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行楽・お出かけ」カテゴリーアーカイブ

・20140818 上尾市仏教会顧問会 流灯会・放生会の様子

2014年8月20日 水曜日 晴れ

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置く、墓地と霊園をご紹介し、墓石の製造加工と据付施工をしております石材店の株式会社大塚のブログです。昨日に引き続き、上尾市仏教会顧問会の流灯会(りゅうとうえ・灯篭流し)と放生会の様子をお送りいたします。

上尾市内の寺院の集まりである上尾市仏教会。宗派を超えた団体になります。その各お寺様の檀家総代の方や役員の方で構成されているのが上尾市仏教会顧問会。流灯会・放流会は仏教会と顧問会の共催行事で毎年恒例となっています。新盆の家の方が灯篭を流しに来られます。もちろん新盆の方でなくとも、参加、体験はできます。立正佼成会さまのご協力もあり、毎年盛大に執り行われている夏の風物詩です。

上尾市の文化センター(旧福祉センター)の前を流れる芝川にて行われています。

こちらは準備の様子。上尾市西部にあります徳星寺さまが毎年灯篭の船を用意してくれています。

20140818 上尾市仏教会顧問会 流灯会・放流会の様子DSC_0035

芝川は、増水時以外は穏やかな小川になっていますが、今回は灯篭流し。ちゃんと灯篭が流れるだけの水量が必要なので少し下流でせき止めをしてもらっています。

20140818 上尾市仏教会顧問会 流灯会・放流会の様子DSC_0048 20140818 上尾市仏教会顧問会 流灯会・放流会の様子DSC_0061

↑左がせき止めて水量を増やした状態。右が通常時の様子(ちょっと上流です)

20140818 上尾市仏教会顧問会 流灯会・放流会の様子DSC_0062

水草がすごいですね~。この水草、熱帯魚・観賞魚のお店で売ってるのと同じ種類っぽい?

こちらは下流側でせき止めている様子です。この日だけのせき止めです。株式会社島村工業さまにせき止め工事を行ってもらっています。

20140818 上尾市仏教会顧問会 流灯会・放流会の様子DSC_0079 20140818 上尾市仏教会顧問会 流灯会・放流会の様子DSC_0078

放流するドジョウです。ものすごくイキがよくて、ふたをしておかないとはねて外に出ていってしまいます。元気があってよろしい!

20140818 上尾市仏教会顧問会 流灯会・放流会の様子DSC_0107 20140818 上尾市仏教会顧問会 流灯会・放流会の様子DSC_0108

開始時間が近づいてきました。だんだんと灯篭を流される方が集まってきました。

20140818 上尾市仏教会顧問会 流灯会・放流会の様子DSC_0144

開会式にて披露される御詠歌です。今年は遍照院の皆様です。とても涼しげな御詠歌をありがとうございました。

20140818 上尾市仏教会顧問会 流灯会・放流会の様子DSC_0199 20140818 上尾市仏教会顧問会 流灯会・放流会の様子DSC_0207

御詠歌のあと、仏教会の各住職のみなさまによる般若心経の読経のなか、いよいよ灯篭流しとドジョウ放流の開始です。参加される皆さんは焼香をしてから灯篭を流し、放流をする、という流れになります。

20140818 上尾市仏教会顧問会 流灯会・放流会の様子DSC_0229

次々に灯篭が流されていきます。みなさん手を合わせて灯篭を見送っていました。

20140818 上尾市仏教会顧問会 流灯会・放流会の様子DSC_0250 20140818 上尾市仏教会顧問会 流灯会・放流会の様子DSC_0259 20140818 上尾市仏教会顧問会 流灯会・放流会の様子DSC_0286

日が暮れて徐々に夜へと移りゆく中、灯篭がとても美しく輝きながら流れていきます。

20140818 上尾市仏教会顧問会 流灯会・放流会の様子DSC_0352 20140818 上尾市仏教会顧問会 流灯会・放流会の様子DSC_0375 20140818 上尾市仏教会顧問会 流灯会・放流会の様子DSC_0377 20140818 上尾市仏教会顧問会 流灯会・放流会の様子DSC_035520140818 上尾市仏教会顧問会 流灯会・放流会の様子DSC_0369 20140818 上尾市仏教会顧問会 流灯会・放流会の様子DSC_0390

それぞれの魂が安らかにあってほしいと願うとともに、みなさんの平和と安寧を祈願いたします。

20140818 上尾市仏教会顧問会 流灯会・放流会の様子DSC_0395

↓上尾駅からまっすぐの道からはこのように見えます。

20140818 上尾市仏教会顧問会 流灯会・放流会の様子DSC_0427 20140818 上尾市仏教会顧問会 流灯会・放流会の様子DSC_0431 20140818 上尾市仏教会顧問会 流灯会・放流会の様子DSC_0432 20140818 上尾市仏教会顧問会 流灯会・放流会の様子DSC_0434 20140818 上尾市仏教会顧問会 流灯会・放流会の様子DSC_0436

今年も間もなく夏も終わりになります。今年は天候にも恵まれた流灯会・放生会でした。まだまだ残暑の厳しい日々と熱帯夜が続きます。体調に気を付け、熱中症にも気を付けて夏をお過ごしください。
※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・ヨコハマ恐竜展2014 行ってきました!

2014年8月17日日曜日

こんにちは。関東一円(東京、神奈川、埼玉、千葉、群馬、静岡)にて霊園と墓地をご案内し、墓石の据付施工をしております石材店の大塚ブログです。

本日の記事は、大塚本社のMKさんの記事になります。以下本文↓

 

先日、娘から突然のリクエストがあり、「夏休みの自由研究」用に一緒に行って貰いたいとの事で、「ヨコハマ恐竜展2014」に早朝に起され半ば無理矢理に駆り出されました。

ヨコハマ恐竜展2014 行ってきましたphoto 1 パンフレット

電車を乗り継ぎ、みなとみらい線に乗り、みなとみらい駅で下車、パシフィコ横浜展示場に到着。

ヨコハマ恐竜展2014 行ってきましたphoto 2 パシフィコ横浜

入口をくぐると、薄暗い(お決まりですね)アンビエントなBGMが流れ、ブース案内板出現、

ヨコハマ恐竜展2014 行ってきましたphoto 3展示地図

半信半疑、期待感はあまり無い、多分お決まりのパターンか?先ず現れたのは「トリケラトプスの頭骨」フムっ結構大きい恐らく1mちょっと位かな、なるほど本物だ、

ヨコハマ恐竜展2014 行ってきましたphoto 4 トリケラトプス・ホリダス

これを基に頭骨復元、そしてロボットにして結構リアルに動きを再現したようです。比較対象物がなくて分かりづらいと思いますがインド象位ですかね。白亜紀後期の恐竜で、ほとんどT-Rexの捕食対象だったようです。

(あれ?…結構たのしいかも、説明も解りやすいし)

ヨコハマ恐竜展2014 行ってきましたphoto 5 トリケラトプス ヨコハマ恐竜展2014 行ってきましたphoto 6 トリケラトプス

娘は、デジカメで撮り、ノートにメモをとり、忙しそうです。

(どうです?面白いですか?)

