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供養」カテゴリーアーカイブ

・3.11 14時46分の防災無線サイレン 黙祷 

2014年3月11日火曜日 晴れ

本日は3月11日。14時46分に防災無線のサイレンが響きました。ブログ担当Tはその時間帯に桶川市にいたのですが、桶川の防災無線を耳にしたのかと思います。本社に帰ってみると、他の自治体でも防災無線のサイレンを耳にしたとのこと。

サイレンを耳にした最初は「何事?」と少しびっくりしましたが、時計をみて納得。車を停め、手を合わせて黙とうしてみました。同様に黙祷をした人も多いはず。また仕事などで黙祷できなかったとしても、黙祷できた方と気持ちは同じかと思います。

亡くなった方を偲ぶ気持ち、心は供養になります。供養はお墓などの供養塔の前や仏壇の前、お葬式や法事の場だけですることのできるものではありません。どこででも、いつでも可能なことです。

3月11日はこれから未来にわたって、震災で被害にあわれた方、罹災された方、亡くなられた方に思いを込め、今自分たちにできることは何か?そして防災の意識を高める日として毎年やってくるものと思います。

東日本大震災のあったその時、私は大塚本社の三階にいました。いつまでも止まらない長い横揺れにパソコンを片手で抑え、そして止まらない揺れにあわてて階段を駆け下りて建物の外に逃げ出しました。

その後電話が不通になってしまいましたが、復旧しだい続々と届く「灯籠が倒れた」や「大谷石の壁が倒れた」などの被害連絡と修理依頼が殺到したのを覚えています。

日本は狭い国土に多くの地震と火山と台風などの猛威が毎年どこかで発生している世界でも稀な国です。震災で被害にあわなかった地域も、日頃の防災には意識を働かせていることが大切だなと感じる一日でした。

黙祷。

 

 

・千葉県流山市 メモリアルガーデンセントラルパークのご紹介

2014年3月8日土曜日 晴れ

千葉県流山市にあります霊園の、メモリアルガーデンセントラルパークをご紹介いたします。

ここメモリアルガーデンセントラルパークは、千葉県の流山運転免許センターからほど近い場所にあります。JR常磐線北小金駅や南柏駅、東武野田線の豊四季駅、つくばエクスプレスの流山セントラルパーク駅、流山おおたかの森駅、流山鉄道流山線の鰭ヶ崎駅や小金城趾駅から遠くありません。

また、平和台駅から柏駅に向かう道路がすぐ近くにありま、さらには国道6号線の水戸街道の名都借交差点からは1.2kmとほど近く、常磐自動車道/流山有料道路・流山ICからもアクセスよく、約20分で来ることが出来ます。

場所はこちらのグーグルマップでご確認ください→https://goo.gl/maps/tRthc

千葉県流山市 霊園 墓地 メモリアルガーデンセントラルパーク.

全区画平坦地のためとってもお参りのしやすい霊園です。空がとても広く感じられるのも魅力です。墓石の左右にゆとりを持たせた区画が人気のため、窮屈に感じることもないという点もポイントです。

千葉県流山市 霊園 墓地 メモリアルガーデンセントラルパーク

冬の最近撮影した写真なのでわかりにくいのですが、四季折々の植栽が植えられているので、季節によってはかわいらしいお花が墓域を彩って和ませてくれます。

おすすめの霊園です。ご興味のあります方はこちらのページも是非ご覧ください→メモリアルガーデンセントラルパーク

 

※この記事は、平成26年2月現在の写真と情報になります。区画には限りがありますので、ご希望の区画をご案内できない場合はご容赦ください。

 

 

より詳しくは、下記問い合わせまでお気軽にご相談・ご質問ください。お墓ディレクター有資格者(石産協)やお墓相談員(全優石)など専門の知識のある者が丁寧にご対応させていただきます。

お問い合わせ、お越しの際はこちら → お墓無料相談窓口

お問い合わせ番号 0120-36-1217(代表)

 

 

※平成26年5月をもちまして、おかげさまで弊社大塚のメモリアルガーデンセントラルパークでの販売可能持分が終了となりました。

※千葉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・のぼうの城に登場した丸墓山古墳 さきたま古墳公園 石田堤 その②

