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寺院・神社」カテゴリーアーカイブ

・埼玉県吉見町 岩室観音に行ってきました

2014年2月25日 火曜日

先日、埼玉県吉見町にあります、岩室観音に行ってきましたのでご紹介いたします。

ここ岩室観音は、東松山市街からほど近い吉見百穴に隣接しています。すぐ裏手に広がる山は、武州松山城の跡地で、松山城の搦め手の一部にも位置しています。

埼玉県吉見町 岩殿観音に行ってきました DSCN3130 埼玉県吉見町 岩殿観音に行ってきました 弘法大師 八十八カ所 DSCN3138 埼玉県吉見町 岩殿観音に行ってきました 弘法大師 八十八カ所 DSCN3266 ←クリックで拡大 

岩山のはざまに、とても歴史を感じさせる趣のお堂があります。そして両サイドの岩山もくりぬかれているんです。

 

埼玉県吉見町 岩殿観音に行ってきました 弘法大師 八十八カ所 DSCN3140

向かって右の岩穴↓

埼玉県吉見町 岩殿観音に行ってきました 弘法大師 八十八カ所 DSCN3152

反対側(向かって左側)です↓

埼玉県吉見町 岩殿観音に行ってきました 弘法大師 八十八カ所 DSCN3155

こちらの石仏は八十八体あり、こちらで拝むと、四国八十八カ所を一遍にめぐるのと同じ功徳があるそうです。

↓こちらは胎内くぐり。ここをくぐると諸難を除き、安産その他の願いごとが叶うと言われて居ます。とあります。そして二階にはご本尊が鎮座されています。

埼玉県吉見町 岩殿観音に行ってきました 弘法大師 八十八カ所 DSCN3157 埼玉県吉見町 岩殿観音に行ってきました 弘法大師 八十八カ所 DSCN3158 ←クリックすると拡大。

天井というか梁というか、とにかく千社札がいっぱいです。

埼玉県吉見町 岩殿観音に行ってきました 弘法大師 八十八カ所 DSCN3159 ←クリックすると拡大。

このお堂の裏側は峻嶮な山道が続いていて、ここを上っていくと松山城に上ることができます(滑りやすいので注意が必要)

埼玉県吉見町 岩殿観音に行ってきました DSCN3163 埼玉県吉見町 岩殿観音に行ってきました DSCN3165 ←クリックすると拡大。

ものすごい道?です(^_^;)

埼玉県吉見町 岩殿観音に行ってきました DSCN3166

くさり場もあります。そしてここを登るとたどり着くのがこちら右側の写真↓

埼玉県吉見町 岩殿観音に行ってきました DSCN3168 埼玉県吉見町 岩殿観音に行ってきましたDSCN3169 ←クリックすると拡大。

こちらも胎内くぐりのようにも思えます。そうなのかな?

案内板がありました。この近隣は吉見町百穴ふるさとの緑の景観地として指定されているようです。

埼玉県吉見町 岩殿観音に行ってきました DSCN3142

埼玉県吉見町 岩殿観音に行ってきました DSCN3144 埼玉県吉見町 岩殿観音に行ってきました DSCN3143 ←クリックすると拡大。

現在のお堂は江戸時代の寛文年間(1661~1673)に建てられたものだとか。珍しい懸造りという様式のお堂だそうです。

埼玉県吉見町 岩殿観音に行ってきました DSCN3145 埼玉県吉見町 岩殿観音に行ってきました 弘法大師 八十八カ所 DSCN3146 埼玉県吉見町 岩殿観音に行ってきました 弘法大師 八十八カ所 DSCN3147 ←クリックすると拡大。

↓こちらの看板はお寺様の建てたものかと思いますが、なんと空海(弘法大師)さまが建てたと記されています。

埼玉県吉見町 岩殿観音に行ってきました DSCN3148

そしてその後、天正の世に太閤秀吉の北条攻め、関東征伐の際に石田三成の部下によってすぐ裏の松山城が燃やされ、その余炎によって類焼してしまったそうです。が、尊像だけは無事に残っていたとか。(石田三成の北条攻めについては、こちらの記事や、こちらの記事でも忍城攻めも書いています)

そしてこの懸造りという様式は、京都の清水寺の観音堂をはじめとても珍しい作りだということが書いてあります。

この日、このあと裏山の松山城に登ってみたのですが、それはまた別の記事で書いてみます。

埼玉県吉見町 岩殿観音に行ってきました 弘法大師 八十八カ所 DSCN3170

↑岩室観音堂の裏(松山城側)から見た様子

吉見百穴はすぐ隣にあります。

埼玉県吉見町 岩殿観音に行ってきました 吉見百穴 DSCN3267

昔武田信玄がここ武州松山城を攻めに来た際、甲州から金山衆を呼び寄せ、百穴の岩山から坑道を掘らせて城に侵入しようとした作戦を立てたりしたこともあったとか。

古代人のお墓?とも住居跡?とも言われている百穴のほか、いろいろな歴史のあるエリアなのですね~

ちなみに墓石店、石材店としてはここからそう遠くない森林公園昭和浄苑や、鴻巣霊園はお勧めの霊園です。

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました

2014年2月21日金曜日 晴れ

先日、埼玉県さいたま市西区にあります、秋葉神社に行ってきました。

さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました DSCN3311 さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました DSCN3312 さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました DSCN3313 さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました DSCN3315さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました DSCN3314

