年中無休 [営業時間:午前9時から午後5時]
facebook
menu
MENU

霊園とお墓のはなし

  • 永代供養墓特集
  • 新しいお墓の形 納骨堂
  • ペットのお墓
  • お墓ができるまで
  • 正しいお墓のクリーニング
  • 一般社団法人 全国優良石材店 全優石 石材店の一流ブランドです
  • 日本石材産業協会
  • 全国石製品協同組合

趣味・教養」カテゴリーアーカイブ

・清水区の興津坐漁荘

2015年7月25日 土曜日 晴れ

こんにちは。首都圏にて霊園と墓地をご紹介・ご案内し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事という「お墓づくりのお手伝い」をしております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

先日メモリアルガーデン清水に行きました際に、「興津坐漁荘」に寄ってきました。坐漁荘と書いて「ざぎょそう」と読みます。

2015年7月 静岡県静岡市清水区 興津坐漁荘DSC_1831

東海道の旧街道沿いにある、雅な品のある建物です。

2015年7月 静岡県静岡市清水区 興津坐漁荘DSC_1838 2015年7月 静岡県静岡市清水区 興津坐漁荘DSC_1835

となりに公民館があります。

2015年7月 静岡県静岡市清水区 興津坐漁荘DSC_1837 2015年7月 静岡県静岡市清水区 興津坐漁荘DSC_1836

案内板。

2015年7月 静岡県静岡市清水区 興津坐漁荘DSC_1833+ 2015年7月 静岡県静岡市清水区 興津坐漁荘DSC_1834+

静岡市坐漁荘記念館 西園寺公望公別邸

興津坐漁荘

西園寺公望公は嘉永2年(1849)10月、右大臣徳大寺公純の次男に生れ、明治大正昭和三代を自由主義坐漁荘の政治家として貫き、昭和15年11月24日、91年の長寿を全うしたわが国近代の元老の一人です。

坐漁荘は西園寺公が70歳になった大正8年(1919)に老後の静養の家として風光明媚な清見潟に臨むこの地に建てた別荘で、命名は渡辺千冬子爵によります。

坐漁荘は、時代の変遷で昭和46年3月18日から愛知県犬山市の明治村に移築され、現在、国の登録文化財として公開されています。

そしてこのたび、地元興津、そして経済界の皆様の坐漁荘復元に向けての熱い思いが実を結び、また、財団法人明治村の全面的なご協力とご指導を仰ぎ、記念館として、かつてあったこの地に復元し、公開いたします。

※以上、案内板より引用。

残念ながらこの日は休館日。また別の機会に訪問してみます。

2015年7月 静岡県静岡市清水区 興津坐漁荘DSC_1832

さて弊社ご案内中の

メモリアルガーデン清水はこのすぐ近く。

お墓を探しているという方は是非一度ご見学くださいませ。

※メモリアルガーデン清水の墓地情報のページはこちら。
※静岡県の霊園一覧ページはこちらをごらんください。

・埼玉県東松山市 足利基氏館跡

2015年7月24日 金曜日 曇り

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置き、首都圏にて霊園と墓地をご案内・ご紹介し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事という「お墓作りのお手伝い」をしております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

先日の記事に引き続き、埼玉県東松山市岩殿にあります史跡の「足利基氏館跡」に行ってきましたので写真をご紹介します。

場所は先日記事にしました、弁天沼(鳴かずの池)阿弥陀堂の板石塔婆からすぐの場所です。岩殿観音の入り口にあたる場所で、大東文化大学やこども動物自然公園からもほど近い場所です。