2014年3月7日金曜日

昨日の記事、のぼうの城に登場した丸墓山古墳 さきたま古墳公園 石田堤 その① の続きになります。

石田堤 忍城 水攻 推定 地図小

前回は、弊社大塚がお墓をご案内している「さきたま霊園」すぐ近くの、埼玉県さきたま古墳公園にあります丸墓山古墳(忍城攻めの際の石田三成本陣跡)にのぼってみるべく、その足元にたどり着いたところまで書きました。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0071

さていよいよ登ってみます。頂上まで続く階段を登っていくと・・・

頂上は円形の生垣で囲まれており、桜の木が点在しています。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0074

後ろを振り返ると・・・

階段の下に伸びている砂利道が石田堤になります。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0073

やっぱりこの高さからだと武蔵野平野というものをよく感じることができます。とにかく平らですね~そんな中に点在している小山のような古墳たち。太古の昔はさぞ巨大に感じられたことでしょう。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0075

↑丸墓山古墳と忍城の案内板があります。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0077

案内板にはこうあります↓

天正十八年(1590)、豊臣秀吉の命を受けた石田三成は、総延長28km(一説には14km)の石田堤を築き、忍城を水攻めしました。丸墓山古墳は高さが19mもあり、周辺を一望できることから三成の陣が張られたと言われています。

北の利根川水系、南の荒川水系の水を流し込んでの城攻めは成功せず、豊臣秀吉が唯一落とせなかった城とも言われています。

↑以上、引用終了です。案内板によると、この方向に忍城が見えるとのこと。じっとその方向を見つめてみると・・・

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0080

お!

さきたま古墳 石田堤 石田三成陣 丸墓山古墳から見た 見える 忍城 本丸 御三階櫓 天守閣 DSC_0079

じゃじゃーん!忍城の御三階櫓が見えました。世にいう「天守閣」と呼ばれるもののカタチになっておりますが、江戸時代までの忍城には幕府への遠慮から、「天守閣は存在しない」ということになっていました。ただし、天守はなくとも隅櫓が三階建てになっており、事実上の天守の役割を担っていました。江戸時代の歴代藩主は松平氏や阿部氏など、譜代大名でありました。川越や小田原などと同様、江戸周辺の要衝として信頼のおける大名しか配置できなかったのでしょう。だからこそ余計に「幕府に遠慮して」という構図が生まれやすかったのかもしれませんねぇ。江戸幕府は「事なかれ主義」の時代でもありましたし。

小説・映画で大ヒットした「のぼうの城」、石田三成の水攻めのあった天正18年の忍城は北条方、成田氏の城ですので天守はありませんでした。なので、上記写真のような光景は石田三成はじめ上方勢の武将の大谷吉継、長束正家、真田昌幸、信繁(真田幸村)父子には全く違った光景が広がっていたはずです。↓当時の想像図(別記事より)

DSC_0046 (2) DSC_0045 (2) DSC_0042 (2) DSC_0041 (2) DSC_0048 (2) DSC_0047 (2)

↑クリックで元画像を見られます。これらの画像は近くの上越新幹線の下にある石田堤史跡公園にあったパネルです。

ちなみに、この丸墓山の上には、関東管領上杉謙信公も陣を張った過去がありました。天正2年とのことなので、三成の忍城攻めの8年前ですね。謙信公も忍城を落とすことはできませんでした。上杉謙信と忍城城主成田氏との間には、天正元年に当主成田泰の下馬打擲事件という面白い因縁のエピソードがありますのでご興味のある方は是非検索してみてください。

さてそんな丸墓山頂上、ほんとうに景色がよく見えます。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0089

↑こちらは丸墓山古墳の隣にあります、稲荷山古墳です。「ヤマタケル」金文字入りの鉄剣出土で全国的にも有名な古墳です。この画像の左上に見えているタワーがこちら↓

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0090

行田市周辺の方にはおなじみの、古代蓮の里のタワーです。近年は田んぼアートのスポットとして有名です。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0091

↑こちらは真横から古墳を眺められます。将軍塚古墳です。

景色が良いので、遠くに見える山々も写真に撮ってみました。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0082 さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0083-

↑赤城山です。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0087 さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0085-

↑栃木県の日光連山と男体山。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0093

↑栃木県佐野市の採石場かと思われます。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0094

↑わかりにくいかもしれませんが、東北自動車道の羽生ICと館林ICの間の利根川を渡る白い鉄橋が辛うじて見えます。方角的に、栃木県の佐野藤岡ICや佐野SAの近くの県南大規模公園や岩舟町の岩船山、栃木市の太平山あたりが見えていると思います。このあたりが連続して見えている山脈の一番右端になります。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0095

