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霊園とお墓のはなし

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寺院・神社」カテゴリーアーカイブ

・埼玉県佛教会 平成27年度埼玉県寺院名簿が届きました

2015年7月22日 水曜日 晴れ

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置き、埼玉県だけでなく東京、神奈川、千葉、群馬、静岡にて霊園と墓地をご紹介・ご案内し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事という「お墓作りのお手伝い」をしております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

埼玉県佛教会より、平成27年の埼玉県寺院名簿が届きました。

20150722 平成27年 埼玉県寺院名簿が届きました平成13年 DSCN7082

明るい水色の表紙の名簿です。待ち望んでいた名簿でもあります!

いままで使用していた名簿は平成13年の名簿(緑色のもの)で、社員一同かなりお世話になりました。おかげでだいぶ年季が入って来ていたところです。

20150722 平成27年 埼玉県寺院名簿が届きましたDSCN7083 20150722 平成27年 埼玉県寺院名簿が届きました 平成13年 DSCN7084

ページをめくってみますと、最新の情報がずらり。

20150722 平成27年 埼玉県寺院名簿が届きましたDSCN7086

現在はなんでもインターネットで調べられる時代とはいえ、こういったきちんとまとめられた情報はやはりとても助かります。

そして巻末の協賛広告のなかに、大塚の広告もあります。

20150722 平成27年 埼玉県寺院名簿が届きました 大塚の広告 DSCN7087

~永遠の心を刻むいしづくり~

昭和13年創業。

墓所・墓石・お墓のリフォーム・墓地開発

お気軽に弊社大塚までお問い合わせください。

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをごらんください。

・静岡県静岡市清水区 霊泉寺の六角堂

2015年7月16日 木曜日 雨

こんにちは。首都圏を中心に霊園と墓地をご紹介、ご案内し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事という「お墓づくりのお手伝い」をしております石材店の「株式会社大塚」のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

先日記事にしました静岡県清水区のメモリアルガーデン清水。経営主体の霊泉寺さまは隣接する場所にあります。

興津川を新幹線が渡る場所からすぐです。

2015年7月 静岡県静岡市清水区興津井上町 霊泉寺 六角堂DSC_1729

見ていると、東海道新幹線が過ぎていきました。

釣りをしている人たちもちらほら。

2015年7月 静岡県静岡市清水区興津井上町 霊泉寺 六角堂DSC_1728

霊泉寺の入口に霊泉寺についての案内板があります。

2015年7月 静岡県静岡市清水区興津井上町 霊泉寺 六角堂DSC_1727

臨済宗 妙心寺派

旧昔清水市江尻城主武田家軍師穴山梅雪公の菩提寺で、自らの墓所として霊泉寺を開き天下の高僧速伝宗販老子を招いて開山とし、現在裏山に公の墓所がある。

宝物は、静岡県重要文化財として指定されている。

※以上、案内板より引用。

興津川から300メートルほど山裾を進んだ場所に本堂があります。

2015年7月 静岡県静岡市清水区興津井上町 霊泉寺 六角堂DSC_1695

本堂に向かって左手にあるのが六角堂です。

2015年7月 静岡県静岡市清水区興津井上町 霊泉寺 六角堂DSC_1696

額には「六角堂霊廟」とあります。

2015年7月 静岡県静岡市清水区興津井上町 霊泉寺 六角堂DSC_1694

こちらは現在、納骨堂として機能しています。

2015年7月 静岡県静岡市清水区興津井上町 霊泉寺 六角堂DSC_1698 2015年7月 静岡県静岡市清水区興津井上町 霊泉寺 六角堂DSC_1697

諸事情による方々のご遺骨をこちらに安置し、供養がなされています。永代供養墓ではありませんが、ご安心いただくことができると思います。

このほか、霊泉寺には先述のとおり穴山梅雪公のお墓参りもできます。

お近くにお寄りの際は、メモリアルガーデン清水、霊泉寺ともにご見学されてはいかがでしょうか。

※メモリアルガーデン清水の墓地情報のページはこちら。

※その他の墓地を探してみる。

※静岡県の霊園一覧ページはこちらをごらんください。

・埼玉県東松山市の六面幢(岩殿観音 正法寺)

2015年7月12日 日曜日 晴れ

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置く石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

