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行楽・お出かけ」カテゴリーアーカイブ

・都幾山 慈光寺の菁莪(しゃが)

2014年5月15日木曜日 雨のち晴れ

先日、大塚本社のASさんから、埼玉県ときがわ町にあります慈光寺の菁莪(しゃが)の写真をもらいましたので記事にしてみます。

都幾山 慈光寺の菁莪(しゃが)DSCF5260

このかわいらしくも凛として華やかな花を持つ植物は、菁莪(しゃが)と言います。著莪とも射干とも書きます。アヤメ科の宿根草で胡蝶花と書かれることもあるとか。

都幾山 慈光寺の菁莪(しゃが)DSCF5261

ここ慈光寺にはたくさんのシャガが群生しています。

都幾山 慈光寺の菁莪(しゃが)DSCF5259

菁莪と書いて「せいが」と読む例は多くみられ、特に明治時代に各地にて学校名として使われていました。今でも小学校や中学校で使われ続けている例もままあります。菁莪とは中国の詩経にある「菁菁者莪」から由来しているようで、「菁菁(盛んに茂るさま)たる莪(あざみ)は材を育するを楽しむ、君子はよく人材を長育す」という文章より、人材を育成すること。英才の育成を楽しむことを「菁莪」という言葉として使われていたようです。そんな「せいが」と「しゃが」の違いについては・・・すみませんわかりませんでした。

さて慈光寺。文化財の宝庫のお寺です。↓こちらは時の鐘。

都幾山 慈光寺の菁莪(しゃが)DSCF5239 都幾山 慈光寺の菁莪(しゃが)DSCF5240

↓山門と阿弥陀堂です。

都幾山 慈光寺の菁莪(しゃが)DSCF5241 都幾山 慈光寺の菁莪(しゃが)DSCF5242 都幾山 慈光寺の菁莪(しゃが)DSCF5243

↓観音堂です。陣外には伝説の「夜荒らしの名馬」があります。左甚五郎作と伝えられています。夜になるとこっそりと抜け出して付近の田畑を荒らしたという伝説があります。

都幾山 慈光寺の菁莪(しゃが)DSCF5244 都幾山 慈光寺の菁莪(しゃが)DSCF5245 都幾山 慈光寺の菁莪(しゃが)DSCF5246 都幾山 慈光寺の菁莪(しゃが)DSCF5247 都幾山 慈光寺の菁莪(しゃが)DSCF5248

↓1262年に、亡き畠山重忠・重保親子の供養のために、勝呂左衛門尉行直によっておさめられた板碑(青石塔婆)

都幾山 慈光寺 板碑 DSCF5249 都幾山 慈光寺 板碑 DSCF5250

↓空海書の破体心経です。

都幾山 慈光寺の菁莪(しゃが)DSCF5251 都幾山 慈光寺の菁莪(しゃが)DSCF5252

↓こちらは良寛書の楷書心経です。

都幾山 慈光寺の菁莪(しゃが)DSCF5253 都幾山 慈光寺の菁莪(しゃが)DSCF5254

↓国指定重要文化財の銅鐘です。

都幾山 慈光寺の菁莪(しゃが)DSCF5256 都幾山 慈光寺の菁莪(しゃが)DSCF5258

慈光寺は奈良時代の開山のお寺で、埼玉県では法灯をともし続けている最古のお寺です。鎌倉時代には関東屈指の大寺院でたくさんの塔頭が立ち並んでいました。ゆえに貴重な文化財を多く蔵しております。

↓国指定重要文化財の慈光寺開山塔です。右の建物は覆い堂で、その中に塔が守られています。

都幾山 慈光寺の菁莪(しゃが)DSCF5262 都幾山 慈光寺の菁莪(しゃが)DSCF5265

↓釈迦堂跡です。昭和60年(1985年)11月26日、放火により釈迦堂や鐘楼が火災となり、釈迦如来像、蔵王権現像などが焼失してしまったそうです。

都幾山 慈光寺の菁莪(しゃが)DSCF5267

↓足元のシャガと新緑の森と、お向かいの山。とてもいい季節です。見えていませんが、お向かいの山との間には都幾川が流れています。

都幾山 慈光寺の菁莪(しゃが)DSCF5268

少し移動し、すぐ近くの霊山院に来てみました。↓しまっている門は勅使門です。菊の紋が見えます。

都幾山 慈光寺の菁莪(しゃが)DSCF5269 都幾山 慈光寺の菁莪(しゃが)DSCF5270 都幾山 慈光寺の菁莪(しゃが)DSCF5272 都幾山 慈光寺の菁莪(しゃが)DSCF5273

霊山院は、慈光寺の塔頭の一つとして建てられ、東国最古の禅寺。

↓一休さんと木魚とねずみです。

都幾山 慈光寺の菁莪(しゃが)DSCF5274

都幾山 慈光寺の菁莪(しゃが)DSCF5275 都幾山 慈光寺の菁莪(しゃが)DSCF5276 都幾山 慈光寺の菁莪(しゃが)DSCF5277 都幾山 慈光寺の菁莪(しゃが)DSCF5278 都幾山 慈光寺の菁莪(しゃが)DSCF5279

帰り道、慈光寺山門跡の板碑群を見て行こうと思います。

都幾山 慈光寺 山門跡の板碑群 DSCF5282 都幾山 慈光寺 山門跡の板碑群 DSCF5288 都幾山 慈光寺 山門跡の板碑群 DSCF5287 都幾山 慈光寺 山門跡の板碑群 DSCF5286 都幾山 慈光寺 山門跡の板碑群 DSCF5285 都幾山 慈光寺 山門跡の板碑群 DSCF5284 都幾山 慈光寺 山門跡の板碑群 DSCF5283