↑佐野市、岩舟町、栃木市方向。

では頂上も堪能できましたので、丸墓山を下りてみたいと思います。北側の斜面には一面の雪が残っていました。雪はやっぱり北側から吹き付けてきたんですね。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0096

↑山頂からみた階段と、↓階段下から見上げる丸墓山。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0098

雪景色の丸墓山というのも、とても風情を感じます。

さらに位置を変えて雪の丸墓山です。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0104

丸墓山の足元をぐるりと周る遊歩道をあるいて、丸墓山を登ったスタート地点の方に向かってみます。しかしながら、白い丸墓山もなかなか乙なものです。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0105

で、石田堤。前回の記事で丸墓山の南側の石田堤はご紹介しました。では北側は?ということで次の写真をご覧ください。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 雪 DSC_0107

 

↑こちらの写真の箇所、古墳のカタチがここだけすこし伸びているように感じられます。なんだか柵?看板の跡?もあります。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0106

↑そしてこ真後ろにはこんな土地が。写真だと分かりにくいのですが、道があったかのような形状の土地です。しかも一つ上の写真の出っ張り部分の延長線上にあたります。まさに石田堤だからこそ植林がなされていない!のかな?案内板があるとうれしいなぁと感じました。この箇所が石田堤だということについては、埼玉県立さきたま史跡の博物館のページの記述と写真で確認できました。

すぐ近くの森の中に、江戸期の石塔が並んでいました。石材店の人間としてはこういった石造りの加工品といいますか、供養塔にはとても興味が惹かれてしまいます。

さきたま古墳公園 DSC_0108 さきたま古墳公園 DSC_0109 さきたま古墳公園 DSC_0110

さて、帰り道です。全体地図と丸墓山古墳の位置関係を再度確認してみます。地図にも石田堤と書いてありますね。

さきたま古墳公園 DSC_0111 さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0112

駐車場に戻り、最後に行田市近隣の観光案内地図が二種類ありました↓クリックすると元画像が見られますので大きくしてみることができます。

さきたま古墳公園 DSC_0114 さきたま古墳公園 DSC_0116

この、さきたま古墳公園のすぐ近くの交差点脇にはこんな看板があります。

さきたま古墳公園 さきたま霊園 DSC_0117 さきたま古墳公園 さきたま霊園 DSC_0119

↑そきたま古墳のごく近所の、行田市の斎場に向かうT字路にあります。さきたま霊園です。弊社大塚がお墓をご案内している霊園になります。とってもきれいな霊園なんですよ!もちろん名前はここ「さきたま古墳」にあやかりました。お墓参りの行き帰りに公園散歩やお花見ができてしまう魅力的な霊園です。

↓近隣の方はわかると思いますが、この辺り一帯は本当に真っ平らな土地なんです。

さきたま古墳公園 周辺は平地 DSC_0120

こんな凹凸のない土地に石田堤という堤防をつくって水攻めを考えてしまうなんて、豊臣秀吉はすごいですね~。そして失敗はしたものの実行に移し堤防を完成させた石田三成もなかなかのものです。

帰り道の途中には、大雪でこわれてしまったビニールハウスも。たかが雪とは言い切れない、甚大な災害ですね。

さきたま古墳公園 雪で壊れてしまったビニルハウス DSC_0121

そして最後にこちらの交差点にご注目を。古墳のすぐ近くの交差点です。

さきたま古墳公園 埼玉交差点 DSC_0122

そう、埼玉の名前の由来となった「埼玉(さきたま)」という土地なんです。その名前を持った交差点。

さきたま古墳公園 埼玉交差点 DSC_0123-

今回の記事はここまで。また関連の記事を書きましたらよろしくお願いいたします。

————

参照記事 石田堤についての以前の記事

のぼうの城に登場した丸墓山古墳 さきたま古墳公園 石田堤 その①

のぼうの城に登場した土堤、石田堤に行ってきました

忍城水攻 石田堤 行田市 鷺栖神社

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・お彼岸法要

お彼岸法要

 

● 彼岸法要のはじまり

 日本で最初に彼岸法要(讃仏会)が行なわれたのは今から約1200年前のことで、諸国にあった国分寺の僧侶が春と秋の2回、中日を挟んで前後3日間の計7日間にわたり仏を讃えお経をあげたと伝えられています。それからしだいに一般の人にも、お彼岸の法要として供養することが広まっていきました。

 

● お彼岸とは?

