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立松和平の墓紀行 第四回

第四回 孤島の墓

この島には和牛の原種の見島牛がいる。 日本で最も古い和牛として、今日まで混血 することなく飼育されてきた牛、と立松和平 氏がいう「見島」は、山口県萩市の沖合に あります。

お墓は、冬の大陸からの烈風で石で囲まな ければならないほど、といいます。そのお墓 の姿、形に立松和平氏は多くのことを感じて おられているようです。
立松和平の墓紀行・第4回は、「孤島の墓」です。今では、釣りやダイビング、バード ウォッチングなど多くの観光客が訪れる「見島」ですが、氏は、「島」の生活や文化、 歴史を訪ね歩く旅を提唱しておられるように思われます。

交通アクセス

山口県 見島

見島にはタクシー・バス・レンタカーはありません。移動手段は自転車か徒歩になります。

萩港から出ている高速船で
1時間15分

孤島の墓

見島は山口県萩市の沖合い四十四・三キロの海上に あり、船で約七十分かかる。萩諸島で最も大きな島で、 面積七・七三平方キロ、周囲十七・五キロ、 人口一千二五六人、最高所一七五メートルである。 変哲もない離れ島のようなのだが、この島には和牛の 原種の見島牛がいる。やや小ぶりの牛だが、連綿と血を 繋いできたのである。本村湾に面した道路に、見島牛の 銅像があり、「見島ウシ産地 国指定天然記念物 (昭和三年九月二十日指定)」として、説明の看板が立ててあった。見島牛のことについて書いてある ことを要約する。
室町時代頃に朝鮮半島から渡来した。はじめは役牛として農耕や運搬に使われていただろうが、日本で 最も古い和牛として、今日まで混血することなく飼育されてきた。農耕は機械に頼るようになり今では もっぱら肉牛である。
毛は黒褐色、四肢は短く、小柄で、身体は締まり、バランスもよい。他の和牛にくらべて晩熟で、満三歳で ようやく繁殖年齢に達し二十歳ぐらいでも分娩するものもいる。肉質はよく、性質はきわめて温順、力が 強く、抗病性も高く、粗食に耐える。戦前は四百から五百頭を飼育、毎年約二百頭が出荷されたが、昭和五十年には三十頭まで減ってしまった。

現在は、 八軒の農家が九十頭の見島牛を育てている。ここまで 少なくなると、交配が難しくなってくるのが現実だ。
島を歩いていると、周囲を石で積まれた墓が目についた。
墓はおおむね立派であったが冬の大陸よりの烈風が想像 でき、墓は石で囲まなければならないということだ。

墓に、私は強く心ひかれるものがあった。ここは流人の島 でもあり、また狭い耕作地にしがみついて生きてきた人々 の表情が、これらの墓に染みついているとも思われた。墓を大切にしてきた島人の様子も感じられた。
見島を車で走っていると、見晴らしのよい高台に放牧場があった。バラ線で囲まれている放牧場には、 それぞれに種牛が一頭ずつと種付けしたい雌牛が数頭ずついれてある。島全体でも種牛は四頭しか いない。人工授精ではなく昔ながらの自然な繁殖法にこだわっているのは、雌牛にかかる負担がより 少なく、健康的な受精ができると考えられているからである。

近親交配が進むと、牛の身は小さくなり、病気がちに なる。繁殖力も弱くなる。見島の八軒しかいなくなった 飼育農家では、三系統の父系を守り、遺伝子が健康に つながるようにと綿密な計画のもとに計画を立てている のだ。それでも近親交配が進んでいき、見島牛の身体は ますます小さくなり、病気になりやすくなった。 それなら別の血をいれ、混血が進んでも身体が大きくて 丈夫な飼いやすい牛を飼えばよいと考えるのが合理的で ある。しかし、島の人たちは、長い間先祖たちとこの島を 耕して生きてきた見島牛にこだわるのである。 牛飼いの島人が私に話してくれた。

「見島にいれば見島牛は天然記念物ということになりますが、外に出せばそうではなくなります」
つまり、肉牛となるのである。農耕に役割がなくなって しまったので、それは仕方のないことなのである。
肉牛は生涯のうち最も長く生活した土地が産地とされて いる。神戸牛、松 坂牛、近江牛の素牛はたいてい但馬牛 で、生後十ヶ月で約百八十キロになる。見島牛は十ヶ月 育てて、せいぜい約百五十キロにしかならない。晩成型 の見島牛の成育は悪く、とにかく体重で取引される畜産 としては不利だ。それでも祖先とともに生きてきた見島牛 を島の人たちが産地として守ろうとするのは、昔からの暮しを守ろうとする気持ちとつながる。自らの歴史を喪失したくないということである。

周辺の見所

  • 1

    観音崎(宇津観音堂:市指定文化財)

    全国で三カ所といわれる正観音が祭られ、 昔からご利益 が多いといわれています。
    そのため、島民をはじめ北浦一帯、 遠く は四国、九州からも参拝客があります。
    堂の崎には仏石 の積まれた賽の河原も あり、独特の雰囲気があります。

  • 2

    ジーコンボ古墳群(国指定史跡)

    横浦海岸一帯にある積石塚古墳群で、 その数は約200基もあります。
    7世紀後半~10世紀初めに作られた 古墳で、高度な文化をもった指揮官 クラスの墓ではないかと考えられて います。

立松和平

1947年 栃木県生まれ
早稲田大学政治経済部卒業
在学中に「自転車」で早稲田文学新人賞を受賞
卒業後、種々の職業を経験、
故郷に戻って宇都宮市役所に勤務
79年 から文学活動に専念
80年 「落雷」で野間文学新人賞を受賞
93年 「卵洗い」で坪田譲治文学賞
97年 「毒_風間・田中正造」で毎日出版文化賞
2002年 歌舞伎座上演「道元の日」の台本を手がけ、大谷竹次郎賞
2007年10月 [道元禅師]で泉鏡花文化賞

各地を旺盛に旅する行動派であり、近年は環境保護問題にも積極的に取り組む。
著書多数。

2010年2月8日 多くに人に惜しまれながらも永眠

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