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記念碑・モニュメント」カテゴリーアーカイブ

・埼玉県川口市 赤山城(赤山陣屋)に行ってきました その①

2014年4月17日木曜日 晴れ

今日は、埼玉県川口市にあります赤山城(赤山陣屋)をご紹介いたします。

お城といいますと、白塗りの壁と青い瓦の美しい建物、直線と曲線の美しさの見られる石垣などが想像されますが、ここ赤山城には美しい建築物も石垣もありません。

しかし、美しく貴重な土塁がたくさん保存されている城址がここ赤山城です。

埼玉県川口市 赤山城(赤山陣屋)DSCN3634

場所は、首都高速川口線と東京外かく環状道路(外環)という二つの高速が近接するエリアで、地下に埼玉高速鉄道の走っている埼玉県道161号越谷川口線には↑のような石柱が立っています。ここから先が赤山城、赤山陣屋であった場所です。


↑中央にあるのが「赤山城跡」です。川口JCTから近く、首都高速川口線でいうと川口パーキングエリアがより近く、外環道でいうと川口東ICの近く。県道161号越谷川口線の赤山交差点や安行西交差点も近くに当たります。埼玉高速鉄道の新井宿駅と戸塚安行駅からは歩いてくることも可能です。

弊社大塚がご案内している霊園も近くにいくつもあり、川口光輪メモリアル川口フォーシーズンメモリアル川口霊園かわぐちの杜などあり、霊園の多いエリアでもあります。

先ほどの石柱から進んで間もなく、日枝神社があります。

埼玉県川口市 赤山城(赤山陣屋)DSCN3616 埼玉県川口市 赤山城(赤山陣屋)DSCN3620埼玉県川口市 赤山城(赤山陣屋)DSC_0125

この神社は二段になっている小山に建っています。↓左が山のふもとの社で、右が山の頂上の社です。

埼玉県川口市 赤山城(赤山陣屋)DSCN3621 埼玉県川口市 赤山城(赤山陣屋)DSCN3633

山の上からは、木々越しに見晴らしが効きます。お城のあった時代には、遠くまで見えたのかもしれません。

埼玉県川口市 赤山城(赤山陣屋)DSCN3630 埼玉県川口市 赤山城(赤山陣屋)DSCN3632 埼玉県川口市 赤山城(赤山陣屋)DSCN3631

さてこの日枝神社、このような案内板がありました。

埼玉県川口市 赤山城(赤山陣屋)DSCN3622

江戸城鎮護の日枝神社(永田町、赤坂の日枝神社)から分社し、赤山城の守護として祀られたようです。「日枝」の号は明治元年から使われるようになりましたので、江戸時代は日吉山王社であったことから「山王さま」と呼ばれ親しまれていたのではないでしょうか。この築山は、陣屋空堀掘削時の廃土で築かれたと伝えられているとか。赤山城(赤山陣屋)は寛永年間(1624-44)から寛政4年(1792)に伊奈家が改易となるまで関八州の徴税、司法、土木治水を行う役所だったようです。

そのほか神社にはこのような↓案内板も。

埼玉県川口市 赤山城(赤山陣屋)DSCN3623 埼玉県川口市 赤山城(赤山陣屋)DSCN3624

山王神社は三社で成り立っています。武家の守護神で築城の伊奈家の守り神の八幡さま、学問の神様の天神社、徳川家にゆかりの深い山王社です。

埼玉県川口市 赤山城(赤山陣屋)DSCN3627 埼玉県川口市 赤山城(赤山陣屋)DSCN3628

鎮守の森に見られる植物も書かれています。

神社を後にし、そのまま西の方に進んでいきますと、直角に二筋の堀跡と案内板が見えてきます。

埼玉県川口市 赤山城(赤山陣屋)DSC_0122 埼玉県川口市 赤山城(赤山陣屋)DSC_0123

↑左が西に延びている堀跡、右が南に延びている堀跡です。案内板が二か所もあります。まずは案内板を見てみます。

埼玉県川口市 赤山城(赤山陣屋)DSC_0059 埼玉県川口市 赤山城(赤山陣屋)DSC_0057

伊奈家初代忠次からの業績が書かれています。わかりやすいところでは、小室(埼玉県伊奈町)に陣屋を設ける、千住大橋を架ける、利根川改修、荒川の川瀬を改修、権現堂川(かつての利根川)下流に江戸川を開削、赤山陣屋を設ける、見沼溜井の造成・八丁堤の築堤、勘定奉行になる、幸手用水・びわ溜井用水・葛西用水の開削、両国橋の修築、六郷橋の修築、千住大橋の掛け替え、飛騨郡代を兼務、深川埋め立て工事、永代橋を架ける、本所堤防の修築、浅草川の修復、富士山噴火の被害調査と復旧処理・・・

と、関東郡代(関東の代官の筆頭)を代々努め数々の業績をおさめた伊奈家、天明の飢饉の影響を引きずる中、関東郡代を罷免され、改易になってしまいます。

埼玉県川口市 赤山城(赤山陣屋)DSC_0058 埼玉県川口市 赤山城(赤山陣屋)DSC_0060

天明の飢饉の「江戸打ち壊し」の際には、諸国から米を買い集めて江戸市中に大放出して見事に難局を乗り切り、江戸の町人からの人気も高かったとか。

二つ目の案内板を見てみます。

埼玉県川口市 赤山城(赤山陣屋)DSC_0064 埼玉県川口市 赤山城(赤山陣屋)DSC_0065

赤山城は城の規模もかなりのものでした。左の写真の左下に同スケールの大阪城がありますので比較するとその大きさがわかるとおもいます。

埼玉県川口市 赤山城(赤山陣屋)DSC_0066 埼玉県川口市 赤山城(赤山陣屋)DSC_0067

現在の利根川、荒川、江戸川を整備したのも伊奈郡代の仕事でした。

さて、案内板から離れて遺構を歩いてみます。

埼玉県川口市 赤山城(赤山陣屋)DSC_0062 埼玉県川口市 赤山城(赤山陣屋)DSC_0124

↑こちらが南側の堀跡なのですが、現地を見たのが二月ということもあり、まだまだ雪が残っていました。植木で守られて堀が保存されています。

埼玉県川口市 赤山城(赤山陣屋)DSC_0068 埼玉県川口市 赤山城(赤山陣屋)DSC_0070

こちらは西の方に伸びている堀跡です。こちらはさらに公園風に整備されています。貴重な堀の中には入れないように植栽で守られています。↑左の写真の堀部分を拡大したのが右の写真です。の左の画像、堀の右側に並んでいる枝ぶりの良い並木は桜並木なのですが、その桜並木のある側が本丸で、堀を挟んで反対側の左側が「曲輪」と呼ばれ家臣たちの武家屋敷が並んでいたエリアです。正面方向ずっと奥に二の丸があります。とりあえず堀沿いに二の丸の方にむかって進んでみましょう。