ご祭神は、火之迦具土大神(ホノカグヅチノオオカミ)、火の神様です。火災などから守ってくれる神様というわけです。千代田区にある電気街の秋葉原は、江戸時代には「秋葉が原(あきばが原)」とも呼ばれていました。江戸の大火除けの広場があり、火事除けの神様の秋葉神社がありまして、その火除けの広場(広小路)を秋葉原と呼んだわけです。いつの間にか今ではすっかり「あきはばら」ですね。

さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました DSCN3316 さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました 秋葉宮 額 DSCN3324 さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました DSCN3326 さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました DSCN3327 さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました 拝殿と本殿 DSCN3315

本殿は「八ツ棟、三手先作り」という江戸時代を代表するつくりだそうです。八ツ棟とは、豪奢な屋根を重ねて配置する建築様式を指した総称だそうで、八つの棟があるわけではなく、「八」は複数という意味だそうです。本殿の切妻屋根の端っこ、棟の端にあるクロスしている木を千木と言いますが、これが地面に対して水平に切られていたら女神。地面に対して垂直に切られているので、男神さまだということがわかります。棟に横たわるちくわ、海苔巻のような木は鰹木と言うらしいです。鰹木は5本あるようですね。(いろいろと即席で調べてみました。間違えていたらごめんなさい。)

さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました DSCN3328

ここでは、無形文化財になっている地域では有名な「秋葉ささら獅子舞」が維持保存されています。毎年7月15日に近い土曜日には祇園祭が行われ、そこでこのささら獅子舞が舞われます。

さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました DSCN3331 さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました DSCN3333 さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました DSCN3334 さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました DSCN3317

墓石店、石材店である弊社。私ブログ担当のTも自然に石造りの灯篭や石碑に目が行ってしまいます。どちらも歴史を刻んだものでとても興味をもって拝見させてもらいました。

さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました DSCN3318 さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました DSCN3320

さまざまな大木があります。↑こちらはスダジイ。

さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました DSCN3336 さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました DSCN3338

↑こちらはアラカシ。ご神木みたいですね。

さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました DSCN3340 さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました DSCN3341

↑ゆずでしょうか?小さいミカンのような柑橘類の木です。

さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました DSCN3343

↑立派な松の木です。あ、あそこにいるのは・・・。

そして↓ここにも!なんだか今日は彼ら黒い鳥たちがいっぱいいました。集会でもしていたのかな?

さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました DSCN3321

↓おっと、ここにはこんな方も。

さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました DSCN3332

政令市のさいたま市なのにとても静かで環境のよい秋葉神社。気持ちもすっきりしました。

さいたま市西区の秋葉神社に行ってきました DSCN3344

↑空から見送ってくれているカラス。

ちなみにこちら秋葉神社からは、彩の恵やすらぎの杜さいたまメモリアルパーク西上尾メモリアルガーデンも車でそう遠くないところにあるんですよ。

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・忍城水攻 石田堤 行田市 鷺栖神社

2014年2月14日金曜日 雪

今日はバレンタインデー。そして大雪になりました。ホワイトバレンタインですね。弊社大塚は墓石や霊園を取り扱っている会社なのですが、明日明後日にお墓参りなど墓地に行く予定のある方はこちらをご覧ください→先週の墓地の様子。対策を立ててお気を付けくださいませ。雪の日の墓参り、可能ならば別の日にするというのもありかと思います。

ところで本日は、埼玉県行田市にあります鷺栖神社(さぎすじんじゃ)をご紹介いたします。

忍城水攻 石田堤 行田市 鷺栖神社 DSCN2860

ここは、戦国時代後期の忍城の水攻めの石田堤の一部として使われたと言われている神社です。石田堤については以前書きました記事(のぼうの城に登場した土堤、石田堤に行ってきました)がありますのでご興味ありましたら読んでみてください。

場所はJR高崎線の行田駅からほど近い、旧元荒川が蛇行する地域にあります。JR高崎線と上越新幹線に挟まれたこのあたり(門井町、棚田町、壱里山町など)は旧元荒川が大きく蛇行しているため、行田市と熊谷市と鴻巣市(旧吹上町)とが入り組んでいる地域です。

