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寺院・神社」カテゴリーアーカイブ

・墓石の値段、価格、費用について ③管理料

2016年1月16日 土曜日 晴れ

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置き、埼玉県だけでなく東京、神奈川、千葉、群馬、静岡にて霊園と墓地をご紹介、ご案内し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事という「お墓づくりのお手伝い」をしております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

一昨日の記事「・墓石の値段、価格、費用について ①永代使用料、墓地使用料とは」、昨日の記事「・墓石の値段、価格、費用について ②石碑工事代」に続きまして、本日は「③管理料」について書いてみます。

管理料とは、墓地の環境保全などに充てられる費用になり、年に一度の支払いが発生することから「年間管理料」と呼ばれるケースが多いです。もちろん年に一度というだけでなく「二年に一度」という支払いのケースもあったりなど、いくつかのパターンはあるようですが考え方はどちらも同じになります。経営主体の宗教法人によっては管理料という言葉ではなく「護持費」「護持会費」などの言葉になっていたりするところもありますが、内容はほぼ同じと考えてよいでしょう。

さて上記にて「墓地の環境保全など」と書きましたが、時々勘違いされる方もいらっしゃるのですが決して「管理事務所がお墓を綺麗にしておく費用」「管理者が墓地内の雑草とりをする費用」などではありません。お墓をお求めの方は使用規則などをご覧になられると思いますが、おそらくそこへは明記されていると思います。個々のお墓の掃除や草むしりなどの維持管理はお墓の承継者が自分でやる部分になります。では管理費の「墓地の環境保全など」とは何かというと、マンションや共同住宅などの「共益費」に近い考え方になります。寺院墓地や霊園などでの参道や水道、駐車場など、それぞれの墓地所有者が共有して使用する部分を維持管理するための費用と考えてください。お墓参りに来たときに水道が出なかったり、ごみが捨てられなかったり、参道や駐車場が雑草でいっぱいだったり、階段や通路が壊れたり崩れたりしたままだと、非常に困りますよね。そんな共有部分を維持管理するための費用になります。

「管理費払ってるのにどうして雑草くらい抜いてくれないんだ」という言葉を耳にしたことがありますが、それぞれの墓地ごとに定められている使用規則をお読みいただくと明記されているのではと思いますので、墓地をお持ちの方はもう一度ご確認いただくとよいと思います。マンションに住んでいて「共益費払っているのにどうして部屋の掃除をしないんだ」とは言わないのと同じなのです。

一昨日の「永代使用料(墓地使用料)」、昨日の「石碑工事費」は、それぞれ墓地を決めたときと、墓石の工事をしたときに発生します。ごく初期に発生する費用ですね。ところが管理費はその先ずっと継続利用する限り発生していきます。なかなかお墓参りが出来ない、という方は管理事務所や管理者との数少ないやりとりがこの「管理費の支払い」だ、という方もいらっしゃるかと思います。この「数少ないやりとり」というのは墓地管理者にとってはとても貴重なやりとりになっているんです。(お金というだけではなくて)

近年増えてきているのが、管理者サイド(霊園管理事務所やお寺)から見た場合の「お墓の承継者の行方不明」です。貴重なやりとりの「管理費の支払い」がストップすることが時々発生するのですが、墓地の承継者が転居したり、引き落とし銀行口座を変更したりなどの際に管理者に連絡がないと、「あれ?今年は支払いがないぞ?」ということも起こりうることです。そんな際に管理者が電話や書面で連絡が付けばよいのですが、中には連絡がつかない、というケースも出てきます。転居などならばよいのですが、最後の承継者の方が独居のご高齢の方などの場合、そのまま家が途絶えてしまった、という場合も少なからずあります。お寺や古くからある公営霊園などでは「自家の近くの区画が空き区画になった」という状況をご覧になられたことのある方もいらっしゃるのではないでしょうか。

管理費の支払いがない、ということが発生した場合は、そうした可能性もあると管理者がみなすこともあるんです。

もし無縁墓になったわけではなく、ついうっかりお墓のことを失念していただけの状態が数年続き管理費も数年支払っていないとどうなるか・・・久方ぶりにお墓参りをしてみたところ「あれ、うちのお墓がない!」という事態にもなりかねません。お墓がないととても困ると思いますのでそういった場合は管理事務所に問い合わせると思うのですが、中には「どうして墓がないのだ!」とクレームになる場合もあるでしょう。しかしむしろ逆です。管理者から「どうして管理費を支払ったり、支払えないなら連絡をくれなかったのですか」と言われてしまう側になってしまっていることを理解いただければと思います。