埼玉県川口市 赤山城(赤山陣屋)DSC_0071

ボランティアの方々によって管理されているのですね!おかげでゆっくりと見学でき、綺麗に写真を撮ることが出来ました。みなさんありがとうございます。

さて、西に延びている堀に沿って進むと、4m道路と交差します。

埼玉県川口市 赤山城(赤山陣屋)DSC_0072

↑正面奥が先ほどの案内板のあった場所です。振り返って撮影しました。綺麗な堀跡です。

ここには「赤山城跡」の石碑が立っています。

埼玉県川口市 赤山城(赤山陣屋)DSC_0073 埼玉県川口市 赤山城(赤山陣屋)DSC_0074 埼玉県川口市 赤山城(赤山陣屋)DSC_0075 埼玉県川口市 赤山城(赤山陣屋)DSC_0076

二本の高速道路を横断する形の敷地は、とても広大なものですので現在の地図に当てはめてみるととてもびっくりします。なお、この地図で言うと現在地は本丸の近くの「南東堀」の「南」の文字のあたりです。

 埼玉県川口市 赤山城(赤山陣屋)DSC_0079

↑文字が薄くなりかけていましたが、何とか読めました。

ここまで歩いてきた堀(南東堀)はまだ先が続いていますので、進んでみようと思います。

埼玉県川口市 赤山城(赤山陣屋)DSC_0081

1792年の伊奈家改易によって陣屋も廃止され、建物屋敷は取り壊され、土地は払い下げられて田畑や山林として利用されました。

そしてこのあたりは現在、植木の産地。この南東堀沿いにはなんともかわいらしい植木が育てられていました。

埼玉県川口市 赤山城(赤山陣屋)DSC_0082 埼玉県川口市 赤山城(赤山陣屋)DSC_0083

 

どこかこの辺りに「表御門」があったはずなのですが、すみません。わかりませんでした(^_^;)

さて赤山城めぐりはまだ半分。長くなりましたので後半は「その②」につづきます。

 

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・北上尾のP・A・P・Aにドン・キホーテが2014/4/25オープン!

2014年4月16日水曜日 晴れ

今日も平和な一日だなぁと、大塚本社の屋上から空の様子を見てみると・・・

JR北上尾駅すぐのショッピングモール「P・A・P・A 上尾ショッピングアヴェニュー」が見えます。

北上尾のP・A・P・Aにドン・キホーテが2014.4.25オープンIMG_0233 + 北上尾のP・A・P・Aにドン・キホーテが2014.4.25オープンIMG_0234 + 北上尾のP・A・P・Aにドン・キホーテが2014.4.25オープンIMG_0235 +

あれは!PAPAには見慣れない、でも見たことのある黄色と黒の看板が見えます!

これは放ってはおけません。地域の市場調査の名目で、食後のお散歩を兼ねてちょっと見てきます。

北上尾のP・A・P・Aにドン・キホーテが2014.4.25オープンIMG_0234

大塚本社事務所からPAPAに向かう途中の中山道(埼玉県道164号鴻巣桶川さいたま線)からも良く見えます。

そして五分足らずでPAPAに到着。

北上尾のP・A・P・Aにドン・キホーテが2014.4.25オープンIMG_0236

さりげなく、しかしそれでいてものすごく存在感のある看板ですね!わたくしブログ担当のTは今知りましたが、もっと前から知っていた方も多いのかな?

北上尾のP・A・P・Aにドン・キホーテが2014.4.25オープンIMG_0237

「←プリンス棟1F」と書いてあります。元エディオンさんの入っていた場所で、ノジマ電気さん(元あかちゃん本舗さんだった2F)のすぐ下、店舗に入りやすい場所ですね!それでは現地を見に行ってみましょう。

北上尾のP・A・P・Aにドン・キホーテが2014.4.25オープンIMG_0239 北上尾のP・A・P・Aにドン・キホーテが2014.4.25オープンIMG_0240 北上尾のP・A・P・Aにドン・キホーテが2014.4.25オープンIMG_0241 北上尾のP・A・P・Aにドン・キホーテが2014.4.25オープンIMG_0242

見えてきました。P・A・P・Aの壁面というか、中央の道路沿いにとても目立つ看板が並んでいます。PAPAの壁面が大改造されてますね~。

北上尾のP・A・P・Aにドン・キホーテが2014.4.25オープンIMG_0243 北上尾のP・A・P・Aにドン・キホーテが2014.4.25オープンIMG_0244

4月25日(金)9時オープン! だそうです。これは大ニュースですね~!

北上尾のP・A・P・Aにドン・キホーテが2014.4.25オープンIMG_0245 北上尾のP・A・P・Aにドン・キホーテが2014.4.25オープンIMG_0246

ドン・キホーテさんって「Don Quijote」と書くのですね。スパニッシュ風味ですね。当たり前ですが。

北上尾のP・A・P・Aにドン・キホーテが2014.4.25オープンIMG_0247 北上尾のP・A・P・Aにドン・キホーテが2014.4.25オープンIMG_0248

国道17号側からも良く見えるような看板が作られていました。

北上尾のP・A・P・Aにドン・キホーテが2014.4.25オープンIMG_0249 北上尾のP・A・P・Aにドン・キホーテが2014.4.25オープンIMG_0250 北上尾のP・A・P・Aにドン・キホーテが2014.4.25オープンIMG_0251

朝9:00~翌朝3:00 年中無休驚安営業中!! だそうです。朝から深夜までやっていてくれると、万一何か急に必要になったときに助かりますね!