先日サンヒルズ・メモリアルガーデンへの道すがら立ち寄りました岩殿観音 正法寺さま。その南側の山の中に六面幢(ろくめんどう)があります。

岩殿観音の裏側の入口からのびる細い道の奥に六面幢はあります。

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1379 裏の入り口

↑この場所のすぐ近くに案内の柱があります。

県指定史跡 正法寺六面幢 です。

埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1380

途中の道はこのようなこもれびの道です。ちょっとしたハイキングです。

埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1381

 しばらく歩きますと分かれ道があり、ここを左に曲がります。

埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1382 埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1383

そして見えてきました。

埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1384

六面幢とは、六面石幢とも六面塔とも呼ばれる供養塔。「幢」とはノボリ旗状の細長い旗のことで、仏法や仏様をそこに描き供養するものです。これを石でつくったものを石幢といい、石幢を六枚合わせたものを六面幢と言います。

埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1388 埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1389

六枚の板石を合わせた形状の上に笠石を載せています。笠石の中央にある丸い石は宝珠を表しているのでしょうか。

埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1385

正法寺の六面幢 県指定文化財

この六面幢は、緑泥片岩(青石)の六枚の塔婆を組み合わせて六角形を作り、その上に笠石をのせてあります。高さ107cm、板石の大きさき横36cm、縦101cm、笠石の直径128cmです。

笠石の周縁には飛雲・裏側には双龍と宝珠、宝相華や飛雲が線刻されています。

板石にはそれぞれ銘文が刻まれていますが、その銘文によると、天正十年(1582年)二月に、岩殿山の僧道照が俊誉・妙西・道慶・俊意らの菩提を供養するために建立したものと思われます。

六面幢は、鎌倉時代から室町時代に建てられたものですが、現在知られているものは極めて少なく、正法寺のものは、年代的にも新しいものです。

昭和五十八年三月 東松山市教育委員会

※以上、案内板より引用。

埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1386 埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1387

六枚のうち一枚が外れてしまっていました。

埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1388 埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1390

昭和五年三月三十一日指定。とあります。

埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1391 埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1392 埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1393 埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1394

今年が2015年ですので、433年前の石塔です。年月を考えると、刻まれた文字もしっかりと判読できます。しっかりと後世に伝えたい貴重な文化財ですね。

※岩殿観音 正法寺の訪問記事はこちら。

※東松山市の霊園 森林公園昭和浄苑の墓地情報のページはこちら。

※鳩山町の霊園 サンヒルズメモリアルガーデンの墓地情報のページはこちら。

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをごらんください。

・上杉謙信公のお墓について、林泉寺さんに聞いてみました

2015年7月11日 土曜日 晴れ

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置き、首都圏にて霊園と墓地をご案内し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事という「お墓作りのお手伝い」をしております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

上杉謙信公のお墓(林泉寺)新潟県上越市 五輪塔 供養塔DSC01861 上杉謙信公のお墓(林泉寺)新潟県上越市 五輪塔 供養塔DSC01863

以前書きました記事「・上杉謙信公のお墓(林泉寺)」について、閲覧された方よりご連絡のメールをいただき、少し追加で調べてみましたので記事にしてみます。

頂いたメールは次の通りです。

【氏名】
元上杉家家臣

【ご質問】
上杉謙信公の墓地との記事がありましたが、正確には墓地跡ではないでしょう
か? 上杉家は立派な霊廟があるのです。謙信公の遺骸もそちらに。遺骸がな
ければ、墓地跡ですよね。杉の立ち並ぶ立派な駐車場もある場所で、謙信公以
外も安置されています。詳細はお調べください。家臣といってもゲームの上杉
家でしたが、墓参してまいりました。一見の価値のある場所だと思います。

 

元上杉家家臣さま、ご指摘ありがとうございます。

ご指摘の通り上杉家は越後から会津、米沢へと転封があり、米沢城下の「春日山林泉寺」にある上杉家廟所に歴代当主とともに眠っているとのこと。それでは春日山城のある上越高田の林泉寺にある上杉謙信公のお墓はどうなのか。わからないことは直球勝負!ということで、上越高田の林泉寺さまに問い合わせてみました。

林泉寺さまからは、上杉家転封の際に墓所の下の甕(遺骸)も会津、その後米沢に移動したという記録は残っておらず、また寺の歴史(口伝)の中にも墓所を移したという情報はなく、この地に眠っていることとして昔と変わらず供養がなされています、とのことでした。謙信公の遺骸を移したという学者の説は昭和になってから出てきた話ということでした。林泉寺は1497年(明応6年)越後守護代長尾能景と曹洞宗の高僧「曇英慧応」とが創建しました。創建518年(2015年現在)になります。謙信公が7歳から14歳まで過ごした場所でもあり、林泉寺八世の益翁宗謙禅師から「謙」の一字をもらい謙信と名乗ったという経緯もあるという、謙信公とのゆかりのとても深いお寺になります。今回のような問い合わせはたびたびあるようで、「疑問なことがあったらご連絡いただければお答えしますよ」と言っていただけました。