こちらも使用規則に書かれていると思いますが、管理費の支払いが滞った場合、管理者は一定年限待った後区画を更地にし、再募集をかけることができると書かれているかと思います。マンションやアパートでも、住人不明なままの部屋がいくつも出来てしまうと経営者の運営がままならなくなります。墓地も同じで、墓地全体を運営していくためにも所有者がいなくなった区画はいつまでもそのままにしておくわけにはいきません。運営が先細りになってしまうのを避けるためにも致しかたないルールなのでしないでしょうか。

そんな事柄にも直結しているのが、管理費です。とっても大事な費用なのです。

つづく

 

関連記事

・墓石の値段、価格、費用について ①永代使用料、墓地使用料とは

・墓石の値段、価格、費用について ②石碑工事代

 

・墓石の値段、価格、費用について ①永代使用料、墓地使用料とは

2016年1月14日 木曜日 晴れ

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置き、埼玉県だけでなく東京、神奈川、千葉、群馬、静岡にて霊園と墓地をご紹介、ご案内し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事という「お墓づくりのお手伝い」をしております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

お墓をお考えの方が気になる部分というと、場所、費用、跡継ぎが必要かどうかなどいくつかあると思いますが、今日は費用についてちょっとお話ししてみます。

お墓にかかる予算には、大まかに二つの予算があります。

一つは永代使用料(墓地使用料)と呼ばれるもので、いわゆる「土地代」にあたります。土地代ですので、都市部の街中にあるのか、はたまた郊外の自然環境豊かな場所にあるのかによって大きく差が出てきます。東京都心の土地代と、地方の土地代の差と考えてもよいでしょう。この永代使用料という言葉は「永代」という文字があるため、永遠に、永久に、と捉えられがちですが、これは「永代にわたっての墓地として使用許可を得るための費用」という意味ですので、近年のような少子高齢化などの状況から「代が途絶える」という心配もあったりなどもしますので「墓地使用料」という言葉を使用している霊園や墓地も増えてきました。言葉は違いますが、意味はほぼ一緒です。「永久に」と勘違いしてしまうことを考えると、単に「墓地使用料」と考えた方が安全かもしれませんね。

さてこの永代使用料(墓地使用料)、これはそれぞれの墓地の経営主体に支払います。経営主体がお寺ならお寺に、公営霊園なら都や市などの行政に、財団法人なら財団法人に、ということになります。土地の話ですので、土地を所有している経営主体に使用料を支払うと考えると分かりやすいかと思います。

ただし、永代使用料は賃貸の家賃とは違います。お墓をお求めの際に、一番最初に支払うとその後は支払うシーンは出てきません。何せ「永代にわたって使用する権利を得るための費用」です。最初に一括払いで済んでしまいます。

この考え方は、何も土地付きのお墓だけではなく、場合によっては永代供養墓での「永代供養料」や、立体型納骨堂などでの「永代供養料」「墓所使用料」も近い意味合いを持つ場合も多いです。ただし、永代供養墓や樹木葬墓地、納骨堂などの場合はそれぞれ独自の予算プランを用意しているケースも多いので、必ず同じというわけではありません。むしろ多岐にわたっていると思います。

これは、土地のある従来型のお墓についての予算の考え方は長い歴史があるため全国的にも考え方の統一が出来ているのに対し、永代供養墓や納骨堂は土地がないためそれぞれの宗教法人独自の考え方に基づくことが多いということと、土地付きの場合は寺院や都営霊園などの費用プランが参考となったため考え方の統一化がなされやすかったということと、永代供養墓や納骨堂は特に近年の少子高齢化の波によってずいぶんと数がここ数年で増えてきており現在の時代のニーズに合わせたプランがいくつも生まれてきているということが言えると思います。

また、ご注意いただきたいのは、一度墓地を契約して永代使用料を支払うと、予算の返金はその後できないということ。敷金礼金とは違います。使用権を購入したわけですので、墓地を移転させたり、やっぱり墓を建てるのをやめる、となっても永代使用料のお墓は戻っては来ません。遊園地の入場券や映画のチケットになぞらえて考えてみると分かりやすいでしょうか。遊園地の入場券を買い、入口から入園したものの結局アトラクションには何も乗らなかったとして「ただ遊園地に入っただけ、もう出るから入場料返して」といって返してもらえるでしょうか。映画も同じでしょう。映画の途中で出たとしても、映画のチケットの返金はできません。それと同じことです。※このあたりのことについては、契約時にそれぞれ使用規則などが定められており、必ず明記してあると思いますので、必ずご確認ください。

