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記念碑・モニュメント」カテゴリーアーカイブ

・行田の田んぼアート2014を見に行ってきました。

2014年9月2日火曜日 晴れ

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置く石材店の大塚ブログです。東京・神奈川・埼玉・千葉・群馬・静岡の霊園と墓地をご紹介し、墓石の製造加工と据付施工工事をしております。

今日は、大塚本社のMKさんからの記事になります。以下本文↓

 

8月某日、家族と行田の田んぼアートを見学しに行ってまいりました。

行田の田んぼアート2014を見に行ってきましたIMG_0065 古代蓮

タワーは結構高くてびっくりしました。

行田の田んぼアート2014を見に行ってきましたIMG_0060 古代蓮地図 行田の田んぼアート2014を見に行ってきましたIMG_0063 古代蓮 タワー

田んぼアートは地元の中学生など様々な人が協力しながら作っていると聞いて、田んぼアートが今までとは違う見方ができました。

行田の田んぼアート2014を見に行ってきましたIMG_0074 展示 制作風景 田植え

思っていたよりも大きくて、全体を写すのは無理でしたが、初めて見る田んぼアートに感動いたしました。

行田の田んぼアート2014を見に行ってきましたIMG_0070 行田の田んぼアート2014を見に行ってきましたIMG_0076

その他、館内は様々な展示物があり、子供を連れて見学するには丁度よいところでした。

行田の田んぼアート2014を見に行ってきましたIMG_0066 展示 のぼうの城 行田の田んぼアート2014を見に行ってきましたIMG_0067 行田の田んぼアート2014を見に行ってきましたIMG_0072 展示 行田の田んぼアート2014を見に行ってきましたIMG_0079 古代蓮 展示 行田の田んぼアート2014を見に行ってきましたIMG_0080 古代蓮 展示 行田の田んぼアート2014を見に行ってきましたIMG_0081 古代蓮 展示

古代ハスは季節外れで、あまりきれいではありませんでした。

行田の田んぼアート2014を見に行ってきましたIMG_0064 古代蓮 行田の田んぼアート2014を見に行ってきましたIMG_0062 古代蓮

※次回こそギネスに登録されるよう応援していきましょう。

行田の田んぼアート2014を見に行ってきましたIMG_0061 蓮 船 ものつくり大

 

田んぼアートと古代蓮のある行田市には、弊社大塚にてご案内できる霊園として「さきたま霊園」があり、さきたま霊園の経営主体になっている高源寺さまの「高源寺墓苑」もご案内ができます。ご興味ありましたらあわせてご参照ください。

さきたま霊園の墓地情報のページ

高源寺墓苑の墓地情報ページ

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・本田航空とその周辺 旧陸軍熊谷飛行学校桶川分教場関連戦跡

2014年8月27日 水曜日

こんにちは。霊園と墓地をご案内し、墓石の製造加工と建立施工工事をやっております石材店の大塚ブログです。

先日、桶川市と川島町にまたがる場所にある本田航空に行ってきました。

DSC_0104_20140823 本田航空 本田エアポート セスナ 滑走路 DSC_0106_20140823 本田航空 本田エアポート セスナ 滑走路

荒川の河川敷にあります滑走路に遠くからセスナ飛行機がやってきて着陸し・・・

DSC_0107_20140823 本田航空 本田エアポート セスナ 滑走路 DSC_0108_20140823 本田航空 本田エアポート セスナ 滑走路

そのまま止まらずにタッチアンドゴー。再び上空に上昇していきます。

DSC_0109_20140823 本田航空 本田エアポート セスナ 滑走路 DSC_0110_20140823 本田航空 本田エアポート セスナ 滑走路

ここは本田航空の滑走路。ホンダエアポートや、桶川飛行場ともいいます。

DSC_0114_20140823 本田航空 本田エアポート セスナ 滑走路

大きな荒川の河川敷なので、そらがとても広くてとても風が気持ちよく感じられます。

DSC_0115_20140823 本田航空 本田エアポート セスナ 滑走路

並んで駐機されている飛行機があり

DSC_0116_20140823 本田航空 本田エアポート セスナ 滑走路

その向こう側には、弊社がお世話になっています泉福寺さまの森と、木々越しに御本堂の屋根が見えています。↑写真の正面の森が泉福寺さまです。

また飛行機がきました。

DSC_0120_20140823 本田航空 本田エアポート セスナ 滑走路 DSC_0121_20140823 本田航空 本田エアポート セスナ 滑走路 DSC_0122_20140823 本田航空 本田エアポート セスナ 滑走路

エンジンの爆音を聞いていると、まわりののどかな風景とあいまって、スタジオジブリの映画「風立ちぬ」が思い出されます。

ジブリ映画の「風立ちぬ」といえば、戦中の話です。そして、ここ本田航空の滑走路は、旧陸軍滑走路だった場所を活用しています。熊谷陸軍飛行学校桶川分教場(桶川飛行学校)の滑走路として戦前は使われていたわけです。(以前の記事「・埼玉県桶川市 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡(桶川飛行学校)に行ってきました①」「・埼玉県桶川市 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡(桶川飛行学校)に行ってきました②」)

DSC_0137_20140823 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場 桶川飛行学校 滑走路 本田航空 本田エアポート 戦跡

↑画像奥が滑走路と泉福寺の森。滑走路に近い場所にある土手の突端上に、何やら古いコンクリートの基礎らしきものがあります(画像手前)。反対方向をみてみると、こんな感じに土手が続いていおり↓荒川のメインの土手とT字

DSC_0138_20140823 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場 桶川飛行学校 滑走路 本田航空 本田エアポート 戦跡

↑正面奥に見える建物は本田航空のビルです。四角い基礎には何かを設置していたであろう金属棒の跡もみられました。

DSC_0135_20140823 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場 桶川飛行学校 滑走路 本田航空 本田エアポート 戦跡 DSC_0136_20140823 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場 桶川飛行学校 滑走路 本田航空 本田エアポート 戦跡

四角い基礎の隣にある、謎のコンクリート塊。↑左が滑走路を見て、右が本田航空のビルをみての画像です。形状は四角錐型のような、ピラミッドにも似たカタチです。何かのアンカー、何かを繋ぎ止めていたっぽいカタチです。謎です。

どちらもずいぶん古いコンクリートです。ひょっとしたら戦中の陸軍桶川飛行場時代の遺物なのかな?