慈光寺は坂東三十三観音の九番霊場になっています。

都幾山 慈光寺 坂東9番霊場 DSCF5280 都幾山 慈光寺 坂東9番霊場 DSCF5281

文化財の宝庫の都幾山慈光寺。菁莪(しゃが)は今が見ごろです。

都幾山 慈光寺の菁莪(しゃが)DSCF5261

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・埼玉県内最大のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園

2014年5月11日 日曜日 晴れ

昨日からはじまりました、埼玉県北足立郡の伊奈町にありますバラ公園でのバラまつり。バラ公園は伊奈町制紀念公園内にあります。美しいバラの町伊奈の一番いい季節がやってきました。

埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4423 埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4424

バラまつりは、今年2014年は5/10土曜日から開催。昨日10日は、まだパラのピークではありませんでしたが、現在咲いているバラもとても綺麗でした。

埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4421 埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4309 埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4311 埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4324 埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4337 埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4345 埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4376 埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4382 埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4383 埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4388 埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4395 埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4401 埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4258 埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4266 埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4294 埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4308

ピークはどうやら来週以降の様子です(と、チケット売り場の方に教えてもらいました)

もらったチラシによると、本日14時からは安木節踊りがあったようですね。

埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4426

17日と18日には、ゆるキャラ登場の観光物産展(両日)や、バトン演技と手話コーラスと太鼓演奏(それぞれ17日)、パークトレイン運行(18日)、ミニコンサートとコーラスとYOSAKOIソーラン(それぞれ18日)、ミスユニバース埼玉写真撮影会(18日)。

24日には、カスタムカー展示とミニコンサートなど。25日にはジャズ演奏、太鼓演奏、ダンスなど。

盛りだくさんですね!

埼玉県内最大のバラ園。4,500株以上のバラがあります。ゆるキャラのローズ君とローズちゃんが綺麗なバラたちと一緒に待ってますよ!

埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4425

※バラ公園のすぐ隣には、弊社大塚がいつもお世話になっております西蔵院さまがあります。

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過去記事

バラ公園①  バラ公園②  伊奈町町制施行記念公園 紅葉

20140331 埼玉県伊奈町羽貫 西蔵院 桜満開

 

 

・長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺に行ってきました

2014年5月9日金曜日 晴れ

先日の長宗我部元親公のお墓参りに続きまして、元親の長子で戸次川の合戦で戦死した長宗我部信親のお墓参りに雪蹊寺に行ってきました。

雪蹊寺は高知市長浜の、長宗我部元親公のお墓の比較的近くにあります。場所はこちら↓ 

雪蹊寺は四国八十八か所の33番目の札所です。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0468- 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0469

県道に面した入口には「雪蹊寺(33番札所)」の文字とともに「長宗我部信親の墓」の文字のある看板↓もあります。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0470 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0472

↑四国のへんろ道を世界文化遺産に・・・世界遺産を目指しております。「人生御遍路」です。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0474-

延暦年間(782~806)に弘法大師(空海)が開基。ということなので、1200年以上前に建てられたお寺です。もとは高福寺と言いましたが、鎌倉時代に運慶と湛慶作の毘沙門天像(国重文)が安置されたことから慶運寺と改称された経緯があります。その後戦国時代に長宗我部元親の法号にちなんで雪蹊寺と改称されました。儒教の南学の中心地とも言われています。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0473 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0475 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0476 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0478

歴史あるお寺だけあり、古い石塔がたくさん並んでいます。

実はここ雪蹊寺はすぐ隣に「秦神社(はたじんじゃ)」があります。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0483

秦神社の御祭神は長宗我部元親。長宗我部家は秦の始皇帝の流れを組むという渡来の豪族、秦河勝(はたのかわかつ)の後裔を名乗っていました。そのためここ秦神社には秦家累代の霊と、家臣忠死者も配神として祀られています。神社の拝殿の幕には、かたばみの紋が。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0479 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0481 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0484-

長宗我部家の家紋は「丸に七つ酢漿草(かたばみ)」。かたばみは傍食、片喰、片食とも書きます。そのため、雪蹊寺、秦神社には↓の「丸に七つ酢漿草紋」の戦幟がいくつか配置されてました。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0509

明治の世になり、廃仏毀釈の中、雪蹊寺が一時期廃寺となった際、雪蹊寺に収められていた衣冠束帯姿の長宗我部元親木像をご神体として秦神社が祀られました。なので、秦神社の建立は明治4年です。神社には木造のほか、国指定重要文化財である絹本著色長宗我部元親画像もありますが、現在は高知県立歴史民俗資料館(長宗我部氏の岡豊城跡)に委託保管されています。

秦神社への参拝後、すぐ隣の小高い山にある神社もあわせて参拝。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0486 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0485

長宗我部家臣が奇跡の神鏡を拾い命拾いしたために作られた西宮神社(えびす様)。石段を登った先に社殿があります。実はこの小高い山は、長浜城跡なのです。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0482

西宮神社はその小高い城跡の一部に祭られています。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0489

位置的には、秦神社のすぐ横、雪蹊寺の裏手にあたります。なので、雪蹊寺の見事な墓石がちらほら目に入ってきたりもします。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0490

それでは隣の雪蹊寺に戻ってみます。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0491 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0494 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0506- 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0508-

臨済宗のお寺様ということで、凛とした造りのお寺に感じられます。33番札所なので、お遍路さんもいらっしゃってます。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0492 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0493-

四国八十八か所のお寺は、弘法大師さまが開いた霊場なのですが、ここ雪蹊寺のように必ずしも真言宗のお寺ではないというところも多々あります。臨済宗の雪蹊寺にも↑のように大師像が置かれていたりします。また、柄杓が篤志の方から奉納されていたりと、なかなか興味深いものを感じました。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0495 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0505

境内を歩いていると、「長宗我部信親公墓所」の案内を発見しました。↑実は右の写真、一番奥の木立の中に宝篋印塔の信親公墓所が見えているのですがわかりますでしょうか?