北上尾のP・A・P・Aにドン・キホーテが2014.4.25オープンIMG_0254 北上尾のP・A・P・Aにドン・キホーテが2014.4.25オープンIMG_0255

PAPAプリンス(道を挟んで北側)とPAPAプリンセス(南側)の中央の道に面した場所が出入り口になるのかなぁと想像します。↑の写真の通り、すっかりドン・キホーテ色に染まっています。看板に目線が引っ張られるので、逆にノジマさんやケンタッキーさんの看板も従来よりは目に入りやすいという効果も出てはいないでしょうか?相乗効果でどのお店も盛り上がってほしいものです。

ところでここ「P・A・P・A」には北上尾駅からの入口にあたる場所に、このような石柱が立っています↓

北上尾のP・A・P・Aにドン・キホーテが2014.4.25オープンIMG_0259

ここにP・A・P・Aが完成したのは2000年11月。以前の上尾公園(通称プリンス公園)の名残が残されています。

北上尾のP・A・P・Aにドン・キホーテが2014.4.25オープンIMG_0256 北上尾のP・A・P・Aにドン・キホーテが2014.4.25オープンIMG_0257 北上尾のP・A・P・Aにドン・キホーテが2014.4.25オープンIMG_0258

プリンス公園の「プリンス」とは、当時の皇太子殿下(現、今上天皇陛下)なんですね!ということは、P・A・P・Aにプリンス棟とプリンセス棟があるのも納得です。プリンセスはもちろん美智子妃殿下。

そんな歴史があったということも残しつつ、新しくオープンするドン・キホーテさんが今から楽しみです!

 

なお、ここ北上尾駅前から弊社大塚本社までは徒歩約5分程度です。お墓など気にかかる点などありましたらお気軽にご来店もしくはお問い合わせください。お墓ディレクター有資格者(石産協)やお墓相談員(全優石)など専門の知識のある者が丁寧にご対応させていただきます。

お問い合わせ、お越しの際はこちら → お墓無料相談窓口

お問い合わせ番号 0120-36-1217(代表)

 

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・埼玉県上尾市 べにばな街道

2014年4月13日日曜日 晴れ

埼玉県上尾市の大塚埼玉工場は、国道17号久保交差点の角に面しており、埼玉県道87号上尾久喜線沿いでもあります。この埼玉県道87号上尾久喜線、江戸時代にはここ上尾の地が紅花の産地であったことから「べにばな街道」と呼ばれていました。

紅花というとこの辺りでは桶川が有名ですが(以前の記事、「中山道 桶川宿」にも少し出てきます)、ここ上尾市上(かみ)地域も紅花の里です。ここ、べにばな街道について、案内板とモニュメントがポケットパークのカタチになって県道沿いにあります。大塚がいつもお世話になっている少林寺様や上平小学校のすぐ近くになります。

場所はこちら

埼玉県上尾市 べにばな街道DSCN3876

↓確かに「べにばな街道」と表示されています。主要地方県道上尾久喜線です。大宮土木事務所の文字と「彩の国 平成の道標」の文字が確認できます。

埼玉県上尾市 べにばな街道DSCN3901 埼玉県上尾市 べにばな街道DSCN3900

県道沿い、うっかりすると通り過ぎてしまいそうですが、歩いてくるとこのモニュメントと掲示板と道標はしっかり目に入ってきます。

埼玉県上尾市 べにばな街道DSCN3878-

↑武州(武蔵国)紅花生産地 上尾市上

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↑行末は 誰(た)が肌ふれむ紅の花 芭蕉翁 山形にて

埼玉県上尾市 べにばな街道DSCN3877-

↑眉掃(まゆはき)を俤(おもかげ)にして紅粉(べに)の花 芭蕉翁 山形にて

紅花といえばやはり山形。そんな山形で詠んだ松尾芭蕉の句が彫刻してあります。

↓こちらは各石柱の頭部分にある透かし彫り風味の灯篭型の鋳物です。ベニバナがつくりこんであります。

埼玉県上尾市 べにばな街道DSCN3880

二本の松 が植えられています。

埼玉県上尾市 べにばな街道DSCN3881- 埼玉県上尾市 べにばな街道DSCN3882

上平小学校が明治6年(1873年)省身学校として少林寺に開校された当時は、周辺一帯は松林でした。明治36年(1903年)松林を切り開いて、現在の場所に校舎が完成しました。その後、大正、昭和の時代を松は生き抜き、卒業生の皆様に沢山の思い出を与えてきました。しかし、この松も昭和50年代になると2本の松だけになり、昭和60年(1985年)に病虫害になり枯死し、伐採されてしまいました。この度、道路景観の一貫として、二本の松を上平地区のシンボルツリーとして植樹し、保存するものです。 埼玉県大宮土木事務所

以上、引用しました。地域の方には懐かしさを抱かせてくれる大切な松なのですね。

きれいな掲示板があります。

埼玉県上尾市 べにばな街道DSCN3903 埼玉県上尾市 べにばな街道DSCN3904

屋根の上には鍾馗様が。以前にも「中山道 上尾宿」の記事にて書きましたが、屋根の上の鐘馗様は上尾宿でみられた魔除けです。上尾のシンボルともいえるのかもしれませんね。

埼玉県上尾市 べにばな街道DSCN3896 埼玉県上尾市 べにばな街道DSCN3897 埼玉県上尾市 べにばな街道DSCN3898

↑地域の情報板とあります。上平地区の環境美化推進員全員が「べにばな会」として清掃美化活動をされているようです。べにばな会のみなさま、日々の活動ありがとうございます!除草作業の成果も写真で掲示してありました。

掲示板の反対側にまわってみます。

埼玉県上尾市 べにばな街道DSCN3883 埼玉県上尾市 べにばな街道DSCN3885

こちらにはさまざまな歴史的な記録などが書いてあります。読みやすく大きい写真にしてみます。

埼玉県上尾市 べにばな街道DSCN3887

↑先ほども書きましたが、べにばなと言うとこの辺りでは桶川が有名。しかし、江戸幕府作成の書物によると、寛政年間(1781年~1801年)が武州(武蔵国)上村(上尾市上、つまりここです)の農民七五郎に最上産の紅花の種子を与えて栽培させたのが“武州紅花”の始まりとか。

埼玉県上尾市 べにばな街道DSCN3888

↑ここ上尾と桶川で紅花が栽培されていたのは、明治時代初期までの約100年間で、以降は化学染料にとって替わられてしまいました。このあたりの紅花は本場の山形よりも早く収穫されるので「早場」と呼ばれて比較高値で売買されていたとか。

