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行楽・お出かけ」カテゴリーアーカイブ

・のぼうの城に登場した丸墓山古墳 さきたま古墳公園 石田堤 その②

2014年3月7日金曜日

昨日の記事、のぼうの城に登場した丸墓山古墳 さきたま古墳公園 石田堤 その① の続きになります。

石田堤 忍城 水攻 推定 地図小

前回は、弊社大塚がお墓をご案内している「さきたま霊園」すぐ近くの、埼玉県さきたま古墳公園にあります丸墓山古墳(忍城攻めの際の石田三成本陣跡)にのぼってみるべく、その足元にたどり着いたところまで書きました。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0071

さていよいよ登ってみます。頂上まで続く階段を登っていくと・・・

頂上は円形の生垣で囲まれており、桜の木が点在しています。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0074

後ろを振り返ると・・・

階段の下に伸びている砂利道が石田堤になります。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0073

やっぱりこの高さからだと武蔵野平野というものをよく感じることができます。とにかく平らですね~そんな中に点在している小山のような古墳たち。太古の昔はさぞ巨大に感じられたことでしょう。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0075

↑丸墓山古墳と忍城の案内板があります。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0077

案内板にはこうあります↓

天正十八年(1590)、豊臣秀吉の命を受けた石田三成は、総延長28km(一説には14km)の石田堤を築き、忍城を水攻めしました。丸墓山古墳は高さが19mもあり、周辺を一望できることから三成の陣が張られたと言われています。

北の利根川水系、南の荒川水系の水を流し込んでの城攻めは成功せず、豊臣秀吉が唯一落とせなかった城とも言われています。

↑以上、引用終了です。案内板によると、この方向に忍城が見えるとのこと。じっとその方向を見つめてみると・・・

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0080

お!

さきたま古墳 石田堤 石田三成陣 丸墓山古墳から見た 見える 忍城 本丸 御三階櫓 天守閣 DSC_0079

じゃじゃーん!忍城の御三階櫓が見えました。世にいう「天守閣」と呼ばれるもののカタチになっておりますが、江戸時代までの忍城には幕府への遠慮から、「天守閣は存在しない」ということになっていました。ただし、天守はなくとも隅櫓が三階建てになっており、事実上の天守の役割を担っていました。江戸時代の歴代藩主は松平氏や阿部氏など、譜代大名でありました。川越や小田原などと同様、江戸周辺の要衝として信頼のおける大名しか配置できなかったのでしょう。だからこそ余計に「幕府に遠慮して」という構図が生まれやすかったのかもしれませんねぇ。江戸幕府は「事なかれ主義」の時代でもありましたし。

小説・映画で大ヒットした「のぼうの城」、石田三成の水攻めのあった天正18年の忍城は北条方、成田氏の城ですので天守はありませんでした。なので、上記写真のような光景は石田三成はじめ上方勢の武将の大谷吉継、長束正家、真田昌幸、信繁(真田幸村)父子には全く違った光景が広がっていたはずです。↓当時の想像図(別記事より)

DSC_0046 (2) DSC_0045 (2) DSC_0042 (2) DSC_0041 (2) DSC_0048 (2) DSC_0047 (2)

↑クリックで元画像を見られます。これらの画像は近くの上越新幹線の下にある石田堤史跡公園にあったパネルです。

ちなみに、この丸墓山の上には、関東管領上杉謙信公も陣を張った過去がありました。天正2年とのことなので、三成の忍城攻めの8年前ですね。謙信公も忍城を落とすことはできませんでした。上杉謙信と忍城城主成田氏との間には、天正元年に当主成田泰の下馬打擲事件という面白い因縁のエピソードがありますのでご興味のある方は是非検索してみてください。

さてそんな丸墓山頂上、ほんとうに景色がよく見えます。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0089

↑こちらは丸墓山古墳の隣にあります、稲荷山古墳です。「ヤマタケル」金文字入りの鉄剣出土で全国的にも有名な古墳です。この画像の左上に見えているタワーがこちら↓

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0090

行田市周辺の方にはおなじみの、古代蓮の里のタワーです。近年は田んぼアートのスポットとして有名です。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0091

↑こちらは真横から古墳を眺められます。将軍塚古墳です。

景色が良いので、遠くに見える山々も写真に撮ってみました。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0082 さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0083-

↑赤城山です。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0087 さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0085-

↑栃木県の日光連山と男体山。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0093

↑栃木県佐野市の採石場かと思われます。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0094

↑わかりにくいかもしれませんが、東北自動車道の羽生ICと館林ICの間の利根川を渡る白い鉄橋が辛うじて見えます。方角的に、栃木県の佐野藤岡ICや佐野SAの近くの県南大規模公園や岩舟町の岩船山、栃木市の太平山あたりが見えていると思います。このあたりが連続して見えている山脈の一番右端になります。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0095

