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月別アーカイブ: 2014年3月

・千葉県流山市 メモリアルガーデンセントラルパークのご紹介

2014年3月8日土曜日 晴れ

千葉県流山市にあります霊園の、メモリアルガーデンセントラルパークをご紹介いたします。

ここメモリアルガーデンセントラルパークは、千葉県の流山運転免許センターからほど近い場所にあります。JR常磐線北小金駅や南柏駅、東武野田線の豊四季駅、つくばエクスプレスの流山セントラルパーク駅、流山おおたかの森駅、流山鉄道流山線の鰭ヶ崎駅や小金城趾駅から遠くありません。

また、平和台駅から柏駅に向かう道路がすぐ近くにありま、さらには国道6号線の水戸街道の名都借交差点からは1.2kmとほど近く、常磐自動車道/流山有料道路・流山ICからもアクセスよく、約20分で来ることが出来ます。

場所はこちらのグーグルマップでご確認ください→https://goo.gl/maps/tRthc

千葉県流山市 霊園 墓地 メモリアルガーデンセントラルパーク.

全区画平坦地のためとってもお参りのしやすい霊園です。空がとても広く感じられるのも魅力です。墓石の左右にゆとりを持たせた区画が人気のため、窮屈に感じることもないという点もポイントです。

千葉県流山市 霊園 墓地 メモリアルガーデンセントラルパーク

冬の最近撮影した写真なのでわかりにくいのですが、四季折々の植栽が植えられているので、季節によってはかわいらしいお花が墓域を彩って和ませてくれます。

おすすめの霊園です。ご興味のあります方はこちらのページも是非ご覧ください→メモリアルガーデンセントラルパーク

 

※この記事は、平成26年2月現在の写真と情報になります。区画には限りがありますので、ご希望の区画をご案内できない場合はご容赦ください。

 

 

より詳しくは、下記問い合わせまでお気軽にご相談・ご質問ください。お墓ディレクター有資格者(石産協)やお墓相談員(全優石)など専門の知識のある者が丁寧にご対応させていただきます。

お問い合わせ、お越しの際はこちら → お墓無料相談窓口

お問い合わせ番号 0120-36-1217(代表)

 

 

※平成26年5月をもちまして、おかげさまで弊社大塚のメモリアルガーデンセントラルパークでの販売可能持分が終了となりました。

※千葉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・のぼうの城に登場した丸墓山古墳 さきたま古墳公園 石田堤 その②

2014年3月7日金曜日

昨日の記事、のぼうの城に登場した丸墓山古墳 さきたま古墳公園 石田堤 その① の続きになります。

石田堤 忍城 水攻 推定 地図小

前回は、弊社大塚がお墓をご案内している「さきたま霊園」すぐ近くの、埼玉県さきたま古墳公園にあります丸墓山古墳(忍城攻めの際の石田三成本陣跡)にのぼってみるべく、その足元にたどり着いたところまで書きました。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0071

さていよいよ登ってみます。頂上まで続く階段を登っていくと・・・

頂上は円形の生垣で囲まれており、桜の木が点在しています。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0074

後ろを振り返ると・・・

階段の下に伸びている砂利道が石田堤になります。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0073

やっぱりこの高さからだと武蔵野平野というものをよく感じることができます。とにかく平らですね~そんな中に点在している小山のような古墳たち。太古の昔はさぞ巨大に感じられたことでしょう。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0075

↑丸墓山古墳と忍城の案内板があります。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0077

案内板にはこうあります↓

天正十八年(1590)、豊臣秀吉の命を受けた石田三成は、総延長28km(一説には14km)の石田堤を築き、忍城を水攻めしました。丸墓山古墳は高さが19mもあり、周辺を一望できることから三成の陣が張られたと言われています。

北の利根川水系、南の荒川水系の水を流し込んでの城攻めは成功せず、豊臣秀吉が唯一落とせなかった城とも言われています。

↑以上、引用終了です。案内板によると、この方向に忍城が見えるとのこと。じっとその方向を見つめてみると・・・

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0080

お!