神社の隣にある公民館の住宅地図です。

忍城水攻 石田堤 行田市 鷺栖神社DSCN2850 忍城水攻 石田堤 行田市 鷺栖神社DSCN2852

決して巨大な神社というわけではありませんが、隣に立派な公民館もあり、とてもよく整備され維持管理されている佇まい美しい神社です。

忍城水攻 石田堤 行田市 鷺栖神社 DSCN2859 忍城水攻 石田堤 行田市 鷺栖神社 DSCN2861 忍城水攻 石田堤 行田市 鷺栖神社 DSCN2862

↓こちらの記念碑を読んでみますと、元々元荒川の土手、堤防の上に築かれた神社だったようです。場所的にもその社殿の建つ土盛りの高さからも頷けます。江戸時代までま鷺巣大明神と呼ばれていたのですね。主祭神は日本武尊です。

忍城水攻 石田堤 行田市 鷺栖神社 DSCN2863 忍城水攻 石田堤 行田市 鷺栖神社 DSCN2864

現在の社殿は、平成三年十二月に完成したものになります。

忍城水攻 石田堤 行田市 鷺栖神社 DSCN2868

↓合祀されている伊奈利神社です。おいなりさまですね。

忍城水攻 石田堤 行田市 鷺栖神社 伊奈利神社 DSCN2866

↓こちらは山神社。

忍城水攻 石田堤 行田市 鷺栖神社 山神社 DSCN2865

↓塞神社です。

忍城水攻 石田堤 行田市 鷺栖神社 DSCN2853

こちらには道祖神さまもいらっしゃいます。

忍城水攻 石田堤 行田市 鷺栖神社 DSCN2854 忍城水攻 石田堤 行田市 鷺栖神社 DSCN2855

かろうじて「塞神」の大きな文字が読み取れました。

忍城水攻 石田堤 行田市 鷺栖神社 DSCN2857 忍城水攻 石田堤 行田市 鷺栖神社 DSCN2858

さてこの鷺栖神社、さきにも申し上げましたが、忍城への水攻めの際の堤防として使われたようで、実は今回はその「堤の面影は残っているのか?」ということを主に観察に来たのですが・・・残っていました面影!

右の道路と社殿の高さまでの間に法面、土地の高さを認められます。2メートルくらいでしょうか。

忍城水攻 石田堤 行田市 鷺栖神社 DSCN2869

参拝者のための石段はしっかりと作られています。高低差を確認できます。

忍城水攻 石田堤 行田市 鷺栖神社 DSCN2870

見上げると、結構な高さに感じられます。

忍城水攻 石田堤 行田市 鷺栖神社 DSCN2871

今度は逆に、社殿の高さから道路を見下ろしてみると・・・

忍城水攻 石田堤 行田市 鷺栖神社 DSCN2867

こんな感じの高低差を認められます。

400年以上という長い時間を経る間に元荒川の整備や、荒川の掘削開削による大整備などがあり、鷺栖神社に連なっていた堤防はすっかり消えてなくなってしまっているようです。現在では周りはすっかり住宅地になっていました。逆に言えば、この神社があったがために堤防の名残として現在まで保存されてきたとも言えます。

↓ピンク色の丸印が鷺栖神社の位置です。

石田堤 忍城 水攻 推定 地図 行田市 鷺栖神社の場所

上越新幹線の足元に残る石田堤史跡公園や、丸墓山古墳などとともに後世に残っていってほしい遺構であり、地域の神社です。

余談ですが、行田市のこの周辺からは、墓石・墓地をご紹介している弊社としてはさきたま霊園(のぼうの城に縁があります)や鴻巣霊園、また東松山の森林公園昭和浄苑をお勧めすることができますので、墓地や霊園にご興味のある方もお気軽にお問い合わせください。

———

参考記事

・のぼうの城に登場した土堤、石田堤に行ってきました

・のぼうの城に登場した丸墓山古墳 さきたま古墳公園 石田堤 その①

・のぼうの城に登場した丸墓山古墳 さきたま古墳公園 石田堤 その②

 

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・自分のルーツ、先祖を調べる

2014年1月29日水曜日 晴れ

先日、現在大人気上映中の邦画「永遠の0」を見てきました。途中、目頭が熱くホロホロと涙流さずにはいられない映画でした。小説も読んでいたこともあってか、すんなりとストーリーが頭に入ってきましたが、おそらく映画のみの初見の方でも安心できる、わかりやすい映画だったと思います。

この映画は、現代の主人公が特攻で亡くなったという祖父を調べるという切り口から始まり、祖父を知る様々なご老人の言葉から少しずつ祖父の人間像が浮き彫りとなっていくというストーリー。

生前の祖父を調べる方法とは、いくつかの『戦友会』に主人公の祖父である「宮部久蔵を知る人はいませんか?」という内容の手紙を出すというものだったのです。手紙を出したのは主人公の姉。そして手元にたくさんの返信の手紙が届いたという描写でした。

 

お墓や霊園を取り扱う石材店として、私達の業務にとても近いものを感じました。お墓には「墓誌」という記録媒体が装置として備わっています。自分のルーツを調べるときの一つの手段として、この墓誌を見て探すという一見アナログで時間のかかる方法ではあっても、確実な方法としてあげられます。石は情報の記憶媒体として超長期間残すことのできる媒体でもあるからです。