埼玉県上尾市 べにばな街道DSCN3889

色あせてしまっていますが、このあたりでも時々目にする、そんな花が紅花です。わたくしブログ担当の植木鉢にも先日種を植えました。

埼玉県上尾市 べにばな街道DSCN3890

周辺は歴史の文化財が少なくありません。「庚申塔の里をめぐるコース」ということで、上平公民館→観蔵院→龍真寺→菅谷北城→平野家→龍山院→上・氷川神社→少林寺→上平公民館のコースだそうです。石材店である弊社大塚がいつもお世話になっているご寺院さまが連なっています。

埼玉県上尾市 べにばな街道DSCN3892

↑少林寺は、かの執権北条時宗の覚山尼の開基と伝えられている由緒正しいお寺様です。少林寺の門前ということで「西門前」という地名が残っています。

埼玉県上尾市 べにばな街道DSCN3893

↑平野家には「私年号板石塔婆」があります。不勉強ながら「私年号」というものを初めて知りました。天皇の定める年号ではなく、地方豪族や寺院が私的に使っていたのが私年号。1491年の私年号が刻まれているそうです。板石塔婆(板碑)は埼玉産出の石なので、県内や関東各所で見られます。埼玉から遠い場所にお住いの石や石碑にご興味のある方には一度ご覧になっていただきたい石塔です。

埼玉県上尾市 べにばな街道DSCN3894

↑菅谷北城は菅谷二丁目にあります。現在は林になっていますが、林に面して田畑が広がっていますので、県道からもその側面を眺めることができます。ですが林なので残されているという土塁や空堀の跡は外からは窺えないのが少し残念です(私は見られるなら見てみたい!)。

埼玉県上尾市 べにばな街道DSCN3895

↑龍真寺様も弊社大塚がお世話になっているお寺様です。ご本尊は釈迦三尊像。中尊は頭に宝冠をつけた宝冠釈迦という珍しいカタチだとか。貴重な文化財ですね。

掲示板のすぐ近くにはこんな↓木札が。

埼玉県上尾市 べにばな街道DSCN3884-

ここにも紅花が植えられているのですね!写真は実はしばらく前に撮影していたものなので、今行ったら芽が出てきているかもしれない?

埼玉県上尾市 べにばな街道DSCN3902 埼玉県上尾市 べにばな街道DSCN3906

上尾市上やその周辺の歴史を少しだけ知ることができました。同じ上尾でも、上尾宿とは全く違った歴史をもっているエリアです。

また地域の歴史に触れる機会がありましたらご紹介させていただきます。

 

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの境内と御本堂

2014年4月12日土曜日 晴れ

昨日開催されました「上尾市仏教会顧問会総会」。今年の会場は上尾市今泉にあります十連寺様でした。総会の模様については別の記事にて書いてみましたが、十連寺様の境内がとても美しかったので別記事を起こしてみます。

十連寺様は、上尾市今泉という場所にあるのですが、すぐ近くには上尾市民体育館や上尾第一団地、昨年オープンのショッピングモール、アリオ上尾があるのですが、周りは区画整理が次々に進んでいる、そんな場所にあります。(以前記事にしました「川の大じめ」もすぐ近くです)

弊社、石材店の大塚も日頃大変お世話になっているお寺様です。

20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの由来・縁起DSC_0095

十連寺は干菜山光明院と号する浄土宗の寺である・・・開山は応永年中の1394年。そして時代は下って慶長18年(1613年)、なんと鷹狩りの道中に立ち寄った徳川家康直々に「干菜山十連寺」と命名されたというからびっくりです。本堂の軒端にたくさんの菜が干してあるのを見て名づけたと伝えられているとか。

山門に至る参道、とてもきれいに整備されています。植栽と石、左右の灯篭と地蔵菩薩様がシンメトリカルに配置されていて印象的な山門です。

20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの山門DSC_0090 20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの山門DSC_0093 20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの境内DSC_0091 20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの境内DSC_0092

くぐる前から山門越しに見えているましたが、山門の内側の境内の庭園がすばらしく、くぐったとたんに一気に景色が広がってきます。

20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの境内DSC_0098

立派な五輪塔が目に入ってきます↓こちら五輪塔の火輪(球体の一つ上、編み笠のようなカタチ)の中央に葵紋がありました。さすがです。

20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの境内 五輪塔DSC_0099 20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの境内 五輪塔DSC_0100

参道の左には出世地蔵が↓石柱によると、札所になっているのでしょうか。次回ご訪問時によくこの石柱を読んできます(^_^;)

20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの境内DSC_0101 20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの境内DSC_0103

出世地蔵の隣りには庚申塔もあります。また境内にはものすごく立派な宝篋印塔もありました。

20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの境内 庚申塔DSC_0110 20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの境内DSC_0109

それにしても、境内は春色に包まれていて、どこにカメラを向けても全方位絵になるシーンだらけです。

20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの境内DSC_0102 20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの境内DSC_0105 20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの境内DSC_0112 20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの境内DSC_0113 20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの境内DSC_0115 20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの境内DSC_0116 20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの境内DSC_0117 20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの境内DSC_0120 20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの境内DSC_0122 20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの境内DSC_0128 20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの境内DSC_0147 20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの境内DSC_0150

ソメイヨシノは散ってしまっていましたが、枝垂れ桜は見ごろでした。

20140411 平成26年度 上尾市仏教会顧問会総会 十連寺で開催DSC_0123 20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの境内DSC_0107 20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの境内 枝垂れ桜DSC_0125 20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの境内 枝垂れ桜DSC_0126 20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの境内DSC_0286

来週には西洋牡丹が咲き始めるとか。こちら↓は珍しい黄色い西洋シャクナゲ。

20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの境内DSC_0151

境内には、このようなものもあります。

20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの境内 力石DSC_0131 20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの境内DSC_0130

↑左は力石。何匁なのかはわかりませんが、これを担いだ人はとにかくすごいですね!(^_^;)右にあるのは「公教育の祖 今泉学校跡地」とあります。貴重な教育の場だったのですね。

↓こちらは上尾市指定有形文化財(古文書)の慶安の禁札について。現物は大切に保管されています。

20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの境内DSC_0148

蹲踞(つくばい)の石です。吾唯足知「われただ足るを知る」です。

20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの境内DSC_0149

境内には随所に七福神像もあるんです。十連寺様一か所で七福神めぐりができてしまいます(^-^)左から順番に、恵比寿さま、大黒さま、弁財天さま、大黒天さま、布袋様、福禄寿さま、寿老人さま。

