投稿者「otsuka」のアーカイブ

・平泉散歩 紅葉の写真

11月29日金曜日

先日の11月26日火曜日に平泉に行ってきました!ユネスコ世界遺産の平泉、中尊寺です。

到着してみると、なんと丁度紅葉で見事に染まった中尊寺を堪能できましたので、撮影してみた紅葉の写真をあげていってみます。

正面からの長い参道は通らず、金色堂横に出るルートから入りました。そうしたらいきなりの見事なモミジです!

DSC_0053 DSC_0055

↓金色堂です。手前は針葉樹なのですが、覆い堂周辺は綺麗なモミジでした。

DSC_0059 DSC_0060

 

↑見えているコンクリート製の覆い堂の中に、金色堂が鎮座しています。

↓こういった手水鉢も、紅葉のモミジに彩られると表情がまったくかわるものなのですね。

DSC_0066

それにしても金色に輝くもみじは美しいものです。

DSC_0073

↓苔のじゅうたんのこの場所の見え方は、実は私Tの中では平泉で一番好きなアングルなんです。紅葉のもみじと苔のじゅうたんになっていて、このシーズンでないとみられない景色になっていました。

DSC_0077 DSC_0081

↓一面のモミジで、本当に赤いじゅうたんのようでした。ため息が出てしまいます。

DSC_0082 DSC_0085

真紅のモミジも綺麗で好きなのですが、黄色から赤に移り変わる途中のモミジもまた綺麗ですね!

DSC_0089 DSC_0093 DSC_0095

↓石材店の人間としては、やはりこういった灯籠などにも目が行ってしまいます。火袋が木材で組まれていました。

DSC_0096

↓こちらの石塔は、中段の二段がまるまる別の新しい石材に据えかえられていました。わかりますでしょうか?震災で倒れて割れてしまったのかもしれません。

DSC_0108 DSC_0116 DSC_0118

とにかく目の保養になりました。世界遺産平泉中尊寺。また機会がありましたら平泉に来たいものです。

 

 

 

・釜石市 市役所までの散歩

11月29日(金) 晴れ

昨日、宿泊先の陸中海岸グランドホテルから、お散歩がてら釜石市役所に行ってきました。

宿泊しましたホテルから見える景色です。

釜石-DSC_0790 釜石-DSC_0795 釜石-DSC_0796

海なし県の埼玉生まれ埼玉育ちの私Tとしては、港町はロマンそのものです。曇っているのでやや明るさが足りなくて重めのイメージになってますが、とても綺麗な光景に感じられました。

DSC_0799

湾の入り口の方に見えているのはひょっとして有名な防波堤跡地でしょうか。

街を取り囲む山々は紅葉の真っ盛りでした。やや終わり始めているので、間に合ってよかったです。

釜石-DSC_0793 釜石-DSC_0798

↓こちらのホテルが、宿泊しました陸中海岸グランドホテルです。二階の天井まで津波に襲われたそうです。私の泊まった部屋は三階でしたので、想像するだけで鳥肌がたってしまいました。

釜石-陸中海岸グランドホテル

手前にある仮設の防波堤?が港を囲んでいました。

↓水路がふさがれていました。この黒い袋は様々な使われ方があるのですね。万能です。

釜石-DSC_0815

鉄の都釜石、港湾施設から移動させる様々な通路?ベルトコンベアなのでしょうか?工場施設に疎い私にはわかりませんが、とにかく釜石ならではの景色が広がっていました。

釜石-DSC_0816

しばらく歩くと、市役所が見えてきました。お散歩の目的地です。

釜石-DSC_0818

正面入り口がやや勾配のある坂道になっています。

釜石-DSC_0819

市役所内で目に入りました模型です。地形と海底の様子がよくわかります。ついつい写真を撮ってしまいました。赤色や黄色が何を意味するのか、よく見てくれば良かったと少し後悔しております。