 

別の記録(上越高田の林泉寺さまではない記録)によると、謙信公の遺骸は鎧兜を身に着けた状態で甕に入れられており、越後から米沢に移された際には米沢城内に埋葬され供養されていたようで、明治維新後に歴代藩主の眠る上杉家廟所(城下の春日山林泉寺)に移された、とあります。ただし、この甕は上杉家にとってはたいへん神聖なものである犯すべからざるものでもおるため、甕をあけてみるなどの詳細な調査は今までなされていません。この廟所のある春日山林泉寺は、その名の通り越後上越高田にある林泉寺からわかれたお寺さまになります。

 

残念ながら答えは現状ありません。どちらの場所に遺骸があるのかを信じるのかは自由ではありますが、どちらの場所も上杉家にとってとても大切な場所、聖域であることにはかわりありません。ですので、新潟県の林泉寺にあります「上杉謙信公の墓」は「墓跡」ではなく「墓」と言えると思います。少なくとも上越市、高田の多くの方々がそう見ておられるのではないでしょうか。

また、謙信公の深く帰依した仏教では、供養塔はいくつあっても悪いものではなく、たくさんの方が供養に訪れることができるので、むしろより供養になるといわれてもいます。特に戦国大名などは複数の墓所がある例も稀ではありません(高野山など)。

そして、世に「墓」と呼ばれるものの中には、必ずしも遺骨や遺骸が納められている、墓石の下に眠っている、とは限らないものも多くあります。遠い戦地で亡くなった方、遺品のみの方、遺骸のない方、などなど実に様々です。また、「供養塔」は文字通り供養する塔。開眼供養という法要があるのですが、お墓を建立する際には石塔に先祖の霊などに入ってもらうという法要がなされます。ですので墓石はただの石ではなく、石に先祖の祖霊(もしくはご本人の霊魂)がいらっしゃる、ということにもなります。著名人や歴史上の人物の墓が複数あるというのもこういったことを考えるとわかりやすいのではないでしょうか。

 

今回、ご指摘のメールをいただいたことで該当の寺院に問い合わせをしてみたり、色々と調べてみるという切っ掛けとなりました。元上杉家家臣さま、重ねてありがとうございました。

謎のままであることもまたロマンです。機会がありましたらどちらの墓所、廟所、そして高野山の上杉家墓所もたずねてみたいと思いました。

 

・埼玉県東松山市の岩殿観音に行ってきました②

2015年7月10日 金曜日

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置く石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

昨日の記事「・埼玉県東松山市の岩殿観音に行ってきました①」に引き続き、②となります。

昨日の記事では、観音堂の前まで来たところで終わりました。

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1422 本堂 観音堂

本堂の正面には弘法大師像と水子地蔵像が。観音堂に向かって右手には薬師堂が。

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1419 2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1418

観音堂の近くには、とても美しい石造の宝塔もあります。

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1416 石塔

和算の算額も奉納され保存されています。

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1402 算額

さて、観音堂に進んでみたいと思います。

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1417 本堂 2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1414 本堂 2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1400 本堂

歴史を感じる重厚感と、それでいてどこか優しく温かみを感じられる空間になっています。

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1415 本堂と岩崖

観音堂の右手には、岩の壁が崖になっています。

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1409 岩崖

この岩崖には、四国八十八カ所の石仏と、坂東三十三カ所+秩父三十四カ所+西国三十三カ所の百観音の石仏があり、合計188体の石仏がいることになります。ここ一か所で、四国、坂東、秩父、西国の各霊場を巡ることができるわけです。

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1410 岩崖 2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1408 岩崖 2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1411 岩崖

石仏の観音堂をはさんだ反対側には、とても大きなイチョウがあります。

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1404 大銀杏 2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1396 大銀杏

東松山市指定天然記念物の大銀杏です。根っこがすごいことになっています。

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1397 大銀杏

大銀杏を最後に観音堂をあとにしてみたいと思います。

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1398 本堂

勾配のある裏手の道を進むと、裏手の入り口にたどり着きました。

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1379 裏の入り口

この道を前方高坂方向に進むとすぐに大東文化大学があります。そして、そのあとにはこども動物自然公園も見えてきます。

この道を逆方向に向かいますと、鳩山町になります。弊社ご案内のサンヒルズ・メモリアルガーデンもすぐです。

こちらは先ほどの裏手の入り口すぐの場所にある物見山公園の駐車場にありました案内板と地図です。

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1378 2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_13742015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1376 2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1375