道路沿いに案内の目印が立っています。

2015年6月 埼玉県東松山市岩殿 足利基氏館跡DSC_1468

細い道なので、車を停める場所はありません。弁天沼から歩いていきました。

だんだん畑の奥に案内板が見えます。

2015年6月 埼玉県東松山市岩殿 足利基氏館跡DSC_1469

こちら↓案内板です。

2015年6月 埼玉県東松山市岩殿 足利基氏館跡DSC_1470+

東松山市指定文化財

足利基氏の塁跡 昭和40年8月10日指定

足利基氏(あしかがもとうじ)は、鎌倉公方と呼ばれ、南北朝時代に活躍した武将で、足利尊氏の次男として歴応三年(1340)に生まれました。

館の跡は、高坂台地西側の斜地に立地し、九十九川(つくもがわ)に向かって下り、南側が大きく開口しています。北と東西に土塁跡、東西に堀跡が残っています。館は堀を含めると東西180m、南北80m前後の規模とみられ、北面中央部の東寄りが山側に突出した形となっています。このすぐ東側で北と東の土塁の交点には、物見台とみられる高まりがつくられています。

東と西側の土塁の外には、現在、水田となった水堀が往時の面影を伝えています。南面は後世に大きく変化していますが、九十九川と谷筋の湿地が外敵を防ぐ役割を果たしていたとみられます。

『新編武蔵風土記稿』にも記載されていますが、この館跡は足利基氏が貞治二・正平一八年(1363)に反乱をおこした、芳賀高貞(宇都宮氏の一族で下野の豪族)と、いわゆる「岩殿山合戦」を行った時に布陣した場所で、本陣がおかれた可能性が高いと思われます。

しかし、基氏は長期の滞在はせずに、すぐに下野国に陣を進めています。そのためこの館は合戦の時に基氏が築いたものではなく、地元豪族が造った館を陣地として利用したものと思われます。

平成15年3月 東松山市教育委員会

※以上、案内板より引用。

この案内板のある少し先に物見台があったようですね。また、土塁や堀跡が弁天沼や阿弥陀堂の板石塔婆のすぐ近くまで続いていたようです。

2015年6月 埼玉県東松山市岩殿 足利基氏館跡DSC_1471+ 

案内板の建つ場所は現在だんだん畑となっていますが、ここも堀跡だった場所なのでしょう。

2015年6月 埼玉県東松山市岩殿 足利基氏館跡DSC_1472

また歴史を感じられる場所を訪れましたら記事にしてみます。

さて場所は先述のとおり岩殿観音の近くにあり、大東文化大学やこども動物自然公園、物見山もすぐ近くです。東松山市の高坂から鳩山町に向かう途中にあり、鳩山町の霊園サンヒルズ・メモリアルガーデンも遠くありません。ご見学の途中にお散歩するのにちょうどよい文化エリアです。

※東松山市の霊園 森林公園昭和浄苑の墓地情報のページはこちら。

※鳩山町の霊園 サンヒルズメモリアルガーデンの墓地情報のページはこちら。
※その他の墓地を探してみる。
※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをごらんください。

・飛鳥Ⅱ 横浜港にて

2015年7月23日 木曜日 雨

こんにちは。首都圏にて霊園と墓地をご案内・ご紹介しております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

今日は横浜支社のONさんからの記事になります。以下本文↓

 

先日、横浜にアスカⅡ豪華客船が停泊していました。

2015年7月20日 飛鳥Ⅱ あすか2 横浜港 ベイブリッジ image1+

乗ってません。乗りたいです。

それにしてもとても大きいです。撮影日は7月20日の海の日。飛鳥Ⅱや海王丸の見学会があったようです。

飛鳥Ⅱは先日「2016年日本一周グランドクルーズ」を発表し話題となっていますが、今月末の7月31日(金)から発売開始となるようです。就航25周年企画のクルーズ第4弾ということで、来年2016年の6月5日(日)出港だそうです。

乗ってみたいものですね。

 

さて横浜といえば、大塚横浜支社があります。

お墓をお探しの方、お墓について悩みのある方はお気軽にご相談くださいませ。

大塚横浜支社問い合わせ 0120-14-8225

大塚代表問い合わせ番号 0120-36-1217

※神奈川県の霊園一覧ページはこちらをごらんください。

・東松山市岩殿 阿弥陀堂の板石塔婆

2015年7月21日 火曜日 晴れ

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置く石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

