の古墳は、円墳が多く、古墳は数が少なく貴重です。

平成8年3月

埼玉県教育委員会

大宮市教育委員会

方墳大塚古墳 DSCN3301

案内板の足元には、馬頭観世音さまが二体いらっしゃいました。

以前は周辺にも古墳がいくつかあったということですが、今ではすっかり住宅地です。

古墳の裏側にまわってみると・・・

方墳大塚古墳 DSCN3306

フットサル場があります!そしてそこから古墳を振り返ると・・・

方墳大塚古墳 方墳大塚古墳 DSCN3308

古墳越しに右側に16号沿いのマルエツさんが見えます。

ちなみにここ大塚古墳からは、公園墓地彩の恵や、やすらぎの杜さいたまメモリアルパークも遠くありません。

身近にある昔ながらの古墳。今日節分の日に昔ながらの慣わしとともに記事にしてみました。

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・中山道 上尾宿

2014年1月26日

今日は、埼玉県上尾市にある、中山道の上尾宿についてご紹介いたします。

大塚本社のすぐ近く、JR高崎線をくぐるアンダーパスの入口にあたる交差点に今回紹介する案内板があります。

中山道 上尾宿 DSCN2995

交差点の角に、ポケットパークのような形で道標などと一緒に設置されてます。

中山道 上尾宿 DSCN2996

彩の国 平成の道標。彩の国とは埼玉県のキャッチフレーズ『彩の国さいたま』の彩の国です。

中山道 上尾宿 DSCN2997

屋根の上には↑こんな怖い顔をした人がいます。鍾馗(しょうき)様です。

中山道 上尾宿 DSCN2998

上尾宿は、五街道として中山道が設置され、伝馬制が定められてから発達してきたようです。紅花の産地とありますが、紅花といえば埼玉県では桶川市。ところが上尾も紅花の産地だったのですね~。

中山道 上尾宿 DSCN2999

↑「木曽街道上尾宿加茂之宮」の図とのことですが、木曽街道とは?木曽と言えば今の岐阜県と長野県にまたがるエリア。江戸時代に「中山道」とされる前までは木曽街道と呼ばれていました。なので、江戸以降には木曽街道=中山道と考えてよいのでしょう。

中山道 上尾宿 DSCN3000

↑鎌倉街道とありますが、そもそも鎌倉街道というのは、鎌倉時代に武家の首都鎌倉に何事かあればすぐに駆けつけられるようにと鎌倉を中心に放射線状に整備された道路を指します。埼玉県にも何本も走っており、大きなもので中道(現在の日光街道、国道四号に近い位置)、上道(現在の関越自動車道、国道407、国道254に近い位置)、秩父道(現在の国道299に近い位置)とありました。上道から中道に抜ける道として羽根倉道というのがあり、都下の村山、朝霞、志木、荒川をわたって(現在の羽根倉橋あたり)、大久保、与野、大宮、上尾、蓮田、菖蒲を通り、加須のあたりから古賀方面に向かっていた道であったようです。その鎌倉街道(羽根倉道)と中山道が現在の上尾陸橋のあたりで交差していたようです。

中山道 上尾宿 DSCN3001

↑大宮や上尾のほか、大成、原村、別所、上尾村、久保の文字も見られます。ごめんなさい、他はわかりませんでした(^_^;)

中山道 上尾宿 DSCN3002

↑さき程も見ていただいた画像の鍾馗様です。鍾馗様、鐘馗様、どちらも「しょうきさま」です。鬼を退治する(食べてしまう)とても強い方なのですが、五月人形に神武天皇と一緒に鎮座されたりという有名な方です。昔中国唐の玄宗皇帝の夢に鬼が現れ、皇帝を大いに悩ませたのですが、夢の中そこに一人の男が現れてみるみる鬼を食べてしまった・・・というそんな玄宗皇帝の夢に現れたのがこの鍾馗様。

屋根瓦にある鬼瓦は、悪鬼や悪い気が家に侵入しないように据えられているのですが、鬼瓦はそういった悪いものを追い払い跳ね返すことはできてもその場で退治はできません。そこで屋根に鍾馗様をのせるという風習がここ上尾宿では広まっていたということです。

↓こんな感じ。(この案内板の上に鎮座されてます)

中山道 上尾宿 DSCN2997

中山道 上尾宿 DSCN3003

↑この図をみると、上尾市内にはたくさんの文化財があるのだなぁとつくづく感じます。弊社大塚がお世話になっているお寺様も貴重な文化財があります!

中山道 上尾宿 DSCN3004 中山道 上尾宿 DSCN3005

ここの案内板の傍らには↓このような石のベンチとテーブルが。

中山道 上尾宿 DSCN3006

なんと将棋の目が!ひなたぼっこしながら将棋をさせるようになっているのですね~

中山道 上尾宿 DSCN3007

中山道沿いにはたくさんのこういった歴史を伝えるスポットが点在しています。この道がどういった道なのかを忘れずに次世代に伝えていけたらと思います。

あ、忘れずに次世代に伝えるという大事な仕事って、弊社大塚の仕事である「お墓づくり」と一緒ですね!お墓づくりや、お墓を次世代に伝えること、お墓参りはとても大切ですよ!

