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霊園とお墓のはなし

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記念碑・モニュメント」カテゴリーアーカイブ

・鴻巣霊園の永代供養墓

2015年5月6日水曜日 晴れ

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置き、霊園と墓地をご案内し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事という「お墓作りのお手伝い」をしております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

今日の記事は、鴻巣霊園の管理事務所からになります。以下本文↓

 

鴻巣霊園は管理事務所を通り抜けた先に永代供養墓があります。
流れ出る水の音に癒されます。

埼玉県 鴻巣霊園の永代供養墓 水の流れ150504_122613

永代供養墓を申込まれたかたからは、『夫婦で並んで納骨できてよかった』。
『跡継ぎがいないので永代供養墓があってよかった。』というお声をいただいています。

家族形態の変化から永代供養墓を申込まれるかたが多くなっています。

静かに眠れる場所がここにある、是非ご見学ください。

 

※鴻巣霊園の墓地情報のページはこちら。

※永代供養墓特集のページを見てみる

すぐに永代供養墓の資料を請求したい方はこちら→永代供養墓の資料を請求してみる

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・3月11日 4年前の震災を振り返る

2015年3月11日 水曜日 晴れ

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置き、埼玉県のみならず東京、神奈川、千葉、群馬、静岡にて霊園と墓地をご紹介・ご案内し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事という「お墓づくりのお手伝い」をしております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

本日は3月11日。「3.11」の日です。今日は四年前の今日を振り返ってみます。

四年前の本日3月11日、金曜日だったかと思いますが石材店の弊社は通常営業をしておりました。本社だけでなく池袋支社、横浜支社も同様で、さらに霊園などの現地でも通常営業として待機、ご案内をしておりました。

二日前の3月9日にあった予震とされる地震があった際には発報した「エリアメール」は、埼玉の本社では本震の際は鳴らず、ゆっくりとした大きな揺れが本社のある上尾にやってきました。最初にゆれを感じた際には、「少しで終わるかな」と感じていましたが、なかなか揺れはおさまらず、ついには大きな横揺れとなりました。

ブログ担当の私Tのいるのは本社社屋の三階です。その時三階のフロアにいたのは私を含め三名。大きな震災になるとは感じていなかったため、最初にとった行動は「パソコンのディスプレイを押さえる」ことでした。なかなかおさまらない大きな揺れに、三階入口の大きな防火扉が閉まりました。時間が長いことでやっと「大地震だ」と気が付いたわけです(今から思えば、悠長にしていてはいけなかったと反省しています)。社屋のバルコニーに出てみると、二階にいた社員が中庭の真ん中に出て集まっているのが見え、やっと「建物から出なくては」という思考になりました。

予備電源がなかったため電源は落ち、電話も通じず、携帯電話もつながらず、メールも届かない時間の始まりです。

なんとか防火扉をあけ中庭に出た際、営業車のカーラジオをつけて情報を必死にとろうとしたことを思い出します。

会社にいても通常業務はもとより、電気への依存が高いため何も作業をすることができません。帰宅可能な人間は帰宅することになりましたが、出先から事務所に戻ってくる人間もいるのでしばらく待機してみました。固定電話か携帯だったか、社外と連絡がとれるようになったのは夕方4時か5時ころだったでしょうか。

幸い近隣に火事などもなかったものの、信号も止まり音がいつもより少ない世界の中で、救急車のサイレンがいくつも同時に遠くから聞こえていました。四つくらい同時に耳で確認できたと思います。

そこから数日間は「お墓の灯篭が倒れた」「自宅の外壁が倒れた」「お墓に大きな傷がついた」といった連絡がたくさん届いたのを記憶しています。灯篭や石製品が崩れて道をふさいでいるから何とかしてくれ、という連絡もありました。

しばらくはそういった修理などの手配でパンク寸前でありましたが、同様に震災直後の買い控えと外出自粛の空気のなか、彼岸時期(一年で一番お墓が契約される時期です)にもかかわらず販売の折込チラシなどは全て折込みストップ、お客様のご来園もぱったりと止まってしまいました。