20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの境内 七福神 恵比寿 DSC_0119 20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの境内 七福神 大黒天 DSC_0129 20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの境内 七福神 弁財天 DSC_0118 20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの境内 七福神 毘沙門天 DSC_0114 20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの境内 七福神 布袋 DSC_0141 20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの境内 七福神 福禄寿 DSC_0111 20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの境内 七福神 寿老人 DSC_0121

さて次に建物ですが、最初に見てもらいました山門も見ごたえありましたが、他の建築物もとても見ごたえがあります。↓こちらは鐘楼堂。

20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの境内DSC_0104

↓こちらは阿弥陀堂です。本日は扉を開いてくださり、中を拝見することができ、尊像を拝むことができました。

20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの境内DSC_0133 20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの境内DSC_0136

↓こちらは八角十王堂。十王信仰です。八角形でとても絵になる建築物です。

20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの境内DSC_0139 20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの境内DSC_0138

八角十王堂も中を拝見させていただきました。

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そして木造ではありませんが、美しい形状のモダンな御本堂です。

20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの境内DSC_0134 20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの境内DSC_0146

一階は客殿、二階が本堂になり、中に入らせてもらいましたが使い勝手の良い、そして眺望の素晴らしい建物です。こちらの美しい境内が見えるのですから、とても贅沢な眺望でした。

20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの御本堂DSC_0168 20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの御本堂DSC_0184

一階、客殿の入口を入ってすぐ、季節がらといいますか時期柄もあり、花祭りのとてもきれいなお花とお釈迦様がいました。

20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの御本堂DSC_0153 20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの御本堂DSC_0154 20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの御本堂DSC_0155

御本堂です。椅子が並んでいるのですが、円形に近いカタチで椅子が配置されていて、できるだけ正面方向に阿弥陀如来様を拝むことができるようにご配慮されていました。

20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの御本堂DSC_0180 20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの御本堂DSC_0185

内陣の様子です。御本尊は阿弥陀如来様です。

20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの御本堂DSC_0163 20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの御本堂DSC_0174

欄間がとても美しい極彩色の彫刻です。極楽浄土でしょうか。

20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの御本堂DSC_0187 20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの御本堂DSC_0191 20140411 埼玉県上尾市今泉 十連寺さまの御本堂DSC_0188

境内の美しい景色と御本堂の貴重な様子を拝見させていただき、ただただ眼福です。ありがとうございました。四季折々の表情を見せてくれる十連寺様、いつ訪れても気持ちを穏やかにさせてくれるお寺様です。

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・20140404 埼玉県さきたま緑道の桜

2014年4月11日金曜日 晴れ

先週の写真になりますが、埼玉県行田市にあります、弊社大塚がご案内していますさきたま霊園のすぐ近く、さきたま古墳公園隣接の「さきたま緑道」の桜が満開でしたので撮影してきました。

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丁度雨が降り始めてきていたのですが、北の方角から黒い雲とカミナリが聞こえてきて、お散歩していた人たちも急いで通過していきました。

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隣接するさきたま古墳が見えます。

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手前に見えているのが、昨年発掘のニュースのあった奥の山古墳。左奥が江戸時代に忍藩の鉄砲練習の山だったという鉄砲山古墳。

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さきたま緑道はここからスタートしています。

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JR北鴻巣駅近くの赤見台近隣公園まで続いていて、全長4.5kmにもなります。お散歩には丁度良い距離ですね!途中、国道17号や元荒川、新幹線や国道17号バイパスを越えながら、JRとさきたま古墳をつないでいます。

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さきたま緑道には、随所に芸術的なモニュメントもあり、お散歩の最中の目を楽しませてくれます。

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↓歩行者と自転車の道が分けられているのもとても優しい配慮ですね!そして行田市鉄剣マラソン大会の告知看板も出ていました。

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さきたま緑道を横から見ると

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並木が横一線にピンクの帯になっています。

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桜の他にも四季折々の植物があり、一年を通して楽しむことができるようになっています。また紅葉の綺麗な様子も見に来てみたいと思いました。

すぐ近くにありますさきたま霊園について、別の記事もありますのでよろしければ読んでみてください→・埼玉県行田市 さきたま霊園のご紹介

霊園、墓地にご興味のあります方はこちらのページも是非ご覧ください→さきたま霊園の墓地ご案内ページ

 

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・群馬県館林市 館林城と出土墓石群

2014年4月9日水曜日 晴れ

館林城跡に行ってきました。あまり時間がなかったので、今回はその中でも弊社大塚の仕事と関連のある「墓石」について、「館林城出土墓石群」を見に行ってみました。

群馬県館林市 館林城 市役所 周辺マップ DSC_0060

市役所は館林城跡に建てられています。さすが城址の周辺は公園や学校、その他公的な建物がいっぱいです。そんななか、貴重な文化財や遺構も残されています。

群馬県館林市 館林城 市役所前の土塁?DSC_0058 群馬県館林市 館林城 市役所前の土塁?DSC_0059

元々は土塁だったんであろうなぁ~という場所がちらほら目に入ってきます。

丁度、「こいのぼりの里まつり」でたくさんの鯉のぼりを見ることが出来ました(昨日の記事)。桜が散りかけていたのが残念です。

群馬県館林市 館林城 本丸土塁跡 DSC_0109 群馬県館林市 館林城 本丸土塁跡 DSC_0147 群馬県館林市 館林城 本丸土塁跡 DSC_0148

芝生に白く点在しているのは散った桜のはなびらです。↑上の写真の丸いドームは「向井千秋記念こども科学館」です。本丸跡に建てられています。児童教育は「館林市の本丸!」なんですね。ちなみにこの桜の生えている場所、少し小高く見えませんか?少し左側に回って進んで行ってみると・・・

群馬県館林市 館林城 本丸土塁跡 DSC_0153 群馬県館林市 館林城 本丸土塁跡 DSC_0149 群馬県館林市 館林城 本丸土塁跡 DSC_0150群馬県館林市 館林城 本丸土塁跡 DSC_0152 群馬県館林市 館林城 本丸土塁跡 DSC_0154

桜の咲いていた土手は館林城本丸の土塁跡です。石垣のように見えるのは、土塁が崩れるのを守っているコンクリートの擁壁です。この本丸跡地のどこかに、天守たる御三階櫓が建っていたわけです。写真をとりました広い芝生の広場は、二の丸跡と八幡曲輪(御厩曲輪?)のあった場所。とても気持ちの良い広場です。ちなみに市役所は二の丸と三の丸にまたがる位置に立っており、文化会館が三の丸にあたります。ここを過ぎて行きますと・・・

群馬県館林市 旧秋元別邸DSC_0119

旧秋元別邸があります。つつじ会館ともいうのでしょうか?