ヨコハマ恐竜展2014 行ってきましたphoto 7

これは「パキケファロサウルス」白亜紀後期の恐竜だそうです、うっすら名前は聞いた事があるなー

暫く、色々見て歩いて、娘からの質問は皆無、ガイドのお姉さんに聞いていました。

(お父さんも多少は知っているんですがねー)

そうこうしていると、おおーっ出ました「ティラノサウルス」勿論白亜紀肉食恐竜の帝王です。

ヨコハマ恐竜展2014 行ってきましたphoto 8 ティラノサウルス

頭骨は本物だそうです、デカいです、立ち姿3mは裕にありますかねー、いやもっとあるかな~

ヨコハマ恐竜展2014 行ってきましたphoto 9 ティラノサウルス ヨコハマ恐竜展2014 行ってきましたphoto 10 ティラノサウルス

いや~すごい迫力、動いてる、吠えてる、睨んでる、こりゃーリアルだねー。

娘:リアルって(薄笑い)見たことあるの? 父:いや、ないですけど(意地悪だな~)

ヨコハマ恐竜展2014 行ってきましたphoto 11 ステゴサウルス

「ステゴサウルス」ジュラ紀後半から白亜紀前半に生息した草食恐竜です。

 

そんなこんなで、2時間以上見学してしまいました、結構満足してしまいました。

でも疲れたし、お腹すいたし、ということで。

駅 元町・中華街 山下公園photo 12

みなとみらい線で「元町中華街」に到着

中華街photo 13 中華街photo 14

中華街ってどこがおいしいのか、本当に分かりません、10分ほど探してお店にとりあえず入りました、美味しいといいんだけどね~

中華街photo 15

ランチメニューだけど、当たり!凄く美味しかったです。

ビールとジュースで“お疲れ様”乾杯!

 

と言うわけで娘とのお出かけでした。

 

「ヨコハマ恐竜展2014」興味のある方は、是非ご覧になってください8月28日迄開催しているそうです。

 

以上

 

~ ~ ~ ~ ~

横浜には、ヨコハマ恐竜展2014の会場のパシフィコ横浜と同じくみなとみらい地区にあるランドマークタワーに弊社大塚の横浜支社があります。神奈川、町田エリア、静岡を担当している支社です。墓所についてのご相談、ご質問などありましたらお気軽にご連絡ください。

 

※神奈川県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・20140814 埼玉県久喜市 香最寺の施食会

2014年8月15日 金曜日 晴れ

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置く、墓石の製造加工と据付施工の石材店、大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

昨日、埼玉県久喜市六万部にあります香最寺さまにて施食会がありました。墓地ご案内用の折込チラシに使用できる写真を撮ることができれば、とお邪魔してきましたのでご報告の記事といたします。

施食会が始まる前に境内の様子を撮影してみました。

埼玉県久喜市 香最寺 20140814 施食会DSC_0055

施食会のために、日よけのテントが用意されています。かき氷と冷たい飲み物もふるまわれるとのこと。

埼玉県久喜市 香最寺DSC_0052 埼玉県久喜市 香最寺DSC_0045

「曹洞禅寺龍雲山香最寺」。ご本尊は約30センチの延命地蔵尊なのですが、歴代住職墓所の移転の際、等身大になられました。新編武蔵風土記稿によると、ご本尊は弘法大師空海の作とされています。

埼玉県久喜市 香最寺DSC_0042 埼玉県久喜市 香最寺DSC_0037 埼玉県久喜市 香最寺DSC_0040 埼玉県久喜市 香最寺DSC_0039

↓こちらは天満宮と、六地蔵。禁葷酒の石碑もあります。

埼玉県久喜市 香最寺DSC_0036 埼玉県久喜市 香最寺DSC_0046

葷とは、強い匂いのするニラやネギなどの植物。禁葷酒とは、強いにおいのする植物を食べたり、お酒を飲んだ後は入るべからず。というような意だそうです。

↓すぐ隣には、香最寺が経営母体になっています霊園の「久喜聖地公苑」があります。

埼玉県久喜市 香最寺 20140814 施食会DSC_0049

そうこうしているうちに、香最寺の入り口にある駐車場がだんだん埋まってきました。たくさんの方が来山されるようですね!

埼玉県久喜市 香最寺 20140814 施食会DSC_0043 埼玉県久喜市 香最寺 20140814 施食会DSC_0044

本堂内での施食会の法要終了にあわせ、本堂の前が徐々に賑わってきます。

埼玉県久喜市 香最寺 20140814 施食会DSC_0074 埼玉県久喜市 香最寺 20140814 施食会DSC_0075

並べられた塔婆と、自家の塔婆を探す方々。

埼玉県久喜市 香最寺 20140814 施食会DSC_0093 埼玉県久喜市 香最寺 20140814 施食会DSC_0094 埼玉県久喜市 香最寺 20140814 施食会DSC_0095 埼玉県久喜市 香最寺 20140814 施食会DSC_0105

かき氷と冷たい飲み物は、みなさんに大人気だったようです。

埼玉県久喜市 香最寺 20140814 施食会DSC_0110 埼玉県久喜市 香最寺 20140814 施食会DSC_0115

私もいただきました。とってもおいしかったです。ごちそうさまでした!

埼玉県久喜市 香最寺 20140814 施食会DSC_0142 埼玉県久喜市 香最寺 20140814 施食会DSC_0143

とても魅力的な、地域のみなさんに愛されているお寺だなぁ~と感じた一日でした。

~ ~ ~ ~ ~

↓香最寺の近くのスポットについて以前に書いた記事

・イチョウの落ち葉の綺麗な絨毯

・まだ紅葉が残っていました

・紅葉 20131120

・モラージュ菖蒲に行ってきました

 

 

↓こちらもご参考まで。

大塚サイト内での、香最寺さま墓所御紹介ページ

大塚サイト内での、久喜聖地公園紹介ページ

 

お墓、墓石については、下記問い合わせまでお気軽にご相談・ご質問ください。お墓ディレクター有資格者(石産協)やお墓相談員(全優石)など専門の知識のある者が石匠位認定店(全石協)として丁寧にご対応させていただきます。

お問い合わせ、ご来店の際はこちら → お墓無料相談窓口

お問い合わせ番号 0120-36-1217(代表)

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さまの新しくなりました本堂内部

2014年8月13日水曜日 曇り

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置きます石材店の大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

