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埼玉の霊園」カテゴリーアーカイブ

「夜船」、「北窓」 (ぼた餅、お萩)

2014年10月6日 月曜日 台風→天晴

こんにちは。東京、神奈川、埼玉、千葉、群馬、静岡の霊園と墓地をご案内し、お墓作りのお手伝い(墓石の製造加工と販売、墓所への据付施工工事)をしております石材店の株式会社大塚ブログ「霊園とお墓のはなし」です。

今日は、横浜支社の営業IRさんの記事になります。以下本文↓

 

突然ですが、「夜船」、「北窓」という言葉を知っていますか?

みなさん、春のお彼岸は「ぼた餅」、秋のお彼岸「おはぎ」をお供えしたり食べたりしますよね。そもそも「ぼた餅」と「おはぎ」の違いは、春に咲く牡丹の花にちなみ、春は「ぼた餅」、秋は萩の花にちなんで「おはぎ」といいます。

「じゃあ、夏と冬は何て呼ぶの?」って思いますよね?

 

ありました!
夏と冬にも呼び名が。

 

夏は「夜船」、冬は「北窓」といいます。

何故この名前になったのかというと、おはぎを作る際に、杵を使って餅つきをすることなく作れることから、「つきしらず」が語源となった言葉遊びだそうです。

 

(餅を)いつついたか分からない
  ↓
(夜で)いつ着いたか分からない
  ↓
「夜船」

 

(餅をつかないので)つき知らず
  ↓
(北向きは月が見えないので)月知らず
  ↓
「北窓」

お洒落で日本人独特のセンスですよね~、日本の特徴である四季に合わせた、この言葉遊びは。

ちなみに、江戸時代の初期、特に砂糖は超高級品だったそうです。
そのため、お彼岸のお供えで「おはぎ」を使った当初は、普段は口には出来ない贅沢品でした。

また、小豆の赤には災難が身に降りかからないようにするおまじない効果があるため、ご先祖様の供養に結びついたと言われています。

 

みなさん、お彼岸シーズンはもちろんのこと、ご先祖様の供養や家族の健康を祈願して四季折々で味わい、楽しんでみてはいかかですか?

おはぎ お萩 ぼたもち 牡丹餅 夜船 北窓

さて弊社は首都圏にて霊園と墓地をご案内・ご紹介し墓石の製造販売をしています石材店です。

お墓作りにご興味のある方は、資料請求や霊園墓地のご見学についてお気軽にお問い合わせください。

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・埼玉県行田市の高源寺の新墓地に看板を建てました

2014年10月4日 土曜日

こんばんは。埼玉県上尾市に本社を置く石材店の大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。東京、神奈川、埼玉、千葉、群馬、静岡にて墓地と霊園をご紹介し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事という「お墓づくりのお手伝い」をしている会社です。

今日は、日頃たいへんお世話になっておりますお寺さまの「高源寺さま」に看板を設置させてもらいました報告記事になります。

少し前のこととなりますが、9月の某日に新しく看板を設置してきました。

20140911 埼玉県行田市の高原寺に看板を設置しましたDSC_0106 20140911 埼玉県行田市の高原寺に看板を設置しましたDSC_0107

大きな看板ではありませんが、壁よりも高くならないように気を付けて設置しました。壁の向こう側は、さきたま霊園の墓域になります。壁一枚をはさんで隣り合っているんです。

というのも、さきたま霊園の経営主体が高源寺さまだからなのです。まわりはとても見晴らしの良い平野の田園風景。背の高い看板だと、せっかくの広い空が少なくなってしまいますので、壁よりも高くならないように設置しました。

20140911 埼玉県行田市の高原寺に看板を設置しましたDSC_0105 20140911 埼玉県行田市の高原寺に看板を設置しましたDSC_0108

よくみていただくと分かると思いますが、参道がとってもきれいだと思いませんか?

20140911 埼玉県行田市の高原寺に看板を設置しましたDSC_0110 20140911 埼玉県行田市の高原寺に看板を設置しましたDSC_0111

区画の寸法もそれぞれきれいにそろっていて、縦横の参道が綺麗に碁盤の目状態に整えられています。

といいますのも、もともとあった墓域が行田市の都市計画道路にかかってしまい、区画整理でこの地に引っ越してきたためです。なので、新墓地とはいえ、石塔は先祖累代のものを使用されていたりします。引っ越しの際に新しい石塔にされた家ももちろんありました。

さきたま霊園は、その高源寺墓地の引越しにあわせて新設された霊園です。ここ高源寺さまは、小説や映画で大ヒットとなりました「のぼうの城」で佐藤浩一さんの演じる「正木丹波」(正木丹波守利英)が忍城の水攻めの後に戦没者を慰霊するために出家して開いたお寺になります。歴史ファンの方もたびたび訪れるお寺です。

20140911 埼玉県行田市の高原寺に看板を設置しましたDSC_0112

水攻めにされただけあり、周囲は平たん地がずーっと続いています。とってものどかで、ここちよい風の吹く、全区画平たん地でお参りしやすい墓地です。ご興味ありましたら是非ご見学ください(その際はご一報ください。ご案内いたします。)