弊社の属する石材業界、霊園業界だけでなく、たくさんの業種で見られた状況だったのではないでしょうか。

震災の日、帰宅することがまた大きな困難でした。明かりのない街、信号ついていない道路とそれでも右左折(そして横断)しなくてはならない自動車と自転車と歩行者。車のライトだけが頼りのあかりと信号のない大きな国道は、通行するのがとても怖かった記憶があります。大渋滞には参りましたね。

ブログ担当の私Tの自宅では、屋根瓦がいくつも落ちていました。震災直後、携帯がまだつながるタイミングにて自宅に「瓦の修理をすぐ依頼するように」電話をしましたが、それでも瓦が元にもどったのは四か月後になりました。余談ですが、瓦が落ちたことで「罹災者」という扱いとなり、被災地に向かう高速道路に使えることで有名になった「罹災証明書」も手にしました。帰宅してから初めて見ることができた津波の映像も大きな衝撃でした。

帰宅後、その日の夜はたびたび訪れる大きな揺れに、眠ることのできなかった方も多かったのではないでしょうか。

そして食糧がスーパーの棚から消え、ガソリンを求める人の数時間にも及ぶ大行列と「あの店にタンクローリーが今はいったよ」などの社員間での貴重な情報共有。東京湾での港湾火災についての流言飛語や、原発の爆発、富士山が噴火するのではないか?という噂など、不安要素が続いておりました。計画停電の予定をみてスケジュールを組む日々でしたね。

震災以降、重心の低く安定性の高い「洋型墓石」の需要が高まったり、耐震や免震の施工への意識も高くなり、お墓の形にも大きな影響が出たということも事実として挙げられます。

大きな被害にあわれた地域に比べれば、関東の埼玉県では上記のような被害と状況で済んでいたとはいえ、大きな非日常を今から振り返ってみると「夢だったのではないか」と感じるような錯覚に襲われてしまいますが、現実でした。

 

時間と共に記憶は薄れていってしまいます。もう四年たちましたが、まだ四年です。自分の記憶が薄れてしまうのを防止するためにも上記のように列記してみました。みなさんの記憶も薄れていってしまう前にもういちど四年前の今日をふりかえって今後、明日につなげていくことが大切なのではないでしょうか。弊社も企業として、いつか来る「次」を考えて日々営業いたします。

 

※震災後に東北の三陸に、弊社も加盟しております全優石にて建てました「地震津波石」を2013年12月に社員皆で巡ってきました。その際の記事がこちらです↓

・津波記憶石 小泉小学校

・津波記憶石 綾里(りょうり)

・津波記憶石 釜石市唐丹町

・津波記憶石 釜石市根浜海岸(宝来館前)

↓こちらは震災1000日後の昨年記事にしましたまとめたものです

・震災から千日。現在の三陸を見てきました。気仙沼~陸前高田~釜石

よろしかったら合わせてご覧ください。

 

震災の被害にあわれ亡くなられてしまわれた方々への追悼と、復興への祈りをもちたいと思います。

 

・「お墓」について調べてみる ①漢字の「墓・塚(冢)・墳・陵」の違い

2015年2月13日金曜日 晴れのち曇り

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置き、埼玉県のみならず東京、神奈川、千葉、群馬、静岡にて霊園と墓地をご案内し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事をしております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

 

さて、「お墓」という言葉についてや文字についてちょっと調べてみようと思います。今回はまず一回目ということで、文字について。

墓という文字は、「土」と「莫」という文字によって成り立っています。土が意味を表し、「莫(ぼ)」が音を表している「形成文字」です。

「莫」という字は、草の下側に太陽が隠れるというカタチの文字で、「見えない」「暗い」という意味があり、「暮」という字と近い意味をもっています。漢文や漢詩に登場する「莫」の文字について、日本の人々は「なし」(無し)という読み方をし、「莫(な)し」「莫(な)かれ」というように使われています。

「土」と「莫」からなる「墓」という字には、「中が暗くて見えない」の意味があります。また別の説によると、「親を思慕する」の「慕」という字や、「規模」の「模」という字と関係づけて語源を考えているというものもあるようです。

似た機能をもつ文字に「塚」と「墳」と「陵」というものもあります。ちょっと違いをしとらべてみました。

 