釜石-DSC_0820

市役所をあとにいたします。↓市役所の入口です。

釜石-DSC_0821

市役所の入口を出てすぐの光景です。車が止まっている場所には、震災前までたくさんの商店や家が並んでおりました。この場所に立つことがお散歩の目的の一つでもありました。

有名な動画の撮影された場所なのですが、「釜石市役所 津波」と検索するとすぐに見つかると思います。思わず手を合わさずにはいられませんでした。

釜石-DSC_0823

さて、ホテルに戻ることにいたします。

釜石-DSC_0834

今回の市役所までの散歩の一番の目的は↓こちらです。

釜石市 義援金 領収書 DSC_1411

「東日本大震災で被災した釜石市民への義援金として」

金額は大きなものではありませんが、せっかく被災地まできたので、直接義援金を市役所まで届けに来たかったのです。ご対応いただきました職員のみなさん、ありがとうございました。

早期の復興を祈念いたします。

 

 

 

・津波記憶石 釜石市根浜海岸(宝来館前)

11月27日 水曜日 晴れ

釜石市根浜海岸の宝来館の前に設置されました津波記憶石です。大塚も加盟している全優石での津波記憶石第一号として建てられました。

津波記憶石 釜石市根浜海岸 宝来館前 _DSC_0776

夕暮れで少し暗くなってきましたので、あまりはっきりと撮影できておりません。見えにくくて申し訳ありません(汗)

津波記憶石 釜石市根浜海岸 宝来館前 DSC_0097 

↑こちらの画像の右上にはバーコードがあり、3.11の際の動画など詳しい情報を見ることが出来ます。

↓ピントがあっていないため、うまく読み取れないかもしれませんが、アプリによっては読めました。・・・もう一度行くことがありましたらちゃんとした画像を撮ってきます(汗)

津波記憶石-根浜海岸-宝来館

裏側にはこのような文字が↓

企画 全優石、協力、協賛、製作、デザインとお骨折りいただいたみなさんの名前が並んでおります。

↓こちらは今回の津波で広く報道と紹介をされた宝来館。海岸沿いにあります。おかみさんのエピソードが有名です。

↓画像正面の中央にある、手すりの付いた山へ続く道まで津波があっという間に到達しました。

↓当時、急いで避難された場所である山の手すり辺りからは、このように見えます。

 

有名な動画なので見たことのある方も多いかとは思いますが、向こうの松林からこちらの山へ逃げてくる人と、それを追うように瞬時に襲い来る津波の映像は、大きな衝撃を受けました。(「宝来館 津波」と検索するとすぐに見つかります)

この宝来館は津波の避難建築物にもなっています。

まだまだ爪痕の残る根浜海岸ですが、いつの日かまた行楽客でにぎわう日が一刻も早く訪れるよう、いま自分たちにできることを考え行動しながら祈念いたします。

 

 

 

 

・津波記憶石 釜石市唐丹町

11月27日 水曜日 晴れ

釜右市唐丹町本郷地区にあります、津波記憶石の第三号です。

津波記憶石 釜石唐丹 DSC_0073

当初の予定では、中央の碑のみで考えられていたそうですが、碑に刻む言葉を募集したところ小中学生の皆さんの言葉がどれもとても印象強くズシンと心に響くもので、”選べない”ということになり、全ての言葉を刻むデザインと本数に変更となった、と聞きました。

-DSC_0689 -DSC_0686

-DSC_0687 -DSC_0690

-DSC_0693 -DSC_0695

-DSC_0694 -DSC_0696

中央の石を正面からみると↓このように見えます。

津波記憶石 釜石唐丹 DSC_0074

デザインに波の模様が取り入れられています。一見して津波とわかるような津波記憶石です。津波記憶石には↓のようにバーコードがついており、2011.3.11の際の状況などがわかるようになっています。是非バーコードスキャンしてみてください。