↑佐野市、岩舟町、栃木市方向。

では頂上も堪能できましたので、丸墓山を下りてみたいと思います。北側の斜面には一面の雪が残っていました。雪はやっぱり北側から吹き付けてきたんですね。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0096

↑山頂からみた階段と、↓階段下から見上げる丸墓山。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0098

雪景色の丸墓山というのも、とても風情を感じます。

さらに位置を変えて雪の丸墓山です。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0104

丸墓山の足元をぐるりと周る遊歩道をあるいて、丸墓山を登ったスタート地点の方に向かってみます。しかしながら、白い丸墓山もなかなか乙なものです。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0105

で、石田堤。前回の記事で丸墓山の南側の石田堤はご紹介しました。では北側は?ということで次の写真をご覧ください。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 雪 DSC_0107

 

↑こちらの写真の箇所、古墳のカタチがここだけすこし伸びているように感じられます。なんだか柵?看板の跡?もあります。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0106

↑そしてこ真後ろにはこんな土地が。写真だと分かりにくいのですが、道があったかのような形状の土地です。しかも一つ上の写真の出っ張り部分の延長線上にあたります。まさに石田堤だからこそ植林がなされていない!のかな?案内板があるとうれしいなぁと感じました。この箇所が石田堤だということについては、埼玉県立さきたま史跡の博物館のページの記述と写真で確認できました。

すぐ近くの森の中に、江戸期の石塔が並んでいました。石材店の人間としてはこういった石造りの加工品といいますか、供養塔にはとても興味が惹かれてしまいます。

さきたま古墳公園 DSC_0108 さきたま古墳公園 DSC_0109 さきたま古墳公園 DSC_0110

さて、帰り道です。全体地図と丸墓山古墳の位置関係を再度確認してみます。地図にも石田堤と書いてありますね。

さきたま古墳公園 DSC_0111 さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0112

駐車場に戻り、最後に行田市近隣の観光案内地図が二種類ありました↓クリックすると元画像が見られますので大きくしてみることができます。

さきたま古墳公園 DSC_0114 さきたま古墳公園 DSC_0116

この、さきたま古墳公園のすぐ近くの交差点脇にはこんな看板があります。

さきたま古墳公園 さきたま霊園 DSC_0117 さきたま古墳公園 さきたま霊園 DSC_0119

↑そきたま古墳のごく近所の、行田市の斎場に向かうT字路にあります。さきたま霊園です。弊社大塚がお墓をご案内している霊園になります。とってもきれいな霊園なんですよ!もちろん名前はここ「さきたま古墳」にあやかりました。お墓参りの行き帰りに公園散歩やお花見ができてしまう魅力的な霊園です。

↓近隣の方はわかると思いますが、この辺り一帯は本当に真っ平らな土地なんです。

さきたま古墳公園 周辺は平地 DSC_0120

こんな凹凸のない土地に石田堤という堤防をつくって水攻めを考えてしまうなんて、豊臣秀吉はすごいですね~。そして失敗はしたものの実行に移し堤防を完成させた石田三成もなかなかのものです。

帰り道の途中には、大雪でこわれてしまったビニールハウスも。たかが雪とは言い切れない、甚大な災害ですね。

さきたま古墳公園 雪で壊れてしまったビニルハウス DSC_0121

そして最後にこちらの交差点にご注目を。古墳のすぐ近くの交差点です。

さきたま古墳公園 埼玉交差点 DSC_0122

そう、埼玉の名前の由来となった「埼玉(さきたま)」という土地なんです。その名前を持った交差点。

さきたま古墳公園 埼玉交差点 DSC_0123-

今回の記事はここまで。また関連の記事を書きましたらよろしくお願いいたします。

————

参照記事 石田堤についての以前の記事

のぼうの城に登場した丸墓山古墳 さきたま古墳公園 石田堤 その①

のぼうの城に登場した土堤、石田堤に行ってきました

忍城水攻 石田堤 行田市 鷺栖神社

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・のぼうの城に登場した丸墓山古墳 さきたま古墳公園 石田堤 その①

2014年3月6日 木曜日 晴れ

本日は、弊社大塚がお墓をご案内している「さきたま霊園」すぐ近くの、埼玉県さきたま古墳公園にあります丸墓山古墳に先日行ってきましたので写真とあわせてご紹介いたします。

さきたま古墳公園は9基の大型古墳が集中する東日本最大の古墳群として有名なのですが、特にその中でも円墳としては日本で一番大きな「丸墓山古墳」や、稲荷山古墳から出土した鉄剣の金文字に「ワカタケル」の文字が発見されたことで日本中に名前がとどろいた古墳群でもあります。国の史跡指定を受けており、「さきたま風土記の丘」として整備されています。また近年は世界遺産登録にむけての取り組みもなされているようで、大きな看板なども見られます。