↓こちらもご参考まで。

大塚サイト内での、高源寺さま墓所御紹介ページ

大塚サイト内での、さきたま霊園墓地紹介ページ

~ ~ ~ ~ ~

高源寺についての別記事

・埼玉県行田市 高源寺墓地

・埼玉県行田市 忍城に行ってきました②

・埼玉県行田市 忍城に行ってきました①

・20140404 埼玉県行田市佐間 高源寺の桜が満開です

・埼玉県行田市 さきたま霊園のご紹介

・のぼうの城に登場した丸墓山古墳 さきたま古墳公園 石田堤 その②

・のぼうの城に登場した丸墓山古墳 さきたま古墳公園 石田堤 その①

・忍城水攻 石田堤 行田市 鷺栖神社

・のぼうの城に登場した土堤、石田堤に行ってきました

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・埼玉県桶川市にあるアイビーの壁(石造りの倉庫)

2014年10月3日 金曜日 晴れ

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置く石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。東京、神奈川、埼玉、千葉、群馬、静岡にて霊園と墓地をご案内し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事という「お墓づくりのお手伝い」をしております。

大塚本社からもそう遠くない場所の桶川駅近くに素敵なアイビーの壁を見つけました。

20140908 桶川市農協 石造りの倉庫 壁一面のアイビー 蔦の葉 大谷石DSC_2244

壁一面の蔦と葉です。

20140908 桶川市農協 石造りの倉庫 壁一面のアイビー 蔦の葉 大谷石DSC_2240 20140908 桶川市農協 石造りの倉庫 壁一面のアイビー 蔦の葉 大谷石DSC_2241

桶川駅東口からすぐという場所なので、ご存じの方もたくさんいらっしゃると思います。

20140908 桶川市農協 石造りの倉庫 壁一面のアイビー 蔦の葉 大谷石DSC_2242 20140908 桶川市農協 石造りの倉庫 壁一面のアイビー 蔦の葉 大谷石1413285265579_

桶川市農協さんの建物のようです。JAのロゴの看板がありました。大谷石でつくられており、とても時間と歴史を感じさせてくれる貴重な建物です。以前はお墓にも大谷石はたくさん使われておりましたが、最近ではより硬度の高い御影石などが墓石に使われています。大谷石は加工がしやすい利点があります。

20140908 桶川市農協 石造りの倉庫 壁一面のアイビー 蔦の葉 大谷石DSC_2243 20140908 桶川市農協 石造りの倉庫 壁一面のアイビー 蔦の葉 大谷石1413285277152_

中は倉庫なのでしょうか。建物の入り口が綺麗なカーブをもった石積みで作られています。

歴史のある石造りの建築物とアイビーって、とても相性がいいみたいですね。相乗効果で趣がよりいっそう深まっているように感じられました。

またどこかで素敵な石造りの建築物に出会いましたら記事にしてみようと思います。

 

さて、桶川と言えば、弊社大塚では「桶川霊園」をご案内しています。桶川駅東口からまっすぐ行くと桶川霊園はあります。墓地についてご興味ありましたらこちらも是非ご覧ください→ 桶川霊園の墓地紹介ページ

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・埼玉県さいたま市 岩槻城に行ってきました②

2014年9月28日 日曜日 晴れ

こんにちは。東京、神奈川、埼玉、千葉、群馬、静岡にて霊園と墓地をご案内し、お墓づくりのお手伝い(墓石の製造加工と、墓所への据付施工工事)をしております石材店の大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

前回の記事「・埼玉県さいたま市 岩槻城に行ってきました①」に続き、その②の記事になります。

まずは前回のおさらい。岩槻城を地図にて今昔を確認してみましょう。

埼玉県さいたま市 岩槻城に行ってきました_DSCN5286 地図 埼玉県さいたま市 岩槻城に行ってきました_DSCN5285  新曲輪 鍛冶曲輪 地図

↑こちらが新曲輪(岩槻城跡公園)にあります案内板の図。

↓そしてこちらが明治時代の地図と、平成26年現在のグーグルマップ(時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」 さんのページを利用させてもらいました)

岩槻新旧地図

元荒川のカタチが大きく変わっているという点と、岩槻城にあった沼地がほとんど『街』になったことがわかります。

 