群馬県館林市 旧秋元別邸DSC_0121 群馬県館林市 旧秋元別邸DSC_0122 群馬県館林市 旧秋元別邸DSC_0123 群馬県館林市 旧秋元別邸DSC_0124

この近くに館林城出土墓石群があるはず!

群馬県館林市 館林城跡 館林城出土墓石群DSC_0118 群馬県館林市 館林城跡 館林城出土墓石群DSC_0117

表示板を発見しました。なんだか、オリエンテーリングをしているような気分です・・・。

そしてやっとたどり着きました。場所は旧秋元別邸のすぐ近く、本丸と八幡曲輪の間あたりにありました。

群馬県館林市 館林城跡 館林城出土墓石群DSC_0126

木立の中にひっそりと供養されています。たくさんの五輪塔が並んでいるのが一目でわかりました。

群馬県館林市 館林城跡 館林城出土墓石群DSC_0130

館林市重要文化財

館林城出土墓石群

指定年月日 平成9年2月24日指定

所在地 館林市尾曳町乙4番地の1

時代 中世

これらの墓石群は、館林城本丸や三の丸土塁から別々に出土した五輪塔や宝篋印塔などの墓石を組み合わせ、昭和48年(1973)に墓域として整備したものです。

特に五輪塔は、その形から中世につくられたものと考えられています。

これらの墓石は、近世の館林城の土塁や石垣を修築するにあたって、石材として集められ利用されたと考えられています。

墓石の中には、中世の館林・邑楽地域の領主であった佐貫一族と思われる「沙弥道慶(しゃみどうけい)」の名や、中世の年号が読めたものがあったと言われていますが、風化が激しいため現在では判読ができません。

中世の館林市域の石造物について考えるうえで欠かせない文化財です。

館林市教育委員会

↑以上、案内板より引用。

群馬県館林市 館林城跡 館林城出土墓石群DSC_0127 群馬県館林市 館林城跡 館林城出土墓石群DSC_0129

それにしても、中世ですので少なくとも800年から500年以上前の非常に貴重な石塔ということになります。館林城の石材に使われたということですが、他の城でも墓石やお地蔵様などを石垣に使用しているケースもままあります。館林城は、江戸期の前半に一度廃城となり、その後に藩として復活し城も再度整備されたという稀な歴史をたどっています。そもそも戦国時代の関東には石垣をもつ城はほとんどありませんでしたので、江戸時代の初期もしくは再整備された際に石材として墓石が使われたのでしょう。しかし逆に言えば、そうして使用されたがためにこのように保存されていたともいえるのかもしれません。

群馬県館林市 館林城跡 館林城出土墓石群DSC_0132 群馬県館林市 館林城跡 館林城出土墓石群DSC_0134

同サイズの五輪塔がたくさん並べられております。ここ自体が「墓所」、供養所として整備されたようですね。(五輪塔とは

五輪塔のカタチを元に塔婆(卒塔婆)のカタチは作られたというのがよくわかる形状の五輪塔です。

群馬県館林市 館林城跡 館林城出土墓石群DSC_0135 群馬県館林市 館林城跡 館林城出土墓石群DSC_0136 群馬県館林市 館林城跡 館林城出土墓石群DSC_0137 群馬県館林市 館林城跡 館林城出土墓石群DSC_0138 群馬県館林市 館林城跡 館林城出土墓石群DSC_0139 群馬県館林市 館林城跡 館林城出土墓石群DSC_0140 群馬県館林市 館林城跡 館林城出土墓石群DSC_0141 群馬県館林市 館林城跡 館林城出土墓石群DSC_0142 群馬県館林市 館林城跡 館林城出土墓石群DSC_0143

武家の城となってしまっていましたが、今は安らかにこちらで供養されています。それぞれの故人の方々も安心して眠っているのではないでしょうか?

館林城跡には、まだまだ多くの文化財や見所がありますので、また時間ができましたら訪問してみたいと思いました。

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・20140404 埼玉県行田市佐間 高源寺の桜が満開です

2014年4月5日土曜日 晴れ

昨日の様子ですが、埼玉県行田市佐間にあります、高源寺を訪ねてきました。高源寺さまは弊社大塚がいつもお世話になっているお寺様です。

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↑ここ「高源寺交差点」からすぐの場所にあります。

20140404 埼玉県行田市佐間 高源寺の桜が満開 高源寺看板DSC_0365 20140404 埼玉県行田市佐間 高源寺の桜が満開DSC_0364

小説、映画の「のぼうの城」に登場した準主役?で槍の名手、正木丹波守利英公のカッコいいイラストのある看板が目印です。

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山門をくぐりますと・・・

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境内の桜が満開でした!

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境内には、忍城水攻彼我戦没者慰霊碑があります。

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当山開基の正木丹波守利英公、忍城攻めの戦没者を弔うためにこの高源寺を開きました。

↓歴世の住職墓です。初代の住職は利英公が招いた守天昌意(しゅてんしょうい)和尚です。利英公は忍城攻めの翌年の天正19年(1591年)に没せられました。

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↓こちらが利英公の墓所です。

20140404 埼玉県行田市佐間 高源寺の桜が満開 正木丹波守利英公墓所DSC_0353 20140404 埼玉県行田市佐間 高源寺の桜が満開 正木丹波守利英公墓所DSC_0354 20140404 埼玉県行田市佐間 高源寺の桜が満開 正木丹波守利英公墓所DSC_0355 20140404 埼玉県行田市佐間 高源寺の桜が満開 正木丹波守利英公墓所DSC_0358 20140404 埼玉県行田市佐間 高源寺の桜が満開 正木丹波守利英公墓所DSC_0359

1591年没ですので、400年以上前の供養塔です。文字も読めなくなり、また、昔の石塔ですので柔らかい加工しやすい石なのでしょう。時間とともに崩れてきているのがわかりました。

↓左から正面と斜め後ろからの画像と、落ちていたカケラです。

20140404 埼玉県行田市佐間 高源寺の桜が満開 正木丹波守利英公墓所DSC_0369 20140404 埼玉県行田市佐間 高源寺の桜が満開 正木丹波守利英公墓所DSC_0370 20140404 埼玉県行田市佐間 高源寺の桜が満開 正木丹波守利英公墓所DSC_0371 20140404 埼玉県行田市佐間 高源寺の桜が満開 正木丹波守利英公墓所DSC_0372

20140404 埼玉県行田市佐間 高源寺の桜が満開DSC_0342

桜の満開は今が盛り。高源寺の桜は今が見ごろですよ!