今回は、この古墳群のうちの丸墓山古墳を目的に訪問してきたのですが、趣旨としては、小説・映画の「のぼうの城」に登場した石田三成が本陣を構えた丸墓山古墳とはどういった場所なのか?行田市を中心に残る、水攻めに用いられた土手である「石田堤」が丸墓山古墳にどのように残っているのか?を目で確認してきました。

石田堤 忍城 水攻 推定 さきたま古墳公園 丸墓山古墳

(石田堤についての以前の記事→ のぼうの城に登場した土堤、石田堤に行ってきました 、 忍城水攻 石田堤 行田市 鷺栖神社 

 

それでは早速公園駐車場よりスタートです。画像はそれぞれクリックすると大きく表示されます。

さきたま古墳公園 DSC_0030 さきたま古墳公園 DSC_0031 公園全体の地図がありました。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0032 ここが今回の目的地の丸墓山古墳。

さきたま古墳公園 DSC_0033 さきたま古墳公園 DSC_0034

さすが国の史跡、県の公園というだけあって、表示板や案内板がたくさんあります。また公園内というか公園隣接地というか、公園ではないエリアとも入り組んでおりまして、公園隣接の場所にはこのような掲示物もみられました↓

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0035 さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 さきたま古墳公園 DSC_0039

行田見処案内所、休処、古墳亭さんの壁面に、のぼうの城のポスターと手書きの説明書が掲示されてます。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0038 

このように書かれています↓

壮絶なる戦国ドラマ“のぼうの城”11月2日全国公開

時は西暦1590年(天正18年)西国を制した豊臣秀吉は関東責めに入ります 狙うは関東の巨城小田原城 16万の大軍にて小田原城を包囲した秀吉は 最も信頼できる配下 石田三成に命じます 「この際 小田原方に味方するすべての城をつぶせ」 三成は2万の軍を引きつれ 館林城 羽生城など次々に制圧 残るはこの地の忍城のみ この時 三成の軍勢は2万3000 忍城方は城主成田氏長が500の群を従え小田原城の守りに出ていたため 成田長親(のぼう様)始め 正木丹波 柴崎和泉守 坂巻靱負 城主氏長の娘甲斐姫等軍勢わずか500なり 三成の軍使 長束正家が和戦開城を迫る中 忍城方総大将城代成田長親は「戦いまする」と言う 2万3000対500 壮絶な戦いが始まります しかし三成軍は忍城を落とすことはできなかった 天下人と呼ばれた秀吉が日本で唯一落城させることが出きなかった城がこの行田にあったのです

追伸 のぼうとは 木偶の坊(でくのぼう)そこにいるだけでまったく役に立たない人のことの略

↑以上、引用しました。

こちらの古墳亭さんは目の前に大きな古墳がある場所にあります。

さきたま古墳公園 DSC_0040

大きな堀をめぐらせた、二子山古墳です。はい、大雪のあとに行きました。普段は歩きやすい場所も雪がたんまりと残っていて、とてもではありませんが二子山古墳にはたどり着ける自信がありませんでした(^_^;)

さきたま古墳公園 DSC_0045 さきたま古墳公園 DSC_0046 さきたま古墳公園 DSC_0047 さきたま古墳公園 DSC_0048

さらにその左の方には、↓将軍山古墳が見えています。

さきたま古墳公園 DSC_0044

↑よくみると古墳の左奥に「古代蓮の里」のタワーが見えました。(画像クリックで元画像を見ることが出来ます)

途中にはこのような銅像も↓

さきたま古墳公園 DSC_0049

「一源三流」とあります。柔道家吉川栄氏の銅像で、氏同様に柔道着を着た少年が寄り添っており、少年に行く先を指示しているカタチになっているように見受けられました。

さて、丸墓山までもう少しです。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0052 さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0053

↑丸墓山が見えてきたのですが、その時の足元はというと右の画像です。まだ10cmは雪の層がある感じで、ザクザクと歩いてきました。

そしてやっとの思いで石田堤にたどり着きました。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0057

年代物の看板があります。↑の地図の右上の丸いところが丸墓山古墳。丸墓山を横断する道の左側が石田堤です。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0054

正面の並木奥に見えているのが丸墓山古墳。そしてそこに続くこの道が「石田堤」です。400年の時間とともに、一時的な土手であった石田堤も数えるくらいしか現存しておりません。そんな中の貴重な一部です。きっと「のぼうの城」のヒットのおかげでここを訪問する人も増えたのではないでしょうか?