さきたま古墳 石田堤 石田三成陣 丸墓山古墳から見た 見える 忍城 本丸 御三階櫓 天守閣 DSC_0079

じゃじゃーん!忍城の御三階櫓が見えました。世にいう「天守閣」と呼ばれるもののカタチになっておりますが、江戸時代までの忍城には幕府への遠慮から、「天守閣は存在しない」ということになっていました。ただし、天守はなくとも隅櫓が三階建てになっており、事実上の天守の役割を担っていました。江戸時代の歴代藩主は松平氏や阿部氏など、譜代大名でありました。川越や小田原などと同様、江戸周辺の要衝として信頼のおける大名しか配置できなかったのでしょう。だからこそ余計に「幕府に遠慮して」という構図が生まれやすかったのかもしれませんねぇ。江戸幕府は「事なかれ主義」の時代でもありましたし。

小説・映画で大ヒットした「のぼうの城」、石田三成の水攻めのあった天正18年の忍城は北条方、成田氏の城ですので天守はありませんでした。なので、上記写真のような光景は石田三成はじめ上方勢の武将の大谷吉継、長束正家、真田昌幸、信繁(真田幸村)父子には全く違った光景が広がっていたはずです。↓当時の想像図(別記事より)

DSC_0046 (2) DSC_0045 (2) DSC_0042 (2) DSC_0041 (2) DSC_0048 (2) DSC_0047 (2)

↑クリックで元画像を見られます。これらの画像は近くの上越新幹線の下にある石田堤史跡公園にあったパネルです。

ちなみに、この丸墓山の上には、関東管領上杉謙信公も陣を張った過去がありました。天正2年とのことなので、三成の忍城攻めの8年前ですね。謙信公も忍城を落とすことはできませんでした。上杉謙信と忍城城主成田氏との間には、天正元年に当主成田泰の下馬打擲事件という面白い因縁のエピソードがありますのでご興味のある方は是非検索してみてください。

さてそんな丸墓山頂上、ほんとうに景色がよく見えます。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0089

↑こちらは丸墓山古墳の隣にあります、稲荷山古墳です。「ヤマタケル」金文字入りの鉄剣出土で全国的にも有名な古墳です。この画像の左上に見えているタワーがこちら↓

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0090

行田市周辺の方にはおなじみの、古代蓮の里のタワーです。近年は田んぼアートのスポットとして有名です。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0091

↑こちらは真横から古墳を眺められます。将軍塚古墳です。

景色が良いので、遠くに見える山々も写真に撮ってみました。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0082 さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0083-

↑赤城山です。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0087 さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0085-

↑栃木県の日光連山と男体山。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0093

↑栃木県佐野市の採石場かと思われます。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0094

↑わかりにくいかもしれませんが、東北自動車道の羽生ICと館林ICの間の利根川を渡る白い鉄橋が辛うじて見えます。方角的に、栃木県の佐野藤岡ICや佐野SAの近くの県南大規模公園や岩舟町の岩船山、栃木市の太平山あたりが見えていると思います。このあたりが連続して見えている山脈の一番右端になります。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0095

↑佐野市、岩舟町、栃木市方向。

では頂上も堪能できましたので、丸墓山を下りてみたいと思います。北側の斜面には一面の雪が残っていました。雪はやっぱり北側から吹き付けてきたんですね。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0096

↑山頂からみた階段と、↓階段下から見上げる丸墓山。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0098

雪景色の丸墓山というのも、とても風情を感じます。

さらに位置を変えて雪の丸墓山です。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0104

丸墓山の足元をぐるりと周る遊歩道をあるいて、丸墓山を登ったスタート地点の方に向かってみます。しかしながら、白い丸墓山もなかなか乙なものです。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0105

で、石田堤。前回の記事で丸墓山の南側の石田堤はご紹介しました。では北側は?ということで次の写真をご覧ください。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 雪 DSC_0107

 

↑こちらの写真の箇所、古墳のカタチがここだけすこし伸びているように感じられます。なんだか柵?看板の跡?もあります。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0106

↑そしてこ真後ろにはこんな土地が。写真だと分かりにくいのですが、道があったかのような形状の土地です。しかも一つ上の写真の出っ張り部分の延長線上にあたります。まさに石田堤だからこそ植林がなされていない!のかな?案内板があるとうれしいなぁと感じました。この箇所が石田堤だということについては、埼玉県立さきたま史跡の博物館のページの記述と写真で確認できました。