いずれにしましても、立地によって数百万円~数万円と大きな開きのある永代使用料(墓地使用料)、自分が求めたいお墓はどこなのかによって大きな差が出てきます。たいした距離が離れていないような二か所の墓地があったとして、この土地代に差があったとしても変なことではありません。実際の不動産の土地価格にも差はありますし、また価格設定をしたのがいつなのかによっても違いは出てくるでしょう。30年前のバブル期の価格と今とでは大きく違いがある、そんなこともあるかと思いますし、たった数年の差でも墓地の人気具合、販売サイドの販売計画によってあえて差をつけるケースもあるかもしれません。

さらに、墓地のまつわる土地代の永代使用料は、それぞれ墓地の土地面積によっても大きく違いがあります。これは不動産と同じで、当然大きな区画は高い費用がかかり、小さな区画は低い費用に抑えられます。近年では小さい区画が人気の場合が多いのですが、それでも昔ながらの立派なお墓を求めるという方も少なくはありません。ただ、跡継ぎの問題や核家族化の問題からあまり大きなお墓を選ばない方が増えているのは事実です。

さて、以上永代使用料(墓地使用料)について書いてみました。書き足りない部分は少しあるのですがおおまかにはこのような考え方の予算になります。

お墓にまつわる予算としては、あとは墓石工事代や年間管理料などもありますので、また別の機会にご説明してみたいと思います。

つづき「・墓石の値段、価格、費用について ②石碑工事代

 

・大河ドラマ「真田丸」と穴山梅雪

2016年1月12日 火曜日 晴れ

こんにちは。首都圏にて霊園と墓地をご紹介、ご案内し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事という「お墓づくりのお手伝い」をしております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

今年のNHK大河ドラマは「真田丸」。一昨日の1月10日日曜日に第一回が放映され、大河ドラマファンの間で感想が盛り上がっています。「新撰組!」に続き二回目の三谷幸喜さんの脚本ということで、発表以来2年の間話題となっていた今年の真田丸です。

真田日本一の兵(つわもの)と、大阪の役の際に薩摩藩主の島津忠恒(家久)が国許に送った書簡に書かれており、このキャッチーなフレーズが元になって江戸時代、そして現在にまで残る「真田びいき」「真田ファン」を多く作ってきたと思います。

第一回は武田家の滅亡に到る様子だったわけですが、さすが戦国時代だけあって登場人物が有名人だらけですね!主人公の真田信繁(幸村と通称されている方ですね)、兄の真田信之(信幸)、父の真田昌幸(豊臣秀吉の部下石田三成と増田長盛が上杉景勝にあてた書状に「表裏比興(卑怯)の者」と評された(褒め言葉)人物ですね)、さらには武田勝頼、織田信長、徳川家康、上杉景勝、北条氏政・・・と大物ぞろいです。

武田家の滅亡への道のりということで、勝頼の義理の弟にあたる木曽義昌が織田方に離反するところから始まりますが、戦国最強と言われた武田家の滅亡は戦国期後半の一大エポックの一つでもあります。大事件ですね。木曽義昌(信濃国木曽谷)の離反という大打撃に続き、駿河方面の司令官である穴山梅雪(信君)が離反し、徳川軍を手配、甲斐に引き入れてしまいます。これによって武田家の崩壊は一気に進んでしまうこととなりました。

ドラマでは、ダーティーな役どころとして表現されていた穴山梅雪。武田家の御一門衆筆頭という重臣でもありました。武田信玄とはいとこ同士ということもあり、過去の大河ドラマなどでも何度も表現されてきた武将です。甲斐武田家崩壊後は、武田宗家を継ぐ約束となっていたとか。自身の野望と家の存続のためという、戦国期ならではの価値基準ではあります。今現在を生きる我々の価値基準で測ってはいけないのではないか、とも思えます。

戦国時代の武士ですので、味方として考えるととても頼もしいのですが、敵として考えると情け容赦のない、悪鬼のような存在・・・どの戦国武将もすべてに言えることなのではないでしょうか。

というわけで今回はダーティーに描かれていた穴山梅雪公。キーパーソンということもあって、榎木孝明さんが熱演されていました。豪華俳優陣ですよね!穴山梅雪公は、明智光秀による本能寺の変直後に徳川家康と東海に逃避行する途中で非業に倒れてしまいますので、大河ドラマではまだまだしばらくは登場するのではと思います。

さてそんな穴山梅雪公。

弊社のご案内中の霊園「メモリアルガーデン清水」に隣接する経営主体の寺院「霊泉寺」の本堂裏の高台にお墓があります。

静岡県静岡市清水区興津井上町 霊泉寺 穴山梅雪公のお墓 メモリアルガーデン清水 霊園隣接DSC_1699 静岡県静岡市清水区興津井上町 霊泉寺 穴山梅雪公のお墓 メモリアルガーデン清水 霊園隣接DSC_1700 静岡県静岡市清水区興津井上町 霊泉寺 穴山梅雪公のお墓 メモリアルガーデン清水 霊園隣接DSC_1701 静岡県静岡市清水区興津井上町 霊泉寺 穴山梅雪公のお墓 メモリアルガーデン清水 霊園隣接DSC_1703