津波記憶石 釜石市唐丹バーコード

津波記憶石の裏側です。協力されたみなさんが記してあります。

-DSC_0697

DSC_0077 DSC_0078 DSC_0079

↑「(株)大塚(上尾市)」の文字があるのがわかりますでしょうか?大塚もこの津波記憶石作りに携わらせていただきました。

この津波記憶石の隣には、明治の三陸地震の際の津波石と、昭和の津波石が並んでいます。↓左が昭和の際のもので、右が明治のものです。

DSC_0080

↓昭和八年と確認できます。

DSC_0081

↓明治の津波石です。

DSC_0082

↓明治二十九年六月と確認できます。

DSC_0083

DSC_0086 

↓こちらは平成20年に移転した際の碑になりますが、3.11の津波の際に流されいたるところ欠けたり傷だらけとなっているのが確認できました。石も流されてしまうというその勢いに、いまさらながら驚かされます。

DSC_0084

↓このような文字を刻んだ石も並べられています。傷跡が生々しく感じられます。

DSC_0085

↓津波記憶石には、太く深く文字が刻みこまれています。

DSC_0088

DSC_0087 

釜石市唐丹町のここ、津波記憶石の設置されているのはこのような場所です。手前の低くなっている土地に50軒ほどの家があったということですが、今回の津波で流されてしまいました。右奥の方の地区に立つ家々は、以前の津波の際に高い場所に移転された方々の家です。

DSC_0089

右奥の方を拡大してみてみます。高台になっているのがわかります。

_DSC_0702 

少し進むと、やや小さめの津波記憶石があります。↓これは津波記憶石の四号なのですが、同型のものが25号まであり、それぞれ唐丹町での津波到達点に設置されています。

津波記憶石 釜石唐丹 DSCF5158

津波記憶石 釜石唐丹 -DSCF5164

津波記憶石より海方向を見ると、海から唐丹を守るように堤防が伸びています。

↓中央から右側にのびている堤防は、行政によりかなり前に整えられた堤防ですが、この堤防が完成されたことにより、ここ唐丹町で禁止されていた低い場所への住宅の建築が許可となったそうで・・・。(ちなみにここには美しい松林があったそうで、ここに写っている松のみが残ったということです。高田の一本松ではありませんが、「奇跡の二本松」と呼ばれているそうです)

DSC_0090

しかし、3.11の津波はこの堤防を越えてしまい、新しくできた低い土地の50軒が流されてしまうこととなったそうです。↓右側、堤防が壊れてしまっています。高い場所に移転された家々は無事だったそうです。堤防の向こう側には湾の入り口と海が見えているのがわかると思います。

DSC_0091 

この場所のすぐ上には「星座いし」と、伊能忠敬測量顕彰碑があることで有名です。伊能忠敬は全国くまなく測量した偉人ですが、その測量の基準にした場所がここ唐丹本郷の山の上だったそうで、測量の偉業をたたえる顕彰碑が建てられています。その顕彰碑は、全国にある伊能忠敬顕彰碑のなかで唯一の江戸時代に作られた顕彰碑になります。

歴史ある土地にできた新しい津波記憶石。今後、この土地では復興の新しい歴史を刻んでいくことでしょう。

 

 

 

 

・バラ公園②

11月28日木曜日

前回「バラ公園①」の続きになります。バラ公園には実にたくさんの種類のバラがあるのですが、選んで写真を撮ったものの、どれも綺麗なので絞りきれませんでした(汗)

結構広い公園なのです。

バラ公園 DSCN2025 バラ公園 DSCN2026 バラ公園 DSCN2033

さて、バラの紹介に入りたいと思います。

バラ公園 チンチン DSCN1965 バラ公園 チンチン DSCN1963

↑珍しい名前のバラでした。朱色がとても鮮やかな花です。

バラ公園 花霞 DSCN1966

↑「花霞」こちらも京成バラ園です。京成バラ園さんってすごいんですね!可憐な花でした。

バラ公園 プリンセスチチブ DSCN1969

↑「プリンセスチチブ」チチブと名前についていますが、フランスのバラです。プリンセスらしく若々しいピンク色が綺麗です。

バラ公園 メリナ DSCN1971

↑「メリナ」ドイツの花です。部分的に白色があり、真紅が印象的に感じられました。

バラ公園 アクロポリスロマンチカ DSCN1973

↑「アクロポリスロマンチカ」とても賑わいを感じさせる華やかさがありました。きれいですね~。

バラ公園 ストロベリーダイキリ DSCN1975

↑「ストロベリーダイキリ」イチゴの大生産地カリフォルニアで、カクテルの名前に由来して名づけられました。ダイキリとはキューバの鉱山の名前だそうです。いろいろとはじめて知りました。