近隣にさまざまな自然や史跡があることがわかりますね。

※東松山市の霊園 森林公園昭和浄苑の墓地情報のページはこちら。

※鳩山町の霊園 サンヒルズメモリアルガーデンの墓地情報のページはこちら。

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをごらんください。

・埼玉県東松山市の岩殿観音に行ってきました①

2015年7月9日 木曜日 雨

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置く石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

先日、埼玉県東松山市にあります岩殿観音正法寺に行ってきました。二回に分けて記事にしてみます。

東松山市内より、鳩山町にありますサンヒルズ・メモリアルガーデンに向かう途中に岩殿観音に寄り道してみました。

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1441門前町

岩殿観音の前には、山門に続くまっすぐな道と、その両サイドに古くからの町並みが続いています。場所は、東松山市岩殿。こども動物自然公園や大東文化大学、物見山が近くにあります。

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1444

山門が見えてきました。

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺 DSC_1446 山門 石段

山門の向こう側に、まっすぐに続く石段がみえます。

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1436山門 石段 2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1435山門

仁王像のところが金網や木枠の格子ではなく一枚もののガラス(アクリル板?)になっており、仁王像をはっきりくっきりと拝見することができます。運慶作といわれている仁王像です。

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1440山門 仁王像 2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1439山門 仁王像

山門から来た道を振り返ってみると、なかなか風情のある景色が見えました。まっすぐに続いているのがよくわかりますね。

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1432 山門 門前町

それではさらに石段を登って進んでみようと思います。

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1433石段 あじさい

この長い階段の左右には、紫陽花の花が広がっています。

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1434石段 あじさい

何やら案内板と立札があります。

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺 DSC_1429 あじさい 上田朝直 制札 高札 2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺 DSC_1430 あじさい 上田朝直 制札 高札 2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1431 あじさい 上田朝直 制札 高札

どうやらこの木製の立札は「制札(高札)」で、戦国時代の松山城主「上田朝直」の命が書かれており、岩殿山一帯の木や草を刈り取ることを禁じています。綺麗だからといって紫陽花を持って帰ってはいけません!

後ろを振り返ると、遠くまで続く道と町並みが良く見えました。

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1427 あじさい 石段 門前町

石段を登りきると、いよいよ岩殿観音、坂東十番霊場の岩殿山正法寺です。

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1426 2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1425

正法寺は真言宗智山派の寺院で、岩殿山修善院といい、また岩殿寺ともいう。

源頼朝の命により、比企能員(ひきよしかず)が復興した古刹であり、天正二年(1574年)僧栄俊が中興開山となっている。天正十九年(1591年)徳川家康より寺領二五石の朱印地を与えられた。

観音堂は養老年間(717~724年)僧逸海(いっかい)の創立と伝えられ、正法庵と称し、鎌倉時代に坂東十番の札所となった。千手観音が祭られており、西国三十三番、坂東三十三番、秩父三十四番とセットされる札所の一つ。源頼朝の妻、政子の守本尊として信仰が厚かったといわれている。仁王門の仁王は運慶の作といわれている。

当時には、延暦10年(791年)坂上田村麻呂が桓武天皇の勅令によって奥州征伐に向かう途中、この観音堂に通夜し悪龍を退治した伝説がある。

なお、正法寺には、県指定の六面幢、県指定歴史資料の銅鐘、市指定歴史資料の鐘楼がある。

※以上、案内板より

供養塔がずらりと並んでいます。

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1424 石塔

左↓薬師堂、右↓百地蔵堂

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1423

境内にある案内板。

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1421 2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1420

いよいよ観音堂に向かって進んでみたいと思います。

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1422 本堂

埼玉県東松山市の岩殿観音に行ってきました②」に続く。

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをごらんください。

・埼玉県伊奈町 法光寺の十三仏板石塔婆(町指定文化財)

2015年7月5日 日曜日 曇り

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置く石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

昨日に引き続き、埼玉県伊奈町にあります法光寺さまのおはなしです。

法光寺さまの境内、墓地の入り口に伊奈町指定文化財の「十三仏板石塔婆」があります。

埼玉県伊奈町指定文化財 法光寺の十三仏板石塔婆 梵字 種字 DSC_1632

本堂から木立を隔てた位置に、いくつもの石塔や、お地蔵様が並ぶ一番右にあります。ちなみに板石塔婆のある後ろの木々の反対側、本堂側に沙羅の木(沙羅双樹)があります。沙羅の木についての記事は過去に書きましたのでよかったら見てみてください。