高台にありますので、なんと海を見下ろすという最高の景色が広がっているんです。

静岡県静岡市清水区興津井上町 霊泉寺 穴山梅雪公のお墓 メモリアルガーデン清水 霊園隣接DSC_1711

美保の松原も見えていますね。

ここ霊泉寺は静岡県静岡市清水区の興津にあります。そしてご住職は代々「穴山」さんです。そう、穴山梅雪公が開き、その後御子孫が代々住職を務めているお寺さまなんです。

2015年7月 静岡県静岡市清水区興津井上町 霊泉寺 本堂DSC_1695 2015年7月 静岡県静岡市清水区興津井上町 霊泉寺 六角堂DSC_1698

そんな霊泉寺隣接のメモリアルガーデン清水をご案内する石材店としても、いつかダーティではない穴山梅雪公をドラマで描いてもらいたいものです(大河ドラマ「風林火山」の際はダーティではありませんでしたね)

静岡県静岡市の霊園 メモリアルガーデン清水DSC_1725 静岡県静岡市の霊園 メモリアルガーデン清水DSC_1721

過去の記事

・著名人 有名人の墓 穴山梅雪公のお墓(静岡県 霊泉寺)

・静岡県静岡市清水区 霊泉寺の六角堂

・静岡県静岡市の霊園 メモリアルガーデン清水

 

※メモリアルガーデン清水の墓地情報のページはこちら

※静岡県の霊園一覧ページはこちらをごらんください。

・高源寺さまの看板

2016年1月11日 月曜日 晴れ

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置き、埼玉県だけでなく東京、神奈川、千葉、群馬、静岡にて霊園と墓地をご紹介し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事という「お墓作りのお手伝い」をしております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

本社営業のIKさんより、担当をしていますお寺さまの「高源寺」さまの看板の画像をもらいました。(画像はクリックすると元画像を確認できます)

20160111-高源寺看板

臨済宗円覚寺派

天真山 高源寺

ご本尊 阿弥陀如来

年中行事 成人の日 新年祈祷会

5月8日 花祭り・正木丹波守利英公供養会・忍城水攻め彼我戦没者供養会・願かけ地蔵尊祭礼

8月19 施餓鬼会法要

往古、行田市は忍藩として隆盛をほこっていたが、豊臣秀吉の小田原城攻めの時、天正十八年(1590)、石田三成の軍勢により、水攻めを受けた。忍城佐間口の守将正木丹波守利英公は奮戦し、城も破られることはなかったが、小田原城での籠城に参戦していた城主成田氏長公が破れたため、止む無く忍城は開城した。この戦で、丹波守は無常を悟り、水攻め彼我戦没者の霊を弔わんと発心し、武士をすて、佐間の地に高源寺を建立し、開山(初代住職)に守天昌意和尚を迎え、一心に菩提を弔い、翌天正19年に没した。

このことは和田竜著『のぼうの城』に活写されている。

以来四百二十年を経るも、このたび行田市都市計画道路において忍城水攻め彼我戦没者の菩提を弔い、檀信徒先祖諸霊の供養を続けることが不可能となりました。石田三成の陣屋跡ともいわれる地へ移り、丹波守の遺志を継ぎ、供養を続けられることは幸いに存ずる所です。

第二十世住職 岩佐宗貴

※以上、案内看板より引用。

20140404 埼玉県行田市佐間 高源寺の桜が満開DSC_0340 20140404 埼玉県行田市佐間 高源寺の桜が満開DSC_0339-

看板に書かれている通り、高源寺さまは、小説と映画でヒット作となりました「のぼうの城」の準主役とも言うべき正木丹波守利英公が建てたお寺さまです。このことは、のぼうの城のラストシーンでも描写されています。

道路計画により移転することとなり、まずは檀家墓地のみ移転となり、

寺院墓地

さらに、それに伴い隣接して新しく用意されました墓地が「さきたま霊園」になります。※さきたま霊園は宗教宗派自由の霊園です。

2015年10月 埼玉県行田市 さきたま霊園 墓域 植栽 白いバラ 薔薇 お墓 墓石DSCN7186

歴史ある高源寺の新墓地の、墓地区画情報のページはこちら。

高源寺移転によって誕生した、さきたま霊園の墓地情報のページはこちら。

※過去の高源寺関連の記事はこちらを参照ください。

なお、正木丹波守利英公の供養塔は行田市佐間の高源寺の山門脇にあります。(本堂とあわせて新墓地にはまだ移転しておりません)