昨日に引き続きまして、埼玉県北足立郡伊奈町にあります願成寺さまの新しくなりました本堂をご紹介いたします。

埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0079

昨日は本堂の外観を中心に記事にいたしましたが、本日は本堂内部の写真を見ていただこうと思います。許可いただきましたご住職に感謝いたします。

一面の真新しい白木が美しい本堂内部。畳は70枚。とても広くて使いやすくなりました。

DSC_0032

本堂の周囲の障子のガラスにも、浄土宗の宗紋である月影杏葉(つきかげぎょうよう)が入っています。この宗紋は昨日の記事にも書きましたが、本堂の屋根瓦にも使われてます。

DSC_0039

ちなみに以前撮影させていただきました本堂がこちら↓です。

埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺本堂 ganjyouji4

現在の内陣の様子↓になります。天井も高く、そして広さも感じられるようになりました。

DSC_0060 DSC_0046

本堂は完成したばかりで、まだ本来のカタチにまでは整えられてはおりませんが、9月に落慶法要があるということで、それまでにはと急ピッチで進められているそうです。

DSC_0040 DSC_0041 DSC_0042 DSC_0043 DSC_0044 DSC_0047

ご本尊の阿弥陀如来様がやさしく且つ堂々と鎮座されてます。

内陣では、四隅に四天王さまがいらっしゃいます。

DSC_0065 DSC_0066

また、香の煙対策として、天井の格子の一角に換気扇を取り付けてあります。

DSC_0062

↑天井の格子に一部黒くなっている箇所があるのがわかりますでしょうか?

こちら↓は昨日の記事でも紹介いたしました、伊奈熊蔵忠勝のご位牌になります。

DSC_0057

さすが大名クラスの関東郡代伊奈家総領の位牌です。

そしてこちら↓の像は、ご本尊よりも古いことが最近確認できました像になります。長い間金箔が施されていたのですが、鑑定したところその貴重さが判明したため、きれいに金箔を取り除かれました。平安期~室町期の間の作であろうとのことです。

DSC_0059 DSC_0058 DSC_0056

内陣の裏側には、まだ何も並んではいませんが位牌を保管する部屋もあります。

DSC_0036

本堂内部の照明は、すべてLEDライトにしたとか。現代ですね~。

DSC_0037

また、位牌を補完する部屋のお向かいは内陣でいうとご本尊のいらっしゃる須弥壇があるのですが・・・

DSC_0033

物入れのようになっている引き戸をあけると、そこには須弥壇の内部、裏側を見ることができました。須弥壇も相当の歴史のある逸品ということで、今回きれいに塗り直しのリフォームをされたとか。↓表側から見た様子。

DSC_0080

本堂を正面から一歩外に出ますと、手彫りの美しい彫刻を見ることができました。

DSC_0076 DSC_0077

↓本堂の隣にあります客殿と庫裏の方向に目を向けると、とても日本を感じさせてくれる光景が目に入ってきました。

DSC_0070 DSC_0071

本堂からみた山門と鐘楼↓

DSC_0072

そして、貴重な文化財である太子堂です。

DSC_0073

貴重な文化財の数々と、美しい本堂。本堂内部が整い終わった数か月後にまた撮影にお邪魔させていただくこととなりました。いまから楽しみです。

 

↓こちらもご参考まで。

大塚サイト内での、願成寺さま墓所御紹介ページ

 

お墓、墓石については、下記問い合わせまでお気軽にご相談・ご質問ください。お墓ディレクター有資格者(石産協)やお墓相談員(全優石)など専門の知識のある者が石匠位認定店(全石協)として丁寧にご対応させていただきます。

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※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりました

2014年8月12日 火曜日 雨

こんばんは。埼玉県上尾市に本社を置きます石材店の大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

昨日、埼玉県北足立郡伊奈町にあります願成寺さまに行ってきました。本堂を建て替えられたということで、墓地販売用のチラシに使う写真撮影をさせていただきました。

今日はその外観の様子を見ていただこうと思います。

埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0118 埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0119

入口から進んでいきますと、白い綺麗な壁の向こう側に真新しい本堂が見えてきます。

以前はこんな感じでした↓

埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺本堂 ganjyouji1 埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺本堂 ganjyouji3

山門の正面に本堂があります。

埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0113山門 八幡山 埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0114山門 八幡山

白壁がとても美しい願成寺。長屋門もとても印象的です。

埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0115山門 白壁 埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0117長屋門

真新しい本堂は、まだ白木が若々しく光り輝いて見えるようです。

埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0106 埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0111

墓域からもとてもきれいに見ることができます。

埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0098 埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0092

本堂の屋根瓦には浄土宗の宗紋があります。

埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0102 埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0105

この宗紋は、月影杏葉(つきかげぎょうよう)という紋で、法然上人の生家である漆間家の紋に由来しており、宗歌「月かげ」より月を配した紋にて定められたものです。宗歌とは『月かげの いたらぬさとはなけれども ながむる人の心にぞすむ』という法然上人作の歌で、勅撰和歌集の「続千載和歌集」におさめられている歌になります。私も好きな歌です。

埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0112 客殿

ちなみに、↑本堂に隣接している客殿の屋根瓦には

埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0120 客殿屋根瓦

三つ葉葵の紋が。そして「願成寺」の文字のある瓦も使われています。菊の紋、三つ葉葵の紋は宗派として使用の許可を取っておりますので、本堂の屋根瓦にも使用することができるのですが、宗紋を使うことにしたそうです。

墓域に戻りますと、ここ願成寺には貴重な文化財としてのお墓があるのです。伊奈熊蔵忠勝のお墓です。

埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0086伊奈熊蔵忠勝の墓 宝篋印塔 埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0085伊奈熊蔵忠勝の墓 宝篋印塔 埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0089伊奈熊蔵忠勝の墓 宝篋印塔 埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0090伊奈熊蔵忠勝の墓 宝篋印塔 埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0084伊奈熊蔵忠勝の墓 宝篋印塔

立派な宝篋印塔を中央に三つ配されており、その他小ぶりな宝篋印塔や五輪塔などの石塔が並んでいます。忠勝は元和5年(1619年)に没しましたので、約400年前に建てられたお墓ということになります。石塔の保存性の高さに驚かされます。

埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0081伊奈熊蔵忠勝の墓 宝篋印塔

伊奈家は、伊奈町の名前の元にもなった江戸時代の有力代官です。埼玉県の伊奈町だけでなく、茨城県の伊奈や、長野県の伊那も伊奈氏にゆかりのある土地です。伊奈熊蔵忠勝は、有名な関東郡代である伊奈忠次の孫にあたり、父忠政の急逝により若干8歳で伊奈家の当主になったものの、翌年わずか9歳でこの世を去ってしまいました。このため、伊奈家はお家断絶となってしまいます。(その後、断絶を惜しんだ幕府によって、分家が伊奈家を再興されました。)

埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0088 伊奈熊蔵忠勝の墓 宝篋印塔

 