本日の記事も歴史を重ねた石塔ということで、埼玉県東松山市の岩殿にあります「阿弥陀堂の板石塔婆」の訪問記事になります。

場所は東松山市の岩殿観音、大東文化大学、こども動物自然公園からほど近い場所になり、先日記事にしました「・埼玉県東松山市岩殿の弁天沼(鳴かずの池)」のお向かいにあたります。ちょうど岩殿観音への参道に続く道沿いでもあります。

 20150608 東松山市岩殿 阿弥陀堂の板石塔婆DSC_1466

こちらは元々阿弥陀堂があった場所で、道の北側に墓地が丘の斜面に広がっています。

案内板があります。

20150608 東松山市岩殿 阿弥陀堂の板石塔婆DSC_1448-

阿弥陀堂の板石塔婆

市指定有形文化財(昭和40年8月10日指定)

板石塔婆(以下板碑)の多くは、亡くなった人の死後の世界での幸福や安らかに死を迎えられることを願って建てられたものです。鎌倉時代中頃から南北朝時代を経て江戸時代の初めの頃まで、全国各地で盛んに建てられています。この時代に多くの板碑が建てられた理由の一つに、貴族社会から武士の時代となり、世の中の争乱による苦しみや恐れにたいして、仏に心の救いをもとめたためと考えられています。板碑に刻まれた銘文は、文字資料の少ない時代の様子を知る手掛りとなるもので、貴重な文化財です。

後方の墓地の中腹に建っているひときわ大きな板碑が「阿弥陀堂の板石塔婆」です。「鳴かずの池」ほとりに建つ岩殿会館は、かつて阿弥陀堂があった場所と言われており、このことから「阿弥陀堂の板石塔婆」と呼ばれています。

20150608 東松山市岩殿 阿弥陀堂の板石塔婆DSC_1449-

この板碑は、応安元年(1368年)明超上人が中心となって、同門の五十余名の僧侶と共に、真言密教の布教を願って建てられた板碑で、このように多くの人によって建てられた板碑を結衆板碑(けちじゅういたび)といいます。

高さ260㎝を測り、市内では二番目の大きさの板碑です。蓮座の上には胎蔵界(たいぞうかい)大日如来の種子(しゅじ)、下には五字一句、四区からなる偈文(げもん)が刻まれています。中央には紀年銘と願主、その右には三列、左には二列の僧侶の名が十段まで確認できます。左端にも偈文が刻まれています。

この大きな板碑から、当時の岩殿山の繁栄と信仰の高まりを感じることのできる板碑といえます。

平成25年3月 東松山市教育委員会

※以上、案内板より引用。

↓中央に見えているのが板石塔婆です。斜面の中腹にあります。

20150608 東松山市岩殿 阿弥陀堂の板石塔婆DSC_1450

近づいて見ますと、かなり大きな石塔だということがわかります。

20150608 東松山市岩殿 阿弥陀堂の板石塔婆DSC_1451 20150608 東松山市岩殿 阿弥陀堂の板石塔婆DSC_1452

さきほどの案内板にあった図と比較してみましょう。

20150608 東松山市岩殿 阿弥陀堂の板石塔婆DSC_1453 20150608 東松山市岩殿 阿弥陀堂の板石塔婆DSC_1449-

700年前のものとは思えないほどに、刻まれた文字がしっかりと判読できます。

20150608 東松山市岩殿 阿弥陀堂の板石塔婆DSC_1454 20150608 東松山市岩殿 阿弥陀堂の板石塔婆DSC_1455

足元を見ると、小さな板碑や板碑であってであろう欠片となった石などが敷かれていました。

20150608 東松山市岩殿 阿弥陀堂の板石塔婆DSC_1456

さて場所は先述のとおり岩殿観音の近くにあり、大東文化大学やこども動物自然公園、物見山もすぐ近くです。東松山市の高坂から鳩山町に向かう途中にあり、鳩山町の霊園サンヒルズ・メモリアルガーデンも遠くありません。ご見学の途中にお散歩するのにちょうどよい文化エリアです。