墓所の手前に案内板が。ここには信親公のお墓だけではなく、戸次川戦没者供養塔、香宗我部系の出で雪蹊寺中興の祖であり、関ケ原戦後の浦戸一揆の際に仲に立って開場に貢献したという月峰和尚のお墓もあります。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0496

お寺の裏側に木漏れ日の中にお墓はありました。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0502 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0497

↑中央に信親公の宝篋印塔(ほうきょういんとう)が、左に戸次川戦没者供養の五輪塔が、右には月峰和尚の丸い無縫塔(むほうとう)があります。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0499

お父上の元親公のお墓と比べて一回り小さいサイズではありますが、とても立派で保存状態のよい宝篋印塔です。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0501

長宗我部家が関ヶ原で西軍につかず、大坂の陣で滅亡せず、江戸から明治まで残る大名になっていたならばもっと大きなお墓になっていたことでしょう。

↓戸次川戦戦没者供養塔です。こちらもとても美しいカタチの五輪塔です。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0500

長宗我部信親は、長宗我部元親の長男として、将来を嘱望されていた武将です。

父元親は四国平定したものの、その後秀吉に屈服さぜるを得ませんでした。その後の九州征伐にて他の四国勢とともに島津氏と戦うこととなります。窮地に立っていた大友氏を助けるためという名目です。秀吉勢として父元親とともに出征した信親。秀吉の軍監仙石久秀の指揮のもと、戸次川の合戦にて秀吉勢は総崩れとなってしまったのですが、その際に多くの将兵が命を落としました。阿波の有力大名の十河存保(そごうまさやす)や、そして長宗我部信親と多くの供の者(700余名)も命を落としたのです。まだ22歳でした。

信親は身長184センチ、色白の長身だったようで、元親によって跡継ぎとして育てられてきたのですが、家臣の信望もとても厚かったようです。信親の「信」の一文字は織田信長からもらったのですが、その信長からも養子にほしいと言わせた程だったとか。そんな元親の後継者が他の若い多くの将兵とともに戦没したため、この後の長宗我部家は一気に衰えていってしまったとのことです。

戸次川の合戦についての記録は、雪蹊寺からも近い長宗我部元親初陣像の足元にもありますので、よしろければそちらもご覧ください。

~ ~ ~ ~ ~

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・長宗我部元親公のお墓をお参りしてきました。

2014年5月7日

ゴールデンウィーク中に、四国の戦国大名の長宗我部元親、信親親子のお墓をそれぞれお参りしてきました。

まずは長宗我部元親公のお墓を訪ねてみます。場所はこちら↓ 

↑高知市長浜にあるのですが、小高い山の南面にお墓はありました。地図内の桂浜には先日記事にしました坂本龍馬像があり、鎮守の森公園緑地と書いてある近くにはこちらも先日記事にしました長宗我部元親像があります。おなじく近くにある雪蹊寺には元親の息子信親のお墓があります。

長宗我部元親公のお墓DSC_0466

高知県道34号桂浜はりまや線を南に桂浜方面に進んでいくと看板が見えてきます。県道34号は二筋になっていますが、桂浜に近い方の道です。

長宗我部元親公のお墓DSC_0465

突き当りまでくると、ここから先は徒歩でしか進めなくなります。様々な案内板が出迎えてくれます。

長宗我部元親公のお墓DSC_0447

長宗我部元親は土佐を統一し、四国全土を制圧した戦国武将、大名です。秀吉の軍門に降り領土も四国全土から土佐一国に減封されましたが、京都伏見での病没後、後事を託した盛親の代にて関ヶ原の合戦、大阪の陣によって長宗我部氏は歴史上から消えてしまいました。お墓は宝篋印塔のカタチをとっているようです。

長宗我部元親公のお墓DSC_0446 長宗我部元親公のお墓DSC_0448 長宗我部元親公のお墓DSC_0449

この奥の石段の上にあるようです。

長宗我部元親公のお墓DSC_0463

新緑のこもれびが気持ちの良い細道が続いていますので、奥に進んでみましょう。

長宗我部元親公のお墓DSC_0451 長宗我部元親公のお墓DSC_0453

石段になる手前に、たくさんの石塔や祠が集められている場所がありました。「兵士の塚」とあります。

長宗我部元親公のお墓DSC_0452

関ヶ原戦で西軍となった長宗我部家の家臣が1600年12月に起こした浦戸一揆。その戦死した兵士を祀っているもののようです。

さて、では石段を登って先に進んで行ってみましょう。

長宗我部元親公のお墓DSC_0454 長宗我部元親公のお墓DSC_0455

石段はあまり長くはなく、すぐに墓所に到着できました。

重厚な灯籠と柵に囲まれた宝篋印塔の墓所です。

長宗我部元親公のお墓DSC_0461 長宗我部元親公のお墓DSC_0456

おそらく明治まで続く大名家となっていたならばこんなに気軽にはお墓参りは出来なかったことでしょう。規模ももっとずっと大きくなっていたのではないでしょうか。

それにしても、やはり立派な宝篋印塔です。

長宗我部元親公のお墓DSC_0458 長宗我部元親公のお墓DSC_0459

宝篋印塔(ほうきょういんとう)とは、元来は「宝篋印経」という経典をいれる仏塔のことを指していましたが、その形状のみの進化が進み、身分や位の高い方、篤信の方の供養塔として現在でも使われている形状の供養塔になります。