伊奈町の指定史跡になってます。熊蔵というのは世襲の名前。伊奈熊蔵忠勝は徳川家光に近侍していたようです。

伊奈家については次の記事でも触れています。

・埼玉県川口市 赤山城(赤山陣屋)に行ってきました その①

・埼玉県川口市 赤山城(赤山陣屋)に行ってきました その②

・伊奈町立郷土資料館に行ってきました その①

・伊奈町立郷土資料館に行ってきました その②

 

 

さて願成寺の新築本堂。

いよいよ内部に進んでみたいと思います。

埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0079

本堂の内部もとても美しく仕上げられています。また、ここにしかない宝物もあります。内部のご紹介は次回につづきます→・埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さまの新しくなりました本堂内部

 

↓こちらもご参考まで。

大塚サイト内での、願成寺さま墓所御紹介ページ

 

お墓、墓石については、下記問い合わせまでお気軽にご相談・ご質問ください。お墓ディレクター有資格者(石産協)やお墓相談員(全優石)など専門の知識のある者が石匠位認定店(全石協)として丁寧にご対応させていただきます。

お問い合わせ、ご来店の際はこちら → お墓無料相談窓口

お問い合わせ番号 0120-36-1217(代表)

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・夏休みに山奥でキャンプ

2014年8月10日 日曜日 雨

こんにちは。埼玉を中心に、東京、神奈川、千葉、群馬、静岡にて墓地と霊園をご案内し、墓石の製造加工と据付施工をしております石材店の株式会社大塚のブログです。

本日は大塚本社の営業FHさんからの記事になります。以下本文↓

 

先日、夏休みをいただき合宿に行ってきました。

小6の息子と二人きり、山奥でのキャンプです。

初めて釣りをした息子でしたが、いきなりヤマメを釣り上げました。

夏休みに山奥でキャンプ2014-08-02 09.41.00釣り 夏休みに山奥でキャンプdownloadfile-7やまめ

昼間は釣りやトレッキングなど、夜は焚火をして色々と話をしました。

不便なことも多々ありましたが、あっという間の6日間でした。

夏休みに山奥でキャンプdownloadfile 夏休みに山奥でキャンプdownloadfile-6焚火

おそらく今後、二人でこれだけの時間を一緒に過ごすことはもう無いと
思います。

休みの期間、会社の仲間にフォローをしていただき、貴重な時間を過ごす
ことが出来ました。

 

・埼玉県桶川市 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡(桶川飛行学校)に行ってきました②

2014年8月9日土曜日

こんにちは。東京、神奈川、千葉、埼玉、群馬、静岡にて墓地と霊園をご紹介し、墓石の製造加工と墓地施工をしております石材店の株式会社大塚のブログです。

本日は、69回目の長崎原爆忌です。先日広島原爆忌の9日に記事にしました「埼玉県桶川市 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡(桶川飛行学校)に行ってきました①」の続きになります。原子爆弾投下とは直接の関係はありませんが、先の大戦での悲劇を振り返り、亡くなられた多くの方に手をあわせるということは、供養産業の中にいる石材店の大塚としてもとても大切なことと考えています。

 

さて、前回は埼玉県桶川市にあります、熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡(桶川飛行学校)に行ってきました際の、建物など外回りの写真と様子をご紹介いたしました。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0067 本部兵舎 宿舎 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0140 本部兵舎 宿舎入口

資料などたくさん展示されている、兵舎内部の様子を今日はご紹介してみます。

上記右側の写真に写っています、兵舎入口から「案内」がスタートします。「案内」というのは、ボランティアにて旧陸軍桶川飛行学校を語り継ぐ会の方々がこの施設と掲示物、背景と歴史とこの飛行学校での訓練生のみなさんの日常の様子や数多の手記、遺書、写真を紹介、説明してくれるのです。

この「案内」というボランティアの方のお話が宝の山でした。行ったときに案内しれくれたのは、終戦時に小学生であったというAさん。訓練機による飛行訓練の様子などを眺めていたという方。もちろん地元の方です。

そしてAさんより「これを見ればここがどういったところか、歴史や趣旨がよくわかると思いますので、お時間が大丈夫ならまず見てみてください」と映像を見せてもらうことになりました。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0068 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0069

当時を知る方々の貴重なお話や写真がとてもわかりやすくまとめられています。 この映像はDVDとしても販売されているようですが、たまたまこの日は品切れだったようで、後日あらためて求めに行こうと思います。(人気みたいですね)

この映像を見せていただいた部屋、実は訓練生の宿舎だった部屋になります。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0100

傍らには様々なものがさりげなく配置されているのですが、「さりげない」ながらもどれも実は大変貴重なものばかり。

↓こちらの二点は

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0080 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0168 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0171

エンジンの付け根部分と、尾翼の付け根部分なのです。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0167車輪

そして車輪。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0170 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0169

練習機とはいえ、立派な軍用機です。多くの残っていた機体は進駐軍によって破壊処分されたそうですが、奇跡的に残されていたようです。

↓こちらは陸上攻撃機の先端部分。近在の農家の方が拾われ、先端をつぶして鍋にしようとしたところ、うまく鍋にできなかったため納屋にしまっていたという一品です。納屋に置かれていたため今日まで保存されていたというわけです。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0175

↓こちらは当時の寝台を再現したものだそうです。当然ですが、ベッドだったんですね。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0087 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0088

↓千人針とラッパです。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0083 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0085

↓軍用行李と、飛行学生の備品を置く棚です。軍ですので、置き方にも細かな決まりがあったようです。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0086軍用行李 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0082

↓こちらは鉄兜(ヘルメット)と陶器製の地雷など。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0093鉄兜 陶器製手榴弾 陶器製地雷 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0173鉄兜

↓ちいさなものが陶器製の手榴弾。大きなものが陶器製の地雷です。陶器製というところに当時の日本の物資状況をうかがうことができます。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0174陶器製手榴弾 陶器製地雷

↓左のものが軍用電話。右の実弾はサイズを測り忘れてきてしまいましたが、かなりの大きさの機関砲の実弾でしょうか。ずっしりととても重かったです。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0094鉄兜 陶器製手榴弾 陶器製地雷 軍用電話 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0095機関砲の実弾?大きい

 

「飛行学校」の直接関係のあるものでなくとも、貴重な戦争関連のものの保存目的であつめられているとのこと。「お祖父さんの手記などありましたら、どんなものでもよいのでコピーをもらえませんか」と依頼されましたので、今度実家で探してみようと思いました。

それでは掲示されているものを見ていってみましょう。

95式1型乙練習機。川田谷桶川飛行場でこの飛行機で日々訓練されたそうです。通称「赤トンボ」だそうです。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0090

↓まっすぐな川が荒川。右の曲がりくねった川が旧荒川。旧荒川の近くにあるのが格納庫。格納庫は、現在のホンダ航空の建物の近くですね。画像の飛行機の左下にある森が桶川市の泉福寺さま(弊社大塚がいつもおせわになっています)

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0091

ここから特攻に立たれた方々のたどったルートだそうです。昭和20年4月5日にこの地をはなれ、鹿児島の知覧から4/16と4/22に出撃されたそうです。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0092