さて前回は新曲輪から鍛冶曲輪まで空堀の遊歩道を進んでみました。今回は鍛冶曲輪から「菖蒲池」と名付けられている池に進んでみます。

埼玉県さいたま市 岩槻城に行ってきました_DSCN5364 埼玉県さいたま市 岩槻城に行ってきました_DSCN5365

かつては沼地の中にあった岩槻城。現在は数少ない沼地の面影の残る菖蒲池です。菖蒲池という名前がついていますが、蓮の葉がびっしりと水面に広がっていました。

埼玉県さいたま市 岩槻城に行ってきました_DSCN5366 埼玉県さいたま市 岩槻城に行ってきました_DSCN5367

池の中央に赤い欄干のついた橋が見えます。

埼玉県さいたま市 岩槻城に行ってきました_DSCN5375

八ツ橋です。カタチがギザギザとクランクが連続しているようで特徴的な橋です。

埼玉県さいたま市 岩槻城に行ってきました_DSCN5369 埼玉県さいたま市 岩槻城に行ってきました_DSCN5368

橋の途中から水面を見下ろすと、びっしりと広がった蓮の葉を堪能できます。夏場ですと蓮の花も見事なのではないでしょうか。

埼玉県さいたま市 岩槻城に行ってきました_DSCN5370

立派な鯉もたくさん泳いでいます。

埼玉県さいたま市 岩槻城に行ってきました_DSCN5371

よく見てみると、公園内の樹木には手作りのかわいらしいプレートがそれぞれにかけられていました。

埼玉県さいたま市 岩槻城に行ってきました_DSCN5376

野鳥を見かけても、そっと見守りましょう。(別記事・・・岩槻公園でカワセミを見ました

埼玉県さいたま市 岩槻城に行ってきました_DSCN5377

元荒川沿いの公園入口まで来てみました。元荒川沿いの道を少し進んでみましょう。

埼玉県さいたま市 岩槻城に行ってきました_DSCN5327 埼玉県さいたま市 岩槻城に行ってきました_DSCN5328

しばらく進みますと、見えてきたのは特急きぬ。ロマンスカーです。

埼玉県さいたま市 岩槻城に行ってきました_DSCN5329 埼玉県さいたま市 岩槻城に行ってきました_DSCN5332

東武特急スペーシアの登場で引退されましたが、今見てもとっても迫力満点の先頭車両です。

埼玉県さいたま市 岩槻城に行ってきました_DSCN5330 埼玉県さいたま市 岩槻城に行ってきました_DSCN5331

お子さんだけでなく、大人も昭和の雰囲気を味わえ楽しめるのではないでしょうか。

埼玉県さいたま市 岩槻城に行ってきました_DSCN5333 埼玉県さいたま市 岩槻城に行ってきました_DSCN5334

公園を進んでみましょう。

埼玉県さいたま市 岩槻城に行ってきました_DSCN5335 埼玉県さいたま市 岩槻城に行ってきました_DSCN5336

人形の街ならではの、人形によるからくり時計もあり、広い芝生の広場も広がっています。この広場の中にある池で、野生のカワセミをみました(→その時の記事はこちら

公園内にありました看板によると、やまぶきの花が区の花として制定されたようです。

埼玉県さいたま市 岩槻城に行ってきました 区の花 やまぶき_DSCN5352

看板のすぐ近くにやまぶきの花がかわいらしく咲いていました。

埼玉県さいたま市 岩槻城に行ってきました 区の花 やまぶき_DSCN5353 埼玉県さいたま市 岩槻城に行ってきました 区の花 やまぶき_DSCN5354

岩槻城跡公園をぐるりと一周し終わりました。最後に公園の中央にあります案内板です。

埼玉県さいたま市 岩槻城に行ってきました_DSCN5356

地図をみると、大きな城だったことがわかります。が、残っている遺構はほんの少しです。

埼玉県さいたま市 岩槻城に行ってきました_DSCN5357 埼玉県さいたま市 岩槻城に行ってきました_DSCN5360 埼玉県さいたま市 岩槻城に行ってきました_DSCN5361

岩槻城

岩槻城は室町時代末に築かれた城郭です。築城者については太田道灌とする説や、父の太田道真とする説、そして後に忍(現行田)城主となる成田氏とする説など様々です。

16世紀の前半には太田市が城主となっていましたが、永禄10年(1567)三舟山合戦(現千葉県富津市)で太田氏資(うじすけ)が戦死すると小田原城の北条氏が直接支配するところとなりました。

北条氏は、天下統一を目指して関東への進出を図っていた豊臣秀吉と対立。やがて天正18年(1590)5月20日からの豊臣方の総攻撃を受けた岩槻城は2日後の22日に落城してしまいました。同年、豊臣秀吉が北条氏を滅ぼすと徳川家康が江戸に入り、岩槻城も徳川の家臣高力清長(こうりききよなが)が城主となりました。

江戸時代になると岩槻城は江戸北方の守りの要として重要視され、幕府要職の譜代大名の居城となりました。

室町時代から江戸時代まで続いた岩槻城でしたが、明治維新後に廃城となりました。城の建物は各地に移され土地は払い下げられて、およそ400年の永きにわたって続いた岩槻城は終焉の時を迎えました。

岩槻城が築かれた場所は現在の市街地の東側で、元荒川の後背湿地に半島状に突き出た大地の上に、本丸、二の丸、三の丸などの主要部が、沼地をはさんで北側に新正寺曲輪が、沼地をはさんだ南側に新曲輪がありました。主要部の西側は堀によって区切られ、さらにその西側には武家屋敷や城下町が広がっていました。また城と城下町を囲むように大構(おおがまえ)が造られました。

城というと、一般的には石垣や天守閣がイメージされますが、岩槻城の場合、石垣は造られず、土を掘って堀を造り、土を盛り上げて土塁を造るという、関東では一般的な城郭でした。

現在では城跡のなかでも南端の新曲輪・鍛冶曲輪跡(現在の岩槻公園)が県史跡に指定されています。どちらの曲輪も戦国時代末に北条氏によって造られた出丸で、土塁・空堀・馬出など中世城郭の遺構が良好に残されており、近年の発掘調査では北条氏が得意とした築城術である障子堀が見つかっています。

以上、案内板より引用。

埼玉県さいたま市 岩槻城に行ってきました_DSCN5362

猫に見つめられながら、岩槻城跡公園を後にしてみます。

 

そして向かうは「本丸跡」。本丸跡の碑と案内板が、ガソリンスタンド(出光)さんの敷地内にあります。

埼玉県さいたま市 岩槻城に行ってきました 本丸_DSCN5383 埼玉県さいたま市 岩槻城に行ってきました 本丸_DSCN5385

本丸の中央に位置していた場所です。写真は県道2号線(旧国道16号)

埼玉県さいたま市 岩槻城に行ってきました 本丸_DSCN5378 埼玉県さいたま市 岩槻城に行ってきました 本丸_DSCN5379 埼玉県さいたま市 岩槻城に行ってきました 本丸地図_DSCN5380 埼玉県さいたま市 岩槻城に行ってきました_DSCN5381