「塚」は、「土」と「冢(ちょう)」とから成っており、「土」が意味を、「冢(ちょう)」が音をあらわしています。この「冢(ちょう)」の文字にはもともと「高く土を盛った墓」という意味があります。そこから派生して塚の字には、ただの盛り土という意味や、丘、山の頂上という意味にもつかわれます。土にまつわる文字なので土へんが付いていますが、塚の字は「冢(ちょう)」の字の俗字のようです。※なお、「冢(ちょう)」を調べてみましたところ、「大きく高いはか」「もりつち」「大きい」という意味が出てきました。

「墳」は、「土」がカタチを、「賁(ふん)」が音をあらわしています。「賁」には、膨れ上がるという意味があります。そのため「墳」は「土が盛り上がって、饅頭型になったはか」をいいます。

「陵」は、「阝」がカタチを、「夌(りょう)」が音をあらわしています。へんの「阝」は土の山を意味していて、つくりの「夌」は「高く角ばっている」という意味があります。なので、「陵」は「大きく角ばっているはか」のことを言います。天子や皇后のおはかを意味する文字でもあり、発展して「厳しい」という意味や、「角をとがらせる」、「とぐ、磨く」、「刃物に焼きを入れる」という意味も生まれました。“角”がポイントとなっている文字ということですね。

※以上、小学館新選漢和辞典第五版を参考にさせていただきました。

まとめてみますと

「墓」・・・土の中に埋めたはか。

「塚」・・・高く盛り土をしたはか。または高い盛り土。

「墳」・・・丸く盛り上がったはか。

「陵」・・・角ばっているはか。天子や皇后のはか。

というようになります。文字の語源の意味を図にしてみると下記のようになります。

墓塚冢墳陵の違い

しかしこれはあくまで漢字の成立の視点からみた形状の違いになりますので、長い時間を経て使用されてきた現在では意味が推移し変異し、上記のとおりではなくなってきていると思われます。有名なところでは箸墓古墳や高松塚古墳という固有名詞、墳墓、陵墓という熟語など、ずいぶん昔からすでに言葉の意味が移り変わって来ていたのではないでしょうか。

現在私たちが日常で目にしている「はか」では、日本では墓石を使用する場合が多かったり、そもそも土に埋めたり盛り上げたりすることも現在はあまりなくなってきているなど・・・。

お墓の文化について、また調べてみたいと思います。②につづく

 

・NIPPON 石博 上野公園で3月7・8日(土・日)開催

2015年1月22日 木曜日

こんにちは。首都圏で霊園と墓地をご紹介・ご案内し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事という「お墓づくりのお手伝い」をしております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

来る2015年3月7日(土)と8日(日)、東京都上野恩賜公園の大噴水広場にて「NIPPON 石博」が開催されます。このNIPPON 石博は石の文化の博覧会です。

弊社大塚も加盟しております日本石材産業協会が主催なのですが、ポスターをもらいましたので早速受付の店頭に貼り出してみました。

NIPPON 石博 上野公園で3月7・8日(土・日)開催DSC_0058 ポスター

ロゴマーク↓が印象的ですね。

NIPPON 石博 上野公園で3月7・8日(土・日)開催DSC_0061 ロゴ

石博では、さまざまな催し物があるようです。

NIPPON 石博 上野公園で3月7・8日(土・日)開催DSC_0062 催し物

伝統工芸士による制作実演、伝統工芸品展示、石彫展示、復興モニュメント展示(福島県川内村協力)、世界の石造建築、石のプロダクト製品展示、石あかりライトアップ、「石」の相談室、日本全国石の名所巡り、石のワークショップ、クイズラリー、ステージイベント、石窯焼きピザ、石臼挽き珈琲、東京糸魚川PRブース。

と、盛り沢山です。

NIPPON 石博 上野公園で3月7・8日(土・日)開催DSC_0064

上野恩賜公園大噴水広場 2015.3/7sat - 3/8sun 10:00~16:00

主催 一般社団法人日本石材産業協会 後援 経済産業省

NIPPON 石博 上野公園で3月7・8日(土・日)開催DSC_0065

お時間に余裕のある方は、是非上野公園までお越しくださいませ。
※東京都の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・西蔵院さまのイチョウが綺麗でした