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0055 さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0056 さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0059 クリックで元画像

法面わかりますでしょうか?斜面の下側は蓮の田になっています。高低差1メートルから1.5mくらいに見受けられます。今では、丸墓山古墳への参道、メインストリートとして桜並木になっています。↑の右の写真に石田堤についての案内板があります。道の足元にごくさりげなく・・・という感じです。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0060

石田堤 この一段高い桜並木は、天正18年(1590)に豊臣秀吉の命を受けた石田三成が、忍城を水攻めした際の堤の一部です。長さ28km(一説には14km)に及ぶ堤をわずか5日間で築き、利根川と荒川の水を流入させたと言われています。三成の陣は丸墓山古墳の頂上に張られました。

このあとも公園内を歩いたのですが、石田堤についての案内板はここの一つだけでした。しかも足元にさりげなくなので、気が付かずに通り過ぎてしまいそうです。見学に来られる際は見落とさないようにお気を付け下さい。

さらに進みますと、桜並木がおわり、目の前に丸墓山古墳が待ち構えています。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0062

今は冬で、しかも数日前に雪が降ったばかりなので混雑してはしませんが、ここは桜の名所としても有名で、丸墓山古墳の頂上にある桜の木も満開時にはとても綺麗なんです。お花見の季節にはとても大賑わいの公園なんです。以下四点花見シーン(2009年4月の写真です)。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 花見 DSC_0063 (2) さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 花見 DSC_0017 さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 花見 DSC_0014 さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 花見 DSC_0005

まるで別世界ですね!

丸墓山を登る手前に案内板がありました。

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0063 さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0064 さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0065 さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0066

クリックしますと大きな写真で見ることができます。この案内板にも石田堤の説明がありました!↓

丸墓山古墳 直径105mあり円墳では日本最大です。墳丘は埼玉古墳群の中で一番高く、約19mあります。墳丘に使われた土の量は二子山古墳より多かったという試算もあります。出土した埴輪から、6世紀前半ころに築かれたと推定されています。埋葬施設の内容は、現在のところ確認されていません。

南側から古墳にいたる道は、1590年に石田三成が忍城を水攻めにした時に築いた堤防の跡といわれている「石田堤」です。水攻めの際には、古墳の頂上に陣が張られました。

平成19年(2007年) 埼玉県教育委員会

↑以上、引用しました。

丸墓山に上る階段の脇に案内板があるのですが、この階段手前あたりからは右手に稲荷山古墳もよく見ることができます↓

さきたま古墳公園 丸墓山古墳 石田堤 DSC_0072

↑手前の柵で囲われているのが丸墓山古墳の足元にあたります。雪が積もっているのは北西斜面。南側には雪は積もっていません。写真で見えている広い土地にも、忍城攻めの際には陣幕や陣小屋、兵の詰所があったと思うとワクワクしてしまいます。もっともそもそも古墳群なので、古代ファンにはすべてがワクワクの大将なんでしょうけれども、本日の趣旨はあくまで「石田堤」と「石田三成陣所跡」なので、ごめんなさい。

さて、いよいよ丸墓山古墳、上方勢の一手の大将、石田治部少輔三成陣跡に(攻め)上ってみようと思います!

はたしてどんな景色が拝めるのか?請うご期待。

DSC_0079-

のぼうの城に登場した丸墓山古墳 さきたま古墳公園 石田堤 その② につづく)

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社②

2014年2月28日金曜日 とても温かい晴れ

昨日の記事「・日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社①」の続きになります。日光御成街道の鳩ヶ谷宿(旧鳩ヶ谷市、現川口市)の鳩ヶ谷氷川神社のご紹介の二回目です。鳩ヶ谷氷川神社は地下鉄南北線とも直通している埼玉高速鉄道の鳩ヶ谷駅から歩いて行くことができます。鳩ヶ谷の総鎮守だけあってとても重厚で美しい神社です。

昨日の記事では、境内の様子と本殿(拝殿)に向かう門までご紹介いたしました。

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3586 クリックで拡大

↑この重厚な門をくぐると・・・りっぱな拝殿があります!小さなお子さんも参拝に来られていました。

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3587

御神籤を引いてみましたところ、まずまずの小吉でした。拝殿側(内側)からみる門もまた重厚な趣があります。

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3588

拝殿に向かって右側、須賀神社の御神輿を見ることができます。

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3591 日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3590 クリックで拡大

拝殿の右奥には、さまざまな石碑が並んでいます。石材店の人間としてはこういった石造りのものについつい目がいってしまいます。

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3592 日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3596 クリックで拡大 

拝殿のうしろの本殿が見えてきました。切り妻から点に続く板が外削ぎになっています。男千木です。祭神は氷川神社というだけあるので素戔嗚尊(スサノオノミコト)です。立派な男神様です。

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3595

さらに進んでいくと、いくつものお社が並んでいます。

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3593 日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3597 日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3599 クリックで拡大

境内には本殿の他、前述の須賀神社、天満宮、三峰神社、浅間神社、古峯神社、弁天様、稲荷社、猿田彦も祀られています。

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3598 クリックで拡大

戦没者慰霊碑の前には、「笑う少女像」が。愛らしい表情で佇んでいます。「平和を永久に」とあります。本当にそうあってほしいものと願います。

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3600 クリックで拡大

日露戦役紀念碑と力石、稲荷社が見えますが、ここは本殿の真裏にあたります。

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3601 クリックで拡大

↑神社などに時々ある力石。とてもではありませんが持てる大きさと重さな気がしません(^_^;)きっとものすごい力自慢さんがいらっしゃったのでしょうね!