↓こちらもご参考まで。

大塚サイト内での、高源寺さま墓所御紹介ページ

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・伊奈町立郷土資料館に行ってきました その②

2014年3月26日水曜日

昨日の記事、「伊奈町立郷土資料館に行ってきました その①」の続きになります。

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昨日の記事では、資料館の外回りと土間、台所を見て回ったところまででした。そしていよいよお座敷に上がるところから続きのスタートです。

来館日と人数とを記帳するところに、関連のパンフレットが置いてあり、三つほどいただいて来ました。

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その中の一つに、資料館の間取りがありましたのでご覧ください。

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では土間から板間にあがり、お座敷に進みます。

お座敷にもさまざまな昔の資料が並んでいます。昭和20年代30年代・・・といった雰囲気のお座敷です。

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振り返って、高い位置から台所を見下ろすと・・・さきほどの囲炉裏やかまどやらが目に入ってきます。

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室内展示物。せんぷうき、たちいた、はりいた。一番左は板碑(青石塔婆)です。

伊奈町郷土資料館に行ってきましたDSCN2942 伊奈町郷土資料館に行ってきましたDSCN2943 伊奈町郷土資料館に行ってきましたDSCN2946 板碑について

↓寺子屋について。

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伊奈町では、1685年に西蔵院で教え子(筆子)が建立した墓石が残っているというのが古く、その他西光寺、東光院、観音寺、清光寺、法光寺、願成寺、梅松院でも寺子屋が行われ、その他お寺以外でも二か所あったという記録があるそうです。

資料館の中は、展示物のほかにも掲示物もたくさん並んでいます。↓こちらは廊下の様子。

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↓帳場つくえ、銭ばこ、算盤に各種台帳が並んでいます。

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↓大山遺跡(現埼玉県立がんセンター敷地内)について

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大山遺跡は、先土器時代、縄文時代、古墳時代、奈良・平安時代までさまざまな遺物が発掘された貴重な遺跡です。

↓小貝戸貝塚について。弊社大塚もお世話になっております、小室小貝戸の清光寺さまの境内にあります。

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↓中庭にもありました五榜の掲示の高札がこちらにも展示されていました。

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↓天候などについての昔ながらの言葉について

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そして、さすが「伊奈町」だけありまして、伊奈氏屋敷についての資料もたくさんありました。

↓小室陣屋周辺図(小室陣屋=伊奈氏屋敷跡です)江戸末期作成の図です。

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↓伊奈氏について、伊奈氏屋敷跡について

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↓伊奈氏屋敷跡(小室陣屋)にある新幹線沿いに発掘された「障子堀」について

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↓褒賞長持。どんな褒賞が入っていたのでしょうか?

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↓火縄銃、火打石式銃(短筒)、たまつくり、火薬入れ、玉入れ、鉢金、十手、鎖鎌、中国のパイプ・・・なかなかお目に掛かれない貴重な品々です。

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↓駕籠と鎧櫃(かな?)

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一番奥の6畳間に来ました。押入れだったところ↓に鎧兜などの装飾品がありました。

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↓近代にかけての日用雑貨などです。蓄音機がありますね。

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↓立派なお雛飾りです。

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↓軍服もありました。階級章に星が二つ確認できました。

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↓法螺貝

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これで一通り見終わったように思います。貴重なものをたくさん見ることができました(^O^)

じっくり見て回りたい人なら、1時間くらい欲しいくらいかもしれません。縁側に出てみますと・・・

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あ!あそこにいるのは!

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黒猫さんがこちらの様子をうかがっていました(^O^)

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そして行ってしまいました(^_^;)・・・さようなら猫さん。またくるね猫さん!

伊奈町立郷土資料館。なかなかの見ごたえでおススメです。入館無料です。休館日は月曜日・木曜日・金曜日・国民の祝日(こどもの日・文化の日を除く)なのでご注意を。

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※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・伊奈町立郷土資料館に行ってきました その①

2014年3月25日火曜日 晴れ

先日、埼玉県伊奈町にあります、伊奈町立郷土資料館に行ってきました。伊奈町の埼玉県道311号蓮田鴻巣線沿いにあり、弊社大塚もお世話になっております西光寺様のすぐ近くにあり、同じくお世話になっております明星院様からも近い場所にあります。桶川霊園からもほど近いんですよ。

なんと入館無料なのです。休館日は月曜日・木曜日・金曜日・国民の祝日(こどもの日・文化の日を除く)なのでご注意を。

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重厚な長屋門をくぐると、中庭と母屋を改造した郷土資料館が見えてきます。

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昔ながらの豪農の家の母屋、というようなたたずまいの立派な建物です。

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土蔵の内扉を利用したという「郷土資料館修復覚」の額があります。この額によると、江戸時代の文政年間(1820年頃)に建てられたようです。

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軒下にはさまざまな農機具や船なども置いてあります。

資料館側からみる門も立派ですね!

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中庭には、江戸時代の高札を集めたものもあります。

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調べてみると、こちらは慶應四年三月、明治維新にあたっての太政官からの「五榜の掲示」のようです。高札が5枚あるはずですが、一番手前のものは文字が消えてしまってました・・・おそらく第一から第五まである札の「第一札」だったのでしょうか?