戦争遺跡保存についての署名のお願い。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0103

平成21年3月12日、14,334名の方が署名されたそうです。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0104

そして、国有地が桶川市有地になったそうです。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0138

この宿舎内の棚についての説明がありました。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0105 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0106

宿舎の様子だそうです。ずらりと寝台が並んでいたのですね。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0107

終戦時の陸軍飛行場。こんなにたくさんあったのにもかかわらず、兵舎が現存しているのはここのみ。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0108

戦闘機や攻撃機、爆撃機の模型も時々展示されています。寄贈されたものだそうです。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0110 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0096 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0118

兵舎内は、いくつもの部屋に分かれており様々な読み物などが掲示されています。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0111 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0112 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0114 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0115 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0117 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0139

荒鷲の碑があり、千羽鶴なども手向けられています。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0157

↑当時の写真もたくさん見ることができます。↑練習機の向こう側に見えている森は桶川市の泉福寺さまの森になります。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0158 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0160 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0161 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0163 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0162 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0164

特別攻撃隊第79振武隊と、第23振武隊。99式高等練習機で出撃されたそうです。

特攻に出られた五井中佐のお墓は桶川市の浄念寺さまにあるそうです。(こちらも大塚がいつもお世話になっているお寺様です)

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0165 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0166

近隣の航空写真です。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0098

↓こちらが古い航空写真。上記写真と向きが逆です。練習機の飛行コースが矢印で示されてます。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0099

兵舎の入口や廊下にも掲示物があります。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0135 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0137

そして、旧陸軍桶川飛行学校についての説明板です。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0136

熊谷陸軍飛行学校桶川分教場(桶川飛行学校)は昭和12年6月に開校しました。中央に営庭を配置し、守衛所、事務所、食堂、風呂棟、宿舎、下士官棟、車庫、講堂など10棟以上の建物で構成されていました。滑走路は現在のホンダ航空の滑走路とほぼ同じ位置にあり、川島町側堤防脇に格納庫と現地事務所がありました。

他の兵科から航空兵を志願してきた召集下士官、少年飛行兵、特別操縦見習士官など、推定1500から1600名の航空兵の操縦基礎教育を行いましたが、昭和20年2月以降は特攻隊訓練基地として使用され、同年4月5日、陸軍初の練習機による特攻と言われる第79振武特別攻撃隊12名が九州知覧基地に向け出発しています。

戦後、建物の内部を改造し大陸からの引揚者などの住宅として使用されましたが、現在守衛所、宿舎、下士官棟、車庫、便所が残っています。

平成20年10月   旧陸軍桶川飛行学校を語り継ぐ会

以上、引用させていただきました。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0121

廊下は当時の空気がそのままに残されているように感じられます。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0119 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0102

廊下の向こうから、航空力学を、操縦訓練を学んだ若者が走ってきそうな気がしてしまいます。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0134 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0101

昭和12年6月に開設された分教場です。終戦が20年ですので、8年間しか学校としては機能できませんでした。ということは、当時は真新しい学校であったのでしょう。現在は焦げ茶色に時間の経過を刻んでいます。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0075

今年は終戦69年目です。当時はこの兵舎のガラス窓からはどのような景色が見えたのでしょうか。

最後に、案内係のAさんが何度も言われたのですが、旧陸軍桶川飛行学校を語り継ぐ会は悲劇を繰り返さないよう平和を願う会だということ。決して戦争賛美が趣旨ではないと言われました。

平和を願い、当時何があったのかを知る施設として、とても大切な戦時遺跡です。これからも大切に残されていくことと、戦時に亡くなられたみなさんを偲び、供養の心をもってこの夏も過ごそうと思います。

 

埼玉県桶川市 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡(桶川飛行学校)に行ってきました① も合わせてご覧ください。

 

 

・埼玉県上尾市 遍照院のご紹介

2014年8月8日金曜日 曇り時々雨

こんにちは。墓地をご案内し、墓石の製造加工と据付施工をしております石材店の大塚のブログです。

昨日、大塚本社からほど近い上尾市上町にあります、弊社がいつも大変お世話になっている遍照院さまをご紹介いたします。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0049 埼玉県上尾市 遍照院DSC_0051 山門 

JR上尾駅東口からすぐです。上尾駅東口ロータリーからすぐの県道164号の中山道を越えて間もなく見えてきます。

山門ごしに見える、鐘楼や薬師堂、そして大きな屋根の本堂がとても美しいお寺です。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0053 山門 埼玉県上尾市 遍照院DSC_0056山号

山門の前には、左右にお地蔵様がいらっしゃいます。合わせて植栽のきれいな庭を楽しむこともできます。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0054お地蔵様と灯篭 埼玉県上尾市 遍照院DSC_0052お地蔵様と無縁塔

山門をくぐってみましょう。松の木越しに見えてくる本堂がとても美しいです。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0058本堂

左手には、藤棚と鐘楼が。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0057藤棚と鐘楼

藤の季節には、とってもきれいな藤の花を見ることができたんですよ!(その時の記事はこちら)

20140423埼玉県上尾市 遍照院の藤DSCF44051

そんな藤棚、よく見てみると、藤の実がなってます!そしてセミの抜け殻も見られました。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0094藤棚と藤の実 埼玉県上尾市 遍照院DSC_0095-藤棚とセミの抜け殻

角度を変えて鐘楼を見てみます。山門と松の木と鐘楼です。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0066山門と鐘楼と藤棚と桔梗

おや、松の木の足元には・・・

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0067桔梗 埼玉県上尾市 遍照院DSC_0069桔梗

薄紫色のかわいらしい桔梗の花が咲いてます!

鐘楼の反対側を見てみましょう。

薬師堂が目に入ってきます。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0059薬師堂

地蔵菩薩さまの足元にはたくさんのぬいぐるみや人形がいます。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0060お地蔵様

手水舎です。身を清めましょう。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0061水屋

手水の作法が書かれていました。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0062手水の作法

せっかくですので引用してみます。

手水の作法

先 柄杓を右手で持ち水をくむ。※この一杯で全ての過程を行う。
次 左手を洗う。
次 柄杓を左手を持ち替えて右の手を洗う。
次 柄杓を再び右手に持ち替え左の手に水を受けて口をすすぐ。※柄杓に口をつけてはいけません。
次 左の手を洗う。
次 柄杓の柄(持ち手)を下にして傾け残った水で柄(持ち手)を洗う。
次 柄杓を元の位置に伏せて置く。

身代わり拭い不動さまがいらっしゃいます。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0063身代わり拭い不動 童不動水かけ願い 埼玉県上尾市 遍照院DSC_0065身代わり拭い不動 童不動水かけ願い

本堂が近づいて来ました。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0071本堂

本堂に向かって右側にいらっしゃるのが弘法大師さま。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0075本堂と弘法大師

左側にいらっしゃるのが興教大師さま。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0072本堂と興教大師