彼岸という言い方は「到彼岸」を略したものです。これはインドのサンスクリット語の「パーラミター」(波羅蜜多)を訳した言葉で、文字通り彼岸へ到達するという意味です。
彼岸とは悟りの世界を意味し、迷いや苦悩に満ちたこちら側の岸(此の岸)に対して、あちら側の岸(彼の岸)、つまり極楽浄土のことを指しているのです。では、私たちはどうしたら極楽浄土へ渡れるのでしょうか?
仏教には六波羅蜜の教えというのがあります。
  1.「布施(ふせ)」 他人へ施しをすること
  2.「持戒(じかい)」 戒を守り、反省すること
  3.「忍辱(にんにく)」 不平不満を言わず耐え忍ぶこと
  4.「精進(しょうじん)」 精進努力すること
  5.「禅定(ぜんじょう)」 心を安定させること
  6.「智慧(ちえ)」 真実を見る智慧を働かせること
こうした徳目は本来なら毎日心がけるべきです。でも、日頃は忙しくなかなか実行できないのではないでしょうか。そこで、せめて春と秋、年2回くらいは実行しよう、というのがお彼岸法要の意味です。
お彼岸には、ご先祖様のお墓にお参りし感謝と冥福を祈るとともに、六波羅蜜の教えを実行しましょう。

 

● お彼岸のご供養

お彼岸にはできるだけ家族そろってお墓参りをしましょう。お墓参りに特別の作法はありません。気持ちを込めて墓石をきれいに洗い、お墓の周囲も掃除して花や線香をたむけ、お菓子などもお供えします。そして、合掌礼拝の前に水桶からたっぷりと水をすくい、墓石の上からかけます。
水をかけるのもお布施の一つです。
また、家庭では仏壇を掃除し、新しい花、牡丹餅・おはぎ、お彼岸団子などをお供えします。
***お墓参りに用意しておくとよいもの***
数珠・線香・ローソク・マッチ・花・菓子・果物・半紙・水桶
たわし・ほうき・雑巾など

お墓参り1 お墓参り2

 

● 彼岸会のお寺の行事

お寺では「彼岸会」の法要がお彼岸の期間に営まれます。読経や法話などが行なわれますので、お墓参りの折にはお寺の彼岸会にも参加してご供養をお願いしましょう。
時間がない場合でも、本堂のご本尊へのお参りとご住職への挨拶は欠かさないようにしたいものです。

 

● 夕日を拝めば浄土を拝む?

お彼岸は年2回、春分の日と秋分の日を中日として営まれます。中日には太陽が真東から昇り、真西に沈みます。そこから、この日に夕日を拝むということは、西方にある浄土(西方浄土)に向かって拝むことになると言われています。そこで中日に夕日を拝むと特に功徳があると考えられているのです。

夕焼け富士山 20131129 DSC_0006 

 

● 春のぼたもち・秋のおはぎ

「ぼたもち」と「おはぎ」は、お彼岸のお供えに欠かせないものです。
両方とも、蒸したもち米とあんこの同じ素材でつくられる食べ物ですが、季節の花になぞらえて、春は「牡丹餅」秋は「お萩」と言います。
日本には四季があります。季節感も一緒に味わいながら牡丹餅やお萩をいただきましょう。

おはぎ牡丹餅

 

(鎌倉新書 2分でわかる仏事の知識 より抜粋)

 

より詳しくは、下記問い合わせまでお気軽にご相談・ご質問ください。お墓ディレクター有資格者(石産協)やお墓相談員(全優石)など専門の知識のある者が丁寧にご対応させていただきます。

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・ホワイトデーの秘密 誕生秘話 発祥

2014年3月2日 日曜日 小雨

いよいよ三月になりました。明日は三月三日のひな祭りでもう少しするとホワイトデーがやってきます。弊社大塚の社内でも、「ホワイトデーのお返しを何にしよう?」と軽く頭を抱えている人もいたりします。同じように「お返しは何にしよう?」と悩んでいたりする人も少なからずいらっしゃるのではないでしょうか。