DSC_0131_20140823 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場 桶川飛行学校 滑走路 本田航空 本田エアポート 戦跡

荒川の土手の向こう側にある本田航空のビルです。土手のT字の交差している先になります。いくつも大きな格納庫があり、救助ヘリなどがあります。

そのすぐ近く、土手の手前に陸軍飛行場時代の格納庫があったそうです。その格納庫の一角にはこんなものが↓

DSC_0127_20140823 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場 桶川飛行学校 滑走路 本田航空 本田エアポート 戦跡 DSC_0128_20140823 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場 桶川飛行学校 滑走路 本田航空 本田エアポート 戦跡 DSC_0129_20140823 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場 桶川飛行学校 滑走路 本田航空 本田エアポート 戦跡 DSC_0130_20140823 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場 桶川飛行学校 滑走路 本田航空 本田エアポート 戦跡

夏なので雑草に覆われてしまっていますが、こちらは明らかに戦中の戦跡です。陸軍飛行場の格納庫がここにあったのですが、その一隅にあった櫓の基礎だそうです。桶川飛行学校の兵舎跡にて案内係さんに教えてもらいました。

ここ本田飛行場の周辺は自然がいっぱいです。

砂利道を南下するとのどかな風景が見えてきました。

DSC_0074_20140823 本田航空 本田エアポート周辺

西上尾メモリアルガーデンの近くの、榎本牧場さんの牧草地だそうです。

DSC_0140_20140823 本田航空 本田エアポート周辺 DSC_0141_20140823 本田航空 本田エアポート周辺

真上を飛行機が通過していきます。遠くからやってきて、またタッチアンドゴーをするのかと思われます。

DSC_0144_20140823 本田航空 本田エアポート セスナ 滑走路 DSC_0145_20140823 本田航空 本田エアポート セスナ 滑走路

飛行場のほうに降りていきました。

DSC_0154_20140823 本田航空 本田エアポート セスナ 滑走路

それにしてもとても環境のよい河川敷です。

DSC_0156_20140823 本田航空 本田エアポート周辺 DSC_0157_20140823 本田航空 本田エアポート周辺

周辺は地平線が見えそうなくらい草原が広がっていて、「北海道だよ」と言われたら信じてしまいそうな場所ばかりです。

DSC_0072_20140823 本田航空 本田エアポート周辺 DSC_0071_20140823 本田航空 本田エアポート周辺

こちらは↓荒川から少し離れた場所にある、川島町の入間川なのですが、同じようにとてものどかな風景です。

DSC_0066_20140823 本田航空 本田エアポート周辺 DSC_0068_20140823 本田航空 本田エアポート周辺

橋から見える川の様子。

DSC_0069_20140823 本田航空 本田エアポート周辺 DSC_0070_20140823 本田航空 本田エアポート周辺

日がな一日、空とセスナを眺めながらゆっくりと時間を過ごすには最適の場所なのではないでしょうか?

 

参考記事

・埼玉県桶川市 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡(桶川飛行学校)に行ってきました①

・埼玉県桶川市 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡(桶川飛行学校)に行ってきました②

 

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・20140814 埼玉県久喜市 香最寺の施食会

2014年8月15日 金曜日 晴れ

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置く、墓石の製造加工と据付施工の石材店、大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

昨日、埼玉県久喜市六万部にあります香最寺さまにて施食会がありました。墓地ご案内用の折込チラシに使用できる写真を撮ることができれば、とお邪魔してきましたのでご報告の記事といたします。

施食会が始まる前に境内の様子を撮影してみました。

埼玉県久喜市 香最寺 20140814 施食会DSC_0055

施食会のために、日よけのテントが用意されています。かき氷と冷たい飲み物もふるまわれるとのこと。

埼玉県久喜市 香最寺DSC_0052 埼玉県久喜市 香最寺DSC_0045

「曹洞禅寺龍雲山香最寺」。ご本尊は約30センチの延命地蔵尊なのですが、歴代住職墓所の移転の際、等身大になられました。新編武蔵風土記稿によると、ご本尊は弘法大師空海の作とされています。

埼玉県久喜市 香最寺DSC_0042 埼玉県久喜市 香最寺DSC_0037 埼玉県久喜市 香最寺DSC_0040 埼玉県久喜市 香最寺DSC_0039

↓こちらは天満宮と、六地蔵。禁葷酒の石碑もあります。

埼玉県久喜市 香最寺DSC_0036 埼玉県久喜市 香最寺DSC_0046

葷とは、強い匂いのするニラやネギなどの植物。禁葷酒とは、強いにおいのする植物を食べたり、お酒を飲んだ後は入るべからず。というような意だそうです。

↓すぐ隣には、香最寺が経営母体になっています霊園の「久喜聖地公苑」があります。

埼玉県久喜市 香最寺 20140814 施食会DSC_0049

そうこうしているうちに、香最寺の入り口にある駐車場がだんだん埋まってきました。たくさんの方が来山されるようですね!

埼玉県久喜市 香最寺 20140814 施食会DSC_0043 埼玉県久喜市 香最寺 20140814 施食会DSC_0044

本堂内での施食会の法要終了にあわせ、本堂の前が徐々に賑わってきます。

埼玉県久喜市 香最寺 20140814 施食会DSC_0074 埼玉県久喜市 香最寺 20140814 施食会DSC_0075

並べられた塔婆と、自家の塔婆を探す方々。

埼玉県久喜市 香最寺 20140814 施食会DSC_0093 埼玉県久喜市 香最寺 20140814 施食会DSC_0094 埼玉県久喜市 香最寺 20140814 施食会DSC_0095 埼玉県久喜市 香最寺 20140814 施食会DSC_0105

かき氷と冷たい飲み物は、みなさんに大人気だったようです。

埼玉県久喜市 香最寺 20140814 施食会DSC_0110 埼玉県久喜市 香最寺 20140814 施食会DSC_0115

私もいただきました。とってもおいしかったです。ごちそうさまでした!

埼玉県久喜市 香最寺 20140814 施食会DSC_0142 埼玉県久喜市 香最寺 20140814 施食会DSC_0143

とても魅力的な、地域のみなさんに愛されているお寺だなぁ~と感じた一日でした。

~ ~ ~ ~ ~

↓香最寺の近くのスポットについて以前に書いた記事

・イチョウの落ち葉の綺麗な絨毯

・まだ紅葉が残っていました

・紅葉 20131120

・モラージュ菖蒲に行ってきました

 

 

↓こちらもご参考まで。

大塚サイト内での、香最寺さま墓所御紹介ページ

大塚サイト内での、久喜聖地公園紹介ページ

 

お墓、墓石については、下記問い合わせまでお気軽にご相談・ご質問ください。お墓ディレクター有資格者(石産協)やお墓相談員(全優石)など専門の知識のある者が石匠位認定店(全石協)として丁寧にご対応させていただきます。

お問い合わせ、ご来店の際はこちら → お墓無料相談窓口

お問い合わせ番号 0120-36-1217(代表)

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりました

2014年8月12日 火曜日 雨

こんばんは。埼玉県上尾市に本社を置きます石材店の大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

昨日、埼玉県北足立郡伊奈町にあります願成寺さまに行ってきました。本堂を建て替えられたということで、墓地販売用のチラシに使う写真撮影をさせていただきました。

今日はその外観の様子を見ていただこうと思います。

埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0118 埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0119

入口から進んでいきますと、白い綺麗な壁の向こう側に真新しい本堂が見えてきます。

以前はこんな感じでした↓

埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺本堂 ganjyouji1 埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺本堂 ganjyouji3

山門の正面に本堂があります。

埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0113山門 八幡山 埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0114山門 八幡山

白壁がとても美しい願成寺。長屋門もとても印象的です。

埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0115山門 白壁 埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0117長屋門

真新しい本堂は、まだ白木が若々しく光り輝いて見えるようです。

埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0106 埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0111