長宗我部元親公のお墓DSC_0460

1599年没の長宗我部元親、もうあと少し生きていたならば、関ヶ原にてどういう活躍になってその後の長宗我部氏や土佐国がどうなっていたのだろう・・・と考えてしまいます。

長宗我部元親公のお墓DSC_0462

元親公ゆかりの方が整備されているようですね。ご先祖様を供養する、それが戦国大名のご先祖様でなくともどちらの家でも共通した思いはあることと思います。お参りさせてもらう側として、整備いただいていることはとてもありがたいことですし、何より眠られている元親公の魂もやすまることと感謝いたします。

長宗我部元親公の長男、信親公のお墓はここの近くの雪蹊寺にあるのですが、そちらもお参りしてきましたので別の記事にてご紹介いたします。

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・20140502 東名高速鮎沢PA(上り)から見える、朝焼けの赤い富士山

2014年5月7日水曜日 晴れ

ゴールデンウイーク中に、綺麗な朝焼けの富士山を見ることが出来ました。

-20140502 東名高速鮎沢pa上りから見える富士山 朝焼け 赤色-20140502 東名高速鮎沢pa上りから見える富士山 朝焼け 赤色1

場所は、東名高速道路の鮎沢PA上りから。朝もやの中、赤く染まった富士山が目に入ってきてとてもびっくりしました。

富士山をほぼ真東が見る位置にあたるのですね!

写メをとった時間が朝の4時57分。日付は2014年5月2日。このあたりだとおそらく日の出の時間は4時46分くらいのはずなので、日出後の富士山が赤く見える絶妙のタイミングで鮎沢PAにたどりついたことになります。そのラッキーなタイミングにも驚きました。お日様と富士山に感謝です。(ここ神奈川県山北町は、経度が前橋市や新潟市と近いようなので、前橋市、新潟市の日の出の時間を調べてみました)

人もまばらな鮎沢PAでしたが、私の他に何人もの方が赤い富士山を写真に収めていました。

ご利益あるかな?

 

さて、弊社大塚では、富士山を見ることができる霊園もいくつもご案内しております。埼玉県の富士山のよく見える霊園としては、西上尾メモリアルガーデンや、さきたま霊園などが。千葉県ならメモリアルグリーン流山聖地、東京都ではメモリアルフォレスト多摩、神奈川県では、メモリアルパーク藤沢都筑まどか霊園南葉山霊園、などが富士山を見ることができます。

お気軽にお問い合わせください。
※神奈川県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

 

※東京都の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

 

※千葉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

 

※静岡県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

 

・長宗我部元親初陣像を見てきました

2014年5月4日 日曜日 薄晴れ

昨日の記事に引き続きまして、高知県で見てきました銅像訪問記です。昨日は坂本龍馬先生銅像でしたが、今回は戦国大名の長宗我部元親公。しかも初陣像だそうです。昨今、ゲームや小説等でファンになった方の訪問もあとをたたないとか。

場所はこちら↓https://goo.gl/maps/llEpv 

高知市中心部から桂浜まで通る県道の高知県道34号桂浜はりまや線を、中心街から桂浜方面に向かうと右手に見えてきます。↓この戦国時代のノボリ風の看板が目印。

20140504 長宗我部元親公初陣像 高知 若宮八幡DSC_0271

「どろんこ祭り」で有名な高知市長浜にある若宮八幡宮の境内地、参道わきにあります。

20140504 長宗我部元親公初陣像 高知 若宮八幡DSC_0273 20140504 長宗我部元親公初陣像 高知 若宮八幡DSC_0272

坂本龍馬象のある浦戸の桂浜や、長浜の雪蹊寺からも遠くありません。

20140504 長宗我部元親公初陣像 高知 若宮八幡DSC_0270 20140504 長宗我部元親公初陣像 高知 若宮八幡DSC_0269

馬防柵や物見やぐらの解説がありますが、この地は長宗我部元親初陣の地。1560年22歳の初陣でした。若宮八幡宮の社頭に陣を張り戦勝を祈願し、本山氏の守る長浜城を陥落させ、その後「土佐の出来人」と呼ばれるようになります。このことからこの地に像が建てられました。その後15年で土佐を統一。25年後には四国全土を掌握(1585年)。その後秀吉の軍門に下り、慶長四年(1599年)に61歳で京伏見の館で没しました。

20140504 長宗我部元親公初陣像 高知 若宮八幡DSC_0274 20140504 長宗我部元親公初陣像 高知 若宮八幡DSC_0297

没年が1599年ですが、関ヶ原の戦いが1600年。跡継ぎの長宗我部盛親が西軍に与し、しかも事情はあっても全く戦働きをしなかったために大名としての長宗我部家は終わりを迎えてしまいました。元親がもう2年生きていたら、全く違う歴史になったのではないでしょうか?高知に山内家も来ることなく、そうすると幕末に坂本龍馬も武市瑞山も中岡慎太郎も岩崎弥太郎も生まれなかったのかもしれません。