そういえば、私が小さい頃はホワイトデーのお返しは「キャンデー」とか「マシュマロ」とか言いました。最近の流行では、飴やマシュマロ、クッキーなど従来型のお返しのプレゼンにこだわらずに、カップケーキなどミニスイーツの詰め合わせ、はたまた本命チョコならぬ本命ホワイトデーということで、貴金属などのある程度気合を入れたプレゼントなどもやりとりなされているようですね。もういっそクリスマスや誕生日のように、渡して喜ばれるプレゼントのほうがよいのかな?というある程度高額路線もあるようですが、世にいう義理チョコには、あまりヘビーではない食べ物で、ということにもなるのかと思います。

もらったバレンタインのレベルに合わせるのか、自身の気合いを込めるのか、手作り等のプライスレスにはプライスレスなお返しにするのか、ケースバイケースなんでしょうね~。

 

と、ここまで書いて私ブログ担当Tに疑問がわいてきました。「ホワイトデーってそもそも何の日なの?」

そこでウィキペディアさんはじめいくつかのサイトを見てみました。

●日にちについて・・・そもそもバレンタインデーの2/14というのは、古代ローマにて婚姻を禁止されていた兵士に婚姻を執り行ったという咎にて聖ウァレンティヌスが殉職(処刑)された日だそうです。そしてその一か月後、件の兵士と相手の二人であらためて結婚をかわしたのが3/14と言われており、そこからちなんで定められたようです。

●発祥について・・・ホワイトデーというのは欧米にはありません。日本発祥になります。

東京では1973年(昭和48年)にエイワが不二家と協力し、“ホワイトには「幸福を呼ぶ」「縁起が良い」という意味がある”ということで、バレンタインデーの1ヶ月後をホワイトデーを設定したとの新聞記事がある(読売新聞)(ウィキペディアより) ただし、不二家さんのサイトによると1968年に開始とありました→不二家の歴史

全国飴菓子工業協同組合(全飴協)は1980年(昭和55年)からホワイトデーをスタートし、3月14日に定めた理由を、269年2月14日、兵士の自由結婚禁止政策に背いて結婚しようとした男女を救うためにウァレンティヌス司祭は殉教したが、その1ヶ月後の3月14日、その2人が改めて永遠の愛を誓い合ったと言われていることに由来するとしている。全飴協はその後、ホワイトデーをキャンディの日に変えた。(こちらもウィキペディアより) 全国飴菓子工業協同組合さんのホワイトデー公式ページにあります、ホワイトデー誕生秘話もとても興味深いです。

銘菓「鶴乃子」で知られる福岡市の老舗菓子屋「石村萬盛堂」が、1978年(昭和53年)、この日にバレンタインチョコのお返しとして「君からもらったチョコレートを僕の優しさ(マシュマロ)で包んでお返しするよ」とチョコマシュマロを「マシュマロデー」として売り出し、その後、クッキーやキャンディなどをこの日に発売する菓子店が続出し、全国に普及したとの説の方が最有力である。(こちらもウィキペディアより) 石村萬盛堂さんのサイトにもホワイトデー誕生秘話がありました。興味は尽きません。

と諸説あるようですが、1980年代前半には定着、普及してきたようです。上記のようにホワイトデーと言えばキャンディー、マシュマロ、また洋菓子というのもうなずけるかと思います。

ちなみに 日本の影響で、韓国、台湾、中国の一部でもホワイトデーが行われている。中国語では「白色情人節」と表記する。台湾での贈り物は様々である。(ウィキペディアより) ということですが、日本型の「好きな人にチョコを渡す」というバレンタインデーも同様に東アジアの一部で定着しているそうです。この「チョコを渡す」という習慣も日本で生まれたもの。欧米キリスト教圏では、大切な人にプレゼントをする日とされているようで、男性女性どちらかから一方通行の日ではないため「お返しの日」が特に生まれなかったようです。

ちょっとホワイトデーについて詳しくなりました(^○^)

 

ところで、三月と言えば卒業式やお花見、そしてお彼岸もやってくる月です。我々霊園・石材・墓石を案内している企業的には「彼岸月」とも呼んでいます。恋する人へのプレゼントのみならず、大切な人へのプレゼントということでお彼岸には是非お墓参りしてみてはいかがでしょうか?今年2014年の彼岸の入りは3/18で、中日(春分の日)は3/21、彼岸明けは3/24となっており一週間あります。ホワイトデー同様日本の文化であるお彼岸、ぜひ大切な人を想う日にしてみてください。

 

 