墓域からもとてもきれいに見ることができます。

埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0098 埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0092

本堂の屋根瓦には浄土宗の宗紋があります。

埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0102 埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0105

この宗紋は、月影杏葉(つきかげぎょうよう)という紋で、法然上人の生家である漆間家の紋に由来しており、宗歌「月かげ」より月を配した紋にて定められたものです。宗歌とは『月かげの いたらぬさとはなけれども ながむる人の心にぞすむ』という法然上人作の歌で、勅撰和歌集の「続千載和歌集」におさめられている歌になります。私も好きな歌です。

埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0112 客殿

ちなみに、↑本堂に隣接している客殿の屋根瓦には

埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0120 客殿屋根瓦

三つ葉葵の紋が。そして「願成寺」の文字のある瓦も使われています。菊の紋、三つ葉葵の紋は宗派として使用の許可を取っておりますので、本堂の屋根瓦にも使用することができるのですが、宗紋を使うことにしたそうです。

墓域に戻りますと、ここ願成寺には貴重な文化財としてのお墓があるのです。伊奈熊蔵忠勝のお墓です。

埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0086伊奈熊蔵忠勝の墓 宝篋印塔 埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0085伊奈熊蔵忠勝の墓 宝篋印塔 埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0089伊奈熊蔵忠勝の墓 宝篋印塔 埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0090伊奈熊蔵忠勝の墓 宝篋印塔 埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0084伊奈熊蔵忠勝の墓 宝篋印塔

立派な宝篋印塔を中央に三つ配されており、その他小ぶりな宝篋印塔や五輪塔などの石塔が並んでいます。忠勝は元和5年(1619年)に没しましたので、約400年前に建てられたお墓ということになります。石塔の保存性の高さに驚かされます。

埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0081伊奈熊蔵忠勝の墓 宝篋印塔

伊奈家は、伊奈町の名前の元にもなった江戸時代の有力代官です。埼玉県の伊奈町だけでなく、茨城県の伊奈や、長野県の伊那も伊奈氏にゆかりのある土地です。伊奈熊蔵忠勝は、有名な関東郡代である伊奈忠次の孫にあたり、父忠政の急逝により若干8歳で伊奈家の当主になったものの、翌年わずか9歳でこの世を去ってしまいました。このため、伊奈家はお家断絶となってしまいます。(その後、断絶を惜しんだ幕府によって、分家が伊奈家を再興されました。)

埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0088 伊奈熊蔵忠勝の墓 宝篋印塔

 

伊奈町の指定史跡になってます。熊蔵というのは世襲の名前。伊奈熊蔵忠勝は徳川家光に近侍していたようです。

伊奈家については次の記事でも触れています。

・埼玉県川口市 赤山城(赤山陣屋)に行ってきました その①

・埼玉県川口市 赤山城(赤山陣屋)に行ってきました その②

・伊奈町立郷土資料館に行ってきました その①

・伊奈町立郷土資料館に行ってきました その②

 

 

さて願成寺の新築本堂。

いよいよ内部に進んでみたいと思います。

埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0079

本堂の内部もとても美しく仕上げられています。また、ここにしかない宝物もあります。内部のご紹介は次回につづきます→・埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さまの新しくなりました本堂内部

 

↓こちらもご参考まで。

大塚サイト内での、願成寺さま墓所御紹介ページ

 

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※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・埼玉県上尾市 遍照院のご紹介

2014年8月8日金曜日 曇り時々雨

こんにちは。墓地をご案内し、墓石の製造加工と据付施工をしております石材店の大塚のブログです。

昨日、大塚本社からほど近い上尾市上町にあります、弊社がいつも大変お世話になっている遍照院さまをご紹介いたします。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0049 埼玉県上尾市 遍照院DSC_0051 山門 

JR上尾駅東口からすぐです。上尾駅東口ロータリーからすぐの県道164号の中山道を越えて間もなく見えてきます。

山門ごしに見える、鐘楼や薬師堂、そして大きな屋根の本堂がとても美しいお寺です。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0053 山門 埼玉県上尾市 遍照院DSC_0056山号

山門の前には、左右にお地蔵様がいらっしゃいます。合わせて植栽のきれいな庭を楽しむこともできます。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0054お地蔵様と灯篭 埼玉県上尾市 遍照院DSC_0052お地蔵様と無縁塔

山門をくぐってみましょう。松の木越しに見えてくる本堂がとても美しいです。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0058本堂

左手には、藤棚と鐘楼が。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0057藤棚と鐘楼

藤の季節には、とってもきれいな藤の花を見ることができたんですよ!(その時の記事はこちら)

20140423埼玉県上尾市 遍照院の藤DSCF44051

そんな藤棚、よく見てみると、藤の実がなってます!そしてセミの抜け殻も見られました。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0094藤棚と藤の実 埼玉県上尾市 遍照院DSC_0095-藤棚とセミの抜け殻

角度を変えて鐘楼を見てみます。山門と松の木と鐘楼です。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0066山門と鐘楼と藤棚と桔梗

おや、松の木の足元には・・・

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0067桔梗 埼玉県上尾市 遍照院DSC_0069桔梗

薄紫色のかわいらしい桔梗の花が咲いてます!

鐘楼の反対側を見てみましょう。

薬師堂が目に入ってきます。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0059薬師堂

地蔵菩薩さまの足元にはたくさんのぬいぐるみや人形がいます。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0060お地蔵様

手水舎です。身を清めましょう。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0061水屋

手水の作法が書かれていました。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0062手水の作法

せっかくですので引用してみます。

手水の作法

先 柄杓を右手で持ち水をくむ。※この一杯で全ての過程を行う。
次 左手を洗う。
次 柄杓を左手を持ち替えて右の手を洗う。
次 柄杓を再び右手に持ち替え左の手に水を受けて口をすすぐ。※柄杓に口をつけてはいけません。
次 左の手を洗う。
次 柄杓の柄(持ち手)を下にして傾け残った水で柄(持ち手)を洗う。
次 柄杓を元の位置に伏せて置く。

身代わり拭い不動さまがいらっしゃいます。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0063身代わり拭い不動 童不動水かけ願い 埼玉県上尾市 遍照院DSC_0065身代わり拭い不動 童不動水かけ願い

本堂が近づいて来ました。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0071本堂

本堂に向かって右側にいらっしゃるのが弘法大師さま。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0075本堂と弘法大師

左側にいらっしゃるのが興教大師さま。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0072本堂と興教大師

弘法大師さまのさらに右側には、水辺があります。中央には観音様がいらっしゃいます。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0080観音様 埼玉県上尾市 遍照院DSC_0091観音様と池

水辺をよくみてみると、メダカがたくさん泳いでいるのが見えました。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0081池 埼玉県上尾市 遍照院DSC_0082池のめだか

いよいよご本堂です。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0086本堂

ご本尊は南無大聖不動明王さま。ひだりがわにはご真言の「のうまくさまんだ ばさらだんせんだ まかろしゃだ そわたやうんたらたかんまん」と書かれてます。

ご本尊に手を合わせ。

美しい彫刻についつい目がいってしまいます。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0087本堂の彫刻 埼玉県上尾市 遍照院DSC_0088本堂の彫刻 埼玉県上尾市 遍照院DSC_0089本堂の彫刻 埼玉県上尾市 遍照院DSC_0090本堂の彫刻