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・伝源経基館跡(鴻巣市)

2014年1月23日

今日は「源経基(つねもと)館跡」に行ってきた写真を記事にしてみます。

源経基館跡は鴻巣市の大間にあるのですが、鴻巣高校のすぐ隣、荒川の土手のすぐ近くにある史跡です。

伝源経基館跡 鴻巣市 史跡 DSCN2788

源経基というは、清和天皇の皇子貞純親王の子で、親王の第六子にあたることから六孫王(ろくそんのう)と称した。弓馬の道に長じ、武勇を持って知られた。源姓を賜って源朝臣を称したが、武蔵介となって関東に下り、この地に館を構えたと伝えられている。

と埼玉県と鴻巣市の連名での案内板に書いてありました。

源平合戦や鎌倉幕府の源氏の大本がこの源経基。清和天皇の血を受けているので清和源氏とのちのちに呼ばれることとなります。源頼朝や源義経の八代前の方です。

伝源経基館跡 鴻巣市 史跡 DSCN2789

この館跡は、ここ大間では城山と呼ばれていたようで、およそ90m四方の正方形に近い形状をしています。

道路を挟んだ西側には農耕地が広がっており、その向こうには中学校のグランドと荒川の土手が見えます。

伝源経基館跡 鴻巣市 史跡 DSCN2791

館跡を外から見ると、とても鬱蒼とした森に見えます。

伝源経基館跡 鴻巣市 史跡 DSCN2795

しかし、一歩踏み入れると、予想外に歩きやすい林になっていて、逆に木々に癒されました。

伝源経基館跡 鴻巣市 史跡 DSCN2796

入口から入ってすぐ、一段土が盛ってあり、その上(館の中)は平らな土地が広がっていました。

伝源経基館跡 鴻巣市 史跡 DSCN2797

まっ平らです。ここに源経基の居館の建物が広がっていたんでしょうね~

伝源経基館跡 鴻巣市 史跡 DSCN2798

内部の平坦地を囲むように土塁が三方をめぐっています。土塁の中でも一段と高い場所に何やら石碑が立っています。↓この写真の左上。館跡の北西に位置しています。矢倉でも建っていたのかもしれません。

伝源経基館跡 鴻巣市 史跡 DSCN2799 伝源経基館跡 鴻巣市 史跡 DSCN2800

↑六孫王経基城址とあります。その足元には「遺跡基準点 NO.1 鴻巣市教育委員会」とあります。

伝源経基館跡 鴻巣市 史跡 DSCN2801

↓石碑の裏側です。大間村だったことと、城山と呼ばれていたことと、江戸時代には林大学頭の采地だったということがわかります。

伝源経基館跡 鴻巣市 史跡 DSCN2804 伝源経基館跡 鴻巣市 史跡 DSCN2806

石碑から東を向くと、右側に広がる平坦地と、東に続く道のような土塁と、左手には掘割が確認できました。

伝源経基館跡 鴻巣市 史跡 DSCN2807

土塁から内部の平坦地を眺めると、結構高低差があるのがわかりました。手前の土塁と奥の平坦地の高低差わかりますでしょうか?↓

伝源経基館跡 鴻巣市 史跡 DSCN2808

↓土塁からは鴻巣高校も少し見えます。

伝源経基館跡 鴻巣市 史跡 DSCN2810

掘割に下りる階段を発見。お堀の向こうは高校のグランドです。

伝源経基館跡 鴻巣市 史跡 DSCN2811

ふと足元を見るとドングリがたくさん。椎の木の林なのですね。

伝源経基館跡 鴻巣市 史跡 DSCN2812

お堀に下りてみました。土塁結構高いです。右手のフェンスは高校です。

伝源経基館跡 鴻巣市 史跡 DSCN2813

反対側の東側をみると、館跡の北西角が折を描いて完全な90度の角になっていないことがわかります。写真だとわかりにくいですが、谷間になっている道がクランク状にジグザグになっています。

DSCN2814

東辺の土塁に上がってみると、またもや基準点発見。今度はNO.2です。

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土塁の道をさらに進みます。↓このあたりは南辺になります。右側が館跡内部の平坦地です。

伝源経基館跡 鴻巣市 史跡 DSCN2816

平坦地に西日が差しこんで、とてもいい感じの雰囲気をかもしだしています。ご近所の方はお散歩でここにこれるのがうらやましいくらいです。

伝源経基館跡 鴻巣市 史跡 DSCN2817 伝源経基館跡 鴻巣市 史跡 DSCN2818

ゴミは持ち帰りましょう。

伝源経基館跡 鴻巣市 史跡 DSCN2819

とても気持ちの良い林でした。

一番西側に戻ってきました。土地が三段になっています。左手前の木のある高さと、真ん中あたりにある木のある土地の高さ、正面遠くにある木のある土地の高さはそれぞれ1mくらいずつの段差があります。それぞれ門があったり、塀があったりしていたのでしょうか。

伝源経基館跡 鴻巣市 史跡 DSCN2820

道路に出ました。

伝源経基館跡 鴻巣市 史跡 DSCN2822

 

ここにこういう史跡があると知らなければ通り過ぎてしまうような館跡です。

弊社大塚の取扱い霊園の鴻巣霊園から近いので、お墓をご見学の際やお墓参りの途中などにお散歩がてら寄ることもできる史跡です。

また歴史的な場所に行きましたら記事にしてみます。

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