埼玉県伊奈町指定文化財 法光寺の十三仏板石塔婆 梵字 種字 DSC_1623

後ろ側はこんな感じです↓

埼玉県伊奈町指定文化財 法光寺の十三仏板石塔婆 裏側 梵字 種字 DSC_1634

立派な板石塔婆(板碑、青石塔婆)に十三仏が種字(梵字)で刻まれています。

埼玉県伊奈町指定文化財 法光寺の十三仏板石塔婆 梵字 種字 DSC_1630

残念ながら上部部分が無くなってしまっていますが、八~九割の十三仏が確認できます。

埼玉県伊奈町指定文化財 法光寺の十三仏板石塔婆梵字 種字 DSC_1636

↓この仏様の種字についつい目がいってしまいました。ハートが二つ並んでいるように見えますね。

埼玉県伊奈町指定文化財 法光寺の十三仏板石塔婆 梵字 種字 丸 ハートが二つDSC_1637

全く梵字を読むことができません(汗)勉強してみたいな、と思いました。

永正3年(1506)11月23日に建てられたそうで、500年以上前のものという大変貴重な有形文化財です。

十三仏とは、私たちの身近にいる13の如来、菩薩、天の仏さまです。古くインドでは人は死後7日後とに法要がなされており、それぞれに対応した仏さまがいました。これが中国に伝わり三の仏さまが加わって十王信仰となります。そして日本に伝わりさらに三の仏さまが加わり十三仏の信仰となったわけです。日本では室町時代くらいから広まりはじめました。十三仏はそれぞれ十三の王に対応しており、有名な閻魔大王は、実は地蔵菩薩ということになります。

十三仏

●インド発祥の供養の日
不動明王  = 秦広王(しんこうおう)      = 初七日(七日目、六日後)
釈迦如来  = 初江王(しょこうおう)      = 二七日(十四日目、十三日後)
文殊菩薩  = 宋帝王(そうていおう)      = 三七日(二十一日目、二十日後)
普賢菩薩  = 五官王(ごかんおう)       = 四七日(二十八日目、二十七日後)
地蔵菩薩  = 閻魔王(えんまおう)       = 五七日(三十五日目、三十四日後)
弥勒菩薩  = 変成王(へんじょうおう)     = 六七日(四十二日目、四十一日後)
薬師如来  = 泰山王(たいざんおう)      = 七七日(四十九日目、四十八日後)

●中国で加わった供養の日
観世音菩薩 = 平等王(びょうどうおう)     = 百箇日(百日目、九十九日後)
勢至菩薩  = 都市王(としおう)        = 一周忌(二年目、一年後)
阿弥陀如来 = 五道転輪王(ごどうてんりんおう) = 三回忌(三年目、二年後)

●日本で加わった供養の日
阿閦如来  = 蓮華王(れんげおう)       = 七回忌(七年目、六年後)
大日如来  = 祇園王(ぎおんおう)       = 十三回忌(十三年目、十二年後)
虚空蔵菩薩 = 法界王(ほうかいおう)      = 三十三回忌(三十三年目、三十二年後)

貴重な文化財のある法光寺。文化財の近くでお墓をお探しの方がいらっしゃいましたら、お気軽に弊社までお問い合わせください。

※法光寺墓情報のページはこちら。
※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをごらんください。

・埼玉県鳩山町の白山神社と、十郎横穴墓群

2015年6月27日 土曜日 曇り

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置き、埼玉県だけでなく東京、神奈川、千葉、群馬、静岡にて霊園と墓地をご案内・ご紹介し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事という「お墓づくりのお手伝い」をしております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

昨日の記事「埼玉県鳩山町 霊園に隣接する古代瓦窯跡」に引き続きまして、今日の記事も古代に思い馳せる内容です。

鳩山町石坂にある白山神社は小高い丘の上にあるのですが、その南側中腹に「十郎横穴墓群」があります。「お墓」にまつわる仕事をしている関係もあり、鳩山町にきたついでに古代のお墓をお参りしてみようと思います。

十郎横穴墓群を見る前に、まずは白山神社に参拝しようと思います。「お邪魔いたします」

埼玉県鳩山町 白山神社と十郎横穴墓群DSC_1288 埼玉県鳩山町 白山神社と十郎横穴墓群DSC_1286

鳩山町は丘陵地帯にあるのですが、ここ白山神社のある丘もその中のひとつ。越辺川(おっぺがわ)と支流の合流点にあたる場所で、地理的にも重要なポイントと見ることができる場所かと思われます。