調べる必要がでる可能性のある事柄としては、自分の家紋(先祖代々の家紋)は何だったのか?お墓はどこにあるのか?お墓には誰が眠っているのか?などなど・・・

もちろん墓地でお墓を眺めて歩かずとも、明治以降であれば戸籍が残っていますし、お寺や仏壇に過去帳が残っているような場合は、そこで調べることで解決する場合も多いと思いますし、親類縁者がいれば、もっと手っ取り早いかもしません。

さらには墓地に管理者がいるような場合なら、自身の目で見て歩かずとも、管理事務所やお寺なら住職が調べてくれる可能性もあります(が、近年は個人情報保護の観点から教えてくれない場合も考えられます)

明治より前、江戸期以前のご先祖様を調べたく、今となっては当時を知る縁者もいなくて、過去帳は戦災で燃えて今はない。

そんなとき、ひょっとしたらお墓の墓誌に刻んである情報がヒントになるようなこともあるかもしれません。

 

 

映画の感想として、とても感じ入ったのが、戦争で亡くなった祖父のことを深く記憶している方々が何人もいたということ。世代と時代を超えて、現代の若者である主人公の胸に祖父を知る人たちの言葉が深く重く響きます。

私たちの日常に照らし合わせてみると、可能ならば存命のうちに、間に合わなくとも故人を知る人と話をしてみるというのも、人と人をつなぐご縁や、故人を偲ぶ供養になるのではないでしょうか。人間性を知ることで、ただの「知人」「縁者」がリアルな人間として改めて目に浮かんでくることもあるのかもしれません。永遠の0のように。

映画「永遠の0」を見終わった後、個人的に気になってしまったのが、若くして亡くなった祖父のお墓は今どうなっているのか?(現在の主人公の姓は「宮部」ではなく諸事情により「大石」。)小説も映画もどちらも戦後のシーンで一言だけ「お墓」という言葉が登場しました。

が、物語の上では、現在のお墓については不明なままでした(^_^;)

戦時中、外征で亡くなった方は「遺骨がない」という方も多かったと思います。

永遠の0での祖父のお墓が物語のその後、きちんと供養され続けられることを祈ります。

 

 

・不動ヶ岡不動尊 總願寺 初詣に行ってきました

2014年1月6日 晴れ

加須市にあります、不動ヶ岡不動尊に初詣に行ってきました。今日は六日ということもあり、初詣に訪れる人も少なく、また出店ももう出ていない状態で、静かにお参りできました。

ここ不動ヶ岡不動尊は、成田市の成田山新勝寺(成田不動尊)、日野市の高幡山金剛寺(高幡不動尊)、加須市の玉嶹山總願寺(不動ヶ岡不動尊)と三つのお不動様に対して関東三大不動尊と呼ばれているひとつで、パワースポットとも言われています。

不動ヶ岡不動尊 總願寺 山門 DSCN2676

金色に塗られた山門です。2011年から5か年計画での平成の大改修により、近年美しく生まれ変わりました。迫力のある仁王様もいらっしゃいます。

不動ヶ岡不動尊 總願寺 山門 仁王様 DSCN2677 不動ヶ岡不動尊 總願寺 山門 仁王様 DSCN2678

↓山門には、十善戒と般若心教を彫った銘板が掲げられていました。

不動ヶ岡不動尊 總願寺 山門 DSCN2679

山門をくぐると、正面に不動堂があります。お正月のBGMが流れていましたが、すいていて静かに参拝できました。

不動ヶ岡不動尊 總願寺 DSCN2680 不動ヶ岡不動尊 總願寺 DSCN2682

決して巨大ではありませんが、重厚感と存在感のある不動堂です。写真ではわかりにくいですが、迫力があります。

不動ヶ岡不動尊 總願寺 DSCN2683

現在の本堂は、江戸時代の天保年間に建てられたとか・・・天保というと、1800年代前半ですので、200年くらい前の建物です。

↓こちらは聖徳太子の碑です。

不動ヶ岡不動尊 總願寺 DSCN2685

ここ不動ヶ岡不動尊には様々な文化財があります。

不動ヶ岡不動尊 總願寺 DSCN2688

不動堂のほか、散蓮華模様青石塔婆、倶利伽羅不動剣、黒門、芭蕉翁句碑もあります。

不動ヶ岡不動尊 總願寺 DSCN2686

↓倶利伽羅不動剣のカタチをした奉納された石碑なども境内の随所にみられます。

不動ヶ岡不動尊 總願寺 DSCN2684

境内の西口にある黒門は、元は行田の忍城にあった北谷門を移築したものだそうです。

不動ヶ岡不動尊 總願寺 黒門 DSCN2691 不動ヶ岡不動尊 總願寺 黒門 DSCN2689

↓こちらは散蓮華模様青石塔婆。

不動ヶ岡不動尊 總願寺 散蓮華模様青石塔婆 DSCN2697

↓以下のように説明版にありました。

青石塔婆(板碑)は、緑泥片岩を用いた石塔婆で、鎌倉時代・室町時代に多く、関東地方で建立された。

この散蓮華模様の青石塔婆は、全国でもまれで近県では、佐野市の一向寺に一基あるのみである。

これは鎌倉時代末期のものであり、高貴な方の供養塔のようである。深彫りのキリーク(阿弥陀如来の種子)があり、対に刻まれた五輪塔にも尊厳さがみられ、誠に珍しい板碑である。