すぐ近くの森の中に、江戸期の石塔が並んでいました。石材店の人間としてはこういった石造りの加工品といいますか、供養塔にはとても興味が惹かれてしまいます。

さきたま古墳公園 DSC_0108 さきたま古墳公園 DSC_0109 さきたま古墳公園 DSC_0110

さて、帰り道です。全体地図と丸墓山古墳の位置関係を再度確認してみます。地図にも石田堤と書いてありますね。

さきたま古墳公園 DSC_0111 さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0112

駐車場に戻り、最後に行田市近隣の観光案内地図が二種類ありました↓クリックすると元画像が見られますので大きくしてみることができます。

さきたま古墳公園 DSC_0114 さきたま古墳公園 DSC_0116

この、さきたま古墳公園のすぐ近くの交差点脇にはこんな看板があります。

さきたま古墳公園 さきたま霊園 DSC_0117 さきたま古墳公園 さきたま霊園 DSC_0119

↑そきたま古墳のごく近所の、行田市の斎場に向かうT字路にあります。さきたま霊園です。弊社大塚がお墓をご案内している霊園になります。とってもきれいな霊園なんですよ!もちろん名前はここ「さきたま古墳」にあやかりました。お墓参りの行き帰りに公園散歩やお花見ができてしまう魅力的な霊園です。

↓近隣の方はわかると思いますが、この辺り一帯は本当に真っ平らな土地なんです。

さきたま古墳公園 周辺は平地 DSC_0120

こんな凹凸のない土地に石田堤という堤防をつくって水攻めを考えてしまうなんて、豊臣秀吉はすごいですね~。そして失敗はしたものの実行に移し堤防を完成させた石田三成もなかなかのものです。

帰り道の途中には、大雪でこわれてしまったビニールハウスも。たかが雪とは言い切れない、甚大な災害ですね。

さきたま古墳公園 雪で壊れてしまったビニルハウス DSC_0121

そして最後にこちらの交差点にご注目を。古墳のすぐ近くの交差点です。

さきたま古墳公園 埼玉交差点 DSC_0122

そう、埼玉の名前の由来となった「埼玉(さきたま)」という土地なんです。その名前を持った交差点。

さきたま古墳公園 埼玉交差点 DSC_0123-

今回の記事はここまで。また関連の記事を書きましたらよろしくお願いいたします。

————

参照記事 石田堤についての以前の記事

のぼうの城に登場した丸墓山古墳 さきたま古墳公園 石田堤 その①

のぼうの城に登場した土堤、石田堤に行ってきました

忍城水攻 石田堤 行田市 鷺栖神社

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・のぼうの城に登場した丸墓山古墳 さきたま古墳公園 石田堤 その①

2014年3月6日 木曜日 晴れ

本日は、弊社大塚がお墓をご案内している「さきたま霊園」すぐ近くの、埼玉県さきたま古墳公園にあります丸墓山古墳に先日行ってきましたので写真とあわせてご紹介いたします。

さきたま古墳公園は9基の大型古墳が集中する東日本最大の古墳群として有名なのですが、特にその中でも円墳としては日本で一番大きな「丸墓山古墳」や、稲荷山古墳から出土した鉄剣の金文字に「ワカタケル」の文字が発見されたことで日本中に名前がとどろいた古墳群でもあります。国の史跡指定を受けており、「さきたま風土記の丘」として整備されています。また近年は世界遺産登録にむけての取り組みもなされているようで、大きな看板なども見られます。

今回は、この古墳群のうちの丸墓山古墳を目的に訪問してきたのですが、趣旨としては、小説・映画の「のぼうの城」に登場した石田三成が本陣を構えた丸墓山古墳とはどういった場所なのか?行田市を中心に残る、水攻めに用いられた土手である「石田堤」が丸墓山古墳にどのように残っているのか?を目で確認してきました。

石田堤 忍城 水攻 推定 さきたま古墳公園 丸墓山古墳

(石田堤についての以前の記事→ のぼうの城に登場した土堤、石田堤に行ってきました 、 忍城水攻 石田堤 行田市 鷺栖神社 

 

それでは早速公園駐車場よりスタートです。画像はそれぞれクリックすると大きく表示されます。

さきたま古墳公園 DSC_0030 さきたま古墳公園 DSC_0031 公園全体の地図がありました。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0032 ここが今回の目的地の丸墓山古墳。

さきたま古墳公園 DSC_0033 さきたま古墳公園 DSC_0034

さすが国の史跡、県の公園というだけあって、表示板や案内板がたくさんあります。また公園内というか公園隣接地というか、公園ではないエリアとも入り組んでおりまして、公園隣接の場所にはこのような掲示物もみられました↓