・千葉県流山市 メモリアルグリーン流山聖地のご紹介

2014年3月1日土曜日 小雨

大塚本社の営業SHさんより、千葉県の流山市にあります「メモリアルグリーン流山聖地」の最新の写真をもらいましたので記事にいたします。

昨日2月28日の写真なのですが、とっても綺麗な青空で、雰囲気の良いたたずまいの霊園がよりいっそう明るく温かく感じられました。

千葉県流山市 メモリアルグリーン流山聖地 P1030432

↑霊園の入り口正面を入ると管理棟があります。

広々とした参道(通路)でお参りの時もゆったりとすれ違うことができますし、車いすの方も安心してお参りできる設計になっています。

千葉県流山市 メモリアルグリーン流山聖地 P1030426

ここ流山聖地は、メモリアルパーク流山聖地メモリアルグリーン流山聖地の二つの霊園が隣り合っています。どちらも明るい雰囲気で空を広々と感じることのできる素敵な霊園です。

↓左手に利根運河をわたる千葉県道5号松戸野田線の陸橋が見えています。

千葉県流山市 メモリアルグリーン流山聖地 P1030430

この県道のこの区間は松戸野田有料道路だった道ですが、2007年より無料で通行できるようになっています。この道を使えば常磐自動車道の流山ICもすぐなのがうれしいところです。なお、最寄の駅は東武野田線「運河駅」で、車で約5分という好立地です。

↓お墓の目の前まで行く参道(通路)もご覧のとおりゆったり設計です。

千葉県流山市 メモリアルグリーン流山聖地 P1030431

この霊園を訪れていただけるとすぐに気が付くのがこの「土手」。利根運河の堤防なんです。おかげで広い空を遮る建物もなく、とてもとても広い大空を体感することができるんです。↓こちらの写真を見てみてください!(以下、土手の見えている写真はメモリアルパーク流山聖地からの写真です)

千葉県流山市 メモリアルグリーン流山聖地 P1030433

そのため、全区画日当たりは抜群です。よく晴れた日には富士山を見ることもできるそうです。

千葉県流山市 メモリアルグリーン流山聖地 P1030434

全区画平坦地になります。

アクセス抜群、日当たり抜群、霊峰富士も拝めるメモリアルグリーン流山聖地。おすすめの霊園です。ご興味のあります方はこちらのページも是非ご覧ください→メモリアルグリーン流山聖地

 

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・日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社②

2014年2月28日金曜日 とても温かい晴れ

昨日の記事「・日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社①」の続きになります。日光御成街道の鳩ヶ谷宿(旧鳩ヶ谷市、現川口市)の鳩ヶ谷氷川神社のご紹介の二回目です。鳩ヶ谷氷川神社は地下鉄南北線とも直通している埼玉高速鉄道の鳩ヶ谷駅から歩いて行くことができます。鳩ヶ谷の総鎮守だけあってとても重厚で美しい神社です。

昨日の記事では、境内の様子と本殿(拝殿)に向かう門までご紹介いたしました。

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3586 クリックで拡大

↑この重厚な門をくぐると・・・りっぱな拝殿があります!小さなお子さんも参拝に来られていました。

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3587

御神籤を引いてみましたところ、まずまずの小吉でした。拝殿側(内側)からみる門もまた重厚な趣があります。

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3588

拝殿に向かって右側、須賀神社の御神輿を見ることができます。

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3591 日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3590 クリックで拡大

拝殿の右奥には、さまざまな石碑が並んでいます。石材店の人間としてはこういった石造りのものについつい目がいってしまいます。

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3592 日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3596 クリックで拡大 

拝殿のうしろの本殿が見えてきました。切り妻から点に続く板が外削ぎになっています。男千木です。祭神は氷川神社というだけあるので素戔嗚尊(スサノオノミコト)です。立派な男神様です。

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3595

さらに進んでいくと、いくつものお社が並んでいます。

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3593 日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3597 日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3599 クリックで拡大

境内には本殿の他、前述の須賀神社、天満宮、三峰神社、浅間神社、古峯神社、弁天様、稲荷社、猿田彦も祀られています。

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3598 クリックで拡大

戦没者慰霊碑の前には、「笑う少女像」が。愛らしい表情で佇んでいます。「平和を永久に」とあります。本当にそうあってほしいものと願います。

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3600 クリックで拡大

日露戦役紀念碑と力石、稲荷社が見えますが、ここは本殿の真裏にあたります。

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3601 クリックで拡大

↑神社などに時々ある力石。とてもではありませんが持てる大きさと重さな気がしません(^_^;)きっとものすごい力自慢さんがいらっしゃったのでしょうね!