昭和五十三年四月 加須市教育委員会

↑以上、引用です。石材店としてはこういった歴史ある石碑にはついつい目がいってしまいます。

不動ヶ岡不動尊 總願寺 散蓮華模様青石塔婆 DSCN2698

境内にはほかにもいくつかの歴史を感じさせる石塔が建っています。

不動ヶ岡不動尊 總願寺 DSCN2702

不動堂には、年男年女の著名人の名前がずらり。不動ヶ岡不動尊 總願寺 DSCN2693

そういえば、このお不動様は節分の豆まきの際には例年著名人が来ていて、昨年2013年は横綱 白鵬関や、大関 琴欧洲関も来られたそうです。今年は誰がくるのでしょうか。いまから楽しみです。

↓不動ヶ岡不動尊總願寺の由来もとても興味深いです。

不動ヶ岡不動尊 總願寺 DSCN2687

こちらも案内板をそのまま引用してみます↓

不動ヶ岡不動尊総願寺の由来

仁和二年(八八六年)秋、第五十八代光孝天皇は重い病にかかられ、どんな名医、妙薬も少しも効目がなく、日に日にご重態になられるはかりであった。そこで三井寺の開山、智證大師(弘法大師の甥)が、みことのりにより病気平癒を不動明王に御祈願申し上げたところ、たちどころに病気がなおられたので天皇は大師に不動明王のご尊像を刻ませ、同年冬、宮中の仁寿殿で開眼供養し、紫宸殿に安置して歴代天皇の守り本尊とされた。ある時、宮中の役人が明王の宝剣を持ち出して自分のものにしようとしたので明王をご守護申し上げていた堂守は、ある夜ひそかに明王を背負って生まれ故郷の吉見領へ逃れ仮堂を建てて安置した。

長暦三年(一三一九年)大洪水があり、付近一帯は泥海と化しご尊像はその流れの中を漂い、この地へとおつきになられた。里人達はご尊像の尊さに一同ひれふして、明王をおまつりし当時岡村と言われていた地名を不動ヶ岡と変えた。

その後元和二年(一六一九年)に高野山の総願上人がこの地に来られ不動明王の御霊験を讃えて玉嶹山総願寺を建立し、明王を御守護申し上げた。

以来今日まで不動明王を尊崇して参詣する善男善女の数多く、関東三大不動明王の随一として、信仰を集めている。

昭和五十五年三月 加須市

↑以上引用ここまで。

 

また時間ができたら訪れてみたいお不動様です。

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・波除稲荷神社

2013年1月5日 くもり

今日は、東京都中央区にあります波除稲荷神社をご紹介いたします。

初詣ではなく、年末に築地に買い出しに行った際に待ち合わせ場所として寄らせてもらい、お参りしてきました。築地市場に行った時の記事はこちらです

今日1月5日は築地市場年始の初競りの日で、マグロの最高値が736万円(1キロ4万円)だとか。去年の1億5000万円に比べてかなりの落ち着きを見せたそうです。

波除稲荷神社に訪れたときは年末最終日だったので、とても賑わっていました。今日もとても賑わっていたのでしょうね~。市場で働く皆さんがあわただしく行き来しています。

築地 波除稲荷神社 DSC_0013

↑築地波除稲荷神社の入口です。右方向が築地市場の場内、左側と自分のいる後ろ側に場外のお店が広がっています。

築地 波除稲荷神社 DSC_0015

↑神社の後ろに見えるのは立体駐車場。市場を取り囲むように、いくつかの大きな立体駐車場があります。

築地 波除稲荷神社 DSC_0016

巨大なお獅子のあたまが!とっても重そうです。赤い獅子と、黒い獅子がいるのですね。ご祭神を守っているそうです。

築地 波除稲荷神社 DSC_0017

↓拝殿の前には、茅の輪くぐりがありましたので、私も左足から三度くぐってきました。

築地 波除稲荷神社 DSC_0018

築地を守る神社だけあって、市場関係者のみなさんからの石碑の奉納がいくつもみられます。どちらもとても立派な石碑です!