埼玉県鳩山町 白山神社と十郎横穴墓群DSC_1285 埼玉県鳩山町 白山神社と十郎横穴墓群DSC_1287

丘の上ということもあり、社の向こう側には丘陵の山々が見晴らしよく見ることが出来ました。とてもよく整えられている神社です。祭神は菊理姫命。拝殿の隣に牛頭天王の社もありました。ちなみに神社の住所は「鳩山町大字石坂字重郎」。これから行く場所は十郎横穴墓群。重郎と十郎の違いが謎ですが、先に進んでみようと思います。

白山神社の鳥居の近くに、丘の斜面を南側にくだる階段があります。

埼玉県鳩山町 白山神社と十郎横穴墓群DSC_1289

↑階段スタート。↓左に竹林を見ながらしばらく進むと明るい場所に出ます。

埼玉県鳩山町 白山神社と十郎横穴墓群DSC_1291

丘の中腹にあたる場所に十郎横穴墓群はあります。

埼玉県鳩山町 白山神社と十郎横穴墓群DSC_1293 埼玉県鳩山町 白山神社と十郎横穴墓群DSC_1294

小路の反対側からはこのように案内板が見えます。小路はこの先も続いており、下の車道まで続いています。

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さて横穴墓群。

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横穴墓が見えてきました。

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鳩山町指定史跡 十郎横穴墓群

  指定 昭和五四年四月二五日
  所在 大字石坂字重郎
  次代 古墳時代後期

横穴墓とは、国指定史跡吉見百穴(吉見町)に代表される古墳時代後期の墓制の一つです。

十郎横穴墓群は、越辺川にのぞむ丘陵の南向斜面に位置し、凝灰岩質砂岸層を掘りぬいて構築されたもので、現在、三基が開口しています。平成二年の現況測量調査の結果、他にかなりの横穴墓が埋没していると思われます。

比企地方には、この他に、黒岩横穴墓群(吉見町)、天神山横穴墓群(滑川町)、尾根横穴墓群(嵐山町)、比丘尼山横穴墓群(東松山市)があります。

平成四年三月 鳩山町教育委員会

横穴を右から順に見てみます。↓一番右の横穴

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↓続いて二番目。

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↓こちらは三番目です。つぶれてしまったのか、土砂で埋まってしまったのかしています。

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↓右の二つを一緒に撮影してみました。

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横穴の内壁は、古墳時代の人手によって削られた痕跡がいまだに綺麗に残っています。現代も使われているノミに似た道具で削られたのでしょうか。

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凝灰岩ということもあり、とても表情豊かです。乾燥していたため薄緑色に粉が吹いたように見えますが、コケが広がっていました。

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蟻の行列や、岩の隙間の水気のある個所には青々したコケも確認できました。

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丘の中腹とはいえ、南面の見晴らしはとてもよかったです。

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ご訪問される方は、この丘と森の住人のカラスの群れをあまり刺激しないよう、しずかに見学されることをお勧めします。カラスの巣でもあったのか、帰るまで威嚇・監視されました(^_^;)

この丘陵を造っている凝灰岩というのは、海底などで鉱物などが堆積して押し固まって岩となったもの。堆積岩です。古代の横穴のお墓は凝灰岩、堆積岩にて1000年以上もカタチ変わらず残っています。

現代のお墓は多くがみかげ石。みかげ石は火成岩で花崗岩。溶岩が固まって出来る岩です。現代では堆積岩はお墓に適していないと言われています。お墓に適しているのは花崗岩であるみかげ石。(逆に、砥石として適しているのは堆積岩で、みかげ石は砥石には適していません)。お墓に適していないと言われている堆積岩のお墓でさえ1000年以上も残っています。みかげ石のお墓はいったいどのくらいの年数もつのか、とても気になるところまです。

鳩山町でお墓をご検討の方は、サンヒルズ・メモリアルガーデンをご案内可能ですのでお気軽にご連絡くださいませ。

※サンヒルズ・メモリアルガーデンの区画情報のページはこちら。

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・埼玉県伊奈町の法光寺 沙羅の木の白い花

2015年6月24日 水曜日 晴れ

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置く石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

本日、弊社大塚が日頃大変お世話になっております埼玉県伊奈町の法光寺さまを訪ねてみましたところ、境内の「沙羅の木(シャラノキ)」にかわいらしい白い花が咲いていましたので記事にしてみます。