↓こちらは日露戦役紀念碑です。

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3602 クリックで拡大

とても立派な書が刻まれています。

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3603

やや!私気が付きました!

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3603-

なんと「海軍大将東郷平八郎書」とあるではありませんか。由緒正しい書を持つ紀念碑であります。

そしてさらにその奥には、夫婦楠があります。ご神木なんですね!

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3604

そういえば、大宮にある武蔵一ノ宮氷川神社にも楠が植えられていてご神木、パワースポットとして大切にされています。氷川神社と楠って、きっと深いつながりがあるのかもしれませんね。

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3607 日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3605 日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3606

時間にして10分くらいでしたが、神社の持つ凛としていてそれでいて温かみのある空気にふれられて、心身ともにリフレッシュ。また近くを通る時には寄らないと!と感じてしまいました。また来ます。

 

関連記事「・日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社①

 

※鳩ヶ谷氷川神社から遠くない場所にあります、川口元郷聖地かわぐちの杜川口フォーシーズンメモリアル川口光輪メモリアルにご興味ありましたらそれぞれリンク先も是非ご覧ください。

 

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・埼玉県草加市 第二草加聖地霊園に行ってきました

2014年2月26日火曜日 晴れ

先日埼玉県草加市にあります、第二草加聖地霊園 毛長の里に行ってきましたので写真にてご紹介いたします。

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↑こちらが第二草加聖地霊園の入口になります。両サイドの水色の看板が目印です。

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第二草加聖地霊園の駐車場の看板は↑こんな感じです。そして上の水色の看板をまがると↑このように見えます。

少し歩くと第二草加聖地霊園が見えてきます。門柱には「毛長の里」とあります。ここは古来より毛長の里と呼ばれていた地域。若い女性の昔話の伝承が残されています。

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管理事務所が見えてきます。

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管理事務所の屋根には・・・ソーラーパネルが備えられています。エコロジーにも気を配っている霊園なんです。

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管理事務所の入口には、お線香への着火器の雨風よけ設備と、したのふたを開けるとお線香が設置されています。

さて、いよいよ霊園内部の墓域のご紹介になります。

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とにかく一目ご覧になっていただけると、まずはその人気の高さとなっとくの墓域の様子を御理解いただけると思います。そう、とても人気の霊園なんです。

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↑墓域からは、すぐとなりにある運営母体の泉蔵院さまの御本堂も見えます。すぐ隣にありますのでご安心いただけると思います。

墓域には四季折々の植栽が植えられています。つい先日は梅が咲き始めていました。

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霊園の隣にあります泉蔵院さまはとても美しいお寺様です。

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第二草加聖地霊園は、東武伊勢崎線または東京メトロ日比谷線「竹ノ塚駅」西口より車で約5分。日暮里・舎人ライナー「見沼代親水公園駅」からも歩いてこられる立地も抜群の霊園です。

場所柄からか、埼玉県草加市の方だけではなく、埼玉県川口市や八潮市、東京都足立区や荒川区の方などもたくさんの方がお求めになられています。

第二草加聖地霊園の一番の特筆事項としては、ご見学された方の半数以上の方がこちらの霊園でお申し込みをされているという点です。これはとても高い決定数値になるのですが、一目見て「ここならいいね」と感じていただける方が多いというのは、何よりも説得力のある霊園についてのご紹介になるのではないでしょうか?(^-^)

とても素敵な霊園ですよ!ご興味のあります方はこちらのページも是非ご覧ください→第二草加聖地霊園 毛長の里

 

※この記事は、平成26年2月現在の写真と情報になります。区画には限りがありますので、ご希望の区画をご案内できない場合はご容赦ください。

 

 

より詳しくは、下記問い合わせまでお気軽にご相談・ご質問ください。お墓ディレクター有資格者(石産協)やお墓相談員(全優石)など専門の知識のある者が丁寧にご対応させていただきます。

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・埼玉県吉見町 岩室観音に行ってきました

2014年2月25日 火曜日

先日、埼玉県吉見町にあります、岩室観音に行ってきましたのでご紹介いたします。

ここ岩室観音は、東松山市街からほど近い吉見百穴に隣接しています。すぐ裏手に広がる山は、武州松山城の跡地で、松山城の搦め手の一部にも位置しています。

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岩山のはざまに、とても歴史を感じさせる趣のお堂があります。そして両サイドの岩山もくりぬかれているんです。

 