20140504 長宗我部元親公初陣像 高知 若宮八幡DSC_0300 20140504 長宗我部元親公初陣像 高知 若宮八幡DSC_0299 20140504 長宗我部元親公初陣像 高知 若宮八幡DSC_0298

石造りの柵の向こうに銅像が見えてきました。

20140504 長宗我部元親公初陣像 高知 若宮八幡DSC_0305 20140504 長宗我部元親公初陣像 高知 若宮八幡DSC_0306 20140504 長宗我部元親公初陣像 高知 若宮八幡DSC_0304

新緑越しに見える銅像はかなりかっこよく見えています。実際かっこよかったです(^-^)

20140504 長宗我部元親公初陣像 高知 若宮八幡DSC_0293 20140504 長宗我部元親公初陣像 高知 若宮八幡DSC_0289 20140504 長宗我部元親公初陣像 高知 若宮八幡DSC_0290 20140504 長宗我部元親公初陣像 高知 若宮八幡DSC_0291  20140504 長宗我部元親公初陣像 高知 若宮八幡DSC_0295 20140504 長宗我部元親公初陣像 高知 若宮八幡DSC_0309+

兜には、はっきりと「丸に七つ酢漿草(かたばみ)」の紋が見られます。かたばみは傍食、片喰、片食とも書きます。 長宗我部氏は秦氏の流れの一族です。

20140504 長宗我部元親公初陣像 高知 若宮八幡DSC_0294 20140504 長宗我部元親公初陣像 高知 若宮八幡DSC_0292 20140504 長宗我部元親公初陣像 高知 若宮八幡DSC_0296

長い槍が印象的で、また動きも迫力がある銅像です。全国のカッコいい銅像のベストテンには入っているのではないでしょうか?左手は何かをつかもうとしているのか、押さえつけようとしているのか・・・

答えはその手の先にありました。

四国全土の地図が足元にあります。そして地図には各地域に蟠踞していた大小名の名前が。

20140504 長宗我部元親公初陣像 高知 若宮八幡DSC_0275 20140504 長宗我部元親公初陣像 高知 若宮八幡DSC_0276

四国を一掴みにしていたわけですね。

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銅像の傍らには↓このようなものも。

20140504 長宗我部元親公初陣像 高知 若宮八幡DSC_0277

戸次川の戦いについて。秀吉の軍門に下った長宗我部家は、島津九州征伐の際に他の四国勢とともに出征。大敗を喫してしまい、他の大名有力者とともに長男で英名のほまれの高い長宗我部信親と多くの群臣を失ってしまいました。信親がこの時に戦没していなければ、その後の長宗我部家の運命も大いに変わっていたと言われています。

ちなみに信親の「信」の一文字は、中央で覇を唱えた織田信長とよしみを結ぼうと元親が息子のために信長からもらったものです。でもその信長からは「鳥無き島の蝙蝠」と元親を指して揶揄されてもいたとか。戦国時代の外交は難しかったのでしょう。※鳥無き里の蝙蝠という慣用句があり、信長はそれを転用したわけです。四国なので「島」なのでしょう。

20140504 長宗我部元親公初陣像 高知 若宮八幡DSC_0279 20140504 長宗我部元親公初陣像 高知 若宮八幡DSC_0278

戸次川で亡くなった信親の供の方々の名前が列記してありました。

なお、来る2014年5月17日(土)には元親の本拠地だった岡豊城で長宗我部フェスが、ここ若宮八幡宮では5/18(日)に長宗我部祭りが開催されるとか。戸次川でともに戦った豊後大友宗麟鉄砲隊の演武や、甲冑武者行列、戦国BASARAで長宗我部元親役を演じた石野竜三氏のトークショーもあるなど、ものすごく内容盛りだくさん。タイミングが合えば見てみたかったです。

と、高知では近年、長宗我部アゲが勢いついているそうです。もっともっと盛り上がるといいですね!

昨日の記事にも書きましたが、銅像はモニュメントであり記念碑でもあります。弊社大塚の作る墓石もモニュメントであり記念碑でもあります。各地の様々な記念碑を見て勉強していこうと、ブログ担当Tは感じました。

このあと、長宗我部元親のお墓と信親のお墓にもお参りしてきましたので、それはまた別の記事にしてみます。

~ ~ ~ ~ ~

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2014年5月3日土曜日 晴れ

坂本龍馬の視点に立って、現代の日本、太平洋を見て考えてみる。

難しい話ではありません。つまりこういうことです↓

 

 

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銅像業界(?)の中でも特に有名な、坂本龍馬像の目線の高さに立ってみる!