20140404 埼玉県行田市佐間 高源寺の桜が満開 正木丹波守利英の墓 石碑DSC_0353

 

・目黒不動尊の梅の花

2016年1月8日 金曜日 晴れ

こんにちは。首都圏にて霊園と墓地をご紹介・ご案内し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事という「お墓づくりのお手伝い」をしております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

今年は暖冬ということですが、いよいよ明日から本格的に冬の寒さが戻ってくるようです。そして連休明けには寒さもやわらぐとか。例年並みの寒さは果たしてやってくるかちょっと気になるところですね。

そんな暖かい冬、先月の様子になりますが、お正月の準備を進めている東京都目黒区の目黒不動尊の近くまで行く機会がありましたので参詣してみましたところ、なんと12月にもかかわらず境内に梅が咲いていました。

お正月の準備が着々と進んでいる中・・・

2015年12月に梅の花 東京都目黒不動尊DSCN7399 2015年12月に梅の花 東京都目黒不動尊DSCN7400 2015年12月に梅の花 東京都目黒不動尊DSCN7413 2015年12月に梅の花 東京都目黒不動尊DSCN7414

こんなかんじで

2015年12月に梅の花 東京都目黒不動尊DSCN7419

梅の花がちらほら!

2015年12月に梅の花 東京都目黒不動尊DSCN7420 2015年12月に梅の花 東京都目黒不動尊DSCN7421 2015年12月に梅の花 東京都目黒不動尊DSCN7422 2015年12月に梅の花 東京都目黒不動尊DSCN7423

冬桜というものを見たことがあったりはするのですが、12月に梅の花を見たのは初めてでした。

なんともお正月らしい風景ですね!

梅の花は、洋型墓石に彫刻として入れられる方も多々いらっしゃいます。梅・桜・ゆり・バラ・・・このあたりのお花の彫刻が人気があると思います。お花を彫刻される方はオリジナルでご希望のものを持ってこられる方もいらっしゃれば、弊社の営業スタッフとともに色々とご検討される方など様々です。デザイン案もいろいろと取り揃えていますので、お気軽にご相談くださいませ。

※東京都の霊園一覧のページはこちら。

・水木しげるさんゆかりの調布深大寺に行ってきました

2016年1月7日 木曜日 晴れ

こんにちは。首都圏にて霊園と墓地をご紹介、ご案内し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事という「お墓づくりのお手伝い」をしております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

さて今日は横浜支社のATさんの記事になります。以下本文↓

 

漫画家水木しげるさんが昨年2015年の11月11日にお亡くなりになりました。

その訃報に接しゆかりのある調布深大寺へ行ってきました。

 

京王線調布駅北口からバスに乗車し、15分ほどで深大寺門前に到着。

すぐに鬼太郎茶屋発見。

水木しげるさんゆかりの調布深大寺に行ってきました 20151224153826 鬼太郎茶屋 水木しげるさんゆかりの調布深大寺に行ってきました 20151224153845 鬼太郎とねずみ男

鬼太郎、ねずみ男がお出迎え。

懐かしの駄菓子屋の雰囲気。

周りはお茶屋兼お蕎麦屋さんだらけでどこに入ろうか迷うほどです

水木しげるさんゆかりの調布深大寺に行ってきました 20151224155504 駄菓子やお蕎麦やお茶屋さん

お腹が空いてますがまずはお参りを済ませてから。

都内では浅草寺に次ぐ2番目の古刹だそうで

荘厳な佇まいです。

水木しげるさんゆかりの調布深大寺に行ってきました 20151224154350 深大寺山門 水木しげるさんゆかりの調布深大寺に行ってきました 20151224154437 深大寺山門

深大寺周辺は妖怪がそこらへんから出てきても

不思議ではない独特な感じです。

水木茂さんと妖怪は永遠にこの地に生き続けます。

 

※深大寺からすぐの場所にある「調布霊園」の墓地情報のページはこちら。

※おなじくほど近い場所にある「メモリアルガーデン三鷹」の墓地情報のページはこちら。

※東京都の霊園一覧ページはこちら。

・浦和の調神社の初詣と過去の石材施工事例

2016年1月4日 月曜日 晴れ

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置き、埼玉県だけでなく東京、神奈川、千葉、群馬、静岡にて霊園と墓地をご紹介・ご案内し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事という「お墓づくりのお手伝い」をしております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