弘法大師さまのさらに右側には、水辺があります。中央には観音様がいらっしゃいます。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0080観音様 埼玉県上尾市 遍照院DSC_0091観音様と池

水辺をよくみてみると、メダカがたくさん泳いでいるのが見えました。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0081池 埼玉県上尾市 遍照院DSC_0082池のめだか

いよいよご本堂です。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0086本堂

ご本尊は南無大聖不動明王さま。ひだりがわにはご真言の「のうまくさまんだ ばさらだんせんだ まかろしゃだ そわたやうんたらたかんまん」と書かれてます。

ご本尊に手を合わせ。

美しい彫刻についつい目がいってしまいます。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0087本堂の彫刻 埼玉県上尾市 遍照院DSC_0088本堂の彫刻 埼玉県上尾市 遍照院DSC_0089本堂の彫刻 埼玉県上尾市 遍照院DSC_0090本堂の彫刻

御本堂をあとにいたします。

大きな供養塔が並んでいる場所の向こう側には墓域が広がっています。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0092供養塔

遍照院の墓地は、そもそも駅近くの市街地中心部にあるということもあってか、遍照院の美しい境内もあってか、とても人気の墓地です。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0093鐘楼と山門とシティタワー上尾駅前 タワマン

寺院建築と高層マンションのコントラストは、まさに日本の縮図というふうに感じられますね。

遍照院さまでは、さまざまな催しものや教室などもされているようですので、ご近所にお住まいでご興味のある方は遍照院さまのサイトを見てみてはいかがでしょうか→遍照院さまサイト

↓こちらもご参考まで。

大塚サイト内での、遍照院さま墓所御紹介ページ

 

お墓、墓石については、下記問い合わせまでお気軽にご相談・ご質問ください。お墓ディレクター有資格者(石産協)やお墓相談員(全優石)など専門の知識のある者が石匠位認定店(全石協)として丁寧にご対応させていただきます。

お問い合わせ、ご来店の際はこちら → お墓無料相談窓口

お問い合わせ番号 0120-36-1217(代表)
※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・埼玉県桶川市 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡(桶川飛行学校)に行ってきました①

2014年8月6日水曜日 晴れ

こんにちは。関東一円にて霊園と墓地をご案内し、墓石の製造加工と墓地への施工をしております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

今日は8/6。広島平和記念日、広島原爆忌です。テレビ番組や新聞雑誌など、第二次世界大戦と戦後の混乱期についての話題やドキュメンタリー、ルポなども多く目に入る季節です。今日6日の広島原爆忌、9日の長崎原爆忌、15日の終戦記念日(終戦の日、戦没者を追悼し平和を祈念する日)と続くこの季節。新暦での8月盆とも重なることから、全国各地で慰霊の行事が行われます。慰霊ということになりますと、弊社取扱いの「墓石」は供養塔ということになりますので、供養業界にいる石材店としても遠からず関連性のある季節でもあります。

そんな中、私ブログ担当Tは先日埼玉県桶川市にあります「熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡」に行ってきました。桶川飛行学校と通称されてもいます。写真の量がたくさんありますので、二回に分けて記事にすることにしてみます。(後半の記事は、埼玉県桶川市 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡(桶川飛行学校)に行ってきました②になります)

近年、小説でベストセラーとなり、映画も大ヒット、ドラマ化などの話題も尽きない「永遠の0」でゼロ戦や特攻について大きく話題になりましたが、ここ桶川飛行学校もたくさんの情報があり、ここから特攻に向かわれた方々もいました。永遠の0でご興味のわかれた方は一度は訪れてもいいのでは、と思われる施設です。

※詳しくは「旧陸軍桶川飛行学校を語り継ぐ会」のhpをご覧ください→こちら

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0067 本部兵舎 宿舎

建築以来、76年もの間生き残ってきたという奇跡的な建物です。旧日本軍の飛行学校の建物としては、知覧にも残っていない日本で唯一の建築物。史跡価値のとても高い場所です。

場所はこちら↓

埼玉県道12号川越栗橋線の、荒川を渡る太郎右衛門橋の桶川側の北側にあります。拡大↓

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0149-

荒川の対岸にあります本田エアポート、本田航空の近くです。というよりも、本田エアポートの滑走路は元々はここ飛行学校の滑走路であったわけです。

県道からの行き方は次の通り。

太郎衛門橋のたもと、県道の最初の信号近くから、このような看板↓が見えます。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0048 案内看板

その先にはまた看板が。昔の写真をそのまま活用されてます。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0049 案内看板

直進すると荒川沿いのグラウンドになりますが、この交差点を右に曲がると飛行学校があります。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0050 案内看板 入口 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0051 案内看板

100メートルくらい進むと見えてくるのがこちら↓飛行学校の跡地入口です。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0052入口

この後、説明をしてくれた案内係さんが教えてくれましたが、↑この写真の左側に戦後すぐ進駐軍が駐屯し、カマボコ兵舎が二棟建っていたそうです。

↓正門跡でしょうか。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0055 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0056

熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡

公開日:土曜、日曜、祝日
10:00~16:30(冬季16:00)

※本会のボランティアが解説していますので、お声かけください。
車は左側に止めてください。自転車は正面建物の右に置いてください。

※ここは本会が所有者桶川市の立ち入り許可を得て公開しています。

特定非営利活動法人 旧陸軍桶川飛行学校を語り継ぐ会

入口の脇にあります↓境界杭 陸軍

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0057境界杭 陸軍

入口の左側奥には、弾薬庫跡があります。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0053 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0059 弾薬庫 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0058 弾薬庫

すぐ隣、入口すぐの場所には守衛所が。正門脇にあったのでしょう。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0060守衛所 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0065 守衛所 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0054守衛所 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0061守衛所

この「守衛所」の文字のすぐ近くに掲示されている、建物配置図です。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0062本部兵舎 建物配置図

配置図と照らし合わせながら確認してみると、

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0064 本部兵舎 車庫 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0066 本部兵舎 車庫

↑こちらの建物は入口から入ると右手に見えるのですが、どうやら「車庫」のようです。あとから教えてもらったところによると、戦後改造されて住居として使用されていたようです。が、よーく見てみると確かに車庫の形の建物でした。

それにしても、築76年で、戦後69年。よくぞ残されていたものです。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0063 本部兵舎 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0067 本部兵舎 宿舎

↑こちら、正面に見えている建物が飛行学校の本部兵舎。宿舎になります。現存している建物の中心的なものになります。向かって左側が訓練生の宿舎、やや右側が士官の部屋、一番右が医務室で、当時珍しくも看護婦さんたちもいたそうです。パイロットは貴重な人材ですので、様々な待遇も他の兵種とは違っていたのでしょう。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0143-