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0035 さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 さきたま古墳公園 DSC_0039

行田見処案内所、休処、古墳亭さんの壁面に、のぼうの城のポスターと手書きの説明書が掲示されてます。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0038 

このように書かれています↓

壮絶なる戦国ドラマ“のぼうの城”11月2日全国公開

時は西暦1590年(天正18年)西国を制した豊臣秀吉は関東責めに入ります 狙うは関東の巨城小田原城 16万の大軍にて小田原城を包囲した秀吉は 最も信頼できる配下 石田三成に命じます 「この際 小田原方に味方するすべての城をつぶせ」 三成は2万の軍を引きつれ 館林城 羽生城など次々に制圧 残るはこの地の忍城のみ この時 三成の軍勢は2万3000 忍城方は城主成田氏長が500の群を従え小田原城の守りに出ていたため 成田長親(のぼう様)始め 正木丹波 柴崎和泉守 坂巻靱負 城主氏長の娘甲斐姫等軍勢わずか500なり 三成の軍使 長束正家が和戦開城を迫る中 忍城方総大将城代成田長親は「戦いまする」と言う 2万3000対500 壮絶な戦いが始まります しかし三成軍は忍城を落とすことはできなかった 天下人と呼ばれた秀吉が日本で唯一落城させることが出きなかった城がこの行田にあったのです

追伸 のぼうとは 木偶の坊(でくのぼう)そこにいるだけでまったく役に立たない人のことの略

↑以上、引用しました。

こちらの古墳亭さんは目の前に大きな古墳がある場所にあります。

さきたま古墳公園 DSC_0040

大きな堀をめぐらせた、二子山古墳です。はい、大雪のあとに行きました。普段は歩きやすい場所も雪がたんまりと残っていて、とてもではありませんが二子山古墳にはたどり着ける自信がありませんでした(^_^;)

さきたま古墳公園 DSC_0045 さきたま古墳公園 DSC_0046 さきたま古墳公園 DSC_0047 さきたま古墳公園 DSC_0048

さらにその左の方には、↓将軍山古墳が見えています。

さきたま古墳公園 DSC_0044

↑よくみると古墳の左奥に「古代蓮の里」のタワーが見えました。(画像クリックで元画像を見ることが出来ます)

途中にはこのような銅像も↓

さきたま古墳公園 DSC_0049

「一源三流」とあります。柔道家吉川栄氏の銅像で、氏同様に柔道着を着た少年が寄り添っており、少年に行く先を指示しているカタチになっているように見受けられました。

さて、丸墓山までもう少しです。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0052 さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0053

↑丸墓山が見えてきたのですが、その時の足元はというと右の画像です。まだ10cmは雪の層がある感じで、ザクザクと歩いてきました。

そしてやっとの思いで石田堤にたどり着きました。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0057

年代物の看板があります。↑の地図の右上の丸いところが丸墓山古墳。丸墓山を横断する道の左側が石田堤です。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0054

正面の並木奥に見えているのが丸墓山古墳。そしてそこに続くこの道が「石田堤」です。400年の時間とともに、一時的な土手であった石田堤も数えるくらいしか現存しておりません。そんな中の貴重な一部です。きっと「のぼうの城」のヒットのおかげでここを訪問する人も増えたのではないでしょうか?

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0055 さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0056 さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0059 クリックで元画像

法面わかりますでしょうか?斜面の下側は蓮の田になっています。高低差1メートルから1.5mくらいに見受けられます。今では、丸墓山古墳への参道、メインストリートとして桜並木になっています。↑の右の写真に石田堤についての案内板があります。道の足元にごくさりげなく・・・という感じです。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0060

石田堤 この一段高い桜並木は、天正18年(1590)に豊臣秀吉の命を受けた石田三成が、忍城を水攻めした際の堤の一部です。長さ28km(一説には14km)に及ぶ堤をわずか5日間で築き、利根川と荒川の水を流入させたと言われています。三成の陣は丸墓山古墳の頂上に張られました。

このあとも公園内を歩いたのですが、石田堤についての案内板はここの一つだけでした。しかも足元にさりげなくなので、気が付かずに通り過ぎてしまいそうです。見学に来られる際は見落とさないようにお気を付け下さい。

さらに進みますと、桜並木がおわり、目の前に丸墓山古墳が待ち構えています。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0062

今は冬で、しかも数日前に雪が降ったばかりなので混雑してはしませんが、ここは桜の名所としても有名で、丸墓山古墳の頂上にある桜の木も満開時にはとても綺麗なんです。お花見の季節にはとても大賑わいの公園なんです。以下四点花見シーン(2009年4月の写真です)。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 花見 DSC_0063 (2) さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 花見 DSC_0017 さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 花見 DSC_0014 さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 花見 DSC_0005

まるで別世界ですね!