バラ公園 るる DSCN1977

↑「るる」こちらも京成バラ園作です。かわいらしいバラでたくさん咲いていました。

バラ公園 アシュラム DSCN1979

↑「アシュラム」ドイツの花です。向こうの方まで並んでいるのがわかりますでしょうか。

バラ公園 ローラ DSCN2023

↑「ローラ」フランスのバラです。こちらの花に限ったことではありませんが、やはりバラというと高貴な印象をうけますね。

バラ公園 モニカ DSCN2030

↑「モニカ」綺麗なピンク色が印象的でした。

それではバラ紹介の最後ということで、ここまで読んでいただきまして・・・

バラ公園 感謝 DSCN2028

↑「感謝」いたします!(感謝という名前のバラです)

晩秋のバラ公園、なかなかよかったですよ。お勧めの公園です。ちなみにこちらもすぐ隣が西蔵院さま。大塚がいつもお世話になっているお寺様です。いい立地ですね!

バラ公園 DSCN1982 バラ公園 DSCN2021 バラ公園 DSCN2022 バラ公園 DSCN2027 バラ公園 DSCN2032 バラ公園 DSCN2045

植栽の維持管理されている皆様、ありがとうございました。おかげでだいぶ癒されました!

また時間のある時に来たい公園です。

※まだ見られていない方は前回記事の「バラ公園①」もご覧ください。

 

 

 

・永代供養墓

永代供養墓

鴻巣霊園 永代供養墓

鴻巣霊園 永代供養墓

永代供養墓とは、生前に申し込みができて、承継者の有無に関係なく、永代にわたる供養と管理が約束されるお墓のことです。子供のいない夫婦や、生涯を独身で過ごす人の増加、さらには、自分が死んだ後にお墓のことで子供に負担をかけたくないという考えを持つ人が多くなり、従来とは異なる新しいお墓の形態として、近年、社会的にも大きな注目を集めるようになりました。

桶川霊園 永代供養墓

桶川霊園 永代供養墓

一口に永代供養墓と言っても、それにはいくつかのタイプがあります。代表的なものは、共有の納骨施設の上に記念碑や宗教的なシンボル(仏像など)を建てた「共同墓(合祀墓)タイプ」、共有の納骨施設の中が個別のスペースに区切られていて、それぞれの名前を記した銘板や石碑を掲げる「集合墓タイプ」、一定の区画内に個別のカロートと墓石を設置した「個別墓タイプ」です。一部の民営霊園では、通常の形で建立したお墓を、故人の永代供養墓として使うことが出来るというシステムを取り入れているところもあります。

久喜聖地公苑 永代供養墓

久喜聖地公苑 永代供養墓

多くの永代供養墓では一定期間(10年間・33年間など)は骨壺で安置し、期間が過ぎたら遺骨を骨壺から出して合祀スペースへ移し、土に還すという方法が取り入れられています。使用者の希望で骨壺を安置する期間を決めることが出来る場合もあります。

川口元郷聖地 永代供養墓 こもれびエリア

川口元郷聖地 永代供養墓 こもれびエリア

永代供養墓の費用は、数万円から100万円を超えるものまで、かなりの幅があります。料金の定義やお墓の形態、納骨の仕方、供養の方法などはさまざまなので、よく確認しなければなりません。

 

 

(六月書房 霊園ガイド2013下半期号 より抜粋)

 