昨日の「・大宮氷川神社の初詣と「戦艦武蔵の碑」」の記事に続きまして、本日は浦和の調神社(つきじんじゃ)の初詣に行ってきました。

正式名称は「調神社」と書いて「つきじんじゃ」と読むのですが、地元の方々は昔から「つきのみやさま」と呼んでいますので、そのまま書き表すと「調の宮」、「調宮」というのが元々の名前なのではないかなと感じています。

ここ調神社に初詣に来たのには理由がありまして、普段なかなかじっくりと拝見することのできない「数十年前の石材施工事例」がここ調神社に残っているんです。

でもその前にまずは参拝をしましょう。境内の外まで初詣の行列です。元旦はもっとすごかったことでしょう。旧街道である中山道にずらりと行列がのびています。

2016年1月正月 埼玉県さいたま市の調神社(調宮 つきのみや)初詣と石材の施工例DSC_0110

ここ調神社は鳥居のない神社として有名です。伊勢神宮への貢物(調物)の集積地としての宮であったため、出発の際に鳥居があると邪魔となってしまうので取り除かれたとか

2016年1月正月 埼玉県さいたま市の調神社(調宮 つきのみや)初詣と石材の施工例DSC_0089 2016年1月正月 埼玉県さいたま市の調神社(調宮 つきのみや)初詣と石材の施工例DSC_01172016年1月正月 埼玉県さいたま市の調神社(調宮 つきのみや)初詣と石材の施工例DSC_0091 2016年1月正月 埼玉県さいたま市の調神社(調宮 つきのみや)初詣と石材の施工例DSC_0092

現在の社殿は小田原征伐の際に焼失したものを、江戸時代に権現造にて再建したものです。

2016年1月正月 埼玉県さいたま市の調神社(調宮 つきのみや)初詣と石材の施工例DSC_0098 2016年1月正月 埼玉県さいたま市の調神社(調宮 つきのみや)初詣と石材の施工例DSC_0099

ちなみにそれ以前の旧本殿は、境内に稲荷社として保存されています。

「つき」にちなみで月待信仰ともなり、月なので随所にうさぎが見られます。

2016年1月正月 埼玉県さいたま市の調神社(調宮 つきのみや)初詣と石材の施工例DSC_0086 2016年1月正月 埼玉県さいたま市の調神社(調宮 つきのみや)初詣と石材の施工例DSC_0087

ここでは狛犬のかわりに兎がお出迎えです。

2016年1月正月 埼玉県さいたま市の調神社(調宮 つきのみや)初詣と石材の施工例DSC_0097 2016年1月正月 埼玉県さいたま市の調神社(調宮 つきのみや)初詣と石材の施工例DSC_0101

さて、初詣の参拝も終わりましたので、過去の施工事例を見学したいと思います。

それがこちら↓石材で作られた柵です。

2016年1月正月 埼玉県さいたま市の調神社(調宮 つきのみや)初詣と石材の施工例  日蓮上人駒繋ぎの欅ケヤキDSC_0109

実は、弊社会長の大塚順康の修業時代、田口石材さんにて整えた仕事なんです。

2016年1月正月 埼玉県さいたま市の調神社(調宮 つきのみや)初詣と石材の施工例DSC_0082 2016年1月正月 埼玉県さいたま市の調神社(調宮 つきのみや)初詣と石材の施工例DSC_0084

調神社の外周の柵ですので、かなりの距離になりますが、数十年前の施工とはいえいまだにしっかりと組みあがっています。さすがに地盤の沈降などによるゆがみなどは距離のあるものですので出てきている部分もありますが、隣接する中山道や歩道には全く影響はでていないことが確認できました。おそらく50年以上前の仕事でしょう。

さてこの石柵で囲まれた部分の一番南側にこんな場所と木があります。

2016年1月正月 埼玉県さいたま市の調神社(調宮 つきのみや)初詣と石材の施工例DSC_0080

中州のようにとりのこされた(いや伐採されずに保存されたのでしょうか)島のようになっています。

2016年1月正月 埼玉県さいたま市の調神社(調宮 つきのみや)初詣と石材の施工例  日蓮上人駒繋ぎの欅ケヤキDSC_0108

実はここには、「日蓮上人駒つなぎの欅」があるんです。

2016年1月正月 埼玉県さいたま市の調神社(調宮 つきのみや)初詣と石材の施工例  日蓮上人駒繋ぎの欅ケヤキDSC_0103 2016年1月正月 埼玉県さいたま市の調神社(調宮 つきのみや)初詣と石材の施工例  日蓮上人駒繋ぎの欅ケヤキDSC_0104

流刑のために佐渡に向かう途中の日蓮上人がこの地に寄ったところ、難産で苦しむ女性がいたため馬をこの欅の木につないで祈願祈祷をしたところ、無事に男児を出産したというケヤキになります。