沿革によると、戦後桶川市所管の市民住宅「若宮寮」として300名以上が生活。その後平成19年(2007年)まで住居として使用され、最後の住人の転居にともない、更地にされてしまうところを保存署名運動が起こります。平成22年(2010年)国有地を桶川市が取得。桶川市は有識者8名選任の「跡地活用検討委員会」に委嘱。委員会は「現状を保存することが望ましい」と市に提言書を出したそうです。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0143 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0144

↑右の看板に、この施設の紹介と趣旨がわかりやすく書かれていますので引用させていただきます。

ご来館の皆様

桶川飛行学校

ここ桶川飛行学校は、熊谷陸軍飛行学校桶川分教場として昭和12年(1937)6月開校され、以来終戦まで約1,600名の操縦士が陸の荒鷲(あらわし)として巣立ち、空の護りとして活躍しました。その中には、特別攻撃隊第79振武隊として昭和20年4月5日に桶川飛行場を飛び立った12名の勇士も含まれております。

敗戦と復興

しかし、国力を挙げての戦争も敗戦となり、焼土からの復興へと国情が一変しました。日本人特有の勤勉性は、あらゆる困難を克服して驚異の復興を遂げ、経済大国と称されるまでに発展しました。これは人々の努力もさることながら、先の大戦で亡くなられた多くの御霊(みたま)のご加護があったことを忘れてはなりません。

桶川飛行学校を語り継ぐ会

幸いにも左図のように当時の施設が残っております。私達は「平和を考える館(やかた)」にしようと、「桶川飛行学校を語り継ぐ会」を結成し、遺族・関係者などから遺書・写真・手記などの提供を受けて展示し、所要の説明を致しております。皆様のご来館をお待ちしております。

平和の希求

戦争は殺戮と破壊をもたらすのみの行為で、絶対にあってはなりません。過去にあった事実の一端をお目にかけ、そこから得られる教訓を将来に生かし、ともに「平和な日本」の実現を目指しましょう。そのことが今は亡き人々の御霊に報いる私たちの進むべき道ではないでしょうか。

どうぞ、ごゆっくりごらんください。

平成23年9月25日 旧陸軍桶川飛行学校を語り継ぐ会

↓本部兵舎の中央入口です。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0140 本部兵舎 宿舎入口 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0142 本部兵舎 宿舎 入口 

熊谷陸軍飛行学校桶川分教場本部兵舎跡と書かれた看板が掛かっています。残念ながら「跡」とありますので、戦中の看板ではなく近年掛けられたものになります。おそらく元々の看板などは終戦時に武装解除などなどの処置の際に破却されたのでしょう。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0141 本部兵舎 宿舎 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0145 本部兵舎 宿舎 医務室

↑右の写真の中央が士官の部屋で、右に続いているのが医務室です。

ここは、戦後取り壊されることなく、満蒙開拓から内地に戻られた方々や、家を焼け出された方々のための宿舎として長い間利用されてきました。「若宮寮」と名付けられ、多くの世帯がここで暮らしていたそうです。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0147 本部兵舎 宿舎 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0148 本部兵舎 宿舎

そういった歴史を考えながら観察してみると、「生活感」を見ることができます。元々のガラスは76年前のものなので、現在の完成度の高いガラスとは違って表面がうねっているように見えますし、戦後の居住生活の名残りとして別のスリガラスに変わっていたり、戸や桟も変わっていたりなど散見できます。とはいえ、全体的な印象としては、「古い学校」といった雰囲気。古い建物特有の独特の空気と、どこか懐かしい古い木材の匂いがして、ここだけ時間が止まっているような錯覚を起こしてしまいそうです。

建物の裏側にまわってみましょう。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0122 本部兵舎 宿舎20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0123 本部兵舎 宿舎

なんと兵舎の一番端は朽ちて崩れてきています!

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0146 本部兵舎 宿舎

↑こちら手前の戸を開けると医務室。朽ちている箇所の同じ建物反対側になります。この写真の右側にあるのが防火水槽。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0133 防火水槽

↓本部兵舎を振り返ってみてみたところ。右側には教室があったそうですが、火事か何かでなくなってしまったとのこと。現在は家庭菜園のような感じになってました。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0150 本部兵舎 宿舎 教室跡地

↓こちらは本部兵舎の裏に渡り廊下で進んだ先にある被服倉庫と便所になります。「便所」と書かれています。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0124 被服倉庫 便所

当時使われていた井戸がありました。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0151 本部兵舎 井戸

↓こちらは窓枠などではなく、一枚ものの大きな鏡。とてもきれいな鏡なのですが、こちらも戦中から生き残った鏡だとか。保存状態の良さと、その強さに驚いてしまいます。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0125 被服倉庫 当時のままの鏡

↓こちらは被服倉庫であった部屋を住居として使われていたままとなっています。カレンダーや七輪、タンスなど、生活感が残ってます。写真にはとりませんでしたが、戸の柱にはNHKのシールも貼ってありました。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0153 被服倉庫 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0152 被服倉庫

掛けられているカレンダーを見る限り、比較的最近まで住居であったことがわかります。

トイレです。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0126 被服倉庫 便所 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0128 被服倉庫 便所

昔ながらの懐かしい感じのトイレです。もちろん和式です。キンカクシは戦時中のものではないそうです。お子さんや若い方は、こういったトイレや和式トイレを見ても懐かしいとは感じることもないのでしょうね~。昔はどこもこんなトイレでした。

↓こちらは男性用小トイレ。めったに見なくなったタイプのものです。こちらも昔は公的な建物などはこういったタイプのものが多かったと記憶してます。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0127 被服倉庫 便所

そしてトイレを出て、建物を反対側の外から見てみると・・・

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0129 被服倉庫 便所 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0131 被服倉庫 便所

裏側が朽ちてしまってます!崩壊一歩手前、いや、崩壊してます。一刻も早く手当が必要ですね。

そんなトイレのすぐ片側には、本田航空の航空燃料のタンクがあります。丁度給油しに来ていました。ここに貯蔵して、太郎衛門橋を渡った先にある荒川反対側の本田エアポートにて、セスナなどに給油がなされるとか。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0155 本田航空 飛行燃料タンク 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0156 飛行燃料タンク

↓こちらは戦後に住居として増築された建物です。あとから作られた建物ではありますが、今となっては古さの比較はしようもありません。どれも古くなりすぎて見分けがつかないくらいです。元々は洗濯場であった場所だそうです。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0132

そして案内係さんによると、ここが本田航空のスタートの場所だったとか。今はなくなりましたが、兵舎同様戦前の建物が残っていたとき、本田宗一郎氏もよくここに宿泊していたそうで、ここからセスナを皆で担いで旧県道に架かる橋をわたり、荒川対岸の飛行場から飛ばしたりもしていたとか。県道が大きく新しくなり、橋も現在の太郎衛門橋になってからは、そういったセスナの移動のさせ方もできなくなってしまい、ここには燃料の貯蔵庫のみ、というような状況になったとか。