※東松山市の霊園 森林公園昭和浄苑の墓地情報のページはこちら。

※鳩山町の霊園 サンヒルズメモリアルガーデンの墓地情報のページはこちら。

※その他の墓地を探してみる。

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをごらんください。

・桶川霊園のヘメロカリスが見頃です

2015年7月19日 日曜日 晴れ

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置く石材店、株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

今日は桶川霊園管理事務所からのおはなしです。以下本文↓

 

いまが見頃の植物をご紹介します。

2015年7月 埼玉県 桶川霊園のヘメロカリス001

このオレンジ色のユリのような花、

【ヘメロカリス】です。

ユリ科の多年草で原産地はアジア東部、土壌を選ばず、植えっぱなしでよく育ちます。

2015年7月 埼玉県 桶川霊園のヘメロカリス005

ギリシャ語の、

ヘメロ→1日、カリス→美

が名前の由来のようです。

 

別名【デイリリー】というように朝咲いて夜にはしぼんでしまいますが

初夏から夏にかけて次々と花が咲くので比較的長く楽しむことができます。

 

園内には他にも写真のようないろいろな花が咲いています。

2015年7月 埼玉県 桶川霊園の花007 2015年7月 埼玉県 桶川霊園の花013 2015年7月 埼玉県 桶川霊園の花016 2015年7月 埼玉県 桶川霊園の花018

是非ゆったりとした空間をお楽しみください。

 

墓地についてご興味ありましたらこちらも是非ご覧ください→ 桶川霊園の墓地紹介ページ

桶川霊園の永代供養墓についてはこちらをご覧ください→ 桶川霊園永代供養墓紹介ページ

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをごらんください。

・墓にまつわる言葉 小林一茶の俳句

2015年7月18日 土曜日 曇り時々雨

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置き、埼玉県だけでなく東京、神奈川、千葉、群馬、静岡にて霊園と墓地をご案内・ご紹介し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事という「お墓作りのお手伝い」をしております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

今日は墓にまつわる言葉、小林一茶の俳句について。

 

小林一茶と言えば、庶民的で情景や豊かな俳句づくりをした俳人ですが、お墓について読んだ句もいろいろとあります。いくつか挙げてみます。

 

墓からも 花桶からも 雲雀哉

(はかからも はなおけからも ひばりかな)

お墓参りで自家の墓にたどり着くと、お墓からそして花桶からひばりが飛び立つ、という情景が目に浮かびますね。

 

梅さくや ごまめちらばふ 猫の墓

(うめさくや ごまめちらばう ねこのはか)

梅の花の頃に、猫の墓に「ごまめ(カタクチイワシの素干し)」を供えている、そんな情景が浮かびます。

 

涼風は あなた任せぞ 墓の松

(すずかぜは あなたまかせぞ はかのまつ)

暑い日の墓参でしょうか。松の木陰の涼風が気持ちよさそうな様子が目に浮かびます。

 

卯の花や 子らが蛙の 墓参

(うのはなや こらがかえるの はかまいり)

子供達がカエルのお墓をつくったのでしょうか。カエルのお墓に参っている子供達、かわいらしいですね。卯の花ですので初夏の頃でしょう。

 

末の子や 御墓参りの 箒持

(すえのこや おはかまいりの ほうきもち)

今でいうと乳幼児くらいの子を詠んだのでしょうか。おさな子ががんばってほうきを持って歩いている様子が目に浮かびます。とてもかわいらしい光景ですね。

 

あまり花 人の墓へも 参りけり

(あまりはな ひとのはかへも まいりけり)

墓参の際の仏花(供花)が余ったのでしょう。よそさまのお墓へもお参りがてらお花のおすそ分けをされたのでしょう。読み方によっては「あまり花」が人の墓に参ったとも読めますが、そう解釈したとしても小林一茶の風を感じることができますね

 

盆参り 人の墓にて 済しけり

(ぼんまいり ひとのはかにて すましけり)

江戸時代の方のなかにも、めんどくさがりな人はいたのでしょうか。自家の墓に行くことができないので、他の方のお墓で盆参りを済ましたということですが、こういったケースはたびたびあったのでしょうか。それともやはりものぐさな人のお話なのでしょうか。

 