丸墓山を登る手前に案内板がありました。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0063 さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0064 さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0065 さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0066

クリックしますと大きな写真で見ることができます。この案内板にも石田堤の説明がありました!↓

丸墓山古墳 直径105mあり円墳では日本最大です。墳丘は埼玉古墳群の中で一番高く、約19mあります。墳丘に使われた土の量は二子山古墳より多かったという試算もあります。出土した埴輪から、6世紀前半ころに築かれたと推定されています。埋葬施設の内容は、現在のところ確認されていません。

南側から古墳にいたる道は、1590年に石田三成が忍城を水攻めにした時に築いた堤防の跡といわれている「石田堤」です。水攻めの際には、古墳の頂上に陣が張られました。

平成19年(2007年) 埼玉県教育委員会

↑以上、引用しました。

丸墓山に上る階段の脇に案内板があるのですが、この階段手前あたりからは右手に稲荷山古墳もよく見ることができます↓

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0072

↑手前の柵で囲われているのが丸墓山古墳の足元にあたります。雪が積もっているのは北西斜面。南側には雪は積もっていません。写真で見えている広い土地にも、忍城攻めの際には陣幕や陣小屋、兵の詰所があったと思うとワクワクしてしまいます。もっともそもそも古墳群なので、古代ファンにはすべてがワクワクの大将なんでしょうけれども、本日の趣旨はあくまで「石田堤」と「石田三成陣所跡」なので、ごめんなさい。

さて、いよいよ丸墓山古墳、上方勢の一手の大将、石田治部少輔三成陣跡に(攻め)上ってみようと思います!

はたしてどんな景色が拝めるのか?請うご期待。

DSC_0079-

のぼうの城に登場した丸墓山古墳 さきたま古墳公園 石田堤 その② につづく)

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・お彼岸法要

お彼岸法要

 

● 彼岸法要のはじまり

 日本で最初に彼岸法要(讃仏会)が行なわれたのは今から約1200年前のことで、諸国にあった国分寺の僧侶が春と秋の2回、中日を挟んで前後3日間の計7日間にわたり仏を讃えお経をあげたと伝えられています。それからしだいに一般の人にも、お彼岸の法要として供養することが広まっていきました。

 

● お彼岸とは?

彼岸という言い方は「到彼岸」を略したものです。これはインドのサンスクリット語の「パーラミター」(波羅蜜多)を訳した言葉で、文字通り彼岸へ到達するという意味です。
彼岸とは悟りの世界を意味し、迷いや苦悩に満ちたこちら側の岸(此の岸)に対して、あちら側の岸(彼の岸)、つまり極楽浄土のことを指しているのです。では、私たちはどうしたら極楽浄土へ渡れるのでしょうか?
仏教には六波羅蜜の教えというのがあります。
  1.「布施(ふせ)」 他人へ施しをすること
  2.「持戒(じかい)」 戒を守り、反省すること
  3.「忍辱(にんにく)」 不平不満を言わず耐え忍ぶこと
  4.「精進(しょうじん)」 精進努力すること
  5.「禅定(ぜんじょう)」 心を安定させること
  6.「智慧(ちえ)」 真実を見る智慧を働かせること
こうした徳目は本来なら毎日心がけるべきです。でも、日頃は忙しくなかなか実行できないのではないでしょうか。そこで、せめて春と秋、年2回くらいは実行しよう、というのがお彼岸法要の意味です。
お彼岸には、ご先祖様のお墓にお参りし感謝と冥福を祈るとともに、六波羅蜜の教えを実行しましょう。

 