御本堂をあとにいたします。

大きな供養塔が並んでいる場所の向こう側には墓域が広がっています。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0092供養塔

遍照院の墓地は、そもそも駅近くの市街地中心部にあるということもあってか、遍照院の美しい境内もあってか、とても人気の墓地です。

埼玉県上尾市 遍照院DSC_0093鐘楼と山門とシティタワー上尾駅前 タワマン

寺院建築と高層マンションのコントラストは、まさに日本の縮図というふうに感じられますね。

遍照院さまでは、さまざまな催しものや教室などもされているようですので、ご近所にお住まいでご興味のある方は遍照院さまのサイトを見てみてはいかがでしょうか→遍照院さまサイト

↓こちらもご参考まで。

大塚サイト内での、遍照院さま墓所御紹介ページ

 

お墓、墓石については、下記問い合わせまでお気軽にご相談・ご質問ください。お墓ディレクター有資格者(石産協)やお墓相談員(全優石)など専門の知識のある者が石匠位認定店(全石協)として丁寧にご対応させていただきます。

お問い合わせ、ご来店の際はこちら → お墓無料相談窓口

お問い合わせ番号 0120-36-1217(代表)
※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・埼玉県桶川市 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡(桶川飛行学校)に行ってきました①

2014年8月6日水曜日 晴れ

こんにちは。関東一円にて霊園と墓地をご案内し、墓石の製造加工と墓地への施工をしております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

今日は8/6。広島平和記念日、広島原爆忌です。テレビ番組や新聞雑誌など、第二次世界大戦と戦後の混乱期についての話題やドキュメンタリー、ルポなども多く目に入る季節です。今日6日の広島原爆忌、9日の長崎原爆忌、15日の終戦記念日(終戦の日、戦没者を追悼し平和を祈念する日)と続くこの季節。新暦での8月盆とも重なることから、全国各地で慰霊の行事が行われます。慰霊ということになりますと、弊社取扱いの「墓石」は供養塔ということになりますので、供養業界にいる石材店としても遠からず関連性のある季節でもあります。

そんな中、私ブログ担当Tは先日埼玉県桶川市にあります「熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡」に行ってきました。桶川飛行学校と通称されてもいます。写真の量がたくさんありますので、二回に分けて記事にすることにしてみます。(後半の記事は、埼玉県桶川市 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡(桶川飛行学校)に行ってきました②になります)

近年、小説でベストセラーとなり、映画も大ヒット、ドラマ化などの話題も尽きない「永遠の0」でゼロ戦や特攻について大きく話題になりましたが、ここ桶川飛行学校もたくさんの情報があり、ここから特攻に向かわれた方々もいました。永遠の0でご興味のわかれた方は一度は訪れてもいいのでは、と思われる施設です。

※詳しくは「旧陸軍桶川飛行学校を語り継ぐ会」のhpをご覧ください→こちら

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0067 本部兵舎 宿舎

建築以来、76年もの間生き残ってきたという奇跡的な建物です。旧日本軍の飛行学校の建物としては、知覧にも残っていない日本で唯一の建築物。史跡価値のとても高い場所です。

場所はこちら↓

埼玉県道12号川越栗橋線の、荒川を渡る太郎右衛門橋の桶川側の北側にあります。拡大↓

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0149-

荒川の対岸にあります本田エアポート、本田航空の近くです。というよりも、本田エアポートの滑走路は元々はここ飛行学校の滑走路であったわけです。

県道からの行き方は次の通り。

太郎衛門橋のたもと、県道の最初の信号近くから、このような看板↓が見えます。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0048 案内看板

その先にはまた看板が。昔の写真をそのまま活用されてます。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0049 案内看板

直進すると荒川沿いのグラウンドになりますが、この交差点を右に曲がると飛行学校があります。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0050 案内看板 入口 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0051 案内看板

100メートルくらい進むと見えてくるのがこちら↓飛行学校の跡地入口です。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0052入口

この後、説明をしてくれた案内係さんが教えてくれましたが、↑この写真の左側に戦後すぐ進駐軍が駐屯し、カマボコ兵舎が二棟建っていたそうです。

↓正門跡でしょうか。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0055 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0056

熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡

公開日:土曜、日曜、祝日
10:00~16:30(冬季16:00)

※本会のボランティアが解説していますので、お声かけください。
車は左側に止めてください。自転車は正面建物の右に置いてください。

※ここは本会が所有者桶川市の立ち入り許可を得て公開しています。

特定非営利活動法人 旧陸軍桶川飛行学校を語り継ぐ会

入口の脇にあります↓境界杭 陸軍

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0057境界杭 陸軍

入口の左側奥には、弾薬庫跡があります。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0053 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0059 弾薬庫 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0058 弾薬庫

すぐ隣、入口すぐの場所には守衛所が。正門脇にあったのでしょう。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0060守衛所 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0065 守衛所 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0054守衛所 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0061守衛所

この「守衛所」の文字のすぐ近くに掲示されている、建物配置図です。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0062本部兵舎 建物配置図

配置図と照らし合わせながら確認してみると、

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0064 本部兵舎 車庫 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0066 本部兵舎 車庫

↑こちらの建物は入口から入ると右手に見えるのですが、どうやら「車庫」のようです。あとから教えてもらったところによると、戦後改造されて住居として使用されていたようです。が、よーく見てみると確かに車庫の形の建物でした。

それにしても、築76年で、戦後69年。よくぞ残されていたものです。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0063 本部兵舎 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0067 本部兵舎 宿舎

↑こちら、正面に見えている建物が飛行学校の本部兵舎。宿舎になります。現存している建物の中心的なものになります。向かって左側が訓練生の宿舎、やや右側が士官の部屋、一番右が医務室で、当時珍しくも看護婦さんたちもいたそうです。パイロットは貴重な人材ですので、様々な待遇も他の兵種とは違っていたのでしょう。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0143-

沿革によると、戦後桶川市所管の市民住宅「若宮寮」として300名以上が生活。その後平成19年(2007年)まで住居として使用され、最後の住人の転居にともない、更地にされてしまうところを保存署名運動が起こります。平成22年(2010年)国有地を桶川市が取得。桶川市は有識者8名選任の「跡地活用検討委員会」に委嘱。委員会は「現状を保存することが望ましい」と市に提言書を出したそうです。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0143 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0144

↑右の看板に、この施設の紹介と趣旨がわかりやすく書かれていますので引用させていただきます。

ご来館の皆様

桶川飛行学校

ここ桶川飛行学校は、熊谷陸軍飛行学校桶川分教場として昭和12年(1937)6月開校され、以来終戦まで約1,600名の操縦士が陸の荒鷲(あらわし)として巣立ち、空の護りとして活躍しました。その中には、特別攻撃隊第79振武隊として昭和20年4月5日に桶川飛行場を飛び立った12名の勇士も含まれております。