古犬が 先に立也 はか参り

(ふるいぬが さきにたつなり はかまいり)

家族そろっての墓参にて、年老いた犬が少々はりきって先に歩いているのでしょうか。それとも「わたしについておいで」と家の物知りとして家族を先導しようとしているのでしょうか。穏やかな家族の墓参が目に浮かびますね。

 

孤や 手を引れつつ 墓灯ろ

(みなしごや てをひかれつつ はかとうろう)

みなしごが手を引かれてお墓参りをしている、そんな句なのですが、ついこの「みなしご」の境遇を想像してしまいます。亡き親の墓参りなのか、どんな心境なのか、手を引く人間がどんな人なのか。心にしみる一句です。

 

新米や あてにして来る 墓雀

(しんまいや あてにしてくる はかすずめ)

雀もやはり新米は美味しく感じるのでしょう。新米時期のお墓は、雀にとってはごちそうがたくさんある場所。小林一茶の江戸時代では、墓参にお米が一般的だったということがわかりますね。

 

いかがでしたでしょうか。実は小林一茶の俳句の中にはまだまだお墓にまつわる句はあるんですが、今回はその中からいくつかに絞って書き出してみました。

朴訥でありながら、どの俳句も心温かくなるような句ばかりです。「ほっこり」させてくれますね。お墓は家族、親族のつながりを思い浮かべさせてくれるだけでなく、亡き人を偲ぶ心温かになる場でもあります。小林一茶の句の中でもそんな心情があらわされているように思います。

また機会をみて、お墓にまつわる言葉について書いてみようと思います。

 

・埼玉県東松山市岩殿の弁天沼(鳴かずの池)

2015年7月17日 金曜日 雨のち晴れ

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置き、埼玉県だけでなく東京、神奈川、千葉、群馬、静岡にて霊園と墓地をご紹介、ご案内し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事という「お墓作りのお手伝い」をしております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

先日サンヒルズメモリアルガーデンへの道すがら立ち寄りました岩殿観音 正法寺(訪問記事はこちら)、そのすぐ近くに弁天沼があります。鳴かずの池とも呼ばれています。(弁天沼のお向かいにあります阿弥陀堂の板石塔婆についてはこちら

 埼玉県東松山市岩殿 弁天沼 鳴かずの池 坂上田村麻呂 龍退治 伝説DSC_1465

案内看板がありますので読んでみます。

埼玉県東松山市岩殿 弁天沼 鳴かずの池 坂上田村麻呂 龍退治 伝説DSC_1458 埼玉県東松山市岩殿 弁天沼 鳴かずの池 坂上田村麻呂 龍退治 伝説DSC_1457

弁天沼(鳴かずの池)

昔、坂上田村麻呂が岩殿山に住む悪竜を退治し、首を埋めたところにこの弁天沼ができたといわれ、カエルがすみつかないところから「鳴かずの池」と呼ばれたと言い伝えられています。

東松山市観光協会

※以上、案内板より引用。

カエル 蛙 かえる アマガエルIMG_3742 埼玉県 桶川霊園 雨蛙 アマガエル かえる カエル1 埼玉県 桶川霊園 雨蛙 アマガエル かえる カエル 2

(カエル画像はイメージです)

本当にカエルがいないのでしょうか。とても不思議な伝説の沼、池ですね。

他の弁天沼、弁天池と同じように、島があります。

埼玉県東松山市岩殿 弁天沼 鳴かずの池 坂上田村麻呂 龍退治 伝説DSC_1461

そして島にはお堂があり

埼玉県東松山市岩殿 弁天沼 鳴かずの池 坂上田村麻呂 龍退治 伝説DSC_1462

財天の文字が確認できます。弁財天、弁才天、いわゆる弁天様ですね。ということでお堂は弁天堂と呼べると思います。

埼玉県東松山市岩殿 弁天沼 鳴かずの池 坂上田村麻呂 龍退治 伝説DSC_1463 埼玉県東松山市岩殿 弁天沼 鳴かずの池 坂上田村麻呂 龍退治 伝説DSC_1464