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と、そんな期間限定の催し物に行ってまいりました。

それでは、現地入りから時系列であらためて書いて行ってみます。

高知県高知市の観光名所、桂浜に向かいます。月の名所の桂浜です。坂本龍馬像のある場所、それが桂浜です。

場所はこちら↓https://goo.gl/maps/XzkL3       20140501 高知 土佐 桂浜DSC_0339 20140501 高知 土佐 桂浜DSC_0340 20140501 高知 土佐 桂浜DSC_0345

桂浜駐車場に到着。桂浜は遊泳禁止の浜です。景観が損なわれるとかそういうことではなく、単に「急激に深くなっており、また波も荒いため危険」だからです。案内板を見て場所を確認したら坂本龍馬像を目指します。龍馬像は桂浜に面した小高い丘の上、松林の頂上にあります。

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後姿が見えてきました。

20140501 高知 土佐 桂浜 坂本竜馬像 大接近DSC_0348 20140501 高知 土佐 桂浜 坂本竜馬像 大接近DSC_0351

台座のプレートには「時 昭和三年五月  建設者 高知県青年」とあります。有志のみなさんによって建てられたということは有名ですね。

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平成26年、2014年4/12土~5/18日までの期間限定にて「龍馬に大接近」の催し物が開催されています。入場料はなんと100円!坂本龍馬ファンにとっては、アイドルの握手会に行くアイドルファンの方や、特急の最後の雄姿を写真におさめる撮り鉄さんのような、とっても貴重なイベントです。何せ普段は坂本龍馬の目線に立つなんてできませんので。

20140501 高知 土佐 桂浜 坂本竜馬像 大接近DSC_0355 20140501 高知 土佐 桂浜 坂本竜馬像 大接近DSC_0389 20140501 高知 土佐 桂浜 坂本竜馬像 大接近DSC_0390 20140501 高知 土佐 桂浜 坂本竜馬像 大接近DSC_0354 20140501 高知 土佐 桂浜 坂本竜馬像 大接近DSC_0391

坂本龍馬像を見たことのある方ならば、↑こんな感じで見た記憶があるのではないでしょうか?ですが今は像の隣に「心はいつも太平洋ぜよ」と書かれた赤い欄干の櫓があるのです。

櫓の足元には説明書きがありました。(クリックすると元画像が表示されます。)

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ではせっかくですので櫓にのぼってみます。ここまで来て登らない手はありませんし。

櫓の内部は、想像通り単管で工事現場チックに作られていますが、足元は広く作られていて、しかも手すりもついています↓ただし、こういった場所を歩いたことのない方にとっては、プチ工事現場体験にもなるかもしれません。

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頂上に着きました。

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携帯電話、カメラ等を落とさないよう注意しましょう。

そして記事冒頭の光景が目に入ってきます。

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下から見上げた想像よりもずっと高く感じられました。坂本龍馬は太平洋の朝日が昇る東を見つめています。「日本の夜明けぜよ」ですね。

櫓の上の欄干内はそんなに広くないのですが、少しだけ角度を変えて撮影することができます。角度によっては見え方が大分変ってきます。表情や考えていることも変わって感じることもできるかもしれません。

20140501 高知 土佐 桂浜 坂本竜馬像 大接近DSC_0357 20140501 高知 土佐 桂浜 坂本竜馬像 大接近DSC_0358 20140501 高知 土佐 桂浜 坂本竜馬像 大接近DSC_0359 20140501 高知 土佐 桂浜 坂本竜馬像 大接近DSC_0369 20140501 高知 土佐 桂浜 坂本竜馬像 大接近DSC_0374

↓遠くを進む柱のある船、なんとなく幕末の大きな帆船に見えなくもありません。

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ところで、坂本龍馬さんが見ている視界には何が見えているのかと言うと・・・

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土佐湾が広がっています。

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港を行き来する船や、↓一番右は種崎海水浴場です。長宗我部の遺臣が相撲大会で悲劇にあった場所でもあります。

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足元↓には、坂本龍馬像を見上げる人たちと、アイスクリンやさんが見えました。坂本龍馬もアイスクリンを食べたいことでしょう。

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余談ですが、アイスクリンというのは、アイスクリームの誤打ではありません。明治2年に日本で初めて横浜馬車道で販売された時の名称が「アイスクリン」でした。その後、牛乳や生クリームの代わりに卵や脱脂粉乳を用いたものを「アイスクリン」と呼ぶようになり、アイスクリームとは別物として歩んできたのですが、現在では沖縄や高知、大阪城公園などの一部でしか見ることができなくなりました。が、ここ高知県では全県で味わうことが出来る美味しいスイーツなんです。

たくさん写真も撮りましたので、櫓を降りてみます。アンケートに答えるともらえるという絵葉書をもらいました↓

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ハガキは三種類あるのですが、手に入れたのは「世の人は われをなにともゆはばいへ わがなすことはわれのみぞしる」の龍馬自筆の書の書かれているハガキでした。十代の青年坂本龍馬が詠んだ有名な歌です。

さて、せっかく桂浜まで来たのですから、名勝桂浜、坂本龍馬も愛した桂浜を歩いてみます。

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太平洋はでかいです。海なし県の住人としては、波打ち際が見えるだけでテンションが上がってしまいます。

右手の奥には竜王岬が見えています。絵葉書などにもなる有名な「ザ・桂浜」というアングルです。

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救命ペットボトルと、危険への注意喚起の看板がところどころあります。テンションあがっても、桂浜では海に入ってはいけません。

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振り返ってみます。

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↑岩がありますが、かなり巨大な岩です。人間が見えているので比べてみてください。

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岬の上に立つ神社を目指してみます。

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海津見神社(わたつみじんじゃ)です。竜王宮です。こちらの案内板によると、御祭神は大綿津見神(おおわたつみかみ)。完全に海の神様ですね。創建は不詳ですが、長宗我部時代とも言われているようです。

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最近、海難事故などもニュースにのぼったりしています。海の安全を祈ってきました。社殿内の依代はなんと石塔でした。

振り返って岬の付け根を見てみます。

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↑左が西浜、右が本浜(桂浜)です。かなり険しい岬だということがわかります。

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↑広さのない岬の上の神社なので、社はコンパクトです。絶えず強い海風にさらされているので、社や鳥居など石造りの箇所の風化もとてもはやいようで、内陸にある石造りのものとは大違いの様子でした。