敗戦と復興

しかし、国力を挙げての戦争も敗戦となり、焼土からの復興へと国情が一変しました。日本人特有の勤勉性は、あらゆる困難を克服して驚異の復興を遂げ、経済大国と称されるまでに発展しました。これは人々の努力もさることながら、先の大戦で亡くなられた多くの御霊(みたま)のご加護があったことを忘れてはなりません。

桶川飛行学校を語り継ぐ会

幸いにも左図のように当時の施設が残っております。私達は「平和を考える館(やかた)」にしようと、「桶川飛行学校を語り継ぐ会」を結成し、遺族・関係者などから遺書・写真・手記などの提供を受けて展示し、所要の説明を致しております。皆様のご来館をお待ちしております。

平和の希求

戦争は殺戮と破壊をもたらすのみの行為で、絶対にあってはなりません。過去にあった事実の一端をお目にかけ、そこから得られる教訓を将来に生かし、ともに「平和な日本」の実現を目指しましょう。そのことが今は亡き人々の御霊に報いる私たちの進むべき道ではないでしょうか。

どうぞ、ごゆっくりごらんください。

平成23年9月25日 旧陸軍桶川飛行学校を語り継ぐ会

↓本部兵舎の中央入口です。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0140 本部兵舎 宿舎入口 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0142 本部兵舎 宿舎 入口 

熊谷陸軍飛行学校桶川分教場本部兵舎跡と書かれた看板が掛かっています。残念ながら「跡」とありますので、戦中の看板ではなく近年掛けられたものになります。おそらく元々の看板などは終戦時に武装解除などなどの処置の際に破却されたのでしょう。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0141 本部兵舎 宿舎 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0145 本部兵舎 宿舎 医務室

↑右の写真の中央が士官の部屋で、右に続いているのが医務室です。

ここは、戦後取り壊されることなく、満蒙開拓から内地に戻られた方々や、家を焼け出された方々のための宿舎として長い間利用されてきました。「若宮寮」と名付けられ、多くの世帯がここで暮らしていたそうです。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0147 本部兵舎 宿舎 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0148 本部兵舎 宿舎

そういった歴史を考えながら観察してみると、「生活感」を見ることができます。元々のガラスは76年前のものなので、現在の完成度の高いガラスとは違って表面がうねっているように見えますし、戦後の居住生活の名残りとして別のスリガラスに変わっていたり、戸や桟も変わっていたりなど散見できます。とはいえ、全体的な印象としては、「古い学校」といった雰囲気。古い建物特有の独特の空気と、どこか懐かしい古い木材の匂いがして、ここだけ時間が止まっているような錯覚を起こしてしまいそうです。

建物の裏側にまわってみましょう。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0122 本部兵舎 宿舎20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0123 本部兵舎 宿舎

なんと兵舎の一番端は朽ちて崩れてきています!

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0146 本部兵舎 宿舎

↑こちら手前の戸を開けると医務室。朽ちている箇所の同じ建物反対側になります。この写真の右側にあるのが防火水槽。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0133 防火水槽

↓本部兵舎を振り返ってみてみたところ。右側には教室があったそうですが、火事か何かでなくなってしまったとのこと。現在は家庭菜園のような感じになってました。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0150 本部兵舎 宿舎 教室跡地

↓こちらは本部兵舎の裏に渡り廊下で進んだ先にある被服倉庫と便所になります。「便所」と書かれています。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0124 被服倉庫 便所

当時使われていた井戸がありました。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0151 本部兵舎 井戸

↓こちらは窓枠などではなく、一枚ものの大きな鏡。とてもきれいな鏡なのですが、こちらも戦中から生き残った鏡だとか。保存状態の良さと、その強さに驚いてしまいます。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0125 被服倉庫 当時のままの鏡

↓こちらは被服倉庫であった部屋を住居として使われていたままとなっています。カレンダーや七輪、タンスなど、生活感が残ってます。写真にはとりませんでしたが、戸の柱にはNHKのシールも貼ってありました。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0153 被服倉庫 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0152 被服倉庫

掛けられているカレンダーを見る限り、比較的最近まで住居であったことがわかります。

トイレです。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0126 被服倉庫 便所 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0128 被服倉庫 便所

昔ながらの懐かしい感じのトイレです。もちろん和式です。キンカクシは戦時中のものではないそうです。お子さんや若い方は、こういったトイレや和式トイレを見ても懐かしいとは感じることもないのでしょうね~。昔はどこもこんなトイレでした。

↓こちらは男性用小トイレ。めったに見なくなったタイプのものです。こちらも昔は公的な建物などはこういったタイプのものが多かったと記憶してます。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0127 被服倉庫 便所

そしてトイレを出て、建物を反対側の外から見てみると・・・

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0129 被服倉庫 便所 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0131 被服倉庫 便所

裏側が朽ちてしまってます!崩壊一歩手前、いや、崩壊してます。一刻も早く手当が必要ですね。

そんなトイレのすぐ片側には、本田航空の航空燃料のタンクがあります。丁度給油しに来ていました。ここに貯蔵して、太郎衛門橋を渡った先にある荒川反対側の本田エアポートにて、セスナなどに給油がなされるとか。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0155 本田航空 飛行燃料タンク 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0156 飛行燃料タンク

↓こちらは戦後に住居として増築された建物です。あとから作られた建物ではありますが、今となっては古さの比較はしようもありません。どれも古くなりすぎて見分けがつかないくらいです。元々は洗濯場であった場所だそうです。

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0132

そして案内係さんによると、ここが本田航空のスタートの場所だったとか。今はなくなりましたが、兵舎同様戦前の建物が残っていたとき、本田宗一郎氏もよくここに宿泊していたそうで、ここからセスナを皆で担いで旧県道に架かる橋をわたり、荒川対岸の飛行場から飛ばしたりもしていたとか。県道が大きく新しくなり、橋も現在の太郎衛門橋になってからは、そういったセスナの移動のさせ方もできなくなってしまい、ここには燃料の貯蔵庫のみ、というような状況になったとか。

案内係さんは本田航空の方でも陸軍の方でもなく、ご近所の方でした。しかしながら、戦闘機の急降下訓練を毎日眺めていたという、終戦時に小学生だった方です。進駐軍の米軍人からチューインガムをもらった、と言っていました。

さて、建物の外まわりを見てみましたので、いよいよ建物内部のご紹介に進もうと思います。

内部の紹介については ②の記事に続きます

20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0134 20140726 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 桶川飛行学校DSC_0095

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・お墓を建てると幸せになる? その6 お墓参りに来てくれる人を想像しての建墓は満足度大です

お墓を建てると幸せになる? その6 お墓参りに来てくれる人を想像しての建墓は満足度大です

前回「・お墓を建てると幸せになる? その5 家族の絆が深まり、互いに思いやれるようになります」に続いての第六回目です。

 