この記事の冒頭に見てもらいました地図に再登場してもらいます。右のグーグルマップ中央やや右寄りにあります、県道2号ぞいのガソリンスタンドがこちらです。

岩槻新旧地図

埼玉県さいたま市 岩槻城に行ってきました_DSCN5382

~略~
このあたりは、岩槻城の本丸にあたっています。本丸は城の中の中心部で、厳重な防備が施されるとともに、藩政の中心となっていました。ほぼ正方形の外周を高さ6m前後の土塁が取り囲み、南西・南東両炭と南辺に張り出した枡形(※)の3か所には櫓が配置され、さらに枡形に開いた出入り口には二階建ての櫓門が設けられていました。内部に設けられた本丸御殿は江戸時代前期には、徳川将軍の日光社参の際には宿泊御殿としても使用されました。

左上の図は、江戸時代後期の本丸を描いた絵図です。江戸時代中期以降本丸御殿の維持は困難となり、岩槻城の中心機能は本丸から二の丸、そして三の丸へ移転したため、この絵図では本丸御殿は描かれていませんが、櫓や門の外観が描かれていて、その概要を知ることができます。

~略~
(※)枡形・・・城の曲輪(くるわ)の出入り口に設けられた防御施設。通路を屈折させて敵の城内への直進を防いだ。また味方の出撃の際には隊形を整えるはたらきもあった

以上、抜き出して引用しました。

岩槻城の訪問記はこれで終わりになります。またどこかに訪問しました際には記事にしてみたいと思います。

他の城跡関係の記事はこちら

 

弊社は石材店。古い記録をのこしている石材や石碑を取り扱っています。地域の歴史を大切に伝えていくことと、家族の歴史を大切に伝えてくことは、どちらもともに大切なことです。弊社のお墓づくりも後々の世の人の役に立つように心掛けていきたいと思います。

※岩槻と言えば、岩槻光輪浄苑いわつき聖地霊園も遠くないエリアです。ご興味ある方はそれぞれの墓地の紹介ページもご覧ください。岩槻光輪浄苑の墓地紹介ページいわつき聖地霊園の墓地紹介ページ

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・20140918 埼玉県蓮田市 星久院様のご紹介

2014年9月27日 土曜日 晴れ

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置き、埼玉を中心に東京、神奈川、千葉、群馬にて墓地と霊園をご紹介し、お墓作りのお手伝い(墓石の製造加工、墓石の据付施工工事)をしています石材店の大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

今日は、埼玉県蓮田市駒崎にあります星久院(しょうきゅういん)さまをご紹介いたします。

星久院さまは、弊社大塚がいつもお世話になっているお寺さまです。近くにあります桶川霊園の経営主体でもあります。

20140918 埼玉県蓮田市駒崎 星久院(しょうきゅういん)DSC_0034 20140821 埼玉県蓮田市 星久院様のご紹介DSC_0035

入口の門柱をぬけて、参道をまっすぐに進みますと、ご本堂が見えてきます。

20140918 埼玉県蓮田市駒崎 星久院(しょうきゅういん)DSC_0059 20140821 埼玉県蓮田市 星久院様のご紹介DSC_0060

本堂には「佛光山」と山号のはいった額があります。宗派は真言宗 智山派 。

20140821 埼玉県蓮田市 星久院様のご紹介DSC_0063 20140918 埼玉県蓮田市駒崎 星久院(しょうきゅういん)DSC_0064 20140821 埼玉県蓮田市 星久院様のご紹介DSC_0072 20140821 埼玉県蓮田市 星久院様のご紹介DSC_0073

境内には、約700年前の板碑(青石塔婆)もあります。

20140821 埼玉県蓮田市 星久院様のご紹介DSC_0036 20140821 埼玉県蓮田市 星久院様のご紹介DSC_0037

四国八十八カ所御砂修納。境内にはいるとすぐ右側にあります。

20140821 埼玉県蓮田市 星久院様のご紹介DSC_0057 20140821 埼玉県蓮田市 星久院様のご紹介DSC_0058

そしてその後ろには、蓮田市で一番大きいと言われる、宝篋塔(宝篋印塔)がありました。たしかに大きいです。

20140821 埼玉県蓮田市 星久院様のご紹介DSC_0095 20140821 埼玉県蓮田市 星久院様のご紹介DSC_0054

土を盛った場所に立っています。

20140821 埼玉県蓮田市 星久院様のご紹介DSC_0056 20140821 埼玉県蓮田市 星久院様のご紹介DSC_0094

長い歴史を感じさせてくれる星久院の境内です。

20140821 埼玉県蓮田市 星久院様のご紹介DSC_0050 20140821 埼玉県蓮田市 星久院様のご紹介DSC_0038

墓域の様子です。

20140918 埼玉県蓮田市駒崎 星久院(しょうきゅういん)DSC_0040 20140821 埼玉県蓮田市 星久院様のご紹介DSC_0049

墓域の入り口には、弊社設置のpopもあります。

20140821 埼玉県蓮田市 星久院様のご紹介DSC_0042 20140821 埼玉県蓮田市 星久院様のご紹介DSC_0043

墓域には、外柵のみ完成させた区画があり、ご案内できるじょうたいになっています。

20140821 埼玉県蓮田市 星久院様のご紹介DSC_0044 20140821 埼玉県蓮田市 星久院様のご紹介DSC_0045

季節を感じられる植物の息吹もあちこちに見られます。

柿の実がたくさんなっていて、オレンジ色になってきています。秋ですね~

20140821 埼玉県蓮田市 星久院様のご紹介DSC_0086

と思えば、ひまわりが元気に咲いています。

20140821 埼玉県蓮田市 星久院様のご紹介DSC_0087

さるすべりの白い花が綺麗に咲いてました。

20140821 埼玉県蓮田市 星久院様のご紹介DSC_0088 20140821 埼玉県蓮田市 星久院様のご紹介DSC_0089

すすきの穂も、もう少しで開いてくるようです。

20140821 埼玉県蓮田市 星久院様のご紹介DSC_0096

訪問した日は9/18だったのですが、彼岸花が綺麗に咲いていました。

20140821 埼玉県蓮田市 星久院様のご紹介DSC_0066 20140918 埼玉県蓮田市駒崎 星久院(しょうきゅういん)の彼岸花 アゲハチョウ オナガアゲハ 揚羽蝶DSC_0084