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向かって右の岩穴↓

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反対側(向かって左側)です↓

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こちらの石仏は八十八体あり、こちらで拝むと、四国八十八カ所を一遍にめぐるのと同じ功徳があるそうです。

↓こちらは胎内くぐり。ここをくぐると諸難を除き、安産その他の願いごとが叶うと言われて居ます。とあります。そして二階にはご本尊が鎮座されています。

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天井というか梁というか、とにかく千社札がいっぱいです。

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このお堂の裏側は峻嶮な山道が続いていて、ここを上っていくと松山城に上ることができます(滑りやすいので注意が必要)

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ものすごい道?です(^_^;)

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くさり場もあります。そしてここを登るとたどり着くのがこちら右側の写真↓

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こちらも胎内くぐりのようにも思えます。そうなのかな?

案内板がありました。この近隣は吉見町百穴ふるさとの緑の景観地として指定されているようです。

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現在のお堂は江戸時代の寛文年間(1661~1673)に建てられたものだとか。珍しい懸造りという様式のお堂だそうです。

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↓こちらの看板はお寺様の建てたものかと思いますが、なんと空海(弘法大師)さまが建てたと記されています。

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そしてその後、天正の世に太閤秀吉の北条攻め、関東征伐の際に石田三成の部下によってすぐ裏の松山城が燃やされ、その余炎によって類焼してしまったそうです。が、尊像だけは無事に残っていたとか。(石田三成の北条攻めについては、こちらの記事や、こちらの記事でも忍城攻めも書いています)

そしてこの懸造りという様式は、京都の清水寺の観音堂をはじめとても珍しい作りだということが書いてあります。

この日、このあと裏山の松山城に登ってみたのですが、それはまた別の記事で書いてみます。

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↑岩室観音堂の裏(松山城側)から見た様子

吉見百穴はすぐ隣にあります。

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昔武田信玄がここ武州松山城を攻めに来た際、甲州から金山衆を呼び寄せ、百穴の岩山から坑道を掘らせて城に侵入しようとした作戦を立てたりしたこともあったとか。

古代人のお墓?とも住居跡?とも言われている百穴のほか、いろいろな歴史のあるエリアなのですね~

ちなみに墓石店、石材店としてはここからそう遠くない森林公園昭和浄苑や、鴻巣霊園はお勧めの霊園です。

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・埼玉県川口市 川口元郷聖地に行ってきました

2014年2月23日日曜日 晴れ

先日、川口元郷聖地に行ってきましたので写真とあわせてご紹介いたします。

川口元郷聖地は、埼玉県川口市にある霊園です。埼玉高速鉄道の川口元郷駅から徒歩6分という駅近霊園です。埼玉高速鉄道は地下鉄南北線とも直通ですので、東京都北区など、や南北線沿線の方など都内の方もお求めやすい立地です。

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↑こちらが川口元郷聖地の入口です。宗教法人の選擇寺さまの看板もかかっています。二階が本堂になっています。入口の門扉にはセコムの防犯システムが備えられています。

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一歩足を踏み入れると、巨大な霊園というわけではありませんが、プライベートな箱庭のような整えられた霊園になっているのがわかります。

墓域は陽光のふり注ぐひだまりエリアと、天井があって雨の日も安心のこもれびエリアとがあります。

ひだまりエリアからはすぐ近くにあるエルザタワーも望めます。

埼玉県川口市 墓地 霊園 川口元郷聖地に行ってきました エルザタワー DSC_0007

ひだまりエリアの墓域風景です。美しい墓石が並んでいます。

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↓こちらはこもれびエリア。

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こもれびエリアには、現在(2014年2月)二種の永代供養墓があります。↓こちらはカーロタイプの永代供養墓で、遺骨を個別安置するカタチになります。

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こちらは永代供養墓の「こもれびの碑」です。

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川口の街中にある、立地も抜群な川口元郷聖地。ご興味のあります方はこちらのページも是非ご覧ください→川口元郷聖地 ※永代供養墓特集のページを見てみる

すぐに永代供養墓の資料を請求したい方はこちら→永代供養墓の資料を請求してみる

また、川口市内には、川口フォーシーズンメモリアル川口霊園かわぐちの杜、近隣の草加市にあります第二草加聖地霊園もおすすめの霊園です。

※この記事は、平成26年2月現在の写真と情報になります。区画には限りがありますので、ご希望の区画をご案内できない場合はご容赦ください。

 

 

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