2014年12月14日 日曜日 晴れ

先週の様子になりますが、埼玉県伊奈町羽貫の西蔵院さまのイチョウが綺麗な黄色に染まっていました。

西蔵院さまは弊社大塚が日頃大変お世話になっておりますお寺様です。

山門を入ってすぐ右手にある大きなイチョウがとても見事に紅葉しています。

西蔵院さまのイチョウが綺麗でしたDSCN6442 西蔵院さまのイチョウが綺麗でしたDSCN6444

見上げるととても巨大に感じられます。

西蔵院さまのイチョウが綺麗でしたDSCN6443

また、このイチョウだけではなく、墓域の周囲の高い木々も紅葉していました。

西蔵院 墓域DSCN6440 西蔵院 墓域DSCN6441

永代墓もあります。

西蔵院 永代供養墓 供養塔DSCN6428 西蔵院 永代供養墓 供養塔DSCN6429

西蔵院さまのすぐ隣には、伊奈町の町制記念公園があり、こちらも晩秋(初冬?)の紅葉に包まれていました。

伊奈町町制記念公園 紅葉 晩秋 初冬 12月DSCN6430 伊奈町町制記念公園 紅葉 晩秋 初冬 12月DSCN6431

足元には一面の落ち葉のジュウタンが広がってます。

伊奈町町制記念公園 紅葉 晩秋 初冬 12月DSCN6432

残念ながら紅葉のピークは過ぎてしまっていたようで、もう少し早くくれば、紅葉の真っ盛りを見ることができたようです。

伊奈町町制記念公園 紅葉 晩秋 初冬 12月DSCN6435 伊奈町町制記念公園 紅葉 晩秋 初冬 12月DSCN6436 伊奈町町制記念公園 紅葉 晩秋 初冬 12月DSCN6437

公園内の湿地エリアはすでに冬の雰囲気を感じられました。

伊奈町町制記念公園 紅葉 晩秋 初冬 12月DSCN6433 伊奈町町制記念公園 紅葉 晩秋 初冬 12月DSCN6438 伊奈町町制記念公園 紅葉 晩秋 初冬 12月DSCN6439

隣接のバラ公園では、バラもちらほら咲いていました。

伊奈町町制記念公園 バラ公園 晩秋 初冬 12月DSCN6434

四季折々の様子を感じられ、味わうことのできる西蔵院さま、素敵なお寺です。墓地についての詳しい情報はこちらのページをご参照ください⇒(大塚サイト内での、西蔵院さま墓所御紹介ページ

(過去記事 バラ公園①  バラ公園②  伊奈町町制施行記念公園 紅葉  20140331 埼玉県伊奈町羽貫 西蔵院 桜満開

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・横浜支社は横浜ランドマークタワーにあります

2014年12月10日 水曜日 晴れ

こんにちは。東京、神奈川、埼玉、千葉、群馬、静岡にて霊園と墓地をご案内し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事という「お墓作りのお手伝い」をしております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

今日は、弊社株式会社大塚の横浜支社をご案内いたします。

横浜支社は、横浜ランドマークタワーの14階にあります。

JRの最寄駅は、桜木町駅。

横浜支社は横浜ランドマークタワーにありますDSC_0078

桜木町駅の東口を出ると

横浜支社は横浜ランドマークタワーにありますDSC_0075

横浜みなとみらい21地区にある、横浜ランドマークタワーが見えてきます。

少し高い位置になるデッキから駅前を見てみました。

横浜支社は横浜ランドマークタワーにありますDSC_0086 横浜支社は横浜ランドマークタワーにありますDSC_0085

このデッキからランドマークタワーを見てみますとこんな感じです↓

横浜支社は横浜ランドマークタワーにありますDSC_0080 横浜支社は横浜ランドマークタワーにありますDSC_0081

ランドマークタワーのすぐ南側は開けていて、とても開放感があり、パシフィコ横浜や観覧車、写真には写っていませんが港にある様々な商業施設を一望できます。

横浜支社は横浜ランドマークタワーにありますDSC_0083 横浜支社は横浜ランドマークタワーにあります コスモワールド 観覧車DSC_0074

それではランドマークタワーの14階にあります、大塚横浜支社に向かってみようと思います。

ランドマークタワーに近づいて来ますと、すぐ横にあります日本丸が見えてきます。

横浜支社は横浜ランドマークタワーにあります 日本丸 DSC_0071

ランドマークタワーの足元まで来ますと、見上げるのが大変になってきます(^_^;)