↓こちらは日露戦役紀念碑です。

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3602 クリックで拡大

とても立派な書が刻まれています。

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3603

やや!私気が付きました!

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3603-

なんと「海軍大将東郷平八郎書」とあるではありませんか。由緒正しい書を持つ紀念碑であります。

そしてさらにその奥には、夫婦楠があります。ご神木なんですね!

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3604

そういえば、大宮にある武蔵一ノ宮氷川神社にも楠が植えられていてご神木、パワースポットとして大切にされています。氷川神社と楠って、きっと深いつながりがあるのかもしれませんね。

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3607 日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3605 日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3606

時間にして10分くらいでしたが、神社の持つ凛としていてそれでいて温かみのある空気にふれられて、心身ともにリフレッシュ。また近くを通る時には寄らないと!と感じてしまいました。また来ます。

 

関連記事「・日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社①

 

※鳩ヶ谷氷川神社から遠くない場所にあります、川口元郷聖地かわぐちの杜川口フォーシーズンメモリアル川口光輪メモリアルにご興味ありましたらそれぞれリンク先も是非ご覧ください。

 

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社①

2014年2月27日木曜日 雨と霧

先日行ってきました埼玉県は川口市の鳩ヶ谷の総鎮守である氷川神社。今日はこちらをご紹介いたします。霊園・墓石店である大塚の一社員であります私ブログ担当のT、川口元郷聖地からの移動の途中に寄ってみました。川口元郷聖地かわぐちの杜川口フォーシーズンメモリアルからも遠くない場所にあるのが鳩ヶ谷氷川神社です。

埼玉県川口市の鳩ヶ谷の中心地、埼玉高速鉄道の鳩ヶ谷駅の近くに鳩ヶ谷氷川神社はあります。平成の大合併により、2011年10月11日に川口市と鳩ヶ谷市とが合併し川口市となった鳩ヶ谷市。そんな鳩ヶ谷の中心地は日光御成道の宿場として栄えた歴史があります。宿場町の中、氷川神社に向かう道があります。

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3610 日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3611 日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3573 日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3574←クリックで拡大

一の鳥居から銀杏並木が続いており、奥に見える鳩ヶ谷氷川神社の存在感を引き立たせてくれています。

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3575

決して巨大な神社、社殿ではありませんが、なかなかに美しい佇まいの立派な神社です。氏子のみなさんや街のみなさんの神社を信奉している大きな気を感じられるような気がします。

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3577 日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3576 ←クリックで拡大

鳥居をくぐると対の狛犬がいらっしゃいます。右側の阿形の狛犬、なんと子連れです。左の吽形の狛犬は玉のようなものを前足で抑えています。右の阿形が母犬で、左の吽形が父犬?石材店のブログ担当Tとしてはこういった石造りの文化にとても惹かれてしまいます。

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3578 ←クリックで拡大

↑手と口を清める、手水舎。左側に水神宮と銘を刻んだ石碑が置かれています。竜神さまの口から聖水が流れていました。

境内の本堂に向かって左側には「御神水」が湧き出ています。

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3579 日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3580 日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3581 クリックで拡大

↑この御神水は境内地下から汲み上げられた湧水だそうで、心身を祓い清め、拝受することにより運気を向上させると言われているとか。自由に汲んでよいようですが、飲む場合は煮沸してからお召し上がりをと明記されてます。

ここには、川口市指定有形文化財・歴史資料である「鳩ヶ谷絵図」が伝わっているようです。

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3582 日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3583 日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3584

案内板にはこうあります↓

表題に「御宮地(おみやち)地図」とある巻物で、市内最古の絵図です。日光御成道(にっこうおなりみち)を中心に鳩ヶ谷宿の町割と用水、宿内の神社や寺院などが描かれています。

絵図の内容は、中央に日光御成道があり、江戸方向から小渕村と辻村、一方、岩槻方面には浦寺村までの範囲が描かれています。御成道の両側には、一軒ずつ屋敷地の間口と奥行きの寸法が、さらにその居住者名などの宿内の屋敷六十九軒分が細かく記録されています。また、御成道が渕江(ふちえ)用水(現在の見沼代用水)を渡ったもとから氷川神社へ至る参道、八郎兵衛(鳩ヶ谷宿本陣船戸家)を抜けて入る源性寺通(げんしょうじみち)、十右衛門(現在の竹屋晝間家)手前から入る横道などの様子も詳細に見られます。