悪竜の池は、弁天様のお住まいになっています。

弁天様は元々河の神様で、音楽や芸能、学芸、戦の神様とされています。歌の神様でもあるので、カエルの歌声もいつの日か聞くことができる日がくるかもしれませんね。

さて場所は先述のとおり岩殿観音の近くにあり、大東文化大学やこども動物自然公園、物見山もすぐ近くです。東松山市の高坂から鳩山町に向かう途中にあり、鳩山町の霊園サンヒルズ・メモリアルガーデンも遠くありません。ご見学の途中にお散歩するのにちょうどよい文化エリアです。

※東松山市の霊園 森林公園昭和浄苑の墓地情報のページはこちら。

※鳩山町の霊園 サンヒルズメモリアルガーデンの墓地情報のページはこちら。

※その他の墓地を探してみる。

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをごらんください。

・静岡県静岡市清水区 霊泉寺の六角堂

2015年7月16日 木曜日 雨

こんにちは。首都圏を中心に霊園と墓地をご紹介、ご案内し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事という「お墓づくりのお手伝い」をしております石材店の「株式会社大塚」のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

先日記事にしました静岡県清水区のメモリアルガーデン清水。経営主体の霊泉寺さまは隣接する場所にあります。

興津川を新幹線が渡る場所からすぐです。

2015年7月 静岡県静岡市清水区興津井上町 霊泉寺 六角堂DSC_1729

見ていると、東海道新幹線が過ぎていきました。

釣りをしている人たちもちらほら。

2015年7月 静岡県静岡市清水区興津井上町 霊泉寺 六角堂DSC_1728

霊泉寺の入口に霊泉寺についての案内板があります。

2015年7月 静岡県静岡市清水区興津井上町 霊泉寺 六角堂DSC_1727

臨済宗 妙心寺派

旧昔清水市江尻城主武田家軍師穴山梅雪公の菩提寺で、自らの墓所として霊泉寺を開き天下の高僧速伝宗販老子を招いて開山とし、現在裏山に公の墓所がある。

宝物は、静岡県重要文化財として指定されている。

※以上、案内板より引用。

興津川から300メートルほど山裾を進んだ場所に本堂があります。

2015年7月 静岡県静岡市清水区興津井上町 霊泉寺 六角堂DSC_1695

本堂に向かって左手にあるのが六角堂です。

2015年7月 静岡県静岡市清水区興津井上町 霊泉寺 六角堂DSC_1696

額には「六角堂霊廟」とあります。

2015年7月 静岡県静岡市清水区興津井上町 霊泉寺 六角堂DSC_1694

こちらは現在、納骨堂として機能しています。

2015年7月 静岡県静岡市清水区興津井上町 霊泉寺 六角堂DSC_1698 2015年7月 静岡県静岡市清水区興津井上町 霊泉寺 六角堂DSC_1697

諸事情による方々のご遺骨をこちらに安置し、供養がなされています。永代供養墓ではありませんが、ご安心いただくことができると思います。

このほか、霊泉寺には先述のとおり穴山梅雪公のお墓参りもできます。

お近くにお寄りの際は、メモリアルガーデン清水、霊泉寺ともにご見学されてはいかがでしょうか。

※メモリアルガーデン清水の墓地情報のページはこちら。

※その他の墓地を探してみる。

※静岡県の霊園一覧ページはこちらをごらんください。

・静岡県清水区 薩埵峠(さったとうげ)から見る富士山

2015年7月15日 水曜日 晴れ

こんにちは。首都圏を中心に霊園と墓地をご案内し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事という「お墓作りのお手伝い」をしております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

昨日の記事でご紹介しました「メモリアルガーデン清水」からすぐ近く、興津と由比の中間に「薩埵峠(さったとうげ)」があります。ちょっと寄ってみました。メモリアルガーデン清水から、車で5分ほどです。

地図の中心のポイントは薩埵峠の駐車場(トイレ有)から遊歩道を少し歩いた展望台なのですが、地図中にメモリアルガーデン清水の文字があるのが分かりますでしょうか。ほんとうにすぐ近くなので、霊園からぶらりと気軽に行ける場所にありました。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1729 案内看板 道標