横浜支社は横浜ランドマークタワーにありますDSC_0073 横浜支社は横浜ランドマークタワーにありますDSC_0068 横浜支社は横浜ランドマークタワーにありますDSC_0070

足元に到着してみると、どうやら何かイベントが行われている様子です。

横浜支社は横浜ランドマークタワーにありますDSC_0062 横浜支社は横浜ランドマークタワーにありますDSC_0063

ドッグヤードガーデンにて、スターウォーズのプロジェクションマッピングと

横浜支社は横浜ランドマークタワーにありますDSC_0064 横浜支社は横浜ランドマークタワーにありますDSC_0065

今年もディズニー的な催し物があるようですね。

大塚横浜支社(横浜ランドマークタワー14階)から見える景色 につづく)

 

神奈川県、静岡県、そして東京都町田市周辺の墓地情報については横浜支社が担当いたします。お気軽にお問い合わせください。

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関連記事

・横浜支社は横浜ランドマークタワーにあります

・大塚横浜支社(横浜ランドマークタワー14階)から見える景色

・石材店の大塚、横浜支社の様子

・大塚横浜支社(ランドマークタワー)の隣にある日本丸

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※神奈川県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・埼玉県伊奈町小針新宿 西光寺の銀杏

2014年12月7日 日曜日 晴れ

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置き、埼玉のみならず東京、神奈川、千葉、群馬、静岡にて墓地と霊園をご案内し、お墓作りのお手伝い(墓石の製造加工と墓所への据付施工工事)をしております石材店の株式会社大塚ブログ「霊園とお墓のはなし」です。

今日は、埼玉県伊奈町の小針新宿にあります西光寺さまに立ち寄ってきました。

丁度銀杏がとてもきれいに紅葉しておりましたので写真におさめてきてみました。

埼玉県伊奈町小針新宿 西光寺の銀杏DSCN6445 埼玉県伊奈町小針新宿 西光寺の銀杏DSCN6446

山門の向こう側、本堂と山門の間にある銀杏がまさに紅葉の真っ盛りです。埼玉県道311号蓮田鴻巣線から少し入った場所にあるのですが、県道からも綺麗な黄色い銀杏の木が確認できました。

埼玉県伊奈町小針新宿 西光寺の銀杏DSCN6448

見上げると、銀杏の葉が天を覆っているようにも見えます。

埼玉県伊奈町小針新宿 西光寺の銀杏DSCN6449 埼玉県伊奈町小針新宿 西光寺の銀杏DSCN6452

本堂側からみてもとても立派な銀杏の大木です。銀杏の木の向こう側に墓域が広がっているのがわかります。

埼玉県伊奈町小針新宿 西光寺の銀杏DSCN6450

足元には、ギンナンがちらほらと確認できます。旬の食材ですね!

埼玉県伊奈町小針新宿 西光寺の銀杏DSCN6451

ここ西光寺さまには、通常の墓所のほか、夫婦墓や永代供養墓もあり、ご安心にてお墓をお求めできます。

埼玉県伊奈町小針新宿 西光寺の夫婦墓 永代供養墓IMG_0177 埼玉県伊奈町小針新宿 西光寺の合葬簿 永代供養墓 共同墓DSCN6453 

四季の移りゆくさまを美しくたのしめる西光寺さま墓地、弊社大塚としてもお勧めの墓地になります。

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西光寺さまの以前の記事

・20140331 埼玉県伊奈町小針新宿 西光寺 桜満開

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西光寺さまの墓地情報についてはこちらのページをご覧ください→西光寺さま墓地情報のページ

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・さいたま市岩槻の「時の鐘」

2014年11月30日 日曜日 晴れ

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置き、埼玉のみならず東京、神奈川、千葉、群馬、静岡にて霊園と墓地をご紹介し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事という「お墓作りのお手伝い」をしております石材店の株式会社大塚ブログ「霊園とお墓のはなし」です。