↓こちらの写真、何もないように見えますが、実は中央に坂本龍馬像の頭が見えているんです。拡大するとわかりますよ。

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岬の足元は、太平洋の親潮が荒々しく水しぶきを上げていました。

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↓ここから見る桂浜の全景です。

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↓どうやら修学旅行か遠足か社会科見学か、学生さんがたくさん到着したようです。ここは遠足などのメッカでもあります。混雑する前にもどらないと・・・(^_^;)

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坂本龍馬の銅像を見に来ましたが、やはり桂浜はとてもダイナミックで美しい景勝地でした。

坂本龍馬の銅像はモニュメント。弊社大塚の仕事もお墓と言うモニュメントづくりです。たくさんの人が訪れるようなモニュメントはとても素敵ですね!今度はいつか坂本龍馬のお墓も訪問してみたいと思いました。

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近くに長宗我部元親の銅像もあります。訪問記事→長宗我部元親初陣像を見てきました

 

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・20140502 埼玉県秩父市羊山公園の芝桜

2014年5月3日土曜日 晴れ

昨日、芝桜の綺麗な画像を大塚本社のASさんからもらいました。

武甲山をバックに、一面の芝桜が見事です。

20140502 埼玉県秩父市羊山公園芝桜と武甲山.jpg 

見ごろを迎えていますね!よく見てみると黄色いタンポポも目に入ってきました。

5月2日はゴールデンウィークの谷間の平日。にもかかわらず、たくさんの人が見に来ていました。連休後半の人出はきっとすごいことになる思いますので、お出かけされる方は渋滞などご注意を。

まさにとりあえず秩父は今がドンピシャ、見ごろのピークということでしたが、芝桜の数あるほかの名所も見ごろなのではないでしょうか?

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後日、上記ケータイ画像とは別のデジカメ画像をもらいました。とっても綺麗なので並べてみます。

まずはパノラマ写真。

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とっても広いんですね!

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いつか機会がありましたら私も行ってみたいと思いました。

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・やなせたかし先生のお墓「朴ノ木公園(ほうのきこうえん)」に行ってきました

2014年5月2日金曜日 晴れ

一昨日のことになりますが、高知県香美市にあります「朴ノ木公園」に行ってきました。場所は香美市にあるアンパンマンミュージアム(香美市立やなせたかし記念館)から車で約5分くらい。

グーグルマップではこちらが現地になります。https://goo.gl/maps/gt8Th

やなせたかし先生の実家跡がお墓の公園になると昨年10月このブログでも記事にも書いたのですが、今年2014年4月20日に公開となったとニュースで見てから、尋ねてみたい場所として自分の中で一位になっていた公園です。

ミュージアムのサイトでは「GWはアンパンマンミュージアムからのシャトルバスをご利用ください。(公園専用の駐車場はありません。)」とありましたが、一昨日4/30は平日ということもあり公園近くに駐車することができました。香美市観光協会さんのスタッフブログに、詳しいアクセスについて書かれてました。訪れる人にとってはとてもありがたいブログです!明日からのゴールデンウィーク後半や祝祭日にご訪問される方はアクセスや駐車場に気を付けてください。

さて朴ノ木公園の近くにある高照寺さま。

20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園DSC_0120+のコピー

岩室山高照寺平成の大修理で志納された方々のお名前が並んでます。中央の「南無大師遍照金剛」の文字のすぐ右側に「柳瀬嵩」の文字が!柳瀬家の菩提寺だそうです。

20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園地図DSC_0121+

ホオちゃんが案内してくれてます。朴の木は「ほうのき」と読みます。そしてここは朴の木地区。柳瀬家の菩提寺の高照寺さまと氏神様の厳島神社の間に朴の木公園はあります。

20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園DSC_0122 20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園DSC_0123

案内板がありましたので、まよわずに公園にたどりつくことができるのですが、傾斜のあるこの地区に立つそれぞれの家、建物はどちらもとてもきれいな石垣と練塀と複層の屋根を持つ蔵とを見ることができ、穏やかで豊かな土地なんだなぁと感じられます。前夜に降った大雨のせいか、幾筋もながれている水流も水の勢いが強めで、せせらぎの音がずっと聞こえてきています。

20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園DSC_0124

↑せせらぎを耳に段々畑を進むと白く丸いものが見えてきました。どうやら公園の北側、裏側が見えているようです。

20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園DSC_0125 20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園DSC_0163

↑朴の木公園にたどり着きました。入口には北を向いたお地蔵様と、そして役所の職員の方がいらっしゃいました。簡易ですがトイレもあります。

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やなせたかし先生のお父様のご実家跡地ということですが、巨大な公園ではなく、きれいな植栽とおなじみのキャラクターたちがいる親しみやすい公園です。遠くから見えていた白く丸いものは、そうです!みんなのアンパンマンでした。

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この公園のメインはやはり、やなせたかし先生のお墓です。さっそくお参りしましょう。

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柳瀬家はここにあった 300年以上続いた旧家だが 今は影もかたちもない 一族の墓石は 後方の 山の中腹にある ぼくはここでねむりたい 故郷の土はあたたかい 木蓮科のマグノリア 一本の朴の木にぼくはなりたい 季節にははにかみがちに 白い花を咲かせて 風の中でゆれていたい

やなせたかし

(以上、石碑より引用)

 