国道52号線からみて興津川をはさんだ向かい岸(東側)を走るオレンジ色のセンターラインのある道路。薩埵峠への入口の看板があります。看板の向こう側には「さった」バス停があります。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1730 案内看板 道標 静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1731 案内看板 道標

道を進んでいきますと随所に 薩埵峠への誘導看板が続いています。実はこの道は旧東海道なんです。

そしてたどり着くのがこちら。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1731-駐車場

右上からガードレールのある道にてたどり着く駐車場です。トイレや案内板などがあります。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1732 駐車場からの景色 富士山 静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1733 駐車場からの景色 富士山

この場所から見える富士山と太平洋の景色もなかなかのものなのですが、事前にイメージしていた場所とはちょっと違うような気がします。

何やら石碑などもあるのでちょっと見てみましょう。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1735 駐車場 山之神遺跡 静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1738 駐車場

海を挟んで伊豆半島がよく見えます。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1739 駐車場

そして、「薩埵峠山之神遺跡」の石碑と「幸田文・文学石碑」があります。

元々この場所には「鞍佐里(くらさり)神社」が祀られていた場所。その跡地をしるした石碑です。幸田文は幸田露伴の次女。幸田文の著した「崩れ」の本文の抜粋が刻まれています。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1740 駐車場 山之神遺跡 静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1748 駐車場 幸田文・文学碑

幸田文だけでなく、多くの人びとに感動や感慨を大きく与えた光景が広がるのがここ薩埵峠。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1741+ 駐車場 東海自然歩道 案内図

案内板を発見。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1742+ 駐車場 東海自然歩道 案内図 静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1743+ 駐車場 東海自然歩道 案内図 静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1744+ 駐車場 東海自然歩道 案内図 静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1745 駐車場 東海自然歩道 案内図

ここ駐車場から興津方向に遊歩道を少し歩きますと展望台があります。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1747+ 駐車場 東海自然歩道 案内図

↑左が興津方面、右が由比方面です。展望台に行く前に、徒歩で少し由比方面に進んでみます。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1754+ 道標

↑「←由比 興津→」と書かれた趣のある道標。

少し進むと薩埵峠と書かれている古い道標もありました。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1755+ 道標 静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1756 道標

この場所は、古戦場でもあります。古くは室町幕府を開いた足利尊氏と、鎌倉の足利直義との薩埵山合戦が。戦国時代には武田信玄と今川氏真との戦いが北条氏もまきこみながら三度も行われた場所でもあります。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1757+ 薩埵山合戦場 足利尊氏 直義 武田信玄 今川氏真

今も昔も海と山との間のほんのわずかな空間に街道がはしる交通の要衝です。この場所を押さえられると流通がピンチとなる非常に重要な場所。度々合戦の舞台となったというのもうなずけます。

足元には国道1号線と東名高速、そして波打ち際が見えます。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1763 東名高速道路 海と波

さて、いよいよ薩埵峠の展望台に行ってみましょう。

一度駐車場に戻り、そこから遊歩道を歩きます。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1764 遊歩道 見える景色と富士山 静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1765 展望台 見える景色と富士山

しばらく進みますと、すぐに展望台にたどり着きます。軽いお散歩に丁度良いくらいです。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1766 展望台 見える景色と富士山

薩埵峠(さったとうげ)

この地は、富士山が望める景勝地として昔から知られており、歌川広重は、浮世絵「東海道五十三次」の中で「由比(薩埵嶺)」として描いています。この場所は「東海道五十三次」の作品の中で、冬至と同じ景色が望める唯一残された場所とも言われています。

しかし、見事な景色とは裏腹に、急斜面と海に挟まれた地形から道を造ることが困難で、交通の難所として知られていました。

現在は、日本の大動脈である、国道1号・東名高速道路・JR東海道本線といった重要な交通網が集中しており、大規模な地滑りが発生した場合、東西の重要交通網が寸断されることによって生じる経済被害・人的被害は計り知れないものがあります。このため、平成17年度より国土交通省富士砂防事務所が、地滑り対策事業を行っています。

国土交通省 富士砂防事務所

以上、案内板より引用。

さて景色を堪能してみます。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1770 展望台 見える景色と富士山 静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1772 展望台 見える景色と富士山 静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1773 展望台 見える景色と富士山 Tokaido53_Yui-

ほぼ同じアングルから、ほぼ同じような富士山を見ることが出来ました!