 

彼岸花については、下記の記事もご参照ください。

・埼玉県蓮田市駒崎 星久院(しょうきゅういん)の彼岸花と黒アゲハ

・20140921 彼岸花と新幹線

 

四季折々の表情を見せてくれる境内のある星久院さま。こちらもご参考まで→(大塚サイト内での、星久院さま墓所御紹介ページ

 

お墓、墓石については、下記問い合わせまでお気軽にご相談・ご質問ください。お墓ディレクター有資格者(石産協)やお墓相談員(全優石)など専門の知識のある者が石匠位認定店(全石協)として丁寧にご対応させていただきます。

お問い合わせ番号 0120-36-1217(代表)

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・秋のお墓相談会 開催します

2014年9月22日 月曜日 晴れ

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置き、埼玉、東京、神奈川、千葉、群馬、静岡の霊園と墓地をご案内し、お墓作りのお手伝い(墓石の製造加工と、墓所への据付施工工事)をしております、石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

 

本日は、埼玉県上尾市の大塚本社での 『秋のお墓相談会』 の告知をいたします!

2014 大塚お墓相談会チラシ9月 石材店 霊園 墓地 探し

チラシは二種類あり、それぞれ新聞折込にて配布されます。(クリックすると元画像をご覧になれます)

2014 大塚お墓相談会チラシ10月 石材店 霊園 墓地 探し

株式会社大塚 秋のお墓相談会

日時 9月27日(土)、9月28(日)、10月4日(土)、10月25日(土)、10月26(日)の5日間で、時間は午前9時~午後5時まで。

開催場所 株式会社 大塚本社 1F応接ロビー

ご来店プレゼントとして、冊子「お墓110番」「エンディングノート」「正しいお墓の買い方」・・・等の資料セットをもれなく進呈いたします。

ご予約は不要です。ご相談は無料。お気軽にお越しください。

※別の日にちをご希望の場合も対応可能です。お気軽にお電話ください。

お問い合わせは 0120-36-1217

↓こちらはチラシの裏面です。

2014 大塚お墓相談会チラシ 石材店 霊園 墓地 探し 裏

拡大してみます。

2014 大塚お墓相談会チラシ 石材店 霊園 墓地 探し 裏お客様の声

お客様からいただきました貴重なお言葉を掲載してみました。

その他↓このようなお墓についてのお悩みについても解決いたします。

・そろそろお墓をと考えているが、どんな墓所があるのか、費用はどのくらいかかるのか分からない。
・後継ぎがいないが、お墓はどのようにしたらよいか。
・故郷のお墓から遺骨を移したい。
・遺骨は無いが、子供たちに負担をかけたくないので今のうちにお墓を建てたい。
・改葬・お墓の引越しはどうしたらよいか。
・お墓の修理・リフォーム方法。
・墓所は決まっているが、墓石を建てる費用が分からない。
・永代供養について知りたい etc・・・。

そして、近隣にある墓所の一覧地図と

2014 大塚お墓相談会チラシ 石材店 霊園 墓地 探し 裏墓地地図

弊社社長のご挨拶も入れさせていただきました。

 

お墓相談会は9月27日(土)、9月28(日)、10月4日(土)、10月25日(土)、10月26(日)の5日間ですが、それ以外の日(平日も可)でもご相談は可能です。お墓にお悩みをお持ちの方は是非お気軽にお越しくださいませ。

スタッフ一同心よりお待ちしております。

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・20140921 彼岸花と新幹線

2014年9月21日 日曜日

こんにちは。東京、神奈川、埼玉、千葉、群馬、静岡にて霊園と墓地をご案内し、お墓づくりのお手伝い(墓石の製造加工と、墓所への据付施工工事)をしております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

今はお彼岸です。みなさんはお墓参りにはいきましたか?今年の秋の彼岸は23日を中日とし、9/20が彼岸入り、9/26が彼岸明けですので、25日までまだ時間はあります。お時間に都合がつくようでしたらお墓参りをして気持ちをリフレッシュしてみてはいかがでしょうか。

さてそんな彼岸時期に咲く花「彼岸花」の群生を今日見てきました。

20140921 彼岸花と新幹線_DSCN5540

今が盛りとばかりに咲き誇っています。

20140921 彼岸花と新幹線_DSCN5541

群生とはいうものの、大規模な群生ではありません。田んぼの中の小さな用水路沿いに広がっているくらいです。人の手は加わってはいないようです。

20140921 彼岸花と新幹線_DSCN5546 20140921 彼岸花と新幹線_DSCN5545

一列にまっすぐ彼岸花の列が田んぼの中に伸びています。

20140921 彼岸花と新幹線_DSCN5536 20140921 彼岸花と新幹線_DSCN5542

立ち位置を変えると、この場所がどこか、ひょっとすると分かる人はわかるのではないでしょうか?見えている高架は東北新幹線。新幹線の向こう側に見えるマンションは埼玉県北本市にある大きなマンションのワコーレRGです。