※こちらの記事もご参考まで→・永代供養墓 合葬墓 共同墓 合同墓 合祀墓 集合墓 納骨堂

※当サイト内の永代供養墓特集のページを見てみる

すぐに永代供養墓の資料を請求したい方はこちら→永代供養墓の資料を請求してみる

 

 

より詳しくは、下記問い合わせまでお気軽にご相談・ご質問ください。お墓ディレクター有資格者(石産協)やお墓相談員(全優石)など専門の知識のある者が丁寧にご対応させていただきます。

お問い合わせ、お越しの際はこちら → お墓無料相談窓口

お問い合わせ番号 0120-36-1217(代表)

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・陸前高田 奇跡の一本松

11月27日 水曜日 晴れ

陸前高田に来ました。 3.11の津波で壊滅的な被害の出た陸前高田。そして高田松原。 有名な奇跡の一本松です。

奇跡の一本松 DSC_0037奇跡の一本松 DSC_0546奇跡の一本松 DSC_0549奇跡の一本松 DSC_0542

唯一残った一本松を復元したもので、後ろにはユースホステルの跡地の建物が残されていました。

奇跡の一本松 DSC_0041

一本松の足元には献花台が設置されています。

奇跡の一本松 DSC_0044

拡大してみます。

奇跡の一本松 DSC_0045

一本松にたどり着く少し手前にも、このようなパネルが見られました。

奇跡の一本松 DSC_0048

なんだか、ハイテクでハイカラな仕組みがあります。情報柱にスマホをかざすと、色々なことがスマホでわかるそうです。おおお~!すごいですよね!

奇跡の一本松 DSC_0049

↑この杭です。

 

陸前高田は復興に向けての工事が大規模に進んでます。陸前高田 DSC_0040

↑この橋と、↓この構造物は山からの土を運ぶベルトコンベアを作っているのだそうです。規模が大きすぎてただただ驚くばかりです。

奇跡の一本松 DSC_0047

↓山から土を運び、工事現場に。トラックで運ぶよりも山から直接ベルトコンベアで運ぶということで、想像以上に大量の土が必要なのでしょう。

陸前高田 DSC_0553陸前高田 DSC_0554陸前高田 DSC_0559

我々にできることは限られてはいますが、とにかくできるだけ早期の復興を祈念いたします。

 

 

 

 

・津波記憶石 綾里(りょうり)

11月27日 水曜日

岩手県大船渡市、三陸鉄道南リアス線の綾里(りょうり)駅にあります津波記憶石の第26号です。昨日の気仙沼市本吉、小泉の津波記憶石第二号に続いての見学になります。

津波記憶石 綾里 DSC_0070

↑駅です。右下に見えているのが津波記憶石です。

津波記憶石 綾里 DSC_0066

日時計をモチーフにしているデザインです。

津波記憶石 綾里 DSC_0060

日時計は、ある時間を示しています。3月11日の14時46分です。

津波記憶石 綾里 DSC_0058

この津波記憶石は、駅という人の集まる場所に設置されているので、より多くの方の目にふれることと思います。

津波記憶石 綾里 DSC_0054

↑被災状況と、

津波記憶石 綾里 DSC_0055

↑各協力者、協賛者などが彫られてます。

津波記憶石 綾里 DSC_0057

バーコードより、さまざまな情報と動画を見ることができます。

津波記憶石 綾里 DSC_0068-1

 

駅の中には賑やかな売店もありますので、お越しの際は是非お寄りください。

綾里駅 DSC_0064

綾里駅 DSC_0062

綾里駅 DSC_0063

津波記憶石 綾里 DSC_0069

津波てんでんこ。

早期の復興を祈念いたします。

 

 

 

・バラ公園①

11月27日水曜日

先日行ってきました、埼玉県伊奈町のバラ公園。とても綺麗でしたので、咲いていたバラを少し紹介いたします。やや長くなるので二回に分けてアップいたします!