石塔の裏側には

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やなせ先生は奥様とお二人で眠られているんですね。

それにしても、とても大きな墓石です。洋型墓のカタチをとっています。そして両脇には大きなアンパンマンとバイキンマン。

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アンパンマンとバイキンマンは斜め方向を向いています。職員の方に聞いてみたところ、どうやらやなせたかし記念館、アンパンマンミュージアムの方向を向いているようです。

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アンパンマンとバイキンマンには、丸い踏み石が続いているのですが、よく見てみると・・・

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踏み石の中にアンパンマンとバイキンマンとドキンちゃんがいました!(画像だと少しわかりにくいですね(^_^;))

墓石と向き合うように、ふたつの石碑が配置されていました。

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ホオノキ やなせたかし

ヒノキは高級な木 ホオノキは低級な木 朴歯の下駄とか マナイタになる でもホオノキのマナイタは 自分が傷ついても 決して包丁の刃をいためない トントントン 音がうれしそう ホオノキはモクレン科 ひかえめな木 ぼくは下駄の歯と マナイタでいい 低級な木のホオノキでいい 生まれたところも香美郡在所村 朴ノ木(ホオノキ)だしね

(以上、石碑より引用)

やなせ先生の詩集があったらぜひ手に入れたいと思います。

もう一方の石碑には

20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園 アンパンマンのマーチ 歌詞20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園DSC_0131 20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園DSC_0130 20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園DSC_0132 20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園DSC_0162

アンパンマンのマーチの歌詞が刻まれています。歌詞がかかれているので、石碑の裏側にはJASRACの番号も刻まれています。

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公園内には、おなじみのショクパンマンやカレーパンマン、メロンパンナちゃんとジャムおじさんもいました。(ばたこさんと、めいけんチーズは?)

遠くからもわかるように、公園の名前の書かれた横断幕があります。目印になりますね!

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しかし、なんとよい土地なのでしょう。なんだか離れるのが名残惜しい気持ちになる、風光明媚な場所です。新緑の季節で日差しもあたたかく、とても気持ちよくお墓参りできました。

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それにしても段々畑の石垣が幾重にも重なって見えて、とっても綺麗です。さてそろそろ公園を後にしてみます。来た時とは別の道で離れてみます。

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こちらの道から来るときは、↑複層の屋根の付いたこちらの蔵と、↑遠くからも見える横断幕が目印ですね!

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↑すぐの場所にある氏神様の厳島神社。むこうに公園の横断幕が見えています。ちょっと寄り道してこちらもお参りしてきました。

20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園 厳島神社DSC_0166 20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園 厳島神社DSC_0167 20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園 厳島神社DSC_0169 20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園 厳島神社DSC_0170 20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園 厳島神社DSC_0171

繊細かつダイナミックな石彫刻の灯篭です。すばらしい。

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規模は決して大きいとは言えない厳島神社でしたが、歴史を感じられる境内と拝殿、そして周りを巡る小川のせせらぎがここちよく癒してくれる、とても暖かな気持ちになる神社でした。きっとやなせ先生も毎日この前をあるいたのでしょうね。

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とても気に入ってしまった朴の木地区と、やなせたかし朴の木公園。またいつか尋ねてみたいものです。

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おまけ やなせたかし記念館 アンパンマンミュージアム

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高知県の子供たちにはおなじみのアンパンマンミュージアム。全国からもたくさんの方が訪れています。ゴールデンウィーク中ではありますが平日と言うこともあってすいていました。↑右下の写真、鯉のぼりとともに高知のみで見られる「ふらふ」という大きな旗、大漁旗に似た旗がたなびいています。鯉のぼりと一緒に子供の成長を願う旗です。フラッグが転訛して「ふらふ」と呼ばれているとか。

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↑元気ひゃくばいになりそうです。思わず「あーんぱーんち!」と口に出てしまいそう。

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↑この四角い建物がやなせたかし記念館、アンパンマンミュージアムです。

バイキンロボットがこちらをみてます!

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このロボット、実はかなり大きいのです。

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バイキンロボットの横の道には、キャラクターたちが並んで展示されています。

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石造りのアンパンマンたちもたくさんいます。

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黒い蝶々も飛ぶ、おだやかな日です。

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あんぱんちは、車でくる人をお出迎えしてくれているようですね!

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近隣の案内図です。

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なぜかダムのタービンも展示されています。

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水力発電の水車なんですね。でもここにあることでたくさんの方の目に触れることができているのは、とっても貴重なことだと思いました。

 

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・埼玉県上尾市 遍照院の藤が見事でした

2014年4月25日金曜日 晴れ

一昨日の写真ですが、弊社石材店の大塚が日頃お世話になっております遍照院さまの藤棚の藤が見事な花房を見せてくれていました。

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場所は、埼玉県上尾市上町にありJR高崎線の上尾駅東口から徒歩で約3分という駅前の街中にあります。旧街道の中山道と、国道17号線にはさまれた場所にあるので交通アクセスは鉄道、お車とどちらも便利です。

それにしても綺麗な藤です!

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撮影した場所は境内の鐘楼からなのですが、藤の花と山門と、ご近所にあるタワーマンションの「シティタワー上尾駅前」が次代を越えて上尾をそれぞれ彩っているようにも見えてきます。

遍照院さまでは、境内に実に様々な四季折々の植物が植えられていますので、一年を通して目を楽しませてくれます。

また、さまざまな催しものや教室などもされているようですので、ご近所にお住まいでご興味のある方は遍照院さまのサイトを見てみてはいかがでしょうか→遍照院さまサイト

 

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