製作年代については不詳ですが、絵図中にある「渕江用水」・「氷川大明神禰宜七右衛門」・「天神町中抱(てんじんまちじゅうがかえ)」・「熊野見捨地」・の記載の他、屋敷地の人名や並び順などから、元禄十年(1697)に作成された「鳩ヶ谷町検地野帳」と合致するので、おそらくその頃に描かれたものと推定されます。

川口市教育委員会

↑以上引用です。

境内には神楽殿もありました。祭礼の際などに神楽や舞など披露されるのでしょう。

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3585

いよいよ参拝になりますが、まずは立派で重厚な門をくぐります。ここから先の大切な空間を守る結界として構えられているこの門、優雅ながら重々しく美しさがあります。

日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社 DSCN3586

そしていよいよ本殿(拝殿)へ!

 

と、本日の記事はここまで。

まだまだ見どころたくさんの鳩ヶ谷氷川神社。続きはまた明日にでも書いてみようと思います。

日光御成街道の魅力も追って順々に書いていけたらなぁとも思っていますので、書きましたらまた読んでくれるとうれしいです。

つづく→「・日光御成道 川口市鳩ヶ谷 鳩ヶ谷氷川神社②

 

※鳩ヶ谷氷川神社から遠くない場所にあります、川口元郷聖地かわぐちの杜川口フォーシーズンメモリアル川口光輪メモリアルにご興味ありましたらそれぞれリンク先も是非ご覧ください。

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・埼玉県吉見町 岩室観音に行ってきました

2014年2月25日 火曜日

先日、埼玉県吉見町にあります、岩室観音に行ってきましたのでご紹介いたします。

ここ岩室観音は、東松山市街からほど近い吉見百穴に隣接しています。すぐ裏手に広がる山は、武州松山城の跡地で、松山城の搦め手の一部にも位置しています。

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岩山のはざまに、とても歴史を感じさせる趣のお堂があります。そして両サイドの岩山もくりぬかれているんです。

 

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向かって右の岩穴↓

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反対側(向かって左側)です↓

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こちらの石仏は八十八体あり、こちらで拝むと、四国八十八カ所を一遍にめぐるのと同じ功徳があるそうです。

↓こちらは胎内くぐり。ここをくぐると諸難を除き、安産その他の願いごとが叶うと言われて居ます。とあります。そして二階にはご本尊が鎮座されています。

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天井というか梁というか、とにかく千社札がいっぱいです。

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このお堂の裏側は峻嶮な山道が続いていて、ここを上っていくと松山城に上ることができます(滑りやすいので注意が必要)

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ものすごい道?です(^_^;)

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くさり場もあります。そしてここを登るとたどり着くのがこちら右側の写真↓

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こちらも胎内くぐりのようにも思えます。そうなのかな?

案内板がありました。この近隣は吉見町百穴ふるさとの緑の景観地として指定されているようです。

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現在のお堂は江戸時代の寛文年間(1661~1673)に建てられたものだとか。珍しい懸造りという様式のお堂だそうです。

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↓こちらの看板はお寺様の建てたものかと思いますが、なんと空海(弘法大師)さまが建てたと記されています。

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そしてその後、天正の世に太閤秀吉の北条攻め、関東征伐の際に石田三成の部下によってすぐ裏の松山城が燃やされ、その余炎によって類焼してしまったそうです。が、尊像だけは無事に残っていたとか。(石田三成の北条攻めについては、こちらの記事や、こちらの記事でも忍城攻めも書いています)

そしてこの懸造りという様式は、京都の清水寺の観音堂をはじめとても珍しい作りだということが書いてあります。

この日、このあと裏山の松山城に登ってみたのですが、それはまた別の記事で書いてみます。

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↑岩室観音堂の裏(松山城側)から見た様子

吉見百穴はすぐ隣にあります。

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昔武田信玄がここ武州松山城を攻めに来た際、甲州から金山衆を呼び寄せ、百穴の岩山から坑道を掘らせて城に侵入しようとした作戦を立てたりしたこともあったとか。

古代人のお墓?とも住居跡?とも言われている百穴のほか、いろいろな歴史のあるエリアなのですね~

ちなみに墓石店、石材店としてはここからそう遠くない森林公園昭和浄苑や、鴻巣霊園はお勧めの霊園です。

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・2年ぶりにスノーボードに挑戦しました

2014年2月24日 月曜日 晴れのち曇り

今日は、大塚本社受付のSSさんに記事をもらいましたのであげてみます。以下本文です↓

 

2年ぶりにスノーボードに挑戦しました。場所は、信州長野県の佐久市、佐久スキーガーデンパラダ。上信越自動車道の佐久平PAと直結しているゲレンデです。

初めて滑った時は吹雪いていて、転ぶと痛いし、怖いし、もう2度とやらないと決めていたのですが

今回はお天気に恵まれ、雪が柔らかかったので案外楽しくリベンジできました(^^)!