以上、初詣日記と織り交ぜて古い施工事例をご紹介いたしました。会長の大塚からの技術は今も継承しておりますので、弊社に石材のご連絡をいただける方はご安心いただければと思います。

 

・大宮氷川神社の初詣と「戦艦武蔵の碑」

2016年1月3日 日曜日 晴れ

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置き、埼玉県だけでなく東京、神奈川、千葉、群馬、静岡にて霊園と墓地をご紹介、ご案内し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事という「お墓づくりのお手伝い」をしております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

大宮氷川神社に行ってきました。今日は特に暖かく4月のような陽気でした。そして朝一番での参拝でしたので境内はまだまだすいていましたが、祈願をされる方々は朝からずらりと並んでいました。

2016年1月正月 大宮氷川神社DSC_0047 2016年1月正月 大宮氷川神社DSC_0044 2016年1月正月 大宮氷川神社DSC_0045 2016年1月正月 大宮氷川神社DSC_0048

境内のご神木、高い場所にある枝を見てみるとたいへん苔むしていてとても時間を感じさせられます。

穏やかな冬の澄んだ空気と静かな水面の神池は、鏡のようで絵のようでした。

2016年1月正月 大宮氷川神社DSC_0051

とっても綺麗でした。

2016年1月正月 大宮氷川神社DSC_0053 2016年1月正月 大宮氷川神社DSC_0055

さてそんな氷川神社、おみくじを引こうと三の鳥居の近くまで来たところで、なんと「戦艦武蔵の碑」を発見しました。

2016年1月正月 大宮氷川神社 戦艦武蔵の碑DSC_0061 2016年1月正月 大宮氷川神社 戦艦武蔵の碑DSC_0070

場所は、氷川神社の拝殿本殿に向かって三の鳥居をくぐると左手の社務所の手前に見えてきます。

それにしてもいつの間に石碑が建ったのでしょう。石材店の人間ですので、記念碑やモニュメントにも携わることがありますので、そういった意味でもとても惹かれるものがあります。

2016年1月正月 大宮氷川神社 戦艦武蔵の碑DSC_0062

戦艦武蔵の碑。荒々しくも力強く表面がとても美しい石材です。しかしなぜ海のない埼玉県の氷川神社に戦艦武蔵の碑が?と疑問を持たれた方もいらっしゃるのではないでしょうか。

2016年1月正月 大宮氷川神社 戦艦武蔵の碑DSC_0065

戦艦武蔵

戦艦武蔵は世界最高技術を駆使し、大日本帝国海軍が建造した最後の戦艦である。

パナマ運河幅の制限から、40cm(16インチ)を超える主砲を持つ戦艦を建造できない米海軍の弱点に注目し、主砲46cm砲三連装砲塔3基を搭載した世界最強かつ最大の戦艦として建造された。武蔵誕生に到るまでには多くの技術的困難があり、関係者の苦労は並大抵のものではなかった。また、海軍の指示により建造造船所である三菱重工業は、所員に対する緘口令等、建造秘匿の徹底を図った。

昭和17年8月5日に広島県呉で行われた竣工式には、氷川神社より6名の神職が出向し、四季が厳しく執り行われた。艦内神社には、氷川神社が分祀され武蔵神社と命名された。

昭和19年10月17日「捷一号」作戦発令により、日米両海軍の主力が艦隊決戦を行わんとフィリピンレイテ沖を目指した。武蔵は米海軍の航空攻撃を一手に引き受け、10月24日シブヤン海に没した。同作戦により戦艦武蔵の乗員1039名戦死、生存1329名もマニラ防衛戦等に投入され、最終的に祖国の土を踏めた者は430余名と言われている。ここに戦艦武蔵を顕彰し、碑建立に協賛、賛同するものである。

平成27年10月24日建立  戦艦武蔵顕彰会

協賛団体 軍艦武蔵会 埼玉県防衛協会(創立50周年記念事業)

※以上、石碑より引用しました。

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設立趣旨

連合艦隊旗艦であり世界最大の戦艦武蔵がフィリピン沖で戦没してから平成26年10月24日で満70年となりました。「武蔵」の艦名は埼玉県、東京都、神奈川県北東部の旧国名である「武蔵国」に由来し、乗組員の拠り所でもあった艦内神社として武蔵一宮氷川神社の分社である武蔵神社が艦内に祀られていました「大宮」の地名の由来ともなった「大いなる宮居」として尊崇されている氷川神社が鎮守するこの大宮後において、没後70年を節目として多くの心ある有志が集まり、戦艦武蔵顕彰会が設立されました。