20140921 彼岸花と新幹線_DSCN5543

場所のヒントになると思いますが、新幹線の高架下の交差点にはエンジ色の看板があります。近隣の方にはよい目印になっているのではないでしょうか。現在地は鴻巣市の常光。新幹線の向こう側に行くと北本市。えんじ色の看板を左に行くと久喜市菖蒲になります。新幹線沿いをもう少し南に進みますと桶川市になります。そんな場所に咲いていました。

20140921 彼岸花と新幹線_DSCN5538

東北新幹線と彼岸花です。

20140921 彼岸花と新幹線_DSCN5547 20140921 彼岸花と新幹線_DSCN5548

新幹線が通過しているのがわかりますでしょうか。

20140921 彼岸花と新幹線_DSCN5549 20140921 彼岸花と新幹線_DSCN5550

彼岸花と言えば、一昨日の記事「埼玉県蓮田市駒崎 星久院(しょうきゅういん)の彼岸花と黒アゲハ」にもいたしました。

弊社はお墓をご案内する石材店です。鴻巣市と言えば鴻巣霊園があり、北本市と言えば北本霊園、久喜市と言えば久喜聖地公苑、桶川市と言えば桶川霊園があります。

墓地にご興味のある方は是非お問い合わせください。

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・埼玉県さいたま市 岩槻城に行ってきました①

2014年9月20日 土曜日 曇り

こんにちは。東京、神奈川、埼玉、千葉、群馬、静岡にて霊園と墓地をご案内し、お墓づくりのお手伝い(墓石の製造加工と、墓所への据付施工工事)をしております石材店の大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

今月初旬に、埼玉県さいたま市岩槻区にあります、岩槻城(岩槻城跡公園と本丸跡)に行ってきましたので写真とともに二回に分けてご紹介いたします。

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現在地は、新曲輪(しんくるわ)と呼ばれていた場所にいます。

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城の南側にありました出丸になります。隣には鍛冶曲輪があり、現存する遺構で公園として整備されているのはここ新曲輪と鍛冶曲輪のみになります。

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元荒川が婉曲している内側にあった岩槻城。沼地の中にありました。新曲輪と鍛冶曲輪は沼の南側、城の東南に位置していました。左下から右上にかけて、大手門の近く→三の丸→本丸→二の丸→元荒川と、旧国道16号(現埼玉県道2号線)が町と城の真ん中を貫いています。沼はもうなく、町が広がっています。

岩槻新旧地図

以前記事にも書きました、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」 さんのページを利用させてもらい、明治時代の地図で確認してみると、城の形状が明治時代にはまだ残っていたこと、国道16号(現埼玉県道2号)がすでに存在していること、岩槻に県庁があったこと、元荒川の流れが変わったことも確認できます。

埼玉県さいたま市 岩槻城に行ってきました_DSCN5284-

埼玉県指定史跡岩槻城跡

岩槻城は室町時代の末(15世紀中頃)に築かれたといわれています。江戸時代には江戸北方の守りの要として重要視され、有力譜代大名の居城となりました。

戦国時代には何回も大改修が行われ、戦国時代の末期には大幅に拡張されました。本丸・二の丸・三の丸などの城の中心部のある主郭部、その周囲を取り囲む沼の北岸には新正寺曲輪(※)、南岸に位置する新曲輪という、3つのブロックから構成されていました。さらに城の西側及び南側の一帯には武家屋敷と町家、寺社地などからなる城下町が形成・配置され、その周囲を巨大な土塁と堀(※)からなる大構(おおがまえ)が取り囲んでいました。

この岩槻公園のあたりは、そのいちの新曲輪部分にあたっており、その大部分が埼玉県史跡に指定されています。新曲輪は戦国時代末の1580年代に、豊臣政権との軍事対決に備え、その頃岩槻城を支配していた小田原北条氏が岩槻城の防御力を強化するために設けた曲輪と考えられ、新曲輪・鍛冶曲輪という二つの曲輪が主郭部南方の防御を固めました。

明治維新後、開発が進んで城郭の面影が失われている主郭部とは対照的に新曲輪部分には、曲輪の外周に構築された土塁、発掘調査で堀障子(※)が発見された空堀、外部との出入り口に配置された二つの馬出し(※)など、戦国時代末期の城の遺構が良好な状態で保存されています。

(※)曲輪・・・城郭を構成する区画

(※)土塁、堀・・・土塁は土を土手状に盛り上げた防御施設。堀は地面を細長く掘り窪めた防御施設。多くの場合、堀を掘った土で土塁を造る

(※)堀障子・・・堀の底に設けられた障害物の一種

(※)馬出し・・・城の出入り口外側に設けられた施設で、出入り口の防備を固め、敵の城内への進入を防ぎ、味方の出撃を容易にする。

以上、案内板より引用。

立派な長屋門が残されています。

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岩槻市指定文化財 岩槻城城門

  指定年月日 昭和33年2月21日
  指定の種別 有形文化財(建造物)
  所有(管理)者 岩槻市

この門は岩槻城の城門と伝えられる門である。岩槻城内での位置は明らかではないが、木材部分が黒く塗られていることから、「黒門」の名で親しまれている。

門扉の両側に小部屋を付属させた長屋門形式の門で、桁行(幅)約13メートル、梁間(奥行き)約3.7メートルである。屋根は寄棟造で瓦葺き。

廃藩置県に伴う岩槻城廃止により城内より撤去されたが、昭和45年(1970)城跡のこの地に移築された。この間、浦和の埼玉県庁や県知事公舎の正門、岩槻市役所の通用門などとして、移転・利用された。