2年ぶりにスノーボードに挑戦しました IMG_3208[1] 2年ぶりにスノーボードに挑戦しました IMG_3207[1]

翌週、覚えているうちに滑りに行こうとバスツアーを予約していたのですが、大雪の影響でツアーが中止…

その為、急遽いちご狩りに変更!

1つのいちごがとても大きかったので、30分間食べ放題で満腹でした(^^)

2年ぶりにスノーボードに挑戦しました IMG_3272[1]

その季節にしか体験できない事をこれからも満喫していきたいです(^O^)

 

 

・フリーマーケット

2014年2月22日 土曜日 晴れ

今日は猫の日、竹島の日、エジプトのアブ・シンベル神殿の奥に陽が届く日(年に2回しかないそうです)・・・各地で何かと話題の日ですね。

そんな本日、フリーマーケットをやっていました。

フリーマーケット目的ではなかったのですが、偶然開催されているのを発見!という感じです。

フリーマーケット フリマ ウニクス 伊奈 DSCN3637

日用雑貨や手作り手編みの服や装飾品、ベルトなどの革製品や念珠などのパーストーン、子供のおもちゃやあかちゃん用品、ホビー関連のフィギュア、色々なアイドルのグッズ・・・

実に雑多に品物が並んでいて、見て歩くだけでもとても楽しい気持ちになります(^-^)

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眺めているだけで時間を忘れてしまいます。今日土曜日だけのフリーマーケットではなく、明日の日曜日も開催されるとか。ここウニクス伊奈では恒例となっているようなので、また機会があったら眺めにこようと思います。

フリーマーケット フリマ ウニクス 伊奈 DSCN3636

ちなみに余談ですが、通称フリマとも略されて呼ばれているフリーマーケット。昔ながらの蚤の市やガラクタ市の発展系で、ファミリー層に受け入れられて広まったそうですが、この「free market」という言葉は経済学の自由市場(じゆうしじょう)「free market」という概念でも同じ言葉が使われているので注意が必要・・・とwikipediaに書いてありました。

さて、次回のフリマでは何を買おう?

 

 

・さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました

2014年2月21日金曜日 晴れ

先日、埼玉県さいたま市西区にあります、秋葉神社に行ってきました。

さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました DSCN3311 さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました DSCN3312 さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました DSCN3313 さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました DSCN3315さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました DSCN3314

ご祭神は、火之迦具土大神(ホノカグヅチノオオカミ)、火の神様です。火災などから守ってくれる神様というわけです。千代田区にある電気街の秋葉原は、江戸時代には「秋葉が原(あきばが原)」とも呼ばれていました。江戸の大火除けの広場があり、火事除けの神様の秋葉神社がありまして、その火除けの広場(広小路)を秋葉原と呼んだわけです。いつの間にか今ではすっかり「あきはばら」ですね。

さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました DSCN3316 さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました 秋葉宮 額 DSCN3324 さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました DSCN3326 さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました DSCN3327 さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました 拝殿と本殿 DSCN3315

本殿は「八ツ棟、三手先作り」という江戸時代を代表するつくりだそうです。八ツ棟とは、豪奢な屋根を重ねて配置する建築様式を指した総称だそうで、八つの棟があるわけではなく、「八」は複数という意味だそうです。本殿の切妻屋根の端っこ、棟の端にあるクロスしている木を千木と言いますが、これが地面に対して水平に切られていたら女神。地面に対して垂直に切られているので、男神さまだということがわかります。棟に横たわるちくわ、海苔巻のような木は鰹木と言うらしいです。鰹木は5本あるようですね。(いろいろと即席で調べてみました。間違えていたらごめんなさい。)

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ここでは、無形文化財になっている地域では有名な「秋葉ささら獅子舞」が維持保存されています。毎年7月15日に近い土曜日には祇園祭が行われ、そこでこのささら獅子舞が舞われます。

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墓石店、石材店である弊社。私ブログ担当のTも自然に石造りの灯篭や石碑に目が行ってしまいます。どちらも歴史を刻んだものでとても興味をもって拝見させてもらいました。

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さまざまな大木があります。↑こちらはスダジイ。

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↑こちらはアラカシ。ご神木みたいですね。

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↑ゆずでしょうか?小さいミカンのような柑橘類の木です。

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↑立派な松の木です。あ、あそこにいるのは・・・。

そして↓ここにも!なんだか今日は彼ら黒い鳥たちがいっぱいいました。集会でもしていたのかな?