近年、著名人のお墓をお参りすることを生きがいにしている「墓マイラー」という方々が増えています。墓マイラーの方々の中にも、どのお墓をお参りするのかということで、何種類かに分類されるのではないでしょうか。たとえば、自分の好きな偉人のお墓を巡るという人もいるでしょう。「暦女」という言葉もあるように、若い世代に広がる歴史ファンの人たちの中には、歴史上の人物のお墓を回る人たちもいると思います。また、文豪や俳人、文化人のお墓をテーマにまわっているという人もいるでしょうし、テーマは設けずともたとえば多磨霊園に来たので多磨霊園に眠る著名人のお墓をめぐってみる、という人もいるかと思います。江戸時代から続いている谷中墓地(霊園)や青山墓地(霊園)をはじめ大きな都営霊園や、京都などの歴史ある都市の歴史ある寺院、由緒正しい寺院などではたくさんの著名人が眠っています。

そんな、著名人のお墓をめぐることが今ちょっとしたブームなのです。

そして前述しましたように、お墓参りのテーマも、お墓参りする人によってまちまち。人それぞれです。墓地によっては、丁寧な案内図や説明の案内板を掲出しているというところも少なくありません。また、そもそも昔の事柄というのは人の記憶から消えていってしまいがちなもの。なので、「どういった人が眠っているお墓なのか」ということを詳しく説明してくれている案内板もあったりします。そういった案内板があると、その人物と事績を知らないという人でも、その墓地で案内板を見ることで「初めて知る」という場合も多いでしょう。人は興味のない説明版などは目に入ってきません。何回か足を運んでいるという観光地でも、以前は気にもしていなかった案内板の説明書きを、時間がたって改めて見てみると、以前は気にもしていなかった事柄が目に入ってきて「ああ、以前はどうしてこんな興味深いことに気が付いていなかったのだろう」というような場合もあります。墓地の案内板の説明書きも同様のことが言えると思います。

ただ、一つ言えることは、人間の知的興味と、時間と共に消えて忘れていってしまうという「何を成したのか」という事績の記憶に対して、長い年月を経ても変わることのないものがあります。

「お墓というモニュメント」は、どんなに時間がたっても変わることなくそこにあり続けてくれる存在です。

よくある話なのですが、たとえば長い間歴史ファンの中でも地味でマイナーな存在であった人物がいたとして、何かの小説や映画、ドラマや漫画やアニメでも結構です。何かに題材として取り上げられることで、ほとんどお墓参りに来る人もいなかったようなお墓に、お墓参りの方々が次々に訪ねてくるようになった。という例は時々目にし耳にします。日本はやっぱりお墓の文化が根付いているようで、そういった過去の偉人に触れる場としても行為としても「お墓参り」という手段を選ぶ人は少なからずいます。そうしてやっとたどり着いたお墓を前に「やっとお墓参りをしに来れました」「お墓を大切に残してくれていてありがとう」という気持ちを抱く人も少なくないのでは?中にはまるでお墓の中の人が生きているかのように、「やっと会いに来れました」と心の中で会話をする、という人もいるでしょう。

お墓参りは、ご先祖様に対してのみつかわれる言葉ではないのです。

大切なことは「お墓を残してくれていてありがとう」と感じてくれる後の世の人々がいるということ。

昨今では、著名人の方々も生前にお墓を準備しているというケースも少なくありません。昨年で言えば、島倉千代子さんや、やなせたかしさんは生前からお墓を準備していたと有名でニュースなどの報道にも出ていました。そういった著名人のお墓にはファンの皆さんが足を運んでいることでしょう。

振り返って、我々個人個人のお墓で考えてみましょう。私たち生活者は著名人ではありません。もちろん歴史上での大きな事績を残してもいません。文豪でも俳人でもありません。それでも、お墓を作っておくと少なくとも家族はお墓参りをしてくれます。そして想像しにくいかもしれませんが、自分亡きあとにどういった人が自分のお墓に訪ねてきてくれるのか。友人知人や会社の同僚、昔の同級生などはお墓参りに来てくれるかもしれません。しかしそれ以外のいったいだれがお墓参りに来てくれるのか?これは未知数ですし、はかり知ることはできません。

が、人間の墓参したい気持ちというものは当人には計り知れないものがあるのも事実です。自分があまり意識をしていなくとも、全く知り合いでもない人が墓参にくる可能性だって否めないのです。学校で先生をしていたという方や、特殊な論文を書いた過去があるが後の世になってその論文が脚光をあびることもあるでしょう。議員経験があったり、地域の世話人をしていたり、スポーツチームに属していた過去があったり、何か仕事上で特許をとったりしたような人もいるでしょう。いつどこで自分がなした行為に対して、まったく別の方がその事績に敬意を表して墓参するのかはわからないものです。

「ひょっとしたらそういった墓参をする人いるかもしれないな」という方、いらっしゃいませんか?

もちろんお墓は自分のためのものであり、家族のためのものでもあります。しかし、「大切に残してくれていてありがとう」と感じる後世の人たちがいるのも事実です。お墓は、お墓参りしてくれた方に対しての道標ともなりますし、記念碑でもありますし、語りかける対象にもなりえるのです。そして、とても長い年月の間朽ちることなく残すことができる施設でもあります。

死後に有名となった著名人はたくさんいるんです。

自分亡きあとに墓参に来てくれる人がたくさんいるかもしれない。そんなことを考えながらお墓づくりをしてみてもいいのではないでしょうか。もしかしたらの話なので、ひょっとすると自己満足の妄想に終わるかもしれません。それでもいいのではないでしょうか。自分のお墓なのですから。十分に満足するお墓づくりをしてもいいと思うのです。島倉千代子さんのお墓も、やなせたかしさんのお墓も、とてもすばらしいお墓です。後々お墓参りに来た人たちも「おお~さすが!」と感じ入るようなお墓になっていると感じました。そんなお墓づくりをしてみてもいいのではないでしょうか。

 

お墓を建てると幸せになります。お墓参りに来てくれる人を想像しながら記念碑として十分に満足のいくお墓づくりをすることができるからです

 

と、考えますがみなさんはいかがでしょうか?

もちろん、家族親族のことを一番に考えたお墓を作っても十分に満足は得られますよ!

 

 

・大雄山最乗寺にツーリングに行きました

2014年7月9日水曜日 台風が迫ってます

こんにちは。東京、神奈川、埼玉、千葉、静岡、群馬にて霊園と墓地をご紹介し、墓石の施工を仕事としています株式会社大塚のブログです。

台風が迫っています。十分にお気を付けください。今日の文章は、横浜ランドマークタワーにあります弊社大塚の横浜支社の営業SKさんの記事。少し前の4月頃にツーリングをしてきた話になります。以下本文↓

 

大雄山最乗寺にツーリングに行きました

朝7時に甥の大介君と2人で、ツーリングに出かけました。自宅を出発し、藤沢町田線~新湘南バイパス(410円)~西湘バイパス(310円)を走り小田原へ。

IMG_7239 南足柄ツーリング 西湘バイパス IMG_7240 小田原漁港

今日はとても天気が良く気温も早くも18℃まで上がっていて、絶好のツーリング日和となりました。本日の朝食は、芸能人も多く訪れている小田原漁港内の魚市場食堂にて食べる事にしました。

IMG_7241 小田原漁港内の魚市場 IMG_7242 小田原漁港内の魚市場

土曜・日曜日には行列が出来ると言うこのお店も、時間が(AM8:40着)早かったせいもあり、3組のお客様が居ただけです。まぐろとほうぼうの刺身定食(750円)といかのゲソ揚げ(380円)を注文しました。

IMG_7245 小田原漁港内の魚市場食堂 いかのゲソ揚げ(380円)IMG_7246 小田原漁港内の魚市場食堂 まぐろとほうぼうの刺身定食(750円) 

お値段はとてもリーズナブル。芸能人のサイン色紙も壁に沢山貼られていました。魚市場内と言う事もあり、ネタは新鮮!