築地 波除稲荷神社 DSC_0019

↑玉子塚と、↓すし塚。

築地 波除稲荷神社 DSC_0020 築地 波除稲荷神社 DSC_0022

↑海老塚。↓左から鮟鱇(あんこう)塚と、活魚塚。

築地 波除稲荷神社 DSC_0023

↓お稲荷様です。

築地 波除稲荷神社 DSC_0024

↓さきほどの黒い獅子頭のある獅子殿にはこんな写真もありました。例祭である「つきじ獅子祭」の様子です。獅子頭を輿にのせて担いでいるのがわかります。すごい迫力と空気感が伝わってきました。このお祭りも一度体験してみたいお祭りです。

築地 波除稲荷神社 DSC_0025

波除稲荷神社は、波除とあるのでてっきり津波が来ても大丈夫だった神社なのかと勘違いしていたのですが、どうやらそうではないようです。

江戸湾の埋め立てを進めていた江戸時代初期、埋め立ての一番の難所がここ築地近隣だったようで、幕府の埋め立て計画の仕上げとして最後にここを着手したようです。難所ということで、いくら堤防をつくっても、その都度激しい高水がさらっていってしまう。ある日海面を光り輝くものが漂っていたので引き上げてみると、稲荷大社のご神体だったそうで、ご神体を丁重に祀ったところ、埋め立ての工事が順調に進むようになった。なので「波除」の文字をつけた稲荷神社となったそうです。

築地に魚河岸ができるずっと以前からある神社ですが、今では築地市場の守り神になっているのでしょうね。

中央卸売市場の移転の話がありますが、これからも変わらずこの地と東京の市場を守っていってほしいものです。

 

※東京都の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・小針神社で初詣

2014年1月2日 快晴

埼玉県伊奈町にあります小針神社に参拝してきました。上越新幹線の脇にあり、埼玉新都市交通ニューシャトルの羽貫駅と内宿駅の丁度中間あたりにあります。大塚のお世話になっている西蔵院さまや西光寺さまも近く、また桶川霊園大塚本社からもそう遠くはない位置にあります。

初詣です。

大きな幟があげられています。

小針神社 初詣 幟 DSC_1565 小針神社 初詣 DSC_1567 小針神社 初詣 鳥居 DSC_1568

深い雑木林がきれいな、抜群の環境の神社です。手入れもなされているので、お散歩ついでに参拝するのもいいかもしれません。

小針神社 初詣 DSC_1570 小針神社 初詣 DSC_1572

参拝客もまだそんにな多くなく、ゆっくりと参拝できました。貸切状態のような感じで撮影できてしまいました。

小針神社 初詣 DSC_1573

立派な狛犬が奉納されています。

小針神社 初詣 狛犬 DSC_1574 小針神社 初詣 狛犬 DSC_1575

今年初めての神社への参拝です。気持ちを落ち着かせて拝礼してきました。

すると、なぜかみるみるうちに参拝客が増えてきて、あっという間に行列ができてきました。私が到着した時はタイミングが丁度よかったみたいでした。行列ができて賑わってくると、やっぱり「初詣」という感じがしてきますね!

小針神社 初詣 DSC_1576

小針神社の杜の中には、富士浅間神社や八雲神社、御嶽社や琴平神社、石神井神社と招魂社もあわせて祀られています。

庚申塔もありました。舟形でとても状態の良い庚申塔です。大切にされてきてことがわかります。

小針神社 初詣 庚申塔 DSC_1578

注連縄がかかってわかりにくいですが、宝暦十三年と彫刻されています。西暦1763年に彫られたものですね。

小針神社 初詣 庚申塔 DSC_1579

この神社は「ふるさとの森」に指定されているそうです。確かに納得できる気持ちの良い(かつ引き締まる)いい雑木林、社叢です。

小針神社 初詣 DSC_1582 小針神社 初詣 DSC_1583

上越新幹線沿いにあります。伊奈町や上尾、桶川などお近くの方は一度参拝されてみてはいかがでしょう。

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・昨日、築地市場に行ってきました!ものすごい混雑にびっくり

12月31日 晴れ

昨日12月30日、お正月の食材を買いに築地市場に行ってきました。12月31日は市場がお休みなので、今年の最終日です。

今回で四年連続の年末の築地市場への買い出しだったのですが、去年までに比べてとても大混雑していてびっくりです。テレビや雑誌でたくさん取り上げられたからでしょうか。車で行ったのですが、首都高銀座ランプを降りると朝6時すぎの段階ですでにびっしりと渋滞が!車を停めるのに難渋しました。

築地と言えば、築地本願寺も気になるところですが、今回は場内市場に集中させていただきます。(場外が好きな皆様、今回は場外は通過してきただけなので、あまり詳しいご報告ができません(^_^;)すみません)

20131230 築地市場 DSC_0009 20131230 築地市場 DSC_0012

築地場外です。たくさんの行列をつくる繁盛店がいくつもいくつもありました。行列のできる店が昨年まではちらほらだったのに対して今年はいくつもいくつも増えているし、行列の長さも長くなっていました。人が多すぎて、歩道をあるくことができません。↑見えているこの道の突き当りにあるのが「波除稲荷神社」なのですが、そこの訪問記事はまた別の機会に記事にしてみようと思います。

20131230 築地市場 DSC_0032

築地場外と場内の境目にあたるエリアです。ここも有名なお店が軒を連ねています。

そんな中、

20131230 築地市場 吉野家 DSC_0028

吉野家一号店です。昔からの河岸の男たちの飯場といった感じで、全国の吉野家さんのカウンター席のルーツを見ることができました。ちなみに箸は背中の壁にあるんだそうです。↓吉野家さんからのメッセージがありました。

20131230 築地市場 吉野家 DSC_0029

吉野家さん、いつもおいしい牛丼をありがとうございます!