● お彼岸のご供養

お彼岸にはできるだけ家族そろってお墓参りをしましょう。お墓参りに特別の作法はありません。気持ちを込めて墓石をきれいに洗い、お墓の周囲も掃除して花や線香をたむけ、お菓子などもお供えします。そして、合掌礼拝の前に水桶からたっぷりと水をすくい、墓石の上からかけます。
水をかけるのもお布施の一つです。
また、家庭では仏壇を掃除し、新しい花、牡丹餅・おはぎ、お彼岸団子などをお供えします。
***お墓参りに用意しておくとよいもの***
数珠・線香・ローソク・マッチ・花・菓子・果物・半紙・水桶
たわし・ほうき・雑巾など

お墓参り1 お墓参り2

 

● 彼岸会のお寺の行事

お寺では「彼岸会」の法要がお彼岸の期間に営まれます。読経や法話などが行なわれますので、お墓参りの折にはお寺の彼岸会にも参加してご供養をお願いしましょう。
時間がない場合でも、本堂のご本尊へのお参りとご住職への挨拶は欠かさないようにしたいものです。

 

● 夕日を拝めば浄土を拝む?

お彼岸は年2回、春分の日と秋分の日を中日として営まれます。中日には太陽が真東から昇り、真西に沈みます。そこから、この日に夕日を拝むということは、西方にある浄土(西方浄土)に向かって拝むことになると言われています。そこで中日に夕日を拝むと特に功徳があると考えられているのです。

夕焼け富士山 20131129 DSC_0006 

 

● 春のぼたもち・秋のおはぎ

「ぼたもち」と「おはぎ」は、お彼岸のお供えに欠かせないものです。
両方とも、蒸したもち米とあんこの同じ素材でつくられる食べ物ですが、季節の花になぞらえて、春は「牡丹餅」秋は「お萩」と言います。
日本には四季があります。季節感も一緒に味わいながら牡丹餅やお萩をいただきましょう。

おはぎ牡丹餅

 

(鎌倉新書 2分でわかる仏事の知識 より抜粋)

 

より詳しくは、下記問い合わせまでお気軽にご相談・ご質問ください。お墓ディレクター有資格者(石産協)やお墓相談員(全優石)など専門の知識のある者が丁寧にご対応させていただきます。

お問い合わせ、お越しの際はこちら → お墓無料相談窓口

お問い合わせ番号 0120-36-1217(代表)

 

 

・歌手デビュー? 大塚横浜支社営業担当のNHさんの話です

2014年3月4日火曜日 晴れ

今日は、大塚横浜支社営業担当のNHさんの話です。

昨年暮れ、神奈川県厚木市のケーブルテレビの番組にて、横浜支社営業担当のNHさんが見事グランドチャンピオンに輝きました!

ご家族ご友人の声援を受け、各月チャンピオンの強豪が集まる中、日頃の猛特訓の成果によっていかんなく実力を発揮し、栄光を手に入れました。

審査員の方々の中にはキングレコードのプロデューサー等もいらっしゃっていたとのことなので、もしかしたらもしかして・・・??

 

カラオケ大会11月度大会で優勝したシーンと、12月にグランドチャンピオンを受賞したシーンの動画をアップいたしました。それでは、以下↓歌声を聞いてみてください。

 

↓11月の模様です http://youtu.be/0-eQvevYjPw

 

↓12月グランドチャンピオン大会 http://youtu.be/L256UAG1Fxw

 

神奈川県や町田などの霊園をご見学されると、ひょっとしたらNHさんに会えるかもしれません?!

 
※神奈川県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・春の訪れ 紅白の梅 木の芽と蕾 日暮れの時間

2014年3月3日月曜日 晴れ

今日はひな祭りです。気が付くと、春が身の回りにちらほら見られるようになってきました。冬ももうすぐ終わり。春はもう始まっています。

今週水曜にもまた雪が降るかもしれないと天気予報には出ていますが、大塚の敷地内にの様々な植物にも春の訪れの様子が見て取れます。

まずは梅の花。

春の訪れ 紅白の梅 木の芽と蕾 日暮れの時間DSC_1722 春の訪れ 紅白の梅 木の芽と蕾 日暮れの時間DSC_1725 春の訪れ 紅白の梅 木の芽と蕾 日暮れの時間DSC_1726

梅の香りがしてきそうですね!↓こちらは石材店らしく灯籠といっしょに。

春の訪れ 紅白の梅 木の芽と蕾 日暮れの時間DSC_1727

↓こちらは紅梅です。枝垂れています。

春の訪れ 紅白の梅 木の芽と蕾 日暮れの時間DSC_1732 春の訪れ 紅白の梅 木の芽と蕾 日暮れの時間DSC_1733

お。ピントがあいませんでした(^_^;)