2015年6月24日 埼玉県伊奈町の寺院 法光寺DSC_1638 2015年6月24日 埼玉県伊奈町の寺院 法光寺DSC_1639

法光寺さまの山門をくぐって本堂に向かい、その右手奥に続く墓域への入り口にあたる場所にシャラノキはあります。

2015年6月24日 埼玉県伊奈町の寺院 法光寺の沙羅双樹 沙羅の木 シャラの木 シャラノキ 花-DSC_1603

仏教にゆかりの深い「沙羅双樹(さらそうじゅ)」はフタバガキ科の植物で温暖な土地でないと育ちません。そのため日本各地の寺院では沙羅双樹の代わりにこの樹を植え、沙羅双樹になぞらえて「沙羅の木(シャラノキ・サラノキ)」とも、そのまま「沙羅双樹」とも呼ばれています。ツバキ科ナツツバキ属の高木で、夏椿(なつつばき)です。

仏教には三大聖樹というものがあるのですが、そのうちの一つがお釈迦様が亡くなる際に周囲にあったという沙羅双樹。他の二つは、お釈迦様が生まれた場所に生えていたという「無憂樹・ムユウジュ」(別名、阿輸迦の木・アショーカノキ)と、お釈迦様が悟りを開いた場所に生えていたという菩提樹になります。

インドの植物が日本で育たないのは残念ですが、その代わりの夏椿もとても美しい花です。

高木ですので、高い場所に咲いています。

2015年6月24日 埼玉県伊奈町の寺院 法光寺の沙羅双樹 沙羅の木 シャラの木 シャラノキ 花-DSC_1591 2015年6月24日 埼玉県伊奈町の寺院 法光寺の沙羅双樹 沙羅の木 シャラの木 シャラノキ 花-DSC_1602

花の命は短いようで、咲いたと思ったら一日ほどで散ってしまうそうです。

有名な平家物語の冒頭の二文目にあります「沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす」というのは、沙羅の木の白い花が、花の盛りから一転してあっという間に散ってしまう、という点で平家の栄枯盛衰を表現したわけです。

昨夜は雷雨が埼玉県を襲いました。強い雨に散ってしまった花がいくつも地面に見られました。

2015年6月24日 埼玉県伊奈町の寺院 法光寺の沙羅双樹 沙羅の木 シャラの木 シャラノキ 花-DSC_1597

仏教聖樹の沙羅双樹は、お釈迦様の入滅に際に周囲に生えていた樹なのですが、涅槃の瞬間にぱっと白い花が咲き、そして散って降り積もった様子がまるで白い鶴が舞い降りたようだった(鶴林)といわれています。「沙羅双樹の花の色」とはまさにこのことでしょう。平家物語の著者はこのお釈迦様入滅の逸話をもって盛者必衰を読者に「世の常」と大前提として感じてもらうよう冒頭に書いたわけですね。

ぷっくりと大きく膨らんだ花の蕾がたくさんみられましたので、まだしばらくはお花を見ることが出来そうです。

2015年6月24日 埼玉県伊奈町の寺院 法光寺の沙羅双樹 沙羅の木 シャラの木 シャラノキ 花-DSC_1595 2015年6月24日 埼玉県伊奈町の寺院 法光寺の沙羅双樹 沙羅の木 シャラの木 シャラノキ 花-DSC_1596

季節はいよいよ夏本番を迎えようとしています。墓域からすぐ近くの場所にありますので、この季節ならお墓参りのついでに花を見ることができると思います。

四季折々の表情を見ることができる法光寺さま。お近くに来られましたらぶらりとお散歩に訪れてみてはいかがでしょう。

※法光寺墓情報のページはこちら。

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・横浜お散歩 掃部山公園~伊勢山皇大神宮~野毛山

2015年6月19日 金曜日 雨

こんにちは。首都圏にて霊園と墓地をご案内し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事という「お墓づくりのお手伝い」をしております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

今日の記事は、横浜支社のSSさんからになります。以下本文↓

 

今日は会社を定時に帰社して野毛にお散歩に行きました。

横浜支社のA氏からの情報で 会社からほど近い掃部山公園という公園に、井伊直弼の銅像が建っていると聞いたので行ってみる事にしました。

掃部山公園は私が中学校時代には行った事はあるのですが、井伊直弼像があった事などまるで記憶に無く、改めて新鮮な気持ちでおとずれました。

横浜 音楽通り 横浜 紅葉坂

県立音楽堂に向かう音楽通りというロマンチックな名前の通りを抜けて、紅葉坂というこれまた素敵な坂をてくてく5分ほど上がり掃部山公園(かもんやまと読みます)に到着です。