それにしても、国道1号、東名高速、東海道本線が狭い場所にならんでいる様子は圧巻ですね。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1778 展望台 見える景色と富士山

目の前には伊豆半島の山々がよく見えます。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1783 展望台 見える景色と伊豆大島 静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1784 展望台 見える景色と伊豆大島

しばらくすると、東海道本線の車輛が見えてきました。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1786 展望台 見える景色と富士山 東海道本線 静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1788 展望台 見える景色と東海道本線

一番山側を走っているのがわかります。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1789- 展望台 見える景色と東海道本線 静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1792 展望台 見える景色と東海道本線

というわけで薩埵峠からの富士山の景色でした。

メモリアルガーデン清水はこのすぐ近く。

お墓を探しているという方は是非一度ご見学くださいませ。

※メモリアルガーデン清水の墓地情報のページはこちら。
※静岡県の霊園一覧ページはこちらをごらんください。

・埼玉県東松山市の六面幢(岩殿観音 正法寺)

2015年7月12日 日曜日 晴れ

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置く石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

先日サンヒルズ・メモリアルガーデンへの道すがら立ち寄りました岩殿観音 正法寺さま。その南側の山の中に六面幢(ろくめんどう)があります。

岩殿観音の裏側の入口からのびる細い道の奥に六面幢はあります。

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1379 裏の入り口

↑この場所のすぐ近くに案内の柱があります。

県指定史跡 正法寺六面幢 です。

埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1380

途中の道はこのようなこもれびの道です。ちょっとしたハイキングです。

埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1381

 しばらく歩きますと分かれ道があり、ここを左に曲がります。

埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1382 埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1383

そして見えてきました。

埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1384

六面幢とは、六面石幢とも六面塔とも呼ばれる供養塔。「幢」とはノボリ旗状の細長い旗のことで、仏法や仏様をそこに描き供養するものです。これを石でつくったものを石幢といい、石幢を六枚合わせたものを六面幢と言います。

埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1388 埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1389

六枚の板石を合わせた形状の上に笠石を載せています。笠石の中央にある丸い石は宝珠を表しているのでしょうか。

埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1385

正法寺の六面幢 県指定文化財

この六面幢は、緑泥片岩(青石)の六枚の塔婆を組み合わせて六角形を作り、その上に笠石をのせてあります。高さ107cm、板石の大きさき横36cm、縦101cm、笠石の直径128cmです。

笠石の周縁には飛雲・裏側には双龍と宝珠、宝相華や飛雲が線刻されています。

板石にはそれぞれ銘文が刻まれていますが、その銘文によると、天正十年(1582年)二月に、岩殿山の僧道照が俊誉・妙西・道慶・俊意らの菩提を供養するために建立したものと思われます。

六面幢は、鎌倉時代から室町時代に建てられたものですが、現在知られているものは極めて少なく、正法寺のものは、年代的にも新しいものです。

昭和五十八年三月 東松山市教育委員会

※以上、案内板より引用。

埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1386 埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1387

六枚のうち一枚が外れてしまっていました。

埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1388 埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1390

昭和五年三月三十一日指定。とあります。

埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1391 埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1392 埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1393 埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1394

今年が2015年ですので、433年前の石塔です。年月を考えると、刻まれた文字もしっかりと判読できます。しっかりと後世に伝えたい貴重な文化財ですね。

※岩殿観音 正法寺の訪問記事はこちら。

※東松山市の霊園 森林公園昭和浄苑の墓地情報のページはこちら。

※鳩山町の霊園 サンヒルズメモリアルガーデンの墓地情報のページはこちら。

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをごらんください。

  page top