修理・改修の跡が著しいが、柱や組材、飾り金具などに、重厚な城郭建築の面影を伝えている。岩槻城関係の数少ない現存遺構として貴重なものである。

以上、案内板より引用。

近くには人形塚がありました。さすが人形の街いわつきです。

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人形塚について

昭和46年(1971年)当時の岩槻人形連合協会は10月15日を「人形の日」と決め、埼玉百年を記念してこの岩槻城の一角に人形塚と人形の碑を建立いたしました。人形塚は、郷土の日本画家、関根将雄画伯のデザインによるもので、製作に当たっては、地元の若き人形職人等の熱き協力がありました。
男雛、女雛が仲睦まじく寄り添った姿は「人」を形象し世界の平和と郷土岩槻の限りなき発展を願っております。当地の人形作りの起源は、江戸時代のはじめ日光東照宮造営の頃(1630年)とされています。その後幾とせ、人形作りに心血を注ぎ、いそしんだ先輩父祖の霊を慰め、また多くの人形達の冥福を祈り、この人形塚は作られました。

平成4年3月吉日
  埼玉県観光連盟
  岩槻市観光協会
  岩槻人形協同組合

以上、引用しました。

弊社は石材店です。こういった記念碑や供養碑を見ると、ついもっと勉強しなくては・・・と感じてしまいます。

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歌碑があります。

「その頬にぼんぼり映し その髪に桜かざして 城あとに相逢うひとの いまも雛に似る人形のまち」

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歌碑の隣にはまた古い遺構の門が残されていました。重厚な造りで、屋根のカーブがとても美しい門です。

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岩槻市指定文化財 岩槻城裏門
  指定年月日 昭和56年5月12日
  指定の種別 有形文化財(建造物)
  所有(管理者) 岩槻市

この門は岩槻城の城門である。岩槻城の裏門と伝えられるが、城内での位置は明らかではない。

現状では、門扉を付けた本柱(ほんばしら)と後方の控柱(ひかえばしら)で屋根を支える薬医門形式となっている。間口約3メートル、奥行約2メートルであり、向かって左側袖塀に門扉左に潜戸(くぐりど)を付属している。屋根は切妻造で瓦葺き。

左右の本柱のホゾに記された墨書銘により、江戸時代後期の明和7年(1770)に当時の岩槻城主大岡氏の家臣武藤屋弥太夫らを奉行として修造それ、文政6年(1823)に板谷官治らを奉行として修理されたことが知られる。数少ない岩槻城関係の現存遺構の中でも、建築年代の明確な遺構として貴重なものである。

廃藩置県に伴う岩槻城廃止後、民間に払い下げられたが、明治42年(1909)以降、この門を大切に保存して来られた市内飯塚の有山氏から岩槻市に寄贈され、昭和55年(1980)岩槻城跡のこの地に移築された。なお、門扉右の袖塀はこの時付け加えられたものである。

以上、引用でした。

この辺りは様々な樹木が植えられていて、こもれびがとても気持ちよかったです。

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道路を挟んだ反対側には・・・

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野球場がありました!丁度少年たちの試合中のようです。

そして、先ほどの移築された岩槻城裏門のさらに裏手の土塁を上ってみました。

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キノコが生えていたり、雑木林の自然がいっぱいです。土塁の上から、反対側を見下ろしてみました。土塁の下は空堀になっており、遊歩道があるのがわかります。高低差5メートルくらいでしょうか。この、見えている空堀の遊歩道に行ってみようと思います。ただ、ここは崖になっていますので、ぐるりと公園内を歩いて回ってみようと思います。

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この土塁が途切れて道になっている場所を抜けると、鍛冶曲輪に向かうことができます。向こう側の方が土地が低いようですね。

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30メートルほど進んで振り返ってみました。左右の土塁がことのほか高いことがわかります。↑の写真の左側を向くと↓のように道が続いています。道標にふるさと散策路とあります。

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左に行くと赤い橋のある大きな池です。一段低いふるさと散策路が正面方向に伸びていますが、これが空堀跡です。空堀跡の遊歩道を進んでみましょう。

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少し進むと、↑のような場所があります。

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これは「堀障子」というもの。別の城跡などでは「障子堀」とも呼ばれている後北条氏の城づくりに見られる防御装置です。

堀障子

現在地は、新曲輪と鍛冶曲輪との間の空堀である。発掘調査の結果、堀底まで3m程埋まっており、堀底には堀障子のあることが確認された。

堀障子は畝(うね)ともいい、城の堀に設けられた障害物のことである。堀に入った敵の移動をさまたげたり、飛び道具の命中率を上げることなどを目的として築かれたと考えられ、小田原の後北条氏の城である小田原城(神奈川県)、山中城(静岡県)や埼玉県内の伊奈屋敷跡(伊奈町)などからも見つかっており、後北条氏特有の築城技術とみられている。

岩槻城跡では三基の堀障子が見つかっており、底からの高さ約90cm、幅が上で90cm、下で150cmあり、その間隔は約9mあった。この遺構の発見で、堀が戦国時代の終わり頃に後北条氏によって造られたことなど様々なことが判明した。

以上、案内板引用です。

さらに空堀を進んでいくと、土塁の切れ目から池と赤い橋が見える場所がありました。赤い橋にはこの後向かってみようと思います。

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この場所を池の側から逆に見てみると、↓このように見えます。熊笹が密集しているのがわかります。

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さて、空堀の本道にもどり、さらに南方向に進んでみましょう。 

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空堀はしばらく進むと、左手方向(東方向)にまがっており、さらに進むと行き止まりになりました。