案内係さんは本田航空の方でも陸軍の方でもなく、ご近所の方でした。しかしながら、戦闘機の急降下訓練を毎日眺めていたという、終戦時に小学生だった方です。進駐軍の米軍人からチューインガムをもらった、と言っていました。

さて、建物の外まわりを見てみましたので、いよいよ建物内部のご紹介に進もうと思います。

内部の紹介については ②の記事に続きます

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0134 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0095

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・お墓を建てると幸せになる? その6 お墓参りに来てくれる人を想像しての建墓は満足度大です

お墓を建てると幸せになる? その6 お墓参りに来てくれる人を想像しての建墓は満足度大です

前回「・お墓を建てると幸せになる? その5 家族の絆が深まり、互いに思いやれるようになります」に続いての第六回目です。

 

近年、著名人のお墓をお参りすることを生きがいにしている「墓マイラー」という方々が増えています。墓マイラーの方々の中にも、どのお墓をお参りするのかということで、何種類かに分類されるのではないでしょうか。たとえば、自分の好きな偉人のお墓を巡るという人もいるでしょう。「暦女」という言葉もあるように、若い世代に広がる歴史ファンの人たちの中には、歴史上の人物のお墓を回る人たちもいると思います。また、文豪や俳人、文化人のお墓をテーマにまわっているという人もいるでしょうし、テーマは設けずともたとえば多磨霊園に来たので多磨霊園に眠る著名人のお墓をめぐってみる、という人もいるかと思います。江戸時代から続いている谷中墓地(霊園)や青山墓地(霊園)をはじめ大きな都営霊園や、京都などの歴史ある都市の歴史ある寺院、由緒正しい寺院などではたくさんの著名人が眠っています。

そんな、著名人のお墓をめぐることが今ちょっとしたブームなのです。

そして前述しましたように、お墓参りのテーマも、お墓参りする人によってまちまち。人それぞれです。墓地によっては、丁寧な案内図や説明の案内板を掲出しているというところも少なくありません。また、そもそも昔の事柄というのは人の記憶から消えていってしまいがちなもの。なので、「どういった人が眠っているお墓なのか」ということを詳しく説明してくれている案内板もあったりします。そういった案内板があると、その人物と事績を知らないという人でも、その墓地で案内板を見ることで「初めて知る」という場合も多いでしょう。人は興味のない説明版などは目に入ってきません。何回か足を運んでいるという観光地でも、以前は気にもしていなかった案内板の説明書きを、時間がたって改めて見てみると、以前は気にもしていなかった事柄が目に入ってきて「ああ、以前はどうしてこんな興味深いことに気が付いていなかったのだろう」というような場合もあります。墓地の案内板の説明書きも同様のことが言えると思います。

ただ、一つ言えることは、人間の知的興味と、時間と共に消えて忘れていってしまうという「何を成したのか」という事績の記憶に対して、長い年月を経ても変わることのないものがあります。

「お墓というモニュメント」は、どんなに時間がたっても変わることなくそこにあり続けてくれる存在です。

よくある話なのですが、たとえば長い間歴史ファンの中でも地味でマイナーな存在であった人物がいたとして、何かの小説や映画、ドラマや漫画やアニメでも結構です。何かに題材として取り上げられることで、ほとんどお墓参りに来る人もいなかったようなお墓に、お墓参りの方々が次々に訪ねてくるようになった。という例は時々目にし耳にします。日本はやっぱりお墓の文化が根付いているようで、そういった過去の偉人に触れる場としても行為としても「お墓参り」という手段を選ぶ人は少なからずいます。そうしてやっとたどり着いたお墓を前に「やっとお墓参りをしに来れました」「お墓を大切に残してくれていてありがとう」という気持ちを抱く人も少なくないのでは?中にはまるでお墓の中の人が生きているかのように、「やっと会いに来れました」と心の中で会話をする、という人もいるでしょう。

お墓参りは、ご先祖様に対してのみつかわれる言葉ではないのです。

大切なことは「お墓を残してくれていてありがとう」と感じてくれる後の世の人々がいるということ。

昨今では、著名人の方々も生前にお墓を準備しているというケースも少なくありません。昨年で言えば、島倉千代子さんや、やなせたかしさんは生前からお墓を準備していたと有名でニュースなどの報道にも出ていました。そういった著名人のお墓にはファンの皆さんが足を運んでいることでしょう。

振り返って、我々個人個人のお墓で考えてみましょう。私たち生活者は著名人ではありません。もちろん歴史上での大きな事績を残してもいません。文豪でも俳人でもありません。それでも、お墓を作っておくと少なくとも家族はお墓参りをしてくれます。そして想像しにくいかもしれませんが、自分亡きあとにどういった人が自分のお墓に訪ねてきてくれるのか。友人知人や会社の同僚、昔の同級生などはお墓参りに来てくれるかもしれません。しかしそれ以外のいったいだれがお墓参りに来てくれるのか?これは未知数ですし、はかり知ることはできません。

が、人間の墓参したい気持ちというものは当人には計り知れないものがあるのも事実です。自分があまり意識をしていなくとも、全く知り合いでもない人が墓参にくる可能性だって否めないのです。学校で先生をしていたという方や、特殊な論文を書いた過去があるが後の世になってその論文が脚光をあびることもあるでしょう。議員経験があったり、地域の世話人をしていたり、スポーツチームに属していた過去があったり、何か仕事上で特許をとったりしたような人もいるでしょう。いつどこで自分がなした行為に対して、まったく別の方がその事績に敬意を表して墓参するのかはわからないものです。

「ひょっとしたらそういった墓参をする人いるかもしれないな」という方、いらっしゃいませんか?

もちろんお墓は自分のためのものであり、家族のためのものでもあります。しかし、「大切に残してくれていてありがとう」と感じる後世の人たちがいるのも事実です。お墓は、お墓参りしてくれた方に対しての道標ともなりますし、記念碑でもありますし、語りかける対象にもなりえるのです。そして、とても長い年月の間朽ちることなく残すことができる施設でもあります。

死後に有名となった著名人はたくさんいるんです。

自分亡きあとに墓参に来てくれる人がたくさんいるかもしれない。そんなことを考えながらお墓づくりをしてみてもいいのではないでしょうか。もしかしたらの話なので、ひょっとすると自己満足の妄想に終わるかもしれません。それでもいいのではないでしょうか。自分のお墓なのですから。十分に満足するお墓づくりをしてもいいと思うのです。島倉千代子さんのお墓も、やなせたかしさんのお墓も、とてもすばらしいお墓です。後々お墓参りに来た人たちも「おお~さすが!」と感じ入るようなお墓になっていると感じました。そんなお墓づくりをしてみてもいいのではないでしょうか。

 

お墓を建てると幸せになります。お墓参りに来てくれる人を想像しながら記念碑として十分に満足のいくお墓づくりをすることができるからです

 

と、考えますがみなさんはいかがでしょうか?

もちろん、家族親族のことを一番に考えたお墓を作っても十分に満足は得られますよ!

 

 

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