先日、いわつき聖地霊園のすぐ近くにあります「時の鐘」を見てきました。大通り沿いにはなく、路地を入ったところに鎮座していました。

さいたま市岩槻の「時の鐘」 岩槻城DSCN5926

道標と案内板が目印です。

さいたま市岩槻の「時の鐘」 岩槻城DSCN5927 さいたま市岩槻の「時の鐘」 岩槻城DSCN5929

案内板にはこのように書かれていました。

岩槻市指定文化財 時の鐘

指定年月日 昭和33年2月21日
指定の種類 有形文化財(工芸品)
所有者 岩槻市

岩槻城下の時の鐘は、寛文11年(1671)、城主阿部正春の命令で鋳造されました。渋江口に設置された鐘の音は、城内や城下の人々に時を知らせていました。50年後の享保5年(1720年)、鐘にひびが入ったため、時の城主永井直信(陳)が改鋳したものが現在の鐘です。鐘は1日3回撞かれたとも言われていますが、江戸時代後期には、1日12回撞かれていたようです(『新編武蔵国風土記稿』他)。

鐘楼は、嘉永6年(1853)に岩槻藩により改建されており(棟札銘)、方13.1m、高さ2.1mの塚の上に建っています。

文化財を大切に 岩槻市教育委員会

以上、案内板からの引用でした。現在の鐘はつくられてから300年ほども経つのですね~。歴史を感じます。

さいたま市岩槻の「時の鐘」 岩槻城DSCN5930

岩槻八景「城口晩鐘より」の図絵がありました。ランドマークとして機能していたことがわかります。

さいたま市岩槻の「時の鐘」 岩槻城DSCN5931 さいたま市岩槻の「時の鐘」 岩槻城DSCN5948

夕方に行ったためか、写真が暗くなってしまいましたが、巨大ではないものの存在感のある鐘楼と、その中にある鐘が夕方のためかとても印象的に感じられました。鐘楼の向かい側にある銀杏の大きな木とあわせて独特の雰囲気があります。

さいたま市岩槻の「時の鐘」 岩槻城DSCN5932 さいたま市岩槻の「時の鐘」 岩槻城DSCN5933 さいたま市岩槻の「時の鐘」 岩槻城DSCN5934 さいたま市岩槻の「時の鐘」 岩槻城DSCN5950

鐘の音は聞くことができませんでしたが、重厚で趣のある音色を聞くことができるのでしょうね。

石碑があり、「岩槻城墟碑」と刻まれているのがわかりました。城墟碑とありますのでそんなに古い石碑ではありませんが、十分に歴史を感じさせられる佇まいのある石碑です。

さいたま市岩槻の「時の鐘」 岩槻城DSCN5935 さいたま市岩槻の「時の鐘」 岩槻城DSCN5936

案内板と案内地図もありました。

さいたま市岩槻の「時の鐘」 岩槻城DSCN5937 さいたま市岩槻の「時の鐘」 岩槻城DSCN5938

城下町岩槻

鎌倉時代から室町時代頃の岩槻は、奥大道と呼ばれる幹線道が元荒川(当時は荒川の本流)を渡る地点にあたっていました。奥大道は鎌倉街道の一つで、関東の政治の中心・鎌倉から北関東・東北地方方面へと通じる街道です。幹線道と水上交通路でもある大河が交差する岩槻の地には、城下町の成立以前に町場が形成されていた可能性があります。

15世紀以降、戦国の動乱が恒常化すると、交通の要衝でもある岩槻には岩槻城が築城され、岩槻城を中心とする都市形成が本格化しました。この頃には久保宿・富士宿・渋江宿などが文献資料に現れ、市町などの町場の形成が進んでいました。城下町岩槻の成立です。そして戦国時代の末、天正15年(1587)頃には、城下町の周囲に大構(おおがまえ)と呼ばれる土塁と堀が築かれ、岩槻城と一体化し、岩槻城主の領域支配の核であり象徴でもある城下町が確立しました。

江戸時代を迎えると、近世の身分秩序に基づき城下町が再編され、岩槻城大手門外の一帯を中心に武家地(武家屋敷ゾーン)、街道沿いには町家(商工業ゾーン)が配置されました。また、旧来の街道は将軍の日光参詣路でもある日光御成道として整備され、城下町はその宿場ともなりました。

武家地内は諏訪小路、裏小路などの街路名で呼ばれ、生垣や板塀で区画された広壮な武家住宅が形成されました。大構の出入り口と、武家地・町家の出入り口は口(くち)と呼ばれ、門・木戸が設けられていました。城下町に由来する文化財の一つ、時の鐘は、寛文11年(1671)、岩槻城主阿部正春が、そうした口の一つ、渋江口に設置したものです。