そのほか、アジサイも芽がにょきにょき出てきています。

春の訪れ 紅白の梅 木の芽と蕾 日暮れの時間DSC_1729

植物の種類はわかりませんが、ほかにも続々と春の訪れの新芽や蕾が出てきているんです。

春の訪れ 紅白の梅 木の芽と蕾 日暮れの時間DSC_1728 春の訪れ 紅白の梅 木の芽と蕾 日暮れの時間DSC_1735

最後に、だいぶ日没が遅くなってきたのでこの時間でも撮影できたという夕焼けです。

春の訪れ 紅白の梅 木の芽と蕾 日暮れの時間DSC_1721

光の筋が伸びています。

春の訪れ 紅白の梅 木の芽と蕾 日暮れの時間DSC_1717 春の訪れ 紅白の梅 木の芽と蕾 日暮れの時間DSC_1715

この夕焼けの写真が17時7分の撮影ですので、だいぶ日が伸びてきました。

明日も穏やかな日でありますように!

 

 

・ホワイトデーの秘密 誕生秘話 発祥

2014年3月2日 日曜日 小雨

いよいよ三月になりました。明日は三月三日のひな祭りでもう少しするとホワイトデーがやってきます。弊社大塚の社内でも、「ホワイトデーのお返しを何にしよう?」と軽く頭を抱えている人もいたりします。同じように「お返しは何にしよう?」と悩んでいたりする人も少なからずいらっしゃるのではないでしょうか。

そういえば、私が小さい頃はホワイトデーのお返しは「キャンデー」とか「マシュマロ」とか言いました。最近の流行では、飴やマシュマロ、クッキーなど従来型のお返しのプレゼンにこだわらずに、カップケーキなどミニスイーツの詰め合わせ、はたまた本命チョコならぬ本命ホワイトデーということで、貴金属などのある程度気合を入れたプレゼントなどもやりとりなされているようですね。もういっそクリスマスや誕生日のように、渡して喜ばれるプレゼントのほうがよいのかな?というある程度高額路線もあるようですが、世にいう義理チョコには、あまりヘビーではない食べ物で、ということにもなるのかと思います。

もらったバレンタインのレベルに合わせるのか、自身の気合いを込めるのか、手作り等のプライスレスにはプライスレスなお返しにするのか、ケースバイケースなんでしょうね~。

 

と、ここまで書いて私ブログ担当Tに疑問がわいてきました。「ホワイトデーってそもそも何の日なの?」

そこでウィキペディアさんはじめいくつかのサイトを見てみました。

●日にちについて・・・そもそもバレンタインデーの2/14というのは、古代ローマにて婚姻を禁止されていた兵士に婚姻を執り行ったという咎にて聖ウァレンティヌスが殉職(処刑)された日だそうです。そしてその一か月後、件の兵士と相手の二人であらためて結婚をかわしたのが3/14と言われており、そこからちなんで定められたようです。

●発祥について・・・ホワイトデーというのは欧米にはありません。日本発祥になります。

東京では1973年(昭和48年)にエイワが不二家と協力し、“ホワイトには「幸福を呼ぶ」「縁起が良い」という意味がある”ということで、バレンタインデーの1ヶ月後をホワイトデーを設定したとの新聞記事がある(読売新聞)(ウィキペディアより) ただし、不二家さんのサイトによると1968年に開始とありました→不二家の歴史

全国飴菓子工業協同組合(全飴協)は1980年(昭和55年)からホワイトデーをスタートし、3月14日に定めた理由を、269年2月14日、兵士の自由結婚禁止政策に背いて結婚しようとした男女を救うためにウァレンティヌス司祭は殉教したが、その1ヶ月後の3月14日、その2人が改めて永遠の愛を誓い合ったと言われていることに由来するとしている。全飴協はその後、ホワイトデーをキャンディの日に変えた。(こちらもウィキペディアより) 全国飴菓子工業協同組合さんのホワイトデー公式ページにあります、ホワイトデー誕生秘話もとても興味深いです。