IMG_7247 小田原漁港内の魚市場食堂 IMG_7243 小田原漁港内の魚市場食堂

お腹も一杯になった所で、本日の目的地である、南足柄市大雄町にある、大雄山最乗寺に向かいました。

IMG_7248 南足柄ツーリング IMG_7250 南足柄ツーリング IMG_7251 南足柄ツーリング

↓こちらは最乗寺につづく天狗の小道

IMG_7252 大雄山最乗寺 参道 天狗の小径 小道 IMG_7258 大雄山最乗寺 参道 天狗の小径 小道IMG_7253 大雄山最乗寺 参道 天狗の小径 小道 IMG_7255 大雄山最乗寺 参道  天狗の小径 小道石段 石の階段

↓石段を上ると、瑠璃門があります。

IMG_7256 大雄山最乗寺 参道 石段 石の階段 IMG_7257 大雄山最乗寺 山門 瑠璃門 IMG_7259 大雄山最乗寺 山門 瑠璃門

最乗寺は曹洞宗のお寺様で、開創6百年の歴史を持つ関東の霊場であり、堂塔は30余棟に及びます。

↓左が書院で、右が本堂。

IMG_7260 大雄山最乗寺 境内 書院 IMG_7261 大雄山最乗寺 境内 本堂

↓案内図と水に浮かぶ光明亭

IMG_7262 大雄山最乗寺 全景 案内地図 IMG_7263 大雄山最乗寺 境内 光明亭

↓池の噴水にはカメが!

IMG_7264 大雄山最乗寺 境内 池 噴水 亀 IMG_7265 大雄山最乗寺 香炉

↓左が僧堂、右が金剛水堂。

IMG_7266 大雄山最乗寺 境内 僧堂 IMG_7267 大雄山最乗寺 境内 金剛水堂

↓左が奥の院に続く石段。右が開山堂と本堂。

IMG_7269 大雄山最乗寺 境内 IMG_7270 大雄山最乗寺 境内 開山堂と本堂

綺麗な緑に包まれた鐘楼。

IMG_7268 大雄山最乗寺 境内 鐘楼 IMG_7271 大雄山最乗寺 境内 鐘楼

↓境内から外に出る結界門。外側から写真を撮りました。手前にある橋は御供橋。天狗の銅像が門の両サイドにいます。

IMG_7273 大雄山最乗寺 境内 結界門 御供橋 天狗銅像

多宝塔です。

IMG_7277 大雄山最乗寺 境内 多宝塔 IMG_7288 大雄山最乗寺 境内 多宝塔

↓不動堂と洗心の滝。

IMG_7276 大雄山最乗寺 境内 不動堂と洗心の滝

奥の院に続く道には大きな杉の木が続いています。

IMG_7274 大雄山最乗寺 境内 IMG_7280 大雄山最乗寺 境内 杉

さまざまな高下駄が奉納されています。

IMG_7278 大雄山最乗寺 境内 高下駄奉納 IMG_7279 大雄山最乗寺 境内 高下駄奉納 IMG_7281 大雄山最乗寺 境内 奥の院への石段 IMG_7285 大雄山最乗寺 境内 奥の院 観音様 水

周りの緑と石段と建物がとても良くマッチングしており、癒されます。途中に天狗像が見守ってくれてます。

IMG_7284 大雄山最乗寺 境内 奥の院への石段 IMG_7283 大雄山最乗寺 境内 奥の院への石段 天狗の銅像

奥の院に向かう石段は登っても登っても先があり、膝が笑って来たので、途中で明日は仕事であると自分に言い訳をして登るのを断念しました。

IMG_7287 大雄山最乗寺 境内 奥の院 天狗の銅像 IMG_7292 大雄山最乗寺 境内 石楠花 石南花 しゃくななげの花IMG_7293 石楠花 石南花 しゃくななげの花

シャクナゲが綺麗に咲いていました。

 

帰りの茶屋で渇いたのどを潤すと共に甘味が食べたいと思いましたが、残念な事に甘味はメニューにはなし。仕方がないので、代わりに味噌コンニャクを食しました(450円)。とても美味でした。

IMG_7294 大雄山最乗寺 茶屋 IMG_7295 大雄山最乗寺 茶屋 コカコーラ IMG_7296 大雄山最乗寺 茶屋 味噌コンニャク

IMG_7297 山北 やまきた観光案内図 IMG_7298 道標 山北駅 洒水の滝

 

途中、丹沢山別院最勝寺に立ち寄り・・・

IMG_7299 丹沢別院最勝寺 石碑 石柱 IMG_7300 丹沢別院最勝寺 石段 階段 IMG_7301 丹沢別院最勝寺 IMG_7302 丹沢別院最勝寺 IMG_7303 丹沢別院最勝寺 狛犬 IMG_7304 丹沢別院最勝寺 石灯篭 IMG_7305 丹沢別院最勝寺

 

次に向かったのは、山北町の洒水の滝。ここは名水百選の一つです。

IMG_7307 名水百選洒水の滝 IMG_7308 名水百選洒水の滝 IMG_7311 名水百選洒水の滝 IMG_7314 名水百選洒水の滝 赤い橋 進入禁止

お水を飲んで見ましたが、とてもまろやか。滝も見事でしたが、落石の為近くに行けない事がとても残念です。周りの緑はとても鮮やか!

IMG_7306 名水百選洒水の滝 IMG_7310 名水百選洒水の滝

IMG_7315 名水百選洒水の滝 IMG_7317 名水百選洒水の滝 案内図

 

ツーリングに行くと、必ず温泉に入る事にしているので、厚木市七沢の七沢荘にて露天風呂に入りました(一人1,000円・タオルは200円・ロッカー100円)。

IMG_7324 厚木市七沢荘 元気の広場 IMG_7325 厚木市七沢荘

ここの女性用露天風呂は子宝の湯として人気があるようです。

IMG_7318 厚木市七沢荘 温泉 女湯 子宝の湯 IMG_7321 厚木市七沢荘 温泉 男湯

効用は、婦人病やリュウマチなど。確かにお肌はつるつるになります。内風呂はぬるめで、露天風呂は、3つに分かれていて、熱かったり、丁度よかったりと言う感じです。

IMG_7319 厚木市七沢荘 温泉 壁画 IMG_7320 厚木市七沢荘 温泉 IMG_7322 厚木市七沢荘 元気の広場 IMG_7323 厚木市七沢荘 元気の広場 IMG_7326 厚木市七沢荘 桜