町家では、「うなぎの寝床」などといわれる細長い区画に区分され、さまざまな業種の商家などが通りに面して店を構えていました。町家の商家は岩槻城主や家臣の需要にこたえるばかりではなく、周辺農村に必要物資を提供する役割も果たしていました。町場の中心である市宿町(いちじゅくまち)では、戦国時代以来の六斎市(ろくさいいち)(毎月6回開かれる定期市。市宿では1と6の付く日に開かれた)も開かれ、特産の岩槻木綿の取引などでにぎわいました。

以上、案内板より本文を引用しました。

さいたま市岩槻の「時の鐘」 岩槻城DSCN5939-

丁度この鐘のある場所が大手門から町家エリアに至る交差点になっていて「渋江口」だったということが地図からわかりました。

さいたま市岩槻の「時の鐘」 岩槻城DSCN5947

案内板には↓のような絵図もありました。

さいたま市岩槻の「時の鐘」 岩槻城DSCN5940

日光御成道道中絵図に見る城下町の町並み

江戸時代後期の道中絵図に描かれた久保宿町と市宿町。町境の木戸で区画された街道沿いに商家が軒を連ね、その手前には大構、奥には岩槻城が描き込まれており、城下町岩槻の景観が手にとるようにわかります。また、市宿町の市神、久保宿町の本陣・一里塚など、市や日光御成道に由来する要素も見て取ることができます。

原資料・・・「日光道中絵図」(独立行政法人国立公文書館内閣文庫所蔵)

さいたま市岩槻の「時の鐘」 岩槻城DSCN5946 さいたま市岩槻の「時の鐘」 岩槻城DSCN5945

昔と今とではかなり町のカタチが変わってしまいましたが、たしかに存在した記録としてさまざまな文化財が町のなかに残っています。町の成り立ちや歴史をたまには振り返ってみてもいいのかもしれませんね。

さいたま市岩槻の「時の鐘」 岩槻城DSCN5951

ところで、弊社はお墓をご案内している石材店です。岩槻の街なかにあります「いわつき聖地霊園」はアクセスもよく好評の霊園になっています。

ご興味ありましたら、こちらのページもご覧ください→いわつき聖地霊園の墓地情報のページ

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・アオサギ?発見!桶川霊園のすぐ近くで

2014年11月26日

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置き、埼玉のみならず東京、神奈川、千葉、群馬、静岡にて墓地と霊園をご案内し墓石の製造加工と墓所への据付施工工事をしております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

先日、桶川霊園に行ってみたところ、大きな鳥の足跡?を見かけました。

アオサギ?発見!桶川霊園のすぐ近くで 足跡と白い糞DSCN6141 アオサギ?発見!桶川霊園のすぐ近くで 足跡と白い糞DSCN6142

この足跡、結構大きく感じられます。長さは10㎝くらいはありそうです。場所は、桶川霊園のすぐ近くで、桶川市環境センターの目の前の橋のすぐ下の砂州で見つけました。赤堀川です。綾瀬川の起点がこの近くになります。

アオサギ?発見!桶川霊園のすぐ近くでDSCN6132

この橋のたもとには、↓こんな供養塔もありました。雑草が刈られたため只今はよく確認できます。供養塔があるということは、ずいぶん古くからある川なのですね~。

アオサギ?発見!桶川霊園のすぐ近くで 供養塔DSCN6133 アオサギ?発見!桶川霊園のすぐ近くで 供養塔DSCN6134

ちなみにこの供養塔、「養」の字が羊へんにつくりが良というカタチになってます。ちなみのこの供養塔のあたりからは桶川霊園が↓こんな感じで見えます。

アオサギ?発見!桶川霊園のすぐ近くでDSCN6140

さて、鳥はどこにいるのでしょう?と、ちょっと探しに行ってみました。

アオサギ?発見!桶川霊園のすぐ近くでDSCN6143

すぐに発見しました。拡大してみます。

アオサギ?発見!桶川霊園のすぐ近くでDSCN6144

さらに拡大。立派な鷺(アオサギ)ですね~。こちらの様子をうかがっています。綺麗に撮影できませんでしたが、羽を広げると2メートル近くあるのでは?というくらいの大きさでした。