20131230 築地市場 豊ちゃん DSC_0033

↑こちらは「豊ちゃん」さんです。吉野家さんから少し離れたところにあるお店です。ここもずらっと行列ができていました。テレビで何度か紹介されていたのでご存じの方もいるかと思いますが、カツカレーの発祥のお店です。ちなみにカツカレーのことは「のっけ」、ご飯にオムライスを乗せたものを「オムのっけ」とみなさん注文されています。吉野家さんの「つゆだく」「ネギ抜き」のように、お客さんが呼びはじめたものっぽい語感ですね。

さて、いよいよ場内に入っていきます。

20131230 築地市場 入口 DSC_0064

ここから先は、仕入れに来たプロの方がたくさん(当たり前ですが)。そして、大江戸線が開通して築地市場駅ができてから、私のような一般客も訪れるようになってきています。年末はむしろ一般客がいっぱいです。

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場内では、場外とはまたちがったカタチでたくさんの商店がずらりとびっしりと軒を連ねています。品物がたくさん店棚に並んでいて、買い出しする人の通路は人が一人通るのがせいいっぱいです。

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↑さきほどの店棚の並ぶ通路と直角に交わるのがこういった道。台車や原付バイクなども行き来しています。

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↑こちらは店棚の反対側の裏側にあたる通路。商品を入れる箱であふれてます。

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一度迷子になったら、入口まで戻らないと出会うことはできなさそうです(汗)

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↓長さのある魚が氷の中に埋まっています。なんの魚なのでしょうか。

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まぐろを捌く様子が見られるお店もたくさんあります。もちろん私もまぐろを買いました!

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↓白ミル貝、大きくてすごい迫力です。

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冷凍のまぐろが断裁されているところです。

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↓すごく長い刃物を発見!こういった刃物は、博物館で見る日本刀か、まぐろを捌くシーンくらいでしか見られないのかもしれません。

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↓こちらのタコ、元気に生きてます。

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↓こちらのK1550円のタコを買いました。

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切られたまぐろの頭が山になってます。

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↓まぐろ、たこの他、数の子、伊達巻、蒲鉾、タラバ蟹、などなど買いこんだら、バッグもぱんぱんです。

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帰路、場内で出た不必要となった発泡スチロールを細かく砕いて処分する場所がありました。こういうのも市場ならではですね。

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帰り道に場外をちらりと見てみますと・・・二時間前とくらべて人がすごいことに!(朝9時くらい)

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完全に歩道が歩道でなくなっています(^_^;)すごいです。

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ここがまたグルメ店が並ぶ有名なエリア。お店の前で食べる人がいっぱいいるので、どうしてもこうなってしまうのですね~。↓こちらは美味を味わっている方々の風景です。うらやましい!

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魚屋さんやお寿司屋さんなどの料理屋さんは毎日市場に仕入れに来ているのを考えると、そういったプロのみなさんの仕入れの邪魔になってはいないかと気になりますが、おかげでとても新鮮でいいものを買うことができました。(知り合いのお寿司屋さんの仕入れに同行させてもらったので、いい品物を選んでもらいました)

それでは、これにて平成25年のブログ記事は最後になります。次のアップは平成26年!

みなさま、よいお年をお迎えください。

※東京都の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・お墓参りで何を思うか、語りかけるか

12月28日土曜日

年の瀬も押し迫ってきました。いよいよもう四つ寝るとお正月です。

年末年始は、春と秋のお彼岸、お盆に次いでお墓参りをする方が多いのではないでしょうか。

今日は、お墓参りの時に墓前で何を思うか、語りかけるかという点をちょっと考えてみます。

 

●感謝する

墓前で手を合わせたとき、ご先祖様や亡き方、お墓に眠っている方に感謝の気持ちを心に思い浮かべるという方は多いと思います。いつも見守っていてくれてありがとう。産み育ててくれてありがとう。生前にしてもらったことについての感謝や、そもそも子孫として存在させてくれたことについての感謝などです。

 

●日頃の報告をする

おかげさまで無事に就職決まったよ。孫が小学校にあがったよ。家を建て直すことになったよ。などなど、自然に心の中で報告している、ということって多いのではないでしょうか。

 

●目標など、自分の決意を伝える

目標のあの大学に入学できるよう頑張るね。お父さんが残してくれた店を頑張って守っていくね。今度のコンテストで入賞できるように努力するね。人生に目標がある人や、強い決意を持つ時などは墓前で心の中でこういった決意表明のような会話をされる方もいるでしょう。

 

●亡き方との思いで語り

お墓で眠る人との思い出を心の中で語られる人もいるかもしれません。あの旅行は楽しかったね。結婚式でお父さんあんなこと言ってたね。よくお母さんに叱ってもらったよね。風邪をひいたときに看病してくれたよね。などなど、思いで語りをしはじめると、ついついいろんな気持ちが次々に浮かんでくるかもしれません。

 

●願い事は要注意?