当時の世界最高水準である造船技術と、類まれなる操船技術で、不沈艦の相応しい最期を遂げた戦艦武蔵と乗組員の不屈の武蔵魂を後世に伝承し、先人たちへ感謝を捧げ、未来永劫、顕彰していくべく、この顕彰碑を建立する。

平成27年10月24日

戦艦武蔵顕彰会会長 新藤享弘

権宮司 東角井真臣 揮毫

※以上、こちらも石碑より引用しました。

昨年の10月24日に建立されたということで、まだ2ヶ月しかたっていませんでした。

戦艦武蔵と言えば、昨年海の底に眠る様子が発見され、その映像が世に大きく取り上げられました。話題性もありますので大きく注目を集めることと思います。

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氷川神社に行かれましたら、戦艦武蔵の碑も是非ご確認してみてはいかがでしょう。

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※過去の大宮氷川神社の記事はこちら

・2015年3月31日 大宮公園の夜桜の花見

・氷川三社に初詣 氷川女体神社

・氷川三社に初詣 中川神社

・氷川三社に初詣 氷川神社

・武蔵一宮 氷川神社

・椿(つばき)と山茶花(さざんか)の見分け方 ~東明寺さまに咲いている花

2015年12月26日 土曜日 晴れ

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置き、埼玉県だけでなく東京、神奈川、千葉、群馬、静岡にて霊園と墓地をご紹介・ご案内し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事という「お墓作りのお手伝い」をしております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

今日は、久喜清久霊園の管理事務所からの記事になります。以下本文↓

 

こんにちは、久喜清久霊園です。

今回は久喜清久霊園のお隣、

東明寺様に咲いている花を紹介します。

 

こちらがその花です。

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私は植物に詳しくないので

ずっと椿かと思っていましたが…

 

調べてみたら山茶花(さざんか)だということがわかりました!

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そこで…

山茶花(さざんか)との見分け方ですが、

一番の違いは花の散り方で

山茶花は、花びらがバラバラに散り

椿は花ごとポトッと落ちます。

 

ほかには山茶花は雄しべが放射線状、

椿は筒状です。

2015121308100002.jpg

山茶花の原産国は日本で椿科。

椿の中国名「山茶花」(さんさか)から転じて

「さざんか」という名前になりました。

色は白・紅・ピンクなど濃淡さまざまです。

2015121308100001.jpg

先日の強風でかなり花びらが散ってしまいましたが、

まだまだ咲いてます。

久喜清久霊園からも見えます!

9月にオープンしたばかりの新しい霊園です。

ぜひお越しください。

~なお、久喜清久霊園管理事務所の年末年始は、年明け1月4日まで休館となっております~

 

※久喜清久霊園の墓地情報のページはこちら。

※埼玉県の霊園一覧のページはこちら。

・埼玉県蓮田市の寺院 妙楽寺から見える紅葉

2015年12月20日 日曜日 晴れ

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置き、埼玉県だけでなく東京、神奈川、千葉、群馬、静岡にて霊園と墓地をご紹介・ご案内し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事という「お墓作りのお手伝い」をしております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

先日行ってみました埼玉県蓮田市の妙楽寺さまにて、とてもきれいな紅葉を見ることができました。

妙楽寺に続く参道は一面の落ち葉の絨毯。ここだけ別の時間が流れているように穏やかで久しぶりに落ち葉の上を歩いたように思います。

2015年12月20日 埼玉県蓮田市の寺院 妙楽寺の隣地のもみじが見事な紅葉DSCN7336 2015年12月20日 埼玉県蓮田市の寺院 妙楽寺の隣地のもみじが見事な紅葉DSCN7337

この落ち葉の参道の途中にきれいなモミジがありました。

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黄色と朱色と赤で染まったカエデです。

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木の下から上を見上げてみると、真っ赤なモミジの葉でいっぱいの写真が撮れました。

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さて参道を先に進んでみましょう。落ち葉の絨毯の尽きる場所にお寺があります。

↓お寺側から入口方向を振り返って見ても、やはり落ち葉の参道ですね。

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広い駐車場に着きました。右側の低い塀の向こう側はお寺の敷地ではありません。

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しかしながら、ここ駐車場からは隣地の紅葉が借景となっていて、とても綺麗に見られます。ありがたいことですね。

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まるで有名な庭園の手入れされた見事なモミジの木を見ているようですね!とても美しく紅葉していました。

本堂の方を見てみると、こちらも見事なイチョウの木が全体的な完全な黄色に染まっています。

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とても贅沢な光景に出合えたように思えます。眼福眼福・・・。

さてそんな四季折々の豊かな自然に包まれた妙楽寺さま。墓地ご案内中になります。

-妙楽寺 完成外柵 IMG_1941

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