アオサギ?発見!桶川霊園のすぐ近くでDSCN6145

鴨もいます。

アオサギ?発見!桶川霊園のすぐ近くで 鴨DSCN6147

おや?アオサギが何かに気が付いたようです。首の向きを反対側に変えて何かを見ています。

アオサギ?発見!桶川霊園のすぐ近くでDSCN6151 アオサギ?発見!桶川霊園のすぐ近くでDSCN6152

右手から、仲間のアオサギが飛んできました。

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このように自然がいっぱい残っている桶川霊園。時にはキジの鳴き声や姿も見ることができるとか。

桶川霊園にご興味のある方はお気軽にご見学いただいても大丈夫ですし、お問い合わせいただいても大丈夫です。お気軽にどうぞ。

 

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・さいたま市営霊園に行く途中で見かけた、見沼田んぼの「フナノ」

2014年11月21日金曜日 晴れ

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置き、埼玉のみならず東京、神奈川、千葉、群馬、静岡にて霊園と墓地をご紹介し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事を行っております墓石石材店の大塚ブログです。

先日、さいたま市見沼区にあります「さいたま市営霊園 思い出の里」に向かう途中のことですが、藁でできた家のようなものに遭遇しました。

2014年11月14日 さいたま市営霊園に行く途中で見かけた、見沼田んぼの「フナノ」DSCN5860

遠くから見たところ、どうやら藁でできているようですが、はじめて拝見しました。

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見沼代用水東縁沿いを、さいたま市営霊園 思い出の里に向かって進んでいるときに見かけました。場所は、さぎ山記念公園、見沼自然公園の近くです。なお、見沼代用水には鴨が何羽もおり、のどかな田園風景を演出してくれてます。

見沼代用水東縁 カモ 鴨 DSCN5863 見沼代用水東縁 カモ 鴨 DSCN5864

土手を降りてみましょう。

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案内板があり、どうやらこちらは「フナノ」という伝統的なものだということが判明。

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FUNANO HISTORY

約50年前まで、見沼田んぼは一面の水田でした。そのころまで、この地域では稲刈りの後、「フナノ」と呼ばれる藁塚が作られてきました。藁は家畜のえさ、燃料、わら細工とその用途は広く、その中で生み出された「藁の文化」は人々が記した貴重な生活文化の証です。

しかし、減反政策に加え、農業の機械化、後継者不足、石油ガス燃料、プラスチックの普及が急速に進み、「フナノ・藁」文化もいつしか途絶えていました。そんな中、見沼田んぼの象徴としての「フナノ」を、という声に押され、数年前から復活しました。

ほとんど記録が残ってない中、古老に話を聞き、手ほどきを受け、「フナノ」は、ようやく完成しました。使った藁、約9トン(約9反分)、作業に関わったのは約120人に及びました。調べてみると、「フナノ」は全国的にもまれな大きさ、さらには、他に例を見ない舟形形状、それらの美意識に改めて感動しました。「フナノ」は晩秋の見沼たんぼに欠かせない風景、という声も多く寄せられています。

しかし、制作には、多くの手間と人手を必要とします。多くの方々の協力を得ながら、これからも「フナノ」を継承してゆきたいと考えています。温かく見守ってください。

見沼田んぼの文化遺産「フナノ」づくり実行委員会(見沼ファーム21ほか12団体)

以上、案内板より引用しました。

せっかくなのでもっと近くに寄って見てみます。

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周囲には竹で作った背の低い生垣のようなものが取り囲んでおり、足元にはもみ殻が敷いてありました。

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紅葉を背景に、とても風情がある季節の風物詩です。

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近くには見沼代用水のほか、加賀屋川も流れており、美しい見沼の田園風景を作っています。

2014年11月14日 さいたま市営霊園に行く途中で見かけた、見沼田んぼの「フナノ」 加田屋川 DSCN5888 2014年11月14日 さいたま市営霊園に行く途中で見かけた、見沼田んぼの「フナノ」 加田屋川 DSCN5889

加賀屋川にかかる橋の上からもフナノを見ることができました。

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この後、見沼田んぼを北西に向かい、さいたま市営霊園に向かったのですが、丁度紅葉が美しい季節。その時の記事はこちらになります。さいたま市営霊園思い出の里は、このように美しい見沼田んぼに隣接している自然豊かな霊園です。

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