若い方やお子さんにいるかもしれないのが、手を合わせて願い事を唱えることではないでしょうか。手を合わせるシーンとしては、神社やお寺に参拝した時と、仏壇の前と、いただきますごちそうさまと、そして墓前かと思います。かっちりと明文化されたものがないのがお墓参りの仕方です。手を合わせて目をつぶり心の中で何かを唱えるという部分から、神社やお寺での参拝とごっちゃになってしまっているかもしれません。宝くじが当たりますように。彼氏ができますように。など、ご先祖様やお墓で眠る人の立場になって考えてみると、きっと気持ち的に応援はしてくれると思いますが、実際に運を左右させるようなパワーを発揮してくれるのかというと、疑問が出てしまいます。「ほとけ」さまではあるけれど、阿弥陀如来や大日如来、観音様やお地蔵様ではありません。いつかは氏神様になってくれるご先祖様も、godではなく、祖霊というものではないでしょうか。ご先祖様に「ご利益」を求めるのはいかがなものでしょう。「かわいい孫の願いでも、おじいちゃんは運命を変えられないよ(^_^;)」と思われてるかも?

 

お墓参りの際に心に何を思うかについては、何が正しいということはないと思います。が、もし勘違いをしている方がいるのならば、家庭や親族の教育という意味でも確認してみて、お墓参りで何を語りかけるかについて話をしておくというのは悪いことではないでしょう。もし機会があったらお墓参りへの道すがらにでもそんな話をしてみてもいいかもしれません。

余談ですが、昨年の初詣のとき、すれちがった若いカップルさんが「このおみくじ、捨てる場所どこにあるんだろうね~」と言っていてびっくりしてしまいました。おそらくシーンとしてはおみくじを結ぶ場所を探していたのだと思います。「捨てる」という言葉にしている感覚にびっくりです。まだ若い人たちだったので、大人になるうちにいろんなことを覚えて考えて感じていくと思いますので、そんな言葉は使わなくなるかもしれません。が、他人事ながら少し心配になってしまいました。

と、ここまで書いてみましたが、私自身は宗教家でも民俗学の学者でもないので、お墓参りや神社仏閣にお参りするときに、間違ったことをしてしまってはいないか、もっともっと勉強しなきゃな、と感じております。

もし間違えてしまっていたら、ご先祖様、神様仏様、ご容赦ください(^_^;)

 

 

・子授け・安産・初宮・縁結びの神様、香取神社に行ってきました!

12月26日

一昨日になりますが、クリスマスイブの24日に子授け・安産・初宮・縁結びで有名なの埼玉県越谷市の香取神社に行ってきました!

子授け・安産・初宮・縁結び 香取神社

たまごクラブにも掲載されたことがあるとか。女性の強い味方の神社なんです!

拝殿に向かう参道です。厳かな気持ちにさせてくれます。神様、よろしくおねがいします。

子授け・安産・初宮・縁結び 香取神社1

拝殿までたどり着きました。参拝した日はクリスマスイブということもあってか、それとも寒いからか、ゆっくりと参拝することができました。お正月になるとお参りの方と出店で賑やかになるんでしょうね~!

子授け・安産・初宮・縁結び 香取神社2

↓安産の石をみつけました!「この石をなでると 子授け、安産が叶います」だそうです。

子授け・安産・初宮・縁結び 香取神社3

↓ご神木にもご利益があるみたいです。「木に触れて素敵な縁を願いましょう」とあります。早速パワーを授けてもらわないと(^○^)

子授け・安産・初宮・縁結び 香取神社4

↓榊にも案内板が。「冬でも青々とした葉が茂り、神さまが宿るとされる木(玉串)」とあります。確かに真冬なのにとってもイキイキしていますね!

子授け・安産・初宮・縁結び 香取神社5

なかなか普段は来れないパワースポットなので、落ち着いてお参りしてきました。ご利益にあずかることができましたら・・・よろしくお願いします!

この香取神社、主祭神は経津主大神(ふつぬしのおおかみ)またの御名を伊波比主命(いわいぬしのみこと)なのですが、この神様は実は武勇の神様で、その他に勝運・厄除・交通安全・商売繁盛・縁結び等のご神徳があるそうです。

奥州街道と日光街道に面した、武州大沢宿の鎮守ということで発展してきたそうですが、あわせて祀られている神さま十三柱のうちの、木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)の安産・子授けのご利益が注目を浴びたのでしょう。

クリスマスに神社にお参り、というのも日本人らしくていいなぁ~と感じました。

 

 

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