銘菓「鶴乃子」で知られる福岡市の老舗菓子屋「石村萬盛堂」が、1978年(昭和53年)、この日にバレンタインチョコのお返しとして「君からもらったチョコレートを僕の優しさ(マシュマロ)で包んでお返しするよ」とチョコマシュマロを「マシュマロデー」として売り出し、その後、クッキーやキャンディなどをこの日に発売する菓子店が続出し、全国に普及したとの説の方が最有力である。(こちらもウィキペディアより) 石村萬盛堂さんのサイトにもホワイトデー誕生秘話がありました。興味は尽きません。

と諸説あるようですが、1980年代前半には定着、普及してきたようです。上記のようにホワイトデーと言えばキャンディー、マシュマロ、また洋菓子というのもうなずけるかと思います。

ちなみに 日本の影響で、韓国、台湾、中国の一部でもホワイトデーが行われている。中国語では「白色情人節」と表記する。台湾での贈り物は様々である。(ウィキペディアより) ということですが、日本型の「好きな人にチョコを渡す」というバレンタインデーも同様に東アジアの一部で定着しているそうです。この「チョコを渡す」という習慣も日本で生まれたもの。欧米キリスト教圏では、大切な人にプレゼントをする日とされているようで、男性女性どちらかから一方通行の日ではないため「お返しの日」が特に生まれなかったようです。

ちょっとホワイトデーについて詳しくなりました(^○^)

 

ところで、三月と言えば卒業式やお花見、そしてお彼岸もやってくる月です。我々霊園・石材・墓石を案内している企業的には「彼岸月」とも呼んでいます。恋する人へのプレゼントのみならず、大切な人へのプレゼントということでお彼岸には是非お墓参りしてみてはいかがでしょうか?今年2014年の彼岸の入りは3/18で、中日(春分の日)は3/21、彼岸明けは3/24となっており一週間あります。ホワイトデー同様日本の文化であるお彼岸、ぜひ大切な人を想う日にしてみてください。

 

 

・千葉県流山市 メモリアルグリーン流山聖地のご紹介

2014年3月1日土曜日 小雨

大塚本社の営業SHさんより、千葉県の流山市にあります「メモリアルグリーン流山聖地」の最新の写真をもらいましたので記事にいたします。

昨日2月28日の写真なのですが、とっても綺麗な青空で、雰囲気の良いたたずまいの霊園がよりいっそう明るく温かく感じられました。

千葉県流山市 メモリアルグリーン流山聖地 P1030432

↑霊園の入り口正面を入ると管理棟があります。

広々とした参道(通路)でお参りの時もゆったりとすれ違うことができますし、車いすの方も安心してお参りできる設計になっています。

千葉県流山市 メモリアルグリーン流山聖地 P1030426

ここ流山聖地は、メモリアルパーク流山聖地メモリアルグリーン流山聖地の二つの霊園が隣り合っています。どちらも明るい雰囲気で空を広々と感じることのできる素敵な霊園です。

↓左手に利根運河をわたる千葉県道5号松戸野田線の陸橋が見えています。

千葉県流山市 メモリアルグリーン流山聖地 P1030430

この県道のこの区間は松戸野田有料道路だった道ですが、2007年より無料で通行できるようになっています。この道を使えば常磐自動車道の流山ICもすぐなのがうれしいところです。なお、最寄の駅は東武野田線「運河駅」で、車で約5分という好立地です。

↓お墓の目の前まで行く参道(通路)もご覧のとおりゆったり設計です。

千葉県流山市 メモリアルグリーン流山聖地 P1030431

この霊園を訪れていただけるとすぐに気が付くのがこの「土手」。利根運河の堤防なんです。おかげで広い空を遮る建物もなく、とてもとても広い大空を体感することができるんです。↓こちらの写真を見てみてください!(以下、土手の見えている写真はメモリアルパーク流山聖地からの写真です)

千葉県流山市 メモリアルグリーン流山聖地 P1030433

そのため、全区画日当たりは抜群です。よく晴れた日には富士山を見ることもできるそうです。

千葉県流山市 メモリアルグリーン流山聖地 P1030434

全区画平坦地になります。

アクセス抜群、日当たり抜群、霊峰富士も拝めるメモリアルグリーン流山聖地。おすすめの霊園です。ご興味のあります方はこちらのページも是非ご覧ください→メモリアルグリーン流山聖地

 

※この記事は、平成26年2月現在の写真と情報になります。区画には限りがありますので、ご希望の区画をご案内できない場合はご容赦ください。

 

 

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