バラ公園 DSCN1922

奥にある照明塔は隣にある野球のグラウンド。先日B級グルメ大会があり、土砂降りで大変だった現場です。秋も深まってきていますが、まだまだバラは沢山咲いていました。バラのピークの時期ではないので「大混雑」もなく、ゆっくり見て回ることができました。

バラ公園 ホワイトクリスマス DSCN1928

バラ公園 ホワイトクリスマス DSCN1935

↑こちらは二本とも「ホワイトクリスマス」。アメリカでつくられたそうです。クリスマス時期も近づいてきましたのでまずはこちらを。

バラ公園 ウルメールムーンスター DSCN1926

↑「ウルメール ムーンスター」ドイツで作られたバラです。鮮やかな赤色がとても情熱的に見えます。

バラ公園 クイーンエリザベス DSCN1934

↑「クイーンエリザベス」女王の戴冠に因んで捧げられたそうです。アメリカで作られました。

バラ公園 アンドレルノートル DSCN1939

↑「アンドレルノートル」フランスで作られました。黄色のバラはとても目に入りやすかったです。

バラ公園 ミスターリンカーン DSCN1941

↑「ミスターリンカーン」気品がありますね。

バラ公園 ミスターリンカーン DSCN1943

でも棘が鋭いです。しかもいっぱい。写真を撮るのに気を取られて、服にがっつり刺さりました。できた穴が予想外にでかいんです(汗)

バラ公園 マジョリカ DSCN1946 バラ公園 マジョリカ DSCN1944

↑「マジョリカ」上品な淡いピンクが印象的ですね。

バラ公園 カルトブランシェ DSCN1948

↑「カルトブランシェ」 フランスで作られました。こちらもとても気品を感じられるバラです。

バラ公園 早春 DSCN1953

↑「早春」京成バラ園でつくられたそうです。やわらかくさわやかな「和」のイメージがありますね!

バラ公園 コスモス DSCN1955

↑公園の中には、コスモスも植えられていました。秋の日差しを浴びて、キラキラ輝いているようにも見えます。

バラ公園 デスティニィ DSCN1956

↑「デスティニィ」フランスのバラです。若々しくさわやかな感じですね!

バラ公園 光輪(万葉) DSCN1958

↑「光輪(万葉)」京成バラ園の作。どれもそうなのですが、一輪がおおきくて、ボタンみたいです。

バラ公園 オーナードゥバルザック DSCN1961

↑「オーナードゥバルザック」フランスのバラです。蕾がたくさんありました。

 

まだまだありますので、「バラ公園②」に続きます。

・お墓の購入その2

お墓の購入その2

 

【購入時のポイント】

①墓地の購入

墓地の購入とは、「永代使用権」の取得を意味します。「永代使用権」とは、子孫などがその墓地を継承する限りにおいて使用権が連続するというもので、継承者のいない墓地は、法律に定められた手続きによって墓地の運営者にもどされます。

最近では有効期限付きの墓地もでき、契約の期限を過ぎたり、最後に行った納骨から一定の期限を過ぎたら無縁化しないように納骨堂や永代供養墓に合祀されることになっています。

良い墓地を求めるには、広告や情報誌、パンフレットなどを集めてよく検討し、ある程度決めたら、墓地販売の窓口になっている石材店に相談することをお勧めします。無料の霊園見学会などに参加し、実際の霊園を見ておくことも大切です。

②お墓を建てる時期

お墓を建てる時期に厳密な決まりはありませんが、経済的な条件などが許せば、早く建てたほうが良いでしょう。しかし、慣習として納骨は四十九日や百カ日、月忌、一周忌などの法要に行うことが多いようです。また最近では、生前にお墓を建てる人も増えてきました。生前に建てるお墓のことを「寿陵」と言います。

③墓石の購入

墓地を確保したら次は墓石の購入です。民間霊園や寺院霊園では石材店が指定されている場合が多いです。予算を決め、見積りを依頼し、墓石の材質や加工法を調整していきますが、よく相談し納得のいくお墓づくりをしましょう。

 

(鎌倉新書 2分でわかる仏事の知識 より抜粋)