立松和平の立松和平の墓紀行第2回は「良寛の墓」である。
新潟県長岡市島崎に広がる田野に「隆泉寺」があり、そこに良寛は眠っている。
良寛は、子供と手鞠で遊ぶ姿が思い出されるほどに子ども好きである。
江戸時代の禅僧・歌人・詩人でもある。
諸国を修行して帰国、国上山の五合庵などで脱俗的な生活をする中で書や詩、歌を詠んだりした。
JR小島谷駅下車徒歩15分
良寛と弟子貞心尼の最後の唱和歌はこのようである。
良寛が死に至った病は直腸癌といわれている。下痢の垂れ流し状態に
なっていて、良寛はこれを止めるため食を断った。ついで薬を断ったとされ
る。看病していた貞心尼が「効き目もないと薬も飲まず食事も断って、雪が
消えるように自分の命が消えるのを待っているのですか」と問う。すると
良寛が応える。「急に食事を断ったというのではありませんが、ちょっと心
を安らかにして、その時を待とうと思っているのですよ」
ここには自然に身をまかそうとする穏やかな心の流れがある。死を受容
しようとする安心の境地である。
また次のような連短歌も残っている。
寄せては返す沖の波は、この世に生まれて去っていく人生と同じですねと
貞心がいい、あなたの言葉は実に明解ですねと良寛は応えている。師と
弟子の心が通った穏やかな情景である。
良寛が遷化したのは、天保二(一八三一)年正月六日申の刻(午後四時頃)
であった。身を寄せていた木村家の菩提寺隆泉寺の木村家墓地に
葬られた。曹洞宗の禅僧の良寛であるが、浄土真宗の寺に葬られたのだ。
いかにも物事にこだわらない大らかな良寛らしい墓である。
良寛が笑っているような気がした。
国上山の中腹にある真言宗の寺院。和銅2年(709)に
建立された新潟県最古の寺院で、ご本尊は阿弥陀如来。
古文書などによれば、行基菩薩によって開眼されたという。
良寛のほか上杉謙信、源義経・弁慶、酒呑童子、親鸞上人、
慈覚大師、夢窓国師などが来山しており、縁起も多くある
寺院。 今年で開山1300年を迎えた。
良寛が玉島( 岡山県倉敷市)の円通寺で厳しい修行を
終え、各地の名僧を訪ねて研さんを重ねたのち、越後に
戻った良寛が寛政5年(1793年)ころから59歳までの
20年間、この五合庵に 住んだ。その後、少し山を下った
ところに鎮座する乙子神社境内の草庵に移ったとされる。
もとは国上寺本堂を再建した客僧「萬元上人が毎日米五
合を給されていたことに由来されている。
越後一の宮として名高い弥彦神社です。
境内は広く、門を入ると弥彦山を背景と
した神殿の全体像が見えます。旧本殿は
明治45年に焼けてしまい約90度左に
向きをかえ、森林を切り開いて再建され
ました。旧本殿左側に良寛の詠んだ
御神木の椎の木があります。60才代の
良寛と愛弟子,貞心尼の書や詩歌を中心 に、ゆかりの文人墨客の作品も含めて 展示しています。ビデオルームでは 「和島の良寛・良寛と貞心尼」など大型 スクリーンで映像が楽しめ、良寛を身近に 感じることもできます。
年中無休 午前9時〜午後5時