最後に、七沢荘から歩いてすぐに行けるZAND-BARにて、醤油淡麗らーめん(780円)を食しました。細麺でしつこくなく、とても美味しい。

IMG_7329 厚木市ZAND-BAR IMG_7331 厚木市ZAND-BAR IMG_7327ZAND-BAR 醤油淡麗らーめん(780円)

後は、国道246号線を走り自宅へと向かいました。自宅をAM7:00に出発し、帰り着いたのは、PM4:30でした。全走行距離143kmでした。

IMG_7332 南足柄ツーリング

(私の愛車は、スズキ スカイウェイブ250typeSです。)

※神奈川県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・群馬県 草津温泉の湯畑

2014年7月7日月曜日 曇り

こんにちは。石材店の大塚のブログです。普段は霊園や墓地をご紹介して、墓石の加工と施工をおこなっているのですが、昨日の富岡製糸場を訪問した記事に引き続き、今日も群馬方面の訪問記事になります。

草津温泉です。温泉街の真ん中にある湯畑です。

群馬県 草津温泉の湯畑 湯の花

湯畑の底が黄色く染まっています。お風呂に入れる「湯の花」の色ですね!たくさんの樋で湯の花が栽培?育てられています。

湯畑は日本各所の有名温泉地にあるとのことですが、特にここ草津の湯畑は温泉街の中心にあるためか観光の中心のランドマーク的な存在です。草津温泉に行ったことのある方のみならず、テレビや雑誌などで見たことあるという方も多いのではないでしょうか?

群馬県 草津温泉の湯畑 湯の花 熱湯 樋.

湯畑にある、熱湯の滝。湯畑をぐるりと囲むウッドデッキ。そして、岩の上には立派な灯篭が建っています。いったいあの灯篭は建ってからどのくらいの年数が経っているのでしょうか?「灯篭」ですので、きっと昔は夜になったら火をともしたりしていたのでしょうか。

群馬県 草津温泉の湯畑 熱湯 湯の花 灯篭 滝

温泉なので「スパ(SPA)」というイメージが湧きがちですが、↑こちらの画像だと「ラグーン」と呼びたくなるようなきれいな青色ですね!

群馬県 草津温泉の湯畑 湯の花 熱湯 滝 樋

樋から滝のように流れ落ちる源泉、とても迫力がありますね!

群馬県 草津温泉の湯畑 湯の花 熱湯 滝 樋.

いまは初夏ですが、冬場だと湯気の量も多く、さらに夜のライトアップでより幻想的に感じられます。

群馬と言えば、弊社大塚の取扱い霊園として前橋メモリアルみどりの郷がありますが、群馬は温泉の国なのでまた行く機会がありましたら記事にしてみたいと思います。

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・世界遺産 富岡製糸場に行ってきました!

2014年7月6日 日曜日 曇り

こんにちは。東京、埼玉、神奈川、千葉、群馬、静岡で墓地と霊園のご紹介をし、石材の販売と加工・施工をしております株式会社大塚のブログです。

先日、ユネスコ世界遺産に登録されたばかりの群馬県富岡市にある「富岡製糸場」に行ってきました!

途中、まずは上信電鉄の「上州富岡駅」に寄りました。

世界遺産 富岡製糸場に行ってきました 上州富岡駅

世界遺産登録を目指していた富岡製糸場の最寄駅として、行政の財政支援を受けて今年2014年3月17日に開業した、真新しくきれいな駅舎です。ここから富岡製糸場までは1キロもありません。さっそく世界遺産に向かってみます。

平日の金曜日だったにもかかわらず、それなりの人出です。

世界遺産 富岡製糸場に行ってきました 正門 入口と赤い昔の縦型ポスト 世界遺産 富岡製糸場に行ってきました 正門入口

煉瓦が美しい富岡製糸場です。入口の門柱の脇には、昔ながらの赤いポストもありました。雨にもかかわらず、たくさんの人が訪ねてきています。土日はものすごい人手になるのでしょうね・・・

ふと富岡製糸場のHPを見てみたところ、どうやら七月いっぱいは「超」の文字が。非常に混雑とのことですので、行ってみよう!と言う方は覚悟ください(^_^;)

富岡製糸場 混雑状況 2014年7月

さて、富岡製糸場。↓平成17年に建てられた「国指定史跡 旧富岡製糸場」の石碑です。

世界遺産 富岡製糸場に行ってきました 国指定史跡旧富岡製糸場 石碑 石柱2

↓こちらは西繭倉庫。横浜赤レンガ倉庫を思い出してしまいますね。

世界遺産 富岡製糸場に行ってきました写真 西繭倉庫

もっとも、こちらも赤いレンガを使用しているので「赤レンガ倉庫」には違いありませんが。

富岡製糸場とは・・・というパネルです。

世界遺産 富岡製糸場に行ってきました パネル 富岡製糸場とは

いよいよ「操糸場(そうしじょう)」に入ってみます!

世界遺産 富岡製糸場に行ってきました写真 操糸場

入口に「操糸工場」の掛けプレートが。

世界遺産 富岡製糸場に行ってきました写真  操糸工場 入口

一歩中に入ってみると、立派な操糸機がずらり!

世界遺産 富岡製糸場に行ってきました写真  操糸工場内部1

ビニールで保護されてます。白い天井のおかげか、とても明るく感じます。

世界遺産 富岡製糸場に行ってきました写真  操糸工場内部

「SRS」はとなんでしょうね?(^-^)当時使用していた黒板がのこされてました。読み方はわかりませんが、目標、正常、異常の文字は読めました。

世界遺産 富岡製糸場に行ってきました写真  操糸工場内部 自動操糸機概要図

操糸機は、どうやら滑車の集合体のような仕組みみたいですね~

世界遺産 富岡製糸場に行ってきました写真  操糸工場内部 操糸機

こういった機械、仕掛けは、男の子にはたまらないのではないでしょうか(^-^)大人も童心にかえってしげしげと眺めてしまいます。

さて、操糸場を後にしてみます。

診療所があります。ドアの上には片倉診療所とあります。

世界遺産 富岡製糸場に行ってきました 診療所

働く女工さんのためにさまざまな取り組みがあったようですね。どうも女工さんというと、「女工哀史」や「野麦峠」の印象があるからか、過酷な環境の印象があるのですが、ここ数日テレビなどで富岡製糸場について語られるところでは、働く人たちのこともいろいろと考えていたということで、少し印象が変わってきました。もっとも場所や工場にもよるのでしょうけれど。

当時のさまざまなこと、人々を想像しますと、世界遺産として今後も大切に残されることが決まって、記録としても記憶としても忘れることなく保存されることになり、つくづくよかったなぁと感じます。

弊社大塚は石材業。品物とカタチとは違いますが、お墓や記念碑は後世に長く残す記録媒体です。どういった人のお墓なのか、どういったことがあった記念碑なのか、石は超長期間の間、情報を残してくれます。

大切なことを後世に残す、自分の仕事にもつながる大切なことを感じました。仕事がんばるぞ!

世界遺産 富岡製糸場に行ってきました 場内のご案内 地図

おまけ、峠の釜めし。

峠の釜めし

 
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