以下ウィキペディアより

明治初期、新橋駅-横浜駅(現・桜木町駅)間の鉄道開通に携わったエドモンド・モレルなど外国人鉄道技師の官舎が建てられ、開通後も鉄道用地として利用していたことから、鉄道山と呼ばれた。

1884年(明治17年)に旧彦根藩士が買い取って井伊家の所有となり、1909年(明治42年)横浜開港50年記念に井伊直弼の銅像が建立された。除幕式には、井伊を開国の恩人とした銅像の建立趣意書に反発し、山縣有朋、伊藤博文、松方正義、井上馨は欠席した。 以後、直弼の官位である掃部頭(かもんのかみ)から、掃部山と呼ぶようになった。

井伊直弼とは言わずと知れた安政の大獄を行い、桜田門外の変で暗殺されたとても有名な幕末の譜代大名です。(歴史の教科書には必ず載ってますものね)

記憶に残っていたよりはるかに立派で大きな銅像でびっくりでした。

横浜 掃部山公園_ 横浜 掃部山公園 井伊直助像_ 横浜 掃部山公園 井伊直助像2_

公園の地図を見ていたら、同じ幕末に勝海舟・坂本竜馬・吉田松陰を筆頭に幕末の立役者達に影響を与えた思想家で兵学者の 佐久間象山の石碑がなんと 野毛山動物園という横浜で育った子供は多分1度は行った事のある、入場無料の動物園に建っているとありました。

これはぜひ見に行かなくちゃ!

横浜 伊勢山皇大神宮 横浜 伊勢山皇大神宮の紫陽花横浜 伊勢山皇大神宮 拝殿

その道すがら、伊勢山皇大神宮で軽くお参りして、きれいに咲いた紫陽花を鑑賞しつつ、たどりついた野毛山動物園はすでに閉園してました。

以下ウィキペディアより

※伊勢山皇大神宮(いせやまこうたいじんぐう)は、横浜市西区にある神社である。 天照大御神を祭神とする。単に「皇大神宮」とも称される。旧社格は県社。横浜の総鎮守とされ、「関東のお伊勢さま」として知られている。

せっかくなので入口付近の写真を撮って、石碑は写真はこちらのサイト(はまれぽ.COMさん)の写真が綺麗に取れているようでしたので使わせて頂きましたが、今度ゆっくり見に行こうと思ってます。※はまれぽ.COMさんの記事がとてもよくまとめられていてオススメです!

野毛山動物園 野毛山動物園入口

佐久間象山肖像 佐久間象山顕彰碑の画像

かなり個性的な風貌の佐久間象山さんですが、幕末物のドラマ、映画などで色々な役者さんが演じておられます。

なぜ横浜に石碑が建っているかというと、江戸時代の安政6年(1859)、日米修好通商条約が締結されたことで佐久間象山が強く希望し主張していた横浜港が開港となり、異国と貿易をする拠点となったためです。

こうした経緯もあることから、佐久間象山が横浜開港の恩人ということで顕彰碑が野毛山公園に建てられたというわけです。

改めて横浜と幕末、明治維新は深い関係だったんだと痛感しました。

野毛山動物園から駅に向かう途中に「野毛山住宅亀甲積擁壁(旧平沼専蔵別邸石積擁壁及び煉瓦塀)」も見て日暮れてきましたので今日のお散歩終了です。

野毛山住宅亀甲積擁壁

 

【市認定歴史的建造物】 現役使用
1890(明治23)年~1893(明治26)年築造と推定。
旧平沼邸の擁壁で亀甲石積の擁壁。

野毛歴史散歩になってしまいましたが、よくよく調べてみると 普段何気なく歩いているランドマーク周辺は史跡だらけでした。

次回は野毛の面白いお店などもご紹介したいと思います。

横浜の夜の道路

野毛の地の昔の様子

江戸時代には、ここ野毛の地は「武蔵国久良岐群戸部村字野毛浦(むさしのくにくらきぐんとべむらあざのげうら)」という名前でした。現在の野毛町や、花咲町、宮川町一帯は、切り立つ崖が一部にありました。崖の下には波が打ち寄せる浜になっていて、100戸ほどの家屋のある漁村だったということです。

横浜お散歩 掃部山公園~伊勢山皇大神宮~野毛山 地図

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