↓第二札 徒党・強訴・逃散禁止

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↓第三札 切支丹・邪宗門厳禁

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↓第四札 万国公法履行

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第五札 郷村脱走禁止

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資料館の玄関前には↓こんなものも。何かの供養塔を兼ねた道しるべ石のようです。

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石材店の人間としては、こういった石造りの歴史あるものには心惹かれてしまいます。

それでは建物の中に入ってみたいと思います。入るとすぐ右手に記帳がありました。いつ何人来たよ、と自分で記入します。

建物の中は見所満載でした。昔の道具がたくさん!宝の山です!

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↓こちらは軽便ポンプ。軽くて使いやすいポンプ、という意味です。

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↓こちらはサツマキリ。生のさつまいもを輪切りにする農具だそうです。

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↓魚とりびん。昔はこのあたりの川でも魚を採っていたのですね~。

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↓臼と杵。昔はどの家にもあったのでしょうか。

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↓ねずみ取り器。こういった木製のものは初めて見ました。

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↓観覧車にようなものが糸車。その左手前にあるのが糸巻器。

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↓大きなよこびきの鋸や斧、鳶口、鉈など。

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↓竹じょうご

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↓こちらは唐箕。風力を利用して穀物を精選する農具。

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↓わらうち

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↓かまど

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↓左から茶釜、五升がま、大がま

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↓マブシアミキ。養蚕具のマブシ(人工藁)を作る道具。上部に藁を広げて挟み、ハンドルを交互に操作して、藁を折り曲げる。右は消しつぼ。

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↓縄ない機

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↓いろり、つるなべ、おたま、じざいかぎ

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↓氷かき、洗いおけ、ところてんつき、たまごやき

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台所の天井です。囲炉裏の真上です。梁などがすすで歴史を感じられる色合いになっていますね。

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台所の土間から座敷を見ると・・・

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なんだか資料館というよりも、今もふつうに誰かがくらいしていそうな雰囲気です。火鉢のところにおじいさんが座っていそうなたたずまいです。先ほど入ってきた玄関の方を見てみるとこんな感じです↓いまにもガラス戸をガラリと農作業を終えたお父さんが開けて返って来そうな雰囲気です。

伊奈町郷土資料館に行ってきましたDSCN2938

玄関からすぐの座敷を見上げると↓こんな感じ。「田舎のおじいちゃんおばあちゃんの家」感がたっぷりです。割烹着に頬被りをしたお母さんがお針仕事をしていそうなお座敷ですね。

伊奈町郷土資料館に行ってきましたDSCN2939

さて、それではせっかくなので靴を脱いで座敷に上がってみたいと思います。

座敷にあがった様子は「伊奈町立郷土資料館に行ってきました その②」につづきます・・・。

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・埼玉県行田市 さきたま霊園のご紹介

2014年3月18日火曜日

埼玉県行田市にあります、さきたま霊園をご紹介いたします。

さきたま霊園は、平成21年11月に開園した霊園です。霊園名称は、すぐ近くにあります「さきたま古墳群」、埼玉県の名前の由来である「埼玉(さきたま)」にちなんで名づけられました。

場所はこちらになります https://goo.gl/maps/Lgglj 

霊園の入口にあります管理事務所とアイアンのゲートです。管理事務所の向こう側に墓域があるのですが、まっすぐにのびた参道がとても気持ちよく目に伸びてくる霊園です。

埼玉県行田市 さきたま霊園のご紹介DSCN3404

管理事務所の手前には、ミニハーブ園があります。春になりましたので、これからどんどんと緑の美しいハーブ園になることと思います。

埼玉県行田市 さきたま霊園のご紹介DSCN3403 埼玉県行田市 さきたま霊園のご紹介DSCN3402

管理事務所の周辺には↓このようなオブジェや小物が雰囲気を演出しています。

埼玉県行田市 さきたま霊園のご紹介DSCN3401 埼玉県行田市 さきたま霊園のご紹介DSCN3400 埼玉県行田市 さきたま霊園のご紹介DSCN3398 埼玉県行田市 さきたま霊園のご紹介DSCN3399

ゲート型になっている管理事務所をくぐりぬけると・・・

ぱぁっと、広い空と広い墓域が目に入ってきます!

埼玉県行田市 さきたま霊園のご紹介DSCN3397

さきたま霊園には、さまざまなタイプの区画と墓石、見本展示墓などがあります。

見本展示墓石、サンプル墓石

見本展示墓石、サンプル墓石

ゆとり墓地(さきたま霊園 みどり1.8㎡)

ゆとり墓地(さきたま霊園 みどり1.8㎡)

ここさきたま霊園の経営母体は、高源寺というお寺なのですが、もともとは行田の中心地近くの佐間に建立されたお寺です。映画や小説でも人気となりました、のぼうの城にも登場しました、正木丹波守利英公が忍城攻めのあと、激戦地であった佐間の地に戦没者を供養するために建てたのがこの高源寺。そして菩提を弔うために僧侶となって生涯を送りました。

行田市の都市計画により高源寺はここ渡柳の地に移転となったのですが、移転に合わせて開園されたのがこのさきたま霊園になります。

高源寺について、より詳しくは→こちらのページをご覧ください。高源寺には正木丹波守利英公の石碑などもあるのですが、まだ本堂の移転はもう少し先なので本堂や石碑をご覧になられたい方はこちらにあります。 https://goo.gl/maps/GbZOR 

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参照記事 のぼうの城関連で、さきたま霊園の近隣を訪ねた記事

のぼうの城に登場した丸墓山古墳 さきたま古墳公園 石田堤 その①

のぼうの城に登場した丸墓山古墳 さきたま古墳公園 石田堤 その②

のぼうの城に登場した土堤、石田堤に行ってきました

忍城水攻 石田堤 行田市 鷺栖神社

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また、すぐ近くにはさきたま古墳のほか、さきたま緑道もあります

・20140404 埼玉県さきたま緑道の桜

とても美しく明るい雰囲気で、また歴史と縁起もある霊園のさきたま霊園。ご興味のあります方はこちらのページも是非ご覧ください→さきたま霊園

 

※この記事は、平成26年3月現在の写真と情報になります。区画には限りがありますので、ご希望の区画をご案内できない場合はご容赦ください。

 

 

より詳しくは、下記問い合わせまでお気軽にご相談・ご質問ください。お墓ディレクター有資格者(石産協)やお墓相談員(全優石)など専門の知識のある者が丁寧にご対応させていただきます。

お問い合わせ、お越しの際はこちら → お墓無料相談窓口

お問い合わせ番号 0120-36-1217(代表)

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

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