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↓おっと、ここにはこんな方も。

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政令市のさいたま市なのにとても静かで環境のよい秋葉神社。気持ちもすっきりしました。

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↑空から見送ってくれているカラス。

ちなみにこちら秋葉神社からは、彩の恵やすらぎの杜さいたまメモリアルパーク西上尾メモリアルガーデンも車でそう遠くないところにあるんですよ。

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・埼玉の新名所?珍名所? ― 桶川の美少女

2014年2月19日 水曜日 晴れ

埼玉県桶川市でひそかに話題となっている「桶川の美少女」。通りすがりに見ることができましたのでちょっと写真を撮ってきました。

埼玉の新名所?珍名所?―桶川の美少女 DSC_0006

「桶川の美少女」に間違いありません。大工岡野靖夫さんの作品だそうです。この桶川の美少女には、水戸黄門で言えば助さん格さんに当たる守護者、とりまきがいます。

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パンダさん(ノボリ旗と笹を手に)と

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強そうなライオンさんです。

それではメインの「桶川の美少女」をご紹介いたします!

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なんと水辺に佇んでいるようです。そして・・・

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じゃじゃーん!なんと水着です。しかも赤色。

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繰り返します。「桶川の美少女」に間違いありません。

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立体的な造形になっています。

この桶川の美少女、いろいろなメディアなどに紹介されているようで、建て看板に記事が貼ってありました。

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埼玉新聞です。2013年1月16日の記事なので、もう一年以上前に掲載されていたのですね。記事によると、2009年には登場していたということ・・・。最近知りましたので、もっとアンテナを張っておかないと!と痛感しました(^_^;)

ほかにも↓このような掲示物があります。

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コンクリを固めてつくった作品なんですね~。

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どうやら歌もあるようで、歌詞が三番まで書かれていました。大工岡野靖夫作詞作曲とありますので、どんな曲なのか気になってしまいます。

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県道12号、川越栗橋線を川越方面から栗橋方面に向かうと左手に見えてきます。場所的には、ここのすぐ近くに桶川西小学校のすぐ近くで、最近整えられた滝宮バイパスとよばれる周辺に位置しています。はす向かいにミスタータイヤマンさん、農家の店しんしん桶川店さんとセブンイレブンさんの中間にあります。県道沿いなのでご存知の方も多いでしょうし、すぐに見つけられると思います。鴻巣のひな人形屋さんの広田屋さんの看板のすぐ近くです。場所はここです→グーグルマップ 

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今日も道行く人々の交通安全を見守ってくれているのでしょうか。目の前の県道12号川越栗橋線は、圏央道桶川北本ICと東北道久喜ICや圏央道白岡菖蒲ICを結ぶ大切な道です。圏央道のつながっていない今、この県道が完全に二車線になったことはとても大きいです。もうすぐ完成する圏央道桶川加納ICにも接続しますし、現在着々と進められている上尾道路ももう少しでこの道に接続されます。完全に動脈道路へと進化している途中なのです。(近隣の圏央道の進捗状況については、こちらこちらこちらなどをご参照ください)

そんな大切な道路を見守る「桶川の美少女」、桶川の新名所となるのか、珍名所として有名になるのか、気になるところです。

※桶川の美少女だからといって、赤い水着だからといって、よそ見しないようご注意を。

ちなみに、ここからだと上尾靈園がとても近いのでおすすめです(^○^)

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・横浜市にある、戸塚長沼霊園に行ってきました

2014年2月17日月曜日 晴れ

先日、神奈川県横浜市栄区長沼町にあります、戸塚長沼霊園に行ってきましたので写真をご紹介いたします。

横浜市にある、戸塚長沼霊園に行ってきました DSCN3346

訪問した日はあいにくのどんよりした曇り空でした。

ここ戸塚長沼霊園は、根岸線の本郷台駅や東海道線や、ブルーラインの戸塚駅から行くことができます。

高台にあるので、水はけも良く、吹き抜ける風もきもちのよい霊園です。

↓こちらは霊園で一番高い場所から見える景色。晴れていれば富士山を拝むこともできるんです。

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管理事務所もあり、施設は充実しています。

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霊園内には、ちょっと一息つけるベンチとテーブルもありますので、お墓参りの休憩にも使えます。

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永代供養墓もありますので、戸塚長沼霊園の墓地を求められた方は安心できると思います。

横浜市にある、戸塚長沼霊園に行ってきました DSCN3347

ご興味ありましたらこちらのページ→戸塚長沼霊園 も是非ご参照ください。

※この記事は、平成26年2月現在の写真と情報になります。区画には限りがありますので、ご希望の区画をご案内できない場合はご容赦ください。

 

 

より詳しくは、下記問い合わせまでお気軽にご相談・ご質問ください。お墓ディレクター有資格者(石産協)やお墓相談員(全優石)など専門の知識のある者が丁寧にご対応させていただきます。

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