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行き止まりには階段があります。上ってみましょう。

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階段をあがると、広場のように開けた場所が現れました。

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鍛冶曲輪に到着です。

↓白鶴城址碑。岩槻城の別名が白鶴城。浮城とも言われました。岩槻はもともと「岩付」と書きましたので、岩付城という名前の時代もありました。

埼玉県さいたま市 岩槻城に行ってきました_DSCN5326

さて本日の記事はここまで。後半に続きます。

他の城跡関係の記事はこちら

※余談となりますが、弊社はお墓をご案内する石材店です。岩槻と言えば、岩槻光輪浄苑いわつき聖地霊園も遠くないエリアです。ご興味ある方はそれぞれの墓地の紹介ページもご覧ください。岩槻光輪浄苑の墓地紹介ページいわつき聖地霊園の墓地紹介ページ

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・埼玉県蓮田市駒崎 星久院(しょうきゅういん)の彼岸花と黒アゲハ

2014年9月19日 金曜日 晴れ

こんばんは。埼玉県上尾市に本社を置き、埼玉を中心に東京、神奈川、千葉、群馬にて墓地と霊園のご案内と、お墓づくりのお手伝い(墓石の製造加工、墓石の据付施工工事)をやっております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

明日9/20土曜日より、秋のお彼岸に入ります。

この時期に咲くことから名づけられた彼岸花。今年も各所で綺麗な花を見せてくれています。

昨日行ってきました埼玉県蓮田市の駒崎にあります星久院(しょうきゅういん)さま。弊社大塚が日頃たいへんお世話になっているお寺さまなのですが、こちらの境内でもちらほらと随所に咲いていました。

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星久院さまの境内に咲く彼岸花です。

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つぼみもいっぱいありますので、しばらくの間は花を楽しませてくれそうです。

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竹林の周辺にも咲いていました。

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おや?あそこに黒い何かがいます。↓写真中央、わかりますでしょうか?

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黒いアゲハ蝶です!

20140918 埼玉県蓮田市駒崎 星久院(しょうきゅういん)の彼岸花 アゲハチョウ オナガアゲハ 揚羽蝶DSC_0081

こちらのサイト(蝶の図鑑 黒いアゲハチョウの見分け方)さんの情報に照らし合わせてみると、どうやらオナガアゲハ?という種類の揚羽蝶のように思われます。

20140918 埼玉県蓮田市駒崎 星久院(しょうきゅういん)の彼岸花 アゲハチョウ オナガアゲハ 揚羽蝶DSC_0083 20140918 埼玉県蓮田市駒崎 星久院(しょうきゅういん)の彼岸花 アゲハチョウ オナガアゲハ 揚羽蝶DSC_0084

夢中になって花の蜜を集めていました。

拡大してよく見てみましょう。

20140918 埼玉県蓮田市駒崎 星久院(しょうきゅういん)の彼岸花 アゲハチョウ オナガアゲハ 揚羽蝶DSC_0084+

お彼岸は暦によって決まります。年によって日付が前後するのですが、今年の秋分の日は9/23(火)。秋分の日を中日とし、9/20が彼岸入り、9/26が彼岸明けになります。

お彼岸といえば、以前書きましたこちらの記事→「・少し早いですが、秋分の日は『お墓参りの日』です。」を参照いただければと思うのですが、秋分の日は『お墓参りの日』と記念日として2013年に定められました。

お墓参りの際には、路傍の彼岸花にもちょっと目を移してみてもいいかもしれません。ひょっとすると蝶々がいるかもしれませんよ?!

 

↓こちらもご参考まで。

大塚サイト内での、星久院さま墓所御紹介ページ

 

お墓、墓石については、下記問い合わせまでお気軽にご相談・ご質問ください。お墓ディレクター有資格者(石産協)やお墓相談員(全優石)など専門の知識のある者が石匠位認定店(全石協)として丁寧にご対応させていただきます。

お問い合わせ番号 0120-36-1217(代表)

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・稲刈りと白鷺

2014年9月18日 木曜日 晴れ

こんにちは。霊園と墓地をご案内し、お墓作りのお手伝い(墓石の製造加工と、墓所への据付施工工事)をしております石材店の大塚ブログ「霊園とお墓のはなし」です。

今日、日頃大塚がお世話になっております星久院さまの近くで稲刈りのシーンを目撃しました。いよいよ実りの秋到来ですね~。

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丁度お昼時だったので、みなさん作業の手を止めてお食事に帰られたため、稲刈りシーンを撮影できませんでした。

稲刈りDSC_0100

実るほど 首を垂れる 稲穂かな。稲穂のように、学問や経験を積めば積むほど、より一層謙虚になれるような人間になりたいものです。

実るほど首を垂れる稲穂かなDSC_0098

稲穂にお米がたわわに実ってます。

実るほど首を垂れる稲穂かなDSC_0099

ふと気が付くと、白い色の何かが視界に入ってきました。

何だ?

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鷺です。白鷺でした。と思ったら、飛んで逃げられてしまいました。

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近くに仲間がいたようです。

稲刈りと白鷺DSC_0103 稲刈りと白鷺DSC_0104 稲刈りと白鷺DSC_0105

耕運機をかけた後や、稲刈りの後は土中の虫が出てくるのか、鳥がついばみに来ます。

稲刈りと白鷺DSC_0106

実りの秋は、人間だけでなく白鷺にとっても実りの秋なのかもしれませんね~。遠くに東北新幹線が見えています。場所は蓮田市と伊奈町の境あたり。

いよいよ秋本番だと実感した一日でした。

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